第8話 ストレス迷彩
エリザの屋敷の門をくぐりながら、先ほど彼女が言っていた言葉を思い出す。
これは恩返しなのだと。
その時はよく分からなかったけど、歩きながら考えるうちになんか分かってきた気がする。
僕も初めは学校が始まった時、孤立するかもしれない事を心配していたんだ。
エリザだって同じだ。魔術だマジナイだと言っても絶対じゃない。クラスの皆だって抵抗する事もできれば逃げる事だってできるんだ。
でもそうなってはいない。それは少なからず彼らの善意や思いやりが含まれているからなんだろう。
エリザはその善意に報いるのは当然だと言っているのだ。
魔術を使って、その結果を当然のものと受け取るだけに留めていない所は、なんかちゃんとしているというか、僕も彼女を見くびっていた所があるようだ。
「相手は隣の学校に通っていると言うぞ。これに乗って行く」
とエリザは物置のような所から掃除機のような機械を取り出す。
「ていうか掃除機じゃないの? これ」
「何を言う。これは魔術師の中では普遍的な移動魔術の一種。科学と魔術を融合させた魔道具だ」
大きな車輪のついた丸っこい形に平べったい取っ手が伸びた、掃除機を仕舞っておく時に立てる形そのまんまなんだけど……。強いて言えばかなり大きめかな。
「まあ、この吸気口は結構な量の空気を吸い込むし、不純物はろ過されるから、言われてみれば掃除に使えない事もない。今度試してみようか」
「で、これに乗って飛ぶの?」
「飛ぶのは無駄に危険も多い。これは地面を走るのだ。だが我では身長が足りなくてな。そこで汝の出番なのだ」
エリザは取っ手を持って機械を倒す。変形するように倒れた機械は、やはり掃除機の前に吸い込み口をくっつけただけのように見える。変形した形は、言われてみればスクーターに見えなくもない。
エリザが後部についているコードを引っ張り出し、勢いよく引くとブルルンという音と共に掃除機が唸りを上げた。
「電源コードだよね? それ」
「ん? そうだ。充電線も兼ねているぞ。初めて見たくせによく分かったな」
そりゃ……ね。
「バイソンV8始動!」
ますます掃除機っぽい。だけど八つのスクリューが勢いよく回転する様は確かにV8エンジンに見える。静音でパワフルな振動が離れていても伝わってきた。
エリザは掃除機の上に立ってこちらを手招きする。僕も乗れって事ね。確かにエリザの身長ではハンドルが邪魔で前が見えない。
僕は立ち乗りスクーターのように足を乗せ、取っ手というかハンドルを握る。エリザは僕の前に立ち、ちょうど子供を乗せているような形になった。
どうやるんだろう? 乗った事ないけどスクーターと一緒かな? とハンドルグリップを回してみる。
すうっ、と掃除機の車輪が回転し、僕達はスライドするように前に進んだ。
「わあっ!」
電動ボードくらいかと思ったら結構速い。振り落とされるんじゃないか? と思ったがすごい安定感だ。慣性は感じるけど落ちるほどじゃない。魔術が使われているというのは本当か、それとも単に高い科学技術で作られた物なのか?
色々な思いが頭を駆け巡ったが、僕は気分を高揚させてハンドルを操作した。
「この道を真っ直ぐ、後はナビに従え」
と言って端末を見せられる。よく考えたらエリザとほとんど密着状態なんだ。小さいとはいえ僕の顔の前にエリザの頭のてっぺんがある。髪から漂う膏の香りに少しくらくらする。
「け、警察に見つかったらヤバいんじゃない?」
僕は気を紛らすように言った。
「問題ない。奴らではこれが自走する機械だと証明できないしな。なによりこれはどの乗り物よりも安全だ」
そして目的地の学校が見える。まだ時間が早いから部活動や何やらで賑わっている。目的の彼氏もまだ野球部で練習中のはずだ。
僕達は少し離れた裏の林に掃除機を隠す。
「では潜入の準備だ」
「他校の生徒は入れないよ?」
「それはこれを使う」
エリザは軟膏を取り出す。それを塗るの? と思っているそばから服を脱ぎ始めた。
「ちょちょちょっと!」
こんな所で……確かに人気はないけど。慌てる僕を余所にエリザはいつものように軟膏を塗り始めた。いつもの軟膏とは違う。なんというか、ちょっと嫌な匂いがする。
「人は無意識にストレスから目を逸らして生きておる」
要は軟膏が発する匂いを嗅いだ者の神経が麻痺して、強いストレス……つまりあまりに信じられないものは無かった事にさせる毒。幻術の一種だと言う。それなら少し信じられる、のか?
