人魚さんと故郷の話

 昼食も終えた昼下がり。外はしとしとと雨が降っており、外出するのも気が向かない。そんな感じで仲間達はリビングで雑談をしていた。

 そして、その中で、話題はイレイシアの故郷の話へと移っていった。

 イレイシアは人魚族の少女だ。その故郷の話となれば、当然海の話になる。海は皆も知っている。夏休みと称して港町ロカへ皆で出掛けたことがあるので、故郷で海を見たことがなかった面々も、海がどういうものかを知ることが出来た。

 だが、海は幾つもの顔を持つ。陸地であってもその土地土地で趣が違う。海もまた同じ。ましてや、人魚の生活とはどのようなものなのか。皆が興味を持つのも無理はなかった。


「わたくしの故郷の海は、ここからは随分と離れた南方の海になります」

「南方ってことは暑いのー?」

「いいえ。確かに寒さとは無縁ではありますけれど、わたくしの故郷はどちらかというと温暖な気候で、こちらの方が暑いかも知れませんわ」

「そうなんだー」


 ヘルミーネの質問に、イレイシアは穏やかに答えた。南の海と聞いて、皆はこう暑い場所かと思ったのだが、どうやら違うらしい。

 確かに、単純に南北だけで気候は決まらない。南だろうが寒い場所はあるだろうし、北だろうと心地好い場所はあるだろう。標高とか建造物の有無とか、植生にも左右されるに違いない。

 今の会話で、皆は俄然イレイシアの故郷に興味を持った。寒くはないが、厚さはここよりもマシらしい南の海。はたしてそこはどんな海なのかと、わくわくしていた。

 ……約一名悠利ゆうりだけは、観光地で有名な常春の島とかに近いのかな、と考えていたが。行ったことはないが、テレビとかで見る限り、無駄な湿度も存在せず、爽やかな風が心地好い南の島というのはあるらしいので。大変羨ましい。


「人魚と一口に言っても、全ての人魚が同族というわけではありませんわ。そこは地上に国があるのと同じですわね」

「人魚の集落って、やっぱり海の中にあるのー?」

「それもまた、場合によりますわ。わたくしの故郷は島を集落の拠点にしております。他の地域では、海の中に集落を作る人魚もいると伺っていますわ」

「そーなんだ。何か、人魚の集落って海の中のイメージがあったけど、違うんだねー」


 自分の思っていたのと現実が違ったことに、レレイは不思議だねーと笑っている。一般的な人魚のイメージは、やはり水中で生活する種族という感じなのかもしれない。確かに、悠利のイメージでも人魚の王国は海の中だ。これは童話のイメージが強いのかもしれないが。

 それは他の面々も同じだったらしく、水中じゃないんだと言いたげな顔をしていた。巧みに泳ぐ海の種族という印象が強いので、やはり人魚と言えば海なのだろう。

 そんな皆に、イレイシアは穏やかな口調で説明してくれた。

 曰く、人魚の集落は外敵や気候によって水中にあるか陸上にあるかが異なるらしい。また、島を拠点にしているイレイシアの故郷だが、各家は地上部分と水中部分が存在し、半分は海で生活しているようなものだという。

 人魚という種族は、陸上でも水中でも呼吸が出来るという特性を持っていた。岩場に腰掛けて歌う美しい種族という印象だが、彼女達は水中でも陸上と同じように呼吸し、同じように会話をすることが出来る。単に呼吸できるだけではなく、人魚は水中でも『歌うことが出来る』のだ。

 これは彼女達の神、海神わだつみの加護によるものと言われている。どういう仕組みかはよく解らないが、人魚は水中で会話が出来るし、そのときに別に水を吸い込んだりはしないのだという。生まれたばかりの赤子でもそうなので、そういう種族なのだろうという感じの認識だ。


「じゃあ、イレイスのお家も半分は水中なの?」

「えぇ。寝室は水中にある家が多いですわね」

「水中で寝るの!?」

「はい、そうですわ」


 驚愕する悠利に、イレイシアは不思議そうな顔をしつつ頷いた。それは彼女にとっては普通のことだったのだろう。何故悠利がそこまで驚いているのか、……悠利だけでなく、居合わせた皆が同じような反応をしているのかが、彼女には解らない。

