お箸が進むキュウリのガーリック醤油和え

「色々と手間をかけたな、坊主」

「いえいえ、僕は別に何も」


 申し訳なさそうに告げてくるダレイオスに、悠利ゆうりはのんびりとした笑顔で答えた。穏やかな空気の彼らとは裏腹に、背後では賑やかに『お話』が繰り広げられている。

 事の発端であるアルガが宿泊客の女性に言い寄られて仕事が出来ずに困っている、という状況は解決した。シーラが最終兵器として呼び寄せたティファーナによる『お話』で何とか穏便(?)に解決したのである。

 それで終わりかと思えば、アルガの予想通りにその後はアルガがシーラとティファーナに『お話』をされているのだった。流石に宿屋で騒ぐのもアレなので、仕込み中でお客さんのいない大衆食堂木漏れ日亭の方へと場所を移している。……そして、何だかんだで悠利も付き合ったままである。

 別に、いたところで何かが出来るわけでもない。ただ、アルガに一緒に待っていてほしいと言われたので待っていただけだ。そして、今は特にやることもないので、店主であるダレイオスが出してくれたお茶をありがたく頂いているわけである。

 平和だった。悠利とルークスとダレイオスの空間だけは、とても平和だ。背後とのギャップが凄まじい。


「だから、邪魔なときはちゃんと邪魔って言わないと通じないって言ってるでしょ!」

「お客様相手にあんまり露骨なこと言えないだろ……」

「それで仕事が疎かになっているのなら、本末転倒というものですよ、アルガ」

「仕事はしてる……!」


 妹と幼馴染みに畳みかけるように怒られているアルガ。ただ、言われっぱなしというわけでもなく、当人が譲れない点はきちんと自己主張をしていた。……まぁ、女性二人に届かないのだが。

 一応、彼女達の言い分も間違ってはいない。いくら宿泊客のお姉様方に気に入られたからとはいえ、仕事の邪魔になっているならきちんと伝えるべきなのだ。本末転倒というティファーナの発言は正しい。

 そして同時に、お客様相手なのだからあまり露骨に拒絶の言葉を口に出来ないというアルガの主張も、間違ってはいない。彼は宿屋の看板息子である。接客業である。言い方というものがあるのだ。

 なお、アルガなりに相手を不快にさせない程度に現状を伝えてはいた。ただ、彼のその遠回しな表現はお姉様方に通じず、或いは通じていたが無視されて、取り囲まれていたというわけである。モテても何も嬉しくない状況だった。


「変に愛想を良くするからでしょ」

「普通だ!普通にしかやってない!」

「それで何であんな風になっちゃうのよ!」

「俺が聞きたいわ!」


 実に賑やかだった。騒々しい背後のやりとりを、悠利は聞こえていないフリをする。アレは多分、兄弟喧嘩みたいなものなのだ。水入らずでやりとりをさせておく方が無難だと思ったのである。

 その辺はダレイオスも同感だったのか、父親だというのに何一つ口を挟まず、完全に放置の構えだった。むしろ、暇を持て余したルークスに掃除をしてほしい箇所を説明しているぐらいには、扱いが雑だった。いつものことなのかもしれない。


「そういや坊主、メニューを考えるのを手伝ってくれないか?」

「メニューですか?」

「あぁ。キュウリが山ほど手に入ったんだが、酒のつまみになりそうなもんでも出来ないかと思ってな」

「了解です」


 ダレイオスの申し出に、悠利はすちゃっと敬礼の真似事をして答えた。お店で出せるようなお料理は知らないが、《木漏れ日亭》は大衆食堂である。出てくるお料理は格式張ったものではなく、家で食べるような感じだ。なので、悠利でもお役に立てる。

 キュウリを使った料理ということで、悠利は脳裏に色々とレシピを思い浮かべる。手っ取り早く塩キュウリだったり、アジトでは定番になっているナムルだったり、わかめやじゃこと合わせて酢の物だったりと、お通しや突き出しとして使えそうなものが思い浮かぶ。

 ちょっと手を加えるなら、塩キュウリもただの乱切りではなく蛇腹にするとか、千切りにしたキュウリに叩いた梅を和えるとかもある。……キュウリを蛇腹にするのは意外と面倒くさいし、梅干しを叩くのは普通に面倒くさい。まな板を洗うのも含めて。

 そして、今回のオーダーは「酒のつまみになるもの」である。ここが重要だ。お酒を飲む人が喜んでくれる味付けとなると、ちょっと濃いめの方が良いだろうかと考える悠利。

 ……悠利は未成年なのでお酒は飲めないが、両親や姉の晩酌におつまみを作っていたので、ある程度のことは察することが出来る。多分この方向性で良いんだろうな、みたいな感じだ。

