第17話 マンドラゴラ

 翌日。

 いつものようにエリザの身の回りの世話をした後、仮住まいとなっているアパートにそのまま案内する。

 一応晩御飯をご馳走してあげたいと伝えているので用意しているはずだ。いきなりだとビックリすると思うので女の子だとも伝えている。

 だけど父は見るなり目を丸くし、母はまあかわいいと手を叩く。

「お宅の愚息の面倒を見させて頂いておる。紫門エリザと申す者だ」

 いきなりかよ。

「本名は、違うんだよね?」

「うむ、我の正式な名はシモン・エリザベートだ」

 外国人だから日本語がまだね……、とさり気なくほのめかす。

 僕も初めは日本語の選択を間違えているだけだと思っていたが、この子は本当に傲慢なんだ。むしろ下手な日本人よりも難しい日本語を知っている。

 ささ入って、と促す母に従い靴を脱ぐ。

「ご両親に贈り物を持って参った」

 と小さな紙包みを母に渡す。まあご丁寧にと母が受け取る。

 エリザは食卓にしているちゃぶ台にちょこんと正座する。黙っていれば確かにかわいいんだけどな。

 母はさっそく盆に載せた夕食を運んできた。

「仮住まいで、ろくな調理器具がなくて……、こんな物でごめんなさいね」

 元の家よりは揃ってるけどね。

 刻んだネギとショウガを乗せた冷奴に、大根の味噌汁にすだちを添えたサンマの塩焼きとご飯。今の環境にしては豪勢な方だ。

 そう言えばエリザってお箸使えるのかな? 学校ではいつもパンとかだったような。

「では、頂きますかな」

 父の声に僕達は手を合わせる。エリザは祈りのように手を組んで目を閉じ、小さく何かを呟いた。

 気取っているわけではなく、本当にいつもの習慣なんだろう。

 エリザは丁寧な動作で箸を取り、豆腐の器を手に取ると、一口大に削って口に運ぶ。

 豆腐には始めから醤油がかけてある。うちには自由に使っていい調味料はない。

「うちは薄味派でね。好みに合うといいんだが……」

 父がいかにも健康の為、みたいな口調で言うが、それは本当だ。家計が厳しいのも事実だけど、父も元々アスリートだし、母も体が強い方ではない。だからいつも塩分控えめ。

 エリザは音も立てずに味噌汁を啜る。

「まことに、美味である」

 少し口の端を上げて言う。

「それに、和の食事というのは色鮮やかで美しいな。油っぽさが無く清涼感に溢れておる。体の内から洗われるようだ」

 和食は初めてなのかな。その割には食べ方にも迷いがない。

 エリザは丁寧にサンマの身をほぐす。

 母の料理は予算が少ない分、見た目には力を入れているようで、食卓に映えるのは本当だ。

 それを優雅な手つきで解き崩していく光景は、そこだけ違う空間のようだ。

「それで、二人は学校でも仲がいいの?」

 母は何気ない話題のように聞く。だけどその問いの真意が「二人はどこまで進んでいるの?」だというのは僕にも分かる。

「一糸纏わぬ姿で同じ布に包まれる仲だ」

「わー!!」

 両手を高く上げ、不思議な踊りを踊る。

「日本語って難しいよね! ホント」

 何をどう間違ったらそうなるのかは分からないが、とりあえずそう叫ぶ。

「うむ、我は日本には不慣れ故、無礼もあるかと思う」

 エリザは完全に半身になったサンマに、すだちを絞り、骨に添って少しずつ振り掛ける。

 そして骨と身の間に箸を滑り込ませると見事なほどキレイに分離した。

 日本に不慣れと言うのにあまり説得力がない。

「日本じゃ、人んちの息子つかまえて愚息って言わないんだよ」

「何を言う。汝は既に我のモノではないか」

「お、お前達……、もうそんな仲に?」

 父が箸を持つ手を震わせる。

「うむ、我らの仲を裂く事が出来るのは死だけだ」

「そ、それは……死が二人を分かつまで、というやつか? 結婚の誓いか? 婚約したって事か?」

「ちちちち違うよ! ごっこだよ! ごっこ」

 どんな遊びなのかは僕にも分からないが、そんな風習の国もきっとある。

 その後の何気ない会話からも、外国暮らしが長い、結構なお金持ちのお嬢さんである事を察したようで、

「しかし、なんだ。本当にいいのか? キミみたいないい子が、ウチの息子なんぞと。その、なんだ……将来は、こうなるかもしれんぞ?」

 と言って頭を撫で回す。何を言ってるんだこのオヤジは。

 もっとも別な理由で早くもそうなるかもしれないけどね、と僕もむしられた後を撫でる。

「ハゲの事か? 古来西洋では頭髪が抜けるのは誰かに恨みを買い、黒魔術によって呪いをかけられているのだと考えられていた」

 う、恨み!? と父は少し狼狽したが、

「む、まあそうだね。仕事の立場上、恨まれる事が多いのかな」

「古来からハゲ程度の報復は儀式などを経る事もなく、念じるだけでハゲたと言われていた。恨みを買う相手が多ければ多いほど、その効果も顕著に表れたのだ」

 父は見るからに落ち込んだ様子で項垂れる。よくもまあ気にしているであろう事をズケズケと。

「そうだねえ。幸せになるには、まずは己の素行から考え直さなくてはならないのかな」

「何を言われる。今も昔も恨みなどは妬みである事がほとんどだったのだ。真の悪者は恨みすら買わぬ。努力もせず人の成功を妬む者ほど数が多いのだ。まだ世を知らぬ若者は、先達の導きも苦言としか受け取る術を身に着けておらぬもの。それこそ我が身を前線に立てて組織に貢献している証。あなたは立派な人物だ」

