素材の宝庫と図鑑と錬金釜

 各自部屋で荷物の整理を終えた悠利ゆうり達は、本日の勉強として屋敷内の書庫へと案内されていた。今日はそこで好きな本を読み、知識を深めるのが目的だ。

 そこは、流石は王立第一研究所で名を馳せる導師様と言うべき書庫だった。

 ずらりと並ぶ本の数々に、悠利達は驚く。そもそも、書庫の広さがえげつなかった。客室や食堂、応接間などがあった本館から渡り廊下で繋がっている別館が、全部書庫なのだ。ちょっとした図書館レベルである。

 元々は離れとして荷物置きだったり、客人を泊めたりに使われていたらしい建物だ。それを、オルテスタが家主となってからは書庫に改装したのだという。読書スペースが完備されており、さらには小さな台所まで備えられている。本好きならば一日中居座れそうな場所だ。


「ここにある本は全て儂の私物なので、好きに読んでくれて構わん。飲み物や食べ物が欲しければラスに声をかけると良い」


 何か質問は?と穏やかな表情で問いかけた見た目は美少年、中身はジジイなオルテスタ。悠利達は特に何も思いつかず、首を左右に振るだけだ。

 そんな中、挙手と同時に能天気な声で口を開いたのはジェイクだった。


「師匠ー」

「何じゃ、バカ弟子」

「置いてある素材は使っても大丈夫なんですか?」

「ん?あぁ、備蓄してある素材か。別に構わん。ただ、何をどれだけ使ったかは申告せい」

「解りましたー」


 オルテスタのバカ弟子発言を右から左に聞き流したジェイクは、目当ての情報の確認が出来たのでそれで満足したらしい。何がしたかったのか解っていない悠利達に向けて、にこにこ笑顔で説明を始めた。


「ここには師匠が集めた植物や鉱石が置いてあるんですよ。魔物素材もあります。本を見て気になった素材があったら、現物を触ることが出来るので言ってくださいね」

「ジェイク」

「何ですか、アリー?」

「この場所に関してはお前の方が俺達より詳しいだろうから、何かあったら教えてやってくれ」

「あれ?アリー、どこかに行くんですか?」


 不思議そうなジェイクに、アリーはオルテスタの方へと視線を向けた。黙っていれば月に拐かされそうな美少年は、察しの悪い弟子に対して面倒くさそうに言いきった。


「アリー殿に話があるんじゃ」

「師匠がアリーに?何か厄介ごとでもあったんですか?」

「貴様の日頃の行いを詫びるためじゃ、阿呆!」

「……あー、なるほどー」


 自分のポンコツ具合が話の理由だと全然解っていなかったジェイクは、やっぱり能天気なままだった。お前ら大人しくしろよと告げて、オルテスタの後に続いて去っていくアリー。リーダー様はこんなところに来ても大変だった。

 そこで完全に自由行動になった悠利達は、各々興味のある本に突撃を始めた。勉強という名の読書会みたいな感じだ。様々なジャンルの本が置いてあるので、皆が興味津々だ。

 そんな中、特に読書に興味のないレレイが手持ち無沙汰な感じで本棚を眺めていた。彼女は本を読むと眠くなるタイプで、読書よりも身体を動かす方が好きだった。なので、この見事な書庫を見てもあまり心が動かないのだ。

 しかし、そんなレレイの心をぐっと掴む本を、発見した者がいる。リヒトだった。


「レレイ、この本はどうだ?」

「リヒトさん?あたし、本はあんまり得意じゃないんですけど……」

「あぁ、知っている。ただ、この本はレレイの役に立つと思うんだ」

「あたしの役に……?」


 どんな本だろう?とレレイはリヒトが持ってきた本を手に取った。それは魔物の習性に関しての本で、リヒトが何故自分にそれを薦めてくるのかがレレイにはさっぱり解らなかった。表紙を見ても、中身をめくって目次を見ても、何一つ心惹かれない。

