ちょっぴり贅沢、生ハムしゃぶしゃぶ


 悠利ゆうりの目の前には、どどんと置かれた大きな肉の塊があった。それは、ただの肉の塊ではない。生ハムの塊である。

 いわゆる、生ハム原木とか言われそうな感じの大きな大きな生ハムだ。形状はブロック状だが、そのサイズは立派に原木系である。とても立派で高価なものである。間違っても、悠利が普段足を運ぶ市場には売っていないし、諸々食費を考えた結果、仮に売っていたとしても買わないものでもある。

 そんな巨大な生ハムが何故ここにあるかというと、端的に言うと頂き物である。お裾分けとしていただいたのだ。


「……お言葉に甘えていただいてきたけど、貰って良かったのかな、これ……」


 基本的に悠利は、食材をいただくのを拒絶することはない。ありがたく頂戴して、美味しいご飯にして皆で堪能する。それが彼の性格だ。

 しかしそれでもやはり、高級食材になると遠慮は出る。こちらの世界でも生ハムはお高い食材で、こんな大きな塊など、滅多に手に入ることはない。


「本当、レオーネさんの人脈って凄い……」


 ぼそりと呟いた悠利は、この生ハムの塊を貰ったときのことを思い出し、ちょっと遠い目になるのだった。




「ところでユーリちゃん、貴方、生ハムは好きかしらぁ?」

「へ?」

「生ハムよ、生ハム」

「えっと、好きですよ。滅多に買いませんけど」


 にこやかな笑顔で問いかけてくる美貌のオネェに、悠利は一瞬呆気にとられながらも素直に答えた。そんな悠利の言葉を聞いて、レオポルドは嬉しそうに手を叩いた。そんな仕草も実に絵になるオネェさんである。

 いつものようにレオポルドの店である香水屋七色の雫に遊びに来ていた悠利は、ついさっきまで普通に雑談をしていたオネェからの突然の質問に意味が解らないという顔をしている。本当に、さっきまではいつも通りの、可愛いモノや綺麗なモノ談義をしていたはずなのだ。

 そんな悠利の困惑に気付いたのか、レオポルドはごめんなさいねぇと笑って状況を説明してくれた。


「お客様から生ハムを頂いたんだけれど、食べきれないのよぉ。貴方達なら人数もいるし、傷む前に食べてくれると思ったの」

「そんなに大量なんですか?」

「えぇ、アレよ」

「…………わぁ」


 示された先には、どんと三つ積み上げられた生ハムの塊。ブロック状になっているそれは、牛乳パックより一回りは余裕で大きかった。ナニコレと思わず呟いてしまった悠利は悪くない。それが三つも積みあがっているのだから、なかなかの存在感である。

 生ハムだと思うと、ナニコレとなってしまうサイズだ。お値段は聞きたくなかった。聞いたら怖いと思ったのだ。

 驚きを通り越して遠い目をしている悠利の肩を、レオポルドがぽんぽんと叩いた。聞いてくれる?と問われて、悠利は大人しく続きを待った。


「いつもご贔屓にしてくださっているお客様が、良かったらどうぞってくださったのよ。ただ、あまりにも量がね……」

「……まぁ、これを一人暮らしで消費するのは難しいですね」


 悠利は思わずしみじみと呟いてしまった。仮に生ハムが好きだったとしても、一人暮らしでブロック三つも食べるのは大変だ。確かに生ハムは美味しいけれど。

 貰ってくれるかしら?と問われて、悠利はこくんと頷いた。生ハムはご馳走だ。悠利も好きだし、きっと仲間達も大好きだろう。お肉系ならそれだけで大喜びする面々の顔が脳裏に浮かぶ。


「味は保証するわ。とても美味しいもの」

「見た目からも美味しそうだなって解ります」

「そう?」

「はい。こう、艶が違うと言うか……」

「くださったお客様、お金持ちだから、多分かなりの高級品なのよねぇ」


 値段はあたくしも知らないけれど、と続けられた言葉に、悠利はホッと胸をなで下ろした。ここで値段を聞いてしまったら、怖くてこの生ハムの塊を受け取ることが出来ない。何せ、悠利は小市民なので。


「ちなみに、レオーネさんはどうやって食べてるんですか?」

「どうやってって、そのままよ。食べたい大きさに切って、野菜や果物と一緒に食べているわ」


 後、酒のつまみと付け加えられた言葉に、この美貌のオネェさんも酒豪枠なのかと悟った悠利だった。そういえば以前、飲むメンバーが多かった頃はアジトでしょっちゅう宴会が開かれ、そこにレオポルドも参加していたと聞いたのを思い出した。

