黒幕さんとエンカウント

 ごくり、と悠利ゆうりは生唾を飲み込んだ。ガラにもなく緊張しているのには、一応理由があった。

 ティファーナが己の伝手である閣下と呼ばれる老紳士に頼んで準備して貰った会場は、王都にある閣下の邸宅であった。閣下なんて呼ばれる人だから偉い人だろうと思っていたので、お屋敷が立派なことぐらいでは悠利だって別に驚かない。

 いや、お貴族様のお屋敷にご招待されることなんてないので、勿論それなりに緊張はする。しかし、今緊張しているのはそれとは別の問題だった。まぁ、ある意味同じ問題でもあるのだが。


「……ねぇ、ヘルミーネ」

「……何よ」

「お貴族様のお屋敷って、大きさもだけど、確か、お城からの距離が立場に影響するって話だよね……?」

「……そうよ」

「……だよね?」


 自分の付け焼き刃の知識が間違っていないことに、悠利はちょっと安心した。安心したけれど、問題は何も解決していなかった。余計に現実が重くのしかかる。

 王都ドラヘルンにある貴族達の邸宅は、王城からどれだけの距離にあるかで力関係が目に見えて解るようになっている。それは単純に力が強いとか、家柄が良いとかの意味ではない。王城からの距離はすなわち、王家からの信頼の証である。

 爵位がそこまで高くなくとも、代々王家に忠実に仕え信頼を得ている家系などは、随分と近い場所に屋敷を構えている。逆に、爵位は高く力もあるが、それ故に警戒される立場にある家の屋敷は少し遠かったりする。安全上の理由であり、対外的に王家との距離を伝えるものでもある。

 ……なので、時折お引っ越しが発生したりするらしい。悠利達はよく知らないし、近年はあまりそういった大きな動きはないらしい。

 とりあえず、悠利とヘルミーネの座学で学んだちょびっとの知識から判断して、お城から近いお屋敷=王家に滅茶苦茶信頼されてる凄い人、という構図が成立する。まぁ、間違ってない。

 そこを踏まえて、二人はそっと窓の外を見た。大きな窓だ。窓枠の飾りも美しく、取っ手部分にも装飾が施されている。窓だけで幾らするんだろうと思うような造りである。

 二人が気にしているのは窓の凄さではない。いや、お貴族様のお屋敷の豪華な家具とか調度品とか装飾とかが凄いとは思っているが、それは一応横に置いておく。彼等が緊張でガチガチになっているのは、窓から見えるででーんと大きなお城にあった。


「……ほぼお隣さんだね」

「……そうね、ほぼお隣よね」

「庭と城壁があるから距離は多少あるけど、何かこう、お隣さんっていう距離だよね」

「うん」


 二人は顔を見合わせて目で会話をした。こんな距離にお屋敷を許されている閣下って、一体何者なんだろう、と。そして同時に思った。怖いから知りたくないな、と。

 彼等は二人とも小市民だった。偉い人と積極的に関わりたいわけではない。むしろ色々と怖いので、知らなかったフリをしていたいぐらいだ。

 しかしそんな彼等の細やかな願望を、隣に控えていたアリーがさっくり裏切ってくれた。いや、アリーは悪くないのだ。ただご挨拶をしただけなのだから。


「お久しぶりです、前辺境伯閣下。この度はご助力いただき、誠にありがとうございます」

「久方ぶりだね、アリー殿。こちらこそ、有益な情報をもたらしていただいて感謝しているよ。この老いぼれが役に立てるならば、いくらでも協力するとも」

「恐れ入ります」


 大人な会話を交わしているアリーの背後で、悠利とヘルミーネは顔を見合わせ、声にならない声で「辺境伯って言った!」と叫んでいた。声は出していない。騒いだら失礼になることぐらいは理解している。

