フライパンでお手軽サーモンの炙り
お刺身を食べる文化は、王都ドラヘルンの辺りには存在しない。出身も人種も混合の《
勿論、生魚を食べなくても問題はない。火を入れた魚ならば、他の仲間達も美味しく食べてくれる。それは解っているのだ。
解っちゃいるが、それはそれとして、皆で美味しく食べてみたい!という気持ちは悠利にあった。何でそんな気持ちを持つんだとか言わないでください。美味しいという気持ちを共有したいだけなんです。
「というわけなので、今日のお昼はサーモンを炙り焼きにします」
「唐突だな……」
「だって、炙り焼きなら生が苦手な人も食べられるかなーって思ったから」
「炙り焼きってどんなの?」
首を傾げるカミールに、悠利は何をたとえに出せばいいのだろうと記憶を探る。一番イメージが近いのはカツオのたたきなのだが、そもそもカツオのたたきを食べたことがないカミールに、その説明では通じない。
えっと、ええーっと、と記憶を探って悠利ははたと気づく。肉と魚の違いはあれど、似たような料理を作ったことがあることを思い出したのだ。
「前にドラゴネットの肉でたたきを作ったでしょ?あれをサーモンでやる感じ」
「あぁ、あの、表面だけ火が通ってて、中は生っぽいやつ」
「そうそう。生で食べられるお魚だから、表面に焼き目をつけて、中は生の状態を楽しむっていう料理」
「へえ」
どういう料理か想像がついたのだろう。カミールはしばらく考え、考え、そして、答えた。
「気持ちしっかりめに焼いているなら食えるんじゃね?」
「そこまで用心しなくても」
「いやだって、生魚を食べるっていう習慣がそもそもねえんだもん」
「美味しいのにぃ……」
慣れていないのでちょっと抵抗があるのだろう。カミールの言葉に、悠利はしょぼんとした。
鮮度の問題はクリアしている。寄生虫などの害になるようなものがないことは、悠利の超無敵な
とりあえずサーモンの炙り焼きを作るということでメニューは決定した。悠利が炙り焼きを選んだのには理由がある。まず表面だけを焼いた中が生の状態で提供し、一口食べてもらう。それでもしもダメめだった場合は、個別で自分の好みの焼き加減まで火を入れてもらえばいいのだ。これならば無理をして食べることもないし、ちょっと挑戦してみようという風に思ってもらえるかもしれない。
後は今日の昼食には生魚が大好きなイレイシアとヤクモがいるので、その二人に炙り焼きを提供したいなと思ったのもある。お刺身大好きなお二人だ。きっと炙り焼きも喜んで食べてくれるだろう。
メニューが決まれば、後は作るだけ。悠利はフライパンに薄くごま油を引いて、カミールに話しかけた。
「まあ、作り方はとても簡単なんだけどね。薄く油を引いたフライパンに、この生でも食べられるサーモンの切り身を乗せて焼きます」
「うん」
「ただし、表面に焼き色がつけばいいだけだから、一つの面を十五秒ぐらい。長くても三十秒ぐらいかな。あんまり強い火でやると焦げちゃうから、中火から弱火ぐらいの間でじわっと焼きます」
「地味に面倒くさそう」
「火加減気をつけてねって感じ」
「まあ手順は簡単か」
「そう手順は簡単。頑張ろう」
悠利の言葉にカミールはコクリと頷いた。まあ、確かに難しい工程は存在しない。しいていうなら、ちゃんと見張って焼きすぎないように注意することだろう。
下味は特に付けない。お刺身の雰囲気を残した炙り焼きを楽しんでもらいたいので、タレに漬けるとか下味で塩コショウをするとかはしないのだ。食べるときに、各々で醤油や塩などをつけて食べてもらおうという考えである。
今日準備しているサーモンは、お刺身で美味しく食べられるようなとても綺麗な切り身だ。脂もいい感じに乗っているので、焼いてもその旨味を堪能することが出来るだろう。
薄く、本当に薄くだけ油を引いたフライパンに、悠利はサーモンの切り身をのせる。ジュウッと音がする。生でも食べられる切り身を焼く何とも言えない背徳感があった。背徳感とは違うか。どちらかというと、勿体ない精神に近い。
しばらくしてじわじわと色が変わってきたのを確認すると、ころりとひっくり返す。ひっくり返した面にも焼き色がついてきたのを確認したら、今度は側面も焼き色を付ける。あまり厚みがあるわけではないので、片面ずつ焼くことで側面にも少しずつ火は入っている。しかし、念には念をということで、全ての面に火を入れている悠利であった。
