第9話 銀の鈴音
闇色のマントを着た姫の両手から、ポロリと宝玉が落ちました。
とたんにあたりが光に包まれました。
灰色の空が割れ、青空がぐんぐんと広がってゆきます。
細工師が驚く中、あたりは白く輝きだし、花の香りが漂い始めました。
無理もありません。岩という岩の間から花が噴出したように咲き乱れたからです。
世界のありとあらゆる優しい光が、すべてここに集まったかのような明るさです。
シャリーンと、鈴の音が響きました。
銀の騎士は……。
さらにまばゆい光に包まれていました。
細工師が見守る中、光は小さくなり瞬きはじめて、やがて薔薇の花をかたどった九九九個の鈴と化しました。
ばらばら……と音を立てて、鈴は床に落ち、波紋のように散らばりました。
中から本当の鈴鳴り姫——今はもう、鈴は必要なくなりましたが——が生まれたままの姿で現れて、寒さに震えていました。
その美しさに見入る暇もなく、細工師は今度こそ愛しい姫を抱きしめ、熱くて長い口づけをしました。
一糸もまとわない姿で抱きしめられて、姫の顔に紅が差しました。
細工師がマントで体を包みますと、今度はそっと細工師の胸の中で目を閉じました。
「何でそのようなことになるのだよ!」
いまや黒髪の本来の姿に戻った新月の魔女の首が、床に転げたままで、きいきいと叫びました。
恐れおののく姫と細工師の目の前に、満月の魔女が突然姿を現しました。
「あなたの性格の悪さですもの。どんなにうまく化けたところで、騙しきれるわけはないでしょう?」
満月の魔女はニコニコ微笑みながら、不機嫌な妹の頭を拾い上げ、うろうろしていた胴体の上に乗せました。
「少し曲がったわ」
新月の魔女はぶつぶつ言いながら頭の位置を直しましたが、その性格同様、ますます曲がってしまいました。
そしてあたりがすっかり明るくなってしまったことに気がついて、ああ、嫌な世界だよ、とつぶやきました。
「弱虫の細工師ごときに殺されて、蘇生するために力を使い果たすなんて……わらわも落ちたものだ」
そう言って新月の魔女は真っ赤な瞳で睨みましたので、細工師は一瞬振るえ上がってしまいました。
「ふん、でも口づけは上手だったから、許してやるか」
ぶつぶつ言いながら、新月の魔女は窓から身を乗り出し、そして飛んでいってしまいました。
残された満月の魔女はくすっと笑いました。そして、不思議そうにしている細工師に言いました。
「私の力は出なくなったけれど、妹も完璧ではなかったのよ。宝玉を手に入れていなかったからね。そこで、妹は姫を強力な魔物に変えて、秘所に忍びこませようとたくらんだのだけど、九九九個の鈴のおかげで心までは操ることができなくなってしまったの」
「そこに私が乗り込んでしまい、利用されてしまったのですね?」
「そういうことね。でもよく本当の姫を見抜いたわね、えらいわ」
「私が愛した姫は、心の痛みをわかってくれる優しい人ですから」
そういうと細工師と姫は見つめあい、二人揃って顔を染めました。
姫は、魔法によってただの空虚な闇に変えられていました。
口を利くこともできなくなりました。
頭もなくなってしまったので、自分のことも忘れ去りました。
愛する人のことも忘れました。
ひたすら秘所の宝玉だけを求め、さまよう魔物となりました。
でも、心だけは残ったのです。
細工師の辛そうな姿を見て、同じように苦しみました。
しかし、何度も泣きたくなったのに、涙を流す目もありませんでした。
今はこうして泣くことができます。
「でも……心を無くさないでよかった」
姫の涙に、細工師は言いました。
「たとえ心を失ったとしても、私はきっとあなたを見つけます」
「うふっ、それは結構なことね」
満月の魔女は、二人の頭を交互に撫でて微笑みました。
「終わりよければすべてよしよ。さて……」
満月の魔女は伸びをして、窓辺に向かうと身を乗り出しました。
「いったい、どこへいくのです?」
二人は揃って声をあげました。
魔女は振り返るとにっこりと笑いました。
「私も少し休むのよ。妹があんな状態になったら、この世界は私のもの。私はそんなの、まっぴらなのよ」
満月の魔女は、ぐるりとあたりを見回しました。
影もできないようなまぶしい世界が広がっていて、今までの闇は消えていました。
宝玉が満月の魔法を解放したからでした。
「でもね、月は満月と新月があって初めて月なのよ。この世界もすべてそう。満月だけじゃあ成り立たないの」
そう言うと、満月の魔女は妹の後を追うように、空に飛び立っていきました。
細工師と姫は、手を取り合いながら、満月の魔法に満ちた天国のような空間で、飛び去っていった二人の魔女を見送りました。
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