大食堂のご飯は美味しかったです
「実は僕、ここでご飯を食べるの初めてなんだよねぇ」
「えっ、マジか?」
「マジです」
真剣な顔で悠利が告げた言葉に、ウルグスは衝撃を受けた。
皆で仲良くお昼ご飯を食べようということになり、ヨナスが選んだ店は
ヨナスやウルグスは家族で来ることもあり、行き慣れた店ということになっている。しかし、実は悠利はここで食事をしたことはない。
「でも、しょっちゅう《食の楽園》に来てるだろ?」
「僕が食べてたのはルシアさんのスイーツだったから」
「あー……」
「ご飯系は僕、《木漏れ日亭》で食べるんだよね」
「《木漏れ日亭》も美味いよな」
「うん。庶民ご飯って感じで落ち着くし」
「時々、何かおかしい食材あるけどな」
「そこは気にしちゃダメなんじゃないかな。多分」
きっと、ダレイオスさんが狩ってきたんだよ、と悠利は遠い目をした。ウルグスも同じくだった。彼等がこんな顔になったのには勿論、ちゃんと理由がある。
二人が口にした《木漏れ日亭》は、宿屋に併設されている大衆食堂だ。特筆すべき点は、店主が元冒険者ということもあり、肉は魔物の肉を自分で狩りに行っちゃうことがあるということだろうか。とても元気な親父殿である。
後、親父殿の元仲間、今も現役で食材ハンター系の冒険者として活躍している仲間達(全員が長命種なので、冒険者の現役を引退したダレイオスよりも活動限界年齢が高い)からお届けされる、ちょっぴりレアの食材なども入ってくる。そのため、ごくたまに値段と肉の等級が合っていないというわけの解らないことが起こる。
ただし、基本的には安くて美味くて量が多い、みたいな感じだ。庶民や冒険者御用達の、がっつり食べる系食堂だ。
それに対して《食の楽園》は、内装からしてもはや上品という言葉が相応しい。ルシアのスイーツを目当てにティータイムにやってくることはあるので、別に悠利は場の雰囲気に呑まれたりはしない。しないのだが、今日に限っては、テーブルの上に当然のように並べられたカトラリーを見て、ちょっとだけ顔を引きつらせていた。
やだ、ナイフもフォークもいっぱいある、みたいな感じだ。一応、外側から順番に使えばいいことは理解している。逆に言うと、それだけしか解っていない。
ちなみにこんな風に並んでいるのは、ヨナスが流れるように注文したのがお昼のコースだったからである。コース料理頼むんだ、みたいな衝撃を受けた悠利だった。逆に、単品メニューを頼んで食べる感覚が、ヨナスにはないらしい。
そんな風に悠利が密かに衝撃を受けているなどとは思いもしないヨナスは、ウルグスが普段どういうもの食べているのかを聞いて楽しそうにしている。久方ぶりに食卓を共にするらしい兄弟の会話は、実に微笑ましい。
ふと悠利は、こちらへ近づいてくる人影に気づいた。白い料理人の衣装に身をまとったその人は、悠利の知り合いだった。
「こんにちは、ユーリくん。珍しい時間に来てるわね」
声をかけてきたのは、この
「今日はウルグスとウルグスのお兄さんのヨナスさんと一緒にお昼ご飯を食べることになったんです」
「そうなのね。ユーリくんがこの時間に来てるの珍しいし、頼みそうもないメニューだなぁと思ったから、気になっちゃって」
「ヨナスさんが、流れるようにランチのコースを注文されまして」
「いつもご注文いただいている商品だそうよ」
「なるほど」
流れるように注文したヨナスであったし、心得たように頷いていた店員の姿も覚えているよく食べに来るんだろうなあと思いつつ、悠利は真剣な顔でルシアを見た。
「あのルシアさん、一ついいですか?」
「何かしら?」
いつもと違って実に真剣な顔をした悠利に、ルシアも表情を引き締める。さあ、何でも聞いてちょうだいと言いたげなオーラである。そんなルシアに、悠利は質問を口にした。
「あの……、食べにくい物って出てきませんよね?」
大真面目だった。悠利はとてもとても真剣だった。コース料理を食べることに対して、思いっきり緊張していた。
