第21話 麻子

 翌日。

 上戸 麻子が学校を休んでいた。ただの風邪で、大した事はないと言う。

 有栖が羽衣に昨日の事を話し、羽衣は彼氏を放っておいても行くんだったと悔しがる。

 玲はそもそもここの生徒ではないし。

 エリザが昨日空き巣に入られたとそれとなく話題にする。大変だったね、と心配する幹部女子に怪しい雰囲気は感じられない。

「ただ盗まれたのが『すてんれす』製の食器だけでな。高そうに見えたのかもしれぬ」

 ん? と思ったが、ラッキーだったね、と笑う女子達を見て、その意図を悟る。

 銀のナイフを盗んだつもりなら、銀製でないと思えば何かボロを出す。

 この二人が犯人でなくともその噂が広まれば、どこかで何かが起こるかもしれないという狙いだろう。

 放課後。

 学校が終わるまでの時間、女子達だけでミサ会をやると言う。

 いつも幹部会ばかりやっていても他の会員がつまらない。女子会をメインに、男子を含めたいつぞやのプールのような集まりをやるつもりだと会長は言う。

 今日は女子会だが、エリザが言うならスレイブは置いておいてもよい。ただし女子には話しかけないという条件付きで。

 なんか特別に扱われて嬉しいのか何なのか。

 エリザが麻子を見舞いに行くと言ったら、今回は止めて皆で見舞いに行こうかと言い出したので、そこまでする必要はないとエリザも会に参加する事にしたようだ。

 僕は麻子を見舞って来いと追い出された。エリザも後から来ると言う。

 男の僕を一人見舞いに向かわせるなんておかしな話だけど、もし銀のナイフを盗んだのが麻子ならば、のうのうと家で寝ているはずはないからだ。

 しかしあの健康優良だけが取り柄のような奴が、こんなタイミングで風邪を引くというのも怪しい。

 いないか、何ともないようであればより疑わしい事になるな……などと思いながら、麻子の住んでいるマンションの呼び鈴を鳴らす。

 しばらくするとドアホンから女の子の声がした。

「だれ~?」

 誰って、お前が誰? 麻子か? というくらい声が違う。家の人か? 本人は留守なのかな。

「あの、神代と言います」

「ん~、だれ? 誰に用でずが?」

「え? いや……、あの、麻子……さんに」

「ん? ああ、ズレイブ? ぢょっど待っで」

 なんだそれは。僕は名前を憶えられていないのか?

 しばらくしてドアが開くと、パジャマ姿の麻子が現れた。額に冷却シートを張り、赤い顔に赤い鼻、寝ぼけ眼をしている。

 本当に風邪を引いていたのか。それで鼻声なんだ。

「なんの用?」

「あの……、お見舞いに」

「なんで?」

 いや、まあ。言われてみればそうだよね。なんで僕がコイツの見舞いに来なければならないんだ。

 皆で押し掛けては探りを入れられないから、エリザは他の会員を引き付けておいて、その間に僕を向かわせたんだろう。

「一人?」

 皆はミサ会で、みんなでお見舞いに行こうかと話したけど、大勢で押し掛けるのもなんだから僕が寄越された、というような事を言う。

「そ。ありがと。……アンタじゃなくて、みんなにね。そう伝えてね」

 はい、そうですか。

 麻子は踵を返し、玄関脇に置いてあるティッシュケースから一枚引き抜くと大きな音を立てて鼻をかむ。そのまま奥へと戻っていった。

「けっこうフラフラじゃない。大丈夫なの?」

「心配してくれんの?」

 そりゃ、まあね……と言ってるそばからよたよたと壁に手をついたので、慌てて駆け寄って支える。

 うわっ、体熱っ! ていうか柔らかい。

「あ、ごめん。ていうか勝手に入っちゃって」

 麻子はしばらく考え込むように黙っていたが、

「いいよ。折角だし、あがっていけば?」

 と言って奥へと壁伝いに戻っていく。

 風邪が演技だとも思えない。麻子が犯人である可能性がないならとっとと帰った方がいいのか? とも思ったが、もしかしたらエリザが犯人に病気になるマジナイをかけたかもしれない。