炙り焼きとして考えるなら、上下両面に火が入っていれば目的は達したと言える。別に、真ん中は多少火が入ってなくてもいいのだが、何となく気分で全面転がして火を入れている。ドラゴネットの肉でたたきを作ったときと似た作業だ。
悠利の隣でカミールも、同じようにサーモンを焼いていた。魚は火が通ると力加減を間違えたら壊れてしまうが、軽い焼き目をつける程度であれば箸で触ったところで壊れる心配はない。そういう意味では、ころころと転がして焼いているのだが、難易度は低いと言えた。
全面を焼き終えたのでフライパンからサーモンを取り出す。粗熱をとってから、悠利は包丁で試食用にサーモンを切り分けた。表面は淡いピンク色で、美味しそうな焼き色がついている。しかし、切ってみれば中はまだ生。色の濃いピンクは悠利には美味しそうに見えるが、魚の生食に馴染みのないカミールは微妙な顔をしていた。それ食べて大丈夫なのか?みたいな気分なのだろう。
「まあ、とりあえず食べてみようよ」
食べてみないことには味は解らない。悠利のその意見は理解できたので、カミールはこくりと頷いた。味見は大切だ。
食べやすい大きさに切ったサーモンの炙り焼き。味見用なので、あくまでも一切れずつだ。味付けはシンプルに醤油。焼けた表面に醤油をかけると、熱々のところにかけたからか香りがぶわりと立ち上った。
口に入れた瞬間、ごま油で焼いた表面の香ばしさをまず感じる。次に、魚の脂がじゅわりと溶け出す。噛んでみれば、表面のほろりと崩れるような食感と、真ん中の生の部分の弾力とが味わえる。しっかりと脂ののったサーモンだったので、噛めば噛むほど魚の旨みが広がる。醤油との相性もばっちりで、悠利にとってはとても美味しく出来たと思える仕上がりだ。
ちらりと隣を見てみれば、カミールはおっかなびっくりといった様子で一口だけかじっていた。味見用なのでそれほど大きく切ってはいないのだが、それをまた更にちょびっとだけかじる。まあ食べたことのないものなので、おっかなびっくり食べるのは仕方がない。微妙な顔をして口に含み、しばしもぐもぐと噛んで食べていたカミール。
じっくりしっかり噛んでから飲み込み、彼は小さくつぶやいた。
「思ってたほど嫌じゃないかも」
「そう」
「うん。確かに生の食感は残ってるんだけど、何かそこまで生っぽくないっていうか」
「ごま油で焼いた甲斐があったってとこかな?」
「つっても、皆が皆平気とは限らないからな」
「そこは勿論解ってるってば。でも、これならちょっと食べてみて、ダメならしっかり焼き直せばいいだけかなあと思って」
「それは確かに」
悠利の説明にカミールは納得したようだった。残りの味見分も口に放り込んでもぐもぐと食べている。
今度はあまりためらいがない。大丈夫だと解ったからだろう。
サーモンと醤油の相性はばっちりだし、ごま油で表面を香ばしく焼いてあるので食欲をそそるらしい。中央のまだ生っぽさの残っている部分の弾力的な食感だけが、慣れないので何とも言えないというところだろうか。
それでも食わず嫌いだったカミールにとって、サーモンの脂の旨味がギュッと濃縮されているというのは確かに解る。お刺身を好んで食べたいとは思わないが、今食べてみたサーモンの炙り焼きはもう食べたくないと思うような不味い料理ではなかった。……ちょっと悔しいことに。
とにかく味見をしてみた結果、問題ないということは解った。そうとなれば、後は皆の分を焼くだけである。悠利とカミールは協力して人数分のサーモンの炙り焼きを作るのだった。
そして昼食の時間。食べやすい大きさである一切れサイズに切って提供した、サーモンの炙り焼き。中が生ということで、イレイシアとヤクモ以外の仲間達は何だこれという顔をしている。
ただ、口に合わなければ焼き直せばいいという悠利の説明を聞いて、それ以上文句を言う者はいなかった。
ちなみに、今日こんな風に悠利がサーモンの炙り焼きを提供しようと思ったのは、イレイシアとヤクモがいるからというのもあるが、昼食のメンバーが少ないからだ。基本的に、挑戦的なメニューのときは、人数が少ない日を選んでいる悠利なのだ。
今日の昼食メンバーは、悠利とカミール、イレイシアにヤクモの他は、留守役を仰せつかっていたティファーナと、本日は座学の勉強なのか自室で勉強をしていたロイリスとミルレインである。比較的話が通りやすい、つまるところ感情的にならずに会話の出来る面々であった。