 その感想は、リヒトの一言で百八十度ひっくり返った。


「その本に、この間の課題の答えが載ってると思う」

「課題の答え!?」

「あぁ。魔物の生態についてのレポートだっただろう?水辺に住む魔物についての本だから、多分探せば載ってると思う」

「……つまり、この本を読めば、課題が終わる……?」

「ちゃんと正しい答えを見つけられたらな」

「課題が、終わる……!」


 レレイの顔が、輝いた。リヒトから渡された本を、ぎゅっと抱える。……一瞬、本が歪んだようにリヒトには見えたが、気のせいだったのかもしれない。気のせいであってほしいなと思うリヒトだった。

 訓練生には指導係から課題が与えられるのが常だ。それは実技だけでなく座学も含む。むしろ、《真紅の山猫スカーレット・リンクス》は座学を多く学習するクランとも言えた。知識はどれだけあっても困らないという感じで。

 魔物の生態に関するレポートもその一つだ。

 そして、レレイはその手の課題が苦手だった。頭はそこまで悪くないし、思考の回転も決して悪くはない。しかし、幸か不幸か彼女は物事を深く考えるのも、じっくり書物と向かい合うのも苦手だった。なので、課題に必要な資料を探すという段階でよく躓くのだ。

 今回リヒトは、そんなレレイに助け船を出した形になる。意図してそういう本を見つけてきたわけではない。ただ、目についた本がレレイの課題に役立ちそうだなと思っただけだ。

 それでも、リヒトのその優しさがレレイを助けたのは紛れもない事実だった。


「リヒトさん、ありがとうございます!あたし、頑張る……!」

「あぁ、頑張れ」

「ユーリー!メモ取りたいから、紙頂戴ー!」


 課題が終わるかもしれないという希望を抱いたレレイは、本を物色している悠利の元へとすっ飛んでいった。悠利の手持ちのノートが、使っても使ってもなくならない魔法道具マジックアイテムと化していることを彼女は知っている。頼めば分けてもらえるのだ。

 そんな風に賑やかなレレイの姿を横目に、アロールは面倒くさそうにため息を吐いた。書庫なんだから大人しくしなよとでも言いたげだが、それをあえて口に出すことはしなかった。


「……それにしても、凄い蔵書数だ。僕の知らない本もある」


 魔物に関する蔵書が並ぶ棚を見ながら、魔物使いの少女は呟いた。彼女は凄腕の魔物使いの一族の出身だ。口伝で伝えられる知識もあるが、市販されている魔物関連の書物もその大半を所有している。だというのに、その彼女が知らない本もちらほらあった。

 長命種であり、王立第一研究所の名誉顧問でもあるオルテスタならではの蔵書数なのだろう。弟子のジェイクが本の虫なのも納得の品揃えだ。


「アロールー」

「どうかした、ヤック?」

「オイラ、中型の魔物についての本が読みたいんだけど、どれが解りやすいとかって、ある……?」


 見習い組の最年少であるヤックは、最年少なのでまだ知識も乏しい。それでも、向上心に満ちていていつも一生懸命に勉学や修行に励んでいる。そんなヤックなので、自分の無知を素直に口にして、アロールにオススメの本を聞いてくるのだ。

 普段の言動はクールかつ毒舌というか発言に容赦のないアロールだが、彼女は基本的に優しい。頼られて悪い気はしないのか、本棚をじっと見た後に一冊の本を手にした。


「これ、図解で解りやすいし、文章の表現も簡単な言葉を使ってるから、読みやすいと思う」

「わぁ、アロール、ありがとう。やっぱり、アロールに聞いて良かった」

「どういたしまして。読んでて解らないところがあったら聞いて。その本の中身は殆ど覚えてるから」

「アロール、凄いな……」

「まぁ、魔物使いだからね」


 手にした本の厚みを確認して、ヤックは感心したようにアロールを見た。そこそこの厚みのある本なのに、その中身を殆ど覚えているなんて凄い以外の何でもなかった。

 しかし、魔物使いであるアロールにしてみれば、特に誇るべきものでもないらしい。彼女にとっては魔物に関する知識を蓄えるのは基本中の基本でしかないのだ。何気にスペックの高い十歳児である。

