先代様の人脈と顔つなぎ


「さて、それでは出かけようか」

「へ?」


 突然告げられた言葉に、悠利ゆうりは間抜けな声を上げた。そんな悠利に構わず、ゾラはほらと手を伸ばしてくる。さっさと立ちなと言われて、目を白黒させてしまう悠利だ。

 数日前にゾラに頼まれて一仕事を終えた悠利は、その後は普通の日常を過ごしていた。先代様というお客様はいるが、アジトの日常は何も変わらない。炊事洗濯にお掃除と、やることはいっぱいあるし、悠利の日常は何にも変わらないのだ。

 ゾラは訓練生や見習い組に稽古を付けたり、旅先の話をしたり、指導係と酒を飲んだりと楽しく過ごしていた。最初こそ先代様に萎縮していた若手組も、この見た目が無駄に若い女傑様が豪快な性格をしていると理解してからは、とっつきやすくなったらしい。

 ……まぁ、色々と思うところがあるらしい指導係の皆さんは、未だにちょっと緊張しているが。彼等にしてみれば上司がやってきたみたいなものなので、緊張しても仕方ないのだろう。

 とりあえず、ゾラは何だかんだで《真紅の山猫スカーレット・リンクス》に馴染んでいたし、楽しそうに過ごしていた。そこからの、突然の外出のお誘いである。前振りが何もなかった。


「えーっと、スカーレットさん?出かけるって、どこへですか?」

「あたしの知り合いと顔合わせだよ。アリーの許可は取ってあるから安心しな」

「いえ、だから、何で僕が、あ、ああああああ!?」

「ほーら、行くよ、坊やー」


 悠利の語尾が変な風になったのは、当たり前みたいに肩に担がれたからだ。そのままゾラが走り出したので、語尾が変な風に伸びてしまったのである。

 悠利がゾラに確保されたのを見たルークスは、慌ててぽよんぽよんと跳ねながら二人を追った。ゾラに害意を感じなかったのか、攻撃態勢は取っていない。必死に追いかけるスライムの姿は愛らしいが、追いかける対象が悠利を担いだ女傑様なので物凄くシュールだった。

 道すがら、何だあれ?という視線を向けられる。悠利は暴れても仕方ないと理解したのか大人しくしているが、突き刺さる視線にいたたまれない気分になった。時々、追いかけてくるルークスと目が合って余計に情けなくなる。


「あの、スカーレットさん、行き先って、どこ……」

「もう着いたよ」

「……アレ?ここって、冒険者ギルド?」


 肩に担がれて運ばれている割に、悠利は酔ったりしなかった。恐ろしいまでに安定していたのである。獣人の身体能力が凄いということなのだろうか。

 そんな悠利が下ろされたのは、見慣れた冒険者ギルドの建物の前だった。追いついたルークスも不思議そうに身体を傾けている。首を傾げるような仕草だ。

 冒険者ギルドならば悠利もルークスも何度も来たことがある。しかし、従魔登録のときにしか用事がないので、何で自分がここに連れてこられたのかはさっぱりだった。

 そんな悠利をそっちのけで、ゾラはスタスタとギルドの中へと入っていく。おいでと手招きされて、悠利とルークスもそれに続いた。そしてそのままゾラは、当たり前のように受付まで行き、笑顔で告げた。


「ギルマスはいるかい?連絡はしておいたんだが」


 にこりと笑う長身の赤毛美女に、受付嬢は一瞬驚いたようだった。迫力のある美人が突然現れたからかもしれない。しかしゾラは別に圧を出していなかったので、すぐに笑顔で口を開く。


「ギルマスとお約束をされているゾラ様でよろしいでしょうか?」

「あぁ、よろしいよ。あいつはどこにいる?」

「執務室でお待ちです。今、ご案内を」

「いらない、いらない。仕事が忙しいだろう?勝手に行くから気にしないでおくれ」


 受付嬢の説明を聞いたゾラは、ほら行くよ、と悠利を促してギルマスの執務室へと向かう。勝手知ったるという様子で歩く彼女の後ろを、悠利は大人しくついていった。

 普通ならば、勝手にギルド内をうろうろしていたならば咎められるだろう。少なくとも、職員の領域を闊歩するのだから、何か言われるはずだ。

 しかし、悠利の疑問と裏腹に、何も言われなかった。すれ違う職員達はゾラの姿を見て、頭を下げるだけである。


「……あの、スカーレットさん」

「何だい、坊や」

「もしかしてスカーレットさんって、物凄く有名人だったりします?」

「何故だい?」

「……顔パスって感じなので」


 ギルドの職員が誰も止めないどころか、敬意を込めて挨拶をしてくる段階で色々と思うところがある悠利だった。しかし当人はあまり気にしていないのか、ケロリとした顔で言い放つ。


