第15話 ミサリサ

 翌日の放課後。

 いつものようにエリザを屋敷まで送ってきたのだけれど、エリザは門の前で立ち止まった。

 まるで不穏な空気でも感じ取ったかのように屋敷を見上げている。

「あの……、どうかした?」

 恐る恐る聞いてみるがエリザはいつもの調子に戻り、

「いや、何でもない。恐らく気のせいだ」

 と屋敷の門をくぐる。

 長い廊下を歩いてエリザの部屋の扉を開くと、窓際に人がいるのが見えた。

 家の人かな? とかしこまる用意をすると、その人はくるっと振り向き、

「おかえりなさーい。エリザベートちゃ~ん!」

 と明るい声を上げた。

 若い、とは言え大人にしては若いという意味だが、その女性は小走りにエリザに走り寄る。

 だけど僕はその恰好を見て完全に固まってしまった。

 黒い角に黒い翼、そして黒い尻尾をお尻につけた、文字通り悪魔のコスプレをした女性。

 そして服らしい服を着ていない。隠す処をやっと隠したような黒い毛の生えた下着同然の衣服に、同じく黒いモフモフの腕輪をしている。

 僕は部屋に入りかけたままの姿で文字通り石化。

 女性はエリザにハグをしかけるように走り寄るが、やや手前で足を止める。

 エリザは女性を僕と同じように固まって見ていたが、そんな人はいないかのようにサプリのある棚へと歩いて行った。

 女性は「もう、この子ったら」と苦笑いしていたが、僕に気がついたように向き直る。

「あなたがエリザベートのスレイブね。初めまして、私がエリザベートの母、ミサリサです」

 はあ……、と生返事をした後でその意味を理解し、「はあ!?」と同じ言葉を異なるイントネーションで繰り返す。

 え!? いや、あの、その……、とエリザとミサリサを交互に指さしてしまう。

 エリザのお母さんって事は、師匠か何かじゃないの? 魔術の先生じゃないの? それが、こんなんでいいの?

 と様々な思いが一度に押し寄せ、どこから聞いていいのか分からずにパニックを起こす。

 エリザはそんな僕の様子にかまわず、口の端を上げると「カリユガが教えたのか……」と忌々し気に呟く。

 ミサリサはそんなエリザを見て僕に耳を寄せ、「エリザベートって照屋さんでしょ」というような事を囁く。

 心持ち引いてしまう僕の様子に気がついたように、

「? ああ、これ?」

 と自分の格好を指さす。

 いや、聞いてないです。いや、すごく聞きたかったけど。ここは聞いてしまったら色々ヤバいような気がしたんで、敢えて触れないようにしていたんです。

「もちろん、エリザベートの修行のためよ。魔術師って悪魔と対等に渡り合えてこそ一人前なの。だから私は自ら悪魔になりきって、その何たるかを教えてあげているのよ」

 と極めて真剣な顔で言われ、乾いた笑いを返すしかない。

「本名がエリザベートっていうのは本当だったんですね」

 僕はあまり関係のない事を言ってしまう。

 ミサリサは僕の耳に息がかかるほどに近づき声を落とす。

「悪魔に本当の名前を知られてしまったら大変だからね。エリザベートというのは表向きの名前よ」

 ひそひそ言う必要あるのかな? と思うも抵抗できずにいると、ミサリサは僕の顔を手で覆うようにして真っ直ぐに目を見つめてくる。目が赤いのはカラーコンタクトかな?