 確かに、酒のお供に生ハムは優秀だ。チーズやクラッカーなどと合わせてもきっと美味しいだろう。さっぱりした野菜や果物とセットにすると、それだけでグレードが上がった感じのお洒落な食べ物になる。

 そのまま食べても美味しいし、一手間加えて何かの料理にしても美味しい。普通のハムに比べて多少塩分が多いので、味付けとしても使えそうなところがミソだ。


「そう聞くってことは、貴方は別の食べ方を考えているってことかしら?」

「えーっと、せっかく大量にあるので、しゃぶしゃぶでもしようかと」

「しゃぶしゃぶ……?」


 ナニソレと言いたげなレオポルドに、悠利はしゃぶしゃぶがどういう料理かを教えた。鍋料理で、そのスープで具材をさっと火を通して食べる料理だ、と。

 物凄くアバウトな説明になったが、他に説明のしようがなかったので仕方ない。実際、しゃぶしゃぶは肉や魚を炊くのではなく、スープにくぐらせて火を通して食べる料理だ。間違ってない。


「つまり、生ハムを普通のお肉のように大量に食べるってこと?」

「しゃぶしゃぶにすると、スープに塩分が溶けるので多少まろやかになりますよ。半生の食感も面白いですし」

「貴方は相変わらず、奇妙な料理を知ってるわねぇ」

「……僕の故郷には普通にあるんです、しゃぶしゃぶ」


 レオポルドの言葉に、悠利はそっと視線を逸らした。嘘ではない。日本ではしゃぶしゃぶはメジャー料理だ。お肉も魚もお野菜も堪能できる素敵な鍋料理である。

 とりあえず、悠利の説明を聞いたレオポルドは納得したように頷くと、生ハムのブロックを二つ持った。そして、そのままそれを、悠利に差し出してくる。


「えーっと、レオーネさん?」

「二つぐらい大丈夫でしょう?」

「大丈夫ですけど、良いんですか……?頂き物ですし、高級品だし……」

「食べきれないで処分するよりはずっとマシよぉ」


 だから遠慮せずに受け取りなさいな、と微笑むレオポルド。美貌のオネェは今日も大変麗しい。その微笑みという圧に押されるように、悠利は差し出された生ハムを受け取った。大きさが大きさなので、ずしりと重みがある。

 その重みを噛みしめた後、悠利は生ハムを学生鞄に放り込んだ。魔法鞄マジックバッグと化しているので、何を入れても重さの影響は受けないし、時間停止機能のおかげで鮮度も保たれるのだ。ハイスペックすぎる。


「それでは、ありがたくいただいていきます」

「こちらこそ、貰ってくれてありがとう。美味しく食べて頂戴」

「はい!」


 無駄にしなくて良かったと言いたげに笑うレオポルドに、悠利は元気よく返事をした。とても良いお返事だった。素敵な食材を貰ったのでご機嫌なのだ。

 そんな悠利に「貴方、本当に相変わらずねぇ」と楽しそうに笑うレオポルドがいた。まぁ、いつものことです。




 そんなわけで、本日の夕飯は生ハムしゃぶしゃぶである。頂いてから数日、いつなら良いかと悠利は機会を窺っていた。そして今日、雨が降って少し肌寒い日ならば鍋料理も喜ばれるだろうと、生ハムしゃぶしゃぶを決行したのだ。

 各テーブルの上には卓上コンロと、その上にたっぷりとスープの入った鍋が置かれている。スープの味は昆布出汁と塩、酒、醤油で味付けをした、すまし汁のようなものである。生ハムを入れるので、少しあっさりめに仕上げてある。

 また、野菜もたっぷり食べられるようにと、既に鍋の中にはキノコや白菜がたっぷりと入っていた。……ちなみに白菜は、収穫の箱庭で採取してきたものである。季節を無視して食材が手に入る便利ダンジョンは、今日も悠利の生活を助けていた。

 キノコに関しては、市場で購入したものや、仲間達が出先のダンジョンで採取してきたものになる。迷宮食材は美味しいので、お土産として持ち帰って悠利に拒絶されることはないのだ。それが解っているので皆、嬉々として採取してきているのが現実だった。


「今日のメニューは生ハムしゃぶしゃぶです。スープに生ハムをくぐらせて、お好みの火の通り加減で食べてください」


 お野菜も適宜追加してくださいねー!と笑顔で告げられて、仲間達は元気な返事をして食事を始めた。ででんと積まれた薄切りの生ハムの誘惑に抗えなかったらしい。

 ちなみに、各テーブルに大量に積まれている薄切りの生ハムは、悠利が一人でせっせとカットした労力の賜である。もっとも、料理技能スキルのレベルが高い悠利なので、特に苦だとは思っていないが。

