エピローグ
これ以上ないというくらい憔悴した僕は、泥のように眠って翌日を迎えた。
大規模な停電による騒ぎも収集がつきそうだ。
交通や金融、医療関係などには打撃もあったが、そこは魔術には魔術。世界中の白魔術師……もといエリザと同じ魔術師が対応に当たっている。
エリザの端末から話すカリユガも、大きなシステムの一部なだけでカリユガは一人なのではない。全衛星の残情報から地上のデータも大方復旧しているそうだ。
宇宙規模の磁気嵐ではないかとテレビでは言っていた。
エリザと桃華も無事回復。僕は……、まだ胸焼けがする。
そう言えば血まで吐いたんだから、一緒に治してもらえばよかったかな。二人が無事だった安心感からかすっかり忘れていた。
学校へ向かうと、エリザが校舎の前に立っていた。あそこは、アレがある場所だ。
僕もエリザの隣に立って、台座を見上げる。
「あれ?」
二宮金治郎像……。立ち姿だ。
薪の束を背負い。本を読みながら歩く、本来の勤勉を象徴する姿。別に座っているのが悪いわけじゃないんだけど、心なし像の顔が嬉しそうに見えるのは気のせいか?
立って歩きたいと言っていたからな。悪魔のせめてもの慈悲か。
盗難に遭ったから、元の像に戻しただけなのかもしれないけど……。
「人形や像に魂が宿るのは。その物に人間が語りかけるからだ」
エリザは静かに話し始める。
「様々な人の思いが込められて、それが折り重なって、いつしか人の思念に似たものが出来上がる。人は自分の子に語りかけて魂を宿す。原理はそれと同じなのかもしれぬ」
作った者が愛していないはずはない。だが同時に疎む者もいる。
立っていようが、座っていようが金治郎は金治郎。本人の偉業に変わりはない。
だけどこの像は、働く姿と学ぶ姿を同居させた物のはずだ。そこから働く要素を取り除いてしまったらそれはただの学ぶ像。
もちろんそれが悪いわけじゃない。ここは学校なのだから、学ぶ像を置く事に間違いはない。だがそれならもう金治郎である必要さえもないのではないか、と言ってしまえばそれまでだ。
そんな様々な言葉を一斉に浴びせられ、偽物だ、どうでもよいだと言われ続ければ、どこかおかしくもなるのだろう。
「金治郎と言えばながら歩きというのが定説だが、本来彼の立派な所は挫かれても挫かれても、決して折れなかった心の強さにある」
勉強する時間がないから出来なかった……のではなく、なら働きながらやればいい、という根性を後世に伝えた物だ。休憩中にも本を読む、というのもそういう意味では間違っていない。
と講釈するエリザに、今更ながら彼女は一体どこで育ったんだろうという疑問がわいてくる。
「前に悪魔を呼びだすのは十字路が一般的だと話したのを覚えているか?」
エリザは僕の顔を見る。確かそんな事を言っていたっけ。
十字路で儀式を行うのは、長い通りが交差する様が、あの世とこの世の交わりに似ているからだと言う。
二つの世界が交わる点、クロスポイントだから選ばれる。
しかし今の日本。そんな長い道路もないし、何より土を掘れる地面も少ない。
「だが……」
とエリザは天を仰ぐ。
そこには学校の象徴とも言うべき大木、メタセコイヤが地面に巨大な丸太を突き立てたように立っている。
「この樹が、地面との交差点になったのだとしたら」
そのポイントの前にいる、金治郎像が悪魔と契約する事ができたのかもしれないと続ける。
だが十字路ならどこでも悪魔が出るのではない。儀式を執り行わなくてはならない。動物の骨や、鳥の肝などの媒体も必要だ。
「それなら、偶然なんじゃない? 小鳥の遺骸かなんかを花壇に埋めたとか」
エリザは口をへの字に曲げる。納得はいかないようだ。
教室に入り、席につくと羽衣達がやってくる。
玲は元いた場所に帰ったとだけ伝えた。
有栖は取り憑かれていた間の事は覚えていないようだった。
「またミサ会を開くからね。スレイブ、桃華にも声かけておいて」
羽衣の言葉にへいへいと返事する。
「なあ、スレイブって何なんだ?」
何気に聞いただけのつもりだったけど、羽衣は目を見開いて驚愕の表情をする。
「し、知らないで呼ばれてたの?」
な、何? どういう意味なのか急に気になってきた。
教えてよ、と小声になる僕に言っていいものかという様子で周りを見る。
皆は気にしていない。こっそり教えてよ、と耳を寄せる。
羽衣は一瞬息を詰まらせたが、「奴隷」とだけ言って去って行った。
残された僕は呆然と立ち尽くす。
私達も準備しなくちゃ、と続く幹部達だが、エリザは有栖を呼び止める。
「昨日倒れたと聞いたが、その後大丈夫だったか?」
有栖は一瞬驚いた顔したがすぐ笑顔に戻る。
