金ぴかボタンと細工職人さん

「むむむぅ……」


 手にした金ぴかのボタンを見ながら、悠利ゆうりは一人で唸っていた。それは、フレッド襲撃事件の犯人と思しき男が落としていった金ボタンである。細工が見事な金ボタンだが、あくまでも単なるボタンである。証拠としては多分弱い。

 鑑定で判断するだけでは弱いというのはブルックに説明されて理解しているのだが、そうなると悠利に打てる手がほぼほぼなかった。基本的に悠利が持っているのは鑑定チートのみである。こんなときにパッと解決策が思い浮かぶような推理力に優れた頭なんて持っていない。地味に困っていた。


「うーん、どうすれば良いのよ……」


 その隣で、ヘルミーネも唸っていた。彼女は彼女で、自分にぶつかりそうになったあげく、鞄の紐に絡んだ腕を無理矢理引っこ抜いてこちらのバランスを崩したまま立ち去った男にもう一度会いたかった。恨み節たんまりである。

 しかし、悠利とヘルミーネでは良い案が浮かばない。手詰まりなのである。


「二人で何やってんだ?」

「あ、クーレ。ちょっと困ってるんだー」

「見て解らないの?困ってるの!」

「……何でお前はそんなに偉そうなんだ」


 二人があまりに真剣に唸っているので気になって声をかけたクーレッシュは、何故か妙に偉そうなヘルミーネに思わずツッコミを入れていた。困っていると伝えているのは両者同じなのだが、言動一つでここまで印象が違うんだなという見本であった。

 それでも、二人が困っているらしいことは理解したので、とりあえず話は聞こうとしてくれるクーレッシュは優しい。というか、そうやって周りのことが気になってしまうのが彼の性分なのだろう。上手に立ち回らないと貧乏くじで終わるやつである。


「それで、何をそんなに困ってるんだ?」

「あのね、このボタンの持ち主をどうやって探そうかって話なんだよね」

「……そんなの、お前の鑑定でパパッと調べれば良いだけじゃないのか?」

「いつもならそうするんだけどねー……」


 悠利の鑑定能力の高さを理解しているクーレッシュは、至極もっともな意見を口にした。そう、普段だったらそうやって、落とし主に届ければ良いだけである。ただの善意で落とし物を届けるならば。

 落とし主に対しては善意じゃないので、鑑定で調べるだけでは意味がないのだ。


「実はこれ、フレッドくん襲撃犯に繋がる証拠品かもしれなくって……。鑑定だけじゃなく、誰の目から見ても納得できる根拠が必要だろうって言われてるんだよねぇ」

「は……?」

「もー、絶対見つけ出して謝らせるんだから!私に!」

「ヘルミーネはぶつかられそうになって体勢を崩して転びかけたから、とってもご機嫌ナナメなんだよね。まぁ、まずはフレッドくんに謝ってもらいたいんだけど」

「それはそう。襲撃犯の一味はちゃんと謝って罰を受けるべき」

「うん」


 事件のざっくりとした内容を現場に居合わせたアリーとブルックから聞いている悠利とヘルミーネは、二人だけでぽんぽんと言葉を交わしている。いつもなら上手に会話の流れに入ってくるクーレッシュだが、今はそれが出来ないでいた。衝撃の情報に固まっている。

 それも仕方がない。いつものように単なる落とし物とか、冒険者同士の軽い小競り合いとかだと思っていたら、物凄く物騒な単語が聞こえたからだ。襲撃犯?と思わず反芻している。

 しばらくして情報の処理が追いついたのか、クーレッシュは叫んだ。二人で仲良く話している悠利とヘルミーネの会話に全力で割り込むように。


「ちょっと待てお前ら!フレッドが襲撃されたってどういうことだよ!」

「どういうもこういうも、襲撃されたものは襲撃されたんだよ、クーレ」

「そうよ。他にどう言えって言うのよ」

「違う!そうじゃない!何でそんなことになってるのかと、何でお前らがそれ知ってるのかと、それが証拠品ってどういうことだって話だ!ちゃんと説明しろ!」


 話が通じない二人に叫ぶクーレッシュ。その叫びに釣られるように、わらわらと仲間達が集まってきた。クーレッシュがこんな風に叫ぶときは大体、何かヤバいことが起きている可能性を皆が知っていたのだ。

