鈴鳴り姫と銀の騎士

わたなべ りえ

第1話 二人の魔女

 昔々、はるか昔。

 七つの海を越え、五つの大地の果て、三つの湖を渡った向こう、二つの山に囲まれた一つの国がありました。

 ほんの小さな国ですから、当時の地図を見てもきっと見つけられないかもしれません。

 

 この国を囲む二つの山には魔女が住んでおりました。

 西の山には善いことをする『満月の魔女』。東の山には悪いことをする『新月の魔女』。

 二人は双子の姉妹でしたが、たいそう仲が悪く、顔をあわせれば嫌な思いをするので、めったに会うこともありませんでした。

 お互いに強い魔力を持っていましたので、二人の魔女が本気になって争いをしたら、間にはさまれた小さな王国は、巻き込まれて簡単に滅んでしまうことでしょう。

 しかし、この国の王様はどちらの魔女も大切にして、新月と満月に祈りをささげておりました。

 ですから魔女たちはたいそう気分を良くし、お互いを牽制し、争わなかったので、王国はとても平和でした。


 王様はとても優しい人でした。お后様もとても美しくて優しい人でした。

 土地は肥え、農作物は豊かで、牧草地は青々として、家畜も人も誰もが朗らかでした。

 他の国の人々は、この小さな国のことを【月の魔法に守られた幸福の国】と呼んでいました。

 ところが……。

 新月の夜でした。お后様が突然産気づき、お城は大騒ぎになりました。

 しかも、大変な難産でしたので、国中の医者が集められ、祈祷師が呼び寄せられ、生れてくる赤ん坊とお后様のために夜通し祈りが捧げられました。民人も皆、お城の尖塔に手をあわせ、二人のために祈ったのです。

 朝を待たずして、かわいい姫君が生れました。

 しかし、かわいそうなお后様は我が子の顔を見ることもなく、お亡くなりになりました。

 国中は喜び、そして悲しみました。王様は生れたばかりの姫を抱きしめ、お后様を失った悲しみに泣きました。 

 でも、本当の辛い出来事はこれからだったのです。

 あわただしさもおさまらず、朝が訪れぬ夜のうちに、お城の尖塔のてっぺんに、新月の魔女が降り立ちました。

 髪の毛は新月のように真黒で、顔は暗闇に浮かび上がるように青白く、目は釣りあがっていて血のように真っ赤でした。

 裏地が紫の闇色のマントをなびかせて、雷のような声で王様を呼びました。

 王様はその姿を見て、姫を取り落としそうになるほど驚きました。なぜ、新月の魔女が現われたのか、すぐに気がついたからです。

「おぬし、わらわへの祈りを欠いたな?」

 怒りのために、魔女の黒髪は逆立って扇のように広がり、目は充血してさらに赤く染まっていました。

「どうせ、わらわは嫌われ者よ。おぬしは、満月の魔女の力がこの国に満ち足りてさえおれば、わらわなど不要と思っているのであろう?」

 王様は、恐怖のあまりに蒼白になり、お后様と一緒に棺桶に入れなければならないのかと思われるほどでした。

「いいえ、とんでもございません。今夜はいろいろ取り込んでいたためで……」

 優しいけれど気の弱い王様は、震える声で答えました。

 魔女は王様の手の中の小さな赤子を見つけると、すべてを察して妖しく微笑みました。

「わらわに祈れば、救えるものは救ってあげたというのにのう。国中勢ぞろいしてわらわを無視し、こんなもののために祈ったか? ほう?」

 まるで真っ赤な三日月のように引き上げられた口元です。王様は、魔女の微笑みの中によからぬものを感じて、この子だけは手を出さぬよう、と懇願しました。

 しかし魔女は高らかに笑うと、闇色のマントを翻し、漆黒の闇へと飛び立ちました。

「呪いを誕生祝いにつけてあげよう。新月の夜には気をつけよ。それまで姫を預けておくぞ」

 それは恐ろしい言葉でした。

 からからと響く魔女の笑い声が耳に残り、王様は気も狂わんばかりにおびえ、泣き出してしまいました。

 魔女が去ったあと、待ちかねたように朝が来ました。


 王様は日が高くならないうちに、慌てて西の山へ赴き、満月の魔女に相談しました。

 満月の魔女はさらさらの銀色の髪を梳きながら、あら、こまったわね、と言いました。

「わが妹のかけた呪いは、姫が十五歳になるまでとけることがないのよ」

「いったい、どのような呪いをかけたのですか?」

 見た目はまったく変わらない姫の様子に、王様は、いいようもない不吉を感じて聞きました。

「魔女のお人形にしてしまう魔法よ。今はまだ赤子だから影響はわからないけれどね。姫は妹のいう言葉しか聞こえないの。妹のことしか頭に入らないし、妹のなすがままに何でも悪いことをしてしまうの。おそらく……」

「おそらく?」

 王様は身を乗り出して聞きましたが、満月の魔女はまるで他人事のように言いました。

「私たち姉妹がお互いに喧嘩して大変なことにならないよう、南と北の秘所にそれぞれ力を封印したことは知っているでしょう? 妹はつねづね悔やんでいて、封印を解きたいと願っているの。だから姫を使って宝玉を奪うつもりでしょう? そうしたら、妹は自分本来の力と私の力を手に入れて、唯一の魔女になれますもの」