「まぁ、昔から王都を拠点に動いてたからね。顔見知りの職員もいるから、そういうもんじゃないかい?」

「……顔見知りがいても、職員なしで奥をうろついて許されるのは、何か違うと僕は思うのです」

「坊やは変なところで細かいねぇ」

「僕が細かいんじゃないと思いますぅ……」


 ぼそぼそとツッコミを口にする悠利。数日の付き合いで、この女傑様の性格を多少は把握した悠利だった。彼女は獣人らしく細かいことを気にしない。大雑把ではないが、どうでも良いと思った部分の扱いはとても雑だった。

 それが嫌みにも悪意にも見えないのは、持ち前のキャラとか人徳なのだろうか。竹を割ったような豪快な性格の女傑様。指導係の皆が勝てないのも何となく理解できる悠利だった。

 そんな雑談をしている間にギルマスの執務室に到着した。そして、ノックをしておきながら、返事も待たずにゾラは扉に手をかけた。


「邪魔するよ、ギルマス」

「スカーレットさん、返事を待たないで開けたらノックの意味がないですよ!?」

「気にしない、気にしない」

「スカーレットさぁん……」


 ノックの意味を考えてほしい悠利が恐縮しながら足を踏み入れると、今日も単眼鏡モノクルがお似合いのロマンスグレーなギルマスが微笑みを浮かべて迎えてくれた。相変わらずの老執事のような出で立ちだ。


「大丈夫ですよ、ユーリくん。彼女はいつもこうですからね」

「はっはっは。どうせ廊下を歩いている段階で気付いているんだ。ノックなんていらんだろうよ」

「挨拶としては必要だとは思いますが、貴方には言っても意味がないでしょうしね」

「あたしだって、誰彼構わずってわけじゃないさ」

「勿論、知っていますよ」


 軽快に言葉を交わす二人に、悠利は視線を行ったり来たりさせた。ギルマスは基本的にいつも優しく気さくだが、今の会話はもっとこう、気心知れた相手に向けるようなものに見えた。遠慮がないというか。

 そう、たとえるならば、アリーがブルックやレオポルドと交わすような会話のテンポだ。悠利自身が、レレイやクーレッシュ、ヘルミーネやイレイシアといった同年代と交わす言葉のテンポにも似ている。

 親しみがあって、気安さがあって、遠慮がない。そんな感じだった。


「あの、お二人は親しい間柄なんですか……?」


 冒険者と冒険者ギルドのギルドマスターなのだから、面識があるのは解る。だがしかし、それだけとは思えない親しさだった。それゆえの質問だったが、与えられた答えは悠利の予想外のものだった。


「まぁ、同世代ですしねぇ。一緒に依頼をこなしたことも多々ありますし?」

「アンタが冒険者ギルドの職員になるまでは、結構一緒に大暴れしたからねぇ」

「ですねぇ」

「……え、同世代……?」


 ぎぎぎ、と錆び付いたネジ巻き人形みたいに悠利は顔を動かした。今、何だかとても、聞き流せない単語が聞こえたのだ。

 硬直している悠利に向けて、ギルマスもゾラもさらっと言い切った。さらりと。


「えぇ、私とスカーレットは同世代ですよ、ユーリくん」

「そうそう。現役時代が被っていてねぇ」

「……お二人が、同世代……?」


 嘘だ、と思わず呟いてしまった悠利に罪はない。ギルマスはロマンスグレーの紳士であり、それなりの年齢に見える。対してゾラはどう多く見積もっても三十代。ヘタをしなくても親子ぐらいに見える外見なのだ。

 しかし当人達は平然としており、若い頃の話を楽しげにしている。混乱して頭を抱える悠利に気付いたルークスは、主を心配そうに見上げている。その気遣いに応えるだけの余裕が、悠利にはなかった。

