招待客は他にもいました

 玄関の周りを特に念入りに磨いている美女メイドの姿がある。常に屋敷を綺麗に保つことに余念のない彼女であるが、今日は更に気合いが入っているように見えた。


「ラスさん、何してるんですか?」

「お出迎えの準備です」

「お出迎え?」


 首を傾げる悠利ゆうりに、美貌の家憑き妖精・シルキーのラソワールは優雅な仕草で一礼して答える。家を守護するものとして、家人の世話とお客様のおもてなしに全力を尽くす彼女の一面が垣間見えた。

 数日の滞在で彼女に認められた悠利は、愛称のラスで呼ぶことを許されていた。彼女は己の仕事に誇りを持っているが、それゆえに家事能力に優れ、真摯に家事に向き合う悠利のことを認めたのだ。

 ……ちなみに、基本的に家人以外が愛称で呼ぶのを彼女は許さない。現時点で彼女を愛称で呼べるのは、家主であるオルテスタと、以前ここで生活していて庇護対象として見られているジェイクと、新たに許可を貰った悠利だけだ。

 それはさておき、彼女がお出迎えと告げた理由が悠利には解らない。オルテスタの別荘に招待されているのは自分達だけだと思ったのだが、違うのだろうかと不思議に思う。考えても解らなかったので、悠利は正直に問いかけた。


「他にもお客様が来るんですか?」

「はい。今日と明日、お泊まりになります。皆さんより後から来て、先に帰る形になりますね」

「どんな人が来るんですか?」

「マスターが時折教鞭を執っている相手と伺っております」

「オルテスタさんの教え子さんですか?」

「教え子というのとも、また違うような気がいたします」

「はい?」


 教鞭を執っているというのなら、オルテスタが何かを教えている相手ということになる。それならば教え子だと思ったのだが、ラソワールの考えは違った。

 よく解っていない悠利に、彼女は解りやすく説明をしてくれた。


「本格的に学問を学んでいる方というわけではないようです。貴人であり、マスターはむしろ話し相手を務めておられるとか」

「……あぁ、つまり、研究所で本格的に教わっている方々に比べると、勉学の側面が薄いということですか?」

「そのように、私は思っております」

「なるほどー」


 ラソワールの説明に悠利はとりあえずは納得した。家庭教師みたいなものかと思ったが、どうやらそこまで頻繁に教鞭を執っているわけでもなさそうだった。見聞を広げる相手という感じなのかもしれない。

 それはさておき、ラソワールの気合いの入りようがどうしてか解ったので、悠利が口にする言葉は一つだけだった。


「何かお手伝い出来ることはありますか?」

「客人であるユーリ様の手を煩わせるわけにはいきません」

「手持ち無沙汰なので、何かさせてもらえると助かるんですけど……」


 じーっと見つめてくる悠利を、ラスは静かな表情で見ている。整った顔立ちのお姉さんが無表情になると、奇妙な威圧感があった。しかし、悠利はめげずにじっと彼女を見ている。

 しばらくして、折れたのはラソワールの方だった。


「そのように言われては私が断れないのを、解っておられますでしょうに」

「え、えへ……」

「それでは玄関先を掃除しますので、お手伝いをお願いします」

「はい!」


 とても元気な返事をして、悠利はラソワールと共に玄関の外へ出た。屋外なので、掃除をしてもどうしても汚れてしまう。具体的には、葉っぱとか石とかが転がっているのだ。

 渡された箒を手に、玄関前の真っ白な石の周囲を綺麗にする悠利。ラソワールは玄関扉や屋根などにも気を配っていた。分身とか、跳躍力が凄かったりするが、この数日でもう慣れた悠利だった。彼の適応力は高いのだ。

 二人でせっせと掃除をしていると、不意にラソワールが動きを止めた。そして、目にもとまらぬ早業で悠利から箒を取り上げると、分身の一人が掃除道具を抱えてどこかへ走っていった。どうやら片付けに行ったらしい。


「ラスさん?」

「お客様のお越しです」

「へ?」


 まだ誰の声もしないのに、と悠利が驚いていると、視線の先で転移門がある小屋の扉が開いた。ラソワールはシルキーとしての鋭敏な感覚で、悠利よりも一足先にそれに気付いていたらしい。お見事である。

