失恋には新しい恋を……?
情熱的なまでに恋していた相手が、結婚詐欺の常習犯。その衝撃的な事実を突きつけられたカミールの姉・サンドラは、打ちひしがれていた。そりゃそうだろう。こっちは本気だったのだから。
確かに、被害はなかった。結婚詐欺に遭う前に、エリックの悪巧みはカミールの主導で暴かれた。だから、サンドラには何も実害は出ていない。しかし、だからといって失恋の痛手が薄れるかというとそうでもない。少なくともエリックはサンドラが知る限り、彼女には誠実で良い恋人だったのだ。
たとえ、それがいずれ彼女から金品を引き出すための布石であったとしても、恋人としての甘やかな時間はあったのだ。優しくされ、楽しく過ごした思い出は嘘ではない。少なくとも嘘ではないと彼女は思っている。そのときに自分が抱いた感情は本当なのだから。
そんなわけで失恋の痛手を抱えたサンドラは今現在、《
なお、愚痴るサンドラの相手を引き受けてくれているのは、マリアだった。エリックの情報を聞き出したときに親しくなった仲というのもあるが、年齢も近いので愚痴りやすいのだろう。年下の少年である悠利達には愚痴れず、弟のカミールにぶちまけるわけにもいかない悲しい思いを、彼女はマリアにぶつけている。
ついでにマリアは、一人ではなんだということで、同じ大人の女性枠としてフラウとティファーナを召喚していた。大人のお姉様のお悩み相談会である。
彼女達は、騙されたサンドラが悪いとは一言も言わなかった。この手の輩は、それはもう上手に相手の懐に入り込む。冒険者として様々な経験を積んでいるお姉さま達は、そのことをよく知っていた。彼女達自身が騙されたことはなくとも、周りで被害にあった女性を見たことも一度や二度ではない。
ちなみにエリックが結婚詐欺師であったこと、サンドラにまだ実害はなかったものの、彼女が騙されていたことを伝えたとき、女性三人はやわらかな微笑みを浮かべながらも、ものすごく冷えきったオーラで「そんな男は叩き潰してしまえばいいのに」などというとても物騒なことを口にした。
連れていったのがアリーさんで良かったと悠利が思ったほどだ。同行者にアリーを選んだのは、もしかしたらエリックの命を救ったのかもしれない。マリアさん連れて行かなくて良かったと密かに思う悠利だ。何せ彼女は戦闘職で血の気が多くて、ついでに怪力の主なのだ。
ちなみに、主に話を聞いているのは女性陣なのだが、悠利は何故かその場に居座ったままである。特に口は挟んでいない。主な仕事は給仕。年下の少年なのにこの場にいても何も言われない辺りが、悠利の人徳なのかもしれない。
「とりあえず甘いものでもと思って用意したんで、どうぞ」
「ありがとう、ユーリくん。……ところでこれ、何かしら?」
「パンの耳で作ったラスクです」
「パンの耳」
「そうです」
目を見開くサンドラ。そう、これはアジトではもはや定番おやつとなっている、パンの耳のラスクだ。パンの耳を揚げて砂糖で味付けしてあるシンプルなおやつである。
何でパンの耳がラスクに化けるのかといえば、サンドイッチにするときにパンの耳を切り落とすことが多いからだ。しかし、切り落とした耳はもったいないということで、悠利がせっせとラスクにしているのだ。そして、まるで備蓄のように
こういう突発でお客さんが来たときのおやつとしても、活躍する。何せ冒険者達の住まいである。お客様用のおもてなし用お菓子なんて常備されていないのだ。後はまあ、お腹が減ったと誰かが言ったときにちょっと出してあげる感じで使われている。
目の前のパンの耳のラスクを見て、サンドラは首を傾げながら口を開いた。
「ラスクってこういう物だったかしら?」
「パンの耳で作ってるので」
きょとんとしているサンドラに、悠利はきっぱりと答えた。ちょっと変わった形をしているのも、全てパンの耳だからである。
