書籍16巻部分
仲直りのロールサンド
「悪いのは兄さんの方よ!」
「えーっと、シーラさん、シーラさん、とりあえず落ち着いてください」
頭から湯気が出る勢いで怒っているシーラに、
まぁ、仕事中は笑顔を絶やさない素敵な看板娘だが、素に戻れば普通のお姉さんだ。特に、兄や父とのやりとりは軽快である。仲は良いのだが、良いだけにたまにこうやってお怒りモードになるのもご愛敬だった。
問題は、何故か《
いや、理由はある。ちゃんとある。彼女は、彼女の愚痴を聞いてくれる人物のところへ来ているだけだ。家族のように育った幼馴染みのティファーナに会いに来ているのだ。
……たまたま、本当にたまたま、特にすることもなくて暇を持て余していた悠利が、その癇癪に巻き込まれているだけで。「ちょっとユーリくんも聞いてよ!」という勢いで引っ張り込まれ、お人好し故に拒絶も出来ずに話を聞いている悠利だった。安定である。
「だってユーリくん、本当に悪いのは兄さんなのよ?」
「主張したいことは理解しました。でも、何があったのかを聞かせてもらってないので、僕にはどうにも判断が……」
「兄さんが悪いの!」
「いえ、ですから……」
荒れ狂っている相手に正論を言っても無駄だとは解るのだが、とりあえず悠利としては事情を説明してほしかった。何の説明もなしに兄への不満だけを並べられても、相槌の打ちようがないのだ。同意するにも材料が必要だ。
そんな風に困っている悠利と裏腹に、ティファーナはそっとシーラの手を取って一言告げた。優しい微笑みで。
「えぇ、解っています、シーラ。アルガが悪いんですよね」
「ティファ姉!」
「大丈夫。私は貴方を信じますから」
「流石ティファ姉だわ!」
事情も聞かずにあっさり肯定したティファーナに、シーラは満面の笑みを浮かべた。幼馴染みのお姉様を慕っている彼女である。味方をしてもらえてご満悦なのだろう。
しかし、外野の悠利としては釈然としない。いや、愚痴を聞いてほしいシーラなので、彼女の味方になるのは正しいかもしれないのだが。話も聞かずにぶった切られたアルガの存在が不憫だなと思っただけである。
そんな悠利に気付いたのか、ティファーナは困ったように笑った。兄が悪いと言い続けているシーラの手を握ったまま、端的な説明をしてくれる。
「ユーリ、貴方の気持ちも解りますが、この二人の兄妹喧嘩の場合、悪いのはいつもアルガなんです」
「へ……?」
「アルガが悪いというか、アルガの発言や行動が悪いというか、ですけれど」
「どういう意味ですか?」
ティファーナはアルガのこともシーラのことも幼馴染みとして大切に思っている。女同士で結託しているように見えるかもしれないが、その実は兄妹どちらにも優しいのは事実だ。その彼女が言い切った内容に、悠利はぽかんとした。
喧嘩には確かに原因があるだろう。しかし、それがいつもいつもアルガ側にあるというのは、何というか、不思議な感じだった。悠利の知るアルガは、宿屋の看板息子に相応しい、明るく爽やかなお兄さんなので。
勿論、家族などの身内に見せる姿と、悠利に見せる姿が同じではないだろう。それでも、ティファーナの発言はちょっと理解しにくかったのだ。
悠利の反応を予測していたのだろう。ティファーナは、困ったように笑いながら説明を追加してくれた。
「例えば、口論の原因がシーラを思いやってのことだったとしても、そのときの言葉選びや態度が致命的に悪いんです」
「……アルガさん、実は不器用なんですか?」
「不器用というか、思ったままを端的に口に出しているんでしょうね。兄妹なのでその辺りの遠慮や配慮が欠けているんでしょう」
「あー……、なるほどー……」
ティファーナの説明を聞いて、悠利は何となく事情を察した。兄が妹に向ける心配の感情は本物で、それは優しさだ。だが、その優しさを伝えるための言葉選びが厳しくなっていたり、妹の欠点を指摘したりになるやつである。どっちも悪くないやつだった。