 確かに、耳知識としては知っていた。ゾラが年齢よりも若く見えて、実年齢はアリーの親世代ぐらいだということを。その情報はちゃんと悠利の中にあるし、ゾラはすぐに自分をババアと称する。年齢の自己認識は合っているのだろう。

 しかし、である。

 そう、しかし、だ。物凄く解りやすく年齢相応の外見の相手と並ばれると、同世代ですと言われた瞬間に脳がバグを起こすのだ。処理能力を超えた情報を流し込まれるような感じだった。現実が非現実みたいなので。

 だから、本当に思わず、悠利は呟いてしまった。失礼だと考える余裕もなく。


「……スカーレットさん、美の化け物とかそういうのなんですか……?」


 ぷるぷる震える悠利に罪はなかった。誰が見てもゾラは若く見えるし、ギルマスと同世代には見えない。絶対に。

 そのことを理解しているので、大人二人は失礼な子供の発言を咎めなかった。むしろ、楽しそうに笑っている。


「えぇ、若作りの化け物みたいですよねぇ。ですが、別に何かをしているわけでもなく、心身を鍛えているだけなんですよ、この人」

「それで、これなんですか……?」

「そうなのです。世の中の美と若さに執着する女性達からしてみれば、刺し殺しても飽き足らない相手でしょうねぇ。これでババアを称するのですから、嫌みのようです」

「コラコラ、言い方、言い方」

「間違ってないと思いますよ」

「相変わらず笑顔で口が悪い」

「身内判定者だけです」


 安心してください、と続けるギルマスのお茶目さに、悠利は目を丸くした。確かに、この会話を聞けば同世代というのも理解は出来た。ただ、映像と会話内容が結びつかないだけで。

 とりあえず衝撃から立ち直った悠利は、ハッとしたように我に返る。二人が同世代という衝撃で色々と吹っ飛んだが、そもそも聞きたいのはそれではない。


「あ、あの、何で僕は今日、スカーレットさんに連れられてギルマスにお会いしているのでしょうか……?」


 そう、そこだった。別に初対面でもないのに、どうして今更連れてこられているのか。何かをしでかした覚えは(悠利には)ないのだが。

 それでも、何もしていないと言い切れないのは、今まで無自覚にやらかしてきた過去があるからだ。なので、ちょっとドキドキしながら質問の答えを待っている悠利。そんな悠利に気付いて、ゾラは笑った。


「何も怖がる必要はないよ、坊や。ちょっとばかし、防波堤は多い方が良いと思って話を通しに来ただけさ」

「防波堤……?」


 さっぱり解らず首を傾げる悠利と裏腹に、ギルマスは全てを理解しているのかこくりと頷いた。


「まぁ、今更あたしが話を通さなくても、手は回してくれるだろうけどねぇ?」

「勿論、アリーにも言われていますし、出来る範囲のことはしますし、していますよ。ただ、そうですね」

「うん?」

「貴方の名前を使えるのならば、より効果的ではあるでしょう。現場の者達には、私よりも貴方の名前の方が効果的だったりしますから」

「はっはっは。未だに嵐のスカーレットの勇猛は健在かい?現役引いて大分経つんだがねぇ」

「勇猛というか、貴方は目立った功績が多いので、憧れる若手も多いんですよ」


 大人二人の間で軽快に話が進んでいく。そして悠利は知った。自分の与り知らぬところで、しれっと仲間達以外の防衛が発動していたことを。いや、アリーが話を通しているのならば、仲間が関わっている防衛かもしれないが。

 ちなみに、悠利本人はぽわっぽわしているが、色々と仕事を頼んだり騒ぎに関わったりしているので、ギルマスは悠利の能力を評価している。【神の瞳】の存在はトップシークレットだが、悠利が規格外の鑑定能力の持ち主であるという認定はされていた。それ故に、庇護が必要だろうという判断も。

 優れた鑑定能力の持ち主は、目を付けられやすい。それが身を守る術も殆ど持たない幼子となれば、なおのこと。だからこそ、事情を理解する大人達は、悠利がややこしい輩に目を付けられないようにとサポートしてくれているのだ。悠利の知らないところで。