 そんな年少組の微笑ましい姿を見守っていたティファーナは、仲良く二人で一冊の本を見ているミルレインとロイリスに気付いた。こちらも随分と微笑ましい光景だ。


「ミリー、ロイリス、二人で何の本を読んでいるんですか?」

「あ、ティファーナさん」

「鉱物に関しての本です。僕もミリーも鉱物を扱いますから」

「凄いんですよ、ここの蔵書。アタイ達が見たこともない鉱物についての本まであるんです」

「それは、二人にとっては宝物みたいな本ですね」

「「はい」」


 鍛冶士と細工師の二人にしてみれば、鉱物は仕事に使う素材だ。そんな彼らにとって、見たこともないレア鉱物についての情報が載った本は、興味を惹かれてやまない一品だった。

 勉強をしているというよりは、趣味の範囲で大喜びしているという印象が拭えない。けれど、彼らの職業ジョブを考えれば間違いなく勉強になるので、ティファーナは二人を優しく見つめるだけだ。一冊の本を仲良く読む二人の姿は、微笑ましい以外の何でもなかったので。

 そんな風に平和な風景の一画で、考えようによってはとても恐ろしい光景が存在した。本棚の前でじっとしている悠利である。

 正確には、悠利とジェイクの二人だ。彼らが立っているのは、錬金に関する書物が収められている本棚の前だ。ずらりと並ぶ蔵書の数々は、初心者向けから上級者向けまで、ありとあらゆる錬金に関する本が取りそろえられていた。

 別に、その本が悪いわけではない。本棚の前にいるのが、悠利とジェイクのコンビだというのが悪いのだ。何をやらかすか解らないコンビなので。


「この辺が、初級のレシピが載ってる本なんですよね?」

「えぇ、そうですね。ユーリくんは、初級に興味があるんですか?」

「というか、僕、回復薬の作り方を習った以外は、そこまで真面目に錬金釜の使い方を勉強してないんですよね。なので、この機会に色々知っておくのも良いかなぁと思って」

「あぁ、なるほど。仕事にしてるわけじゃない分、ユーリくんの錬金釜の使い方は独特ですからねぇ」

「便利なんですけどねー。インゴットは作っても使い道がないので、やっぱり薬関係かなぁと思うんですけど」


 のんびりとした会話をしながら、悠利は一冊の本に手を伸ばす。タイトルは、「便利な薬の作り方・初級編」である。物凄く解りやすかった。今の悠利のお目当てにピンポイントだ。

 ちなみに、悠利の錬金釜に関する認識は、便利な調味料作製機である。変則的な使い方として、入浴剤とかシャンプーが出てくる。ただ、後者はハローズが商品として販売しているので、あまり使わない。必然的に、調味料ばっかり作っている悠利だ。

 錬金釜は、インゴットを作製したり、調合技能スキルで作るのが難しいような特殊な薬を作製したり(薬に関しては調合技能スキル同様に簡単なものを作ることも多々ある)、魔法道具マジックアイテムを作製するようなハイパーミラクルな魔法道具マジックアイテムさんである。悠利はその辺をちっとも理解していないが。

 一応、アリーは悠利に正しい錬金釜の使い方を説明している。同時に、錬金釜を使うには錬金の技能スキルが必要であり、一般人には使うことすら出来ない凄い魔法道具マジックアイテムなのだということも、教えている。

 ただ、錬金釜の性能を教えたときに「材料を入れてスイッチを入れれば目当てのものを作ってくれる」という解りやすい説明をしてしまった結果、悠利が「じゃあ、ここに材料を入れたら調味料になるんじゃないかな?」と思いついてやらかしてしまっただけだ。そして作れてしまったので、今に至る。

