晩ご飯は挽き肉たっぷりキーマカレー


 建物の外に出る度に、別の建物に移動することになる不思議なダンジョン。その探索を続けている悠利ゆうり達だが、幾つフロアを移動しても、何一つ危険な目に遭うことはなかった。

 そのおかげか、地図作製のために詳細をメモしながら進むクーレッシュの負担も少ない。周囲を鑑定しながら移動しているアリーと悠利にも、何一つ負担はなかった。そもそも、罠を警戒してもその罠が子供の悪戯レベルなのだ。殺傷能力がなかった。

 出てくる魔物も、むしろこちらを見て怯えて逃げる感じだ。殺意がここまで低いダンジョンも珍しいと大人組は言うが、悠利としてはそういうダンジョンもあるんじゃないのかなぁ?で終わる。何せ、一番身近なダンジョンのノリが農園か果樹園なので。

 ただし、収穫の箱庭はかなり規格外のレアケースなので、それを参考にするのは色々とアウトだ。アレはオンリーワンぐらいに思っておかないと、ダンジョンというものの存在定義が崩壊しそうになるので。


「ここは、何だか神殿みたいな感じの建物ですね」

「ふむ。古き時代の神殿という趣であるな。旅先で見た遺跡に似たようなのがある」

「ヤクモさんは本当に物知りですねー」

「なんの。見聞きした物が多いだけで、専門的なことは解らぬよ」


 のほほんと悠利が呟けば、ヤクモが会話相手をしてくれる。二人の足元ではルークスがキュイキュイと鳴きながら跳ねている。心なしか、床の感触を楽しんでいるように思える。

 この場所は、見事にワンフロアぶち抜きという感じの広い空間だった。今までが幾つも部屋のある建物の内部だったのに対して、少し異質だ。

 神殿みたいと悠利が言ったのは、大理石の床に太い柱、部屋の中央奥に祭壇のような大きな石があるからだ。こう、西洋風古代の神殿みたいな感じである。明確な建築様式などは悠利には解らないが、何となくギリシャ神話とかに出てきそうな神殿というイメージになる。

 ルークスは磨き上げられた大理石が楽しいのか、跳ねたり滑ったり這ったりしている。特に邪魔でもないので、誰もその行動を止めなかった。ぴかぴかした表面にぼんやりと自分の姿が映るのが面白いのか、身体の一部を伸ばして遊んでいたりする。可愛い姿だ。

 そんな風にルークスが暢気にしているのも、このだだっ広いフロアに罠一つ見当たらないからだ。見通しがよく、何かが姿を隠すことも出来ないだろう場所なので、襲撃の心配もない。

 まぁ、そもそもこのダンジョンで今まで遭遇した魔物達は、こちらから近付かなければ酔ってこないし、こちらが近寄れば怯えたように逃げるのだが。戦闘本能が仕事をしていない見本だ。


「ユーリ」

「はい、何ですか、アリーさん?」


 周囲を調べていたアリーが悠利を呼んだ。声音に何かが含まれていることがないので、悠利も普通に返事をする。何か問題があったならば、悠利を呼ぶアリーの声にそれが滲むからだ。

 なので悠利は、何かなー?ぐらいののほほんとした雰囲気で返事をする。一応はダンジョンの中に入るというのに、相変わらずのゆるゆるっぷりだった。まぁ、それで皆も肩の力が抜けるので、悪いことではないのだけれど。


「ここは見晴らしも良いから奇襲も警戒出来るし、そろそろ夕飯にしようと思う」

「晩ご飯、ここで食べるんですか?」

「あぁ。どこにセーフティーゾーンがあるのか解らんからな。腹ごしらえはしておくべきだろう」

「解りました。準備しますね」

「頼む」


 アリーの言葉に、悠利は自分の仕事だとばかりに頷いた。とはいえ、今日はどんな感じに食事を取るのか解らなかったので、既に色々作って準備はしてある。学生鞄から取りだして盛りつければ終わりだ。

 本当ならば、セーフティーゾーンで食事をするのが一番安全だろう。あの場所は飲料水と食料になる果実の生る樹が生えている特殊空間だ。魔物は一切近寄らないし、罠も存在しない。ダンジョンの中で唯一の安全地帯だ。

 しかし、このダンジョンは今まで探索した限りでは危険度は低い。罠も魔物も害がほぼほぼないのだ。その上で、障害物の存在しないこのフロアならば、何かが近付いてきてもすぐに対処できるという判断なのだろう。