「と、いうわけですから、ユーリくん」

「はい」

「街中で何か面倒なことに巻き込まれたら、迷わず冒険者ギルドに駆け込んでくれて大丈夫ですよ」

「……えーっと、そういうことはないと思いますが、もしもあったらよろしくお願いします……?」

「はい」


 悠利が愛するのは平穏で平凡な日常なので、駆け込み寺よろしく冒険者ギルドに逃げ込まなくてはいけない状況は御免被りたい。しかし、一応優しさから出た言葉だと解っているので、その申し出はありがたく受けておくことにした。語尾が若干疑問符になったのはご愛敬だ。

 そのやりとりに異論を唱えたのは、悠利の足下にいたルークスだった。異議ありと言いたげにぽよんと跳ねる。


「キュキュー!」

「え?ルーちゃん、いきなりどうしたの?」

「キュイ!キュキュキュー!」


 ぷんぷんと怒っているようなルークスに、悠利は驚いた。珍しい反応だった。ゾラとギルマスも不思議そうに愛らしいスライムの怒った姿を見ている。

 しかし困ったことに、この場の誰もルークスの言葉を理解できなかった。この主が大好きすぎる従魔が何を怒っているのかが、誰にも解らない。

 しばらく三人で額を付き合わせて考える。考えた末に答えに辿り着いたのは、ゾラだった。もしかして、と前置きをしてから口を開く。


「自分がちゃんと守るのに、役に立たないように言うなってことかい……?」

「キュイ!」

「おやまぁ、勇ましい護衛だねぇ」

「ルーちゃん……!」


 その通りだと言いたげにぽーんと跳ねるルークス。大きな目をキリッとさせて、ルークスは皆を見上げている。僕がご主人様をちゃんと守る!みたいなノリだった。今日もルークスは悠利が大好きだ。

 可愛い可愛い従魔の決意を聞いて、悠利は感極まったようにうるうるしている。そのまま、ルーちゃん大好きだよー!と抱きしめる。ルークスも嬉しそうに鳴いていた。規格外と規格外の主従は、見事に両思いである。


「なるほどねぇ。まぁそれでも、人間相手だとぶっ飛ばす以外の方法もあるから、ここを頼るのも忘れるんじゃないよ、ルークス」

「キュ?」

「敵を倒しただけで終わらないときがあるからねぇ。湧いてくる虫は、各個撃破よりも巣を潰す方が早いときもあるんだよ?」

「キュイ!」

「良い子だ」

「……わぁ」


 イイ笑顔で物騒なことを教え込むゾラ。うちのルーちゃんに変なこと吹き込まないでくださいとぼやく悠利だが、ギルマスまで一緒になって、その通りですとか言い出しているので、色々と諦めた。大人二人は時と場合に応じて手段を選ばないらしい。物騒だった。

 そんなこんなでギルマスとの話はあっさりと終わり、二人と一匹は冒険者ギルドを後にした。しかし、ゾラの言う顔合わせはそれで終わらなかった。

 続いて悠利が連れてこられたのは、富裕層の住宅街の片隅にある一軒家だった。こぢんまりとしているが上品な家で、緊張しながら足を踏み入れた悠利を出迎えてくれたのは美しい羽根人の女性だった。


「あらゾラ、思っていたよりも早かったのね。その子が例の子かしら?」

「あぁ、そうだよ。うちの秘蔵っ子だ」

「初めまして、ユーリです」

「初めまして。私の名前はヨゼフィーナよ」

「よろしくお願いします」


 ぺこりと頭を下げた悠利に、ヨゼフィーナと名乗った女性は優しく微笑んでくれた。長い金髪を一本の三つ編みにしてアップにしている姿は、上品で美しい。金髪碧眼に色白で、線の細さもその背の白い翼もあいまってとても美しかった。

 やっぱり羽根人って美人が多い、と思う悠利だった。ヘルミーネも黙っていれば線の細い美少女だし、種族的に細身で線の細い美形が多いらしいので。白い羽根が美しく、所作一つ一つも上品だ。その辺は個人差かなと思った悠利である。