 ……悠利の錬金釜がよく作るのは、マヨネーズとタルタルソースである。色々と察してほしい。

 そんな悠利だが、ずららっと並ぶ蔵書を見て「あ、錬金釜って薬とかインゴットとか作るための道具でもあったんだ」ということを思い出したのだ。思い出したので、初級のレシピから何かを作ろうと思ったのだった。

 ここで、初級の本にしか手を伸ばさない辺りが、悠利だった。鑑定系最強のチート技能スキルである【神の瞳】を保持し、それゆえに職業ジョブがレア中のレアな探求者である悠利。探求者は【神の瞳】との合わせ技により、「あらゆるものの構造を正しく理解するため、物作りで真価を発揮する」という職業ジョブだ。そんな悠利が錬金釜を使うと、作った品物に上昇補正がかかる。

 なので、やろうと思えば上級のレシピだろうが、秘匿されてる伝説の以下略みたいなレシピだろうが、悠利は作れるはずだ。悠利の錬金釜は彼の能力に応えられるように作られたオーダーメイドなので、問題ない。

 しかし、当人はその辺のことに無頓着だった。【神の瞳】のことだって、食材の目利きと仲間の体調管理が出来て便利としか思わない悠利である。自分の能力に対する正しい認識は、未だに身についていなかった。

 まぁ、そこが悠利らしいといえば、それまでなのだが。


「初級の本で使う材料なら、多分全部揃ってますよ」

「本当ですか?じゃあ、何か作ってみたいのがあったら、材料借りますね」

「そのときは遠慮なく呼んでくださいね。準備しますから」

「はーい」


 のほほんとしたジェイクに、悠利ものほほんと答えた。微妙に怖い会話だったが、聞いている者はいなかった。また、ジェイクが変な本を薦めなかったので、平穏が守られたとも言える。

 それじゃあ僕も読書に戻りますねーとジェイクは悠利の側を離れる。悠利が本を選ぶのに困っていたら手伝おうと思っていたらしい。そんな優しいジェイクを見送って、悠利は本を手に椅子に座った。椅子とテーブルがあるのはありがたい。

 初級の本ということで、載っているのは日常生活で使えそうな薬ばっかりだった。効果も、それほど強力なものは存在しない。簡単な傷を治す薬や、一時的に何らかの効果を発揮するようなものばかり。

 その大半は、日々をアジトの家事担当として生きている悠利には無縁な薬ばかりだ。仲間達の常備薬にするにも、効果が限定されてしまって嵩張るだけと思えた。


「うーん、意外と作り置きしておけそうな薬は載ってないなー」


 まぁ、別に役に立つ薬を作らなければならないわけではない。錬金釜のお勉強という感じで、自分が作ってみたい薬を作るぐらいで良いはずだ。なので、あまり深く考えずに悠利はページをめくる。

 そんな悠利の目の前に、そっとティーカップが置かれた。顔を上げれば、お盆を手にしたラソワールの姿があった。


「ラソワールさん?」

「お飲み物をお持ちしました。読書中とはいえ、水分はお取りいただきたいので」

「あ、ありがとうございます」


 口元に淡い微笑を浮かべて告げる家憑き妖精さんに、悠利はぺこりと頭を下げた。服装が服装なので、メイドさんと呼びかけてしまいそうなラソワールは、他の面々にも飲み物を配っていたようだ。出来る女性である。

 頼んでいないのに飲み物が出てくる快適さに、悠利はちょっとうきうきした。こういう風におもてなしをされるのは慣れてないので、逆に楽しいのだ。ティーカップの横には小さな器に一口サイズのクッキーが入っていた。摘まんで放り込めば粉が落ちない親切設計だ。至れり尽くせりである。


「ところで、ユーリ様」

「様じゃなくても良いんですけど……。何ですか?」

「あのスライムは、何をしているのでしょうか」

「……えーっと、掃除を、してるんだと、思います」

「掃除を?」


 ラソワールが示した先にいたのは、ルークスだった。今日も元気にむにむにと床掃除に励んでいる。誰に頼まれたわけでもない。単純に、暇を持て余しているだけだ。実に微笑ましい光景でもある。