「本当の名前知りたい?」

 いや、別に……。

「魔術師の本当の名を知れば意のままにする事ができるのよ。あんな事やこんな事も自由にできる。どう? あなたの魂をくれるなら、代わりにあの子の名前を教えてあげる」

 鼻と鼻がくっつきそうになるほどに近づいて囁きかけていたミサリサだが、突然「アチーッ!」と悲鳴を上げて僕に抱き着いた。

 エアバッグほどの巨大なクッションで鼻と口を塞がれ、ジタバタともがきながらやっぱり親子だと実感する。

 ミサリサはエリザに向かって僕を人質のように盾にする。

「なにすんじゃ、このガキーッ!」

「ああ、すまぬ。手が滑った」

 エリザの手にはガラス製の瓶とコップ。体勢からすると、コップに注いだ水をこっちに向かってぶちまけたようだった。

「とこんな感じに、悪魔の取り憑いた人間は聖水で火傷するのを身をもって教えてあげてるの。もちろん演技よ演技」

 と僕の首に腕を回し、涙目になりながら言う。

 あの……、体から白い煙出てるのも演技ですか?

「それで、何用ですか母上。手が離せぬから国を出られないと聞いていたのですが」

 エリザはいつものようにサプリの調合を始める。

「そりゃ、もうエリザベートにさっそくスレイブが出来たっていうんだもの。そっちをほっぽってでも拝ませてもらわなきゃね」

 その恰好で拝むという言葉を使うのはどうか、みたいな事をエリザは呟くが、ミサリサは聞いていないようで、僕の腕や腰をパンパンと叩く。

「うん。健康状態もよし。鍛え方はまだまだだけど、これから頑張ってもらえばいいわ」

 と勝手に納得していた。

 ミサリサは僕の両肩に手を置き、一呼吸置くように顔を伏せる。

 そしてゆっくりと顔を上げて僕の目を見た。

「予言では、エリザベートに試練が待ち受けていると告げられているの。彼女の事、しっかり守ってあげてね」

 その目はさっきと同じように真剣で、でも少し違っていて。何が違うというのはうまく言えないんだけど、どこか愁いを帯びていると言うか。

 しかしミサリサはすぐに手を放し、元の明るい調子に戻る。

「では、母はこれにてドロンさせてもらうので、後はしっかりやりなさい。紫門家の名に恥じぬよう、立派に試練を乗り越えるのよ」

 ドロンって……。それにその恰好で言われても。

 ミサリサは洋服掛けに掛けてあるコートを羽織ると、頭についている角を取り外してポケットに仕舞う。

 やっぱりあれは外れるんだ。

 扉を開けて出ようとした所で、思い出したように向き直る。

「あ、スレイブと魔術師は結婚できるからね」

 エリザがすかさず聖水の瓶に手を伸ばすと、ミサリサは逃げるように出て行った。

 部屋には静けさが戻り、僕も安堵の息をつく。

「あれ……、あの、その」

「実の母だ」

 聞こうと思っていた事を察したようにエリザが答える。やっぱり本物なんだ。ずいぶん若いようにも見えたから、もしかして義理の、とか思ったんだけど。

「正しくは母に取り憑いている悪魔だがな」

 エリザはため息をつく。

 母ミサリサは、まだエリザが幼い頃に命を落としそうになった。だけどエリザのその後を案じたミサリサは悪魔と契約し、その後の成長を見届けさせようとしたと言う。

 悪魔である事を隠すため、悪魔の恰好をして、悪魔のふりをしている事にしてエリザを育て、教育した。

 もちろんミサリサ自身はその事を明かした事はない。エリザが自分で知った事だ。

 幼かった頃は信じても、成長するにつれ薄々思うようになり、今となってはどんなアホでも分かると毒づいた。

 ミサリサは死んだわけではないので、たまにその存在を垣間見せるし、実際エリザを育てて魔術の何たるかを手ほどきしてくれたのもあのミサリサなんだ。

 だから感謝はしている、と無表情に語るエリザの心境は、とても僕に計り知れるものではなかった。

 母であり師でもあるミサリサを失望させるような事はあってはならない、とエリザは語るけれど……。

 その心の内は、あの母親に「それ見た事か」と言われる事だけは絶対に避けたいんだろうなというのは、鈍い僕にも察する事ができた。

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