看板息子も大変なようです

「あらあらあら」

「……ティファーナさん、何かお顔が怖いんですが」

「あら、そんなことはありませんよ、ユーリ」

「いやでも、圧が」

「気のせいです」

「……はい」


 にこやかな微笑みで物凄く圧をかけてくるティファーナに、悠利ゆうりは大人しく黙った。何を言っても通じない気がしたし、本気でお怒りっぽいお姉様に勝てる気配が存在しなかった。普段は穏やかに笑っている彼女だが、怒らせたときの恐怖レベルは他よりぐんと上だった。温度差とかの問題で。

 基本的に温厚で滅多に怒らないティファーナお姉さんがお怒りの原因は、悠利にも理解できた。目の前の光景だ。これ以外には存在しないなと、基本的に鈍い悠利も理解した。

 彼らの前方では、宿屋日暮れ亭の看板息子アルガが、冒険者と思しき女性達に囲まれていた。恐らくは、宿泊客なのだろう。相手がお客様なので無下にも出来ないのか、アルガは営業スマイルで対応している。

 ただ、それなりに親しい悠利の目から見て、あれは間違いなく営業スマイルだった。宿屋の仕事も忙しいだろうから、そういう意味でも困っているのかもしれない。とりあえず、アルガが困っているというのだけは悠利にも解った。

 ……そして、幼馴染みがそんな状況だからこそ、ティファーナが激おこ状態なのだということも。


「あ、あの、ティファーナさ……」

「ティファ姉、来てくれたのね……!」

「お待たせしてすみません、シーラ」

「ううん。来てくれて本当に良かった」


 悠利が何とかティファーナを宥めようとした瞬間、二人の姿に気付いたのか隣の大衆食堂木漏れ日亭からシーラが駆け寄ってきた。看板娘さんは今日も愛らしいが、その顔に浮かぶのは切実な表情だった。

 ……切実は切実なのだが、ティファーナのてをしっかりと握った彼女の瞳が、ギラリと光ったように悠利には見えた。怒っている人が増えたのだと察する。

 察して、そして、悠利は目の前の方々に心の中で合掌した。何だかよく解らないが、とりあえず、怒らせたら死ぬほど怖いお姉様と、兄思いの妹が激おこ状態なのだ。お呼びでない方々には退散していただくのが筋であろう。


「……ルーちゃん、危ないことになりそうだったら、援護お願いするね」

「キュピ?」

「うん、そんなことにならない方が良いんだけどね」


 念のため、と悠利に頼まれたルークスは、ぴょこんとその場で跳ねることで答えた。大好きなご主人様のお願いだ。そのくらいお安いご用ですと言いたげな瞳をしている。……まぁ、実際、ルークスは鬼のように強いのだが。


「一応状況を確認しておきますが、アレは宿の客ということで良いのですね?」

「うん。お客さんだから兄さんも強く言えないみたい。……仕事の邪魔なのよねぇ」

「全くですね」


 そう言って微笑むティファーナとシーラの顔は、怖かった。笑顔なのに圧が凄かった。今は夏のはずなのに、体感温度がぐぐっと下がったような気がする悠利だった。……思わず、ルークスを抱えて後退る。

 なお、従魔のルークスはその辺は解らないのか、突然抱き上げてきた悠利を見て不思議そうな顔をしているだけだ。それぐらい鈍く生きていられたら、平和なのかもしれない。あと、魔物なので人間とは色々と違う可能性がある。

 スタスタと歩いていく女性二人の背中を、悠利はルークスを抱えたままとことこと追いかけた。何で僕、一緒に来たんだろう?と彼はちょっと思っていた。ティファーナがシーラに呼ばれたと聞いて、何となく付いてきてしまったのだ。

 もしかしたらお店が大変でお手伝いがいるのかな?と思っただけなのである。純粋な心配だった。自分やルークスがお手伝い出来るかもしれないと思っただけなのだ。来てみたら全然違う状況だったけれど。