 小屋から出てきたのは、荷物を持った従者らしき青年が一人と、少年が一人だった。荷物持ちがいるなんて、やっぱり身分の高い人なんだなぁとひっそりと感心する悠利。

 その目が、少年が近付いてくるにつれて、大きく見開かれた。


「……ぁ、れ……?」


 呆気にとられている悠利の前で、ラソワールは優雅な仕草で一礼し、少年と荷物持ちの青年を出迎えた。


「ようこそお越しくださいました、フレッド様。お待ち申し上げておりました。私はこの別荘の管理を任されております、家憑き妖精・シルキーのラソワールと申します」

「初めまして、ラソワールさん。お話は導師から伺っております。お世話になりますね」

「はい。どうぞゆるりとお過ごしください」


 穏やかに会話が進み、ラソワールが二人を建物の中へと案内しようとする。そこで、悠利と少年の目が、ぱちりとあった。


「……え?」

「……や、やっぱり……」

「ユーリくん!?」

「フレッドくんだ!」

「どうして君がここにいるんですか!?」

「それは僕の台詞だよー!」


 驚愕に叫びながらも、悠利とフレッドは駆け寄って互いの姿を確かめる。……そう、転移門を通って現れた少年は、悠利達と建国祭を一緒に回ったお友達のフレッドくんだったのだ。

 もう二度と、会うことはないと思っていた。フレッドの世界と悠利の世界は重ならないし、ただの友達として互いを認識した彼らが、どこかで会うことはありえなかったのだ。フレッドがどこの誰かを悠利達が知らないフリをすることで成立した、つかの間の時間だったのだから。

 けれど、何の因果か今、フレッドはここにいる。それも、ただのフレッドとして、だ。ラソワールの対応から、フレッドがただの少年として気軽に足を運んだ感じがしている。


「僕はオルテスタさんに避暑に誘われて、皆と遊びに来てるんだよ。フレッドくんは?」

「僕も導師に誘われたんです。家に閉じこもってばかりでは退屈だろう、と。……まさか、ユーリくんがいるとは思いませんでしたけど」

「うーん、何で僕らと予定を合わせたんだろう、オルテスタさん?」


 はて?と首を傾げる悠利。フレッドも同じように首を傾げている。少年二人で考えても、結局答えは出なかった。海千山千の導師様のお考えは、お子様にはちょっと解らないのだ。

 何でだろう?と揃って不思議がっている少年二人。微笑ましい彼らの姿に和みつつ、ラソワールは口を開いた。


「お二人が知り合いとは思いませんでしたが、立ち話というのもなんでしょう。どうぞ、中へ」

「あ、そうですよね。フレッドくんの荷物も運ばなくちゃ」

「お邪魔します」


 入って入って、と悠利がフレッドの手を引いて別荘の中へと入る。育ちの良いフレッドは、オルテスタの豪華な別荘には別に驚かなかった。それよりも、悠利がいること、彼の説明から、《真紅の山猫スカーレット・リンクス》の面々がいるらしいことを察して、そちらの方に驚いている。

 聞きたいことが色々とあるのだろう。うずうずとした感じのフレッドに、悠利は何から説明するべきかと考え込む。……なお、そんな少年達の背後では、荷物持ちの青年がラソワールに言われてフレッドの部屋へと荷物を運んでいた。お仕事の出来る大人達である。


「さっき皆と言っていましたけど、他には誰が来ているんですか?」

「えーっとね、ブルックさんとヤクモさん以外、全員」

「え?」

「だから、留守番にブルックさんとヤクモさんを残して、《真紅の山猫スカーレット・リンクス》の全員が来てるんだよ」

「……随分と、大所帯ですね」

「そうなんだよねぇ。でも、その人数でもお泊まり出来ちゃうし、ラスさんが一人で対応しちゃうから、凄く快適だよ」


 驚いたような顔をするフレッドに、悠利はにこにこと説明をする。実際、家憑き妖精であるラソワールは領域内ならば分身が出来るし、家事の能力が高すぎるほど高いので、おもてなしを完璧に成し遂げているのだ。とても一人でやっているとは思えない。

