第7話 南の秘所

 まだ癒えない体を引きずって細工師は南の秘所のある砂漠を旅していました。

 あまりの暑さに朦朧として、何度砂地に足をとられたことでしょうか? しかし、転んでかすむ目を開いてみると、そこにはたくさんの骨が落ちているのでした。

 やがて骨は砂漠の熱砂に焼かれて灰となり、さらさらと砕けて砂粒と化すのです。

 ここで死んだらあの人は泣いてくれるだろうか? などと細工師は考えて、自分を恥じました。

 それは甘えでした。

 闇に囚われた姫は、おそらくきりきりと悔しがるだけです。

 泣いてくれる本来の姫のためにも、細工師は宝玉を手に入れて帰らなければならないのです。

 そして姫の耳に届く魔女の声、頭に響く魔女の命令、手足を操る魔女の呪縛を解き放たなければ、姫を救うことはできないのでした。


 やがて砂丘の向こうに石を積み上げた巨大な塔が見えました。

 南の秘所です。聖獣が宝玉を守っているところです。

 持参した水は、飲みきってしまいました。

 もしも宝玉を手に入れたとしても、生きて帰れるあては少なくなりました。それでも、細工師は力を振り絞って塔の前までやってきました。

 塔の美しさに細工師は目を奪われました。

 見たこともない手のこんだ見事な文様が壁一面に施されていたのです。強弱をつけて描かれた螺旋状の装飾は、まるで天空にまで見る人を引き入れるようでした。

 このような装飾で、姫のティアラを組み上げて金の髪を飾れたら……。

 そう考えて、細工師は泣きたくなりました。

 美を作り出した細工師の指先は荒れ果ててしまい、細かい作業には向かないでしょう。もう、細工師は細工師ではなくなってしまったのです。

 今の細工師は戦う剣士でした。

 銀の剣、黒金の剣を抜き、細工師は塔の中に入ろうとしました。

 すると、突然塔に描かれてあった螺旋の文様が揺れ動き、するりと離れて蛇のように鎌首を持ち上げました。


 南の秘所の聖獣です。

 鋭い角と燃盛る炎のような鱗を持った、巨大な蛇です。

 聖獣はしゅるしゅると音を立てると、なにやらすばやく吐き出しました。

 慌てて細工師は身をかわしました。細工師のいた場所が、ぼっと炎に包まれました。

 攻撃を避けられたと知って、聖獣はいきなり砂地にもぐりこみました。あたりは一瞬静かになります。不気味でした。

 激しい呼吸のひとつをついたとたん、細工師の体は持ち上がりました。

 突然地面から聖獣が顔を出したのです。

 細工師は絡み付こうとする炎の舌をかいくぐり、どうにか聖獣の角にしがみつき、銀の剣を頭に何度もつき立てました。

 聖獣は狂ったように暴れ、細工師は振り落とされました。

 細工師は、途中で炎の鱗に黒金の剣をつき立て、落下の勢いを抑えようとしました。でも、傷ついた鱗の隙間から炎が噴出し、耐え切れず、剣を離しました。

 細工師が砂地に転げ落ちた時、黒金の剣は深く聖獣の鱗の隙間に突き刺さっていました。しかし、それはますます聖獣を凶暴にするだけでした。

 魔剣は両方使って初めて聖獣を倒すことができるのです。細工師は銀の剣を構え、聖獣の腹部めがけて切りつけようとしました。

 その瞬間に細工師の体は、ずぼりと砂に埋まりました。聖獣の作った落とし穴でした。

 腰の辺りまで埋まってしまい、もがけばもがくほど、動きが取れなくなります。

 炎の毒を吐こうと、聖獣が鎌首を持ち上げました。

 聖獣のルビーのような小さな赤い瞳がきらりと輝いて見えました。

 細工師は必死に銀の剣を構え、その美しさに惑わされぬよう抵抗しました。


 炎は吹かれることがありませんでした。

 砂に埋もれながらも細工師が目を凝らすと、あの銀の騎士が黒金の剣の上に乗り、炎と戦いながら自らの剣を振るっていたのです。

 魔法を帯びない剣は、聖獣を傷つけることはありませんでした。しかし、たかる虫のように邪魔な存在ではありました。

 聖獣は細工師の存在を忘れ、暴れまくり、騎士を振り落とそうとしました。そしてついに砂地にもぐり、騎士を地面に叩きつけることに成功しました。

 騎士の受けた打撃は大きかったようです。彼は何度も首を振り、意識を保とうとしていました。

 細工師の経験では、聖獣は次に騎士の真下から地上に現れ、彼を空中に跳ね上げるつもりでしょう。

「騎士殿!」

 細工師は思わず叫びました。

 そして、自分でも信じられなかったのですが、銀の剣を投げて騎士に渡しました。

 騎士が見事に剣を受け取った瞬間に、聖獣は地面から鎌首を持ち上げました。聖獣と騎士の姿ははるか高みまで達しました。

 細工師の体は、すでに首まで埋まっていました。

 必死に手で砂地を掻きわけ、どうにか呼吸ができる程度です。今度こそ、死んでしまうでしょう。

 騎士が銀の剣で聖獣の角を刎ねる瞬間を見ました。

 聖獣の頭から何かが飛び出して、宙を舞い、まぶしい光にキラキラと輝きました。

 南の宝玉です。

 細工師は死を前にして感動しました。

 南の秘所の聖獣は、その使命のために自らの身体に宝玉を埋め込んでいたのです。

 そうしている間にも、細工師の体はどんどんと沈み、やがて呼吸もできなくなりました。


 かすむ目に、ロープがちらつきました。

 細工師は藁にもすがる思いでロープにしがみつきました。強力な力で砂地から引き上げられます。

 騎士の白馬が、細工師を砂地から助け出したのでした。

 細工師は凶暴な砂漠の光の中、目をつぶり、はあはあと息をしました。

 突然まぶたの向こうが暗くなり、細工師は驚いて目を開けました。銀の騎士が日差しを防ぐように立ちはだかっていました。

 弱った細工師には、わずかでも日陰は心地がいいのでした。

 細工師が体を起こしかけると、騎士は銀の剣を砂地に差し、その横に皮袋を置きました。そして、細工師がお礼をいう間もなく、馬に乗って走り去ってしまいました。

 宝玉は? はっとして飛び起きたときにはもう遅すぎました。

 騎士と白馬の姿はもう見えず、すでに砂埃だけが地平線に見えるのでした。


 もうひとつの宝玉さえも、銀の騎士に奪われてしまったのです。

 細工師は、助かったわが身を呪いたくなるほど、後悔に苛まれました。

 なぜ、騎士を助けてしまったのでしょう? 助けなければ、自分は死んだとしても、宝玉は守れたはずです。

 これで姫を救い出す方法は、すべて潰えてしまいました。

 このまま骨になろうと思い、細工師は再び砂地に倒れこみました。すると、手に騎士が置いていった皮袋が当たりました。見ると、中身はたっぷりの水でした。

 喉を潤すと、細工師は少しだけ元気が出ました。

 立ち上がり、倒された聖獣の影で日差しを避けて休みました。

 塔の姿は跡形もありません。聖獣自体が秘所だったのです。

 細工師は干からびつつある聖獣を撫でてあげました。思えばかわいそうな生き物でした。

 すると。

 聖獣の下、砂地の中に砂ではない石が輝きました。

 細工師は不思議に思って、その石を拾い上げました。そして、驚いて目を丸くしました。

 間違いありません。

 それは、細工師が鈴鳴り姫に贈った月の石でした。

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