 封印した者たちには足を踏み入れることができない秘所。魔女にはいけなくても、魔女のお使いとして、確かに姫ならば行くことは可能でしょうが……。

 王様は恐怖におののいて息をするのを忘れてしまうほどでした。

「そんなことになったら、この世界は常に新月。闇に包まれてしまいます! それに、秘所には宝玉の守り手がいて、たとえたどり着いても、姫には取ることができません」

「宝玉が手に入れば、運がよかったということよ。姫が守り手に殺されたって、妹にしてみたら、なんてことないじゃない?」

 満月の魔女は、形よい桃色の唇を三日月のようにして、ふふふと笑いました。

 しかし、王様は笑えません。姫が殺されるなんて、聞いただけで涙目になりました。

 宝玉の守り手とは、魔女二人が力を合わせて生み出した聖獣なのです。仲の悪い二人が力を合わせることなど、正直奇跡に近い偉業なのですが、その甲斐あって聖獣の強さは計り知れないのでした。

 魔女の力を奪おうと、外国からたくさんの悪い人たちがやってきましたが、誰も生きて帰ることはできませんでした。

 なのになぜ、女である姫に聖獣を倒すことができましょうか?

 気のいい王様が、情けないほどに涙と鼻水で顔を汚しているのをみて、満月の魔女は気の毒に思いました。

 そこで彼女は立ち上がると、岩屋の奥から宝箱をもってきました。そして中から小さな小さな銀の鈴を出し、振ってみせました。ちりり……と、かわいらしい音がします。

「この鈴をつけたら、とりあえずは妹の呪いから身を守れるわ。十五歳になるまで肌身離さずつけていられるかしら?」

 王様の安堵の声といったら、山裾までも響くほどでした。

 小さな鈴をつけておくくらい、簡単なことですと、胸をはって答えました。

 そして鈴を受け取ろうとすると、魔女は再び箱の中に鈴をしまってしまい、箱ごと王様に渡しました。

 ずっしりとした箱の重さに、王様は思わずよろめきました。

「鈴は全部で千個あります。体中につけて、どこにも妹の言葉が届かないようにしなければなりません。大丈夫ですよ。魔法の鈴ですから、体に傷をつけなくても身につけることができますし、人の意思でとらなければ、落ちることもありませんから」

 にっこり微笑む満月の魔女の前で、腰を抜かしそうになりながら王様は箱を抱えて放心していました。

 王様が箱を担いで山を降りるとき、魔女は最後に付け足しました。

「満月の夜だけ、鈴を外しても大丈夫だから……そのときはきちんと磨いてね」


 ひとつひとつの鈴は、薔薇の花を模った、それは可憐な姿です。振ればとても澄んだ音がします。

 姫の手には魔女の手先にならぬように、足には魔女の元へ行かぬように、耳には魔女の声を聞かぬように、目には魔女の姿が見えぬように、口には魔女と話さぬように、頭には魔女の考えに染まらぬよう、それぞれ百個の鈴がつけられました。

 しかし、どのような美しい鈴でも、千も集まると、それぞれがまるで競いあうかのように大きな音を出し、不協和音となりました。

 誰もが神経をすり減らし、鈴の音ではなく姫自身が嫌いになってしまうのでした。

 やがて、回りの人たちは、自らの気分を害さぬよう、大きな耳栓をして姫に接するようになりました。

 さらに鈴は、まるで茨のように蔓を這わせ、姫の顔や手、足に至るまで、我先にと咲き誇りましたので、気の毒にも、姫はそのかわいらしい顔を人前にさらすこともできませんでした。

 鈴に覆い尽くされた姫は、夜に出会うと亡霊のようで、女官たちを震え上がらせました。

 昼間に見ると、銀色をした蓑虫のようで、歩く姿もおぞましく見えました。

 とにかく、見るだけでいつでも人々を嫌な気分にさせたのです。

 それでも姫は元気いっぱいに育ちました。

 勉強は熱心で、たいそうよくできました。お裁縫やお料理は当然、剣のお稽古もしましたし、乗馬もすぐにおぼえました。ただし、剣の先生も、乗っている馬にも大きな耳栓がつけられましたが。

 そして、姫が遠乗りに出かける日は、暗雲が立ち込め、雷のような音がとどろきましたので、国中の民人は戸締りをして家の中で耳をふさがねばなりませんでした。

 いつの間にか姫は『鈴鳴り姫』と呼ばれ、民人からも忌み嫌われる存在になってしまいました。

 姫がなぜ鈴をつけているのかも、理由は捻じ曲げられて噂になりました。

 姫は母親を食い破って生まれてきた邪悪な存在なのだとか、恐ろしい魔女なのだとか。

 鈴がお守りであることなど、どういうわけか誰も信じないのです。

 それは、もしかしたら姫への呪いを有効にできなかった新月の魔女が、民人にかけた新たな呪いなのかもしれません。それともあまりに鈴鳴り姫の姿が醜いからでしょうか?

 優しい王様はたいそう心を痛めましたが、仕方がありません。

 王様ですら、姫と会うときは耳栓が必要でしたから。

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