 ただ、衝撃が凄まじかった。正しくは前辺境伯だが、そんなことは二人にはどうでも良い。偉いお貴族様だと思っていたら、まさかの辺境伯家の方だったとか、衝撃すぎる。二人にしたら雲の上の人だ。

 ざっくり言うと、辺境伯とはこの国において国境沿いの重要拠点を統治する家柄のことである。特に、地理的に重要とか、侵略を狙うような敵対者がいる地方に置かれることが多い。名称こそ伯であるが、実務権限などはほぼ侯爵に近く、王家の信頼も厚いエリート貴族様である。

 その名の通り領地は王都から遠く、当主が顔を出すのも年に何回かの行事の折などに限られる。他の貴族家とは異なり、社交シーズンに顔を出すことも少ないが、存在感だけは常に保ち続ける国の要石の一つとも言えた。

 まぁ、そんな難しいことを考えずとも、とりあえず「王家の信頼も厚い物凄く偉い人」ということが解っていれば良いだろう。庶民の悠利達の認識はそういうものである。

 そして、そんな偉い人と同じく空間にいるという事実に、二人はちょっと緊張していた。粗相をしてはいけないとガチガチである。主の緊張が伝染したのか、ルークスもちょっとしゃちほこばっていた。

 そんな二人の肩を、ぽんぽんと優しく叩く手があった。ティファーナだ。


「二人とも、そんな風に緊張しないで大丈夫ですよ。閣下はお優しい方ですから」

「てぃ、ティファーナさん、で、でも……」

「だ、だって、今、辺境伯って……」

「はいはい。それは確かに事実ですけれど、閣下はもう引退されていますし、よほどの無礼でなければお怒りになりませんよ」

「「そのよほどの無礼をしそうなんですが……!」」


 だって正しい礼儀作法なんて解らないもん!と悠利とヘルミーネは必死に訴えた。こんなところで無礼討ちになどなりたくない。うっかり保護者に迷惑をかけるようなことはしたくないのだ。

 うえーん、偉い人怖いよー、みたいになってる二人を、ティファーナは仕方ないわねぇと宥めてくれる。優しいお姉さんにぎゅーっと抱き締められて、その心臓の音を聞いてちょっと落ち着く悠利とヘルミーネだった。

 その光景に、アリーはため息を吐いた。同じ部屋でやっているのだから、二人があたふたしているのも閣下には丸見えである。ちょっとは落ち着けと小言が口をついて出たのも仕方あるまい。

 しかし、閣下の方は子供二人のあたふたを微笑ましく受け取ってくれたらしい。ティファーナに抱き締められたままの二人の元へ歩み寄ると、優しい声で話しかける。


「初めまして。君達がティファーナ嬢の話にあった確認役だね?どうぞよろしく」

「ゆ、ユーリです!」

「ヘルミーネです!」

「「よろしくお願いします!」」


 元気よく挨拶をした二人だが、頼るものを求めるようにティファーナにひしっとしがみついたままだった。あらあらと楽しそうに笑うティファーナの笑顔に、閣下も柔らかく笑ったままだった。局地的にほのぼのである。

 そんな中、それまで主の緊張が伝播したのかカクカクしていたルークスが、キリッとした瞳のまま頭を下げた。深々とお辞儀をするスライムに、老紳士は目を丸くする。


「キュピ!」


 お辞儀から元の姿勢に戻ったルークスは、何やら決意を固めたような瞳で老紳士を見上げていた。この場にはアロールがいないので誰にも通訳は出来ないが、その瞳から何となく通じるものがある。この愛らしいスライムは、任せてくれと言っているようだった。


「……ユーリくん、こちらは君の従魔だと伺っているけれど、何を伝えたいのだろうか?」

「僕も、全部は解らないんですが、あの……、多分……」

「……?」

「……犯人を捕まえるのを任せてくれ、みたいな感じなんだと思います」

「何と……」


 悠利の説明に、ルークスはその通りだと言いたげに身体を上下に揺すった。ルークスにとってはフレッドも大事な大事な庇護対象である。また危ない目に遭ったのだと知っているので、その犯人は絶対に逃がさないぞ、みたいになっているのだ。

