さっぱり美味しいもやしの梅ポン酢和え


「あの、僕もお手伝いしても良いですか?」

「……」


 悠利ゆうりの問いかけに、美貌の家憑き妖精・シルキーは沈黙を返事とした。ラソワールの沈黙が、大変怖かった。人形めいた端正な顔立ちには何の表情も浮かんでいないのだ。怖い以外の何でもない。

 ラソワールにとって、家事は己の存在意義とも言える。彼女は家を守護するものであり、客人のもてなしと家事に己の全てを賭けているようなものだ。なので、他人の手出しを好まない。

 出会って初日に、いつものノリで床掃除をしているルークスを見て恐ろしいオーラを発したのも記憶に新しい。それぐらい、家事は彼女にとって神聖なものだ。

 悠利にもそれは解っている。解っているが、それでも、こっちはこっちで色々あるのだ。


「私の料理に、至らぬところでもありましたでしょうか?」

「違います!とても美味しいご飯です!文句なんてありません!僕はただ……」

「不満がないのであれば、何故そのようなことを仰るのですか?」


 やはり、ラソワールのオーラは怖かった。顔は無表情で、背後には何やら得体の知れないオーラを背負っているのだ。不愉快に感じていると全身で訴えてくる美女に、悠利は必死に訴えた。

 彼女の料理に不満などありはしない。料理だけではない。流石は家憑き妖精というべきか、彼女の家事は完璧だった。快適に過ごさせて貰っている。

 だがしかし、そろそろ禁断症状が出そうなのだ。……端的に言えば、悠利は、家事に飢えていた。


「その、ルーちゃんが掃除が大好きでお手伝いをさせてもらっているように、僕は料理をするのが好きなんです」

「……はい?」

「ラソワールさんにとって家事が大切なお仕事なのは解っています。お邪魔はしません。ほんの少しで良いんです。僕に、料理をさせてもらえませんか?」

「……料理が、お好き、と?」

「はい」


 ぱちくりと瞬きをするラソワールに、悠利はこくりと頷いた。きっと彼女は、悠利が何を言っているのかよく解っていないのだろう。

 常日頃、悠利は自分が食べたいものや、仲間達の食べたいものを作っている。喜んでくれる皆のために料理をするのは、彼の趣味でもあった。他のメンバーと違って修行と無縁な悠利は、空き時間が出来ると家事をしたい欲求がむくむくと湧いてきたのだ。

 自分はお客様としてここにいる。そのことは理解している。それでも、厨房の隅っこで何かを作らせてほしいなと思ってしまったのだ。


「……つまり、貴方にとっては料理が好きなことであり、楽しいことであり、それをすることで満たされるということですか?あのスライムのように?」

「そうです」

「……なるほど」


 悠利の言い分を聞いたラソワールから、怖いオーラが消えた。何やら真剣な顔で考え込んでいるが、とりあえずお怒りモードは解けたらしいと理解して、悠利はホッと胸をなで下ろした。美人が怒ると本当に怖いのだ。

 しばし考え込んでから、ラソワールはふわりと柔らかな表情を浮かべて悠利を見た。


「ラソワールさん?」

「そういう事情でしたら、おもてなしの一環として料理をなさるのを許可いたしましょう」

「本当ですか!?」

「はい。お客様を満足させられないのは、私としても不本意ですから」

「ありがとうございます!」


 ラソワールの許可を貰った悠利は、笑顔でお礼を言うと、いそいそと愛用のピンクのエプロンを身につける。料理をするにはエプロンが必要だ。悠利の学生鞄は容量無制限の魔法鞄マジックバッグなので、必要なものは全部詰めこんできたのだ。


「あちら側の作業場をお使いください。私はこちらで作業しますので」

「はい」

「食材も調味料も余分に置いてありますので、お好きに使用してくださって構いません」

「解りました」


 それでは、と一礼して、ラソワールは自分の仕事に戻る。悠利達は大人数で押しかけているので、彼女もフル稼働で食事の支度をするのだ。

 ……この場合のフル稼働とは、分身を意味する。家憑き妖精としての力量の高い彼女は、己の支配領域内ならば、分身することが可能なのだ。

 分身総出で食事の支度をするラソワールを凄いなーと眺めていた悠利だが、すぐにうきうきと食材置き場へと移動する。食材を見て何を作るか考えるところからが料理だ。そして、悠利はその時間も大好きだった。

