導師様の別荘は秘境にありました。


 目の前に広がる広大な自然。そびえ立つ山、その麓の草原、きらめく湖。とても素晴らしいそれらを見て、悠利ゆうりは思わず隣に立つジェイクに問いかけた。問いかけざるを得なかった。


「ジェイクさん」

「はい、何ですか?」

「ここ、ジェイクさんのお師匠さんの別荘なんですよね?」

「そうですよ。うちの師匠の別荘で、今日から皆でお世話になる場所です」

「……どこまでが、お師匠さんの別荘なんですか……?」


 恐る恐ると言いたげな悠利の問いかけに、ジェイクは首を傾げた。何を問われているのか解らなかったらしい。そんなジェイクに、悠利は重ねて問いかけた。


「お師匠さんの別荘以外に建物が見当たらないこの広大な自然の、どこからどこまでが、別荘なんでしょうか……?」

「視認できる範囲は基本的に師匠の別荘ですよ」

「……え?」

「山に囲まれたこの辺り一帯が、師匠の別荘ですけど。それがどうかしました?」


 何か問題があるのかと言いたげなジェイク。悠利も、周りにいる見習い組や訓練生も、固まっていた。広々とした自然の全てが私有地だと宣言されたのだ。衝撃が強すぎる。

 大人組は何だかんだで色々と経験値が物を言うのか、あまり驚いていない。アリーに至ってはそんなもんだろと平然としている。

 しかし、悠利達はそうはいかない。別荘にお邪魔するとは聞いていたが、こんな凄まじい別荘だなんて誰も思っていなかったのだ。


「個人所有の別荘の範疇ですか、これ!!」

「うちの師匠ならそんなものですよ」

「……ジェイクさん、僕、真面目に確認したことがないんですけど、お師匠さんって何者なんですか……?」

「王立第一研究所の名誉顧問ですよ。初代所長というか、創設メンバーでもありますけど」

「……ジェイクさん、そんな凄い人の弟子なんですか……?」

「そうなりますねー」

「……」


 のほほんと笑うジェイクに、悠利は沈黙した。師匠がどれだけ凄い人でも、弟子がポンコツというのはあり得るんだなと思ってしまった。なお、その感想は悠利だけではなく、周囲の面々も同じである。ジェイク先生のポンコツ具合は周知の事実だ。

 さて、悠利達が何故こんな場所にいるかというと、ジェイクの師匠に避暑に誘われたからというのが理由だ。話は、十日ほど前にまで遡る。




「アリー、師匠からアリーに手紙です」

「……は?何で俺に」

「正確には、僕宛の手紙の中に、アリーへの提案が入ってたんですけど」

「俺に提案……?」


 何だそれはと言いながらも、アリーはジェイクが差し出した手紙を手に取る。お代わりの紅茶をアリーのカップに注ぐ準備をしていた悠利は、お湯を入れるのをストップした。手紙を読み終わってから飲んでもらう方が良い気がしたのだ。

 ジェイクの師匠と聞いて、悠利は脳裏に建国祭のときに少しだけ見た美少年の姿を思い浮かべる。それはもう、儚げな印象の美しい少年だった。女神様に取り合いをされそうな、風に攫われそうな風情の、線の細い美少年である。

 外見はどう見ても美少年なのに、一人称は儂で爺口調で話す不思議な人物だった。長命を誇る森の民らしく、耳が尖っていたのが印象的だ。儚げな見た目と裏腹に、中身はそれなりに豪快な人なのだろうなというのが悠利の感想である。ジェイクの師匠なので、柔な神経はしていないと思ったのだ。

 そのお師匠さんからの手紙。しかも、アリーへの提案。何があるんだろうなぁと思いつつ、口を挟まずに大人しくしている悠利だった。

 アリーと二人でのんびりとお茶とお菓子を楽しんでいたら、思いも寄らない話題が舞い込んできた。平凡な日常に一石を投じられそうな予感である。ちょっとわくわくしていた。


「……つまり、うちの奴らを別荘に招待してくれるってことか……?」

「そうみたいです。僕がお世話になっているお礼を兼ねて、避暑を楽しみつつ別荘で勉学に励むのはどうか、と」

「勉学に?」

「師匠の別荘、周囲に植物や鉱物が沢山あるんですよ。後、師匠の別荘なので本が大量に。自然に触れながら勉強するのにはもってこいですよ」

「なるほど……」


 二人の話を聞きながら、悠利はちょっとだけ肩を落とした。皆がお勉強に行くのなら、自分は無関係だなぁと思ったのだ。悠利は見習い組でも訓練生でもないので、基本的に修行とは無縁だ。