ぶちぶちと文句を言っているシーラも、兄が自分を思ってくれていることは解っているのだろう。ティファーナの説明に、異論は挟まなかった。むしろ、補足するようにぼそぼそと「兄さんは怒らせるような言い方しかしないのよ」とぼやいている。兄妹関係が垣間見えた。
とりあえず詳しい事情を聞いてみれば、事の発端は彼女が宿屋の仕事を手伝ったことにあるらしい。アルガが看板息子を務める
食堂の看板娘として忙しいシーラが宿屋の仕事を手伝っていたのは、本日が休業日だったからだ。《木漏れ日亭》には定休日は存在しない。その代わり、店主の都合で休業される。
この場合の都合とは、店主が食材を狩りに行くことである。
何も間違ってはいない。元冒険者のダレイオスおじさんは、今でも普通に魔物を狩れちゃう御仁である。時々うっかり怪我をすることもあるが、大抵は無事に戻ってくる。狩った魔物の肉を大量に持ち帰ってくる姿は、ちょっとシュールかもしれない。
獲物が欲しいならば冒険者ギルドに依頼として出せば良いのだが、自分の目で確かめて選びたい派らしく、自ら狩りに赴いてしまうのだ。年齢を考えてよねとシーラが時々忠告をしているが、聞き入れられる日はまだ当分先だろう。それぐらいに元気なお父さんだ。
そんなわけで、食堂が休みで仕事のなくなったシーラは、忙しいだろう兄と母を手伝うために宿屋の仕事を手伝っていたのだ。食堂は休めるが、宿屋を休むのは難しいので。
事件が起こったのは、その最中だった。
「宿泊客の冒険者さんにちょっと声をかけられただけなのよ」
「あら、貴方に声をかけるような方が泊まっていたんですか?」
「見慣れないお客さんだったから、新規さんじゃないかなー」
「なるほど……」
女性二人の会話をのんびりと聞きながら、悠利はどうやらシーラがナンパをされたらしいということを理解した。ついでに、背後にダレイオスが控えているのに彼女にちょっかいをかける男の存在が珍しいことも理解した。
確かに、《木漏れ日亭》で客に声をかけられることはあっても、妙な輩はいなかった。親しみを込めて軽口ぐらいはあったが、下心を込めてどうのこうのというのは見かけたことがない。シーラは看板娘が務まるぐらいには愛らしい女性であるし、胸も大きい。
悠利は別に胸の大きさでどうのこうのと考えることはないが(姉妹に囲まれているので逆に気にならないのである)、大抵の男性は豊かな胸には心動かされるはずだ。快活な笑顔が素敵なスタイルの良い看板娘さんは、普通に考えたら妙なちょっかいをかけられてもおかしくはない。
その辺を全て一刀両断しているのが、元冒険者であるダレイオスの存在なのだろう。「うちの娘に妙な真似してやがるのか?」みたいな圧をかけられたら、よほどでなければ怖じ気づく。容易く想像出来る悠利だった。
「まぁ、食堂の方だとそんな風に声をかけられることもないんだけどね」
「おじさんの目の前で貴方に手を出す人はいないと思いますよ」
「それはそうだけど、別に私、その程度はあしらえるのよ、ティファ姉」
唇を尖らせてシーラは訴える。基本的に冒険者がメインの客層である《木漏れ日亭》で看板娘として働くシーラは、そんじょそこらの箱入りのお嬢さんとは違うのだ。迷惑な客を上手にあしらうことぐらい、簡単にやってのける。
そう、彼女はそういうことに慣れている。父の怖さを知らずに声をかけてきた新規客の軽口を、笑顔で交わしてお引き取り願うぐらいには慣れているのだ。それぐらいの逞しさは職業柄必要なのだろう。
だからこそ、彼女は今、兄に怒っているのだが。
「自分のことぐらい自分で出来るのに、兄さんったら『声かけられて浮かれてるな』とか『少しは自分のことを考えろ』とか言うのよ!別に浮かれてないし、宿屋のお客さんだからそれなりの対応をしただけなのに!」
あのバカ兄さん!とシーラはだんっ!とテーブルを叩いた。食堂のテーブルは頑丈に作られているので、彼女が叩いたところで壊れない。……壊れないが、揺れた瞬間にコップがひっくり返りそうになったので、悠利とティファーナはそっとコップを支えた。