 そんな風にのんびりと会話をしていると、荷物を部屋に運び終えたらしい青年がフレッドの前に立っていた。


「フレッド様」

「あぁ、荷物を運んでくれましたか。ありがとう」

「いえ。それでは、お帰りの際にお迎えに上がります」

「うん、よろしく」

「はい。失礼いたします」


 フレッドと青年の会話を、悠利は大人しく聞いていた。その表情がちょっとうきうきしていたのは、仕方ないだろう。「わー、上流階級っぽーい」などという感想を抱いてしまうぐらいには、フレッドの姿が偉い人だったのだ。未知との遭遇で面白がっている悠利だった。

 去っていく青年を見送った後、悠利はちょっと気になったのでフレッドに聞いてみた。


「今回は誰も側にいなくて良いの?」

「本当は、誰かがいないとダメなんですけどね」

「だよねぇ?」


 建国祭のあの日も、護衛らしき青年と侍女らしき女性が側にいた。フレッドの立場を考えれば、たった一人でどこかに行くのは許されるわけがない。

 けれど、今、荷物持ちをしていた従者らしき青年は帰っていった。帰還するときにまた荷物持ちに来るのだろう。つまりは、ここに宿泊している間、フレッドは一人だ。かなりのイレギュラーだった。

 しかし、それにもきちんと理由はあった。フレッドは困ったように笑いながら、悠利に説明をしてくれる。


「導師が、周囲を説得してくださったんです。この別荘には導師が許可した方しかいないので、安全だ、と」

「なるほど。確かに、あの転移門を通らないと来られないもんね」

「はい。……なので、導師とゆっくり過ごすのだと思っていたところにユーリくんがいて、物凄く驚きました」

「僕も、僕ら以外にお客さんがいるとは思ってなかったし、それがフレッドくんだったから、とっても驚いてる」


 顔を見合わせてうんうんと頷く悠利とフレッド。ほんわかした雰囲気がどこか似ている二人は、同じ仕草をした自分達に気付いて思わず笑った。久しぶりの友達との再会は、とても嬉しかったので。

 そんな風に雑談をしていた二人の元へ、影が一つ飛び込んだ。まん丸い小さな影は、飛び込んできた勢いのままフレッドにくっついた。


「キュピー!」

「うわ!?」

「ルーちゃん!?いきなりどうしたの!」

「キュピ、キュイ!キュキュー?」

「ルーちゃん、本当にどうしたの?フレッドくんが驚いてるでしょ」


 フレッドの足にくっついたまま、ルークスはにゅるんと身体の一部を伸ばして、ぺたぺたとフレッドに触っている。何かを一生懸命言っているのだが、悠利にもフレッドにもその言葉は解らない。

 困り果てた彼らの耳に、落ち着いた子供の声が滑り込んだ。アロールだ。


「怪我はしていないのか、危ない目にはあっていないのか、元気にしていたのか、そんな感じのことを言ってるよ」

「アロール」

「こんにちは。滞在者が増えるんだって?ラソワールさんが皆に説明してたよ」

「通訳ありがとう。僕の友達のフレッドくんだよ」

「初めまして、フレッドです」

「初めまして、僕は魔物使いのアロール。短い間だろうけれど、よろしく」


 鮮やかにルークスの言葉を通訳してのけた十歳児は、初対面のフレッド相手にそつなく挨拶を交わす。よろしくお願いしますと微笑むフレッドに、軽く会釈をするだけに留めるアロール。

 それを見て、悠利には解った。

 人付き合いがあまり得意ではないアロールは今、持ち前の処世術で当たり障りのない距離を維持しようとしている、と。とはいえ、そこを突いてしまうのは可哀想なので、大人しく黙っておいた。別に排除しようとしているわけでもないので。

 それより重要なのは、アロールが通訳してくれたルークスの言葉だ。うるうると大きな瞳を心配で染め上げたスライムは、フレッドの身体に怪我がないのを確認してやっと安心したらしい。可愛らしく鳴くと、悠利の隣へと移動する。


