第2話 評判の細工師

 さて、この国の城下町にたいへん腕がよいといわれている装飾細工師がおりました。

 貴婦人をより美しく引き立たせる首飾りや指輪・耳飾など、それはもう巧でしたので、細工師のお店の看板は、揺れておさまることがないほどでした。

 しかもこの細工師、腕がよいだけではなく、若くて器量もよろしかったので、多くの女性は皆、この細工師を贔屓にいたしました。

 原石の美しさを見抜く鳶色の瞳は、宝石のように若い女性を虜にしました。美を作り出す繊細な指先は、それ自体が美でした。仕事のために無造作に束ねられた栗色の髪は、誰もが一度はほどいて指を絡ませてみたいと思うのでした。

 これだけ素養に恵まれた男でしたら、普通ならばおごってしまうところですが、細工師はとても真面目でこつこつと仕事をして、並居る女性の熱い視線に誘惑されることもなく、すべてのお客様を大事にしたものですから、ますます評判があがりました。


 ある日のこと、お城から細工師のもとに使いがやってきて、仕事を依頼しました。

 内容を聞くと、さすがの細工師も一瞬眉をしかめてしまいました。

「鈴鳴り姫様の銀の鈴を、一晩のうちに全部磨くこと」

 姫の鈴は、お城の者が交代で満月の夜に磨いておりましたが、所詮は素人のやること、最近はすっかり黒ずんでしまい、これでは魔力も半減だと、満月の魔女に怒られたのです。

 困っているところに、城下で人気の腕のよい細工師の噂が聞こえてきましたので、王様は喜んですぐに使いを送ったのでした。

 本来は名誉ある王様の依頼です。

 しかし『鈴鳴り姫は忌むべき者』という噂が伝わっておりましたので、細工師がこの命令に悩んでしまってもやむをえません。

 あぁ、いったいどのような禍がふりかかるのだろうと、細工師は天を仰ぎました。

 しかし、細工師はこの国を愛していました。それに、優しい王様を尊敬しておりました。

 命令を拒否して国を追われるなんて、所詮は考えつきません。

 姫は恐ろしい存在ではありましたが、まさかとって食われることはないでしょう。

 そこで、大きな耳栓と銀磨き粉を持って、満月の夜にお城をたずねました。


 大きな城の小さな一室に、細工師は案内されました。

 星模様のついたての向こうから、頭が割れそうな耳障りな音が響きます。細工師はあわてて耳栓をしました。

 そこに姫がいるのでしょう。外された鈴は、やはり巨大な耳栓をした女官たちがすぐに細工師のもとへと運び、細工師はせっせと磨きました。

 美しい鈴でした。

 薔薇の花を模した形です。銀が透けるのではと思われるほど、薄い花びらが折り重なっていて、それに包まれた小さな球が細やかな鎖で吊るされておりました。

 そこには魔力がこめられていました。

 細工師はうなってしまいました。あまりの細工の見事さについ音が聞きたくなり、耳栓を外して、鈴を揺らせてみました。

 ちりん……と可憐な音が響きました。

「……私のために、ありがとう」

 ついたての奥から、鈴の音にもにた可憐な声が響きました。細工師は驚いて、鈴を磨く手を止めました。

「あなたはいったい誰ですか?」

 と、聞きました。

 すると、声の主はたいそう驚いて聞き返してきました。

「あら、あなたには、私の声が聞こえるのですか?」

 その人の姿を見て、細工師は息ができなくなってしまうくらい、固まってしまいました。

 細工師は今まで黄金も加工し、数多くの宝石も扱い、素晴らしい装飾品を作り上げてきました。内心それに勝る美しいものはないと、自負しておりました。

 しかし、目の前にいる少女は、そのようなものがすべて色あせてしまうほど、美しかったのです。

 長い髪は、手にした事もないような美しい金で、柔らかく波打っておりました。肌の色はどのような深海の貝でも育てられない透明な真珠色。そして瞳は、夜空を切り取ったサファイヤ。細工師を見て微笑んだ顔は、ダイヤモンドの星のきらめきでした。

