無邪気という名の…煌めき持つのは、キミと、私。‐3

 叶羽が明らかに落胆していくのが目に見えた。一瞬、とても良い顔をしていたのに。

 自分も逃げた友達と同罪だとか、遊び半分興味半分でやっていたとかは、今はもうどうでも良い。彼女が見せたあの笑顔を思えば自然とそうなった。


「ごめん、あいつらの分まで俺を怒って良いから!」

「え、ちょっと……!?」

平手打ちビンタしても良いぞ!」

「……話が、急過ぎっ!!」


 叶羽が堪らず発した大声に、光也はしまった。

「う!?」

「大体、私一言も怒ってるとか言ってないし! そういうの勝手に決めないで!」


 叶羽は肩を震わせていた。

「……私の気持ちを、あれこれ決め付けないで。私は、自分の気持ちを無くした訳じゃない……」

 感情の昂ぶりに依る震えた声で光也にそう告げた。


 不登校にまでなってしまう程無気力な日々を送っていた叶羽……。でもその間、無気力で居る事が心の何処かで苦しいと感じていた。


「自分の気持ち? そりゃあ、そうだ……」

 光也はそう口にはしていたが、本当は叶羽が何故いきなりそう言ったのか分からずに、困惑していた。

 視線を泳がせて頭を掻く。――そんな様子を、叶羽はじっと見ていた。


「あ……」

 叶羽は少しだけ冷静になって、自分もまた光也に対して急な事を言ったのかもしれないと思ったのだ。

「ごめん……」

 臆病な気持ちが湧いて、とにかく謝って視線を落とす。


「……落ち込むのは、やめようぜ」

 そう言われて顔を上げた。そしたら光也が、どういう訳か口を尖らせていた。

「そういうんじゃないんだよ。俺がここに来たのは、そういうのとは違うんだよ」

 言っている事の意味が、まるで分からなかった。


 ――だからもう、全部急なんだってば……。――


 強引な男子、それが叶羽が光也に抱いた正直な感想だった。

 怒った気持ちにもさせられたけど、だからといって『こいつ無理だ』という風には思わなかった。


 部屋の窓から見ていた時、他の友達に押し付けられるように一人で家の前に立たされていたこの男子。

 ――きっと可哀そうな奴なんだ。――と、その時はそういう印象を抱いていた。

 今も、その印象自体は変わっていない。


 ――すぐに必死になっちゃってさ。そんなんじゃ、面倒事を背負っちゃうだけなのに……――

 叶羽は自分も小学校時代にその経験をしていたからそう思うのだ。


 苛められている友達を庇って、自分も同じ苛めの標的ターゲットにされた。自分はそれには耐えられたが……庇った友達は耐え切れずに自ら命を絶ってしまった。

 当時全校集会で校長が痛ましい出来事として語ったのはその友達の事だけで、自分の事は名前も出されなかった。多くの関係の無い生徒に自分の事を曝されるのは嫌だと、叶羽自身がそうしてくれと伝えていたのだ。


 また馬鹿にする子が出てくるかもしれないと思ったし、同情されるのはもっと苦痛だった。自分は友達を救えなかったのに、どうして自分だけが生きて直接『可哀そう』だと言って貰える立場に身を置けるものかと……。

 そんな思いを抱いてからは、学校で何かを頑張る気持ちにはなれなかった。


 面倒だと思う。庇った友達や他の生徒ではなく、そんな風な自分が面倒なのだと思う。


 だけど頑なにそうやって自分の殻に閉じ籠っていたのに、まるで自分でも分からず気紛れみたいに今こうして、存在そのものが面倒の塊のような光也と向き合っていた。

 引き寄せられる感覚で自分の部屋から出た事は憶えている。


「……ママ?」

 叶羽は帰宅してくる自分の母親の姿を認めた。

「あっ」

 光也も気付く。そして徐々に顔が青ざめていった。


「千波のお母さんか!? いや、でも……」

 一瞬逃げ出そうかという考えが過ったが、それを振り払ったのである。

 遊び半分で娘の叶羽にちょっかいを掛けたのだから、きっとただでは済むまいとは想像は付いた。しかし光也は、敢えて素直に怒られる道を選んだのだ。


「……大丈夫だよ」

「えっ?」

 叶羽が言った言葉に振り返る光也。彼が見たのは大きな目を虚ろに、寝むそうに、しかし緩やかに優しく強く、輝かせている同い年の少女だった。


「叶羽、何してるの?」

 傍まで来た母親が、怪訝な表情で叶羽と光也を見遣りながら尋ねてきた。

「……同じクラスの子が、遊びに来てくれたんだよ」

 叶羽の答えは光也を庇うものだった。


 しかし光也は緊張を解けない。

「友達……お前に?」

 母親が尚も疑っているような口調だったからだ。

 同時に光也は、その疑いの持ち方に対して違和感も覚えていた。

 ――何でこの人、俺じゃなくて千波の方を疑ってるんだ?――


「あ、あの……」

 光也は思わず話し掛けてしまってから後悔の気持ちも抱いた。それでも隣に居る叶羽の顔を見ると自分こそが前に出なければいけないと、そんな思いが沸き起こったのである。


「叶羽ちゃん、ずっと学校に来てなかったから、その、会いたいなって思って……」

 恐る恐るそう言った。

 そしたら母親と、叶羽が目を丸くして驚いていた。


「えっ!?」

 二人の反応に光也の方が大きく驚いてしまった。母親が驚いていたのも何でか分からなかったし、叶羽が驚いていた事はもっと分からなかったのだ。


 母親が叶羽より先に、光也に言葉を返す。

「会いたいって……?」

「え、駄目なんですか?」

「いや、駄目じゃあ無いけど……」


 母親の、疑うような態度は何処かに行ったみたいだった。しかし今彼女が見せているとも言うべき表情は、光也にとっては得体の知れないものだったのだ。

 ――俺、もしかして何か悪い事言ったかな?――

 そんな事を考える始末だった。


 隣で叶羽が、口に手を当てて俯き加減になっている。

 顔が赤かった。

「え、千波――」

「ごめん、今話し掛けないで……」

「ええっ!?」


 弱々しく、それでも目だけは大きく見開きながらそう拒否されてしまった。

「いや、千波――」

「ごめん、今は無理……」

「何が無理!?」

 拒絶に次ぐ拒絶、只管な拒絶。光也にはまるで意味が分からなかった。


 叶羽はこの時、何故か鼓動が高鳴っていたのだ。

 唐突に『会いたかった』なんて風に言われた。――それが原因だという事は分かっていたのだが、『会いたかった』という言葉が何故自分の心にそんな作用を引き起こすのかが分からなかった。


 そういえばまだ光也が何故ここに来たのかを、彼の口から直接は聞いていなかった。

 『可哀そうだと思ったから』とか、『励まそうと思ったから』とか言われたとしても、母親から彼を庇おうとした強い心の叶羽なら傷付かなかっただろう。

 でも男の子からの『会いたかった』は叶羽にとっては未知過ぎた。


 叶羽は分からない事に対して無意識的に拒絶しようとしていただけで、別に光也を嫌った訳では無い。

 光也は光也で、そんな叶羽の心の動きを理解出来るような器用さを持っていなかった。


 しかし光也は器用では無いからこそ、訳が分からない事に対してそのまま放置したり受け流すという事も出来なかった。


 叶羽に話し掛けるのは難しいと判断して、一先ず母親の方に向き直る。

「お母さん!」

「お母さん!?」

 自分に話を振ってこられるとは思っていなかったのであろう母親は、しかも他人の子供にお母さんと呼ばれてしまった事に素っ頓狂な声を上げていた。

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