「僕を心配してくれていたんですね。ありがとうございます、ルークスくん。特に危ない目にもあっていませんよ。大丈夫です」

「キュ!」

「あのときはルーちゃん大活躍だったもんねぇ」

「あのときって?」

「建国祭で変な人に襲撃されたときの話」

「あぁ、アレか。……と、いうことは、そのときに狙われてたのが」

「僕になります。ユーリくん達には本当にお世話になったんです」


 アロールの言葉を引き継ぐように、フレッドは柔らかな微笑みと共に告げる。襲撃されたという負の記憶を、フレッドは晴れやかな表情で告げるのだ。大切な友人が、自分を助けてくれた喜ばしい記憶として。言葉にせずともそれが伝わってくる。

 フレッドを皆に紹介するのと、フレッドがオルテスタに挨拶をするために、悠利とフレッドはルークスを連れて皆がいるだろう応接間へと向かう。アロールは調べ物があるからと別行動を取ったが、挨拶は既に交わしているので問題ないだろう。

 応接間には、既にオルテスタとアリー、見習い組が揃っていた。指導係や訓練生達は、そのうちやってくるだろう。まずはオルテスタに挨拶をと足を進めるフレッドに、悠利はくっついていった。


「この度はお招きいただきありがとうございます、導師」

「待っておったぞ。短い期間じゃが、彼らと交流を楽しめば良いと思ってな」

「でしたら、前もって教えていただきたかったですよ、導師。驚いてしまって」

「ははは。楽しみは内緒の方が面白かろう?」

「オルテスタさん、心臓に悪いですよー。僕ら、本当にびっくりしたんですからねー」

「うん?」


 困ったような顔をするフレッドの隣で、悠利が唇を尖らせて文句を口にする。外見美少年、中身は食えないジジイのオルテスタだが、悠利の言葉には不思議そうな顔をした。


「どういうことじゃ?」

「まさかこんなところで友達に再会すると思ってなかったんですもん」

「まったくです」

「……二人は知り合いだったのか?」

「はい。一緒に建国祭を回ったんですよ」


 えへへと笑う悠利と、頷くフレッド。呆気にとられていたオルテスタは、確認を求めるようにアリーへと視線を向けた。保護者の意見を求めたのだ。

 しかし、いつもならば空気を読んで即座に反応してくれる凄腕の真贋士殿は、今回ばかりは驚いた顔をしている。彼としても、まさかこんなところでフレッドに会うとは思わなかったのだ。それも、護衛も無しに彼がいるとは思わなかったのである。


「フレ……」

「アリーさん、フレッドくん、宿泊してる間は自由行動が許されてるそうなんです。護衛も世話役の人もいなくて、僕らと一緒に過ごして良いそうなんですよ!それが出来るって、オルテスタさんは本当に凄いですね!」

「……ユーリ」

「凄いですよね?」


 にこにこと笑う悠利に、アリーはため息を吐いた。悠利が何故いきなりアリーの言葉を遮るように話し出したのかを、彼は正しく理解している。悠利は、今ここにいる少年がただのフレッドであると念押しをしたかったのだ。

 だからアリーも、オルテスタが用意した舞台と、悠利が口にした茶番に乗っかることにした。


「お会いできて光栄です、フレッド様。それにしても、事前に説明ぐらい欲しかったというのは俺も同じです、導師。そもそも、何故我々の予定と彼の予定を重ねたんですか」

「いや、二人は知り合いじゃろう?そして、アリー殿の身内であれば色々と保証されるので、フレッド殿と接触させても問題なかろう、と」

「だったら尚更説明をしておいてください……」


 がっくりと肩を落とすアリーに、オルテスタは「面白いと思ったんじゃがのぉ」などと嘯いている。ちょこちょこお茶目な合法ショタな爺様である。

 ただ、オルテスタの思惑も一応理解は出来た三人だった。

 普段、フレッドが生活している世界はとても狭い。狭すぎるほどに狭い。建国祭で悠利達と行動を共にしたことが、例外扱いになるほどだ。そんな彼だからこそ、気さくに言葉を交わす相手はそうそういない。

 だからこそ、オルテスタは二組の予定をぶつけたのだろう。アリーとフレッドは知り合いであり、アリーの庇護下にあるメンバーならばフレッドに危害を加えることもない。籠の鳥のような少年に、つかの間の休息をと思ったのだろう。