悠利は庶民なので、ちゃんとしたコース料理を食べたことはない。両親や姉は知人の結婚式などで食べたことはあるようだが、高校生の悠利はそういうのには縁遠く、今までそういうものを食べたことがないのだ。つまりは、ナイフとフォークを駆使して難しいものを食べられるほどの技量はない。実に切実な質問だった。
そんな悠利に対して、ルシアは真剣な顔で大真面目に口を開いた。
「大丈夫よ。お昼のコースはそんなに難しいものは出てこないから。基本的に、外側から使えば大丈夫だし、食べやすいものしか出てこないわ」
「よかったです」
肩の荷が下りたと言いたげに、悠利は安堵の息を吐いた。何やら緊張していたらしい主が気を抜いたのを察して、ルークスは良かったねと言いたげに悠利の足を撫でた。
ちなみにルークスは、店内に入ってからずっと大人しく悠利の足元にいる。今日は自分は一緒に食事をするわけではないということも、うろうろとお掃除に動き回ってはいけないことも理解している。実に賢いのだ。
そこでルークスに気づいたルシアが「こんにちは」と挨拶をすると、ルークスは顔馴染みのルシアに向けてペコペコと頭を下げた。挨拶が出来る良い子である。
「それじゃ、ランチを味わってちょうだいね」
「はい。あ、コースに出てくるデザートもルシアさんのですか?」
「えぇ、そうよ。もっともティータイムの時間に出しているものよりは小振りだし、シンプルな感じに仕上げたけどね」
「そうなんですか?」
「お昼はどちらかというと軽めにしてあるのよ」
「なるほど」
ルシアの説明に悠利は納得した。お昼は料理がメインなので、スイーツがそこまで出しゃばってはいけないのだろう。それじゃあね、と微笑んでルシアは仕事に戻っていった。コース料理にもルシアのスイーツがあると解って、悠利は俄然機嫌が良くなった。上手に食べられるかは解らないが、とにかくコース料理と戦ってみよう、みたいな気持ちである。頑張れ。
そうこうしているうちに最初の料理、前菜が運ばれてきた。
前菜というだけあって、野菜を中心に作られた食べやすそうな料理ばかりだ。特筆すべきは、いずれも一口サイズのかたまりになってお皿の上に並んでいることだろうか?これならば。フォークで刺してしまえば食べやすい感じだ。
前菜はどうやら、数種類のサラダの盛り合わせのようだ。ポテトサラダのようなものもあるし、マカロニサラダのようなものもある。グリーンサラダに見えるものは、くるりとスモークサーモンらしきもので巻いてあり、フォークでぶすりと刺せるように仕上がっている。
また、プチトマトをくり抜いて、その中にサラダを詰めたものもある。手が込んでるなあと思いながら、悠利はその綺麗な盛り付けを眺めた。
「お昼のコースは比較的食べやすくて手軽なものが多いから、気楽に食べるといいよ」
「はい。実はここでコース料理って食べたことがなかったので、ちょっと緊張してたんです。でも、これなら僕でも食べられそうですね」
「そうだったのか……。それなら、頼めば箸も用意してくれるから声をかけるといいよ」
「どうしても駄目だったときにはそうします」
ヨナスの申し出に、悠利はペコリと頭を下げた。
日本でも最近は、フレンチなどでも言えばお箸を出してくれる店があるらしい。或いは、お箸で食べるフレンチ、お箸で食べるイタリアンなどというコンセプトの店もあるとか。だから、お箸を要求しても問題ないと言われたのは、ありがたい。
しかし、やはり目の前にシルバー三点セットが置かれているならば、それを使って食べてみたいと思う気持ちもあるのだ。チャレンジ精神は大事である。
なお、ヨナスが悠利にそんな風に声をかけたのは、ウルグスが「ユーリは箸を使うのが上手なんだ」と兄に伝えてあったからだ。使い慣れた食器があるなら、そちらの方が良いかなと言う心遣いだ。シルバーに慣れた者にとっては箸の方が難易度が高いが、悠利のように箸で育った人間にしてみれば、全てのことが箸で出来るのは事実である。お箸さんは万能なのだ。
とりあえず、気負わなくも良いということで、悠利は心置きなくこの美味しそうな料理を食べることに決めた。フォークでぷすりと刺して、スモークサーモンのようなモノで包まれたグリーンサラダを口へと運ぶ。酸味のあるドレッシングがかかっていて、雰囲気的にはカルパッチョのような味わいだ。