 ならエリザが来るまで待った方がいいのかな、とお言葉に甘える事にした。

 リビングに入ると麻子が被っていたと思われる布団がある。ここでテレビでも見て過ごしていたのだろう。

 麻子は布団の上にストンと腰を下ろす。

 パジャマのボタンは適当に留められ、ヘソが露わになっている上にズボンも半分ズリ落ちて下着が見えている。

 熱が結構高いのか、全く気になっていないようだ。

「親は夕方に返ってくるから。襲うなら早くしてね」

 うん、そうか。……って何!? 何て言った? 熱でもあるのかコイツは? ……ってあるんだっけ。

 僕は何も言わずカーペットの上に正座する。

「そうか。お茶入れるね」

 と立ち上がったので「いいよ」と慌てて立ち上がったが、麻子は聞く耳を持たずキッチンへ行く。

 ガチャガチャと食器の鳴る音にお湯を注ぐ音、大丈夫なんだろうか。

 しばらくすると麻子が湯呑を持って戻ってくる、がそのまま「わあっ」と声を上げてすっ転んだ。

 湯気を立てたお湯が宙を舞い、僕のズボンに降りかかる。

「ア、アチッ!」

 悲鳴を上げて払い落そうとするが、液体だ。僕のズボンに染み込んで大事な部分を焼く。

「わ、大変!」

 麻子はそのまま両足タックルのように僕の両足を抱きかかえるようにして押し倒す。

 ゴン! という音と共に後頭部をぶつける。

 頭を押さえた隙に「ズボン脱いで!」とベルトに手をかけて外し始めた。

 何すんだよ、と思うも熱いのも確かなのでそのままズボンから下半身を抜く。パンツにも染みているので引っ張って体との間に空間を作り、空気を送り込んで冷やす。

「ヤケドするよ、早く脱いで」

「いや、いいよこれは! もう冷えたよ」

 パンツをつかむ麻子と引っ張り合う。

「ズボン乾かしてくるね。お茶も入れ直す」

 と言ってズボンを持ってキッチンへ消える。一応ランドリールームでちゃんと干してくれているようだ。

 またカチャカチャと食器を鳴らす音が聞こえる。

 僕はまだパンツが湿っているので完全には座れず、腰を浮かせた状態で待っている。

 麻子がお茶を持って現れたが、さっきと全く同じようにすっ転んだ。

 お湯が同じように宙を舞うが、僕は完全に座っていなかったので飛んでくる液体から身をかわした。

 カラテでも、僕は同じ攻撃を二度受けたりはしない。

 だけど液体の為、熱い飛沫がいくつかはかかる。アチッ! と声を上げると「大変! ヤケドするよ!」と麻子がパンツに手をかける。

「いや、かかってないから! ちゃんと避けたよ!」

 叫ぶが全く耳に入っていない。

 簡単に押し倒され、つかみかかろうとする手に必死に抵抗する。

「知ってるよ。カラテって寝技に弱いんでしょ」

 何をやってるんだお前は!

