第8話 銀の騎士

 鈴鳴り姫の剣幕は、雷が落ちたかのようでした。

 金の髪を逆立てて、目を吊り上げて怒鳴り散らしました。

「あぁ、なんということです! 魔物に力のすべてを奪われるなんて! あなたは私のことなど、ちっとも愛してはくれていないのですね!」

 その非難を、焦げて短くなってしまった自分の栗色の髪をさすりながら、細工師は聞いていました。その手を姫は苛々と払いました。

「真面目に聞いているのですか? あれは魔女の使いかも知れないのですよ! もしかしたら、私達だけではなく、世界も滅ぼされてしまうかも知れないのですよ! あなたはそれでもいいのですか?」

 うつろな瞳で細工師はつぶやきました。

「月の石は、取り戻しました……」

「え、何ですか? それより宝玉です。宝玉を取り返さないと!」

 きりきり怒鳴る姫の声に、細工師は懐から出しかけた月の石を再びしまいこみました。

 満月が過ぎ去り、新月が近づいていました。

 もう鈴鳴り姫には、細工師と誓った愛すらも残されていませんでした。

 かわいそうな姫。

 かわいそうな姫。

 細工師の目に、もう世界中の何よりも美しかった姫の姿は映りませんでした。同じ姿をした醜い生き物がいるだけです。

 それでも細工師は姫を愛していました。

 炎のように怒鳴り散らす姫を、両手で抱きしめて、かつては美しいと思った髪を撫でました。

「もう、これが最後です」

 姫が抱かれながら言いました。

「銀の騎士を探して殺すのです。そして彼から宝玉を奪い返してきなさい。それができないのなら、二度と私に触れることは許しません」

 絶望のままに、細工師は聞きました。

「たとえ体を持たない魔物だとしても、あなたは、私の命を二度にわたって助けてくれた存在を殺せと?」

「ふん、助けたのは宝玉欲しさでしょう? そのような表面的な行為に惑わされてはいけません」

 細工師は、虚しい心で姫の額に口づけしました。

「宝玉を奪い返してまいります。そしてあなたを……その悪夢から救い出して差し上げます」



 細工師の心は虚ろでした。

 どのような美しい物を見ても心が動くことはなく、どのような優しい言葉をかけられようとも、反応はありませんでした。

 ただ、銀の騎士を見なかったか? と、人々に聞くだけでした。

 かつて多くの女性を魅了した優しい顔は消えうせました。そしてたまに銀の鈴と月の石を取り出しては、ぼっとするのでした。

 秘所が破られたという噂は、恐怖を持って国中に流れました。

 あの騎士の姿をした魔物が力を利用したら……。

 その恐怖から、たとえ死人のように表情を無くしていたとしても、銀の騎士を探しているという若者に、人々は協力的でした。


 ある夜、細工師は夢を見ました。

 虚ろな心に温かなものが流れてきます。目を開くと、かつての優しい姫の笑顔がありました。

「姫……」

「あなたは疲れているのですもの。ゆっくりと休んで……」

 姫の胸の月の石に何かの光が反射して、七色の色に輝きました。

「大丈夫、きっと助かりますから……安心してお眠りになって」

 細工師はほっとして眠りました。

 しかし、それが朝になって夢だったと知ってがっかりしました。

 夢であったなら、どんなに疲れていても眠らずに姫を見つめていたことでしょう。

 突然、細工師は不思議に思いました。

 夢は夢です。

 しかし、過去にそのようなことがあったような気がしました。疲れ果てていたときに、胸に温かさを感じたのです。

 それはいつのことだったのでしょう?