「いや、やっぱり心配だよ。僕も一緒に行くよ」
「構わぬぞ。早く服を脱いでこれを塗れ」
「ええ!?」
僕も!?
「当然であろう。そのまま入れるなら始めから苦労はない」
軟膏の匂いに効果があるのではなく、塗る事によって肌から発せらる匂いに効果がある。なので服を着ていては効果が半減すると言う。
僕は迷ったが、エリザを裸で一人行かせる事を思えば一緒にいた方が安心だ。最悪僕が裸を一般公開した所で一生の笑い者になるだけだ。だけどエリザはそうもいかない。万一の時は僕が囮になってでもエリザを無事に逃がさないと。
僕は服を脱ぎ、大急ぎで軟膏を塗りたくる。嫌な匂いが鼻を衝いたが気にしている余裕はない。
この幻惑魔術は現在の法にはかからないものの、公になれば規制対象にされ他の魔術師にも迷惑がかかる。めったに使わない秘伝中の秘伝だから、くれぐれも他言無用だと念を押される。
「この秘術はストレス迷彩と呼んでいる」
なんだよそれ。
恐る恐るエリザの後をついて歩く。ていうか、普通に裸で外歩いてるだけだよね? これ。
「ホントに大丈夫なのかな? だって、僕エリザの事が見えてるよ?」
「んん? こんな時に我の体をジロジロ見ているのか?」
「いや、そうじゃなくて。いや、そうだけど。いや、そういう事じゃなくて。ホントに見えないの? これ」
「汝は我の匂いをよく嗅いでいるからな。多少抵抗力がついておる。それに我の体も見慣れているであろう」
変な言い方しないでよ。
エリザの普段から塗っている軟膏に抵抗力があるという事か。魔術師は自分の使う術にやられないよう、普段から備えているんだと言う。
門に近づき、心臓が早鐘を打つが、誰も僕達に気づく事無く中に入る事が出来た。
「ホントに見つからない」
エリザは「当然だ。これで見つかったらタダのアホだ」というような事を呟き、ゆっくりと足を進める。
「軟膏の効果は匂いだ。広い場所では効果が薄れるが、閉鎖された空間ではその効果も倍増だ」
とエリザはさっさと校舎に入った。
足の裏が真っ黒になりそうだ、とひたすら足元を見て歩く。ここは共学だがやたらと女子が多い。デザイン系の学校なのかな?
そんな廊下を裸で歩くなど、マトモな神経でできる事ではない。
女子達の顔を見ないようできるだけ下を向いて歩くが、聞いた事のある声に思わず顔を上げた。
向こうからやってくる数人の中に懐かしい顔を見つける。
まだ幼い頃、カラテの道場で知り合った。人を殴るのではなく、型を演じる事が好きな事で気が合った。彼女はすぐに辞めてしまったけど、同じ学校だった事もあって、その後もよく一緒に遊んだ。
同じ中学に行けて喜んで、少しずつ女の子として意識してきている自分に気が付いて、思い切って告白してみた。
そしてあえなく玉砕。以降友達として接する事もできず、そのまま一度も話す事無く卒業したんだ。この学校に入学していたとは知らなかった。
振られた直後は落ち込んだけど、こんなかわいい子がある意味当然かな……とすぐに吹っ切ったんだ。なので中学生活後半はほとんど忘れていた。
そんな桃華が今、僕の前にいる。よく一緒にお風呂にだって入ったんだ。彼女の前でなら裸でも……、ってやっぱり恥ずかしいよ、無理だよ、と壁の方を向く。
「どうしたのだ?」
僕の様子に気づいたエリザが立ち止まって声をかける。
「いや、知り合いがいたものだから」
エリザはふむ、と去っていく一団を首を伸ばして見る。
「幼馴染か何かか? しばらく見ないうちにかわいくなってて驚いたか。告白して振られた相手なのか?」
また顔に出ているのか? と表情を硬くして顔を撫で回す。
「なんならマジナイで、あの子の気を引いてやらんでもないぞ」
結構だ。
「我が汝の為に一肌脱いでやろうと言うのに」
もう脱ぐ物ないだろ。
曲がりなりにも幼馴染にそんな真似ができるか。僕だって男だぞ。振られたからといって魔術に頼るほど落ちぶれてはいない。
僕は怒ったようにエリザを追い越して先に進む。
「この教室だ。目標の席があるのは」
エリザの指す扉をさっさと開ける。早く終わらせて帰ろう。桃華の事は早く忘れたい。