そして、二人で顔を見合わせる。次いで、ほぼほぼ同時に溜息をついた。
これはもう、どう考えてもアルガの台詞選びが間違っている。言いたいことは何となく察したが、シーラも多分察しているのだが、言い方があまりにも悪い。彼女が怒っても仕方ないと思えた。
思わず、本当に思わず、悠利はティファーナにこっそりと問いかける。シーラは未だに兄への怒りが解けないのか一人でぶちぶちぼやいているので、二人の会話は聞こえていないようだ。
「もしかして、アルガさん、毎回こんな感じなんですか……?」
「大喧嘩をして、シーラが怒っているときはいつもこんな感じです。……今回も、予想通りでしたね」
「予想通りでも困るんですが……」
「幼少時から代わり映えしない光景と言いますか……」
「そこまでですか……?」
遠い目をして呟くティファーナに、悠利は顔を引きつらせた。兄弟のように育った幼馴染みの発言には重みがあった。まぁ、大人になっても同じようなやりとりを繰り返しているのは、兄妹仲が良いと言えるかもしれないが。
とりあえず、アルガが悪いと言い切ったティファーナの発言の正しさを痛感する悠利だった。ただ、確かにアルガの台詞選びは致命的に悪いが、妹を心配してのことだというのも事実だ。言い方が物凄く悪かっただけで。
ティファーナ相手にぶちぶちと愚痴るシーラも、そこは一応解っているらしい。愚痴の中に「言い方ってものがあるじゃない」とか「心配するなら解りやすく心配すれば良いじゃない」とかが紛れ込むので。兄妹なんだなぁと悠利は思った。
ひとしきり愚痴ってスッキリしたのか、シーラは来たときよりは随分と空気が丸くなった。……問題は、素直に兄と仲直りする気分にはまだなっていない、というところだろうか。顔がそんな感じだった。
「あの、シーラさん」
「なぁに?」
「確認のために聞きますが、アルガさんと仲直りするつもりは、あります?」
「…………一応」
「解りました」
兄の言い方が悪かったとはいえ、大喧嘩をして出てきたのは悪かったと思っているらしい。仲直りをするつもりはあるが、きっかけが見つからない。後、自分だけが頭を下げるのは何だか癪に障る。シーラの感情を表現するならそんなところだろう。
そんな彼女の状態を理解した悠利は、にこにこ笑顔で提案を口にした。実に悠利らしい提案だった。
「それじゃあ、アルガさんに差し入れを作りませんか?」
「……え?」
「お仕事を頑張っていたらお腹が空くと思いますし、差し入れを」
「何でそこで差し入れになるの、ユーリくん……」
「シーラさんの手作りを持って行けば、アルガさんも色々察して折れてくれるんじゃないかと思ったんですけど……」
この場合重要なのは、喧嘩をして飛び出していった妹の手作り、というところではない。シーラの手作りというのがポイントだった。
大衆食堂の看板娘として素晴らしい働きを見せるシーラだが、彼女には誰にもどうにも出来ない致命的な欠点があった。……料理が出来ないのである。
ただ料理が出来ないというのとも、レベルが明らかに違った。何故か謎の物体Xを作り出してしまうのだ。本人も何でそうなるのか解らないらしい。とりあえず判明しているのは、調味料と火を使わせると謎の物体Xを生成してしまうということである。
逆に言えば、野菜を切ったり盛り付けたりという部分は得意だった。その彼女の特性を上手に活用して、悠利は以前、サンドイッチを教えた。切って挟むだけならば、彼女の謎の性質が出てこないので。
「……言いたいことは、何となく解るけど……」
シーラも自分の料理オンチは理解している。謎の
解っているが二の足を踏んでしまうのは、彼女は自分の料理の腕前を理解しているからだ。父が作った料理の残りをパンに挟むことで即席サンドイッチを作ることには慣れているが、新しい料理を作れる自信はないのだ。
