お酒の〆にトマトの冷やし茶漬け
夕飯の終わった時間帯、後片付けを終えた台所に
「今から準備しておけば、皆が帰ってくる頃には良い感じに仕上がるだろうしね」
まだ夜はそこまで更けていない。眠るには早い時間だし、自分に出来ることをやっておこうと、悠利はエプロンを身につけた。
鍋に常備している昆布出汁を入れて湧かしている間に、下拵えに取りかかる。取り出したのは、トマトだった。真っ赤に色づいて瑞々しく、実に美味しそうだ。
「多分皆、何か食べたいって考えると思うんだよねー」
ふんふんと鼻歌を歌いながら、悠利は水洗いにしたトマトに包丁を入れる。半分に切ってヘタを取り、そのままスライスする。そして、スライスしたトマトに更に包丁を入れて角切りにしていく。スープに入っているようなトマトのイメージだ。
ざくざくとトマトを切る悠利は、とても楽しそうだった。別にやらなくても良い作業だというのに、当人は楽しんでやっている。その辺が悠利なのかもしれなかった。
悠利が今作っているのは、外出中の皆の夜食だった。
本日、《
試飲会なので酒がメインだが、夕飯時に集まるということで食事も用意されている。ご飯を食べてお酒を飲んで、その感想を言うだけの簡単なお仕事だ。仕事というかもう、ご褒美かもしれない。
お酒大好き組とか、酒に強い組が出掛けており、お留守番代表は下戸のリヒトだ。他の大人が出払っているので、彼が仮の責任者みたいになっている。まぁ、実際残っているのは未成年ばかりなので仕方ない。
普段はそこまで飲まないティファーナやジェイクも、色々な意見が聞きたいからと招待されている。飲めるのにお留守番を選んだメンバーはいなかった。珍しいお酒があると聞いて、興味を引かれたらしい。
その彼等のために悠利は、一人でこっそりと夜食の準備をしていた。外食をしてくる度に皆が、「ユーリのご飯が食べたい」と言うからだ。あと、酒の〆にお茶漬けが好評だったのもある。
そう、今悠利が作ろうとしているのはお茶漬けの用意だった。それもただのお茶漬けではない。トマトを入れてさっぱりさせた、冷やし出汁茶漬けである。
作り方はいたって簡単。具無しのすまし汁、うどんのお出汁のようなものを作り、そこにトマトを入れるだけだ。
「好評だったら昼間に出しても良いよね~」
うきうきしながら、悠利は沸騰した鍋に調味料を入れて味付けをする。酒、塩、醤油で味を調えるだけなので、とても簡単だ。馴染んだ味に仕上げたら、そこに切ったトマトを投入する。
ぽちゃんとトマトが入るだけで、まったく見知らぬ何かに見える。そのまましばらくことこと煮込んで、トマトが柔らかくなるのを待つ。そうすると、お汁にトマトの旨味が染み出すのだ。
その間に、薬味として使う青ジソの千切りを手早く作る。今回は彩りという意味もあるので、千切りだ。まぁ、別に手で千切っても良かったのだが、千切りの方が綺麗に見えるかな?という理由で千切りだった。
なお、帰ってきた皆がお茶漬けを食べられるように、ご飯は余分に用意してある。そこは抜かりはない。
しばらくして、トマトの角が取れてきた。くるりと全体を混ぜてみても、トマトが柔らかくなったのが解る。そこでスープの火を止めて、粗熱を取る。
そう、これは冷やし茶漬けのためのお出汁である。冷やし茶漬けは冷たくなければならない。なので、粗熱を取ったら鍋ごと冷蔵庫でひんやりしてもらう予定である。
「とりあえず、温かいので味見してみようっと」
夕飯を食べたのでお腹はそこそこいっぱいだが、やはり味見もせずにお出しするのはどうかと思う悠利だった。お椀にほんの少しだけご飯を入れて、まだ熱々のトマト入りすまし汁をそろっとかける。
皆のために作ったのだから、トマトはあまり取ってはいけない。スープもだ。そもそもご飯が控えめなので、少量で問題ない。最後に千切りの青ジソを散らせば出来上がり。
「いただきます」
大きな声で言うと誰かがやって来そうなので、口の中だけで小さく呟く悠利。スプーンでご飯をほぐしてから、トマトと一緒に口へと運ぶ。……勿論熱いので、ふーふーと息を吹きかけて冷ますのは忘れない。
温かいトマトの醤油スープという感じだが、トマトと醤油の相性は悪くないので、普通に美味しい。熱々をはふはふしながら食べるのも乙なものだった。