 人魚は海神の民。海の神に愛された、その庇護下にある種族。そんな彼女達にとって、海の中とはすなわち神の揺り籠のようなもの。何より落ち着く場所なのだという。

 所変われば品変わる。種族が違えば更に変わる。そんなことは重々承知していたつもりだが、それでもやはり、随分と違うので驚きが隠せない悠利達だった。


「人魚にとって水は、我々にとっての空気みたいなものですからねぇ。別に水中だろうと不都合はないんだと思いますよ」

「そういうものですか?」

「生物にとって、呼吸できる場所というのはそれだけで安全地帯ですし。そういう意味では、水中で眠ってもおかしくはないでしょう。文献に寄れば、地域によっては地上で眠る人魚もいるみたいですよ」

「土地柄で変わるってことですか?」

「恐らくは」


 のほほんとした口調で語ったのは、ジェイクだった。学者のジェイク先生は日常生活で遭難するようなダメ大人の見本であるが、学者だけあってその知識は本物だ。こういう風に解説してくれるときの彼は、普段と打って変わって頼れる大人であった。

 ジェイク自身がイレイシア以外の人魚を見たことはないし、引きこもりの彼は人魚が生息する場所へ行ったことはない。しかし、膨大な量の書物を(ほぼ単なる知的好奇心の趣味で)読破しているので、知識は色々と持っているのだ。

 イレイシアは己の故郷については語れるが、それ以外の人魚についてはあまり知らない。一口に人魚と言っても様々な一族がいるらしく、言葉遣い一つにしても大いに異なるのだ。

 例えば、イレイシアは清楚な美少女の外見に相応しい、お嬢様のような上品な口調で喋る。しかしこれは、彼女の育ちが良いとかではなく(それも確かにあるだろうが)、彼女達の一族の普通の言葉である。端的に言うと、方言みたいなものだ。

 男性になるともう少し砕けた口調になるようだが、それでも実に丁寧な敬語調。イレイシアの一族は、全体的に上品な雰囲気で話す人魚だった。人魚のイメージにぴったりだと悠利達は思っているので、是非ともそのままでいてもらいたい。

 逆に言うと、闊達な人魚達の中にははすっ葉な姐御口調だったり、海の男満載なノリで喋る人魚もいるそうだ。イレイシアは色白美人だが、ところによっては小麦色に焼けた肌が美しい豪快なタイプもいるとか。人魚にも色々である。


「イレイスは日焼けしないタイプって言ってたけど、つまりは日焼けしてる人魚もいるの?」

「日焼けというよりは、元々そういった肌の色をしているというのが正しいのではないかと思いますわ」

「どういうこと?」

「地肌の色は異なれど、日焼けをする人魚はおりませんので」

「なるほど」


 年頃の乙女らしく肌の色が気になったらしいヘルミーネの質問にも、イレイシアは丁寧に答えてくれる。日焼けは火傷の一種であるが、どうやら人魚達はそもそも太陽光に焼かれて肌が変色するという性質は持ち合わせていないらしい。

 その代わりと言っては何だが、彼等は熱を感じると水分の蒸発が他の種族よりも早い。脱水症状を起こしてしまうのだ。元々が海と共に生きるからだろう。長時間水から離れたり、熱に晒されると、体内の水分が不足してしまうのだという。

 実際、イレイシアも暑い日にはぐったりしている。飲んでも飲んでも水分補給が追いつかず、挙げ句の果てには見かねた仲間達に頭の上から水をかけて貰う始末だ。人魚が陸上で生活するのって大変なんだなぁ、と皆は思っている。

 しかし、イレイシアのように陸上で生活する人魚の数は、決して少なくはない。彼女もそうだが、吟遊詩人の多くは人魚達だ。彼等は楽器と歌を得手としており、物語を歌い継ぐのにこれほど最適な種族もいない。

 また、趣の差は多々あれど、基本的に人魚は美しい種族だ。線の細い美人やがっしりした健康美人などバリエーションは豊富だが、客観的に見て整った容姿をしている。そういう意味で、華やかに英雄譚を歌う吟遊詩人として活躍する人魚は、とても多い。

 ちなみに、下半身が魚の人魚がどうやって陸上で生活するんだと言われたら、大人になれば尾びれを足に変形させることが出来るというのが答えである。子供の間は上手に変形出来ないので、擬態がちゃんと出来るようになって一人前なのだとか。

 別に、人間の足のようになっているからといって、歩く度に痛みがあるとかではない。下半身を足にしている状態の人魚を人魚と見抜くのは難しいが、彼等は己が人魚であることを特に隠しはしないので意外と知られていたりはする。イレイシアもその口で、市場で買い物をするときなどは人魚向けの商品があると皆が声をかけてくれる。

 なお、人間の足に擬態している下半身であるが、極度に水分を失うと尾びれに戻ってしまう。己の意図しない状態で尾びれに戻るというのは恥ずかしいことらしく、アジトで時々足が尾びれに戻ってしまった場合のイレイシアは、羞恥に顔を染めながらサンドレスに尾びれを隠している。風呂や水泳の際に尾びれに戻すのは恥ずかしくないらしいので、悠利達にはちょっと解らない感覚である。