そんなシーラに、悠利はにこにこと笑った。いつも通りのほわほわした顔だった。……見る人の心配とか毒気とかをすーっと抜いてしまうようなアレである。マイナスイオンでも出ている感じの。
「大丈夫です、シーラさん。今回もサンドイッチです。切って挟むだけです」
「あ、それなら大丈夫ね!」
「それならちゃんと食べられるものが出来上がりますね」
「……ティファ姉ぇ……」
「……これに関しては私も譲れませんよ、シーラ」
「はい……」
幼馴染みであるティファーナの表情は真顔だった。彼女はシーラと親しいからこそ、彼女が生み出してきた謎の物体Xを見て育っている。隣で一緒に料理をしていたはずなのに、同じ工程で作業をしていたはずなのに、何故か謎の物体Xが誕生しているのだ。壮絶な過去である。
「それじゃあ、早速やりましょう」
「よろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします」
ぺこりと互いに頭を下げ合って、悠利とシーラは顔を笑みに変えた。楽しそうに笑いながら台所へと移動する。その背中を、ティファーナは優しく見守っていた。
切って挟むだけの単純なサンドイッチということで、悠利が用意した食材は、レタス、トマト、ハム、チーズだった。作り手がシーラなので、マヨネーズを使うのも微妙な気分だった。ので、今回は使わない方向だ。
調味料と名のつくもの、分量を考えて味付けを行うという行為をさせると、何が起こるか解らないのである。現実は謎だった。
レタスは水洗いをして適当な大きさに千切り、トマトは輪切りにする。ハムとチーズもスライスすれば、具材の準備は完璧だ。この辺りの作業は、シーラも難なく行ってくれる。
「シーラさん、相変わらず包丁を使うのは上手ですよね」
「日々の下拵えは手伝っているもの。包丁の扱いは、兄さんより得意よ」
「アルガさんは、その辺は不得手ですもんねぇ」
以前、食堂メニューの開発を手伝ったときのことを思い出しながら悠利は呟く。当時はダレイオスが怪我をして厨房に立てなくなったので、アルガが臨時で調理を担当することになったのだ。
シーラの発言通りに包丁はそこまで上手に使えないアルガだが、妹のような妙な特性は有していなかったので、揚げたり炒めたり味付けをしたりという簡単な作業は普通に行えた。
結果として、下拵えで具材を切るのはシーラが担当し、アルガが調理をしていたらしい。適材適所だ。
力の入れ方で潰れてしまうトマトも、シーラは上手に切っている。ハムやチーズも、均等な厚さに仕上がっている。……やはり、彼女はサポート役としてはとても優秀なのだと悠利は思った。日々の活躍がよく解る。
コレで何で、味付けや火を使った調理を始めると謎の物体Xが出来上がるのか。誰にも解らない永遠の謎だし、あまり触れては可哀想なので悠利はお口チャックで大人しく黙っていた。言わぬが花である。
「具材の準備が出来たら、後はパンに挟むだけです。今日はこのロールパンを使います」
「食パンじゃないの?」
「ロールパンの方が中身が落ちないですよ」
「……なるほど」
悠利が取り出したロールパンに首を傾げていたシーラだが、説明を聞いて納得したらしかった。食パンのサンドイッチも定番で美味しいが、気を抜くと反対側から具材がはみ出てしまうのだ。ロールパンはその心配があまりない。
勿論、ロールパンだって食べ方に気をつけなければ、逆側から具材は落ちるだろう。しかし、少なくとも食パンよりは底になる部分があるのでマシなはずだ。
ころんとした可愛らしいロールパンのてっぺんに、悠利は縦に包丁を入れる。しゅっと線を一本通すような感じだ。切ったところでぱかっと開けば、具材を挟むスペースが出来る。
「ここに、具材を挟むだけです。順番は、レタスが外側、トマトが内側になれば大丈夫だと思います」
「その心は?」
「トマトが端っこにあると、水分でふやけそうだから?」