ちなみに、今日はお茶受けとしてつまみやすいように、ころころとした一口サイズに切ってある。スティックサイズのパン耳ラスクもいいが、この一口サイズもなかなかいいのだ。お茶を飲みながら、ひょいひょいとつまむなら、このサイズがぴったりだ。
マリア達は慣れたものなので、パンの耳のラスクを「今日のおやつはこれなのね」ぐらいのノリで食べている。カリカリコリコリとした硬い食感と、やさしい甘さが何とも心地よい。
「あらユーリ、これ、いつもと味付けが違う気がしますけど」
「今日のはシナモンも入ってます」
「珍しいですね。どうしてですか?」
「シナモン入りが食べたかったからです」
「なるほど」
ティファーナの疑問に悠利は素直に答えた。普段のパン耳ラスクは、砂糖のみで味付けをしている。今日はそこに粉末のシナモンも一緒に混ざっているのだ。ちょっとした気分転換である。
シナモンの独特の風味は、悠利にとっては食欲をそそるいい匂いである。好き嫌いはあると思うのだが、少なくとも目の前の面々は大丈夫のようだ。もしもシナモンが駄目であったなら、砂糖だけで作ったいつものパン耳ラスクを出すつもりでいたのだ。
とりあえずは甘いもので一息という感じで落ち着いた。パン耳ラスクと紅茶を堪能する女性四人。悠利はあくまで給仕に徹しているので、食べない。喉が渇いたらお茶ぐらいは飲むがというか、黒子状態だ。僕この場にいて良いのかな、いる意味あるのかな、みたいなな顔はしているのだが、誰からも向こうに行っていいよとは言われないので、そのままここにいるだけだ。
サンドラは、パン耳ラスクをしばらく食べた後、ふーと息を吐いた。甘いものを食べ、温かい紅茶を飲み、少しだけ人心地ついたようだ。まだ色々と抱えたモヤモヤはあるようだが、先ほどまでに比べて随分と落ち着いた顔をしている。
彼女が自棄のように女性陣に愚痴っていた姿を悪いとは、悠利は思わない。むしろ、己の中に抱え込んでいるよりはよっぽどいい。そして、とりあえずサンドラも色々と吐き出して多少はスッキリしたのだろう。表情も口調も随分と穏やかになっていた。
「本当に、我ながらどうしてこうなっちゃうのかしら?いい人だと思ってたのよねー。今までの相手だってそうよ……」
「逆にここまでそういう風な状況が続くというのも、すごいことだとは思うがな」
「フラウ、確かに確率として考えてすごいことですが、本人にとっては大変ですよ」
「ああ、解っている。すまない貴方の苦労を茶化すようなことを言って」
「いいえ。大丈夫ですよ。家族にも何で毎回毎回そうなんだって言われてます」
困ったように彼女は笑う。サンドラの男運のなさは筋金入りだ。今までに付き合った恋人で、マトモな男は一人もいなかったらしい。
なお、この色々とダメという部分は千差万別で、今回はたまたま結婚詐欺師という犯罪者を引いたが、そうではないパターンの方が多かった。つまりは、働く気のないいわゆるヒモ属性とか、働きはするのだがギャンブル依存症みたいなところがあったりとか。あるいは、執着と束縛が色々とアレなヤンデレ系とか。まあ、数を上げればきりがなく、色々なパターンのダメな男に遭遇してきたサンドラである。もういっそ、世の中にはこういうダメな男がいますという感じで女の子達に講演会を開いても良いレベルだ。
ちなみに、姉がこんな風にダメな男にばかり引っかかるので、カミールもその手の情報は無駄に蓄えていた。いつの間にか男を見る目がシビアになってしまった弟に、サンドラはちょっとだけ申し訳ないなとは思っている。口に出しては言わないのだが。
女性四人はダメ男について色々と話していた。自分達が被害に遭っていなくとも、そういう男の被害に遭う女性の話は聞いているからだろう。なお、女同士の会話だと解っているので、悠利は口を挟まない。この手の話題に、男で未成年の自分が口を挟むのもなぁと思っているので。