 まぁ、当人が恥ずかしがるので、皆もそこは気を付けてあげている。具体的には、そっと指摘して水をプレゼントする感じだ。失った水分を補充すれば、また擬態できるようになるらしいので。


「はいはいはい!人魚って普段何食べてるの?イレイスは割と何でも食べてるけど」

「特に嫌いな食材はありませんけれど、主に魚介類を食べておりますわ」

「魚介類……。お魚も貝も美味しいよね!」

「えぇ。……ただ、わたくし達は基本的に、魚介類を生で食しますの」

「……生で?」

「はい、生で」


 元気よく質問したレレイは、イレイシアの答えにきょとんとした。彼女は何でもよく食べる大食い娘であるが、魚介類の生食には慣れていない。こればっかりは育った環境によるものなので仕方ない。

 それって美味しいの?と言いたげな顔をしているレレイ。他の仲間達も同じくだ。そんな仲間達を見て、「まぁ、そういう反応になっちゃうよねぇ……」と悠利は思った。《真紅の山猫スカーレット・リンクス》は人数が多いが、その中でも魚介類の生食を好んで食べるのは、イレイシア以外だと悠利とヤクモのみである。

 和食に似た文化の地域で育ったヤクモは、悠利同様にお刺身を普通に食べる。むしろ好きな部類だ。鮮度の良い魚が手に入ったとしても、この辺りではそれを生で食べるという習慣がないので、勿体ないという話を時々している。……なお、お刺身大好きトリオで食事が重なったときは、悠利が嬉々としてそれ系のご飯を提供しているが。海鮮丼とか美味しいです。

「料理はしないの?」

「しますわ。ですけれど、魚介類は生で食べる方が好みと言いますか……」

「そっかー。好みなら仕方ないねー」


 一人満足そうに頷いているレレイ。彼女は美味しいものが好きだった。美味しいものが大好きなので、食の好みが千差万別なのも理解している。レレイには魚介類の生食はよく解らないが、イレイシアの好みがそれならば文句を付ける筋合いはないのだ。

 商人の息子のカミールは一人、「生……。人魚相手に食で商売するなら、魚介類の生食が必須なのか……」と呟いていた。……当人はトレジャーハンターを目指していると言うが、どう考えても思考回路が商人である。相変わらずのカミールだった。

 そんな中、普段は特に他人に興味を示さないマグが口を開いた。自分より随分と背の高い、そのために座っていても上背が自分よりもあるイレイシアを、じっと見上げる。


「出汁」

「……はい?」

「出汁、美味。……美味?」

「……あの、申し訳ありませんが、通訳をお願いしてもよろしいでしょうか……」

「……了解です」


 マグが珍しく自分から積極的に他人に興味を示したのはめでたいことなのだが、問いかけが安定のマグ節だったので、イレイシアにはちっとも通じなかった。何とか理解しようと頑張ったイレイシアだが、無理だと判断してウルグスに協力を求める。ウルグスもいつものことなので拒まなかった。

 しばし、マグとウルグスが二人で会話をしている。相変わらずマグは単語で喋っているし、何を言いたいのかよく解らない。しかしウルグスはそんなマグの表情や声音から、何を言おうとしているのか理解していた。……ぶっちゃけ、他の面々には表情も声音もニュートラル状態から動いていないように思えるのだが。


「イレイスさん、こいつが聞きたかったのは、人魚は出汁を好むのかってことみたいです」

「出汁を……?」

「昆布って海藻じゃないですか。この辺じゃあんまり馴染みがなかったけど、海なら昆布も食べるのかなって感じで気になったっぽいです」

「あぁ、なるほど。昆布もワカメも、それ以外の海藻も美味しくいただきますわ。スープ類には必ず海藻が入っていますから、意識せずとも出汁を味わっていたということですわね」

「……美味!」

「えー、可能ならばその海藻入りスープのレシピを教えてほしい、と。食べてみたいようです」

「わたくしに解る範囲でしたら、喜んで」

「感謝」


 食い気味で飛びつこうとしたマグを、ウルグスは襟首を引っつかむことで止めていた。これは、相手がイレイシアだから止めたのだ。戦闘に不向きな華奢な美少女相手に、小柄なマグとはいえ勢いを付けて飛びつくのはよろしくない。

 そんなマグの姿を、皆は安定だなぁと思ってみていた。食いつくところがそこなのか、という感じである。出汁をこよなく愛する出汁の信者は、今日も元気に出汁にまっしぐらだ。むしろ他のことは何も気にならないらしい。ブレない。