 その辺りのことは悠利には解らない。アリーやブルックの判断に従うだけだ。専門外なので。

 夕飯の準備と言うことで、まずは座る場所にピクニックシート代わりに大きな布を敷く。何でそんな物を持ってきてるんだというツッコミが聞こえたが、右から左に聞きながす悠利だった。

 続いて、大鍋を一つ、大きなボウルを一つ、器を人数分、既に器に入っているサラダを人数分用意する。ひょいひょいと学生鞄から取り出す悠利に、皆は何が出てくるんだと不思議そうだった。てっきり、夕飯もおにぎりとかサンドイッチみたいな弁当が出てくると思ったのに、何故か鍋が出てきたので。

 そんな仲間達に向けて、悠利は満面の笑みで宣った。


「今日の夕飯は、キーマカレーです!」

「「はい?」」

「晩ご飯はカレーです」


 呆気にとられる皆の前で、悠利はぱかりと鍋の蓋を開けてみせる。途端に、ふわりと漂うのは食欲をそそるスパイスの香りだ。《真紅の山猫スカーレット・リンクス》の面々にしてみれば、馴染みに馴染んだカレーの匂いである。

 鍋の中のカレーの美味しそうな匂いを嗅いだ瞬間、誰かのお腹がぐぅと鳴った。誰の腹の虫がカレーに敗北したのかを確かめるようなことはなかった。何せ、音は複数聞こえたので。


「他のチームの皆さんと距離があって良かったです。カレーは匂いが強いので、近いと食べてるのが解っちゃいますもんね」


 にこにこ笑顔の悠利に、皆は心の中で「そういう問題じゃない」というツッコミを入れた。口にしなかったのは、口にしても無駄だなと思ったからだ。後、目の前のほかほかで美味しそうなカレーの誘惑に抗えないというのもあった。

 そもそも、ダンジョンの中で普段通りの美味しいご飯が食べられるなんて、どう考えてもあり得ないのだ。悠利お手製の冷めても美味しいお弁当があるだけでも凄いのに、まさかの出来たてほやほやのカレーが登場するなんて誰が思うだろうか。

 この有り得ないを現実にしているのは、悠利の学生鞄だ。ハイスペックすぎる魔法鞄マジックバッグへと変貌を遂げた悠利の学生鞄は、容量無制限なだけでなく時間停止機能まで付いている。つまり、入れた物がその状態で取り出されるのだ。

 なので鍋の中のカレーも、ボウルの中のご飯も、湯気が出ていた。熱々だった。出来たてだった。実に美味しそうである。

 しかし、繰り返すがここは、ダンジョンの中である。

 どれだけヘンテコなダンジョンであったとしても、間違いなくここはダンジョンで、自分達は出先で野営をしているようなものなのである。それなのに目の前にはほかほかご飯にたっぷりとカレーのかかったカレーライスが鎮座している。どう考えても変だった。


「ユーリ、このカレーは何で用意したんだ?」

「え?出先なので、ご飯ぐらい美味しいものを食べられた方が良いかなぁと思ったんです。皆、カレーは好きですよね?」

「……それはそうだが」

「今日は挽き肉をたっぷり使ったキーマカレーなんですよ。お口に合うと良いんですけど」


 相変わらずご機嫌な悠利に、アリーはそれ以上何かを言うのを諦めた。もう本当に、ただただ純粋に「お仕事を頑張る皆に美味しいご飯を食べて貰おう」といういつも通りの悠利だった。それだけでカレーを作って持ってきてしまうのだ。

 不幸中の幸いというか、こちらのダメージがまだちょっと少なかったのは、ダンジョンでお料理を始めなかったことだろう。今からカレーを作りますとか言われたら、流石に皆もツッコミを入れざるを得ないので。

 そもそも、何を言おうと目の前にはカレーが用意されているのだ。とても美味しそうだ。用意して貰った食事に文句を付けるのは良くない。そう思った一同は、何でダンジョンでカレーを食べられるんだろうという疑問を、そっと頭の片隅に追いやることにした。


「これ、挽き肉のカレーって言ったよな?」

「うん。オークとバイソンの合い挽きミンチで作ってみたよ。みじん切りにしたタマネギ、人参、茄子も入ってるんだ」

「あー、肉以外に何も無さそうに見えたけど、全部細かくなってるだけか」

「そうだよ」


 悠利の説明で納得したのか、クーレッシュはスプーンでカレーを掬って確認をしている。挽き肉オンリーのカレーだとちょっと寂しいなと思ってしまったのだ。なので、他の具材もあると聞いて嬉しそうだ。