 老紳士が驚いたように目を見張るのも当然で、普通のスライムはそんな風に理知的な思考を持っていたりはしない。勿論スライムにも様々な種族がいるのだが、ルークスぐらいのサイズのスライム達はそこまで知能は高くないのだ。

 ……ルークスは超レア種の更に変異種でこのサイズなだけなので、一般常識は当てはまらないのである。

 ルークスは規格外ではあるが、《真紅の山猫スカーレット・リンクス》の面々はもうそれに慣れている。慣れていない老紳士の反応が気になるところであるが、流石は辺境伯を務めた御仁であった。彼は、穏やかに微笑んでルークスの頭を撫でた。


「それは頼もしい。では、容疑者を迎え入れた際には、逃亡せぬように見張りを頼もうか」

「キュイ!」


 任せてくださいと言うように、ルークスはぽよんと跳ねた。愛らしい姿に、並々ならぬ決意が宿っている。……ルークス相手にも丁寧な物腰の老紳士に、悠利とヘルミーネはちょっとだけ緊張が解けた。怖い人じゃないかもしれない、と。

 いや、悠利は老紳士が人当たりの良い優しい方だというのは知っている。建国祭を一緒に回るためにティファーナを迎えに来たときに会話をしているからだ。だがそれでも、相手が大貴族だと解ってしまうとちょっと身構えてしまったのだ。庶民なので仕方ないのです。


「それでは、手はずを説明しても良いかな?」

「「はい」」

「もう少ししたら例の伯爵が我が家へやってくることになってくる。君達には隣室から様子をうかがってもらうことにしよう」


 こちらだよ、と老紳士に案内されて、一同は隣の部屋へと移動した。今までいた部屋は応接室らしい。その隣にあったのは、屋敷側の使用人の控え室なのか小さな部屋だった。

 一つ気になる点があるとすれば、隣室との境界である壁に大きな大きな鏡があることだ。巨大な窓と言っても良い。一列に皆が並んでもまだ余るぐらいの長さだ。

 その鏡を固定している額縁の飾りを、老紳士はそっと触った。……次の瞬間、鏡は鏡ではなくなった。それはまさに、窓だった。


「……え?」

「な、何で向こうの部屋が見えちゃうの……!?」

「あらあら、面白いですわね、閣下」

「なるほど……。これなら思う存分確認出来るな」

「心配しなくとも、向こう側からは見えないよ」


 にこにこ微笑む老紳士。そういう問題だろうかと思う悠利とヘルミーネだが、大人二人は物凄く納得していた。貴族様のお屋敷なので、そういう仕掛けの一つや二つあっても驚かないということだろう。

 衝撃から立ち直るのが早かったのは、悠利の方だった。混乱しているヘルミーネをよそに、ふむふむと一人で納得している。何せ、似たような技術を悠利は知っている。いわゆるマジックミラーだ。

 片側からは向こう側が丸見えで、片側からは鏡や壁にしか見えない、というアレだ。異世界にもそういうのあるんだなぁと一人感心している悠利だった。なお、その足元でルークスはぴょんぴょん飛び跳ねては鏡であった物体を確認している。……小さなルークスでは飛び跳ねるか伸び上がるかしないと見えないのである。


「それでは、私は客人とお茶を楽しむことにするので、皆さんには仕事をお願いします」

「「はい」」

「承知しました」


 作戦の決行をゆるりと告げる閣下の言葉に、悠利とヘルミーネは精一杯厳かに返事をし、アリーは恭しく頭を下げた。自分達の仕事がどれだけ重要かを、彼等は確かに知っているのだ。