 その凄さが如何なるものかは姿が語っていると続けるエリザに、父は少し呆けていたが、やがて込み上げてきたものを拭う。

「息子の事をよろしく頼みます」

「うむ、まだまだ粗忽で浅はかで、この世の真理には程遠い思考水準だが、我の支援には欠かせぬ存在故、最後の血の一滴まで残さず使い尽くすと約束しよう」

 多分大事にすると言っているんだよね。

 それに本人の意思を無視して勝手に盛り上がらないでほしい。

 その後も高説を続けるエリザを、もう嫁にしたかのように扱う。

 要約すればただのお世辞に過ぎない言葉も、エリザの不遜な物言いが返って嫌味を感じさせなくしているようだ。

 エリザは完全に骨だけになったサンマを箸で器用に三つに折って畳む。

「キレイに食べるのねぇ」

「盛り付けが美しいので、自然とこうなっただけだ」

 エリザは手を組み、食材となった生き物達に感謝の言葉を述べる。僕達も自然にそれに倣った。

「母上も我が血統に次いで美しいな」

「まあ、お上手ね」

 自分より下だって言ってるけどね。

「そのお守りを身に着けておけば、更に磨きがかかろう。我も持っておる」

 エリザは胸の間に挟んでいたお守りを引っ張り出す。

「お土産の? お守りなのね」

 母は包みを確認する。

「お守りって、あの? マ、マ……」

「マンドラゴラだ」

「そう、それ。そんな簡単に買える物なの?」

「マンドラゴラとは絞首台の下に生える根が人間の体をした魔の植物。引き抜くと悲鳴を上げ、それを聞いた者は死に至るという伝説がある」

 それは僕も聞いた事がある。

「伝承では呪いの道具として扱われる事が多いが、持つ物に幸福をもたらす呪法具としても知られている。太古から媚薬、ホレ薬としても重宝されたものだ」

 もしかして怪しげな趣味を持っているのか? とやや訝し気な空気が流れる。

「伝承で語られる効果はあまり認知されていないが、薬効としてのマンドラゴラは中世では普遍的なものだったのだ。朝鮮人参などはその亜種で、その効果は一般にも広く知れ渡っているのでご存じであろう。それも観賞用の朝鮮人参に類するものだ。かなり希少な物なので愚息の代価としては」

 十分にお釣りが出るであろう、という言葉は咳払いをかぶせて掻き消した。

「なのでそれは食用ではありませぬぞ。念の為」

 その効果から美容のお守りとして販売されているもので、実際成分は外に漏れだしているから科学的根拠にも基づいている。

 効果は見ての通りだと言うエリザに両親は声を上げて笑う。

 教養のあるユーモアだと思ったのか、初めの頃の硬い雰囲気は崩れ去り、両親も気さくな感じで食後のお茶を飲みながら団らんする。

 食事を終えたエリザは礼儀正しく挨拶し、僕はその辺まで送っていくと一緒に外へ出た。

「少し遅くなっちゃったけど、家は大丈夫なの?」

 エリザの事だ。女友達と遊ぶなどとは言わず、男の家へ行くと普通に言ってそうだ。

「我の母は外国暮らしだからな。屋敷には我一人だ」

 そう言えばメイドも執事もいないんだよね。普段ご飯はどうしてるんだろう。外食なのかな。

「食事のマナーは小さい時に躾けられたがな。普段食しておるのは『はんばーがー』だ」

 そうなの!?

「お金はあるんでしょ? 出前とかとらないの?」

「あまり食に興味がないのでな。今までは『ちーずばーがー』よりも美味なるものは存在しないと思っておった」

 まあ、確かに美味しいけどね。

「本当に……、美味であった」

 エリザは遠い目をして微笑むが、その目は少し寂しそうだ。

「そ、そう? そりゃよかった」

 いわゆる家庭料理というものに馴染みがないのだろう。

「また……食べにくればいいんじゃない? キミさえよければ」

 両親も喜ぶだろう。また勘違いするかもしれないが、恵まれすぎていると思っていたエリザが少し気の毒になったのでそんな事を言ってみる。

 だけどまた「そんな事当たり前だ。汝の物は我の物だ」なんて返すんだろうな……。

 しかしエリザは、微かに微笑んで「そうだな」と言っただけだった。

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