優しい醤油ベースのすまし汁に、トマトの旨味が溶け出している。そのおかげで、少しさっぱり感じる。角切りにしたトマトとご飯を一緒に噛むというのも、なかなかに面白い。じゅわりと口の中で幾つもの味が広がって、混ざって、調和する。
「んー、温かいのもそんなに悪くないかな」
でもやっぱり冷たい方が美味しいはずなんだよねーと悠利はのんびりと呟いた。皆が戻ってくる頃にはお汁が冷えていれば良いなぁと思う。夏の夜は暑いので、さっぱりとした冷やし茶漬けがほっこりさせてくれるような気がするのだ。何となく。
とりあえず味見をして問題ないことが解ったので、粗熱が取れるのを待つ間に洗い物を済ませる。流石に、熱々の鍋をそのまま冷蔵庫に入れることは出来ない。少しばかり冷却の必要性がある。
ので、洗い物が終わったら蓋をした鍋を洗い場の中に入れ、流水をかける。といっても、流石に直接水をかけるのはアレなので、大きめの洗い桶に鍋を入れ、そこに水を注ぐ形で冷やすことにした。
「早く冷めると良いなー」
皆が戻ってくるまでには、この鍋の中身を冷え冷えにしたい悠利だった。
皆が帰ってくるまでの時間潰しを、悠利はリビングで行っていた。手にしているのはハンカチだ。模様のないハンカチを買ってきて、それに刺繍をして遊んでいるのだ。
特に誰かに頼まれたとかでもない。思いついた図案を、好きなように刺繍しているだけだ。ちょっと
「ユーリ」
「はい?」
そんな風にのんびりと自分の時間を楽しんでいた悠利の耳に、名を呼ぶ声が届いた。留守居を任されているリヒトだ。
未成年組は大人しく部屋に戻って眠っているが、リヒトは皆が戻ってくるまでリビングで待っているのだろう。そしてそんな彼は、いつもなら部屋に戻って休んでいるはずなのにここにいる悠利に、優しく声をかけてくれる。
「皆が戻るのを待つのは俺がやるから、もう休んでも良いんだぞ」
実に優しかった。皆のお兄さんと慕われるだけはある。お前は明日も朝が早いだろう?と続けられた言葉には、悠利に対する労りがあった。
まぁ、確かに悠利の朝は早い。皆の朝ご飯を作らなければならないので、毎朝それなりの時間に起きている。その分、夜はあんまり夜更かしをしないで寝ている。実に健康的な生活だ。
「ありがとうございます。でも僕、皆を待ってようと思うので」
「そうか?それなら良いが……。無理はするんじゃないぞ」
「はーい」
悠利の意志が固いのを感じたのか、リヒトは大人しく引き下がった。それでも、眠くなったら寝るんだぞと言ってくれる辺りは、優しいお兄さんだった。
そんなリヒトは読書で時間を潰すつもりなのか、そこそこの厚みの本を読んでいた。《
しかしこのジェイク先生、様々な分野に好奇心が赴くままに手を出すので、本棚のラインナップも多種多様。おかげで、何か一つは興味を引かれる本があるという感じになっているのだ。個人でそこまで本を集めるのもなかなかに凄い。
そんな風にのんびりとしていると、玄関の開く音がした。ざわざわと声がする。それでも、夜遅くというのを理解してか、比較的静かな帰還だった。
「おかえりなさーい」
「アレー?ユーリだ。まだ起きてたのー?」
「うん。皆のこと待ってたんだ-」
「何々ー?あたしに会いたかったー?」
「別にレレイ限定じゃないかなー」
満面の笑みで駆け寄ってくるレレイと、悠利は軽口の応酬を楽しむ。彼女は酒豪なので、別に酔っ払っているわけではない。元々テンションが高いだけだ。
その後に続く皆は、顔に酔いが出ている者、いつも通りの表情の者、顔色こそ普通だが行動がちょっと怪しい者など、色々だ。とりあえず、頼れるリーダー様は普通の顔でそこにいた。酒に飲まれたりはしないらしい。
とりあえず、特に酔い潰れもせずに全員戻ってきたらしいと理解して、悠利は笑みを浮かべた。これなら提案しても大丈夫そうだろうな、と。流石に、ぐでんぐでんに酔っている人には飲食は勧められない。
「あの、僕、〆のお茶漬けの用意をしておいたんですけど、食べます?」
「「はい?」」
「食べる!!」
予想していなかっただろう悠利の発言に、皆は首を傾げた。その中でただ一人、レレイだけは即座に返事をした。……食欲で生きているとか言われる大食い娘は、今日も通常運転だった。
「ユーリ、どういうことだ?」