 まぁ、違ったら違ったで構わない。だって未成年なのだし、酒に合う味付けなんて感覚では理解できない。


「ガーリック醤油で味付けするのはどうでしょうか?」

「ガーリック醤油?」

「そのまんまなんですけど、すりおろしたガーリックと醤油を混ぜてタレを作って、そこにキュウリを漬け込むだけです」

「……なるほど。確かにその味なら、酒が進みそうだな」

「ガーリックって、結構しっかりした味が出ますもんねー」


 のほほんと悠利は笑う。お口の匂いがちょっと気になってしまうけれど、直接丸かじりをするわけでもないので、どうにかなるだろう。多分。

 どうしても気になる人は頼まなければ良いのだ。あくまでもメニューの一つとしてどうだろうか、という提案なので。採用するか決めるのはダレイオスだし、食べるか決めるのはお客さん自身である。

 悠利の説明で試作する価値があると思ったらしいダレイオスが、立ち上がる。そして、悠利を手招きして厨房へと向かう。


「ルーちゃん、僕、ダレイオスさんと厨房に行ってくるから、お掃除お願いするね」

「キュピ!」


 お客さんのいない時間というのをフル活用して、フロアのあちこちを掃除しているルークスに声をかける悠利。出来る従魔は、自分の役目をちゃんと理解しているのか元気よくお返事をした。

 建国祭のときに裏方のお手伝いをした経験があるし、そもそもそれ以前にアルガに簡単なメニューを提案したこともあるので、悠利にとってここの厨房はそれなりに慣れた場所である。どこに何があるか完全に解らずとも、ある程度は把握していた。

 そんな悠利だが、厨房の一角にどんと置かれた山盛りのキュウリに目を点にした。カゴに無造作に放り込まれた状態である。山盛りという単語に相応しかった。


「……ダレイオスさん、コレがその、大量にあるキュウリですか?」

「そうだ」

「何でまた、こんなに大量に……?」


 キュウリは便利な野菜だが、お腹は膨れない。ここが重要だ。《木漏れ日亭》のメイン客層は冒険者である。安くて美味い飯がいっぱい食べられる店、というのが評判のお店なので、必然的に空腹を抱えた冒険者が集まってくる。

 また、店主が元冒険者で、隣接する宿屋が冒険者御用達となれば、そりゃまぁ客層はそうなるだろうというアレである。身体が資本の冒険者達は、よく食べる。《真紅の山猫スカーレット・リンクス》の面々も割と食べるので、イメージが出来る悠利だ。

 そして、だからこそ、何でキュウリが大量にあるのかが解らなかったのだ。悠利はキュウリが好きだし、サラダや付け合わせに使えて便利だと思っている。お漬物も大好きだ。でも、キュウリは大半が水分なので、食べても別にお腹は膨れない。

 有り体に言えば、この店の趣旨にそこまで貢献していない気がするのだ。それだったらジャガイモが大量にある方がまだ納得が出来る悠利である。

 そんな悠利の疑問に、ダレイオスは面倒くさそうに答えた。実際、面倒くさかったのかもしれない。


「知り合いの農家のとこで、異常発生したんだ」

「……異常発生……?」

「何でも、新作の栄養剤とやらを使ったら、アホみたいに収穫できたんだと」

「…………そんなギャグみたいな……」


 普通に考えたら大量に収穫できるのは良いことだが、農家さんが困るほどの異常発生を引き起こした栄養剤って何だ、と悠利は思った。なお、豊作はありがたいように思えるが、増えすぎると相場が乱れて値崩れして、結果的に農家のピンチに繋がります。

 とりあえず、何で大量にあるのかは理解した悠利だった。それならばなおのこと、このキュウリを美味しく食べてきっちり消費するべきだろう。捨てるのは勿体ない。


「使うのはガーリックと醤油だけで良いのか?」

「あ、風味付けにごま油も使います」

「解った」


 必要な材料を作業台の上に並べるダレイオス。悠利はとりあえず、手にしたガーリックの皮をペリペリと剥いた。丁寧に皮を剥いてバラバラにすると、勝手知ったる厨房という感じでおろし金を取り出してすりおろす。

 ダレイオスの方も、悠利の作業を気にした風もなかった。こちらはキュウリを水洗いしてから切っている。ヘタを落とし、後は食べやすいように乱切りだ。手慣れているので作業が早い。

 すりおろしたガーリックをボウルの中に入れると、悠利は目分量で醤油を加えて混ぜ合わせる。ふわんとガーリックの良い匂いが漂ってくる。

 匂いと味の両方で食欲をそそるガーリックなので、醤油と混ぜているだけでもお腹がくぅと小さくなった。小腹の空く時間帯だったので余計にだろう。出来たら味見させて貰おうと思う悠利だった。

