すみれ組における名前の漢字被りが酷い件について

中村 繚

1時半過ぎはお昼寝の時間です。





 悠翔



 私が保護者に配ったプリントには、名前はひらがなフルネームで書くように記したはずだ。なのに、真新しい自動車柄の春物タオルケットのタグにはこのように持ち主の名前が書かれていた。

 ひらがな、か、フルネームではなく、ひらがなかつフルネームの意味だったのだが保護者には――私の膝の上で眠る、悠翔くんのお母さんにはどう伝わってしまったのだろうか。

 特に誰かに説明する訳ではないが、ここは某地方都市にある某保育園の2歳児クラス。名前はすみれ組。クラスは全部で18人。男の子10人女の子8人を、私を含めた3人の保育士が保育している。

 そして現在はお昼寝の時間。もっと遊びたいとお昼寝を拒否した悠翔くんを捕獲・寝かしつけを行い、ようやく眠ってくれたのだが、彼の肌掛けの名前を見て件の漢字に気付いた。

 困る。ひらがなで書いてくれないと、非常に困る。

 園児が漢字を読めず、自分の持ち物が分からないという理由もあるのだが、一番の理由は私たち保育士が誰のものか判別できないからだ。


 実はこのすみれ組、「悠翔」くんが3人いる。

 それだけではない。このすみれ組、名前の漢字被りが酷いのだ。


 流行り、なのだろうか。同じ漢字が使われた漢字がしょっちゅう名簿に登場し始めたのは、ここ数年だと思う。

 特に、「悠翔」くんたちに見られる「悠」と「翔」の字は顕著だ。前者は男女問わず愛用され、後者は男の子の名付けの大人気漢字だ。

 だが、同じ漢字を使っていてもどれも読み方が違うのが、現場に混乱を招いている。


 彼、やっとお昼寝してくれた私の膝の上にいるは、「悠翔」=はるとくん。

「悠翔」=ゆうとくん

「悠翔」=ゆうせいくん


 いやちょっと待て。「翔」を「と」と読むのは分かる。みんなそう読む、そうやって名付ける。が、何故「翔」が「せい」なんだ?

 私の記憶が確かならば、「翔」は飛翔するとか天翔けるとか、そんな読み方をする漢字だったはず。「と」はまだ分かる。だが、どうすれば「せい」と読む? 出典はどこだ!?

 あれか、「しょう」が「せい」と訛ったのか? 醤油か、さしすせその「せ」か……!

 あ、はるとくんがエプロンを放してくれた。今の内に布団に寝かせよう。

 はるとくんのタオルケットは仕方がない、自動車柄は彼しかいないから間違える事はないだろう。注意しなければ。

「悠翔」くん×3の名前は、未だに混乱する時もある。だけど、保護者の方々は彼らの名前には希望を込めたのだ。

 はるか遠く、広い世界へ飛翔するという意味でたくさん悩んで名付けたに違いない。


 他の子たち、同じ「翔」の字を持つ「陽翔」=ひなとくん。彼は太陽へ、太陽のように明るく飛翔するか。宇宙まで行っちゃうかも、将来は宇宙飛行士かな。

「琉翔」=りゅうとくん。宝石の名前だね、宝石のように輝いて飛翔してね。

「煌翔」…………いや、どこに翔ぶの? どう翔ぶの?


「煌」って何だ、皇帝? 炎の皇帝とかそんな意味? 皇帝になって欲しいのか、皇帝の地位まで全力で翔けろという野心溢れる名前なのか?!

 と、初めてこの漢字を使われた名前を目にした時、恥ずかしくもそう思ってしまったのを未だに忘れられない。中華料理屋の名前で、見た事はある漢字だった。

 けれど、後輩の恵先生が「きらめきって意味ですよ~」と教えてくれた。きらめく、キラキラ……そうか、息子の人生が光溢れるものになるようにと願ったのか。光が溢れる世界へ翔べと、きらとくんと名付けられたのだろう。

 ちなみに、この「煌」の字を持つ児童がすみれ組にはもう2人いる。しかも、どちらも同じ漢字の名前だ。


「煌月」と書いて、こうがくんと読む。きらめく月か、お母さんはセー●ームー●世代だったのかな。私より若いお母さんだったから、きっと観ていただろうな。

 で、もう1人いる「煌月」は……実は女の子である。これできらなちゃんと読む。

「煌」で「きら」、「月」で「な」……??


 彼女の保護者から提出された書類の、名前のふりがなの項目が空欄だったため、一体なんて読むのか数分間考え込んだがきらなちゃんが自分で自己紹介してくれたので無事に名前を把握できた。

 何故、「月」を「な」と読んだのだろうか? きらめく月のように、綺麗な女の子になって欲しいという気持ちは分かるが「な」の出典が知りたい。

 とそこで、またもや後輩の恵先生が教えてくれた。「月」=「ルナ」と読んだのではないだろうか、と。

 ああ、そういう事ね。Lunaね。MoonじゃなくてLunaね! 何語だったっけ?

