第22話 玲
エリザの言う通り、玲は学校の使われていない倉庫小屋に籠っていた。
刃物を持っているので、見つけても知らせるだけで絶対に近づくなと伝えてある。今の玲は、近づく者全てを悪魔だと思って攻撃しかねない。
見つけた子達は先生や警察に言った方がいいのではと心配したが、クラスメートの弟だから事を荒立てないでほしいと帰らせた。
桃華も周辺を探してもらっていたが、見つかったと言って学校へ呼んだ。
「来るな! 誰も近寄るな!」
倉庫小屋のすみでナイフを構え、野良ネコのように威嚇する玲を皆で宥める。
「玲。事情は分かっておる。悪魔の事なら我が何とかする」
「ウソだ。お前だって悪魔に取り憑かれてるかもしれないじゃないか!」
「玲くん。私達友達でしょ? 落ち着いて。大丈夫だから」
羽衣、麻子、有栖も遠巻きに声をかけるが、玲は聞く耳を持たないようだ。
「玲。悪魔が来るのは、今夜なのだな?」
エリザの言葉に玲は沈黙する。ナイフを持つ手が震えているのが答えのようだった。
「ところで玲。お前本当に二宮金治郎なのか?」
なんというか、昔の人っぽくない。エリザは関係ないと言っていたけど、見た目は近くなるものなんじゃないかな。
「知らないよ!」
玲の叫びに、何それどういう事? と女子達は動揺する。
「よせ、我がスレイブ。どんな契約をしたのかも分からぬのだ。周囲に知られた時に無効になるような約束をしていたら厄介だ」
こういうケースでは、周囲の者が察しても自分から口に出さなければ大丈夫な場合が多いと耳打ちされる。
「僕は人間だ! 立って歩ける人間なんだ!」
分かった分かったと玲を宥め、女子達は購買で何か買って来ると言ってプチミサ会を始める。
玲を少し離してはいるが、皆で輪になり座談会のようになる。しかし板の上に座る皆に対し、玲は一向に腰を下ろそうとしない。
勧めても断固拒否。椅子を持ってこようかと言っても聞かない。
まるで、座ってしまったらそのまま像に戻ってしまうのではと脅えているかのようだ。
女子達が他愛のない話をする中、僕はこっそりとエリザに話しかける。
「悪魔の代償を避けたとして、その後はどうするの?」
「そんな事は後でよい。今はこの危機を脱するのが先決だ」
そうかもしれないけど、大丈夫なのかな。桃華は事態についていけないのかずっと口数が少ない。
学校は閉まり、夜も遅くなってくる。
羽衣達はお泊り会も珍しくないので連絡しておけば問題ないと言う。
桃華は大丈夫? と話しかけると仏頂面を返された。
女子達は玲の様子に気おされて事情を聞きにくいようだったが、何が起きているのか知りたがっているのは明らかだ。
エリザは玲が悪魔が魂を奪いにやってくると信じていると言う。
本当に来るかどうかは分からないが、玲がそう思い込んでいる以上、友達として助けなければならない。
エリザは端末からレーザーのような光を放射し、板張りの床に魔法陣のような紋様を焼き付ける。
「悪魔封じの魔術式方陣だ。この円の中に悪魔は入って来られない」
ひとまずこの中に入れと促すが、玲は動こうとしない。
「なあ、玲。エリザが悪魔に取り憑かれているなら、もう誰もお前を助ける事は出来ないんだ。ここはエリザの言う通りにするしか道はないんじゃないのか?」
「心配するな。誰も円には近づかない。近づいた者は悪魔とみなしてその小刀で刺せばいい。それでいいか?」
僕とエリザの言葉に玲は、じりじりとだが円の中へと移動していった。
「丑の刻になるまで悪魔は現れない。だがそれまでに円から出させようと策を廻らせてくる可能性はある。だから誰も近づいてはならぬ」
「悪魔を見分ける方法はないの?」
皆も疑問だろうから、僕が代表して聞く。
「あるにはあるが、今は用意がない。我と我がスレイブは問題ないが、他の者は帰った方がよい」