 白米の上にかけられたキーマカレーは、いつものカレーよりも幾ばくか水分が少なく見える。とはいえ、鼻腔をくすぐる匂いは相変わらず美味しそうだし、誰も特に文句は言わなかった。


「ルーちゃんには野菜炒めをたっぷり持ってきたからね」

「キュピ!」

「後で食器の汚れを落とすの手伝ってくれる?」

「キュイ」


 自分用に用意された野菜炒めを見てご機嫌になったルークスは、悠利のお願いにも上機嫌で返事をする。そもそも、主大好きなルークスだ。悠利のお願いを断るなんて考えもしないだろう。

 野営で地味に困るのが、汚れた食器の片付けだ。食べ物の匂いは魔物を引き寄せる可能性もあり、残飯の処理もきちんとしなければ身の危険を招く。現代日本でも山歩きの際のその辺は重要事項だ。

 洗い物が出来る水源があるならともかく、そうでないならば水を少しでも使わない方向で考えなければならない。そういった困りごとを、ルークスは全て解決してくれるのだ。お役立ち過ぎるスライムだった。

 キュピキュピ言いながら野菜炒めを美味しそうに食べている姿は愛らしい。しかし、ただ愛らしいだけでなく、強くて賢くてお役立ちなのだ。ハイスペックを地で行くスライム、それがルークスだった。

 ルークスの協力を取り付けた悠利は、それなら安心とばかりに自分も食事に取りかかる。なお、カレーもご飯もたっぷり準備してきたので、早い者は既にお代わりをしている。お代わりはセルフサービスです。

 スプーンでカレーとご飯を同じぐらいの分量になるように掬って、口へ運ぶ。キーマカレーは水分が少ないけれど、その分どこを食べても挽き肉があるので食べ応えがある。口の中で調和するカレーと白米に、思わず悠利の表情が緩んだ。

 何故カレーはこんなにも美味しいのか。香辛料のスパイシーさは、度を超えれば苦しくなる。しかし、カレーという料理は沢山の香辛料を使っていながら、食欲をそそる以外の何でもないのだ。

 オーク肉とバイソン肉はそれぞれ豚肉と牛肉みたいな味わいで、その二つの合い挽きミンチで作ったキーマカレーは旨味爆発という感じだった。カレーの香辛料に負けていない肉の旨味に、野菜の甘みが加わって何とも言えない調和だ。

 みじん切りにして炒めたタマネギ、人参、茄子は、細かいながらもそれぞれのポテンシャルを遺憾なく発揮している。

 タマネギは炒めたことで甘みを増し、人参は炒めてなお残る食感で舌を楽しませる。茄子は柔らかいが含んだ水分を残したままなので、タマネギや人参とはまた違う食感を呼ぶ。

 もぐもぐと食べる悠利のスプーンも、ついつい早まる。それほど大食いではない悠利がそうやって食べるほどに、今日のキーマカレーは上手に出来ていた。


「カレーは具材を変えれば色々と楽しめるっていうのは聞いていたけれど、こんな風に変化するのねぇ」


 しみじみとした口調で呟いたのはレオポルドだった。カレールーはハローズの店で売っているので、彼にも馴染みはあるのだろう。ただ、キーマカレーは初めてだったようだ。

 もっともそれは、《真紅の山猫スカーレット・リンクス》の面々も同じだ。肉の種類を変えたり、魚介を入れたり、後載せとして様々な具材をトッピングしたりはあっても、挽き肉を使ったカレーは初めてなのだ。


「カレーも味噌汁と同じで、自分好みの具材で作れる料理なので」

「でもこれ、普通のカレーよりも水分が少なくないかしらぁ?」

「煮詰めてるだけで、使ってるのはいつものカレールーですよ」

「あら、そうなのね」

「はい」


 キーマカレーの作り方も色あるだろうが、悠利は今回、市販のカレールーを使ったやりかたで作っている。水分を少し飛ばす感じに作るだけで、味付けはいつもと同じものなのだ。

 それを聞いたレオポルドは、それなら家でも作れるかもしれないと真剣な顔でカレーを食べている。悠利に聞けば早いのは解っているが、それとは別に自分で食べて考えることもしようと思っているのだろう。オネェは何だかんだで探究心が強い。


「ところでユーリ」

「はい、何ですか?」

「俺達だけが新作を食べたと知ったら、皆が煩いと思うんだが……」


 若干遠い目をして呟いたアリーに、悠利はぱちくりと瞬きを繰り返した。そんな悠利と裏腹に、仲間達は全員「あー」と言いたげな顔をしていた。アリーの言葉の意味が、彼らにはよくよく解ったのだ。