スモークサーモンのようなと言ったのは、ユーリが知っているものよりも火の通りがしっかりしているからだ。きちんと火を通した燻製肉に近いだろうか?このあたりでは生魚を食べる習慣がないので、こういった料理に使う場合も、やはりしっかりと火は通されているらしい。
思っていた食感とは多少違うものの、噛めば野菜の甘みとサーモンの旨味が口に広がるので、悠利はそれを堪能する。酸味のあるドレッシングがいいアクセントだ。この酸味は柑橘系のもののようだが、隠し味程度にオレンジのような甘味が入っている気がした。そのおかげで、酸っぱさを感じすぎずに爽やかな風味を堪能できている。
次にプチトマトの中にサラダを詰め込んだものを食べた。食べてから悠利は気づいたが、このサラダの味付けはケチャップを使用しているようだ。オーロラソースに近い味わいを感じる。
もぐもぐと味わって食べる悠利。プチトマトの水分と恐らくはジャガイモのペーストを味付けしたであろうサラダを噛めば両者の調和がいい感じになる。これはきっと、器のプチトマトごと食べるのが正解で間違いないな、という感じだ。
中の具材は、マッシュポテトのオーロラソース和えといったところだろうか。時々アクセントとしていく感じる食感は、細かく刻んだ茹でた豆かもしれない。お豆美味しいよねえと思いながら、悠利はのほほんと食べていた。
ありがたいのは、いずれもフォークで刺してしまえば簡単に食べられることだ。ナイフとフォークを駆使して食べるという難易度の高さではなかった。まぁ、まだ前菜なのだけれど。
個人的に悠利がナイフとフォークで食べるのが難しいと思っているのが、いわゆるグリーンサラダというものだ。野菜を箸でつまむならともかく、一体どうやってナイフとフォークで掴めばいいのだろうといつも思っている。レタスの芯やキュウリなどのしっかりと刺せるようなものを残しておくと、最後にそれで止めて食べやすいというのは聞いたことがある。
しかしこの前菜は、どれもフォークで食べやすいように調整されており、難しく考えることなく食べられた。料理人の優しさが身に染みる一品だ。
いずれも一口サイズのサラダの盛り合わせ。割とあっという間に食べ終わってしまった悠利だった。味わって食べていたつもりなのだが、気付いたらなくなってしまっていたのである。
そんな悠利の目の前では、ヨナスとウルグス慣れた手つきで、シルバーを駆使していた。確かにウルグスは食事のときの所作がしっかりしていると思っていたが、こうやって改めて見るとお育ちがいいんだなぁと感じる悠利だった。口には出さないけれど。
前菜を食べ終わると、次に出てきたのはスープだった。暑い季節だからだろうか、スープは丁寧に作られたビシソワーズだった。ビシソワーズは、ジャガイモの冷たいポタージュと考えていいだろう。
だが、簡単にビシソワーズと言っても、その作り方で出来が随分と変わる。そしてこれは、流石は大食堂と言うべきか、実に丁寧に作られた味わい深い一品だった。
「わー、生クリームのまろやかさとジャガイモの匂いがすごい。丁寧に裏ごししてあるんだなー」
感心したように呟く悠利。お勉強会みたいになっている。そんな悠利な姿を、相変わらずだなぁと言いたげな顔でウルグスが見ていた。
美味しい料理を食べに来たのだからただ美味しいと思って食べていればいいものを、お料理大好き少年は色々と気になってしまうらしい。普通はそんなこと気にしないぞと言いたげなウルグスの視線であるが、それにも気づかない程度には悠利は目の前の料理に釘付けだった。
スプーンで掬って口の中へとビシソワーズを運ぶ。丁寧に裏ごしされたジャガイモは滑らかな食感となって口を楽しませる。それだけではない。バターや生クリームを使って丁寧に伸ばしてあるのだろう。旨味がギュッと濃縮されている。
またそれらの調味料に頼らずとも、ジャガイモそのものの美味しさがしっかりと生きているのも特徴だ。暑い季節を乗り切る冷たいスープ。あっさりとしているはずなのに、不思議と濃厚な旨味がそこにあった。