「いえ、外食だったし、お酒飲んでるし、〆にお茶漬け欲しいかなぁと思って」
「……お前は、本当に……」
それ以上言葉が出なかったのか、アリーはがっくりと肩を落とした。何をやっているんだと言いたげである。いつもよりも遅い時間まで起きていた理由がそれだと理解できたのだろう。
しかし、そんなアリーの思いなど露知らず。悠利はレレイに腕を取られて食堂へと向かっていた。ルンルン気分のお嬢さんに引っ張られていく少年というハートフルな光景だったが、喜びすぎて勢い余っているレレイなので、ツッコミが飛ぶ。
「レレイ、ユーリを引きずるな!」
「そうだぞ、レレイ。引きずるぐらいなら運んでやりなさい」
「フラウさん、気にするところそこじゃないですけど!?」
いつも通りにレレイにツッコミを入れていたクーレッシュは、隣に並ぶフラウの発言にもツッコミを入れるハメになっていた。頼れる姐御は時々論点がズレるのだが、どうやら今発動したらしい。頑張れ、クーレッシュ。
そんな風に賑やかに食堂に到着した後は、逸るレレイを宥めて悠利は準備に取りかかる。何だかんだで殆ど皆が食べると言い出した。悠利のご飯の魔力かもしれない。
まず悠利がやったのは、炊飯器のご飯をザルに入れることだった。ザル?と興味津々でカウンターから覗き込んでいるレレイが首を傾げる。その隣のクーレッシュも同じくだ。少し離れた場所にいる面々も、何でザル?という顔をしていた。
しかし、悠利は迷わない。ご飯をたっぷりザルに入れると、そのまま流しに移動して、水をぶっかけた。
皆がギョッとしているが、コレは必要な作業なのだ。ザルに入れたご飯を水で洗うことで、ぬめりを取るのと粗熱を取るのが同時に出来る。悠利が作りたいのは冷やし茶漬けなので、大事な作業だ。
ご飯を水洗いしたら、水気をよく切る。ザルに入っているので、零さないようにザルを振れば良いだけなので楽ちんだ。水が切れたらザルごとボウルに入れておく。
次に取り出すのは、冷蔵庫の中の鍋と、同じく千切りの青ジソを入れたボウルだ。これで準備は整った。
「分量は各自で調整してもらいたいので、このライスを器に入れて、鍋のスープをかけて、青ジソを散らしてください」
「ユーリ、このお鍋冷たいよ?」
「うん、今日はトマトの冷やし茶漬けだから」
「へー、そうなんだー」
美味しそうだね、と無邪気に笑うレレイ。……その背後に、今の一瞬で距離を詰めた影があることに悠利は気付いた。気付くに決まっている。圧のある笑顔が向けられているので。
「……何でしょうか、マリアさん」
「今、トマトって言ったかしらぁ?」
「……言いました。具材がトマトオンリーの醤油味のスープです。すまし汁みたいな。冷たいライスに冷たいスープで美味しい冷やし茶漬けです」
にっこりと妖艶な美貌を際立たせる微笑みを浮かべて問いかけてくるマリアに、悠利は気押されながらもとりあえず説明をした。トマト大好きダンピールのお姉さんは、食いつきが凄かった。彼女に押し潰されるみたいな体勢のレレイが文句を言っているがお構いなしである。
お好きな分量をどうぞ、と続けた悠利の言葉に、女子二人はシュバっと動いた。早業だった。あっという間に台所スペースの中にやってきて、器にご飯を盛り付けている。
そんな彼女達に、悠利は最後の忠告を口にした。
「お茶漬けを美味しく作るコツはライス控えめなので、いっぱい食べたかったらお代わりしてください」
「はーい!」
「解ったわぁ」
とても良いお返事が聞けたので、悠利は自分の仕事は終わったと台所スペースから抜け出した。皆はきちんと並んで順番を守っている。ただ、一番手が大食い女子のレレイだったので、皆が入れすぎないようにツッコミを入れているが。
何やかんやと騒ぎながらも、全員に行き渡ったらしい。ご飯が足りて良かったと思う悠利だった。いそいそとスプーン片手にトマトの冷やし茶漬けを楽しむ仲間達を、悠利はにこにこ笑顔で見ていた。
「冷たいお茶漬けって何だって思ったけど、意外と美味いな!」
「トマトがゴロゴロしてるのも面白いねー!」
「お口に合って良かったです。ちなみに、普段のお茶漬けも冷たくしても美味しいよ。ライスは洗った方が良いけど」