何気にスレイブにそんな特権が。
「ホントに来るの?」
羽衣が恐る恐るという感じで聞く。当然の疑問だろう。動く人体模型を見た他の二人も半信半疑という様子だ。
「来なければそれでよい。それで玲が納得するのならよいではないか」
「でも毎晩こんな事やるの?」
悪魔が宣告した刻に回収出来なければ、それで契約は完了だ。以降はもう安心だと言う。
「だが契約者が抵抗するなど承知の上、悪魔もあらゆる手を使う。物語では悪魔を出し抜いて代償を免れる話があるが、簡単に出来る事ではない」
玲がナイフを持つ手に力を込める。
「ここに残るなら悪魔封じの焼き印を体に入れてもらう事になるが……」
エリザが空中に紋様を投影する。結構大きい。
一様にそれはちょっと……、という反応だ。個人的にはあれをお腹や背中に入れるのも妖艶で悪くないとも思うのだけど。
「じゃあ後はエリザに任せて私達は帰りましょう」
と羽衣がいつもの調子で言う。玲の事も心配だけど、本当かどうかはともかく悪魔が来ると言われている所に留まるのも、あまりいい気分ではないだろう。
「我がスレイブ、屋敷へ使いを頼む。悪魔を見分けるのに使うアレを取ってきてくれぬか」
保管場所はサプリの材料の棚だと言う。エリザのお母さんが来た時に使った聖水ね。
そうして僕達はエリザと玲を倉庫小屋に残して学校を後にした。
心配そうにする幹部達と別れ、僕は桃華とエリザの屋敷へと向かう。
もう夜も遅い。友達といる、と連絡していても心配される時間を過ぎているだろう。
「帰んなくていいの? もう結構遅いよ?」
「友達の所に泊まるって言ってある」
そっか、と返すが実際どうするんだろう。本当に友達の所に行くのかな? まさかその友達が僕って事はないだろうし。
後ろをとぼとぼとついてくる桃華に合わせて僕も歩くペースを落とす。
エリザの屋敷へ行くのなら、そこに泊めてもらえばいいんじゃないかな。って僕が勝手に言う事じゃないけど、エリザは気にしないだろう。
「うっわぁ~。おっきい家ね」
やっぱりそう思うよね。エリザの屋敷前に到着した桃華はおおよそ予想通りの反応をする。
エリザの外見からあまり違和感はないとは言え、やはり最初は驚くと思う。
鍵のかかっていない扉を開けて中へ、エリザの部屋へと続く豪華な廊下を歩く。
燭台に灯った僅かな明かりの中、何も言わずついてくる桃華の存在が心なし重く感じる。
扉を開けると、部屋には大きな窓から半分になった月の光が差し込んでいた。明かりを点ける必要もない、と僕はそのまま足を踏み入れる。桃華もやや遠慮しながら入ってきたようだ。
でも別に付き合っているわけじゃないけれど、初恋で片想いの相手と、他の女の子の部屋に入るっていうのはどうなんだろうか。
聖水の入っているという棚を明け、上から順に目を這わせて瓶を探す。
「何度も来た事あるんだ?」
「まあね」
勝手知ったるなんとやらだ。……と思った所で桃華の言葉にトゲがあったように感じて振り向く。
「ここ。エリザの部屋だよね?」
「なんで分かったの?」
僕は言われるまで個人部屋だと気が付かなかったのに。
「だって、ベッドがあるじゃない」
指さす方を見ると確かに豪華な寝台がある。レースに覆われて、僕が知る寝床とはかけ離れすぎて分からなかった。部屋自体が美術館のホールくらいある事もあるけど。
改めて幼馴染と別の女の子の寝室にいる事を意識する。考えてみればおかしなシチュエーションだ。
ていうかなんで桃華はついてきたんだ? と改めて考える。
「エリザとは仲いいんだよね?」
仲がいい、と言えばそうなのかも。僕はずっとエリザのペースに振り回されていただけだから、別段意識した事はなかったけど。
「ハルトは、エリザの事どう思ってるの?」