 更に言えば、生ハムは切ってしまえば乾燥するところを、ある程度の量になったら器に入れて学生鞄に放り込んでいたので、まるで今さっき切り落としたかのように瑞々しい。魔法鞄マジックバッグと化した学生鞄を有効活用しまくりな悠利だった。

 そんな風に頑張って準備をしたので、悠利もうきうきで生ハムに手を伸ばした。スープの味付けをあっさりにしたのは、生ハムのエキスが染みこんで美味しくなるのを見込んでのことだ。既にキノコが大量に投入されているので、普通に美味しくなっているけれど。

 いざ!っと鍋に生ハムを投入する。箸で持って浮かべるように入れて、少ししたらひっくり返す。そうすることで生ハムの表面だけに火が通るようにしてみた。別に、どういう食べ方をしても自由である。普通にくぐらせても問題ない。

 とにかく、悠利は生ハムの食感を楽しむためにも、火の通り加減は表面が少し色が変わる程度にとどめた。せっかくの上等の生ハムである。生の食感を楽しむのも大事だと思ったのだ。

 かぷりと噛んでみれば、薄いのにしっかりと弾力がある。火を通したのにその弾力は失われず、逆にスープの旨味が絡んで味わいを深めている。

 生ハムというと、単体で食べるには塩分が強いこともあるのだが、こうして一瞬スープに絡めたことにより、ほどよい塩加減になっていた。これならばいくらでも食べられると思うほどに。


「んー、やっぱり良い生ハムは美味しいなぁ……」


 口の中にじゅわりと広がる生ハムの旨味を堪能しながら、悠利は顔をほころばせた。器に入れたスープを一口飲んでみても、生ハムの旨味が溶け出していて美味しい。うっすらと浮いた脂さえ、美味しさの証しだと思えた。

 鍋にくぐらせて食べても良いし、器に取った野菜やスープと一緒に食べることでほんのり火を通す感じになるのもまた、美味だった。白菜の甘味と生ハムの塩加減が絶妙のバランスで、思わずお代わりの箸が伸びる。

 それは何も、悠利だけではなかった。他の仲間達も、わいわいがやがや言いながら、美味しい美味しいと生ハムしゃぶしゃぶを堪能している。


「出汁、美味」


 普段の無表情っぷりがどこへやら、ご機嫌で生ハムしゃぶしゃぶを堪能しているのは、マグだ。そもそもスープが昆布出汁をメインに仕上げているので、彼が食いつくに決まっていた。生ハムよりもスープを飲んでいる方が多いかもしれないが、まぁ、当人が幸せなら良いのだろう。

 同じテーブルを囲む見習い組の面々は、マグが大人しいならと生ハムを食べてご満悦だった。生ハム争奪戦にマグが加わらないなら、彼らとしても助かるのだ。何せマグ、見た目の割によく食べるので。


「それにしてもこの生ハム、マジで美味いな」

「白菜と一緒に食べても美味しいよ」

「しっかり火を通すと、それはそれで普通のハムっぽくて美味い」

「「解る」」


 生ハムの良さを堪能するならば、半生ぐらいで食べるのがベストなのだろう。しかし、ちょっと気になって長めにスープに沈めた生ハムは生ハムで、旨味が染みこんで抜群に美味しかった。

 ようは、この料理がとても美味しいというだけなのだ。少なくとも見習い組四人の共通認識はそれになった。これ美味しい、である。


「美味」

「マグ、スープが減ったら補充と味付けはお前の担当な」

「諾」


 こと出汁関係では四人の中で一番はマグなので、味付け担当を任されても当人も平然としていた。心なしか、頷く表情が誇らしげである。……彼は何故、そこまで出汁に魅了されているのだろうか。誰にも解らなかった。


「生ハムに火を入れるなんて考えたこともありませんでしたけど、これはこれでとても美味しいですね」

「鍋のスープも美味しくなっているな」

「えぇ、本当に」


 ティファーナとフラウのお姉さんコンビは、穏やかに会話をしながら生ハムしゃぶしゃぶを堪能している。同じテーブルにいるのはアロールとラジなので、実に平和だった。健啖家が二人に、小食気味が二人なので、バランスは良いのかもしれない。

 ラジは生ハム以外にも白菜やキノコの美味しさを堪能しているのか、何度もお代わりをしている。勿論、同席している面々の食事量に気を配っているので、自分一人で食べ過ぎることはない。彼はそういう男だった。