あと極端な肉食でもなく、魚でも美味しく食べるメンツというのもある。多分、この中で一番肉に反応するのは育ち盛りのカミールだろう。その次がミルレインかもしれない。
とにかく、見慣れない料理に困惑しつつも、皆は一応口へと運んでいた。味付けは醤油か、塩をお好みで。カツオのたたきをマヨネーズで食べる文化があるので、マヨネーズでも美味しいかもしれないという悠利は思ったが、あえてそれは口に出さなかった。とりあえずはお刺身っぽい生を堪能するために、醤油か塩で食べてもらいたかったのである。
慣れない料理にこれなんだろうという顔をしている四人が同じテーブル。刺身も美味しいけど炙ってあるのも美味しいよねレベルでうきうきで食べている悠利達三人が同じテーブル。まあ、その方が会話の内容が揃うということでもあった。
「生でそのまま食べるのも美味しいですけれど、こうやって表面が炙ってあるものもおいしいですわね」
「イレイスの口にあってよかった。人魚さん達は炙ったりしないの?」
「基本的にはそのままで食べていましたわ。でも、陸上へ出てきて火を入れたお魚も美味しいと知りました」
「生もおいしいし、焼いても煮てもおいしいよね。あと揚げても」
「解ります。どれもとてもおいしいですわ」
イレイシアは幸せそうに呟いた。彼女は本当に魚介類が好きだった。生が一番食べ慣れているし、この辺りでは生を食べることがあまりないので、そうして用意されると喜ぶことが多い。しかし、そうでなくともお魚というだけで基本的にご機嫌である。
今一人の同席者であるヤクモは、炙り焼きという料理名は知らなかったが、表面を炙って魚を食べるという習慣はあったようだ。何かを懐かしむようにして食べている。どうやらカツオのたたきっぽいものはヤクモの故郷にもあったらしい。つくづく和食文化と親和性の高い故郷である。
ものすごく遠いと聞いているので、行けるわけがないのは悠利にも解っているが、ちょっと行ってみたいなと思ってしまう。主にどんな感じの料理があるのかという意味で。安定の悠利。
「これはフライパンで焼いて作ったと言っておったな」
「はいそうです。本当はこう、炙り焼きなので網の上で焼くとかやりたかったんですけど、お魚って網の上で焼くとうっかりするとボロボロになるじゃないですか」
「そうであるな」
「一応、魚に串を打って火の上で炙るようにして焼くっていう手法があるのは、知ってるんですけども」
「そうよな。我の故郷では、それが一般的であった」
「人数分作るの、それだとちょっと面倒くさいなぁと思いまして」
「実に正直だ」
あまりにも正直に答えた悠利に、ヤクモは面白そうに笑った。素直でよろしい、というところだろうか。この糸目のお兄さんは、保護者のように大らかな心で悠利達を見守ってくれているのだ。
悠利はお料理が大好きだが、それはそれとして手を抜けるところ、楽を出来るところ、簡単に出来るところは遠慮なくそういう感じでやる。便利な道具があれば使うし、代替品で簡単に出来るならそちらを選ぶ。その辺は、あくまでも趣味で料理をやっているからこそだろう。
本当はガスバーナーのようなものがあれば一番だった。バーナーがあれば、耐熱の器に入れたサーモンに、上からぶわっと火を吹きつけて炙れば良いだけだ。実に簡単。しかし、生憎とそういう便利な道具はなかったので、じゃあフライパンで作ろうとなったのであった。
ただし、このフライパンで作った炙り焼きには利点が一つある。くっつかないようにごま油を引いたので、ごま油の風味が追加されているということだ。つまりは、香ばしさがパワーアップしているのだ。
「表面は香ばしいのに中はしっかりと生で、噛めば噛むほど脂がにじみ出て美味しいですわ」
「脂が乗ってるいいサーモンだったんだよね。お刺身でも食べたかったし、漬けでもいいかなと思ったけど、皆と食べるならちょっと炙ってみようと思ったんだー」
「ユーリは本当に色々と考えますのね」
「これで皆が生っぽいのでも平気ってなったら、出せる料理の幅が広がるなと思いまして」
イレイシアの言葉に、悠利は満面の笑みで答えた。そう、重要なのはそこである。別に食べられないのなら、無理して食べてくれなくてもいい。しかし、食わず嫌いで美味しさを解っていないだけならば、美味しく食べられる調理法を探してみるのはありではないかと思ったのだ。
