基本の練習、ボタン付け


「だー!やっぱり俺にはこういうの向いてねぇよ!」


 それまでの静寂を破って叫んだのは、ウルグスだった。物凄く実感のこもった叫びに、悠利ゆうり達も思わず彼を見る。全員、ちょっと同情したような顔だった。

 彼ら全員の手には、一枚の布と針があった。一枚の布の両端に、何かを付けると思しき目印と、反対側にはそれに対応した切り込みがあった。そして、三つほど並んだその印にちょろりとくっ付いているのは、ボタンである。

 そう、彼らは今、ボタン付けの練習をしていた。本物の服でやるとうっかり失敗したときが悲しいので、まずは練習にと端切れでやっているのだ。ちなみにボタンは悠利の私物だ。ちょこちょこ出かけては、色んなボタンを集めている悠利だった。


「気持ちは解るけど、頑張ろう?」

「そもそもこの、最初のやつでもう無理なんだけど!」

「あー、玉結びは、まぁ、苦手な人多いから……」

「何か団子みたいになるか、先っぽが長くなるかばっかりだぞ……」


 しょんぼりと肩を落とすウルグス。彼の手にした布に残る玉結びは、ちょっとばかり不格好だった。ぐちゃっとしているし、先っぽは長いし。それでも、一応何とか止まったので今まででは一番マシなのだ。

 そんなウルグスの手元を覗き込んで、マグはすいっと視線を逸らした。何も言わないが、その背中が何かを語っている。察したウルグスが、面倒くさそうにマグの頭をぐっと押さえた。


「……重い」

「言いたいことがあるなら言え」

「……不器用」

「そうだな!俺はどうせ不器用だよ!」


 家と言われたので素直に感想を述べるマグ。やけっぱちのように叫ぶウルグス。しかし別に、そこから喧嘩に発展する気配はなかったので、悠利も放置することに決めた。何だかんだでこの二人は仲が良いので。

 ちなみに、ウルグスを不器用と称したマグの手元には、綺麗な玉結びがキラリと光る布があった。ボタンも割と綺麗に付けられている。何だかんだで手先が器用で、職人っぽさがあるマグらしい。


「マグ、何でこんな細かいの上手に出来るの……」

「まぁ、とりあえず結べてれば良いんじゃね?」

「でも、先っぽ長くなっちゃうし……」

「切れば良いじゃん」

「え」


 羨ましそうにマグの玉結びを見ていたヤックに、カミールはあっけらかんと言い放った。重要なのは糸が抜けないようにする結び目であって、最初からその結び目が先っぽギリギリの位置でなければならないわけではない。

 驚くヤックに、カミールはちらりと悠利を見た。悠利も同感だったので、こくりと頷いた。悠利だって最初は、尻尾が長くなったような玉結びしか出来なかったのだ。ちょん切ってしまえば綺麗になる。


「切っても、良いの……?」

「僕、一度たりとも切っちゃダメだなんて言ってないよ……?」

「あ」

「だよなー。俺が切ってても、普通の顔だったもんなー」

「そもそも、ちゃんとボタン付け出来てたら、それが一番だよ」


 恐る恐るといった様子で問われて、悠利はケロリと答えた。その隣でカミールは、我が意を得たりとばかりにうんうんと頷いている。それが事実だったので、悠利もカミールに同調していた。

 二人の発言で肩の荷が下りたのか、ヤックががっくりとその場に崩れた。どうも、根が真面目なだけに重要に考えすぎていたらしい。たかがボタン付けぐらいで、悠利はそこまで厳しくないのだけれど。


「それなら、オイラも、切る……」

「はい、ハサミどうぞ。結び目を切らないように気をつけてね」

「うん」


 悠利に手渡されたハサミで、ヤックはちょきんとはみ出ていた尻尾の部分を切った。残ったのは、尻尾の短い玉結びである。見栄えが全然違った。

 気が楽になったのか、そこからヤックはボタン付けに集中し始める。ボタン付けは単純だが、最後にボタンを浮かせる部分を作ったり、玉結びや最後の玉止めが見えない所になるようにするというポイントがある。まだまだ不慣れなので、四苦八苦はしているが、先ほどまでよりも気楽そうだった。

 なお、見習い組の四人が悠利と一緒にお裁縫を頑張っているのには、一応理由がある。これも立派な訓練の一つである。

 たかがボタン付けと侮ってはいけない。ボタン付けも、簡単な修繕も、出来て困ることはないのだ。どこで何が起こるか解らない生活をする冒険者である。身の回りのことは一通り出来てこそ、だ。

 ちなみに、得手不得手はあるものの、一応訓練生は全員ボタン付けや簡単な繕い物ぐらいは出来る。旅先で衣服やテントが破れてしまったら、それを繕うのは自分である。出来なければ困るのだ。