 なお、生のガーリックをすりおろして使うと味も匂いもしっかり出るが、後に残る匂いが気になるならば、チューブを使うのも一つの手である。味も匂いもあるが、後に残るのが生のものよりも少ない。

 とはいえ、そんな便利なものがあるのは元の世界なので、こちらの世界でせっせと頑張る悠利は生のガーリックをすりおろすのだ。指に匂いが残ってしまうので、この作業はあんまり皆には頼まない。……自分の指の匂いでお腹が減るらしいので。

 すりおろしたガーリックと醤油がしっかりと混ざったら、そこに乱切りにしたキュウリを入れる。入れて、タレが絡むようにしっかりと混ぜる。


「これだけか?」

「最後に香り付けのごま油を入れて混ぜれば、後は馴染むまで待つだけです」

「簡単だな」

「味が染みこむまでちょっと時間がかかりますけどね」


 あっという間に出来上がったキュウリのガーリック醤油和えに、ダレイオスは感心したようだった。確かに、調理に慣れている者にしてみれば、簡単な料理だ。混ぜた後は待つだけなので。


「今回は食感を残したいので生のキュウリとそのまま混ぜましたけど、塩押ししたキュウリでやると味が早く入るとは思います」

「ただ、そうすると少し柔らかくなるってことだな」

「はい」


 キュウリのポリポリとした食感を楽しむならば、塩押しをせずにタレにしっかり漬けておく方が良い。逆に、中までしっかり味を染みこませたいのならば、塩押しをして軽く水分を抜いたキュウリにタレを絡める方が美味しく出来る。あくまでも好みの問題だ。


「うちの客は食感がある方が喜びそうだから、直接タレと混ぜる方が良さそうだな」

「うちの皆も、食感がある方が好きそうなんですよね」


 今度作ってみようと悠利は思った。実家で作ったことはあるが、アジトで作ったことはまだない。こちらが初出だと知ったら、食べたいと大騒ぎされそうだなぁと思う悠利だった。多分間違っていない。

 それからしばらく、味が染みこむまでダレイオスと雑談を楽しむ悠利。幼馴染み三人は相変わらず賑やかに口論を続けているし、ルークスはご機嫌でお掃除を続けていた。実に平和な光景だった。賑やかなことには慣れている悠利である。


「そうだ、坊主」

「何ですか?」

「キュウリ、持って帰るか?」

「頂いて良いんですか?」

「傷んでもアレだしな。後、多分また後日届く」

「……つまり、例の栄養剤の影響、まだ残ってるんですね……」

「……そうだ」


 遠い目をしたダレイオスに、悠利は乾いた笑いを零すしか出来なかった。どれだけ強力な栄養剤なんだろうと思ったが、怖かったのでそれ以上詳しい話は聞かないことにした。世の中には知らなくて良いこともある。

 まぁ、食糧難で困っている地域などに持って行けば、大喜びされる品物ではあるだろう。普通の農家さんが使うには、ちょーーっとリスクがありそうな気がするだけで。収穫量は適切に保ちたいものである。

 そんなやりとりをしている間にほどよく時間がすぎて、タレに漬け込んでおいたキュウリに味が染みこむ頃合いになった。相変わらず騒々しい三人と掃除をしているルークスを残して、悠利とダレイオスは再び厨房へと移動する。

 冷蔵庫から取り出したボウルの中のキュウリは、最初よりも幾分しんなりしているように見えた。それでも、瑞々しさは失っていない。小皿に味見用の少量を取り出したダレイオスは、ぽいと口の中にキュウリを放り込んだ。

 そのまま、小皿を悠利の方へと差し出してくる。お前も食えというお達しに、悠利はありがたく従うことにした。ガーリック醤油とごま油の良い匂いが空腹を刺激するので。

 乱切りキュウリなので、頑張れば一口で食べることが出来る。口に入れた瞬間に広がるのは、ガーリックの風味が利いた醤油の味だ。野菜を食べているはずなのに、まるで肉を食べているような強烈な満足感が広がる。

 続いて、キュウリの食感が口を楽しませる。また、じゅわりと広がるキュウリの水分で、濃厚だったガーリック醤油の味が薄まって、口の中をスッキリさせる。ふわりとごま油の香りが鼻腔をくすぐって、何とも言えず食欲をそそった。

 塩押しをしていないのでキュウリの食感が残っているのも、良いアクセントになっている。やはり、キュウリは食感が大事だ。噛むことによって満足感もあるので、良い感じに仕上がっていると言えた。