 ……まぁ、だからといって、事前の説明も無しにいきなり鉢合わせした三人としては、もうちょっとちゃんと説明してくれと思うのだが。

 大人二人が何やら話し込んでいるので、悠利はフレッドの手を引いて仲間達に紹介するために移動する。そもそも、先ほどからずっと、ヤックとマグの視線が突き刺さっているのだ。彼らも共に建国祭を回った友人なので。


「ヤック、マグ、フレッドくんも一緒にここで過ごすんだって」

「やっぱりフレッドさんだ!オイラ、また会えるんて思わなかったよ!」

「……再会、喜び」

「ヤックくん、マグくん、お久しぶりです。僕も、また二人に会えて本当に嬉しいです」


 ハイタッチをして喜ぶヤックとフレッド。マグもそんな2人を見て嬉しそうに表情を少しだけ緩めている。実に微笑ましい光景だ。

 ただ、何でそんなに盛り上がっているのか解らないカミールとウルグスが、首を傾げているだけで。二人の視線に気付いた悠利が、笑顔で説明役を担う。


「ほら、建国祭のときに知り合った友達がいるって話したでしょ?それが、このフレッドくん」

「ん?あぁ、あの、何か襲われたけどマグとルークスが頑張ったとかそういうアレ」

「そうそう、それだよ」

「そっかー。それでお前らそんなに楽しそうなんだな」


 疑問が解けたと笑顔になるカミール。持ち前のコミュ力の高さを生かして、早速フレッドと挨拶を交わしている。穏やかで品のあるフレッドと、黙っていれば良家の子息に見える容姿をしているカミールなので、そこだけちょっと空気が違った。

 そんな風にわちゃわちゃしている仲間達を見ながら、ウルグスが口元に手を当てながら何かを考え込んでいる。しばらく考えていたウルグスは、ハッとしたようにフレッドの顔を凝視した。

 そして――。


「まさか、フレ……っが!?」

「煩い」

「おっ、ま、えぇえええ……!」

「……マグ、いきなり鳩尾に拳を一発は、流石に可哀想だと思うよ」

「頑丈、平気」


 ウルグスが何かを言うより先に、マグの拳が目にもとまらぬ早業でウルグスの腹に吸い込まれた。幾らガタイが良くても、多少鍛えていても、不意打ちで鳩尾に一撃を食らっては呻くしかない。ウルグスは相変わらず容赦のない仲間に怒鳴る。

 喧嘩しないでー、と仲裁しようとする悠利だが、マグは何一つ気にしていなかった。ウルグスの頑丈さを知っているので、この程度ではどうということはないと思っている節があった。……相手が頑丈だろうと、いきなり人を殴ってはいけません。


「何が、頑丈だから多少殴ったところで平気だ!お前は俺に何か恨みでもあんのか!」

「煩い」

「何か言いたいことがあるなら、手じゃなく喋れって前から言ってんだろ!言うより殴る方が早いとか言うんじゃねぇよ!」

「否」

「何でそこで俺が悪いになるんだ、この野郎!」


 安定の口喧嘩を繰り広げる二人を、悠利もカミールもヤックも、いつものことと見守った。マグの台詞が短すぎて何を伝えたいのか解らないが、ウルグスが通訳状態で解説してくれるのでよく解る。今日も便利なウルグスくんである。

 ただ、悠利達と違ってそのやり取りに慣れていないフレッドは、目を白黒させていた。こんな風に声を荒げて喧嘩をするということに馴染みがなかったのもある。

 しかし、最大の理由は、マグの発言をウルグスがきちんと理解していることだろう。建国祭で一緒に過ごしたとはいえ、フレッドにはマグの発言がほぼほぼ理解できていないのだから。


「あの、ユーリくん、彼は」

「アレが、マグの通訳担当のウルグスくんです」

「指導係の皆さんも解らないのに、何故か一人だけ完全に理解しちゃってるウルグスくんです」

「ついでに、マグへのツッコミ役も担当する飼い主ポジションです」

「……皆さん、それで良いんですか……?」

「「だってウルグスだから」」


 晴れやかな笑顔で悠利が簡潔な紹介をすれば、ヤックがそれを補足する。そしてそこに、カミールがキラキラした笑顔でとても愉快な情報も追加した。何一つ間違っていない説明だが、部外者のフレッドは顔を引きつらせながら困っていた。そんな紹介で良いのか、と。