 そんな風に皆が集まってきたので、悠利はざっくりと事情を説明した。フレッドが何者かに襲撃されたこと。その襲撃現場にアリーとブルックが居合わせたのでフレッドは無事なこと。そこから逃げ出した襲撃犯と思しき男達と悠利とヘルミーネが接触したこと。そして、その男達の落とし物であろう金ボタンを拾ったこと。

 さらに、その金ボタンを頼りに男達を探そうにも、鑑定だけでなく誰にでも解る証拠を見つけなければいけないこと。その方法が解らなくてヘルミーネと二人で唸っていたこと。

 全てを伝え終わった頃には、仲間達はその場にがっくりと肩を落として脱力していた。ちなみに集まっているのは見習い組と訓練生の若手達だ。つまるところ、いつもわちゃわちゃしている仲間達である。


「理由は解ったけどさ、何で二人で悩んでるんだ?リーダーに相談すれば良いじゃん」

「あー、それがねー……。アリーさんの手助けは無理っぽいんだよねぇ」

「何で?」


 不思議そうに問いかけたカミールに、悠利はため息を吐いた。悠利だって勿論、最初はそれを考えた。アリーも同様だ。悠利が手にした金ボタンが証拠品かもしれないのならと、持ち主を特定するために手段を講じようとはしていたのだ。

 しかし、それに待ったがかかった。かかってしまったのだ。


「アリーさんとブルックさんは襲撃現場にいたから、相手に警戒されてるだろうって話になってね。二人が動いたり、二人の伝手で何かをすると相手に気付かれる可能性があるってことになって」

「……つまり、リーダーもその人脈も使えないってことか?」

「そうなんだよねぇ。だから僕ら、困ってるんだけど」


 はぁ、と盛大にため息を吐く悠利。その隣でヘルミーネも同じ状態だった。鑑定能力でパパッと解決することは出来ない。いつもなら頼りになるアリーやブルックが動けない。挙げ句の果てに、彼等の人脈も敵にマークされているだろうから使えない。かなりの手詰まりだ。

 それでも、諦めるという選択肢は存在しなかった。大事な大事なお友達であるフレッドが大変な目に遭ったのだ。犯人にはちゃんと痛い目を見てほしいし、きちんと罪を償ってほしいものだ。

 後、探し出してきっちり禍根を断たないと、同じことが繰り返される可能性がある。危ないことが続くなんて真っ平ごめんなのである。普段一緒にいられないお友達なだけに。

 悠利とヘルミーネが何で悩んでいるのかが理解できた一同は、一緒に困り顔になった。いつもなら使える強力なカードが、今回は全部封じられているようなものだ。大変難しい。

 そんな中、しばらく考え込んでいたカミールがゆっくりと口を開いた。


「なぁ、ユーリ」

「なぁに?」

「相手が警戒してるのはリーダー達なんだよな?んでもって、リーダーの伝手」

「多分ね」


 それがどうかしたのか、と言いたげな反応をする一同。そんな仲間達を見渡して、カミールはにかっと笑った。……黙っていれば気品溢れる良家の子息みたいな外見だが、そうやって笑うと年齢相応の悪ガキっぽく見えるのがカミールであった。

 そして、彼は何だかんだで頭の回転が速かった。勉強が出来るというのとは別の意味で、頭が良い。


「なら、俺らが使える伝手なら、相手の目を盗んで動けるってことだよな?」

「へ?」

「何も無理にリーダー達の伝手を頼らなくても良いじゃん。知りたいのはその金ぴかのボタンの持ち主の情報で、誰が見てもそうだと解るやつだろ?」

「う、うん。そうだけど」


 それが出来ないから困ってるんだけど?と悠利は首を傾げた。そんな悠利に対して、カミールは笑う。悠利の手から金ボタンを受け取ると、ぽーんと掌の上で宙に投げて弄ぶ。

 そうして、皆と一緒に話を聞いていた小柄な人物に向けて、声をかけた。


「ロイリス、この金ボタンの細工から何か解ることってないか?」

「え?僕ですか?」

「そう。これ、俺の見立てでもかなりの細工なんだよな。こんなんが出来るのって、限られた職人じゃないかと思うんだけど」


 カミールに呼ばれたロイリスは、手渡された金ボタンを大事そうに受け取った。これが重要な証拠品であることを理解しているからだろう。また、そうでなくとも彼は普段から物を大切に扱う少年である。