 しかし、家の守護者であり、家事の全てを己が領域と認識している家憑き妖精・シルキーのお姉さんの表情は、曇った。人形めいた美しい面差しが不愉快そうに歪められると、物凄く恐ろしいんだということを悠利は知った。別に知りたくなかったけれど。


「私の掃除に、問題があったということでしょうか?」

「違います!」

「ですが、あのスライムは掃除をしているのですよね?それはつまり、私が丹精込めていった掃除に不満があるということなのではありませんか?」

「まっったく違います、ラソワールさん!ルーちゃんのアレは、暇つぶしみたいなものです!ごろごろしてるのと同じなんです!決して、決してラソワールさんの掃除に不満があるわけじゃありません……!」


 静かな声音で、麗しの美貌で、今すぐ叩き潰すとでも言いかねないオーラを放つラソワールを、悠利は必死に宥めた。ルークスにそんなつもりは微塵もないことだけは解っている。いつものノリで、暇になったから床を掃除しているだけなのだ。

 いつもならば、そうやって自主的にしていれば皆に褒めて貰える。自分はエネルギー補給が出来るし、皆には喜んで貰えるし、ルークスには一石二鳥なのだ。まさかそれが裏目に出るとは思わなかった。

 悠利が必死に訴えると、ラソワールはそうですかと静かに呟いて、一礼した。お騒がせしましたと優雅な仕草で去っていくお姉さんを見送って、悠利は思った。己の仕事に誇りがある人の領域に首を突っ込むときは、それなりの覚悟が必要なんだな、と。

 気を取り直して、悠利は本に向き直る。今の疲れを癒やすためにも、何か楽しいことをしようと思ったのだ。


「あ、これ面白いかも……」

「何か良いのがありましたか、ユーリくん?」

「ジェイクさん、これの材料って揃いますか?」

「えーっと、……あぁ、これならすぐに揃いますね。準備してきますから、ちょっと待っててください」

「よろしくお願いします」


 新しい本を取りに来たジェイクが悠利の呟きを聞いて話しかけてきたので、悠利は必要な材料の一覧を見せる。それを一度でしっかり覚えたジェイクは、メモも取らずに去っていく。記憶力は物凄く高いジェイク先生なのである。

 ジェイクが材料を用意してくれるというので、悠利はいそいそと学生鞄の中から錬金釜を取りだした。魔法鞄マジックバッグと化しているとはいえ、どう考えても入る大きさではないので毎回不思議な気分になる。薄型の鞄から、錬金釜が出てくるのだから奇妙以外の何でもない。

 悠利が錬金釜を持ち込んでいるとは思わなかったらしい何人かが、驚いた顔をしている。とはいえ、そこで悠利の行動に干渉するつもりはないらしい。各々、自分の目当ての本へと視線を戻す。

 そもそも、錬金釜に関することは、他の皆には解らないのだ。何が普通で何が異常なのかを理解できるのは、アリーとジェイクぐらいだ。ジェイクは異常だろうが気にしない部分があるのが玉に瑕だが。

 そんなわけで、誰に止められることもなく、悠利はジェイクが持ってきた材料を錬金釜に放り込んだ。ぽいぽいと無造作に入れるのは相変わらずだ。それでどうにかなるのだから、相変わらず常識外れな魔法道具マジックアイテムである。


「スイッチオーン」


 ポチッとスイッチを押して、悠利は錬金釜が動くのをじっと見ている。上手に出来るかなぁ?とうきうきしている。

 そんな悠利の隣で、ジェイクが本に視線を落とす。そこには、悠利が作ろうと思った薬の情報が載っていた。


「それにしても、何でこれを作ろうと思ったんですか?ユーリくん、変装の予定とかありました?」

「いえ、変装の予定はないんですけど、お洒落の一つで楽しいかなって」

「お洒落、ですか」

「僕が使う予定はないんですけど」

「はい?」


 お洒落に使えると言いながら、自分が使うつもりはないと言う悠利。相変わらずちょっぴりポンコツだった。

 ちなみに、悠利が作ろうとしているのは髪染め薬だ。現代風に言うならば、ヘアカラーやヘアスプレーに該当するだろうか。塗った部分の髪色を変えることが出来る薬で、それぞれの色に該当する素材を入れることでバリエーションが豊富になる。