 とはいえ、二人の口喧嘩を聞いていれば、意思の疎通が出来ているのはよく解る。あのマグの発言をきちんと理解できるというのが事実だと解って、思わず感心したように息を吐くフレッドだった。

 のんびりとしている外野と裏腹に、ウルグスとマグの口論は続いていた。けれど、徐々にその風向きが変化している。殴られたことに怒っていたウルグスが、微妙に歯切れの悪いマグの反応に気付いたからだ。


「で、お前結局何がしたかったんだよ」

「妨害」

「俺の言葉を邪魔したかったって、何が……」

「余計」

「……あー。……あー、そういう、こと、なのか……?」

「遅い」

「悪かったな!」


 ようやっと自分の言いたいことを完全に理解したウルグスに、マグは舌打ちをしそうな雰囲気で言い捨てた。彼の心境としては、さっさと気付けこの愚図とでもいうところだろうか。

 しかし、ウルグスが悪いわけでもない。決定打になる説明をしなかったマグにも原因はあるのだ。ただ、当人が見ている前で全てを口にするのはマグにも憚られたので、こんな風に回り道をしただけだ。

 盛大にため息を吐いて、ウルグスは自分よりも随分と小柄な仲間の頭をわしわしと撫でた。マグは面倒くさそうな顔をしているが、逃げなかった。自分の真意が通じた返礼だと解っていたので。


「お前がそんな気遣いするとは思わなかった」

「友人」

「そうかよ。友達増えて、良かったな」

「……煩い」

「何でそこで俺の足を踏もうとすんだよ、お前は!?」


 人付き合いが不得手なマグが友人を思って行動をしたことを祝っただけなのに、何故か足を踏まれそうになってウルグスは怒鳴った。からかわれてると感じたらしいマグは、ぷいとそっぽを向いてウルグスの話を聞いていない。

 一度収まったと思ったらまた喧嘩を始めた二人に、悠利達はまたやってると言いたげな視線を向けるだけだった。実際、アジトでよく見る光景なので。

 ……どこからどう見てもガキ大将のウルグスくんだが、彼は代々王宮に務める文官を輩出するような名家のお坊ちゃまだ。本人は貴族ではないが、貴族様にも顔が利くところのある少年である。

 だから、その彼は、庶民である悠利達とは違う情報を持っている。そして、決して鈍いわけではない。だから、悠利達が説明しなかったフレッドの素性を、彼はうっすらと察してしまったのだ。

 驚いて思わずそれを口にしようとしたウルグスを、マグが咄嗟に止めた。あの鳩尾への一撃は、そういう意味合いだった。悠利達の耳に、フレッドの耳に届くような言葉を告げることが出来なかったマグの、精一杯の行動。友達との時間を守ろうとした、マグなりの優しさだ。

 まぁ、だからといって鳩尾を殴られた恨みは忘れたくないウルグスなのだが。ぎゃーぎゃーと喧嘩を続ける二人の姿からは、彼らがひっそりと交わした会話は感じ取れなかった。一瞬のシリアスが、結局いつもの喧嘩に埋もれてしまうのが実に彼ららしいといえた。


「あの、彼らを止めなくて良いんですか?」

「いつものことだから大丈夫だよ」

「え」

「何だかんだで2人ともほどほどにしてるし、そのうち終わるんじゃないかなー」

「……僕、マグくんがあんなに大暴れするタイプだとは思いませんでした」


 ケロリとしてる悠利達に、フレッドは疲れたように肩を落としながら呟いた。彼のイメージするマグは、無口で物静かな少年だった。それが、蓋を開けたら自分より大柄な少年相手に一歩も引かずに喧嘩をする元気な少年だったのだ。イメージが大変なことになったに違いない。

 そんなフレッドに、あんまり気にしなくて良いよ、と悠利達は言いきった。あと、慣れた方が良いよ、とも。マグがウルグス相手には遠慮も容赦もないのは、今更どうにも出来ないことだったので。




 何はともあれ、久方ぶりの再会からの、お友達と過ごす楽しい時間が始まるのでした。




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