 ハーフリング族のロイリスは、十二歳という実年齢よりも更に幼く見える。外見年齢は七歳か八歳ぐらいにしか見えない。しかし、そもそもがハーフリング族は成人しても外見が人間の子供のような雰囲気の種族なので、外見が幼いのは種族特性だ。

 また、小柄で幼い外見と共に、彼等の寿命は人間よりも少々短い。そのため、十二歳という年齢から受ける印象よりも落ち着いており、精神面も大人だ。

 そのロイリスは、手先の器用さを生かして細工師として修行を積んでいる。得手は彫金。つまるところ、この金ボタンに施されているような細工は彼の関わる分野と言えた。だからこそ、カミールがロイリスを名指ししたのだ。

 受け取った金ボタンを、ロイリスは真剣な顔で見ている。その彼を、悠利達は真面目な顔で見守っていた。事件解決の糸口がこんなところにあるのかと、興味津々なのだ。

 しばらく金ボタンを確認していたロイリスは、やがてゆっくりと口を開いた。


「この金ボタンに施されている細工は、少し特殊なものだと思います」

「特殊?どんな?」

「一見するとただの模様にしか見えませんが、専用の道具を使うと文字や数字が読めるようになるものです。オーダーメイドの品などを作るときに、誰の持ち物か解るようにするために使われる技法です」

「そんな技法があるの……!?」

「はい」


 驚いたように声を上げた悠利に、ロイリスはこくりと頷いた。ことそちらの分野に関して、ロイリスの知識を疑うものはいない。だからこれは、単純な驚きだった。

 金ボタンは再び悠利の手に戻った。悠利の隣から覗き込むように金ボタンを見ていたヘルミーネが、感心したように言葉を発した。


「それにしても、ロイリスよくそんなこと知ってたわね。結構特殊な技術じゃないの?」

「たまたまです」

「たまたまって……」


 そんなたまたまがあるのかと言いたげなヘルミーネ。その彼女に、ロイリスは困ったように笑った。


「本当にたまたまなんですよ。僕は師匠以外の方の工房でも色々と教わっているんですが、この細工の手はその内のお一人のものとしか思えないんです」

「……ロイリスの知り合いの職人さんが作ったってこと?」

「恐らくは。この金ボタンの持ち主が貴族だとするなら、辻褄が合います。国の式典で配布する金ボタンを作ったことがあると聞いたことがありますから」

「「ロイリスお手柄!」」

「うわ……ッ!?」


 説明が終わった瞬間、何人かがロイリスに飛びついた。小さなロイリスはもみくちゃにされて声を上げる。しかし、光明を見出した一同は聞いてはいなかった。

 すごいすごいともみくちゃにし、胴上げにし、ぐるぐると振り回す。大変盛り上がる皆を見ながら、カミールがふふんと笑った。


「な?リーダー達じゃなくても、伝手は色々あるだろ?」

「カミール、流石だよ……」

「情報の使い方ならお任せあれってな」

「お見それしました」


 知っているだけでは使いこなすことは出来ない。カミールは適材適所で人を配置することや、適切なタイミングで誰に助けを求めれば良いのかを見極めるのが上手い。全体のバランスを取るのも得意だと知っていたが、まさかの展開だ。

 商人の息子として、情報の取り扱いには皆より慣れているというのがあるのだろう。仲間達の特技やその人脈も、把握できる範囲は確認しているらしい。末恐ろしい。


「これで、調べ物が捗るだろ?」


 楽しげに笑ってウインクを寄越すカミールに、悠利はそうだねと笑った。手詰まりの状態から一歩前進出来そうで一安心だった。




 翌日、悠利はロイリスに連れられて職人区画にある工房へと足を運んでいた。職人区画そのものには何度もやってきているが、お邪魔するのは初めての工房なのでちょっと緊張していた。