 抵抗する手をことごとく抑えられ、体を回転させると顔面に伸し掛かられて腕を封じられる。

 プロレスで言うとツームストン・パイルドライバーを横にしたような体勢か? 僕にはそれ以上分かりやすく説明できない。

 この運動少女が何をやっているのかなんて気にした事もなかったけど、今分かった。こいつはレスリング部だ。

 両手足を完全に封じられたが、麻子も僕の動きを封じるのに両手足を使っている。

「あいたっ!」

 腰に噛みつかれたような感覚。そのまま咥えて脱がそうとしているような気がして思わず叫ぶ。

「たすけてー」

 徐々にズリ下げられていく貞操着に、もうダメだ! と覚悟した所でその動きが止まった。

 どうしたのかと見ると、リビングにエリザが立っていた。

「助けを呼ぶ声がしたものだから……。お邪魔だったならまた後で来るが」

 麻子はしばらく固まっていたが、僕を放すと「きゃ~、やめて~」と叫びながら蹴りまくる。この女、どうしてくれようか。

 有栖もやってきて、僕を見るなり一緒になって蹴り始めた。

 暴行が終わった後で、麻子は熱のせいで行き違いがあったようだと言ったがもう遅いよ。

 そんなに熱が酷いのなら……、とエリザは麻子の口に綿棒を突っ込んで端末にセットする。

 どこかに送信するような素振りを見せると、いつぞやのように立体映像が投影された。

 ハイテクなので驚く事はないのだが、まあ普通に驚く。

 白い人、アルフォートが映し出されると、エリザはこの子の体調を回復させてやってくれと頼む。

『随分と奇特な事だね。それほどに大事な友達が増えるというのはいい事だ』

 映像のアルフォートは穏やかに言うと、麻子の顔に手を差し伸べる。

『大丈夫。すぐに良くなるよ。リラックスして』

「は、はい!」

 麻子は驚きからか緊張した声を上げた。

 これでよし、とアルフォートが手を放すと、エリザは支払いはいつもの通りと言って交信を終えた。

 ん? とエリザは、呆けたように顔を赤くしたままの麻子の顔を覗き込んだ。

「まだ顔が赤いな? 効かなかったか?」

 おかしいな、と訝しむエリザに、麻子は慌てたように治ったと喚き散らす。

 なんなんだ……と思いつつも、麻子が悪魔と取引してエリザの屋敷から銀のナイフを盗み出したとは、ちょっと考えられないな。

「玲はどうしておる?」

 エリザが有栖に向かって聞く。

 有栖は一瞬私? というような反応を見せたが、

「知らないよ?」

「朝はちゃんと学校へは行ったのか?」

「行ったんじゃない?」

「なんだ? 姉弟中悪いのかよ」

 有栖の要領を得ない様子に思わず口を挟む。

「私の弟じゃないよ? 麻子の弟じゃないの?」

「黒瓜と名乗っておったぞ?」

 どういう事だ? イマイチ事態が飲み込めず、記憶の糸を手繰り寄せる。

「そうか。あいつは一度も自分から誰かの弟だとは言ってない」

 僕達に会員証を見せただけで、誰も黒瓜と名乗る所を聞いていない。僕達は有栖の弟だと思っていたけど、他の幹部はお互いに誰かの弟だと思っていたんだ。

 だけど……、

「ならば貴奴は何者なのだ?」

 そうだよね。エリザに近づき、悪魔の倒し方を探って銀のナイフを盗み出した。

 玲が犯人だとして、一体どうやって、何の目的で悪魔なんか呼び出すんだ。

「何? 玲くん、ヤバいの?」

 狼狽する有栖と麻子にエリザは表情を固くする。

「玲の身に危険が迫っておる。我らはこれから玲を探しに行く。お主らも手を貸してくれ」

 羽衣にも知らせる、と二人は学校へと向かって行く。僕は黙ってエリザの行動を待った。

 警察に届けようにも、どこの誰かも分からないんだ。それよりはエリザに委ねよう。

「幻視魔術を使う。町中の目を使って玲を探すぞ」

 そんな事ができるのか。幽体離脱して色々な人や動物の目を通して目標を探すのかな。

 エリザが端末を操作すると、光が四方に放射され町中の様子が映し出された。

 僕達はたちまち立体映像の画面に取り囲まれる。

 屋外や建物内、物凄い数の町の映像に目が回りそうになるが、この視点って、どこかで見た事あるような……。

「これ、監視カメラの映像じゃないの?」

「そうだ。町中のカメラと衛星からの映像が確認できるのだが、数が多すぎるな。カリユガを呼び出す」

 なんだ、やっぱりハイテクなのか。幽体離脱したエリザを介抱するのかと、少しばかり期待していた僕は拍子抜けする。

『顔認証を使おうにも、僕は目標の顔を知らないよ』

 僕も写真なんて持ってないし。

「でも、ハッカーなんだろ? そのくらい、調べられないの?」

『何て名前で検索をかければいいんだい?』

「いや、それは……。でも、前にも調べたじゃないか! 屋敷に侵入した可能性はないって。あの時はどうやったのさ」

『可能性は皆無だと言ったんだ。そもそもそんな人間は存在しない』

 そんな……。じゃあ、怪しいって分かってたって事じゃ……。

「なんでその時にそう言ってくれなかったのさ! アンタそれでも……」

 あんな子供が、危険な目に会ってるかもしれないのに。

「よせ、我がスレイブ。カリユガは『えいあい』だ。人間ではない。我の聞き方が悪かったのだ」

 AI? 人工知能? 人間じゃないって?