 通常の染め粉と呼ばれるものとの違いは、染めやすく専用の薬で簡単に色が戻るところだろう。そうだというのに、ちょっとやそっと水に濡れても落ちない。普通にシャンプーしたぐらいでは色落ちしないのに、色を戻したいときは専用の薬で一瞬で落とせるというのが強みだ。

 お忍びで出掛ける貴族やお金持ち、潜入捜査を行う者達、そしてお洒落として楽しむ人々と、需要は色々だ。悠利としては気になったので作ってみた、ぐらいの理由だが。むしろ、気になったのは簡単に専用の薬で色が戻るという部分だろう。自分の髪だと見えないので、誰かの髪で試してみたいと思う程度には好奇心を刺激されていた。

 そうこうしている間に、錬金釜が止まる。ぱこっという可愛らしい音と共に蓋が浮き、完成を知らせる。悠利は嬉々として蓋を開け、中身を取り出した。


「わーい、出来たー。鑑定してみようーっと」


 現物を見たことがない悠利なので、きちんと狙ったものが作れたかどうかを確かめるのには、鑑定するのが一番だ。【神の瞳】さんならば間違いないので。

 はたして、鑑定結果はというと――。




――髪染め薬(特殊容器仕様)

  一般的な材料で作られた髪染め薬。作成者の技量により、より鮮やかな色に染色出来ます。

  薬自体は標準の範囲内ですが、作成者のイメージの結果、容器が特殊仕様です。

  他には存在しない形状ですので、その点を踏まえて使用することをオススメします。




 薬は問題なく作れていたが、鑑定結果はいつも通りフランクだった。フレンドリーとも言う。どう考えても色々変なのだが、悠利にしてみれば馴染んだ鑑定結果なので気にしない。

 悠利が気にしたのは、手にした髪染め薬の容器だ。具体的に言うと、その先端部分の形状にある。


「……もしかして僕、また、やらかした……?」


 首を傾げつつ、悠利は手の中の容器を見る。その形状は、現代日本なら別に珍しくもないものだった。力を入れれば中身がにゅるっと出てくる柔らかい容器部分に、出てきた中身が塗りやすいようにブラシの形状をした先端部分。所謂、毛染め用品の容器に似ている。

 レシピが載っていた本の中で、髪染め薬をブラシに付けて髪に塗っていたので、悠利のイメージが毛染め用品と結びついた結果だった。どうせブラシを使うなら、最初から一体化している方が便利だろうなぐらいのノリだ。

 しかし、ここは異世界である。魔改造民族日本人が便利さを追求して作り上げたものと同じ容器は、存在していなかった。いつも通りのうっかりだった。


「おや、奇妙な容器ですねぇ。ユーリくん、どういう意図があるんですか?」

「あー、えーっと、押したら中身が出てきて、この先端のブラシ部分に流れてくるので、そのまま髪を梳かせば濡れるなーって感じの形状です」

「君は本当に、色々と予想外のことをしますねぇ」

「……故郷にはあったんです」

「ユーリくんの故郷は面白いですね」

「あははは……」


 のほほんとしたジェイクの言葉に、悠利は何度目になるか解らない台詞を口にした。嘘は何一つ言っていない。故郷には普通にあった。ただその故郷が異世界だと言っていないだけだ。

 興味深そうに、悠利が作製した特殊容器入りの髪染め薬を手に取るジェイク。外部に出すわけではないけれど、これは後でアリーに報告するべきなのか真剣に悩む悠利。そんな二人の元へ、ひょっこり顔を出したのはカミールだった。