 その悠利の足元では、ルークスがビシッと姿勢を正していた。その眼差しは真剣そのもの。どうやら、悠利の緊張を察してこんな感じに真面目モードになっているらしい。

 そんな愉快な主従にはお構いなしに、ロイリスは呼び鈴を鳴らして返事も待たずに工房の中へ足を踏み入れる。悠利とルークスも、お邪魔しますと一声かけてからそれに続いた。


「エルンさん、お待たせしました」

「あぁ、良く来たな。話があるのはそっちの坊やかい?」

「初めまして、ユーリです」

「初めまして。エルンだ」


 二人を出迎えてくれたのは、壮年の男性だった。工房自体はこぢんまりとしているが、どうやら複数人の職人がいるらしい。今悠利達がいるのは玄関に入ってすぐのスペースだが、客人との打ち合わせ用に作られているらしく、他の職人の姿は見えなかった。

 では何故他にも職人がいると解ったかと言えば、奥の方から作業音や会話が聞こえてくるからだ。国の依頼を受けるほどの職人さんの工房にしては小さい気がしたが、規模の正しさなど悠利には解らないのでそのことには触れなかった。

 座るように促されて、悠利とロイリスは並んでエルンの向かいに座った。ルークスは慎ましく悠利の足元に控えている。昨日のうちにロイリスが今日の訪問を伝えてくれているので、悠利がスライム連れでもエルンは何一つ驚いていなかった。


「それで、聞きたいことと言うのは?」

「この金ボタンについてです」


 問われて、悠利は魔法鞄マジックバッグと化した学生鞄から小さな金ボタンを取り出した。ころりと机の上に転がった金ボタンは、何も知らなければただの綺麗なボタンだった。

 エルンはその金ボタンを手に取り、じっと細工を確認する。しばらく観察を続けた後に、ゆっくりと口を開いた。


「確かにこれは私が細工を入れた金ボタンだ。しかし、これは確か貴族に下賜されているはずだろう?何で君達が持っているんだ」


 アタリだとぱぁっと顔を輝かせた悠利に、エルンは不思議そうに問いかける。確かにその質問は当然のものだった。

 ロイリスの話が正しければ、これは国の式典のときに貴族に配られた金ボタンである。ぽわぽわした庶民の悠利が持っているわけがないものだ。そして、何故その金ボタンを持って自分のところに来たのかまでが、エルンの疑問だろう。

 そんなエルンに、悠利はいつも通りのほわっとした表情で告げた。


「実はこれ、落とし物を拾ったんです」

「落とし物?」

「正確には、落とす原因になってしまった、でしょうか……。うちの仲間の鞄の紐と金ボタンの持ち主さんの腕が引っかかってしまって……」

「どういう状況なんだ……?」


 何だそれと言いたげなエルンに、悠利はあははと困ったように笑った。そのほわほわとした雰囲気のままで、悠利は続ける。……隣でロイリスは、大人しく沈黙を守っていた。


「急いでおられたのか早々に去っていかれて、僕達が金ボタンが落ちているのに気付いたときには、もう姿が見えなかったんですよ」

「それで落とし物、か」

「はい。高価そうなものだったので落とし主に届けたいと思ったんですけど、どうやったら持ち主が解るかが思いつかなくて……」


 へにょっと眉を下げる悠利。ここでロイリスが心得たように会話を引き取ってくれた。


「その話をしているときに僕も確認させてもらったんですが、細工がエルンさんの手のような気がしたんです。それで、今日はこうして確認してもらいたくてきました」

「まぁ、確かに私の手がけた品だが、これをどうしたいんだ?」

「持ち主にお返ししたいです」


 にこっと悠利は笑った。別に嘘は言っていない。金ボタンをお返ししたいのは本当だ。そのついでに、フレッド襲撃犯である証拠も含めてお届けして、とっ捕まえたいと思っているだけで。