 複数の女性達に囲まれていたアルガは、近寄ってくるシーラとティファーナの姿を見て、そうと解るほどに一瞬だけ顔を引きつらせた。看板息子さんの営業スマイルが一瞬で剥がれた。思いっきりヤバいという顔をしていた。

 ただ、彼の素晴らしいところは、一瞬でその顔を営業スマイルに戻したところだった。接客業のプロ、素晴らしい。

 続いて、悠利とアルガの視線が重なる。悠利はぺこりと頭を下げた。何だか物凄く申し訳ない気分になったが、悠利は何も悪くない。アルガも申し訳なさそうな顔をしているが、彼も何も悪くない。男二人はちょっと居心地が悪そうだった。

 しかし、そんな風に目と目で会話をしている二人をそっちのけで、シーラが口火を切った。ここはやはり、妹として彼女が先陣を切るのが無難という感じだった。


「お客様、兄は宿屋の仕事がありますので、そろそろ解放していただけませんか?」


 にっこり笑顔で声をかけるシーラだが、背後に黒いオーラを背負っている。それでも素晴らしい笑顔を維持しているところが、怖い。

 明らかに不機嫌なシーラなのだが、彼女よりも年上らしき女性達は、気にした素振りを見せない。あらあらと言いたげな態度である。……明らかに子供扱いをしていた。


「こんにちは、シーラちゃん。勿論、お仕事の邪魔をするつもりはないわよ」

「えぇ、その通りよ。ちょっとお話をしているだけだもの」

「相変わらずお兄さんが大好きなのね」

「兄妹仲が良くて羨ましいわぁ」


 にこにこと社交的な笑顔で告げる女性達。いずれもアルガと同年代、つまりはティファーナと同年代と思しきお姉さん達だ。タイプはそれぞれ違うが、冒険者らしく鍛えられていながら女性らしいしなやかさを失っていない。……まぁ、客観的に見て健康的な美人の皆様だった。

 子供に言い聞かせるみたいな態度を取られたシーラが、びきりとこめかみを引きつらせた。何か効果音が聞こえた気がする悠利である。


(シーラさん、滅茶苦茶怒ってる……)


 兄妹喧嘩で怒っている姿は知っているが、こんな風に笑顔を浮かべていながらどす黒いオーラを発して怒っている姿は知らない悠利である。怒り方が若干ティファーナに似ていると思った。幼馴染みで似るのだろうか。

 そこで、悠利はハッとした。何も言わないティファーナを振り返れば、美貌のお姉様は麗しの顔に微笑みを浮かべたまま、極寒を背負っていた。ブリザードが吹き荒れている。

 真夏のはずなのに寒さを感じてぶるりと身体を震わせた悠利は、自分と同じ反応をしているアルガに気付いた。付き合いが長いだけに、笑顔でキレるティファーナをよく知っているアルガだ。目の前の幼馴染みが激おこ状態なのを察したらしい。

 色々と察したアルガは、全てを悟ったような顔でそっと身を引いていた。女同士のやりとりに、迂闊な口を挟まないようにするつもりらしい。賢明な判断だった。

 なお、同じ理由で悠利も、大人しく、外野として、沈黙を守っている。別に付いてこなくても良かったのだけれど、怖いもの見たさでやってきてしまった。ここまできたら、最後まで見学しようと思ったのだ。

 後、アルガが縋るように視線を向けているので、立ち去れなかった。俺を一人にしないでくれという感じだった。妹と幼馴染みが激おこの状態で取り残されるのが、とてもとても嫌なようだ。まぁ、悠利だって一人で取り残されたくはないのだが。


(僕、いても何も出来ませんからね……?)