そんなわけで悠利は、置物のように大人しく、時々給仕をしつつ側に控えながら考える。サンドラは男運がないようだが、その反面、家族愛には恵まれている。むしろ彼女の家族になるには、今まで知り合った男達では足りないのではないか。そんなことを悠利は思った。
何が足りないのかと言えば、サンドラのことを第一に考え、彼女の幸せのために走り回ってくれる家族達に受け入れられるだけの器のことだ。きっと今までサンドラが出会ってきた男達では、そういうところが足りていないのだろう。
そもそも、赤の他人から家族になるのだ。誰であろうと認めてもらうのは大変だろうに、サンドラに近寄ってくるのはダメな男達ばかり。それでは認められるわけがない。だから、きっとこれは、いつか本当に家族になれる人と出会うためのふるい落としではないかと悠利は考えた。
確かにサンドラはダメな男にばかりに引っかかるようだし、そういう彼女だからカミール達も彼氏達を確認してきたのだろう。それは間違いないだろうけれど、多分、これが普通の男性だったとしても、カミール達はどんな人かを調べたはずだ。ちゃんとサンドラを幸せにしてくれる人なのかどうかと、それはもう厳しい目で見定めただろう。サンドラの周りにいるのは、そういう家族だと悠利には思えた。
「まあ、結婚だけが女の幸せってわけじゃないしねぇ~」
「マリアは戦っているときが一番幸せなのでしょう?」
「戦っているときというか、私は、私を満足させてくれる相手と戦っているときが一番幸せよ~?」
「それはむしろ、指名手配されている魔物あたりにでも頼むのが早いんじゃないか」
「フラウ、思っていても、それは言わないものです」
「大丈夫よ。そうそういないことぐらい、ちゃぁんと解っているもの」
血の気の多い物騒なマリアお姉さんの性質を、こんな風にのどかに話さないでほしいなと悠利は思った。しかし、ティファーナも普通の顔をしているので、多分女性陣でこういう話をすることもあるのだろう。冒険者として身を立てている彼女達は、恋人やら結婚やらにそれほど興味があるようには見えない。日々楽しそうに過ごしているし、当人が冒険者としての日々を楽しんでいるように見える。
サンドラは、商人としての生き方を楽しんではいるが、同時に恋愛も楽しむタイプなのだろう。恋をすることの楽しさを彼女は知っている。そして、いずれその人と家庭を築きたいと思っている。なのに何故かダメな男にばかり引っかかるのだ。とてもとても不憫であった。
「まあね。そうそう簡単に結婚相手が見つかるとは思ってないけど。時々悲しくなっちゃうわ。姉さんはいい人見つけたから、私もあんな風に幸せな家族になりたいと思ってだけなんだけどなぁ」
「サンドラさんの家族になるには、並大抵の男じゃ足りないんじゃないですか?」
「ということかしら」
不思議そうに首を傾げるサンドラに、悠利は先ほどまで考えていたことを伝えた。男運のなさはまあ置いておいて、サンドラの家族に認められる相手という意味では、そうそう簡単にはいかないような気がしたのだ。
「カミールも走り回って情報を調べてましたけど、多分それっていわゆるダメな男の人じゃなくても皆さんやることなんだと思うんですよ」
「ええと」
「大事な大事な家族の家族になるかもしれない人。それだけで、まあ厳しい目で評価しますよね。生半可な相手じゃあ任せられないぞって」
「そうかしら?」
「他の姉妹の皆さんに置き換えて考えてみてください」
「そうね。生半可な相手じゃ認められないわ」
即座に答えるサンドラ。「うん、やっぱりここの家族とっても仲が良いんだな」と悠利は思った。自分のことに関しては鈍くて解っていないようだったが、他の姉妹に置き換えた瞬間に「生半可な男を彼氏や夫として認めるわけにはいかない!」みたいなスイッチが入った。解りやすい。
サンドラがこれなのだ。きっと他の姉妹もそうなのだろう。