 とはいえ、それが必要だと解っていても、きっちり練習をする冒険者は少ない。《真紅の山猫スカーレット・リンクス》はその辺り、かなり手厚い育成クランとも言えた。

 今までは指導係の誰かが教えていた裁縫であるが、ここに適任者がいた。趣味特技が家事と言っても過言ではない少年、悠利。皆の衣類の修繕を一手に引き受ける家事担当は、見習い組に裁縫を教えてやってくれと言われて二つ返事で引き受けたのだ。

 教えると言っても、悠利も素人だ。趣味でアレコレ作ってはいるが、学校で習ったことや、そこからの我流になっているのは否めない。

 ただ、別に本職の裁縫師を育成しているわけではないので、問題はなかった。日常で困らない程度の修練が積めれば良いのだ。

 習う方もそれは解っているので、教師が悠利でも何一つ気にしていなかった。むしろ、悠利が修繕してくれている衣類その他を日々見ているので、上手だよなぁという感想を持っていた。なので、教えてくれるなら助かるという感じだった。

 後、指導係の皆さん相手だと多少緊張するが、悠利が相手の場合はそれがないので気楽というのもあった。同年代の友達に教わるのは、また違う感じになるのだ。平和だった。


「けど、ボタン付けるのって結構難しいよな?」

「慣れるとそうでもないし、一つずつゆっくりやれば良いと思うよ」

「何かさー、こう、きっちり縫い付け過ぎて、穴に通らなくなるんだけど」

「あぁ、それはゆとりを作ってないからだね」


 こんな感じで、とカミールが見せてきたボタンは、布にきっちり縫い付けられていた。玉結びの尻尾は切ってあるので目立たないし、玉止めは布の裏側にあるので見えない。その辺りは丁寧だ。

 ただ、完全に飾りか何かのように、びたっと縫い付けられている。隙間がまったくない。こうなってしまうと、いくらボタンホールに余裕があったとしても、止めるのは難しくなる。

 悠利の指摘に、でもさ、とカミールは口を開いた。


「ゆとりを作るって言ったって、きちんと縫っておかないと外れやすいだろ?」

「きちんと縫うのは良いんだけど、隙間は必要だよ」

「どうしろってんだよ……」


 俺そこまで器用じゃねぇもんとぼやくカミール。その背後には、いつの間にかマグとウルグスがいて、二人もこくこくと頷いていた。ヤックは言わずもがなである。

 そんな皆の視線に、悠利は困ったように笑った。ボタン付けは前にもやったことがあると聞いていたので、とりあえず各自のやり方でやってもらったら、こんなことになっている。

 よく見れば、見た目は綺麗に出来ているマグの布も、隙間は少なかった。辛うじてボタンホールに通せる程度のゆとりはあるが、こちらも割ときっちり縫い付けられてある。


「えーっと、そんなに難しく考えないで。玉止めする前に、糸を巻いて底上げすれば大丈夫だから」

「「糸を巻く?」」


 ナニソレと言いたげな仲間達に、悠利は見ててねと作業途中の布を示した。ちなみに、悠利は別にボタン付けの練習などしなくて良いのだけれど、皆と一緒にやった方が解りやすいだろうと同じように端切れにボタンを付けていたのだ。

 ボタンを布に縫い付け、後は玉止めをするだけという段階で、悠利はボタンの根元、糸のある部分にくるり、くるり、と残った糸を巻き付けていく。三周ほどすれば、ぐるぐると巻き付いた糸がボタンと布の間に存在を主張していた。

 縫い付けた強さはそのままに、ボタンと布の間に隙間が出来ている。思わず目を点にする四人に、悠利はこんな感じだよ、と笑った。持たせるゆとりはボタンホールの大きさやボタンの形状によって変わるが、とりあえず手順はこんな感じだった。


「……それで良いのか……?」

「うん。巻き付けた後に、針を下に通してそこで玉止めをすれば完成」

「そんな手があったなんて……!」


 物凄く衝撃を受けているカミールの肩を、悠利はぽんぽんと叩いた。そんなに大袈裟な話じゃないよ?と告げる声は普通だった。悠利にとっては普通のことなので。

 なお、説明を受けた他三人は、せっせと自分の手元の布にボタンを縫い付けて、ぐるぐると糸を巻き付けている。玉結びが上手く出来ないと言っていた彼らだが、別に解けるわけでもないのでちゃんと縫えている。

 説明の通りにぐるぐると糸を巻き付け、余裕を持たせた状態でボタンを縫い付ける。それが出来たら、恐る恐る反対側にあるボタンホールにボタンをくぐらせていた。ちゃんと通るかどうかを確認しているのだ。

 はたして――。


「通った!」

「めっちゃ普通に通る!」

「……成功」


 満面の笑みを浮かべるヤック、嬉しそうに笑うウルグス、口元を少しだけほころばせるマグ。三者三様ながら、自分がちゃんとボタンを付けられたことに大喜びしている姿は実に微笑ましかった。