「ユーリ、ヨゼフィーナは腕の良い錬金術師でね。知り合っておいて損はないと思うよ」

「錬金術師さんなんですね。僕、錬金術師さんにお会いするのは初めてです」


 正確には、錬金術師を専業にしている人に会うのが、である。錬金の技能スキル持ちならばアリーもそうなので。

 そんな悠利に、ヨゼフィーナはにこやかに微笑んで告げた。悠利が思ってもいなかったことを。


「貴方のおかげで、うちの弟子達も仕事が増えたと言っているのよ。ありがとう」

「へ……?お弟子さん……?」

「まだまだ駆け出しの子達よ。ほら、貴方が調味料のレシピを開発してくれたから、お仕事が増えたの」

「あぁ、ハローズさんが盛大に売りに出すと言っていた……」


 悠利の言葉に、そうよとヨゼフィーナは頷いた。そして再び、ありがとうと告げるのだ。未熟な新人でも出来る仕事が増えてありがたい、と。

 悠利は錬金釜を調味料作成機としか思っていないところがあって、便利だからと次から次へと調味料を作っていた。それを知ったハローズが盛大に売り出したのだ。そして、商品作成を仕事のなかった錬金術師達に依頼したのだ。レシピ通りに材料を入れればどうにかなるし、そもそもが調味料。ちょっと失敗しても大きな問題は起きない。

 B品はB品として売り出せば問題ないし、何なら味が落ちている分などは自分達が使えば良いのだ。少なくとも、回復薬などの生死に関わるような薬の錬金で失敗するよりは、よほど安全だった。

 そして、簡単なレシピでも繰り返し技能スキルを使えば修練になるし、何より仕事としてお金が貰える。お金が、貰えるのだ!

 これは別に、金の亡者というわけではない。錬金術師の仕事は、腕の良い者達に任されることが多い。駆け出しの多くは仕事を見つけられずにバイトで日銭を稼ぐこともあるという。なので、定期的に仕事があるというのは普通にありがたいのだ。

 悠利はそこまで話が大きくなると思っていなかったのだが、やり手の行商人であるハローズおじさんは、見事に需要と供給を成立させてしまったのである。商人側も、錬金術師側もお互いに仕事が出来て助かり、一般人は商品が流通するので助かるという構図だった。

 そのおかげで、今では顆粒だしなどの粉末系も、めんつゆなどの合わせ調味料も、お店で買うことが出来る。自分でいちいち作らなくて良いので、悠利としても助かっているのだ。


「一度きちんとお礼を言いたかったから、ゾラの申し出は渡りに船だったのよ」


 にこにこと微笑むヨゼフィーナ。恐縮です、と悠利は頭を下げた。思いも寄らぬ高評価にちょっと戸惑っているのもあった。

 対照的に、主を褒められていると理解しているルークスは、とてもご機嫌だった。ぷるぷると身体を揺らしているが、その目はキラキラと輝いている。ご主人様は凄いでしょ!とでも言いたげだ。言葉は通じなくとも、その目の輝きだけで何かが伝わってくる。

 そんなルークスを、ヨゼフィーナはあらあらと微笑ましそうに見ている。可愛い従魔ねと褒められて、今度は悠利がご機嫌になった。とても解りやすい主従だった。


「坊や、ヨゼフィーナは王都の錬金術師でも古株だから、顔見知りになっておくと色々と便利だと思うよ」

「古株、ですか……?」

「あぁ、古株だ。あたしよりもババアだからねぇ」

「え」


 カラカラと楽しげに笑うゾラの発言に、悠利は目を点にした。ババアの定義が崩壊しそうだった。目の前のヨゼフィーナは、どこからどう見ても若くて美人なお姉さんである。ゾラ共々、ババアなんて単語には相応しくない。

 そんな悠利の混乱を理解したのだろう。ヨゼフィーナが困ったような口調でゾラをたしなめた。


「ゾラ、確かに私は貴方よりも長く生きているけれど、その表現は正しくないわ。私は、種族的に考えればきちんと外見通りの年齢よ。貴方と違って」

「アンタがあたしより長く生きてるのは事実だろうに」

「長く生きてるからって、ババアと呼ばれる年齢ではないの」

「長命種のくせに変なところで細かいねぇ、アンタは」

「私のためではないわ。その子のためよ」

「あん?」


 何故ヨゼフィーナがそこまで拘るのかさっぱり解っていないゾラ。彼女は呆れたように悠利を示した。現実が処理能力を超えそうな感じなので、とても困っている悠利だった。

 そんな悠利だが、二人の会話でちょっと立ち直った。常日頃はあまり気にしていない、羽根人の寿命というものを思い出したからだ。

 線の細い美形が多く、白い翼を持つ麗しい人々として認識されている羽根人は、人間の三倍ほどの寿命を持つ種族だった。長命種の年の取り方は様々なパターンがあるのだが、羽根人は自分達のペースで成長するタイプだった。どこかで加速度的に成長速度に変化がある種族ではない。