桃華は詰問するように、一歩、一歩とゆっくりと近づく。
「ど、ど、ど、どうって。いや、嫌いな事はないけど……、別に好きとかそんなんじゃなくて!」
手を振り回しながらあたふたと答える。ここで慌てては余計怪しいじゃないか、と思うがパニックは収まらない。
「今日もずっとひそひそと、二人で話してたよね?」
そうか、そりゃそうだよな。ずっとエリザの横にいて、お使いとは言え一人屋敷へ直行し、自分の家のように部屋にまでためらいなく入る。傍から見れば十分おかしな関係だ。
桃華は、一体この二人は何だ? と怪しんでついてきていたんだ。
そうとも気づかずに僕は無神経に行動してしまった。自分の事を好きだと言っておきながら、他の女の部屋にも平然と入る。そんな男に映っているんだろうか。
「わたしもね。ハルトの事好きなんだよ」
え!? なに? 混乱した頭に理解不能な事が覆いかぶさり、パニックに拍車がかかるが、一周回って返って冷静になったようだ。
「ずっと好きだったの。なのに勝手に振られたと勘違いして逃げて、そのままほったらかし。しばらくぶりに現れたと思ったらかわいい子と仲良くして……」
い、いや。それは……。
「思わせぶりな事言っておきながら、ずっと彼女とイチャイチャして。今日も、わたしに帰ってほしそうだったじゃない」
だって、玲の事があるし。あっちも急を要するんだ。深刻なんだよ。でも、桃華からすればそれ自体が信じ難い事なんだ。
「わたしだって我慢できないのよ!」
桃華は服に手をかけると、皮を剥くように左右に引き裂く。露わになった上半身を直視できずに棚に向き直った。
「わーっ! ちょっと待って。お使いの途中だから!」
再びパニックになり、結局僕は最初の行動を選択したようだ。棚の中に並んだ瓶をガチャガチャと揺らしながら、現実から目を逸らすように瓶の形を思い出そうとする。
だけど手が震えて瓶を倒してしまった。ドミノ倒しのように次々と倒れ、いくつかは落下し、サプリの調合台に当たって割れる。
しまった!
飛び散った液体で冷たくなった服を引っ張りながら、今の中のどれかが聖水だったらどうしよう、と考える。
形状はだいたいの形しか覚えていない。一番それに近い物を選べばいいだけだったが、いくつか割れて形が分からなくなってしまった。
残った物の中で一番近い物を見繕うか。でもそれは違うかもしれない。でも聖水が一つとも限らない訳で。
くすくすという笑い声に振り向くと、履いていた物も全て取り払った桃華がそこにいた。月の明かりで何とも妖艶に映る桃華は、ゆっくりと歩み寄ってくる。
「濡れちゃったね。脱げば?」
いつぞやのトラウマが蘇りそうな気がしたが、今度の相手は桃華なんだ。考えようによってはこれはいい展開なのかも。
無意識に後ずさったが、そこには棚があるだけでガタンと腰をぶつける。
その衝撃で瓶が倒れ、ごろりと転がる音と共に僕の頭上に降ってきた。
頭に直撃して割れる。
痛みで意識が危うくなる中、ギャグ漫画ならここで気絶してチャンスを逃すんだろうな、と思いながら近づく桃華をぼんやりと眺める。
「ちょうどベッドもあるし。ライバルのベッドの上でなんて……、ちょっとドキドキしない?」
すぐ目の前にまで近づいた桃華に、いよいよ意識が危うくなってきた。体が熱くなり、茹ってしまいそうになる。
桃華は僕の頬に手を伸ばし、そのまま後ろへ回して頬と頬を合わせるように抱きつく。
もうどうにでもなれ。
僕は桃華と一つになる、と覚悟を決めた時。
「きぃやあああああっ!」
突然桃華が叫び声を上げて僕を突き飛ばした。僕は棚を背にしていたので背中を打ち付け、反動で桃華が跳ね飛ばされる形になる。
「くぅっ」
片目を押さえ、物凄い形相で僕を睨みつける桃華は顔から手から白い煙を噴いていた。