 細工師は思い出せませんでした。



 ついに細工師は銀の騎士を追い詰めました。

 何と新月の魔女のお膝元、沼地の近くで銀の騎士を見つけたのでした。

 沼地の亡霊は、その日に限って一人も姿を現しません。細工師は不思議に思いました。しかし、その謎を解いている暇はありません。

「宝玉を返してもらおうか?」

 銀の剣を抜いた細工師の言葉を、銀の騎士は無視して先を急ごうとしました。

 しかし、ここで逃がすわけには行かないのです。

 細工師は後ろから切りかかりました。

 銀の剣は満月の魔力を秘めた剣です。魔物といえど、受けたら命はありません。

 騎士はひらりと身をかわし、細工師の腕をつかみました。

 剣を挟んでもみ合いになりました。

 沼地に足を取られ、バランスを崩した瞬間に、細工師の胸元から月の石が転げ落ちました。

 石はもみ合った二人の手に当たったあと、妖しげな光を放ちながら沼地の地面を転げていき、最後に沼の中に落ちてそれっきりになりました。

 二人は思わずその様子を目で追いかけていました。

 石が起こした水紋がゆっくりと広がってゆくさまに、騎士は目を奪われていたようです。

 その瞬間、細工師は片手で黒金の剣を抜き、騎士の鎧と冑の間に突きつけました。

 そのまま貫けば、騎士の姿をした魔物は滅んだことでしょう。

 しかし、細工師はできませんでした。力欲しさとはいえ、二度も命を助けられていましたから。

 細工師は騎士の腰にぶら下げられた袋に手を入れました。中から力の宝玉がふたつ、現れました。

「消えろ」

 細工師は剣で脅して言いました。しかし、慌てて前言を撤回しました。

「待て!」

 聞かなければならないことが、急にできてしまったのです。

「あの石を……持っていたのはお前か?」

 騎士は何も言いませんでした。

 うなずいたようにも見えましたが、剣を避けて首を動かしただけのようにも見えました。


 細工師が心に抱いた疑問を解決する前に、山から翼竜が降りてきました。

 あっという間に二人をつかむと、岩屋まで運んでいきました。

 細工師は、動揺しておりました。

 あの時、月の石が転がって沼に落ちて失われる瞬間を、切なさを持って見送りました。なぜ、騎士もその瞬間に石を見送ったのでしょう?

 そもそも、なぜ、南の秘所に月の石が落ちていたのでしょう? 

 魔女が姫から奪い取ったのであれば、あそこに捨てられるはずがありません。魔女は自ら封印された秘所には行くことができないからです。

 騎士が月の石を持っていたとしたら。

 戦闘の際に落としてしまったのだとしたら。

 なぜ、魔物が姫の石を手に入れたのでしょうか?

 疑問は次から次へと湧きました。

 沼地の亡霊はなぜ現れなかったのでしょう?

 最初に来た時と同じように、細工師が持っていた魔よけの銀の鈴は一個だけです。それとも、どこかに他の魔よけがあったのでしょうか?

「見かけに騙されてはダメ。自分の力を信じなさい。信念を持つことよ」

 満月の魔女の言葉が思い出されました。


 細工師の疑問が頂点に達した時、翼竜も山の頂上につきました。

 頬を紅潮させて鈴鳴り姫が現れました。

 そして、細工師の首に飛びつくと、顔中に口づけして言いました。

「やりましたのね! ああ、あなた。愛していますわ!」

 その笑顔は、かつてのかわいらしいものでした。

 細工師は自分の胸に浮かびかけた疑念を恥じて、姫を力いっぱい抱きしめました。

「あぁ、早く! 力の宝玉を見せてちょうだい!」

 細工師が宝玉を差し出すと、姫は奪い取るようにして自分のものにし、頬をすりよせて喜びました。

「あぁ、これで私達幸せになれますわ! 愛しています! もうその魔物は不要です。さっさと殺してくださいな」

「え?」

 細工師は思わず聞き返しました。

 真珠の肌を桃色に染めて、鈴鳴り姫は言いました。細工師を魅了した鈴のようなかわいらしい声でした。

「あぁ、あなたはなぜ剣を持っていますの? 悪いやつを切るためですよ? ここで退治しておかないと、大事な宝玉を再び狙うかも知れないわ。さっさと殺してくださいな」

 細工師は大きくうなづきました。

 すべての迷いが消えたのです。


 今こそ、勇気を振り絞ろう……と、細工師は思いました。

 聖獣の牙よりも、毒の炎よりも、もっと細工師を苛んだ小さな真実を、姫の前にさらして悔い改める時がきたのです。

 たとえどのように情けない自分であっても、すべてを許す姫の優しい愛を信じて……。


 細工師は銀の剣を引き抜いて、騎士の首に刃を当てました。

 そして、自らの罪を告白しました。

「姫、私を許してください。あなたのものが欲しくなり、私は銀の鈴を盗みました」

 騎士は死を覚悟したのか、ピクリと震えました。

「そのようなことはもういいのです。さぁ、早く魔物を殺してください!」

 寛容さを感じさせない姫の声が響きました。

「私はきっと、あなたの愛が信じられなかったのです。私の弱くて汚い心を、あなたに知られたくはなかったのです」

「あら、充分に愛していますわよ!」

 細工師の告白に、いらいらしながら姫は答えました。

 細工師の胸の奥で、銀の鈴がちりんと鳴りました。

「たとえどのようなあなたであっても、あなたのすべてを愛しています。呪われた今の姿すら、私には愛しいのです」

 そういうと、細工師は剣を振り上げました。

「でも、もしも剣の一振りで、おぞましい呪いが解けるのならば、この殺生もお許しください」

「そんなの、許しますことよ!」

 もう待ちきれないという声で、姫は叫びました。

 その瞬間、姫の首はすっぱりと切れ、床に転げ落ちました。

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