 そんな風にシリアス一辺倒に染まった空気を、ティファーナの柔らかな声が塗り替えた。


「閣下、後ほど私ともお茶をしてくださいね」

「勿論だよ、ティファーナ嬢。今日は妻もいるのでね。君を帰したら私が怒られる」


 ではまた後で、と笑顔を残して去っていく老紳士。何で今そんな会話したの?みたいな視線を向ける悠利とヘルミーネに、ティファーナは戯けたように笑って見せた。


「二人とも、今から緊張していては疲れますよ?」

「……あ」

「……はい」


 なるほど、自分達の緊張をほぐすためでもあったのか、と悠利とヘルミーネはこくりと頷いた。確かに、相手が来ないと話にならない。来るまでは暇である。

 とりあえず暇だから雑談でもしていようという感じで過ごしていた悠利達は、隣室に客人を案内する旨を使用人に伝えられた。そこで、わいわい話すのを止めて、会話は小声に留めた。勿論ルークスも大人しくしている。

 窓のようになった巨大鏡の向こうに、身なりの良い男性が部下を何人か連れて入ってくる。服装こそ違うが、背格好は悠利の記憶にあるヘルミーネにぶつかりそうになった男性と似ていた。

 相手の顔は覚えていると言ったヘルミーネの反応はどうかと視線を向けて、悠利はすぐに視線を前方に戻した。戻したけれど、隣から漂ってくるオーラは消えなかった。


「……ここで会ったが百年目よ……」


 大声を出すわけにはいかないので静かだが、その分怒りを煮詰めてどす黒く染まったような声だった。愛らしい美少女の美しい声で告げられるには物騒なセリフである。というか、そんな言い回しをどこで覚えてきたんだろうと悠利は思った。

 思ったけれど、ヘルミーネは羽根人だ。人間の約三倍の寿命を持つと言われる種族なので、彼女達の中では百年は意外と普通に使う単位なのかもしれない。

 とりあえずヘルミーネの反応から目当ての人物で間違いないと理解した悠利は、アリーに視線を向けた。見たままを、素直に伝える。


「アリーさん、赤です」

「遠慮なく確認しろ」

「はい」


 悠利がアリーに許可を求めたのは、やはり人物相手の鑑定はプライバシーの侵害になるからである。例外とされているのが赤判定の出た相手だ。これは危険人物という意味なので、安全のために確認することを許されている。

 アリーの方も【魔眼】で相手の素性を確認しているらしい。ぶつぶつと、身分だの所属だのについて呟いている。悠利の方はその辺には興味がまっっっったくないので、欲しい情報だけが見られるように念じて【神の瞳】を発動させた。

 その鑑定結果はというと――。




――備考。

  ヘルミーネとぶつかって金ボタンを落とした人物です。

  また、ぶつかった理由は逃走していたからであり、疑惑の通り襲撃事件の関係者です。

  ただし、あくまでも実行犯の一人であり、真の黒幕ではないようです。

  詳しく調査して背後関係を洗うことをおすすめします。




 今日も愉快に元気にフレンドリーだった。多分一般的な鑑定画面には出てこない文言であるのだろう。しかし悠利には見慣れたいつもの感じなので、なるほどと頷くだけである。

 とりあえず、今のところ欲しい情報は全部入っていた。【神の瞳】さんは仕事の出来る技能スキルである。


「アリーさん、とりあえず実行犯で間違いないみたいです」

「こっちもちょいちょい気になる判定が出てる」

「じゃあ、やっちゃって良いやつですよね?」


 悪い人決定ですよね?と満面の笑みを向ける悠利。無邪気な子供の笑顔に見えるのに、背後に何だか色々と背負っているような感じだ。珍しくやる気満々である。いや、この場合る気と言うべきか。

 そんな悠利の足元で、ルークスもぽよんぽよんと跳ねながらアリーの様子をうかがっていた。出動して良いですか?みたいな感じである。こっちもスイッチが入っていた。物騒主従である。

 正直なところ、悠利にもルークスにも、襲撃犯の裏の事情なんてどうでも良いのだ。どこの誰と誰に繋がりがあって、何故フレッドを狙ったのかなんて、別に知りたいわけではない。お友達を攻撃した無礼な相手をとっ捕まえたいだけなのである。