 ただ、しいて言うならラジとしては、何故自分が女性ばかりのテーブルに配置されているのだろうか、という疑問が浮かぶのだが。幸いなことに、同席している面々はラジをからかうこともないので、実に平和な食事風景がそこにあった。

 ちなみに悠利は、単純に食事量でテーブルの配置を決定している。ただそこで、色々と気を遣うこともある生真面目なラジに安息をと思って、平和なテーブルに案内したというのがある。ご飯のときくらい、平穏をどうぞ、という感じだ。

 それとは逆に、収拾が付かなくなるから頑張って、という理由でクーレッシュはレレイとヘルミーネと同じテーブルに配置されている。ラストワンがイレイシアなので、彼女の存在だけが彼の安らぎだろう。いつも通り過ぎる。


「これ、美味しいね!」

「美味しいのは解ったから、レレイ、一気に何枚も取らないでよ!」

「まだあるから大丈夫だよ?」

「レレイの速さだと、私達の分がなくなるでしょー!」


 にこにこ笑顔で一気に五枚の生ハムを鍋に投入し、もっしゃもっしゃと食べている大食い娘・レレイ。彼女は今日も安定の大食い枠だった。お肉大好きなレレイが、生ハムに反応しないわけがないのである。

 少しは考えなさいよ!と文句を言っているのはヘルミーネだ。そうやって文句を言う程度には、彼女も生ハムしゃぶしゃぶは気に入っているらしい。レレイに負けじと頑張って食べている。

 その隣でイレイシアは、ひっそりと、静かに、落ち着いて食事をしていた。元々肉にそこまで欲求のない彼女である。時々そっと一枚生ハムに箸を延ばす以外は、野菜とキノコを堪能しているようだった。

 そんな中、クーレッシュは静かに動いていた。レレイの相手をヘルミーネがしている間に、そろりそろりと生ハムの入った大皿から、別の皿へと生ハムを移動させている。その動きに気付いているのはイレイシアだけだが、彼女は何も言わなかった。

 そして――。


「お前ら、そこまでな。コレがレレイの分、そして残りが俺らの分」

「へ?」

「え?」

「とりあえず、そんだけあればひとまずは足りるだろ、レレイ」

「あ、うん」


 大皿から移した生ハムを入れた別の皿を差し出され、レレイは大人しく受け取った。確かにそこには、彼女がそれなりに満足出来る量の生ハムが載っていた。

 大皿の方にも、まだ十分に生ハムが入っている。そしてクーレッシュは、その皿をそっと、レレイから離れた場所へと移動させていた。俺らはこっちな、と言われてヘルミーネは、クーレッシュの行動にぱぁっと笑顔になった。


「流石クーレ!これならレレイに取られないわね」

「あんまり喧嘩してると、リーダーに怒られるからな……。俺は、飯は静かに食いたいんだ」

「私だってそうだもん」

「騒いでた片割れが何を言うか」


 ジト目のクーレッシュに、だってレレイが!とヘルミーネは唇を尖らせる。いや、彼女の言い分は解る。レレイを放置しては、自分達の取り分がなくなるという危機感があったのだろう。それはクーレッシュにも解るのだ。

 ただ彼は同時に、お前らいい加減にしとけよ?と言わんばかりに突き刺さってくるリーダー様の視線を感じていたのだ。このテーブルに配置された瞬間から、俺が何とかしなきゃ行けないんだと悟っていた彼なので。

 そんな風に騒がしい姿はあれど、アリーが雷を落とすほどの大騒ぎにはなっていない。皆、ほどほどに学習しているんだなぁと思いながら、悠利は生ハムに手を伸ばす。

 お高い生ハムだけあって、実に美味しかった。生ハムの味が染みこんだスープも絶品だ。もうそれだけで満足感がある。

 もぐもぐとご飯片手に生ハムしゃぶしゃぶを食べながら、悠利は思い出したように口を開いた。


「あ、〆にうどんの用意はしてあるんで、食べたい人は後で言ってください」


 へろろんと彼が告げた言葉に返ったのは、「そういうことは先に言って!」という数名の叫びだった。

 この美味しくなったスープで食べるうどんは、さぞかし美味しいだろう。それが想像に容易いだけに、既に白米に手を付けていた何人かが声を上げたのだ。早い者はお代わりをしていたりもするので。

 悠利としては、あくまでも〆なので、そんなに大量に食べるものじゃないし、という感じだった。それでも、仲間達にツッコミを貰ったので、ごめんねと素直に謝るのだった。




 なお、大量の生ハムをぺろりと消費した仲間達は、〆のうどんまできっちり堪能したのでした。旨味の染みこんだスープは美味しいのです。


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