 そして、その自分達のペースと言うのが、人間の三倍という感じだった。つまるところ、種族的には外見通りの年齢と認識され、人間年齢換算するならば外見年齢を三倍したぐらい、というのがざっくりとした羽根人の外見と年齢の考え方だ。

 よって、悠利達と殆ど変わらない年齢に見えるヘルミーネだが、生きてきた年数で言うなら大人組と同じか彼等を越えている感じになる。しかし、精神年齢は外見とほぼほぼ同じなので、彼女の扱い方は十代の少女としてで問題はなかった。

 ちなみにヴァンパイアは、一定年齢まで成長すると老いなくなるという、美と若さを追求する人々に全力で羨ましがられそうな特性を持っている。ヴァンパイアに老人はいない。死ぬときも若いままである。内蔵などは年齢相応に弱っていくらしいが。

 幼少期が短く一気に大人になった後、緩やかに年を重ねていく種族もいる。逆に、幼少期が随分と長い種族もある。長命種の成長の仕方は千差万別で、人間の基準で考えると混乱してしまうのだ。また、各種族内でも個人差があるので、一概にこうと言えない部分もあるのだが。

 そんなわけなので、この見た目が三十代ぐらいの麗しいお姉様であるヨゼフィーナも、生きてきた年数で言うと九十年近いのである。人間が主体の王都ドラヘルンにおいては、どう考えても古株になる年月だった。


「少しは落ち着いたかしら?」

「はい……。すみません」

「いいえ、貴方が悪いわけではないわ。ゾラには自分の見た目が若すぎる自覚が足りないのよ……」

「あー……」


 困ったように笑うヨゼフィーナに、悠利は乾いた笑いを浮かべた。それは確かにそうかもしれないと思ったのだ。何せ、ゾラは常に自分のことをババアと称している。見た目が実年齢の半分ぐらいだという自覚が薄そうだ。

 それは多分、彼女が別に特別若作りをしているわけではないからだろう。ギルマスの言葉を借りるなら、心身を鍛えているだけ。普通に考えてありえないのだが、実在しているので仕方ない。現実は奇っ怪だった。

 とりあえず衝撃から立ち直った悠利は、気になったことを質問してみた。


「あの、ヨゼフィーナさんと親しくなっておくと便利って、どういうことですか?」

「古株だから、顔が利く」

「それと僕と何の関係が……?」

「坊や、ちょこちょこ錬金関係でやらかしてるんだろう?それなら、何かあったときにヨゼフィーナに動いてもらった方が楽そうだ」

「……なるほど?」


 ゾラの説明に、悠利はとりあえず返事をしたが、語尾の疑問符は消えなかった。色々とやらかしているのは事実だが、アリーにお小言やお説教を貰う以外のことが起きていないので、悠利にはよく解らないのだ。

 つまるところ、面倒事は全部頼れる保護者様がやってくれている。何やかんやと言いながら、悠利に一番甘いのは多分アリーである。

 悠利の態度からその辺を察したのだろう。ゾラは少し考えてからヨゼフィーナに告げた。


「坊やが何かやらかしたらアリーが動くだろうから、あっちを助けてやっておくれ」

「解ったわ」

「まぁ、大抵のことは自力でどうにかするだろうけどね。それでもまぁ、アンタが手伝ってくれると解っていたら、肩の荷も少しは下りるだろうよ」

「ふふふ、ゾラは本当にあの子がお気に入りねぇ」

「気に入ってなきゃ、後を任せたりしないだろう?」

「それもそうね」


 楽しげな女性二人を見ながら、悠利は思った。彼女達にかかれば、アリーですら「あの子」という扱いなのだ、と。見た目はアリーと同年代にしか見えない二人が、確かに年長者だと理解できた瞬間だった。

 そんなこんなでヨゼフィーナとのやりとりは終わり、二人は彼女の家を後にした。これで用事も済んだだろうと思った悠利だったが、現実は甘くはなかった。


「それじゃあ、次に行こうかね」

「次!?え?まだあるんですか?」

「当たり前だろう。あたしの人脈がこの程度だと思われても困るよ、坊や」

「えー……」


 冒険者ギルドのギルマスと、王都の錬金術師の古株を紹介してもらったのだから、もう十分なのではないか、と悠利は思った。そもそも、悠利が関わる業界の人なんて、他にあるのか解らない。