 そんな三人に先を越される形になったカミールも、元来の器用さからそれほど苦労せずにボタンを付け終えて、同じように試している。きっちり三回糸を巻いたボタンは、ちゃんと余白が出来ており、ボタンホールに簡単に通った。


「……出来た」

「あ、上手だね、カミール」

「俺の今までの苦労は……」

「……むしろ、最初に習ったときに言われなかったの……?」

「……覚えてない」


 ぼそりと呟いたカミールに、悠利はえーと声を上げた。カミールの言い分を整理すると、そもそも玉結びだの玉止めだの、布を破らないように縫う方法だのを叩き込まれ、ボタンの部分まで記憶が残っていなかったらしい。

 まぁ確かに、慣れない裁縫を一気に叩き込まれたらそうなるかもしれない。そういうこともあるか、と思うにとどめる悠利だった。誰にだって失敗はある。


「けど、裁縫ってそんなに大事か?」

「ウルグス、お裁縫を舐めちゃ駄目だよ。自分で繕い物が出来なきゃ困る日が来るかもしれないでしょ」

「いや、そりゃそうかもしれねぇけど」


 今ひとつピンとこないのか、ウルグスはうーんと唸っている。元来そういった方面に疎いのもあるだろう。

 とはいえ、それは他の三人も同感だったらしい。必要なことだから習えと言われて学んでいるが、どれぐらい重要かはあんまり解っていなかった。育ち盛りの少年達にはそんなものかもしれない。


「確かにすぐに必要にはならないかもしれないけれど、出先で鞄や寝具がほつれたら、自分で直せる方が良いでしょ?」

「それは、まぁ」

「穴の空いた鞄のまま移動して、大事なものが落ちちゃったら困るし」


 悠利のたとえ話に、四人はあーと呟いた。確かにそれはとても困るな、と彼らは思ったのだ。

 鞄が布だろうが革だろうが、穴が空いてしまっては困るのは自分だ。それを、その場で自分で直せるならば確かに助かるだろう。ただ、そこで疑問が浮かんだのかヤックが口を開いた。


「それってつまり、裁縫道具も持ち歩いた方が良いってこと……?」

「え、俺持ってないぞ」

「俺もない」

「……ない」

「オイラも持ってないよ!」


 途端にオロオロする四人に、悠利は小さく笑った。アジトには裁縫道具が置いてあるので、何かあったときにはそれを借りることが出来る。訓練生や指導係は自分の裁縫道具を持っている者もいるが、全員が己の裁縫道具を持っているわけではない。

 むしろ、日々持ち歩いているのは悠利ぐらいだ。彼は魔法鞄マジックバッグになってしまった学生鞄に持ち物を入れているので、いつでもどこでもお裁縫が出来る。……ついでとばかりに、布やボタン、糸などもたっぷり入っている。

 指導係などは、遠出する際には必要な道具として持っていくこともあるだろう。しかし、その彼らにしても、日々の簡単な任務のときなどには裁縫道具を持って行ったりはしない。


「それなら、今度皆で最低限必要な道具を買いに行くのはどう?」

「あ、そういうことなら、俺、知り合いの店で買いたい」

「カミール、それってもしかして、知り合い割引が利くとかなの……?」

「利くかもしれない店!」


 素敵な笑顔で言い切る少年、カミール。商家に生まれ育った少年は、今日も己の人脈をきっちり使うことに余念はなかった。実家経由で伝手のある商人が多いのだ。


「オイラ、あんまりお金ないや……」

「それなら、見るだけでも良いんじゃない?どういうのがあって、どんなのを持ちたいかっていう感じで」

「そうだなー。今すぐじゃなくても、遠出するときはあった方が良さそうだし」


 悠利の提案にヤックは安堵したように笑みを浮かべ、ウルグスも楽しそうに話に乗った。カミールはどう言えば知り合いの店で安く買えるかを検討していた。抜け目がない。

 そんな皆の騒ぎには便乗しなかったマグは、手元の針をじぃっと見ていた。裁縫道具に思うところがあるのかと考えた悠利達が視線を向ければ、それに気付いたのかいないのか、ぼそりと呟く。


「針、武器」

「「マグー!?」」

「いざってときの暗器扱いすんじゃねぇえええええ!」


 細い針でも急所を突けば立派な武器になる。なるが、そんなことをいきなり言わないでほしかった。思わず名前を叫んだ悠利とヤックの隣で、ウルグスが打てば響くような勢いでツッコミを入れていた。

 なお、そんなウルグスに返されたのは、すごく面倒そうな「煩い」という一言だった。安定のマグです。




 後日、皆で裁縫道具を見に行った彼らは、今すぐでなくとも自分の持ちやすい裁縫道具を揃えることを目標にするのだった。多分、長旅の必需品になります。


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