別に正しい順番などは悠利にも解らない。ただ、何となく、水分の一番多いトマトは真ん中にした方が良いなぁと思っただけだ。その理屈で言うとハムやチーズを外側にする方がよさそうだが、何となくいつも食べているサンドイッチのイメージで端っこはレタスの気分だった。
二人で、ロールパンに具材を挟んでいく。……ちなみに、悠利が作っているのは自分とティファーナのおやつ分なので、小ぶりなパンを一つだけだ。シーラは、自分を含めた家族四人分を作っていた。
具材を順番に挟むだけの簡単なサンドイッチ。しかし、シーラにとっては自分が唯一作れる料理とも言えた。調味料も火も使わない料理というのは、案外難しいのだ。現代日本なら電子レンジという裏技が使えるが。
シーラが四つのロールパンをサンドイッチに仕上げたのを見て、悠利は残ったパンを示してから瓶を取り出した。じゃーん!という効果音でも出そうな感じだ。
「ユーリくん?」
「野菜のサンドイッチと、ジャムたっぷりのサンドイッチでどうでしょうか」
「至れり尽くせりねぇ……」
悠利が取り出した瓶には、ごろごろとした果肉が印象的なイチゴジャムが入っている。ただのジャムではなく、果肉がイチゴの形をしているジャムだ。食べ応え抜群である。
最初からそのつもりだった悠利は、ちゃんとロールパンも数を揃えているし、切り込みも入れてある。あとはジャムを挟むだけだ。
これを選んだのは、このジャムならば挟むだけで良いと思ったからだ。ただのジャムを塗っても良かったが、果肉がごろごろしている方が満足感があると思ったのである。
「このイチゴジャム、どうしたの?」
「カミールが知り合いから仕入れてきたんです」
「あの子何なの……?」
「本人はただの見習いだって主張しますけど」
「商人の見習いなんじゃないの?」
「僕も時々そう思います」
実家が商家であるカミールは、目の付け所がそちら方面に聡い。そして、知り合いもそういう関係者が多い。冒険者の見習いより、商人の見習いと言われた方が納得することも多いのだ。当人は笑っているが。
まぁ、入手経路が何であれ、美味しそうなジャムであることに変わりはない。シーラはありがたくジャムを受け取り、たっぷりとロールパンに挟んでいく。果肉がごろごろと並ぶ様は、実に美味しそうだ。ふわりとイチゴの匂いが香るのもまた、何とも言えない。
あっという間にイチゴジャムサンドも出来上がりだ。流石は調味料も火も使わないサンドイッチ。二種類作ったというのに時間はそれほどかかっていない。尤もそれは、悠利もシーラも作業に慣れていたからというのも大きいだろうが。
完成したロールサンドを入れるためのバスケットを用意し、悠利はにこにこ笑顔で手渡す。さぁどうぞ、と言いたげだ。そんな悠利に苦笑して、シーラは自分が作ったロールサンドを丁寧に詰め込んでいく。
「それじゃあ、せっかく作ったから、美味しい間に持って帰るわね」
「はい、お気を付けて」
「ありがとう、ユーリくん」
「シーラ、喧嘩を売ってはいけませんよ」
「解ってるわよ、ティファ姉」
幼馴染みのティファーナの忠告に唇を尖らせつつ、シーラはバスケットを手にして歩き出す。玄関まで見送る間、ティファーナは彼女が兄と仲直りするようにと言い聞かせていた。幼馴染みというよりは、もはや普通に姉の発言だ。彼女達の距離感はそういうものなのである。
笑顔で去っていくシーラを見送って、悠利は隣のティファーナを見た。
「それじゃあ、せっかくなのでこっそり間食します?」
「夕飯が食べられる程度なら」
「二つのロールサンドを半分こすれば、一個分ですよね」
「抜け目がありませんね」
にこっと笑う悠利に、ティファーナは苦笑した。悠利もティファーナもそこまで食欲旺盛ではない。ロールサンドを二つも食べたら満腹になって、夕飯に支障を来すだろう。それが解っているから悠利は、二人で半分こするのを前提に、それぞれのロールサンドを一つずつしか作らなかったのだ。