 イレイシアの言葉通り、人魚は海に住むので魚介類とか海藻とかをこよなく愛している。愛しているというのとは違うかもしれない。それらは彼等にとってあって当たり前の、己の一部レベルで馴染んだ食材なのだ。日本人にとっての醤油みたいな感じで。

 だからこそ、故郷を遠く離れた王都ドラヘルンで、悠利が時折用意するお刺身系の料理に、イレイシアは喜ぶのだろう。昆布やワカメは比較的食卓に並ぶが、生食可能な魚介類はなかなか手に入らないので、レア度が高いのだ。


「イレイスの故郷は島に集落があると言ったけれど、血縁で固まっている感じなのか?」

「はい。大本とする血筋は幾つかありますが、基本的には集落に住まう人魚は同族と考えていただいて問題ありませんわ」


 自分も同族と共に集落で育ったからか、ラジはその辺りのことが気になったらしい。ちなみにラジの故郷はほぼ全員が親戚である。右を向いても左を向いても血の繋がりがある環境って不思議だな、と悠利は思うが。

 ちなみに、イレイシアの言う同族とは、似たような体質の人魚のことを言う。つまりは、肌の色とか言葉遣いとかだ。人魚という大きな括りの場合は同じでも、その中で細分化された一族があるらしい。そして、基本的にはその一族単位で集落や国を作っているのだ。

 ラジの故郷と異なるのは、同じ一族でも血筋的には繋がっていないパターンがあることだろうか。血の濃さという意味で言うと、ラジの故郷の方がより強固に同族だけで固まっているという印象がある。


「人魚という種族で考えると全て同じに見えるかも知れませんが、我々人間も血筋や性質がバラバラですからね。人魚にも色々いると考えるのが良いですよ」

「そうですねー。種族だけで見ちゃうと、大雑把過ぎますもんね」


 ジェイクの解説に、悠利はうんうんと頷いた。人間だから全部同じだと言われたら、悠利達だって困ってしまう。人類皆兄弟とは言うが、実際に全部が兄弟だったらちょっと怖い。

 相手が異種族と言うことで、何となくざっくりまとめて考えてしまいそうだった一同は、その思考に待ったをかけられてなるほどなぁと思った。自分達だって大きな種族だけで判断されても困る。きちんと知ることは大切だった。


「わたくし達は基本的に同族だけで集落を形成しますが、他の人魚と関わりがないわけでも、仲が悪いわけでもありませんわ。集落同士の交流はありますし、婚姻で行き来することもありますから」


 イレイスが付け加えた説明に、ちょっと解ると呟いたのはクーレッシュとヤックだった。山村と農村という違いはあれど、小さな集落で生まれ育った二人である。基本は村の中だけで婚姻が行われるが、ちょこちょこ交流のある別の集落との間で婚姻が発生するのだという。

 まぁ、出会いの場が少なければ自分達の集落内で収まってしまうのも無理はない。それと同時に、だからこそ交流があれば別の集落との間で婚姻の話が出てもおかしくはない。そうやって互いに交流することで、新しい風を入れることになるのだろう。血が濃くなりすぎないという意味でも。

 そういう側面には思い至らなかった悠利が口にしたのは、まったく別のことだった。


「じゃあ、イレイスももしかしたら集落の外へお嫁に行くかもしれないんだね」

「わたくしは吟遊詩人として世界を巡るつもりですから、どうなるかは解りませんわ」

「頑張れ、イレイス」

「はい」


 悠利の言葉に、イレイシアは満面の笑みを浮かべた。楽器と歌が得意な人魚族は吟遊詩人に向いている。イレイシアもその例に漏れず、とても上手に楽器を弾きこなす。そして彼女の声は美しい。吟遊詩人として日夜修練に励んでいるのも知っている。

 ……知っているが、同時に彼女には音痴というどうしようもない欠点があって、それは未だに解決していない。皆の言葉を借りるなら、最初の頃より歌は上手になっているらしい。しかし未だにハモり状態。何故か主旋律が歌えない不思議ちゃんである。

 当人は一生懸命に練習をしているので、皆も応援するしか出来ない。何時の日か、彼女がちゃんと歌えるようになって、吟遊詩人として一人前になれれば良いなぁと皆は思っている。直向きに頑張っているイレイシアの思いが、努力が、報われる世界が見たいのだ。




 その後も、人魚あるある話を色々と聞いて、とても楽しい時間を過ごす悠利達なのでした。知らないことが知れるのは楽しいのです。




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