 それが、細工師たち民人が、長年忌み嫌ってきた鈴鳴り姫の本当の姿なのでした。


 その日から細工師は三日間店を閉じました。

 なぜなら、すっかり鈴鳴り姫に恋をしてしまい、仕事が手につかなくなってしまったからです。

 どのような宝石も姫の美しさに比べたら、ただの石ころに思えてしまい、自分の作ったものすべてがまがい物に見えてしまいました。

 まるで熱に浮かされたような日々をすごしたのです。

 四日目の夜、細工師は街を出て、小さな川までやってきました。

 川の流れに星や月の光が煌いています。

 細工師は冷たい水の中を歩き回り、やがて月の光を取り込んで輝く小さな石を見つけて拾いました。そして、その石を手のひらで包み込んで、自分の想いを注ぎ込むように息を吹きかけました。

 名もないただの石でした。

 しかし、細工師は本当の美しさを見極める目を持っているのです。きっとあの人も、この石が持つ美しさに気がついてくれるに違いないと思いました。

 そして、ひそかに石に【月の石】と名前をつけてあげたのでした。

 細工師は、作業所にたくさんの宝石をもってはいましたが、どれも自分のものではなく、人様からの預かり物でした。

 財産などは何もなかったのです。

 もちろん、細工に使う金も銀も、細工師のものはありません。

 細工師は、加工後に出たわずかばかりの金沙を集め、丁寧により分け、熱を加えました。

 そしてトンカチで叩いて薄く延ばし、熟練した指先で、目にも見えないような細い鎖に編み上げました。そして最後に月の石をつけて首飾りとしました。

 けして豪華なものではありません。何一つお金をかけていません。しかし、持ちうる技術のすべてをかけて、心をこめて作り上げました。

 月の光を閉じ込めて美しく光る石は、まるで自ら宙に浮いているかのように、胸元で輝くことでしょう。

 細工師はそのでき栄えに満足しました。

 そして、月の石を身につけた姫の喜ぶ姿を想像し、幸せな気分になりました。


 次の満月の夜、やはりお城に呼ばれた細工師は、思い切って月の石を姫に贈りました。

 心をこめた自信作ではありますが、ただの川原の石です。さすがに勇気が必要でした。

 しかし、姫はたいそう喜んで「つけてください」と細工師にお願いしました。

 細工師は震える手を姫の首に回しました。とても緊張し、なかなかうまくつけられなかったので、姫の美しい髪や肌に触れてしまい、さらに舞い上がってしまいました。

 夜明け近くまでかかって銀の鈴を磨き上げた時、細工師は大変なことに気が付きました。

 鈴はひとつひとつは軽いのですが、千個もあるとかなりの重さでした。

 月の石はそれだけでしたら軽いのですが、姫にとっては重たすぎるでしょう。

 とんでもないことをしてしまった! と焦る細工師の前に、耳障りな音を立てて、姫がやってきました。

 もう、鈴のために素顔を見ることもできません。

 銀の鈴に取り囲まれた姿は、銀色の昆布をまとった深海の魔物のようであり、歩き方も、鈴のあまりの重さにずるずると地を這う虫のように醜いのでした。

 しかし、姫はそっとドレスの端を持ち、細工師に向かってお辞儀をし、月の石をかざして見せました。

 それは、忌み嫌われている姫が、王様以外の人からもらった初めてのプレゼントだったのです。

 表情は見えませんでしたが、間違いなく微笑んでいることが、細工師にはわかりました。


 姫は美しいだけではありませんでした。

 優しく、しかも逆境に負けない強さを持っていました。

 あれだけ人々に嫌われていて、まったくゆがんだ性格にならないということは、まさに奇跡に等しいでしょう。

 細工師は、ますます姫を深く愛するようになりました。

 姫にとっても、ただ唯一本当の姿を見せることのできる青年が、とても大事な人となりました。

 鈴のおかげで人と満足にお話することもままならない姫にとって、細工師が話して聞かせる街の様子はとても楽しく、満月の夜を待ちかがれる毎日です。

 姫が細工師に恋をしていると自覚するまで、それほど時間はかかりませんでした。二人はお互いを大事に思いました。

 しかし身分が違います。

 真面目な細工師は、姫の愛らしい唇に口づけするどころか愛しているの一言も言えず、こつこつと銀の鈴を磨きつづけるばかりです。

 姫のほうも、自分は醜いとばかり思っていましたので、優しい瞳で語りかけてくれるのも細工師の人柄によるもので、贈り物も特別な物ではなかったのだと悲しく思うようになりました。