「うん、ありがとう。エリザも大変だったじゃない。玲くんの事、残念だったけど、元気出してね」
うむ、と短く返答するエリザに背を向ける有栖。
「なぜ、残念なのだ? 玲は元いた場所へ帰っただけだ」
有栖は一瞬固まったように見えたが、すぐ振り返って明るい声を出す。
「帰っちゃって、残念って事よ。会えないと、寂しいじゃない」
会えない? ……って。
「我は、昨日大変だったのか?」
「ほら、玲くんパニクってたじゃない。それを何とかしたんでしょ? だから……」
有栖の笑顔が、若干引きつったように思う。
「玲は会員証を持っておった。始めは貴奴が偽造したのだと思っておったが、動き出した像にそんな物が作れるとも思えぬ」
有栖は何の事か分からない、という風に首を傾げるが、冷や汗が僕にも見えるようだ。
「それに服や食事も、必要な物は沢山あったはずだ。玲が一人で調達できるはずはない。幹部の弟として疑われずに入り込むのも、内部の手引きがあったなら合点がいく。何より、悪魔は偶然条件が重なって呼び出されるようなものではない」
悪魔は呼び出す者の明確な意思がいると言う。
「お主が、十字路の儀式を執り行ったのだな」
有栖の顔から笑みが消える。
僕は話についていけず固まるしかない。出来れば昨日のバトルの続きが始まりませんように。
有栖は開き直ったように腰に手を当てる。
「そ。わたしよ。でも何か問題? わたし達、魔術クラブじゃない。儀式やるのは普通でしょ。それとも、一人でやったから怒ってるの? じゃ、次はエリザも呼ぶわ。それでいいでしょ?」
「じゃあ君は、始めから分かってたのか? 七不思議の時から……」
有栖はふふんと観念した犯人のように不敵に笑う。
有栖も幼い頃から占いや魔術に興味があった。霊感のようなものもあり、特に残留思念のようなものに敏感だそうだ。
悪魔も呼び出したいが、魂を引き渡す気はない。そこで今回の実験を執り行った。
金治郎像に宿った思念は感じていた。だからきっかけだけを与えた。悪魔は自分に憑依して、思惑通り像と取引を行った。
最悪の事態が起きた時、エリザに収集を任せる計算だったと言う。
「陰からこっそり手助けしてね。だから玲は誰のお膳立てなのかも知らない。感づいてたかもしれないけどね」
「そんな……。もっと早く教えてくれていれば、玲だって。もしかしたら」
「わたしが悪いって言うの? 少しの間だけど、動きたいと願った魂の夢を叶えてあげたんじゃない。願いはタダじゃない。契約を反故にしようなんてそれこそ浅ましい行為じゃない」
それは……。
「そうだな。それについては別段責め立てるつもりはない。本当にそれが目的だったのならばな。堕天使エゼキエルの転生体」
有栖の顔が強張る。
「今回、天使か悪魔が絡んでいる事は予言で分かっておった。そもそも我がここに入学したのもその為だからな。だが今回呼び出された悪魔と対峙したのは我の友人だ。我が
「前世を視てもらった時に、天使だってのは聞いたんだけど。エゼキエル、それが私の名前なの?」
「それは予想だ。地に堕ちて死んだ天使は限られておる故」
「じゃあ、わたしはエゼキエルって事にしとく」
それ気に入った、と言わんばかりに言う。
「前世は前世。お主はお主だ。祀り事に関わっても、天使に戻れる事はないぞ」
考えを見透かされたように有栖は表情を硬くする。
「メタトロンもサンダルフォンも元は人間の天使でしょ?」
だから……、ね。と思わせぶりな態度で立ち去るが、僕の目にも精一杯の虚勢に見える。
「でも、本当に天使なの? あれ」
そう言われると美しく見えてしまうから不思議だ。
「いや、転生したのだからあれは人間だ。前世の記憶があるわけではないようだ。だが前世が力のあるものだと思った人間は、時に妄想に取り憑かれて凶行に走る傾向がある。そういう者は黒魔術師と呼ばれる」
本当だ。本来ならエリザだって死んでいたかもしれないんだ。
それを引き起こしたんだというのなら、許される事じゃない。有栖を……黒魔術師をそのまま放っておいていいんだろうか。
「魔術を使う力を持っている者にも同じ事が言える。汝がいなければ、我も変わらぬ事をしていたかもしれぬのだ」
ここに来て悪を倒そうと躍起になっていたエリザは、皆の望むままに教師を呪っていたかもしれない。そうすれば他の魔術師から黒魔術師と言われただろう。
それに気づかせたのは、僕やクラスのみんな、そして有栖なのだ。
クラスメートとして、有栖を助けてやる事こそ、自分の使命なのかもしれないと言う。
「我はやっと半人前になっただけなのかもしれぬ」
「いいんじゃない? カリユガやマリウスと合わせて一人前って事で」
元気づけたつもりだったんだけど、エリザは少し目を落とす。