 妙に納得したが、これを機に少しずつ現代風の名付け方程式が見えて来た。最近は、漢字をその他の言語読みする事もあると。

 時代はグローバル化が進んでいる。私たちの世代では、考えられなかったものがたくさん現れる。子供たちの名付けだってそうだ。

 国際的な現場でも通用する名前が、海外の人でも呼びやすい名前が良いとか。個性的な可愛い・カッコいい名前を付けてあげたいとか、最近のお父さん・お母さんは色々四苦八苦しているようである。

 だけど、その個性が流行りすぎて没個性になっているし、同じ個性が氾濫している。「翔」だけでもこのクラス、6人いるぞ。


 他、男の子は「悠空」=ゆうあくん。

「蒼空」=そらくんがいる。


「空」って、「あ」って読むんだ……あと、冷静に考えたら「悠」も4人いるね

 そして、驚いたのは「そら」で「蒼空」と変換できる事だ。Wordソフトで変換できた。Excelでも変換できた。園児の名前を普通に変換できず、一文字ずつ別々で入力している中でまさかのそらくんだけは「そら」で変換可能だ。

 それだけ、メジャーな名前なのかな。「そら」という名前は。まあ、可愛い名前だよね。男の子でも女の子でも。

 そこで、女の子に話題を移せば、実は女の子も名前ががっつり被っている。「月愛」が3人いる。


「月愛」=るあちゃん。Lunaの「る」に「あい」かな。

「月愛」=きららちゃん。よく分からない。「月」=キラキラで、「愛」=Loveなのかな。

「月愛」=かぐやちゃん。もうどこから突っ込めばいいのか。


 男の子が「翔」なら、女の子は「愛」だ。上記3人の他に、名前に「愛」が入る子は8人中5人いる。


「彩愛」=さらちゃん。彩りを愛するか、お絵かき大好きだもんね。

「蒼愛」=あおいちゃん。名前に反して、本人はオレンジが好きである。

 他の女の子2人は、「琉空」=るあちゃん。ゆうあくんを呼ぶと、時々とお返事してしまう。

「陽彩」=ひさちゃん。実は、私の祖母と同じ読み方の名前で親近感を覚えた。


 このように、みんな「愛」が入っている。愛されていると受け止めよう。みんな、親の愛情が籠められるんだ。

 男の子が、

「悠翔」×3

「陽翔」

「琉翔」

「煌翔」

「煌月」

「悠空」

「蒼空」


 女の子が、

「月愛」×3

「彩愛」

「蒼愛」

「琉空」

「煌月」

「陽彩」


 おわかりいただけただろうか。まるで示し合わせたかのように、漢字が被っているのを。


 試しに数えてみたら、すみれ組の名前名簿は漢字が十種類しかなかった。ゲシュタルト崩壊待ったなしである。しかもすみれ組だけでこうなのだから、全児童が100名を超えるうちの園では、もっと被っている子がたくさんいる。「翔」だけでも、数えたら20人はいるのではないだろうか。

 これが、イマドキ……だが、流行というものはどこの時代でもそうかわらない。今も昔もどっこいどっこいではないだろうか。


 申し遅れたが、私の名前は「真由美」である。そのまま「まゆみ」と読む。Wordで変換しても大抵一発で変換できる。スペースキーは多くて二回しか叩かない。

 そのためか、ありふれた名前扱いされているがよく考えて欲しい、何故ありふれているかを……私たちの世代に、「まゆみ」が流行ったからだ。

「まゆみ」だけではない、色々な、当時は真新しい名前が流行り・被り・クラスで同じ名前が2、3人はいた。同級生に、同じ「真由美」もいれば「真弓」も「麻由美」もいた。

「ゆうすけ」も多かった。同じ呼び方でも、こちらは漢字のバリエーションが多く「祐介」とか「雄輔」とか「佑亮」とか、一見すると全然違う名前に見えるのに響きが同じなのだ。男の子の名前は、こんな風に漢字で差別化できていたと思う。

 今の時代、「翔」や「愛」や「煌」が流行っているように、私たちが産まれた頃……この子たちの祖父母世代でも、名付けの流行があったのだ。

 あと、「ゆうき」とかも多かったな。「めぐみ」も、同じクラスに3人いた時があったって恵先生が言っていた。あと、「たくや」も多かった。

 専門学校時代の友人・智子なんか、三連続で「たくや」という彼氏を付き合ったためにあだ名が「ロンバケ」だった……10年近く会っていないけれど、元気かな?


 ……あ、そうだ。すっかり失念していた。

 すみれ組における名前の漢字被りは酷いが、ただ1人だけ、誰とも漢字も名前も被っていない子がいたのだ。

 18人の内の17人が昨年度の1歳児クラスからの持ち上がりの中で、今年度から入園して来た男の子だけ、すみれ組の中では異彩を放っていた。

 保育士歴20ン年の私でも、初めて見る名前……とても個性的で、元気な子。きっと、強くたくましく育って欲しいというお母さんからの願いが込められたに違いない。








「真由美先生。佐藤獅子王れおくんのお母さんから、お電話がありました。今日のお迎えは、おばあちゃんがいらっしゃるそうです」




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