その目は赤く、心なし犬歯も伸びているように見える。
「おのれ! お前……。聖水を」
聖水? 割った瓶の中に入ってたのか。それに触れた桃華が? って事は。
「悪魔か? 悪魔が桃華に取り憑いてるのか?」
僕は咄嗟に桃華の身を案じて駆け寄ろうとするが、桃華は悲鳴を上げて後ずさった。
「でも、なんで? 桃華に」
僕は当然の疑問を投げかけるが、桃華に取り憑いた悪魔は不敵な笑いを見せる。
「まあいい、目的は果たした。後はあの小僧の魂をもらう」
「そんな事!」
させるか、とも思うがどうしたらいいのか分からない。ここで桃華を押さえておけば、玲の所へ行かせなければいいのではないか? と考える。
「無駄だ。お前には止められない。私はいつでもこの体を抜け出せる。小僧の近くにいる者に乗り移ればいいのだからな。その相手も既に近くで眠らせてある」
エリザか? でもエリザは悪魔を退けるような事を言っていたし。なら他の会員か。
「エリザは誰も近づけないよ。聖水がなければ、幹部の女子だって近寄らせない」
悪魔は鼻で笑う。
「どうかな。小僧を真摯に心配する友達を冷徹にはねのけるなど、あの娘にできるのか? わたしが取り憑いている事を知る方法は、もうないのだぞ」
そうか。それで僕の邪魔を。
「痛くてもいいのなら他にも方法はあるのだがな。それすらもできない娘に、わたしを止める事などできるはずはない」
今までに何百人も取引をしてきたが、ただの一度も失敗した事はないしこれからもしない、と桃華の顔をした悪魔は高らかに笑う。
「そうはいくか。僕がすぐに戻って知らせる。エリザと二人で誰も近寄らせない」
桃華はさげすむように僕を見下ろす。
「言ったろう。お前は邪魔できない」
桃華は爪を立てるように手を構えると、それを自身の首に当て、一気に掻き下ろす。
血がパタパタと床まで滴り落ち、桃華の体も赤く染めていく。すごい血の量だ。
「桃華っ!」
「さあ、どうする。この娘を置いてわたしを追ってくるか? そうだ、一ついい事を教えてやろう。この娘がお前に言った事は全て本当だ」
桃華は高く笑うと、目から口から、顔の穴全てから黒い霧を吐き出した。霧は勢いよく立ち上り、天井に届くまでに消える。
逃げたのか? 玲のもとへ? 魂を奪う為に?
「くっ」
僕は力が抜けたように倒れる桃華に駆け寄って抱きとめ、傷を診る。
頸動脈は切っていない。即死させては意味がないから加減したのだろう。だけど放っておけば危ないくらいの加減のはずだ。僕をこのままここに足止めする気なんだ。
僕は桃華の服を包帯代わりに止血する。
ここにも救急箱くらいはあるだろうけど、どこにあるか分からない。探している間に悪魔はエリザのもとへ行くだろう。
僕は決意を固める。
「桃華、待っててよ。すぐ戻るからね」
傷を心臓よりも高い位置になるように桃華を寝かせ、血の付いた衣服の破片を握り締める。
救急車を呼んでも間に合うかどうかわからない。ここの住所を何て言えばいいか分からないし、到着までついてなくてはならないだろう。
携帯でエリザに知らせようにも、僕はエリザの番号を知らない。ほとんど一緒にいたので必要になる事もなかった。
僕は物置に向かい、そこから掃除機のような形をした物を取り出す。
コンセントコードを一気に引くとエンジンが唸りを上げた。
僕は即座に乗って推進する。
桃華の服の断片を落としていないか確認する。一番の方法はエリザのもとへ行き、この媒体を使って治してもらう事だ。
あの白い魔術師なら瀕死だろうが何だろうが生きていれば治してくれる。バカ高いと言っていたが一生かけて払ったっていい。
学校の門が見え、僕はスロットルを最大にまで上げる。悪魔の移動速度がどのくらいなのかは分からないが、うまくすれば間に合うかもしれない。