悠利は特にビシソワーズが好きというわけではないのだが、今こうして食べて、暑い季節には冷たいスープが美味しいいうことを噛みしめていた。実際、美味しいものは美味しいで間違ってはいない。
しっかりと味わうようにしてビシソワーズを堪能している悠利を見て、ヨナスは不思議そうな顔をしている。この子はどうしてそんなに真剣にスープを飲んでいるんだろう、という顔だ。ウルグスはそんな兄に苦笑しながら告げた。
「料理が趣味だから、こういうとこに来るとどういう風に作ってあるのかが気になるんだと。だから、こんな風にじっくり堪能するんだよ」
「それはまるで料理人のようだね」
ウルグスの説明を聞いたヨナスは、微笑みながらそう告げた。他人が作った料理を、どんな材料が使われているのか、どういう風に作られているのかと気にしながら食べるのは、彼の感覚では料理人の性だ。兄の言葉を、ウルグスは否定しなかった。まぁそんな感じだよな、と思ったので。
否定したのは、当の悠利だ。口の中のビシソワーズをきちんと飲み込んでから、口を開く。
「いえ、僕、別に料理人さんじゃあないですよ。ただ単に、料理が好きなだけです」
そんな風にあっさりと言いきった。まぁ、実際に悠利は料理人ではなく、あくまでも料理が好きな一個人ではある。しかし、それが事実だとしても、彼の料理に賭ける情熱とか料理の腕とかは、間違っても一般人ではないのだ。自分の料理
ちなみに、お昼のコースはメインディッシュが肉か魚のどちらか一つということになっているらしく、今日はヨナスのお勧めで肉料理を選んである。スープをじっくり味わって満足した頃合いに、次の料理が届いた。
届いた肉料理を見て、悠利は目をぱちぱちと瞬かせた。コースの肉料理というからてっきりステーキのような感じで、自分でナイフで切る料理が出てくると思ったのだが、現れたのは一口サイズに切られた肉料理だった。サイコロステーキのようなものに見える。
ただ、よく見るとどうにも少し趣が違うように感じられる。確かにサイコロステーキなのだけれど、随分と不揃いな印象を受けたのだ。
「これは、いずれも違う部位の肉を使ったステーキでね。一度に沢山の肉は食べられないけれど、様々な部位を味わえるというものなんだ。お試しに丁度良いんだよ」
そう、ヨナスは穏やかに告げた。言われてみれば、肉は全て同じぐらいの大きさに切られているものの、断面が別々の肉のように見える。
「お試し、ですか?」
「あぁ。肉の種類や部位は好みが分かれるからね。お昼のコースは軽く食べてみようという感じのものだから、色々なものを食べられるようにこうなっているらしい。魚料理は一匹だから、それを思うと肉料理の方お得かなと思って、今日は肉にさせてもらったよ」
「なるほど……。じゃあこれ、全部違うお肉なんですね」
「そのはずだよ」
ヨナスの説明に、悠利は改めて皿の上の肉を見た。食べやすいように一口サイズに切られた肉が、それぞれ異なるソースをかけられて並んでいる。ウルグスとヨナスはどれがどんな肉なのかが解っているのか、迷いなくパクパクと食べている。
なお、ウルグスはよく食べる少年なので、用意されたパンを肉と一緒に食べているのだが、パンは既にお代わりに入っていた。悠利はまだパンには手をつけていない。目の前の肉をじっと見ていた。
悠利の持つ鑑定系最強のチート
初めて食べる《食の楽園》のコース料理である。きっちりと味わいたかった。鑑定結果でどの肉、どのソースというのを知ってしまうと、初回の感動が薄れる気がしたのだ。
だから悠利は、全く何も知らない状態で一つの肉をフォークで口へと運んだ。何かの赤身肉なのだろうか。表面はしっかりと焼かれているが、断面はまだ赤い。柔らかく、フォークを刺しただけで肉汁がこぼれるほどだ。
かかっているソースは緑色だった。バジルかなと思ったが、匂いを嗅いでも特にそういった感じの香りはしなかった。口に入れると、肉の柔らかな食感と、表面をしっかり焼かれたことによる香ばしさがじんわりと広がる。ソースはどうやらほうれん草のペーストのようで、野菜の甘味が感じられる。何の肉かは解らないけれど、赤身の柔らかいお肉ということで、悠利はもぐもぐとその味を堪能した。口の中に広がる肉汁とソースがいい感じに合わさって、とても美味しいのだ。