猫舌のレレイは、お茶漬けと言いながら冷たいのでさくさく食べられることを喜んでいた。いつもは、冷めるのをじーっと待っているからだ。隣のクーレッシュの方は、純粋に未知の料理に感動している感じである。
「何でライスを洗ったんだ?冷たくするためか?」
「それもあるけど、洗った方がさらさらして食べやすいから」
「……あぁ!言われてみれば、すっげーさらさらだな」
「熱いライスに冷たいお茶をかけるのも、冷たいライスに熱いお茶をかけるのもあるんだけどね。今日は両方冷たいのでやってみました」
「美味いぞ」
「良かった」
スプーンで掬ってもさらさらとこぼれ落ちるようなご飯に、クーレッシュはなるほどなぁと感心している。そもそもご飯は粘りがあるので、こんな風に一粒一粒バラバラになっているイメージはないのだ。
トマトの味が染みこんだ醤油味の優しいスープは、冷たいことで何だかいつもと違う何かを食べているような気分になる。口の中にすーっと染みこむような優しい味わいだ。さらさらになったご飯と共に、とても食べやすい。
千切りの青ジソがまた、良い仕事をしている。青ジソとトマトの相性も良いので、口の中で上手に調和するのだ。醤油のまろやかな味わいもあいまって、何とも言えずにほっこりする味だった。
美味しいと思っているのはレレイとクーレッシュだけではなく、他の皆も美味しいと言いながら食べている。特に、トマトが大好きなマリアは満面の笑みだ。妖艶美女のお姉様の無邪気で幸せそうな微笑み、プライスレス。
そこでふと悠利は思い出したことがあって席を立った。そのまま向かったのは、アリーの元だ。同じテーブルにジェイクもいたので丁度良い。
「あの、アリーさん」
「何だ、ユーリ」
「それ、梅干しを入れても美味しいので」
「……ここに梅干し?」
「合います」
ぐっと親指を立てる悠利。そんな悠利と手元の器を見てしばらく考えるアリー。その彼より先に動いたのは、ジェイクだった。
「アリーも梅干しいりますか?」
「何でお前はこういうときだけ動きが速いんだ」
「取ってきますねー」
普段はのんびりしている学者先生が、何故かとても行動が早かった。梅干しを取りに行く背中を見ながら悠利は思った。あぁ、冷やし茶漬けが美味しかったんだな、と。気に入った料理だと、ちょっぴりはっちゃけるのがジェイク先生である。子供か。
いそいそと戻ってきたジェイクは、悠利のアドバイスに従って器に梅干しを入れた。慣れた手つきでほぐしている。その行動の速さにため息を吐きつつ、アリーも同じ行動を取った。
トマトの冷やし茶漬けは十分に堪能した。味変出来るならばやってみようということなのだろう。そもそも彼等は梅干しのお茶漬けを好んでいるので。
よぉく果肉を潰したら、全体に馴染むように混ぜる。そうすることで、スープと梅干しが馴染む。馴染んだ頃合いで掬って口へと運ぶ。
「……ッ!」
一口食べたジェイクは、ぱぁっと喜色満面の笑みを浮かべた。美味しかったんだなと解る笑顔だった。
口の中いっぱいに広がるのは、先ほどまではなかった梅干しの酸味だ。苦手だと言う人もいるが、ジェイクは梅干しが好きなので問題ない。トマトの旨味が染みこんだスープに梅干しの味が上手に溶け合っているのだ。
そもそも、青ジソと醤油は梅干しとの相性も良い。美味しいと美味しいを混ぜたらとても美味しくなった!みたいな感じだった。さっぱり感が強化されている。
「確かに、梅干しを入れてもイケるな」
「そうなんですよー。でも皆は梅干しよりトマトが良いかなってことで、入れなかったんです」
「なるほどな」
そう、同じような感じで梅干し入りの冷たいお汁を作っておくことも出来るのだ。ただ、皆の好みを考えたらトマトに軍配が上がっただけで。梅干しをメインで食べるのはアジトでは少数派なのです。
梅干しを入れたトマトの冷やし茶漬けを、アリーとジェイクは美味しいと言いながら食べている。それを他の皆は、トマトで十分美味しいのに、みたいな顔で見ていた。それでもそれを口に出さない程度には、お互いの好みを尊重する仲間達なのでした。
なお、翌日その話を聞いた未成年組が「大人だけ狡い!」と主張したので、別日にトマトの冷やし茶漬けを作ることが決定した悠利なのでした。美味しいものは皆が食べたいのです。
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