 しかし、大人はそうはいかない。今すぐにでも隣室に移動しそうな悠利の首根っこをアリーは引っつかんで止めた。何でー?と不服そうな顔をする悠利に、ため息を吐いてから説明を口にする。


「閣下がお膳立てしてくださってるんだから、きちんと段取りを踏んでからだ。後、今ここでぶっ飛ばしても何にもならんから、物騒なことは止めろ」

「せめて一発殴りたい、もとい、ルーちゃんに一撃入れてほしいだけなのに……」

「そいつの一撃だと下手したら致命傷だろうが」

「ルーちゃんは手加減だって上手ですよ」

「そういう問題じゃない」


 ちょっと落ち着けと言われて、悠利はぷぅと頬を膨らませた。その背後でヘルミーネも同じような仕草をしていた。こちらもこちらで、一発ぶん殴りたかったらしい。物騒が増えている。

 とはいえ、説明されたらちゃんと理解はしたので、使用人を通してこちらの確認が終わったことを伝える。当初の手はず通り、まずは金ボタンをお返しするのだ。悠利は学生鞄から金ボタンを取り出して、ぎゅっと握った。

 使用人に招かれて、悠利とヘルミーネは隣室へと移動するために一度廊下へ出ることになった。ここから直接でも行けるのだが、あえて廊下側の入り口から入る方が角が立たないだろうということだった。何せ、この部屋は明らかに控え室っぽいので。

 なお、ティファーナは特に関係がないので待機で妥当なのだが、アリーも残ることに悠利は首を傾げた。一緒に来ないんですか?と顔に出ている。


「俺の顔は知られてるから、出ていったら警戒されるだろ」

「なるほどです」


 確かにその通りだなと納得できたので、悠利は頷いた。行ってきますとヘルミーネと笑顔で移動する。勿論、悠利の忠実な護衛であるルークスも一緒にだ。見た目がただの可愛いスライムなので、一緒にいたとしても警戒はされないだろうという判断だった。

 使用人に案内されて室内に入ってきた悠利とヘルミーネに、相手は不思議そうな顔をした。何だこの子供はと言いたげである。その疑問は、柔らかな笑みを浮かべた老紳士が解いてくれる。


「この子らは、貴殿の落とし物を拾ったので渡したいとそうなのだ。ただ、貴殿に繋ぎを取る方法が解らず、知り合いの伝手で私を頼ってくれたのだよ」

「それは、閣下にはお手間を取らせまして……」

「良いのだ。隠居の年寄りにしてみれば、たまの面白い事件だよ」


 微笑む姿は優しいのに、その奥底にひやりとするものを感じ取った悠利だった。それは裏事情を知っているからだろうか。男は特に何の反応も示していなかった。

 目線で促されて、悠利は一歩前に出て手の中の金ボタンをそっと差し出した。


「数日前、彼女とぶつかりそうになったときに落とされたものです」

「……ぶつかりそうになった?」

「はい。私の鞄の紐と腕が絡んで、引き抜かれた際に落ちたのだと思います」


 悠利もヘルミーネも、友好的な雰囲気を隠さない。相手の尻尾を掴むまでは敵意を向けてはいけないのだ。その証拠のように、ヘルミーネは申し訳なさそうな顔を作って続ける。


「こんな立派なボタンを、私の鞄と絡まったせいで落とされてしまって……。どうしてもお届けしてお話ししなければと、こんな形を取らせていただきました。申し訳ありません」


 そっと伏し目がちに告げるヘルミーネの姿は、その愛らしい容姿とあいまってどこまでも儚く見えた。というか、完全に別人だった。いつもの威勢の良い小悪魔ちっくなお嬢さんはどこに行ってしまったのだろうか。これではまるで儚げ美人なお嬢さんイレイシアのようである。

