第2話 マリウス
放課後、わいわいと賑わう校舎の中を散策を兼ねて少しうろつく。
まだ掃除や雑談、部活動の模索など下校するには早い時間だ。
校舎は三階建てで校庭とは別にテニス、バレーコートもある。建物自体は戦前から建っており、改築や増築はされているものの、まだかなり古い部分も残っている。
名前も何度か変わっているし、初めは小学校として建てられたものだと校長先生が挨拶で言ってたっけ。
理科準備室や音楽室、用具室などはこれから用があるかもしれないので、今のうちに場所を確認しておこうと階を上ってみた。
上級生のクラスの前を通る事もあるのだけれど、どうも僕の噂をしているらしい話が耳に入ってくる。ツブヤキで新入生が上級生を叩きのめした話がさっそく広まっているようだ。
僕の通っていた道場の名前が出て、思わず道に迷ったフリで足を止め、ひそひそ話に聞き耳を立てる。
ソイツの事知ってるんだけど、前から粗暴な奴でいつか何かやると思ってたんだ……ってお前誰だよ。会った事もないよこんな奴。
でもこんなもの、あの三人に何も起きてない事が知れたらすぐ消えそうなもんだ。
いくらわざわざ事実確認なんてしないと言ったって、こんな死亡説まで流されちゃ、三人が黙ってないだろうに。
しかしあの三人が今日休んでいるのは本当らしい。
もっともあまり真面目な生徒である印象はなかったから、休むのなんて大して珍しくないのかもしれない。偶然という事もあり得る。
まあ噂なんて元々いい加減なものなんだし、三人が登校してくればすぐに消えるんだろう。
今日はこのくらいにしておくか、と校庭に出て改めて校舎を見上げる。
校舎の前には花壇があり、結構大きめの草木が校庭との間に壁を作るように伸びている。中でも取り分け目立つのが、校舎を超えんばかりに真っ直ぐに伸びた一本の樹だ。
メタセコイアという種類らしいが、極太の丸太をそのまま突き刺しただけのような幹に優しげに広げた枝葉は、学校全体を見守っているかのような
その樹の前に銅像が建てられている。校長先生かな? と思ったら二宮金治郎の像だった。
メタセコイアの前で、荷物を降ろし、丸太に腰掛けて本を読んでいる。
これはまだ新しいもので、元々置かれていた物と入れ替えたような事が台座に書かれている。
元々は薪を運びながら勉強をしていた二宮金治郎を、勤勉の見本として称えたものだと聞いている。
だけど今時のながら歩きを助長するのではないかとの心配から、座っている姿の物も作られたんだ。
噂と同じで、都合のいい解釈だけが独り歩きするこのご時世。分からないでもないけれど、正直僕らやその下の世代が今と昔の風習の違いが分からない訳はない。突っ込めるから突っ込むだけで、それを時代の違いだときちんと説明できない大人の方にこそ問題があるのだと、個人的には思う。
「この二宮金治郎を見て、スレイブとして働く意思を固めておるのだな。感心したぞ」
振り向くとエリザが帰り支度を済ませて立っていた。
「前から思ってたんだけどスレイブってどういう意味?」
「スレイブはスレイブだ。スレイブがスレイブの意味を知ってどうするのだ?」
そうですか。別にどうでもいいけどね。
「では参るぞ」
と言って
そりゃかわいい女の子と一緒に下校するのが憧れの一つではあったけれど、ちょっとイメージと違うというか。
でも彼女の事だ。また変なのに絡まれでもしたら大変だ、と渋々ついて行く。
「でも、昨日の三人。運よく休んでるみたいでよかったね」
「何を言う。貴奴らは我のマジナイによって休んでおるのだ」
まだそんな事言ってるの? きっとあいつらは無断欠席の常習犯だよ。
「僕の国ではツブヤキでの情報操作は『カガク』って言うんだよ」
「確かに使用しているのは文明の利器だがな。だが情報はただ流せばいいというものではない。そこには正論か否かよりも宗教論的な要素の方が多く作用しているものだ。要は大衆を多く味方につけた者が制す。それが虚偽や幻想が混ざる事で判断を鈍らせているのなら、薬品や催眠を使う魔術と原理は何も変わらない」
よく分からない事ばかり言うな、この子は。怪しげな本で日本語を勉強したんだろうか。
「魔術が奴らのツブヤキと外界を隔絶させておる」
エリザの見せる端末を覗き込むと、あの三人らしきツブヤキが表示された。
自分達が今どういう噂になっているのかなど全く知らないような、呑気なやりとりをしている。
少しさかのぼって見ると、昨日柱の角に足の小指をぶつけて痛いので学校を休んでやった、とある。
これが真相のようだ。
「足を骨折させてやるつもりだったのだが、呪詛の材料に紛い物が混ざっておったようでな。思った効果が出なかった」
昔は手に入れるのも一苦労だった材料も、今はネット販売で簡単に手に入る。そのかわり紛い物も混ざりやすいのが難点だとぼやく。
この子はこれが本当に魔術の結果だと思っているんだろうか……。
でも、三人同時に小指ぶつけるなんて確かに普通じゃない。
何か裏工作したにしてはあまりにもコスい。
気が済んだ、というように揚々と歩くエリザの後を釈然としないながらもついて行った。
「よっ、マリウス。これが昨日話した我のスレイブだ」
エリザが声をかけた塀の上には真っ黒い猫がいる。
細身で短い毛、長い尻尾は極普通の黒猫だけど目が真っ赤だ。赤い目の猫っているんだっけ? しかもただ赤いだけじゃない。昼間なのに、まるで光っているようだ。
その二つの赤い目がじっと僕を見ている。その姿は静止画のように動かない。つられてか僕も動けなくなった。
「マリウスも汝の事が気に入ったようだぞ」
エリザの飼い猫かな? 首輪はしていない。ノラにしては随分と毛並みがいい。
赤い目がすうっと細くなると、僕は背筋が寒くなるのを覚えた。
無意識に背後を見せないように移動する。マリウスと呼ばれた猫は、その間も僕をロックオンするようにピッタリと視線を合わせていた。
十分に離れた所で視線を逸らし、走るようにしてエリザを追いかける。
ふう、と息をつくとエリザは大きな屋敷の前で立ち止まった。
「ここが我の母の家だ」
ここが? エリザの? と屋敷を見渡す。
広い庭に青い瓦の洋館。二階建てでメイドや執事なんかが何人もいそうだ。都会の中では少し異質なくらいだけどまだ新しい。
でも、母の家って……、エリザは住んでいないのかな。
ていうかなんで僕はここまでついてきたんだ? 僕んちは逆方向だし。途中で別れてもよかったんだ。
そう思っているとエリザはすたすたと敷地に入っていく。やっぱり彼女の家なんじゃないか。
じゃあ僕はこれで。また明日、と挨拶して帰ろうとするとエリザは立ち止まり、振り返って言った。
「何をしている。早く入らぬか。我がスレイブ」
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