一つ目で既に幸せと言いたげなふにゃりとした顔をしている悠利。次のお肉は何かなとワクワクとフォークを刺すその姿を、ウルグスとヨナスは微笑ましそうに見ていた。
彼らにしてみれば食べ慣れた食事なのだが、コース初体験の悠利にとっては未知の領域、そして感動の連続なのだと彼らは察してくれたらしい。普段ならば、食べながら色々と雑談をするウルグスではあるが、今日ばかりは悠利に特に声をかけなかった。この料理はどういう風に作られているんだろう?これはどういう味なんだろう?とわくわくしながら食べている悠利なので、そっと見守ってくれているのだ。
次のお肉は、一つ目の肉に比べて脂が多いように見えた。差しが入っているというべきなのだろうか。霜降りとまではいかないが、脂と赤身のバランスが絶妙だ。赤い断面に白い筋が入っているようなお肉。
これはどんな味なのだろうかと、悠利は口の中に二つ目の肉を運ぶ。口の中に入れると、こちらも同じく表面の香ばしさと中の肉汁がじゅわりと口の中を満たした。一つ目の肉と違う点は、その肉汁が脂の旨味をギュッと濃縮させたように感じる部分だろう。味わい深いと言うか、濃厚というか、肉を食べている!という感じのパンチがある。
ソースはシンプルな塩と胡椒をベースにしたものらしく、塩だれのようなソースがかかっていた。そのシンプルな味わいが、肉の脂の旨味を引き立てているともいえる。こちらもまたとても美味しい。先ほどの肉に比べて味が濃いように感じるのは、違う種類だからなのだろうか、と悠利は思う。
そうやってゆっくりと肉を堪能すると、悠利はやっとパンに手を伸ばした。パンも食べなくちゃという気分だ。別に忘れていたわけではない。ただ、目の前の肉に心が奪われていただけである。
本日のパンは、バターロールのようなふんわりとした感じの柔らかなパンだった。形がロールパンのようになっている。バターが添えられているので、ちぎってそのバターをつけて食べてみる。バターも上質なのか、口の中に含んだ瞬間にふわりと旨味が広がった。パンから感じる小麦の甘み、バターの塩気、その二つが合わさって何とも落ち着く味がした。
今まで出てきた料理はちょっと豪勢な味わいで、食べ慣れない雰囲気があったのに対して、パンは焼きたてふわふわという感じで、どこか馴染みがある。勿論、普段食べているパンより美味しいと感じはするのだが、パンの味やバターの味というのはそれほど普段食べているものと違うように感じないので、何だかひどく落ち着いたのだ。
「肉を食べ終わったら、後はデザートだからな」
「僕は美味しかったけど、ウルグス、これで足りるの?」
「パンをおかわりしたし、そもそも俺のは肉が大盛りだ」
「大盛りにしてたんだ」
「気づかなかったのかよ」
「食べるのに必死で」
あはははと悠利は笑った。確かに言われてみれば、届いたときにウルグスの分は肉が随分とたくさん載っていたような気がしなくもない。パンのおかわりを流れるようにしていたのは知っているが、肉に関してはあまり気にも留めていなかった。
「本来コース料理というのは魚料理と肉料理があって、その二つの間に口直しのソルベもあるのだけれどね。このお昼のコースは手軽に食べられるようにと、肉か魚どちらかを選んで食べるようになっているんだ」
「そういうことになっているんですね」
「そうすることで値段も下げられるからね。お昼のコースを食べて興味を持った人が、夜に本格的なコースを食べに来てくれれば良いというスタンスらしいよ」
「なるほど。確かにそういう感じだったら、お昼のコースならちょっと頑張れば手が出せるみたいなことありますもんね」
ヨナスの説明に、悠利はしみじみと呟いた。何せここは、
だからこそ、品数を減らした上で値段を抑えたお昼のコースは、ちょっと食べてみたいと思う人々に魅力的なのだろう。周囲を見てみれば、悠利達と同じ料理を食べている人々の中には、ごく普通の庶民という雰囲気の人もいた。奮発して美味しいものを食べに来たのかもしれない。