数歩教室内に足を踏み入れた所で中の様子がおかしい事に気が付く。
教室内には女子しかいない。そして彼女達は服を着ていない。正確には下着姿だ。
部室不足で、この教室を着替えに利用しているようだ。体操服に着替えながら、その下着をどこで買ったのかだの、誰に見せるつもりだなど話している。スポーツブラに換えるつもりなのかブラを外している者もいた。
僕は足を震わせながらその場に立ち尽くす。
手を目の上にかざして対象の席を探していたエリザが呟く。
「恥ずかしいのなら外で待っていればいいだろうに。汝は俗に言うムッツリスケベと言うやつなのだな」
それは否定できない。
慌てて飛び出すのもそれはそれで間抜けっぽくて恥ずかしい。どうせ見えないんだから落ち着いてゆっくりでる方がいいのか? などと考えているうちに完全に機を見失ってしまった。
熱くなる体に呼応するように全身から汗が吹き出す。
半裸の女子の中にいるエリザは違和感がないが、僕は完全に変質者だ。
さっさと教室を出ればいい。それはそうなんだけど……、とある事情で下半身が動かないんだ。動けないんだ。
「ねえ、あそこ。なんかおかしくない?」
え? なになに? と回りではしゃいでいた女子達も静まる。
「なんか……いる?」
一人が僕の方を指差し、周りの女子も一斉に目を凝らす。
「ホントだ。何か変」
恐る恐るという感じで半裸の女子達がこちらへ近づいてきた。
その光景に恐ろしいものを感じて後ずさる。一気に汗が冷えた気がした。
……汗?
「おい」
横からエリザの声がしてはっとする。
「軟膏が落ちておるぞ」
え? と僕が状況を理解するよりも早く教室内に悲鳴が響き渡った。
「見つかった。逃げるぞ」
エリザに手を引かれ、訳も分からずに走る。
すれ違う生徒からも悲鳴が上がり、たちまち学校内は混乱に包まれた。
どこをどう逃げたのかは思い出せないが、気が付くと僕達は薄暗い部屋にいた。
使われていない部屋だろうか。教室の半分くらいの大きさで埃っぽく、ホワイトボードや棚などが置いてある。物置か。
外ではなんだなんだと騒ぎが大きくなっている。
「全く。おかげで我の軟膏まで落ちてしまったぞ。ここから出られなくなったではないか」
面目ない。僕の手を引いて走った為にエリザも汗を掻いたのか。裸で手を繋いで校内を走る僕達の姿を学校中に見られたのだろうか。
「完全に落ちる前に逃げ切ったから、おぼろげな印象しか残っていないであろう」
僕の不安を見透かしたようにエリザが言う。
「だがこの後見つかったらおしまいだ」
エリザは薄汚れたカーテンを剥がし、羽織りながら僕にも入れと促す。
いや、それはさすがに……と尻込みしているとガタガタと周辺の部屋の扉が開く音がする。
「いた?」
「何も」
「どこへ行ったの?」
「警察へは?」
わたわたと声がする。
「その部屋は?」
「私が調べる」
この部屋かな? 確かに迷っている場合でもなさそうだ。
僕はエリザの纏うカーテンに入れてもらう。肌が触れ合わないように気を配った。
犯罪に巻き込まれた被害者みたいに振る舞うか、などと考えていると目の前の扉がガラッと開く。
だけど開いた扉の向こうにいたのは……、桃華?
桃華はこちらを見据えたまま微動だにしない。
暫くそのままの形でお互い固まっていたが、
「ねえ。何かいた?」
と声がかかり、桃華は我に返る。
「う、ううん。何も!」
桃華はそう答え、一応中も調べると言って部屋に入ってくる。
僕は何のリアクションも取れずに棒立ちだ。
桃華の視線は隣にいるエリザに移る。
エリザはその視線に気づくと僕と桃華を交互に見比べ、突然顔を覆って泣き崩れるようにしゃがみ込んだ。
お前ー! 何やってんだあ!
ハラリとカーテンが落ち、慌てて拾い上げる。自分の体を隠し、余った部分でエリザを覆う。
「後で説明する! 今は何も聞かずに」
精一杯切羽詰まった顔を作って言った。
「服を貸して!」
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