 とりあえず、視線で訴えておく悠利だ。何かを期待されても無理である。アルガもそれは解っているのか、こくこくと頷いている。いるだけで良いなら、少し気が楽だった。

 そんな悠利達二人のやりとりなど露知らず、シーラと女性達のやりとりは続いていた。相変わらず、シーラが軽くあしらわれているのだが。女の人ってこわーいと悠利は思った。


「ですから、兄の仕事の邪魔をしないでくださいと言っているんです!皆さんだって仕事があるはずですよね!?」

「邪魔ならそう伝えてって言ってあるわよ?」

「自分達の予定はちゃんと把握しているから大丈夫」

「お客様相手に、兄が、自分から、邪魔だと言えるわけ、ないでしょう!」


 遂にブチキレたのか、シーラが叫んだ。腹の底からの絶叫だった。よほど鬱憤が溜まっていたらしい。

 そうだよなぁ、と悠利は思う。彼女達は宿屋のお客さんで、アルガは宿屋の看板息子さんである。お客様相手に、はっきりきっぱり邪魔ですなんて、言える性格はしていないのだ。

 ちなみに、これが食堂でシーラが男性客にちょっかいをかけられているとかだと、彼女は遠慮なく「仕事の邪魔なので」とすっぱり切り捨てる。そこは多分、シーラが女性で、男性客が引き際を弁えているからだろう。

 ……なお、たまに現れる弁えていない客は、店主の睨みを受けて退散するのがお約束である。未だに食材を求めて魔物を狩りに行くおやっさんに勝つのは難しい。

 話がそれたが、肩で息をしてお怒りのシーラだが、修羅場をくぐっている冒険者のお姉様方には通じないらしい。癇癪を起こした子供を見ているような態度である。……年下なので、そういう扱いになるらしい。

 そこで悠利は、何故シーラがティファーナを呼んだのかを理解した。自分では、どれだけ頑張っても相手にされないことを、彼女は解っていたのだろう。年齢差というのはどう足掻いても覆せないので。


「……皆さん、少しお話よろしいですか?」


 シーラが形勢不利と理解したのだろう。ティファーナが穏やかな口調で声をかけた。声は柔らかく、穏やかなのに、何故か背筋を走り抜ける悪寒を隠せない悠利だった。アルガもそんな反応をしている。

 満を持してラスボスの登場!みたいな雰囲気がある。ティファーナお姉さんは怒らせてはいけないのだと、悠利は心に刻んだ。前から知っているが、更に強く刻んだ。


「あら、貴方……」

「確か、《真紅の山猫スカーレット・リンクス》の……?」

「えぇ。《真紅の山猫スカーレット・リンクス》で指導係をしているティファーナです。今回は、アルガの幼馴染みとしてご意見申し上げますね」


 普段から丁寧な口調のティファーナだが、今日は何やら磨きがかかっている。慇懃無礼というか、圧が凄い。ぷるぷると悠利は小さく震えた。自分に向けられているわけではなくても、とても怖かった。

 ぎゅっとルークスを抱きしめる。出来る従魔は、主が何かに怯えているのを察したのか、ちょろりと伸ばした身体の一部で悠利の頭を撫でてくれた。優しい。ちょっとだけ癒やされた悠利だった。


「幼馴染みだったの?」

「それで、意見って何かしら?」

「仕事の邪魔です」

「「…………」」


 にっこりとした笑顔で、ティファーナは女性達を一刀両断した。余計な言葉が一切含まれていない。それだけに、笑顔と背後に背負ったブリザードが際立っていた。

 あまりにもきっぱりと言い切られたせいだろう。女性達も絶句していた。シーラは「流石ティファ姉!格好良い!」と頼れる幼馴染みにエールを送っていた。

 アルガは、顔を引きつらせながら口パクで「あんまり大事にするなよ」とか「やり過ぎるなよ」とか言っているのだが、鋭い流し目を寄越されて口をぎゅっと閉ざした。……怒れる幼馴染みの恐ろしさに勝てなかったらしい。


「皆さんがアルガに好意的であるのはおおよそ理解しましたが、それとこれとは話が別と言えませんか?いえ、むしろ、好意があるならば、なおのこと忙しい看板息子の邪魔をするのはどうかと私は思います。《日暮れ亭》はアルガとお母上が二人で切り盛りしている宿屋ですよ?その邪魔をするのは、良い大人としてどうかという話にもなります。その辺り、皆さんはどうお考えでしょうか?」