門は閉まっている。入れる場所を探すより、乗り越えて中に入る方が早い。掃除機を降り、門を乗り越えて校庭を走った。
校舎のすみにある倉庫小屋の窓からは白熱電球の光が漏れている。それが校庭からも確認できた。僕はその明りに向かって走る。
倉庫小屋の中が見えるくらいに近づくと、窓がバリケードのように固められているのが見えた。
有り合わせの机や椅子を積み上げただけのもので、悪魔から身を守るのには心許ない。
その奥に見える人影は、三人? 何やら揉めているようだ。
僕は倉庫小屋にたどり着き、窓に張り付く。
中にいるのはエリザと玲と、有栖? 幹部の会長補佐、黒瓜 有栖だ。
「玲くん、危ない事は止めて。私達友達じゃない。あなたに人を傷つけるなんて出来るはずない」
「来るな! 本当に刺すぞ!」
エリザはその間に挟まれている。
エリザは必死に有栖を押しのけようとするが、強引に進もうとする有栖を制しきれないでいた。
「エリザ! そいつは悪魔だ!」
窓を叩いて叫ぶが、意味はないんだった。エリザは悪魔だろうとなかろうと通すつもりはないんだし、悪魔だと分かっても有栖を傷つけてまで止める事は出来ないんだ。
僕が何とかしなくちゃ、と周囲を見渡すと、扉が少し開いてバリケードに隙間が出来ているのが見えた。有栖はここから入ったのか。
僕も扉を押し開け、隙間に体をねじ込む。当然だけど有栖の方が体が細いようだ。
ガタガタと椅子を崩して室内に入った時、それは起こった。
一瞬に過ぎない出来事だったけど、僕の目にはスローモーションのように事態を捉らえる事が出来た。
玲に寄ろうとする有栖を制するエリザがついに魔法陣の中に入ってしまった時、玲は溜まり兼ねたように有栖に向けてナイフを突き出した。
それは威嚇だったのかもしれない。あるいはケガをさせてでも遠ざけたかっただけなのかもしれない。
とにかく殺すつもりはなかったはずだ。
それでも会員がケガをするのを黙っているはずのないエリザは、有栖を庇うように体当たりする。
だけど有栖は僅かに身を引くと、エリザの体をそっと支えるように手を添えて自分の前に引き寄せた。
ナイフは、盾になるように立ちはだかったエリザの胸に吸い込まれる。
その瞬間、僕の心臓も刃物で突き刺されたような衝撃が走った。
息が止まり、膝を着く。
有栖は文字通り悪魔のような笑みを見せると、ナイフが刺さったままのエリザを魔法陣から離れた所へ捨てるように倒す。
「かはっ」
僕は心臓を押さえながら立ち上がろうとするが、力が入らない。
エリザが刺されたショックかと思ったが違う。今分かった。エリザは懐に僕の人形を入れていたんだ。
「あ、あ……」
自分のした事を見て玲が狼狽する。
「どうするの? 傷を押さえるならその間は待ってあげる」
有栖は冷ややかに言い、僕を一瞥すると、こいつには何もする必要はないなと言わんばかりに鼻で笑う。
玲は僕を見たが、僕にもどうする事も出来ないんだ。
歯軋りしていると、エリザのそばに落ちていた携帯端末が変形するように開く。落ちた衝撃でスイッチが入ったのか。
端末はドローンのような形に変形するとファンを回転させて宙へと浮かび上がった。
そして有栖の前に対峙すると機械のような、中性的な声を発する。
『やあ、悪魔くん初めまして。僕はカリユガ。ずっとキミに会いたかった者だよ』
「カリユガ! エリザが! アルフォートさんを! お金なら僕が払う」
痛む胸を押さえて叫ぶ。カリユガば事態は把握している、と言って映写機のような光を投影する。
「魔術師協会のAIか。お前の事は聞いているよ。やっかいな奴だとね」
有栖は天井に手をかざすと裸電球が配線ごと引き剥がされ、火花を散らして有栖の手に収まる。念力で電線を引き寄せた?
有栖は剥き出しになった線を握る。感電してるんじゃないか?