「そしてね、このお昼のコースを食べてみたら、夜のコースも食べてみようと思わせるだけの美味しさがある。少なくとも店側は、そういう意味で提供しているらしいよ」
「解ります。だってお料理、とっても美味しいですから」
悠利は大真面目な顔で頷いた。ヨナスの言い分は納得が出来るものだった。ちょっと奮発してお昼のコースを食べてみた人が、その美味しさに魅了されて夜のコースを食べられるように頑張ろう、みたいになるのが想像できる。実際、悠利も夜のコースがちょっと気になっているぐらいだ。
料理の味で客を引き込める自信があるからこそ、お昼にリーズナブルなコース料理を提供しているのだろう。ある意味でこれは、料理人のプライドによって用意されているのだ。
「後、あれだよ。昼から完全なコース料理ってなると、結構時間かかるからさ。これ品数少ないからそんなに時間かかってねえけど、そもそもコース料理って順番に出てくるもんだからな」
「あっ、そっか。確かに、これ以上品数があったら、食べ終わるまで結構時間かかっちゃうね」
「そう。昼飯って、食った後に仕事がある人とかも多いだろ。だから、品数少なめのコースの方が喜ばれるんじゃないかって俺は思うけど」
「確かにそうだねー」
そんなところによく気付いたねー、と言いたげな悠利。なお、ウルグスがその考えに至ったのは、家族と一緒に夜のコースを食べたことがあるからだ。昼と夜の違いを考えて、食事にかかる時間が随分と違うなと思ったのである。
口にはされないが、ウルグスが夜のコースも食べたことがあるのを悠利は薄々察した。察して、ウルグスはやっぱりお坊ちゃまなんだなぁ、と何度目になるか解らない感想を抱いた。あくまで心の中で。しかし顔に出ていたので、ウルグスに睨まれる羽目になる。
別にからかっているわけではないのだ。ただ、普段のウルグスのことを考えると、全然お坊ちゃまに見えないなあと思ってしまうだけで。これは別に悠利が悪いわけではあるまい。ウルグスの普段の言動はどう考えたってガキ大将なのだ。
というか、ヨナスを見て悠利は思った。こういう感じに育つのが、普通のはずのお家なんじゃないかな、と。なのに何で、こんなにも庶民のバリバリな感じの少年が出来上がったのだろうか、と。まあ、聞くのも野暮なので聞かないが、顔に出てしまうぐらいは許してほしい。悠利は腹芸そんなに得意ではないのだ。
そんな風に悠利とウルグスがじゃれていると、デザートが運ばれてきた。
「ルシアさんのスイーツだ!」
ぱぁっと悠利は顔を輝かせる。先ほどもきちんと確認しておいたこのスイーツは、パティシエであるルシアさんの手だ。他の人が作ったスイーツが不味いとは言わない。しかし、お菓子作りに天賦の才を持つ
本日のスイーツは、季節のフルーツを使ったムースのようだ。ふわふわと柔らかそうなムースに、底にはしっかりとしたスポンジが見える。フルーツソースのかかった表面は艶やかで、それだけで食欲をそそる。
小さなガラスの器に入っているので分量は控えめだが、それでもやはり美味しそうという感想を悠利は抱いた。このムースはもしかして、このコースにしかついていないのかもしれない。もしもそうならば、ヘルミーネに教えてあげるべきだろうと悠利は思った。
ルシアの友人で彼女のスイーツの大ファンであるヘルミーネは、食べたことがないスイーツがあれば食べてみたいと思うだろう。多分彼女も、ルシアのスイーツ目当てでしかここへ来ていないはずなので、コース料理は食べていないはずだ。
「いただきます」
改めて手を合わせ、悠利は目の前のスイーツと向き合う。いざ、実食である。
スプーンで触れれば表面はぷるんと弾力があるが、スプーンは簡単に入り込む。するりと入るほどに柔らかい。やはりここは底のスポンジも一緒に食べた方が美味しいよね、と悠利は下までとぐいっとスプーンを入れた。
そうすると、ムースの真ん中にフルーツソースの層があることに気づいた。とろりと流れてくるソースが目を引く。