 そもそも、今回悠利がアリーの仕事に同行することになったので、アジトでは数日悠利のご飯が食べられないのだ。見習い組で料理当番を回すことは可能だが、悠利に習った料理でも、どうしても味が変わってしまう。

 それなのに、その上、こうして遠出組だけが新作料理を食べていたなんて知ったら、大騒ぎになること必至だ。しかもその料理はカレーだ。カレーは《真紅の山猫スカーレット・リンクス》で大人気の料理なので、その新作というだけで皆のテンションは上がるだろう。

 この事実がバレたら、戻ったときに騒がしくなりそうだ。そんなことを考えた皆の耳に、悠利ののほほんとした声が届いた。


「え?大丈夫ですよ。キーマカレーは作り置きしてきましたから」

「「は?」」

「大鍋にたっぷり作って置いてきたんで、多分今日の夕飯に皆も食べてます」


 抜かりはありませんとでも言いたげな笑顔の悠利に、皆は呆気に取られた。何で、遠出をするときに自分達の分の食事以外を作っているのか。いや、カレーなのでまとめて作ってもそこまで手間は増えないということなのかもしれないが。相変わらず、安定の、悠利だった。

 自分も出かけるというのに、残された面々のためのご飯を作ってきた悠利。お前は本当に、と若干疲れたようにアリーが呟くが、当人は普通の顔だった。実際、悠利には普通のことだったので。


「じゃあユーリ、これ、レレイ達も食ってんだな?」

「うん、そうだよ。…………どうしたの、クーレ。凄く脱力してるけど」

「俺の首が繋がって安心してる……」

「え……?」


 大きく息を吐き出して緊張から解放された様子のクーレッシュに悠利が問いかければ、彼は大真面目な顔で言い切った。微妙に物騒な発言に、オロオロする悠利だが、すぐにハッとしたような顔をした。今の会話から、思い当たる節が一つだけあった。


「……レレイの馬鹿力のこと……?」

「そう。本人に悪気がなかろうと、俺だけ新作カレー食べたとか聞いたら、あいつ絶対に突撃してくるからな……」

「……まぁ、レレイだもんね」

「俺が普通の人間で、あいつに比べたら物凄く脆いってことも、綺麗さっぱり忘れるからな……」

「レレイだからね……」


 ふっと黄昏れるクーレッシュに、悠利はかける言葉がそれしか見つからなかった。猫獣人のパワーを兼ね備えたレレイは、感情が高ぶるとうっかり仲間をシェイクするところがある。悪気がなくてそれなのだ。怒って突撃してきたときがどうなるのかは、考えたくない二人だった。

 少年二人のやりとりを聞いていた大人達は、全員そっと目を逸らした。彼等の会話を否定できなかったからだ。一応は成人女性であるが、色気より食い気、花より団子なレレイは、食べ物が絡むとちょっと暴走するところのある愛すべきおバカさんである。

 とりあえず、アジトにもキーマカレーがあると解って安心したのは、何もクーレッシュだけではない。大人組はカレー大好きな若手の姿を見ているので、もしも彼等が食べていないならば口をつぐもうと思っていたのだ。余計な騒ぎを起こさないために。

 安心して食べる食事は、より一層美味しく感じられる。がっつくような面々はいないが、ゆったりと、けれど確実に口に運ばれるカレー。出先で食べるカレーはまた格別な味なのか、皆の食事は進んでいた。


「ブルック、ちょっと待て。お前何杯目だ?」

「……4杯目か?」

「五杯目よ。一度待ちなさい。一人で食べ尽くすつもり?」

「む、すまん。美味かったから、つい」

「相変わらずよく食うな……」

「この胃袋お化け……」


 しれっと答えたブルックに、アリーとレオポルドは呆れたように息を吐いた。目に見えて解る大食いという感じではないのだが、ブルックはしれっとよく食べる。静かに食べるので、いつの間にかお代わりをしているという感じだろうか。

 今日もそうだったらしく、お口に合ったらしいキーマカレーを黙々と食べていたようだ。騒ぐ面々ではないにせよ、出先で追加を作るのが難しい以上、皆できちんと分け合うことは大切だ。ブルックも素直に二人の言葉に従っている。

 そんな大人達の姿を見て、カレーは大人気だなぁと思う悠利。その隣でクーレッシュは、「俺、もう一回お代わりしたいです!」と素直に声を上げていた。なお、今の会話の間にそろりとお代わりをする程度には抜け目のない大人が、ヤクモだった。




 何だかんだで皆が満足する感じでカレーを分け合って、晩ご飯は終了するのでした。




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