そうすることで、日々の献立にバリエーションが増える。具体的に言うと、カルパッチョとかが出せるようになる。悠利はカルパッチョも結構好きなのだ。あれはお刺身と野菜が食べられるとてもいい料理である。
しかし今のところ、カルパッチョを提供して喜びそうなのは、イレイシアとヤクモの二人だけである。そうなるとなかなか献立には使えないので、段階を踏んで皆の好みを色々と探っているのであった。
そんな風にのどかに会話しながらサーモンの炙り焼きを堪能している三人。彼等とまったく違う温度をしているのが、カミール達四人である。
とはいえ、それほど沈んでいるわけでもない。最初こそおっかなびっくり食べていたが、いざ食べてみると意外と美味しいねみたいな顔をしていた。特にミルレイン。
「ミリーさんあんま気にせずもりもり食ってますね」
「いやこのサーモン、脂がのってるからか何か香ばしいし、醤油かけたらすごくライスに合うなって」
「ああ、なるほど」
山の民の鍛冶士見習い、ミルレインはそう告げた。鍛冶士というのは、そもそも体力を使うし、彼女の家は家訓に「己が造った武器を使いこなせてこそ一人前!」みたいなよく解らないものがあるので、戦士としても修行中だ。そんなわけでミルレインは、動いた分はちゃんと食べるみたいな生活をしている。なので、意外とご飯に合うと判明したサーモンの炙り焼きを普通に食べているのだ。
その隣でロイリスは、小さな口で少しずつサーモンの炙り焼きを食べている。ハーフリング族ゆえの幼い外見のロイリスは、口も小さいのでちょっとずつ食べるのはいつものことだ。元々彼は魚を嫌いではないので、焼いてある表面部分は美味しく食べている。生の部分の食感にはまだ慣れないようだが、それでも醤油と塩のどちらが自分の好みだろうと確認しながら食べる姿はどこか微笑ましい。
最後の一人ティファーナは、最初こそ穏やかな微笑みをしつつも動きが鈍かったのだが、食べてみてからはそこそこ落ち着いたペースで食事をしている。
サーモンの炙り焼きは、完全な生ではないということと、ごま油の香ばしさのおかげで意外と高評価というところに落ち着いたようだ。少なくとも、この場の面々の口には合っている。
「カミールが味見をしたときは、どう思ったんですか?」
「いやあ、これ、断面がものすごく生じゃないですか。だから、これ食えんのかなって正直思ったんですよね」
「そうですね」
「魚を生で食べる地域があるというのを知っていても、食べる習慣がない以上はちょっと戸惑うじゃないですか。けど、隣で悠利は美味そうに食ってるし、いい匂いするしで、まぁ、食べてみたら意外と美味かったってやつですね」
「確かに。ユーリが美味しそうに食べていると、美味しいのかなと思ってしまいますね」
「それです。ほんとそれ」
思わず笑みを浮かべるティファーナと、彼女の発言に同意するカミール。ちらりと、彼らは生魚大好きな三人のテーブルへと目を向ける。そこには、うきうきとサーモンの炙り焼きを堪能している悠利達の姿があった。
悠利とイレイシアは基本的に顔に出やすいのだが、普段は穏やかに微笑んでいるのがデフォルトで感情の動きが分かりにくいヤクモも、すごく喜んでいるんだなぁと解る表情をしていた。彼等は美味しいを噛みしめていた。
仲間がおいしそうに食べているとおいしそうに見えるは、当然なのかもしれない。それに誘われて食べてみれば、真ん中が生でも忌避するほどのものではなかったという話である。
まだお刺身を食べる度胸は彼らにはないけれど、少なくとも炙り焼きは美味しいと思って食べている。香ばしい表面と弾力のある中の食感の違いを楽しみ、醤油や塩でシンプルに味付けをし、サーモンの旨味をしっかりと堪能する料理。シンプルな味付けながら、魚の美味しさを余すところなく食べているような気がする。悠利にいわせれば、焼き魚とお刺身の良いところを両方取ったみたいな感じになるだろうか。
とにかくまあ、そんな感じでサーモンの炙り焼きはそこそこ好評だった。普通に好評だったので、昼食にいなかった面々がどんな料理なのか一度食べてみたいと言い出したりしたのだが、それはまた別の話。
少しずつ皆に生っぽいお魚の食べ方も浸透すればいいなぁと思う悠利なのでした。
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