 肉も魚も野菜も、豊富に取りそろえられている。見たことがない食材も多々あった。その中で悠利が目を付けたのは、見慣れた食材であるもやしだった。


「これにしよーっと」


 本格的な料理はラソワールが作ってくれるので、悠利が作る料理にボリュームはいらない。皆の箸休めとか、ちょっとつまむぐらいで十分だ。なので、あまりお腹が膨れる食材を選ぶのは良くないと思ったのだ。

 使うのは、もやしと梅干しとポン酢のみ。さっぱりと、もやしの梅ポン酢和えだ。

 ちなみに梅干しは、悠利がアジトから持ってきたものだ。つまりは、アリーの実家から送られてきた梅干しである。基本的には台所に置いているのだが、今回は少量を学生鞄に入れて持ってきたのだ。こう、旅先に慣れた味を持っていくという感じで。

 悠利が梅干しを使おうと決めたのには、理由がある。暑い季節にもさっぱり美味しく食べられるというのが一つだが、オルテスタが梅干しを好むと聞いたからだ。ジェイクが梅干しを好むのは知っていたのだが、師弟揃って梅干し愛好家らしい。

 せっかく料理を作るなら、お世話になっているお礼も兼ねてオルテスタに気に入ってもらえるような料理を作ろう。悠利が考えたのは、そういうことだった。


「まずはもやしを水洗い~」


 もやしは大量の水でよく洗い、ヒゲや豆の皮、汚れていたり短いものを取り除く。少しばかり手間のかかる作業だが、ここをきちんとしておくと食感が良くなる。

 悠利も普段ならば細かくヒゲ取りまではしないが、今日は久しぶりの料理かつ自分はあくまで添え物を作っているだけなので、ちまちまとヒゲを千切っている。普段やらないのは、そこまでやっていると時間が足りなくなるからだ。最優先事項は食事の時間までに全員分のご飯を作ることなので。

 水洗いを終えたもやしは、鍋でさっと茹でる。ちなみに、鍋の中のお湯は水洗いをしている間に沸かしておいたものだ。軽く火が通れば良いので、それほど長くは茹でない。茹で上がったらザルに上げて水を切っておく。

 もやしの水切りと粗熱を取っている間に、調味料の準備だ。使うのは梅干しとポン酢だけだが、一工夫が必要になる。


「きちんと叩いておかないと、混ざらないんだよねぇ」


 学生鞄から取りだした梅干しをまな板の上に並べて、種を取る。包丁の腹の部分で潰せば、種が剥き出しになる。果肉をできるだけ削いだ種は、小皿に避けておく。後ほど、お湯割りにでもして使うつもりだ。捨てるには勿体ないので。

 せっせと梅干しから種を取り除く悠利。必要分の梅干しから種を外すことに成功したら、後は叩くだけだ。叩く、すなわち、刻む、である。

 スーパーなどにはペースト状になった梅干しがチューブで売ってあったりしたが、釘宮家ではなるべく梅干しを叩いて使うようにしていた。確かに市販の梅ペーストは使いやすいのだが、味や香りという意味では梅干しを叩いた方が美味しかったのだ。

 みじん切りにするように縦横斜めと包丁の向きを変えながら梅干しを叩く。単純な作業だが、大きな部分が残らないように丁寧に作業をしなければならない。地味に大変な作業だ。

 梅干しを叩き終わったら、ボウルに入れる。そこにポン酢を少しずつ加えて、叩いた梅干しと混ぜていくのだ。味付けに使うのはこれだけなので、何度も味見を繰り返して丁度良い味に仕上げていく。

 梅干しとポン酢なので酸っぱいのだが、梅干しだけより、ポン酢と混ぜた方が多少まろやかになっている。梅干しと醤油で味付けをすると濃くなりすぎるので、柑橘系の風味が追加されるポン酢を選んだのだ。


「それは、何を作っていらっしゃるんですか?」

「うわっ!?」


 突然背後から聞こえた声に、悠利は思わず叫んだ。心臓がバクバクしている。驚いて振り返れば、申し訳なさそうな顔をしたラソワールがいた。

 ちなみに、彼女がわざと気配を殺していたわけではない。単純に、悠利が気付かなかっただけだ。非戦闘員なので、そういう能力はちっとも成長していなかった。そんなもんである。


「驚かせてしまいましたか?申し訳ありません。そちらは梅干しのようですが、何をお作りになっているのでしょうか?」

「あ、もやしの梅ポン酢和えを作ろうと思ってます。オルテスタさんも梅干しがお好きなようなので、箸休めにさっぱりしたものを、と」

「……なるほど。梅干しとポン酢ですか。マスターの好みそうな味です」

「本当ですか?」

「はい」


 ラソワールに味付けの方向性が間違っていないことを教えられて、悠利はぱぁっと顔を輝かせた。自分の考えだけでなく、普段オルテスタに食事を作っているラソワールの同意が得られたのだ。自信もつくというものだ。