 畳みかけるように、立て板に水のようにノンブレスで言い切ったティファーナに、悠利は顔を引きつらせた。怒っている。これはもう、誰の目から見てもお姉様がお怒りである。いや、お怒りなのは解っていたが、多分今まで見た中でもベストスリーに入るぐらいの怒りっぷりだ。

 ティファーナの剣幕に押されたのか、女性達は何も言えないでいる。その間に、アルガはそろり、そろりと女性達の側から離れて悠利の隣へと移動してきた。生存本能かもしれない。


「……アルガさん、お疲れ様です」

「……ユーリくん、何か巻き込んでごめん……」


 ティファーナと彼女の隣に立つシーラが女性達を相手にあーだーこーだとやっている姿を眺めながら、二人はぼそぼそと言葉を交わす。安全地帯に避難している感じだった。


「ちなみに、何でこんなことに……?」

「いやー、何か、好かれた、みたいで……?」

「……言い寄られてたとかそういうのですか?」

「若干、それっぽい空気もあった」

「……お疲れ様です」

「……ありがとう」


 疲れた顔をしているアルガに、悠利は素直に労りの言葉をかけた。アルガだってお姉さん達に好かれるのは嫌ではない。嫌ではないが、そこは客商売。お客さんとあまり距離が近くなるのは良くないと思っているのだ。

 ご近所のおば様方に大人気の看板息子さんだが、お客のお姉様方にも大人気だということを知った悠利である。人気があるのは良いが、デートのお誘いとか仕事の邪魔になるのはご遠慮したいらしい。大変だ。


「シーラさんがティファーナさんに連絡を寄越したんですけど、太刀打ち出来ないからってことで良いんですかね……?」

「まぁ、十中八九、ティファにどうにかさせようと思ったんだろうなぁ……。圧倒してるし……」

「僕、あんなに怒ってるティファーナさん、久しぶりです」

「俺も久しぶりだ」


 怖いよぉと呟く悠利に、アルガは俺も怖いと正直に答えた。幼馴染みなだけに、本気で怒ったティファーナの怖さが身に染みているらしい。

 そして、そんな風に身に染みている彼は、目の前の女性達のやりとりを眺めながら、ぼそりと呟いた。切実な声で。


「コレ、絶対、終わった後に俺があの二人に怒られるんだ……」

「……あ」

「もっと上手にあしらえとか、気を持たせるようなことをするなとか、何かそんな風に怒られるんだ。俺は知ってる」

「……が、頑張ってください……」


 まるで確定事項のように語るアルガに、悠利は思わず顔を引きつらせた。否定できなかった。二人の剣幕から考えるに、女性達を追い払うだけでは怒りは治まらない気がする。


「……出来れば、あいつらが落ち着くまで一緒にいてほしい」

「アルガさん、お仕事は……?」

「今ここで仕事に抜けたら、それはそれで怒られるから、待ってる……」

「……なるほど」


 当事者が逃げるな!という話になるのだろうか。アルガの仕事の邪魔をするなという主旨の話なのに、仕事に行ったら怒られるらしい。大変だなぁと悠利は思った。

 とりあえず、しょんぼりしているアルガが不憫だったので、悠利はルークスと共に付き合うことを決めた。癒やし代わりにルークスを差し出すと、賢い従魔はちょろりと伸ばした身体の一部でアルガの頭を撫でていた。慰めているらしい。

 今日は特に用事もないので、このまま全部終わるまで側にいて、終わったらティファーナと一緒にアジトに戻ることにしよう。そんなことを考えて、悠利は目の前の女性達のやりとりを眺めるのだった。




 なお、ティファーナによる『お話』で女性達はアルガの迷惑になっていたのを理解して、今後は控えると約束してくれた。その後、場所を《木漏れ日亭》に移してアルガへの『お話』が始まるのでした。ドンマイ。



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