「なかなかいけるな……」

「お役に立ちました?」

「あぁ。助かった。早速、今夜から提供することにする」

「それじゃあ、仕込みをお手伝いしますね!」

「いらん」


 流れるようにお手伝いをしようとした悠利だが、ダレイオスに一刀両断されてしまった。腕まくりをしようとした体勢で固まる悠利。少ししてから、唇を尖らせてぼやいた。


「いっぱい作るならお手伝いがいると思ったのにー」

「坊主の手を借りんでも、シーラを手伝わせるから問題ない」

「……むぅ」


 料理音痴を通り越して謎の物体Xを作り出すシーラであるが、材料の下拵えなどは完璧にこなせる看板娘さんである。味付けと調理をさせなければ、彼女は実に優秀だった。盛り付けもお上手である。

 まだそわそわしている悠利を見て、ダレイオスはきっぱりと言い切った。……言わないと、お手伝いに紛れ込む可能性があると解っているのだろう。読まれている。


「他人の仕事を取るな」

「……はい」


 頼まれない限り、領域侵犯をしてはいけないというお言葉である。良かれと思って手伝いたくなるのは悠利の性なのだが、いらないと言われたら大人しく引き下がれとダレイオスは言っているのだ。

 後、賃金が発生する仕事の場合は金を受け取れというのもこの親父殿のご意見だ。悠利は報酬などなくても喜んでお手伝いをしてしまう性格なので、ダレイオスの言葉はしっかり覚えておこうと思っている。ボランティアもすぎれば互いにとってよろしくないので。


「じゃあ、シーラさんを呼んできますね」

「頼む」

「はーい」


 自分が提案したメニューのせいで仕込みが発生したので、その説明もしようと悠利はとことこと厨房から移動した。三人は相変わらずわちゃわちゃやっているが、もう喧嘩はしていないようだった。普通の会話が弾んでいるようだ。

 幼馴染み水入らずの会話に割って入るのは心苦しかったが、お仕事をしてもらわないといけないので、悠利は意を決して口を開いた。


「あのー、シーラさん」

「え?どうかした、ユーリくん」

「ダレイオスさんが仕込みを始めてるので、お手伝いをお願いします」

「仕込み?何で?早くない?」


 きょとんとしているシーラに、悠利はてへっと笑った。その顔で色々と察したのはシーラではなく、ティファーナだった。常日頃接している指導係のお姉様は、理解が早かった。


「ユーリ、何か新作を伝えたんですか?」

「そんな感じです。キュウリが大量にあるらしくて……」

「……つまり、私はキュウリを切る役?」

「もしくはガーリックをすりおろす役かと」

「匂いが付くから、そっちはお父さんにやってもらおうっと」

「「シーラ……」」


 年頃のお嬢さんであるシーラは、強かった。店主と看板娘ではなく、父と娘モードになるらしい。まぁ、仕事をしないと言っているわけではないし、うら若き乙女がガーリックの匂いをぷんぷんさせたくないという意見も、解らなくもない。

 仕事があると理解したシーラの行動は、早かった。兄と幼馴染みに笑顔で挨拶をして、厨房へと走っていく。看板娘さんは、仕込みの大切さをよくご存じだ。

 軽やかに去っていったシーラを見送った後、ティファーナは悠利に問いかけた。隣のアルガも、声こそ出さないが同じ気持ちなのだろう。目が雄弁に物語っている。


「それでユーリ、今日はどんな料理を伝えたんですか?」

「キュウリのガーリック醤油和えです」

「……それはまた、名前だけでお腹が空きそうな味付けですね」

「美味しいですよ」


 悠利はのほほんと答える。ティファーナとアルガは顔を見合わせて、肩をすくめた。相変わらずだと言いたいのかもしれない。


「ちなみに、アジトで作る予定はありますか?」

「ダレイオスさんにキュウリを貰う予定なので、近日中には」

「それは良かったです」


 穏やかに微笑むお姉様に、悠利は首を傾げる。そんな悠利に、アルガは笑って口を開いた。


「メニューに出ないなら、うちで晩飯を食おうか検討してたんだよ」

「……ティファーナさん、《木漏れ日亭》の扱いが実家ですよね」

「実家みたいなものですし」

「なるほど?」


 さらりと答えるお姉様に、悠利はそういうものかと納得した。家族ぐるみの幼馴染みとなれば、半分以上実家みたいなものらしい。アルガも頷いているので、彼らの中の認識はそうなのだろう。

 そういう幼馴染みって良いなぁ、と悠利は思った。子供同士だけでなく、親もひっくるめて仲が良いというのは、何だかちょっと憧れる。困ったときに頼れる先があるという意味でも。

 そんなことを考えている悠利の前では、ティファーナとアルガが楽しそうに談笑をしている。兄弟のように育った幼馴染みは、やはり、仲が良いようだ。




 後日、貰ったキュウリをガーリック醤油和えにしたところ、大食いと酒飲みのメンバーに大喜びされたのでした。ご飯が進み、酒の肴になる料理だと認識されたようです。



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