 良かったとにこにこ笑顔のまま、悠利はボウルに水気をよく切ったもやしを放り込んだ。梅ポン酢がしっかり絡むようによく混ぜる。梅干しやポン酢の塩分のせいで、もやしから水が出てくる可能性はあるが、よく水切りをしておけば多少はマシになる。

 しっかりと混ぜ合わせれば完成だ。簡単だが、さっぱりとした味わいが心地好い一品である。


「味見をお願いできますか?」

「よろしいのですか?」

「はい、お願いします」


 悠利に言われて、ラソワールは出来上がったばかりのもやしの梅ポン酢和えを一口食べた。さっと茹でただけのもやしはシャキシャキとした食感が残っており、そこに梅ポン酢のさっぱりとした味わいが追加される。酸味はあるが、もやしの水分とポン酢の柑橘類によってまろやかになり、食べやすく仕上がっている。

 おかずとして食べるというよりは、箸休めなどにつまむ感じの仕上がりだ。もぐもぐと上品に食べ終えたラソワールは、心配そうに見ている悠利に向けて微笑んだ。


「とても美味しく仕上がっています。きっと、マスターのお口に合いますわ」

「良かった……!」


 ラソワールの評価に、悠利は顔を輝かせた。誰かに喜んでもらえるご飯を作るのが、悠利の趣味でもあった。どうせなら、美味しいと喜んで食べてほしいので。

 うきうきで作ったもやしの梅ポン酢を器に盛り付けていく悠利。分身総出で調理をしているラソワールは、そんな悠利の背中を見つめていた。そして、悠利の作業が一段落したところで、声をかける。


「あの、もしよろしければ、お願いがあるのですけれど」

「僕にですか?」

「はい」


 ぱちくりと瞬きをする悠利に、ラソワールはふわりと微笑んだ。優しい微笑みを浮かべた彼女の口から出た「お願い」に、悠利は少し驚いて、けれど笑顔で了承するのだった。




 さて、食事の時間だ。1日しっかりと修行や自由行動を終えた一同は、空腹を抱えながら食堂へとやってきた。

 テーブルの上にはラソワールお手製の料理が美しく並んでいる。一人一人席に案内して飲み物を聞くラソワールの姿に混ざって、同じようなことをしている悠利の姿があった。《真紅の山猫スカーレット・リンクス》の面々には見慣れた悠利の姿だったが、それを見て、オルテスタとジェイクが悲鳴じみた声を上げた。


「ユーリくんが手伝ってる!?」

「ラスが手伝いを許しておるじゃと!?」


 師弟が受けた衝撃の理由は、外部の面々には解らない。何故なら、彼らはラソワールがどれほど家事に情熱を傾けているかを知らないからだ。彼女が己の領域に踏み込まれるとブリザードを撒き散らすことを知っているのは、オルテスタとジェイク、そして悠利だけだ。

 なので、二人の衝撃を理解している悠利が、歩み寄ってきて事情を説明した。


「息抜きに料理がしたいとお願いしたら、認めてもらえたみたいなんです」

「……流石、ユーリくんですねぇ」

「ジェイク、どういうことじゃ」

「いえ、彼、物凄く家事が得意でして。あと、家事が純粋に大好きなんですよね。だからじゃないかと思うんですけど」

「……ラスが手伝いを許すほどの腕とは……」


 物凄く感心しているオルテスタに、悠利は照れたようにえへへと笑った。ジェイクは悠利の家事の腕前を知っているので、あのレベルならラソワールが認めるのかと一人で納得していた。……そういう反応をされる辺り、ラソワールが今まで自分の仕事に関わろうとした相手にどんな対応をしてきたのかがよく解る。

 天変地異の前触れかみたいな扱いをしているオルテスタを放置して、ジェイクは悠利に問いかける。彼にとっては聞き逃せない一言があったのだ。


「ところでユーリくん、何を作ったんですか?」

「あ、このもやしの梅ポン酢和えです。オルテスタさんの好みの味付けだろうってラソワールさんにも太鼓判貰いました!」

「梅ポン酢和えですかー、それは美味しそうですね。多分、アリーも好みですよ」

「そうですね」


 和気藹々と話す悠利とジェイク。自分の名前が出たので視線を向けてきたオルテスタに、悠利はテーブルの上の小鉢に入ったもやしの梅ポン酢和えを示した。白いもやしを彩る赤い梅干しが綺麗な一品だ。なるほどと言いたげに頷くオルテスタだった。