「私も魔術を使う事ならできる。媒体を使って、同じ物に影響を与える共感魔術は、元々我々のワザを人間が真似たに過ぎん」
ふっ、と電球の明かりが消え、部屋は月明かりだけになる。
ゴトンと端末が床に落ち、僕のもとまで転がった。
「カリユガ!?」
僕は端末に触れる。電源が落ちているようだ。電源ボタンを長押ししてみるが、電源は入っても、そこにカリユガはいない。
「地球上に存在する全ての電気を数刻の間無効化させた。このAIが稼動している設備も全てシャットダウンしただろう。復旧するにしても数分。それでも消えたデータは戻らない」
有栖は講釈するように言いながらエリザのもとへ歩み寄り、刺さっていたナイフを親指と人差し指で摘まむように持って引き抜く。
「さ。止血しないと死ぬよ?」
玲に向かってナイフを見せびらかすように揺らす。
傷口を塞いでいた物が無くなって、出血が酷くなった。なんとかしなくちゃ、と立ち上がろうとしたが、ゴボッという音と共に僕の口から血が飛び出す。
玲はそんな僕とエリザを交互に見やっていたが、やがて意を決したように足を踏み出した。
エリザのもとへ駆け寄り、傷口を押さえる。
でも魔法陣から出てしまった。このままじゃ……。
玲は顔を上げて、僕と目を合わせる。 玲は笑っているような、泣いているような顔で絞り出すように言った。
「おねえちゃんに。ごめんねって伝えておいてね」
有栖はゆっくりと玲にもとへ歩み寄るとその頭に手をかけた。
眩いばかりの光に目を閉じる。そして開けると、もうそこに玲の姿はない。
「待つって言ったじゃないか!」
僕は抗議の声を上げる。
「待ったよ。ちょっとだけど」
有栖は悪びれる風もない。
「せめてもの慈悲に、元の銅像に戻してやったんだし」
ちくしょう。玲……、エリザ。そしてこのままじゃ桃華も、と僕は無力感に苛まれながら項垂れる。
床に落とした視線の先に赤い点が落ちているのが見えた。
それがポチポチと点滅している。見ると手に持った端末の画面にも同じように点滅する赤い丸が表示されていた。
床の赤い点は映画なんかで見た事のある、レーザーサイトのようだ。焦げ跡を残して穴が開いている所を見るとホントにレーザーかな? でもどこから?
僕の考えを余所に悪魔の取り憑いた有栖は話し始める。
「絶望的な状況だと思わない? そこで少年にいい話があるんだけど。この娘と、ついでにあなたの彼女も助けてあげるから取引をしない? 魂は十年後に回収に来る。どう?」
僕は真っ白になった頭で、何を言われているのかもよく分からないまま二つの赤い点を見比べる。
「死んじゃったら期間は劇的に短くなるよ。今がお得。ついでに彼女達が君を好きになるようサービスもしとこうか?」
僕は何となくだけど、この二つを合わせた方がいいような気がして、端末を床に落ちる赤い光の上へ滑らせた。
赤い光は端末画面の上で激しく明滅し、そして端末が起動する。
ファンが回転を始め、端末が光を発して浮遊する。
「カリユガ!?」
「バカな、データは全て飛んだはず。AIとして死んだはずじゃ」
『残念だったね。ボクの本体はこの地球上にはない。遥か空の上さ』
人工衛星!?