 そうして時ばかりが過ぎ去ってゆきました。

 姫はもう少しで十五歳になろうとしていました。

 ある日、細工師のもとにまた城からの使いがやってきました。

「鈴鳴り姫様が十六歳におなりになったら、となりの国の第三王子を婿に迎える。それまでに花嫁を飾る最高の装身具を作り上げてくれ」

 細工師が持っていたトンカチを思わず落としてしまったのは、いうまでもありません。

 仕方がありません。

 たった一人の世継ぎのお姫様です。最近すっかり弱ってしまった王様を安心させるためにも、王位を継がせる婿養子が必要なのです。

 所詮は身分違いの恋なのだ……。

 細工師は何度も自分に言い聞かせましたが、どうしても納得ができず、食事も喉を通らない有様でした。

 それでも満月の夜、すっかりやせ細った青白い顔で、細工師は銀磨きに訪れました。

 そして、姫の瞳も涙のせいでルビーのように真っ赤になっていることに心を痛め、思わず抱きしめて口づけしました。

 二人は、お互いがどれだけ深く愛し合っているのかを語り合いました。

 このまま二人、城から抜け出し、どこか遠い国で幸せになりたいと願いました。

 しかし、それは許されませんでした。

 姫は、年老いた王様を置いてはどこへもいけませんでした。

 細工師も、自分がとても姫を養えるような甲斐性もなく、しかも王様を尊敬していましたので、そのような卑怯なまねはできないと思いました。自分のことはどうでもよい、姫の幸せを願おうと決めました。

 ですが、さすがに姫の花嫁姿を飾るものなど作れはしません。

 お城からの依頼を断れば、この国を追われてしまうでしょう。なぜかと勘ぐる者も現われれば、ますます姫の悪い噂が立つことにもなりかねません。

「お別れです。愛しい姫。私は店をたたんで遠くの国へ行きます。どうぞ私のことは忘れてください。でも、すこしでも私を哀れに思っていただけるのでしたら、月の石を私のかわりにいつもお側に置いてください。それだけで、私はきっと幸せになれます」

 姫は、こくりとうなずいて、細工師の胸に顔をうずめると、涙が枯れるのではないか? と思われるほど泣きました。


 こうして二人は別れました。

 細工師は部屋に一人残り、最後の鈴磨きに誠心誠意を込めました。

 夜明けももうすぐ、一番鶏が鳴くころ、細工師は最後の鈴を磨き上げ、じっとその美しい造形に心を奪われておりました。

 それは姫の左耳の端につける鈴でした。

 魔がさした……とは、このことを言うのでしょうか? ふとした出来心が起きました。

 姫に自分の思い出をお渡しできた、でも自分には姫の思い出となるものがない……。千個の鈴のひとつくらい、思い出にいただいてもかまわないだろう。

 そう考えて、一度は箱に戻しかけた銀の鈴をひとつだけ、細工師はポケットに忍ばせました。

 それは、一度もお客の物に手をつけず、正当な価格で仕事をしてきた真面目な細工師が、人生で唯一犯した罪でした。

 城から戻ると、細工師は一眠りし、翌日には店をたたんでしまいました。

 そしてお世話になったお客様に一軒一軒挨拶をして、トンカチを片手に、小さな荷物ひとつで国を出て行きました。

 もう二度と、この国には戻らないと誓って……。

 姫の幸せを祈る気持ちに嘘はないのですが、となりの国の王子様と幸せそうな日々を送る姫の姿を見つづけるなどと想像しただけで、胸が張り裂けそうでした。かといって、不幸になった姫の姿を考えるのは、もっと苦しいことでした。

 旅の途中、細工師は一度だけ後ろを振り返りました。

 そしてポケットから銀の小さな鈴を取り出して、そっと唇を寄せました。

 自分の行為が、鈴鳴り姫にとんでもない不幸をもたらすなどとは、まったく思わずに。

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