「まあ、つまりはそういうことです。ダメな男だろうと、普通の男の人だろうと、ご家族の許可をとるのは結構大変そうかなって」
「……つまり、私の恋人になってくれる人を探すのは大変そうってことかしら?」
「いえいえ、ご家族のお眼鏡に適うような人こそ、サンドラさんの運命の人なんじゃないかなって」
「運命の人」
「はい。運命の人」
にっこりと悠利は笑った。恋多き女、恋に恋する乙女という印象を受けるサンドラ。恋愛に関しては多分ロマンチックだろうなと思ったので、悠利はこんな単語を使ってみた。予想通り、彼女は悠利の言葉にときめきを感じたらしい。
先ほどまでの沈んでいた雰囲気はどこへやら。いつか来るかもしれない未来を想像して、幸せそうに微笑んでいる。そんな人に出会えたらいいわね、と呟く顔は、とてもとても幸せそうだった。
ちょっと単純だなとは思ったが、悠利は大人しく黙っておいた。周囲も空気を読んで、特にそこについてはツッコミは入れないのだった。空気を読むのは大事です。
そして、サンドラが商談を終えて故郷へ戻った数日後のこと。姉から届いた手紙を読んでいたはずのカミールが、テーブルの上に突っ伏して呻いていた。何とも言えない、哀愁漂う背中である。
「カミール、どうしたの」
「姉さんから手紙が来たんだけど」
「あ、お手紙届いたんだ、よかったね。無事に戻れたって?」
「無事に帰ったし、商談も上手いことまとまったし、実家の皆も元気だし、大丈夫って」
「いいお知らせだよね」
いいお知らせのはずなのに、カミールはどんよりと沈んでいた。どうしたの?と問いかける悠利。そんな悠利に、カミールは疲れたような顔で答えた。
「何か、故郷に行商に来てた人と知り合って」
「うん」
「とても素敵な人なのよって書いてあった」
「ええっと、それはつまり」
「新しい恋が始まったようです」
フフフと黄昏れる感じで遠い目をするカミール。うわー、立ち直り早いなあ、と悠利は思った。いや、いつまでもサンドラが落ち込んでいるわけではなく、前を向いてくれているのは良いのだが。果たして彼女の新しい恋のお相手が大丈夫な人なのかという意味では、ちょっぴり心配になった。何せ、色々と聞いていたので。
カミールも、今までが今までなので次が大丈夫だという保証がないことに、こうやって頭を抱えているのだろう。何せ、彼は王都で修行中の身である。サンドラの彼氏になるかもしれない人の周辺調査は、実家にいる姉妹に託すしかないのだ。自分が動けないということで心配が募っているのだろう。
「まっ、まあ、ほら、カミール。失恋の痛手は新しい声で癒やせって言うし」
「姉さんの場合、それがまた次の面倒ごとに繋がる可能性の方が高いんだよ」
「わー、実感こもってるぅ……」
「こもりもするわ!」
思わず叫ぶカミール。そして彼は、「ちょっと上の姉さんに手紙書いてくる!」と立ち上がった。サンドラへの返事も書くのだろうが、それよりも家を切り盛りしている長女に手紙を書くつもりらしい。
サンドラの新しい恋のお相手が、本当に大丈夫なのかという意味合いの手紙だろう。まあ、カミールがそんな手紙を送らなくとも、新しい恋が始まったと察したならば、向こうで動いてくれているのだろうけれど。ただ、動いてくれているとしたら、きちんと結果も報告してほしいという感じなのだろうなと悠利は思った。
そんなことを考えつつ、大慌てで走っていくカミールの背中を見送る。見送って、悠利は小さく呟いた。
「まあでも、落ち込んでるお姉さんを心配してたときよりは、カミールも元気そうだよね」
つまりはそういうことである。多分、これはカミールにとっての日常の一つなのだろう。日常って色々あるよねえと思う悠利だった。
次でなくてもいいけれど、いつかサンドラさんにちゃんとした素敵な人が現れてくれればいいなぁと思う悠利なのでした。
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