 ちなみに、これは、悠利の知らないところでティファーナが行った演技指導の賜である。ヘルミーネの外見は羽根人らしく金髪碧眼で愛らしい。線も細く、表情や仕草、口調をそれなりにやってみせれば、控えめで儚げな清楚美少女のフリぐらいは出来る。

 大抵の男はこういうのに弱いものですから、と上品に微笑んだお姉様のご指導通りに、ヘルミーネは頑張っていた。本当なら「そっちのせいで転けそうになったんですけど!」と恨み節をぶつけたいぐらいなのだ。しかしそれを今やるのは下策だと諭されたので、腸が煮えくり返る思いをしながらも反省している儚げ美少女のフリをしている。

 それを隣で見ている悠利は、(誰だろう、コレ……)と一瞬思ったが、すぐに気を取り直した。多分何かの作戦なんだろうなと考えたのだ。一応空気は読んだのでした。


「いや、わざわざ届けてくれてありがとう。しかし、そんなことがあったかな……?」


 惚けているのではなく、本気で解っていないらしい。それぐらいあの日はいっぱいいっぱいだったのだろう。困ったように笑うヘルミーネの傍らで、悠利はにこにことしたいつもの笑顔のままで正面突破の一撃を投げつけた。


「えぇ、まるで大慌てでどこかから逃げていくように走っていかれましたけれど」

「……ッ」

「そういえばあの日は、少し前に近くで何か騒動があったようなんですが、何かご存じですか?そちらの方から、血相を変えて走ってこられたように思うのですが」


 穏やかな笑顔だが、悠利の言葉は刺々しい。男はさっと顔色を変えた。だが、それは一瞬のことだった。すぐに取り繕った表情で言葉を告げる。


「さて、どうだったかな……。騒動があったことは存じているが」


 惚けるような男の言葉に、悠利は表情を変えた。というか、笑みを消した。その隣のヘルミーネも同じくだ。部屋の空気が冷える。


「そんなに彼が邪魔でしたか?どなたかの手先になって、自分の子供のような年齢の相手を襲撃するほどに」

「無礼だろう!」

「確かに彼の物言いは無礼に聞こえるかもしれないが、疑われるだけの状況を作っているのは事実だろうねぇ」

「閣下!?」


 やんわりと割り込んだのは老紳士の声で、ひらり、と紙束をちらつかせる。そこにはびっしりと文字が書かれている。何かの調査書のようだった。


「これはね、例の騒動のあった日の貴殿の行動を調べたものだよ。彼の仲間達が足で稼いだ、自分達で見聞きして集めた情報なのだけれどね」

「閣下、そのような」

「子供の戯言と片付けるには、随分と詳しい情報でね。……あの日、貴殿は招かれていなかった。だというのに、周辺を数日前からうろうろする貴殿や貴殿の家の者の姿があったというのだよ。どういうことかな?」

「閣下、誤解です」


 否定する男に、閣下は首を傾げる。笑っているのに冷え切った雰囲気が隠せていない。まるでどこかの誰かを怒らせたときみたいだと、悠利とヘルミーネは思った。

 閣下の手にある調査書は、見習い組と訓練生の若手達が集めた情報だった。ウルグスの兄のおかげで相手の名前が解ったので、そこからは調査が上手に進んだのだ。相手の姿形や顔が解れば、聞き込みも捗る。ついでに、家人も含めて調査したら、何だか怪しい動きが見えてきたのだ。

 普段ならば、別に怪しくなかっただろう。だが、騒動が起きたことによって、その行動に怪しさが追加されてしまったのだ。そういう意味では、皆は割と良い仕事をしたと言える。