「贅沢仕様……」
思わず呟く悠利。ムースを作るときにそもそもフルーツソースは入っているはずなのに、更に追いソースになっているとは思わなかった。間にフルーツソースを挟むことで、濃厚さが際立っている。
ぱくりと口に入れれば、広がるのは柑橘の甘味と恐らくはブドウの甘味。なるほど、この紫色をしていたのはブルーベリーじゃなくてブドウだったのかと悠利は思った。巨峰のような甘味と、マスカットのような爽やかさが同居した不思議な味だ。何をどう使っているかは解らないが、ふわふわと柔らかなムースは口の中でシュワリと溶けて、フルーツの旨味を凝縮している。
土台となっていた柔らかなスポンジも、どうやら生地にフルーツの果汁が練りこんであるらしい。これだけを食べてもほんのりと甘みがした。
「うん、やっぱりルシアさんのスイーツは美味しい」
幸せそうな顔をする悠利。ふとテーブルを見れば、スイーツと共にどうぞと言わんばかりに運ばれてきていた紅茶があった。ウルグスはユーリと同じく紅茶であった、ヨナスだけがコーヒーだ。コーヒーはやはり大人の飲み物なのだろう。少なくとも悠利は紅茶の方が好きである。
甘いスイーツと温かな紅茶を飲んで幸せに浸る。一通り料理を食べて思ったのは、意外とお腹を満たしたのはビシソワーズだったなぁという感想である。ジャガイモのスープは美味しいだけでなく、腹持ちも良いらしい。
「どうだったかな?」
「とっても美味しかったです。ごちそうさまでした」
「ごちそうさまでした」
悠利が挨拶をすると、ウルグスも釣られたように答える。ヨナスも口の中で何かを呟いていたようだ。もしかしたらお祈りの言葉か何かなのかもしれない。
「それじゃ食事も終えたことだし、外へ出ようか」
「はい」
立ち上がり、三人は連れだって歩いていく。ずっと大人しくしていたルークスも、彼等の動きに同調してぽよんぽよんと跳ねている。
すれ違う店員に美味しかったですと言葉をかける悠利。これはいつものことなので、ウルグスも特に気にしていない。
そして、会計場所にたどり着いたところで悠利はお財布を出そうとしたのだが、何故か先を行くヨナスはそのまま素通りした。ウルグスも普通の顔でそれに続いている。悠利は思わず声をかけた。
「ウルグス、あの、お会計!」
「あぁ、家で払ってくれるってことだろ、兄さん」
「そりゃ勿論、年長者として払わせていただきます。さぁ、行こう。後ろがつかえているからね」
「えっ、あの、ええー!?」
奢ってもらうことに対する抵抗が多少あるのも事実だが、それ以前にヨナスがお財布を出さなかったこと、つまりはお会計をしていないという衝撃の方が強い。まさか先ほど話で聞いていたツケ払いを、目の前で見せられるとは思わなかった。いや、ツケ払いというのが正しいかは解らないのだが。他に丁度良い言葉を悠利は知らないのだ。
店員の方も慣れたものなのか、「いつもありがとうございます」などと穏やかに会話をしている。ヨナスとウルグスがそうやって歩いていくので、悠利だけお支払いしますなどとやる空気ではない。仕方なくルークスを連れて二人の背中を追うのであった。
「お金払わなかった……。お坊ちゃまの生活、よく解らない……」
思わず呟いた悠利があるが、まあ庶民の彼にとってはそういう反応になるのだ。仕方ない。未知の世界、衝撃の事実であった。まさか自分がそれに遭遇するとは思っていなかったので、余計にだ。
とはいえ、お昼のコースはお手頃価格でとても美味しかったので、皆にもお勧めしてみようと思う悠利でした。美味しいものは共有したいので。
なお、帰宅後、ヘルミーネに話をしたところ、「何それ!そのムース、私知らない!」ということであったので、やはりあれはコース限定のデザートだったらしい。食べられてよかったなぁと思う悠利の背後で、お昼のコースを食べに行かねばと燃えるヘルミーネの姿があった。後、彼女と同じように燃えているブルックの姿もあるのだが、まあそれらはまた別の話である。
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