 しかし、そんな事情は一切口にしない。迂闊なことを言うわけにはいかないし、何よりエルンを巻き込むのはよろしくない。自分達だって、変な人に目を付けられないように普段通りに過ごしながら行動しているのだから。


「確かエルンさん、金ボタン一つ一つに識別できる数字や文字列を細工してあるって仰ってましたよね?ご迷惑でなければ、それを教えてもらうことは出来ないでしょうか?」

「……別にそれは構わないが」

「何か、あります……?」

「識別できるようになってるだけで、持ち主の名前とかは入ってないぞ」


 その言葉に、悠利とロイリスは顔を見合わせた。てっきり、そこには相手の名前なり家名なりが入っていると思っていたので、ちょっと予想外だった。

 そんな二人に対して、エルンは説明をしてくれた。


「頼まれたのは、個別に識別できる数字と文字列の組み合わせで、それを誰に配るかは王宮の文官が割り振ってるんだ」

「じゃあ、直接名前は入ってないんですね」

「たかが職人に、そこまでの情報は降りてこないさ」

「なるほど」


 一歩進んで立ち止まった感じではある。それでも、手掛かりの一つであることに変わりはない。なので、悠利はほわほわとした笑顔のまま言葉を告げた。


「その先を調べるのは届け出た先とかでやるので、識別番号を教えて貰うことは出来ますか?」

「それは構わない。どうせ、道具があれば誰にでも解るからな」


 ちょっと待ってろと、エルンは立ち上がって道具を取りに去っていった。その後ろ姿を見送りながら、ロイリスは小声で悠利に問いかける。


「ユーリくん、どうするつもりですか?」

「とりあえず、識別出来るのが重要だと思うんだよね。それを手掛かりに、次は誰にその番号が振られているのかを調べる作業だよ」

「エルンさんに頼めば、もしかしたら持ち主を特定することも出来るかもしれませんけど……」

「それは止めとこう、ロイリス」


 悠利はきっぱりと言いきった。事情を知らないエルンを巻き込むのは良くない。今こうして、金ボタンの細工について教えてくれているだけでも御の字だ。

 それはロイリスも同じだったのだろう。提案はしたものの、悠利が拒否したことで安堵した表情になっている。恩のある職人を危険に巻き込みたくない気持ちは同じだった。


「それに、本来なら無関係のエルンさんが申請とかで動いたら、そこから警戒される可能性もあるしね」

「それもそうですね」

「次の一手はまた皆で考えれば良いよ。少なくとも、ここで一歩は進むんだから」

「はい」


 ロイリスは基本的に温厚で人当たりの良い少年であるが、だからこそフレッド襲撃犯に対する憤りは持っていた。自分達で何が何でも犯人を捕まえるという気はないのだが、犯人逮捕に繋がるのならば出来ることをやろうという程度には、やる気になっている。

 それもこれも、ジェイクの師匠であるオルテスタの別荘でフレッドと共に過ごしたからだろう。悠利やヤック、マグのように建国祭で大捕物を一緒に潜り抜けた面々ほどではないが、ロイリスにとってもフレッドは知人と友人の間ぐらいの位置付けだった。なのでやる気は出るのだ。


「待たせてすまないな。この道具を使えばすぐに解る。何か書くものは?」

「あ、ノートがあります」


 道具を持って戻ってきたエルンに問われて、悠利はいそいそと学生鞄から大学ノートとシャーペンを取り出した。一瞬だけエルンが不思議そうに悠利の文房具を見ていたが、すぐに役目を思い出したように視線を戻した。

 ……まぁ、気持ちは解らなくもない。悠利の大学ノートはそれはそれは綺麗な紙だし(しかも魔法道具マジックアイテムと化しているので供給無制限である)、シャーペンは見たこともない形状のペンである。それでも何も言わない程度には大人なお方であった。

 悠利達の目の前で、エルンは金ボタンの上に小さなレンズ付きライトのような道具をかざして見せた。ぼわりと柔らかな光が金ボタンを照らす。レンズ越しに光に照らされた金ボタンを見ると、文字や数字が浮かんで見える。