衛星軌道上に点在する数百の通信衛星。戦略用に開発された地上データのバックアップから衛星監視システム、レーザー兵器、その全てを繋いだものがカリユガだと言う。
そのどれもがカリユガであり、どれか一つがカリユガなわけではない。この地球を覆う巨大なネットワーク全てがカリユガなのだと言う。
『でも屋根が邪魔だったからね。エリザのスレイブがいなければ繋げられなかったよ』
「だからどうした。機械に何ができる。他の魔術師は交信の復旧に時間がかかるさ。その前にこの娘は死んじゃうよ? 今回は失敗したけど、次は私を出し抜いて助かるかもしれないよ?」
有栖は僕に優しげに話しかける。僕の選択は……、もちろん。
『ダメだよ。エリザのスレイブ』
「命が何なのかも分からない機械の言う事なんか聞くことないよ」
『そうじゃない。取引の相手はボクだと言ってるんだ』
は? というように有栖は片方の眉を上げる。正直僕も同じ感想だ。
「人形には魂が宿るけど。……悪いけどアンタ魂ないよ?」
有栖は小馬鹿にしたように言う。聞きようによってはかなりショッキングな宣告だ。
『ボクの望みは勝負する事さ。魂はここにいるエリザのスレイブの物を賭ける』
なんだって? そんな勝手な。
『不服かい? エリザのスレイブ。キミの選択は?』
そりゃ、僕は魂を賭けてでも二人を助けたいと思ったけど、それをAIに委ねるなんて……。
『ボクだって魔術師なんだ。ボクはこれから起こる事を予言する。そうだね、起きて当然の事は予言じゃないから、どちらにも転ぶ可能性のある事を予言しよう。それが当たればエリザを助ける。外れれば死なせていい。魂も持っていくといい』
有栖はふんと鼻を鳴らす。
「面白いね。いいよ、受けてあげる。くだらない事だったら契約は無効だからね。その判定も私がする」
『さあ、どうする? エリザのスレイブ』
どうするって……。そんな。相手が判定するんじゃどうとでもできるんじゃ……。
『悪魔は契約に関してはフェアだよ』
悪魔には悪魔のルールがある。それを破った悪魔は他の悪魔に追われる事になる。だからそこは信用していいと言う。
うう。でもただ契約しても魂を持っていかれるだけなんだ。それが今か十年後かの違いで。それなら可能性に賭ける方が……。
「分かった。賭けるよ!」
「受領した」
有栖は事務的な口調で言う。
「さあ、予言してみてよ。当たれば助ける。外れればこの娘は死ぬ」
有栖は腕を組み、挑発的に言う。
『では予言するよ。この後……』
カリユガは思案するように言葉を止める。何かアプリで占ってるのかな?
『エリザは死ぬ』
は? と僕と有栖は同じ反応をする。露骨に何言ってんの? という反応だ。
『さあ、どうだい?』
「どうも何も、放っておけばこの娘は死ぬでしょ。それは当たり前じゃない」
『当たり前かい? 助かる可能性は皆無かい?』
「可能性は……、アンタの予言が当たれば助かるけどさ」
『予言は、当たるのかい?』
「え? ……あ」
そうだ。エリザが死ぬなら、予言は当たるんだ。そうすればエリザは助かる。
でも助かれば、今度は予言が外れた事になるわけで……。
「あ……、う……」
有栖は狼狽するように目を泳がせる。
『どうするんだい? 時間が経てば結果が出るよ』
ぐぐ、と有栖の顔が苦悶に歪む。
『ここはエリザが死んで予言が当たるものとして、さっさと助けてしまうのが、お互い納得できる妥協案だと思うけどどうかな? 代償も得られないのに、死者を蘇らせるなんて、割に合わないんじゃないのかい?』
有栖は屈辱を噛みしめるように歯ぎしりする。悪魔とは言え、死んだ者を生き返らせるのは簡単じゃないのか。
『でも……、この勝負。ボクの勝ちだね』
有栖はカッと鬼のような形相で口を開く。
「無効だ! こんなのがあるか。契約は無効だ!」
有栖はヒステリックに腕を振り回しながら叫ぶ。たかがAIにしてやられたという屈辱に耐えきれず、錯乱したようだ。
でも、それじゃエリザはどうなるんだ! と思っていると倉庫小屋の窓ガラスが割れて、そこから黒い影が飛び込んできた。
ばさという音と共に部屋の空気が渦を巻く。入ってきたのは黒い、大きなカラス。そしてその目は赤い光を放っていた。
カラスはバンザイするように羽を大きく広げると、その姿が白く光る。
眩しさに目を細めるが、僕が見たのは背から大きな翼を生やした人の姿。
男なのか、女なのか、どちらともとれるし、どちらでもないように見える。だけどその顔だちは、いつぞやのライフセーバーやトイレの花子さんを彷彿とさせた。
有栖はその姿を前にひぃと後ずさる。
そして室内は一際大きい光に包まれた。
静かになり、恐る恐る目を開けるが、あまりに強い光を見たために視界が戻らない。目の前に大きな黒点があるかのようだ。
「エリザ。カリユガ! エリザは?」
『アルフォートに連絡がついたよ。エリザの媒体を常備しているからね。すぐに傷は塞がる』
そうか、よかった。
そうだ、これも……、と思い出したように桃華の服の破片を取り出した。
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