「カリユガもマリウスも人間ではない。彼らにとって人間の命などちっぽけなものだ。我を助ける義理もなければ必要もないのだ」
カリユガは悪魔との接触に興味があってエリザを助けているだけで、マリウスは悪魔の気配の多い魔術師の血統に付き纏っているだけだ。
自身の得に繋がるのなら助けてくれるが、そうでないのなら意にも介さない。
「そう言えば、マリウスって天使なの?」
エリザは目を見開く。
「マリウスの姿を見たのか!? よく目が潰れなかったな。さすがは我のスレイブだ」
そうなの? 確かにしばらく目が見えなかったけど……。まともな人間が天使の姿を直視すれば目が潰れると言われているらしい。
確かに悪魔が消滅した倉庫小屋の壁は天使が翼を広げたような形の影が残されているらしく、既に学校の不思議として話題に上がっている。
エリザは声を落とす。
「マリウスは堕天使だ。天界に戻る事を望んでいる。契約に違反した悪魔などを抹殺して得点を稼いでおるのだ」
「マリウスって名前の天使なの? それとも、なんとかエルって名前が別にあるの?」
天使と言えば、ミカエルとかガブリエルみたいにエルが定番だ。さっき有栖が言っていた元人間の天使もエルじゃないみたいだったけど……。
エリザはこれ以上ないくらいに耳元に口を寄せて囁く。
「スリーエルだ。だがその名は絶対に口にするな」
3L? 確かに大きかったけどね。冗談なのか、ホントにそんな天使がいるのか……、口にするなと言っているのでそれ以上聞くのは止めておいた。ホント言うとアレにはあまり関わりたくない。
だけど堕天使と悪魔の線引きはなく、結局は同じ物だ。マリウスも友人ではあっても決して味方ではないとエリザは言う。
「ところでアルフォートから汝に請求書が届いておるぞ。120万クローナだそうだ」
「そうだっけ。僕が払うって言ったんだよな。日本円にするといくらなの?」
「最新の相場にもよるが、大体1500万円くらいだ」
一瞬何を言われているのか分からなかった。
「我が立て替えておるのだが、元々我の問題故、取り立てる事もないと思うのだが、一応汝の意思を確認しておこうと思ってな」
「あ、いや。働いて返します」
いくらなんでもこんな女の子にツケを払わせるなんて僕には。払うと言ったのは僕なんだ。
これで僕は名実共にエリザのスレイブとなった……。
「いずれにせよ。アルフォートですら、お得意様だから後払いで仕事をしてくれたに過ぎぬ。あの場で我の命を救ったのは彼らではない」
エリザは懐に手を入れ、僕の姿を模した人形を取り出す。
なんかじたばたと動いている。これって……。
「玲が、傷を押さえていてくれたのだろう? その時に、この人形に触れたのだ」
そうか、人体模型と同じように。玲にはそんな力があったんだな。
「この人形が盾になり、その後もずっと傷を押さえてくれていたので我は今ここにおる」
人形を痛めつけると僕も痛いように、僕が抵抗を示すと人形にも返る。要は僕が痛みを受けたので人形が僅かだが硬くなり、ナイフを防いだのだと言う。
「あの時命を救ってくれたのは、玲と汝なのだ。汝は我の命の恩人だ。感謝しておる。ありがとうハルト」
いや、そんな改まって言われると……。
「ん? 今、ハルトって言った?」
エリザは思い出すように目を上に向け、首を傾げる。
「分からぬが、それは重要なのか?」
「いや、重要って事もないんだけど」
なんか気になるな。
「名前で呼んじゃいけない決まりってあるの? もっかい言ってみてくれない?」
「何故我がスレイブを名前で呼ばなくてはならぬのだ?」
いや、なんでって言っても……。
なんかそんな悪い気分でもなかったって言うか。それにスレイブの意味を知ってしまうと、と僕も珍しく食い下がって押し問答をしてしまう。
珍しく狼狽するエリザの顔は心なし赤いように思う。
「それに、汝にはきちんとした相手がおるであろう」
桃華の事か。
そう言えばあの悪魔、取り憑かれていた時に言った事は本当だとか言ってたっけ。それはどの部分の事だったんだろう?
思い出そうとするが、一度に色々ありすぎて、今となってはどれを指しているのか分からない。
まあいいか、本人に会えばそのうち分かるかもしれない。
今度はミサ会ではなく、個人的に誘ってみよう。あ、もちろん最初は幼馴染としてね。
教室の扉が開き、先生が来て出席を取られると、僕は大きな声で返事をした。
――了――
ネグロマンサー ~黒魔術師のいる教室~ 九里方 兼人 @crikat-kengine
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