二人で食堂に戻り、悠利は二つのロールサンドを半分に切って皿に載せた。飲み物はシンプルにお水。紅茶の気分ではなかったし、ジュースだと味が混ざると思ってのチョイスである。
「それでは、いただきます」
「いただきます」
向かい合って席に着き、手を合わせて食前の挨拶をする。そして、それぞれ自分のロールサンド(半分)に手を伸ばす。最初に手を伸ばしたのは野菜のサンドイッチだ。
かぷりと囓れば、レタスやトマトの瑞々しさと、パンのふわふわとした柔らかな食感が伝わる。そして、ハムとチーズの旨味が口の中に広がって、足りない味を補ってくれる。やはりハムとチーズにして良かった、と悠利は思った。
ロールパンなので、どこを食べても柔らかいのも良い点だ。食パンの場合は耳を落としていないと耳の食感が気になることもあるが、ロールパンにはそれがない。ふわふわとしたパンに具材の旨味が染みこんで、お口を幸せにしてくれる。
具材の味だけでなく、ロールパンそのものの優しい甘みも二人を幸せな気持ちにしてくれる。野菜やハム、チーズと食べることによって、より一層その甘みが引き立っているような気がするのだ。
「何も調味料が入っていないのに、とても美味しいですね」
「具材が美味しいからだと思います」
「そのようですね」
じゅわりと広がるトマトの酸味を、レタスが上手に受け止める。水分で味が薄いと感じたところへ、ハムとチーズの塩気が顔を出す。その上で、全てを包み込むパンの優しい甘みが何とも言えない。実に美味しいロールサンドだった。
シャキシャキとしたレタスの食感も、アクセントになって良い感じだ。腹具合を考えて半分にしているが、きっとこれは皆も喜んで食べるだろうなぁと思う悠利だった。
続いて二人が手を伸ばしたのは、勿論イチゴジャムのロールサンドだ。その前に水を飲み、口の中をリセットするのを忘れない。イチゴジャムの甘さを堪能するためだ。
ふわふわとしたロールパンにたっぷりと挟まれた、イチゴの果肉がごろごろとしたイチゴジャム。食べる前から美味しいのは解っていたが、いざ食べてみると本当に美味しくて思わず二人揃って笑顔になる。
果肉のイチゴがアクセントになり、食感で楽しませてくれる傍ら、液体の部分がパンに染みこんでじゅわりと旨味を広げているのだ。白いパンに染みこんだ赤いジャムが綺麗で、また、優しい甘みのハーモニーが絶妙だった。
ごろごろとしたイチゴの果肉があるので、果物を食べている感じがして満足感が凄い。噛むというのは満腹中枢を刺激する行為なので、こうやって大きな具材を堪能すると満足感があるのだろう。
「野菜のロールサンドも美味しかったですけれど、イチゴジャムの方が本当に美味しいですね、ユーリ」
「僕もそう思います。ロールパンのふわふわした食感とイチゴジャムの相性が良いんでしょうか?」
「多分、このジャムが美味しいからですよ。パンに染みこんで本当に美味しいです」
「ですね」
うんうんと二人で納得顔。普段の彼らならばこんな風に間食をしないけれど、今日は特別だ。美味しさを噛みしめながら楽しんでいる。
ついでに、他の誰かが帰ってくる前に食べて、証拠隠滅を図るというのもあった。いや、別に見つかったら見つかったで、作ってあげれば良いとは思っているのだが。予定にはなかった間食なので、何となく秘密にしておきたい気分なのだ。
それはティファーナも同じだったらしく、美味しそうにロールサンドを食べるお姉さんの目が、悪戯っぽく笑っていた。内緒ですよ、と言いたげな素敵な笑顔だ。言葉にしなくても確認出来た意見に、悠利は同感だと言いたげにこくりと頷くのだった。
翌日、ロールサンドを褒められたとご機嫌のシーラが報告にやってきて、兄妹喧嘩が無事に終息したことを二人は知るのでした。仲良しが一番ですね。
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