 それでもまだ言い逃れをしようと言葉を重ねている男を見て、悠利は静かな声で告げた。


「少しでも能力の高い鑑定持ちに確認して貰えば、貴方が襲撃の関係者であることは露見しますよ。鑑定封じの道具をお持ちのようですけれど」

「……ッ!?」

「鑑定封じの道具を持っているのかね?」

「はい。アクセサリーに見せかけて。ただ、僕にもアリーさんにも、あんまり効果はありませんけど」

「なるほど」


 老紳士は静かに頷いた。鑑定を完全に封じることは難しい。だが、見えにくくすることは出来る。そもそも、鑑定能力の力量で見える情報が異なるのだから、そこを逆手に取った道具があるということを、悠利は今日、初めて知った。

 しかし、口にした通り、悠利にもアリーにも効果がない。鑑定系最強チートである【神の瞳】さんを遮れるものなど存在せず、【魔眼】の技能スキルレベルがMAX(隻眼で半減しているとはいえ、カンストボーナスのおかげで並の【魔眼】持ちより遙かに上)のアリーを誤魔化すことも出来はしない。鑑定だけで納得出来ないというなら、状況証拠と併せて調べてもらえば良いだけである。


「何なのだ、貴様は……!」


 逆上した男が悠利に掴みかかろうとする。ヘルミーネが咄嗟に悠利の腕を引いて庇おうとするが、それより早く動いた影があった。


「キュピー!」

「ぐは……ッ!?」


 うちのご主人様に何をするんだ!と言わんばかりの一撃だった。むしろ今まで大人しくしていたのが、ちゃんと空気を読んでいて偉いと言える。ルークスは賢いスライムです。

 主を吹っ飛ばされて部下の男達が動こうとするが、それもまとめてべしべし叩いて吹っ飛ばすルークス。相手を全員気絶させて、フンっと鼻を鳴らすような仕草をしていた。大人しくしていたが、やっぱりご立腹はご立腹だったらしい。


「ルーちゃん、ありがとう」

「偉いわよ、ルークス」

「キュイキュイ」


 お礼を言われ、褒められ、まんざらでもないと言いたげな反応を見せるルークス。小声でヘルミーネが「ついでにもう一発ぐらいやっちゃったらどうかしら?」なんて物騒な提案をするのを、真剣な顔で検討していた。

 そんな愛らしいけど物騒な子供達の姿を微笑ましく見た後に、老紳士は口を開いた。


「やれやれ、どこまでも見苦しいものだねぇ。誰か、人の屋敷で暴れた無礼者を突き出す準備を。こちらの書類も添えてな」

「「はい」」


 パンパンと手を鳴らせば、心得たように使用人がやってくる。気絶した男達は拘束されて連れて行かれてしまった。実にテキパキとした動きである。流石は前辺境伯閣下のお側に仕える者達だ。動きに無駄がない。

 とりあえずこれでお仕事終わりかなーとなっている悠利の頭を、わしゃっと大きな掌が撫でた。いつの間にか隣室からアリーがやって来ていたらしい。


「アリーさん、これで何とかなりそうですか?」

「まぁ、あいつらが集めた情報と閣下の口添えがあれば、周囲も動くだろう」

「それなら良かったです」


 今回は頑張りました!みたいな空気を出す悠利。アリーはその頭をもう一度、わしゃわしゃと撫でた。褒めるように。

 決定的な証拠などは、これからの調査で探してもらえば良いのだ。それは悠利達の仕事ではない。そもそも、今回のことだって、別に悠利達の仕事ではないのだ。ただ、大事な友達のために何かがしたかっただけで。


「フレッドくんも大変ですよねぇ」

「そうだな」


 こんな風に暢気に言うようなことではないのだが、悠利には他に単語が見付からなかった。大変だなぁとしか言えないのだ。自分が何かをやったわけでもないのに、変なことに巻き込まれてしまうお友達を思って、ちょっとはお役に立てたかなぁと思うのだった。




 その後、国王の信頼厚き前辺境伯閣下の口添えという強力なカードと共に情報が提出された結果、実行犯含め背後関係も徹底的に洗われ、幾つかの貴族家が処罰を受けたのでした。因果応報です。




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