 そんな悠利に対して、ゾラは言い含めるように言葉を紡いだ。


「いいかい、坊や。伝手やコネってのは、四方八方ありとあらゆる方面にあってこそ真価を発揮するんだよ」

「……はい?」

「数が多けりゃ多いほど、何かあったときに打てる手が多くなるってことだよ。だから、顔つなぎもやっとくと便利なのさ」

「あ、はい……」


 言われた内容は何となく理解したが、やっぱり自分に関係して考えるとよく解らなくなる悠利だった。彼の日常は基本的にまったりなので。

 ただ、ゾラが悠利を心配してくれていることだけは理解した。理解しているから、大人しく後を付いてきているのだけれど。


「それじゃあ、後はどんな方々と顔つなぎをするんですか?」

「これから行くのは金貸しのところだね。後は情報屋、商人、職人、あぁ、役人や衛兵にも顔を通しておくと便利かねぇ」

「……わー、沢山だー」


 どう考えても一日それになるんだな、と悠利は理解した。理解すると同時に、ゾラの人脈の凄まじさを理解する。今上げた職種は、冒険者と関連しているとはいえ、そこまで顔が利くようになるとも思えなかったのだ。

 現役時代の二つ名は嵐のスカーレット。今もなお、その功績で冒険者達の間で顔が利くらしい女傑様。虫除けのためにクランの名前に自分を連想させる名称を使ったのも納得なほどの、何だかもう、凄い人だなぁとしか思えない悠利だった。


「ちなみにお聞きしますけど」

「何だい?」

「スカーレットさん、お貴族様とも知り合いだったりします?」

「指名依頼を受けてた相手とかで知り合いはそれなりにいるねぇ」

「……わー、すごーい」


 ちょっと片言みたいになった悠利。遠い目をしている。

 ちなみに指名依頼とは、腕の良い冒険者を名指しで依頼を持ってくるやつである。冒険者ギルドが仲介する感じだ。基本的には受ける受けないは冒険者側にあるのだが、大抵相手がお貴族様なので断るという選択肢は存在しないに等しい。

 そんな指名依頼で色々な貴族と知り合ったというのだから、やはりゾラの腕は凄いのだろうと悠利は思う。確かに、既に引退したと言いながら、皆に稽古をつけられるぐらいの腕はあるのだから。今は自由を満喫しているが、鍛錬は心身の健康のために怠っていないらしい。

 悠利の質問に答えたゾラは、悪戯っぽく笑いながら口を開いた。実に、楽しげに。


「坊やが貴族に興味があるなら、何人か紹介しようか?」

「遠慮します!」

「あははは。即答だねぇ」

「いやですー。むりですー。いらないですー」

「そんな棒読み口調で言うんじゃないよ」


 ぷるぷると頭を左右に振って拒絶する悠利。本気で拒絶していた。そんな悠利の反応が予想できていたのだろう。ゾラは楽しげに笑うだけだ。

 悠利としては、お偉いさんと知り合いたいなんて微塵も思っていないのだ。彼が望むのは平穏で平和な日常だ。今まで通り、アジトでまったり生活するので十分である。

 勿論、ゾラも悠利の反応が解っていたからこそこんなことを言ったのだ。迂闊に貴族に近づけると色々と怖いのが悠利である。極力、権力とは遠いところに置いておく方が安全だ。皆の心身の平穏のためにも。

 第一、そんなことをすればアリーが怒鳴り込んでくること間違いなしだ。自分の経験談から、上流階級との接触の面倒くささを知っている保護者が、悠利をそこへ放り込むことはないだろう。どんなことが起こるか解らないのもあるし。


「まぁ、坊やが嫌がるような相手とは引きあわせないよ」

「スカーレットさん?」

「使える伝手と、頼れる相手が増えるぐらいに思っておきな。あたしが後見役だ」

「……ありがとうございます」


 素直にお礼を言った悠利に、ゾラは困ったように笑いながら「アンタは危なっかしいからねぇ」と言うのだった。あまり自覚のない悠利は、そんな女傑様の言葉に不思議そうに首を傾げるだけだったが。




 そんなこんなで、一日で色んな人と顔合わせをした悠利でした。いざというときの伝手が増えました。




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