 ジェイクに説明したように、これは梅ポン酢和えである。《真紅の山猫スカーレット・リンクス》の面々は、そこまで梅干しに欲求はない。味付けに使うぐらいなら食べるが、物凄く好んでいるわけではない。そういうのは、ジェイクとアリーだけだ。

 なので、小鉢が置かれているのも、オルテスタ、ジェイク、アリー、そして悠利だけだった。おかずが一品多いことに気づいた皆の中から、代表するようにレレイが声を上げた。


「ユーリのところに置いてある小鉢、それなぁに?」

「もやしの梅ポン酢和え」

「梅ポン酢和え……。もやし……」

「梅干し好き以外には用意してないんだけど、ダメだった……?」


 仲間達の視線を受けた悠利は、困ったように首を傾げた。あくまでも添え物のおかずを作っただけなので、皆がそこまで食いつくとは思わなかったのだ。

 ただ、やはり梅ポン酢和えということで、皆はそこまでがっつかなかった。それなら良いやとさらっと流している。


「じゃあ、またユーリが何か作ったら、そのときは食べたいな!」

「はいはい。今度はレレイ達も好きな味付けのを作ります」

「やったー!」


 わーいと元気よく喜ぶレレイに、皆も思わず笑顔になる。彼女の素直な感情表現は、皆の笑みを引き出す力を持っていた。……まぁ、やりすぎて怒られることもあるのだけれど。

 そんなこんなで食事が始まって、悠利もラソワールに給仕される側に回る。用意された食事は肉も野菜もふんだんに使ってあって、食べ盛りの胃袋を満足させてくれる。今日は腹持ちが良いようにと白米が用意されているので、悠利としても梅ポン酢和えを作って良かったと思う。流石に、パンとはちょっと合わない気がするのだ。

 口に入れたもやしの梅ポン酢和えは、時間がたったことでより味が馴染んでいた。けれど、もやしのシャキシャキ感は失われていない。シンプルな梅干しの酸っぱさと、ポン酢の味わいと、もやしの食感と水分が見事に調和している。暑い季節でも美味しく仕上がっている。

 自分好みには仕上がっているが、他の面々はどうだろうと視線を向ける悠利。黙々と食事を続けているアリーは、悠利の視線に気づくと小鉢を少し持ち上げて内側を見せてきた。綺麗に食べ終わっている。美味かったというように軽く頭を下げるアリーに、悠利も会釈を返しておいた。

 ジェイクは味わうように食べている。口の中にじゅわりと広がるもやしの水分を楽しんでいるらしい。元々小食なところのあるジェイクだが、梅干しは元々好んでいるので口に合ったようだ。美味しいですねぇとのんびりと笑っている。

 肝心のオルテスタはどうなのかと気になった悠利の視界に映ったのは、美しい顔立ちにゆったりとした笑みを浮かべて小鉢の中身を食べているオルテスタの姿だった。幻想的なまでに美しい笑みである。森の民は元々線の細い美貌の持ち主が多いので、羽根人と同じく美形が多い。オルテスタもその例に漏れなかった。


「美味しいな」

「あ……」

「ありがとう」

「お口に合って良かったです」


 花開くような笑みで告げられて、悠利も満面の笑みで答えた。……なお、悠利の周囲の何人かが、オルテスタの微笑みに被弾していた。中身が年上だと解っていても、見た目十代の麗しい美少年なので。

 衝撃を受けている一同を見ながら、ジェイクが暢気な口調で隣のアリーに言葉をかけた。


「師匠、顔面だけで世界征服できそうだなって思うの、僕だけですかねぇ?」

「お前は自分の師匠を何だと思ってるんだ」

「いやだって、師匠はあの顔で支援者募るの得意なんですもん」


 僕には出来ない芸当ですねぇと嘯くジェイクに、アリーは面倒くさそうにため息をついた。自分を理解して強かに生きているオルテスタと、そんな師匠を理解しつつのんびりと生きているジェイク。歯に衣着せない物言いをしつつも、この師弟が仲が良いのはよく解っていた。解っていたので、面倒だから余計なことは言わないのであった。




 その後、ラソワールと共に嬉々として後片付けをする悠利の姿に、オルテスタとジェイクが再び驚くのだった。家憑き妖精・シルキーさんと、仲良くなりました!




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