「これって、彫りと塗料でこうなってるんですか?」

「そうだよ。二つが合わさって、かつこの道具で照らしてレンズ越しでやっと解る」

「知る人ぞ知る印って感じですねぇ」


 素直に感心している悠利にエルンは笑う。微笑ましそうな顔だった。幼い外見なのも合わさっているのだろう。

 ひょいとレンズを覗き込みながら、悠利はそこに浮かぶ数字と文字をノートに書き留める。特に意味のあるものには見えなかった。識別のためだけに割り振られた文字列なのだろう。


「エルンさん、ありがとうございます」

「いや、気にしないで良い」

「これ、お礼です」

「は?」


 ノートを片付けた悠利は、挨拶もそこそこに学生鞄に手を突っ込んで目当てのものを取り出した。それは小さなバスケットだった。お弁当を詰めこむのに丁度良い感じの大きさである。

 突然差し出されたバスケットに、エルンは困惑顔だった。しかし、悠利は気にしない。そのバスケットをエルンの前にぐいと押しやって、満面の笑みで告げた。


「中身は一口サイズのサンドイッチです。工房の皆さんと食べてください」

「……待ってくれ。何でそうなるんだ?」

「お金のお礼だと受け取ってくれなさそうだったので、気持ちを込めて軽食を作ってきました!」

「だから、何故!?」


 そんな話は聞いていないが?と言いたげにロイリスに視線を向けるエルン。ロイリスはにこにこと笑っていた。……ただし、色々と諦めた笑顔である。

 わざわざ時間を割いて教えて貰うのだから、悠利は何かお礼をしたかった。感覚的には、菓子折りを持参するアレだ。しかし、わざわざ店で何かを買って持ってくるのは大仰だとロイリスに言われてしまい、それならばとサンドイッチを作ったのだ。

 ……なお、そういうことじゃないですとロイリスはツッコミを入れたのだが、全然届いていなかったのだ。安定の悠利。


「何味がお口に合うか解らなかったので、ツナマヨと、ハムとキュウリと、甘味代わりにジャムをたっぷり塗ったのを用意しました。小さく切ってあるので、片手で食べられると思います」

「いや、説明を聞きたいわけじゃないんだ」

「お仕事でお忙しいところ、お時間を割いていただいて、ありがとうございます。ほんの気持ちです」

「……だから、別に何もいらないんだが?」

「……?」


 エルンの疲れ切ったような言葉に、悠利は首を傾げた。何で?と言いたげである。お世話になったのだからお礼をするのは当然だと悠利は思っている。対してエルンは、この程度のことでわざわざ何かを貰うほどではないと思っている。両者の心はすれ違っていた。

 そのどちらの考えも理解できるロイリスは、そっと二人の間に入ってエルンに声をかけた。


「エルンさん、ユーリくんはそういう人なので、何も言わずに受け取ってください。後、味は保証します」

「いやしかし、こんなに沢山貰ってしまうのは……」

「工房の皆さんと食べてあげてください。それでユーリくんは喜びます」


 ロイリスに諭されて、エルンは悠利へと視線を向けた。悠利はにこにこ笑いながら何度も何度も頷いている。喜んで美味しく食べてもらえたら、それに勝る喜びはない。悠利はそういう人種である。

 多分何を言っても無駄だと理解したのか、エルンは困ったようにため息を吐いてからバスケットを受け取った。職人さんにしてみれば、労力と対価が見合わない感じがして落ち着かないのだろう。


「それじゃあ、ありがたくいただくことにするよ」

「こちらこそ、ありがとうございました」


 困った顔をしているものの、エルンは悠利に笑ってくれた。その顔を見て、悠利はぺこりと頭を下げた。

 深々と頭を下げる悠利。事の次第を知らないエルンは少し不思議そうにしていたけれど、深く追求してはこなかった。何か事情があるのを察してくれたのだろう。

 金ボタンと識別用の文字列を書き写したノートの入った学生鞄を大事に持って、悠利は工房を出た。これで一歩前進。ここから先をどうするかは、また、仲間達と相談して考えるのだ。




 小さな一歩でも進んでいる実感に、アジトに戻る悠利の顔は晴れやかだった。




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