「ユーリ、何しょげてんの?」

「あ、カミール。……ちょっと、変な入れ物で髪染め薬作っちゃったから、アリーさんに言わなきゃダメかなーって思ってたところ」

「リーダーには全部きちんと報告する方が良いと俺は思う」

「そんな真顔にならないでよ……」

「ユーリはしれっとやらかすからなぁ……」

「うぅ……」


 やらかした直後なので、何も否定できない悠利だった。

 言うだけ言って満足したのか、カミールはジェイクが手にした髪染め薬へと興味を移す。見慣れない容器に入った薬だが、悠利が作ったのならば変なものではないだろうという謎の信頼があった。安全面という意味では、信頼度は高い。

 ただ、商家で生まれ育ったカミールにとっても、見たこともない形状の容器だった。何だこれと呟いてしまうのは無理はない。そんな彼に、しょんぼりしている悠利に代わってジェイクが説明を始める。


「押すと中身が出てきて、この先端のブラシで直接塗れる仕組みらしいですよ」

「物凄く便利なやつだ」

「ユーリくんの故郷にはあったらしいです」

「……ユーリの故郷って、マジで何なの?」

「……ここからは遠い場所にある、ご飯が美味しい割と平和な国です」


 他に説明のしようがなかった悠利だった。食へのこだわりが無駄に強いのと、色んなものを魔改造するのに定評がある民族の国だ。それでも、戦争は存在しないので、平和な国と言っても多分間違ってない。


「なぁユーリ、これ使ってみて良いか?」

「え?うん、良いけど」

「んじゃ、毛先の辺りだけ~っと」


 悠利の許可を貰ったカミールは、うきうきと髪染め薬(特殊容器仕様)をジェイクから受け取った。首の後で結わえていた髪を解き、一房取って毛先の一部に薬を塗る。先端がブラシになっているので、簡単に塗ることが出来る。

 カミールの髪は綺麗な金髪だが、髪染め薬を塗った箇所は濃い茶色へと変化した。塗った薬が乾けばそれで色が定着するので、とてもお手軽だ。


「これ、めちゃくちゃ使いやすい」

「そう?」

「おう。これ一本で塗れるんだもんなー。情報収集のときとか便利そう」

「待って、カミール。君、何やってるの?」

「え?普通に情報収集だって。ただ、この髪だと目立つから、帽子被ったりしてたんだよなー。代金払うから、今度作って」

「……アリーさんの許可が下りたらね」

「了解ー」


 満面の笑みを浮かべるカミールに、悠利はその場でがっくりと肩を落とした。見習い組の一員だというのに、妙に情報通なカミールの私生活の一端が見えた気がした悠利だった。まぁ、危ない橋は渡っていないようなので、気にしないことにした。


「あぁ、調査とか潜入のときにも便利ですよねぇ。何本か持っていれば、定期的に髪色を変えられますし」

「それです。結構、髪の色で相手を判断するんですよね」

「目の色を変えるのは難しいですが、髪は簡単ですからね。髪型を変えるだけでも印象が変わりますし」


 仲良く会話をしているジェイクとカミール。その二人の会話を聞きながら、悠利は遠い目をした。のほほんとした会話だが、微妙に深く考えたくない内容のような気がしたのだ。

 ただ、そう思うのは悠利が家事担当としてアジトの近辺だけで生活が終わっているからだ。所謂一般人枠にいる悠利と、冒険者稼業をしている皆の価値観が異なっていても仕方がない。彼らにとっては、情報を得るのは命綱のようなもの。そのための技術や道具は、いくらあっても足りないぐらいだ。

 だから、悠利が何となくのイメージで作り出したこの髪染め薬は、仲間達にとっては便利な道具になるのだ。お洒落に使って貰えば良いと思っていた悠利だが、実際は何らかの任務や修行のときに使うことも出来るだろう。世界は広いなぁと思う悠利だった。




 なお、髪染め薬の珍妙な形状を見たアリーは、脱力した後に「面倒なことになるから外部には出すなよ」といつも通りの忠告をするのだった。お父さん、お疲れ様です。




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