 僕は話についていけず黙りこくる。

「カリユガ。身長が我より少し高いくらいの一人で行動する男の子を列挙してくれ」

 画面にそれらしい男の子の姿が次々と表示されては切り替わる。僕もその中から必死に探すが目まぐるしく変わっていく画面に目がついていけなくなる。

 あいたた、と僕は目を押さえて一休みするが、エリザは瞬きもせずに凝視しているようだった。

 地域や時間帯、髪型を絞り込んでいく。

『検索できる範囲には、目標は映っていないね』

「映っないって、今までに一度も? そんな事ってあるの?」

『ウェブに繋がっているカメラも録画はアナログだったりする事も珍しくないからね。それにカメラも町中にあるわけじゃない』

「なんだよ。魔術師だなんて偉そうに言っておいて、結局理屈ばっかりじゃないか」

 僕が呟くと目まぐるしく切り替わっていた映像がその動きを止めた。

「交信を切られた。ヘソを曲げてしまったぞ」

 エリザが口をへの字に曲げる。

 どうせ役に立たないんだろ、と僕も仏頂面になる。

「カリユガは機械だの理屈屋だのと言われる事を嫌うのだ。自身を『ええあい』だと言う自覚は持っているが、カリユガは人間に近づきたいのだと思う」

 頭で考えるしかない、とエリザは端末をしまう。

「学校へ行く」

 そこが最も多く玲を見た場所だと言う。それに学校周辺にカメラはあるが敷地内にはない。

 学校に着くと、放課後の部活動も終わる時間帯、校庭にいる生徒もまばらだ。

「防犯カメラの数は限られているとは言え、特徴を伝えて過去の情報からも検索したのだ。それでも全く見つからないというのも妙な話だ。途中で汝がカリユガを怒らせたのだとしてもだ」

 まだ根に持ってるのかな。

「汝はカリユガを怒らせたな?」

 エリザは僕を真っ直ぐに見つめる。

 う……、と一瞬たじろいだがエリザの目に責めるような感じはない。

「カリユガに感情があると思うか?」

 感情?

 SFなんかではコンピューターが感情を持って人間に反抗するなんて話もあるけどね。

 でも人工知能なんて物は人間を真似て作られてるんだから、人工の感情があるんじゃないかな、というような事を答える。

「なら、カリユガに魂はあると思うか?」

 魂!?

「さすがにそれは……ないんじゃないかな」

 少しカリユガに悪い気もするが。

 エリザは校舎に向かう。

「動く人体模型、骨格標本、二宮金治郎像。どれも一介の魔術師ができるような事ではない。なのに起きている事はあまりにも地味だ」

 エリザは顎に手を当てて思案する。

「何より金治郎像はどこへ行った? なぜ出てこない」

「どこかに歩いて行って、そのまま像に戻ってるんじゃない?」

 本を読みながら歩いてるんだもの。そのまま川にでも落ちたんじゃ……。携帯のながら歩きで駅のホームに落ちるみたいに。いや、でもあの像は座ってたんだっけ。

「神か悪魔でもない限りできないような所業。そして姿を見せない金治郎像。ずっと不自然に思っていたが、それが根本的な間違いだったのなら……」

 エリザは二宮金治郎の像が置いてあった台座のもとへと歩いて行く。

「我らは既に動く金治郎像を見ているのだとしたら……」

 見ているって、どういう事? それって……。

「玲は、動き出した金治郎像だって事?」

「存在しない人間と、消えた像。そう考えれば辻褄が合う。しかし誰かが魂と引き換えに命を与えたとは考えにくい。玲は悪魔を倒すのに必死だった」

 悪魔と取引した人間が金治郎像を動かしたのではなく、金治郎像が悪魔と取引したのだ。自らに宿った魂と引き換えに。

 そして玲と名乗って学校に潜んでいた。人体模型や骨格標本はその力の影響を受けたのか、玲の力なのか、とにかくその残りカスに過ぎないんだと言う。

「人形に魂が宿ると言うのは聞いた事はあるが、悪魔と取引したというのを聞いた事はない」

「あれは……、二宮金治郎なの!?」

「正確には像に宿った魂だ。本物の二宮金治郎とは何の繋がりもないだろう」

 だが問題はその期間。通常悪魔と取引した人間が富や栄誉などを望んだ場合、十年くらい後に魂を奪いに来る。

 取引の内容によってはもっと短くなったりもするが、像に宿った魂の値段は人間と同じなのかどうかも分からない。

 予測する事はできないが、契約の際にハッキリ言い渡されているはずだ。玲の焦り方からしてそう遠くないのかもしれないとエリザは言う。

「玲が魂を奪われるとどうなるの?」

「おそらく銅像に戻るだろう」

 なら別に問題ないんじゃないか、という心境が顔に出ていたのかエリザが声を荒げる。

「玲は会を共にした仲間ではないのか? 汝は血も涙もない人体模型か」

 いや、そのたとえおかしいけどね。別にアイツ好きじゃないけど気の毒になるよ。

 だが玲は銀のナイフで悪魔を殺すつもりだ。正しくは取り憑いた人間を。それは絶対に避けなくてはならない。しかも悪魔を殺せはしないんだ。

「羽衣達に『めえる』で知らせておいた。玲は学校内に潜んでいる可能性が高い」

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