 しかし、そんな悠利の考えは裏切られる。


「いっそ、皆でぱーっと旅行がてら行くというのはどうですかね?勉強するって言うのは建前で」

「ヲイ」

「師匠も遊びに来いって言ってますし、休みということで」

「……お前なぁ……」


 どうやら、真面目に勉強の機会と捉えていたのは、悠利とアリーだけらしい。ジェイクの口振りから、お師匠さんも遊びに来れば良いと言っているぐらいのニュアンスだと察することが出来る。それで良いのか?と思いつつ、それなら自分も一緒に行けるかなと思う悠利だった。現金である。

 ジェイクの発言と、悠利の視線、そして手元の手紙を見て、アリーはため息を吐いた。弧の状況で少数派はアリーの方だった。


「まぁ、せっかくのお誘いだ。予定を調整して、行けるやつで行かせてもらおう」

「はーい。師匠への返事はどうします?」

「俺も書く。少し待て」

「解りました。直行便で届けますね」

「頼む」


 直行便って何だろう?と思ったが、悠利は大人しく黙っていた。そこは別に関係ないことだ。悠利にとって重要なのは、皆と一緒にお出かけが出来るということなのだから。

 わくわくを隠しきれずにアリーを見る悠利。どんなところですか?誰が行くんですか?何がありますか?みたいな顔だ。遠足前の子供みたいな顔である。悠利だって遊びたい盛りの少年なので。

 そんな悠利に、ジェイクがのんびりとした口調で説明をしてくれる。


「師匠の別荘は、山の中にあるんですよ。かなりの秘境なので、周りには集落はありません。その代わり、自然が豊かですよ」

「ジェイクさんはよく行ってたんですか?」

「行ってたというか、一時期そこで生活してましたねぇ。師匠の研究室と繋がってるので」

「え?」


 発言内容がよく解らず、悠利はぽかんとした。繋がっているとはどういうことなのだろうか、と思ったのだ。お師匠さんの研究室は、王立第一研究所にあるはずである。なのに、秘境の別荘と繋がっているという。意味が解らない。

 詳しい説明をしてくれたのは、アリーの方だった。ジェイクにとっては普通のことなので、何が悠利を困惑させているのか解っていないのだ。


「手紙に書いてあるが、その別荘には個人用の転移門が備え付けてあるらしい。それが、王都と王立第一研究所の二カ所に通じてるそうだ」

「個人用の転移門……?」

「まさかそんなもんがあるとは、俺も思わなかったがな……。流石は導師というところか……」

「単純に師匠が使えるようにしただけで、元々別荘に備え付けだったらしいですよ」

「アリーさん、僕、ジェイクさんのお師匠さんも大概な人だなって思うんですが」

「ユーリ、ジェイクの師匠だ」

「そうですね」


 凄い人だというのは解ったが、何とも色々とぶっ飛んだ人だなと思った悠利に罪はない。そして、物凄く手抜きで雑な説明をしたアリーにも罪はない。ジェイクの師匠というだけで、普通じゃない可能性がスルーできてしまうのだ。だってジェイクがコレなので。

 転移門とはその名の通り、門と門を繋いで任意の場所に転移することが出来るスペシャルな装置だ。悠利は以前、港町ロカへ赴いたときに使用している。行商人であるハローズのおかげで使えたのだ。

 そのときに、転移門の殆どは商業ギルドの管理下にあると聞いていたので、まさか個人所有の転移門があるなんて思わなかった。アリーも思っていなかったらしい。


「まぁ、転移門が使えるというなら移動も楽だしな。他の奴らの予定も調整して、皆でお邪魔させてもらうことにしよう」

「楽しみですね、アリーさん」


 満面の笑みを浮かべる悠利を見て、アリーはとりあえず頷くだけにしておいた。別荘での避暑は確かに楽しみだが、普段と違う場所に悠利を連れて行って何事もなく終わるだろうかという考えがよぎったのだ。

 ただ、それを口に出すことはしなかった。今回は移動も簡単に終わるし、行き先は周囲に集落の存在しない山奥の別荘。誰かと関わることもないだろう、と。

 そんなこんなで予定の調整を終えて後、留守番にブルックとヤクモの二人を残した《真紅の山猫スカーレット・リンクス》の面々は、ジェイクの案内で彼の師匠の別荘へと向かうのだった。




 そして、冒頭へ話が戻る。

 王都側の転移門は王城にもほど近い貴族達の居住区の一画にあった。王立第一研究所との緊急連絡にも使われているとのことで、こぢんまりとした転移門の設置された小さな建物を兵士が警備していた。中に入れば事務員のような人がいて、事情を説明すれば話は通っていたのかすんなりと通された。

 転移門は大人一人分ぐらいの大きさで、登録先はジェイクが説明したように彼の師匠の研究室と別荘の二つのみ。今回は別荘に向かうのでその旨を伝えた悠利達は、転移門で楽々と山奥にある別荘へと辿り着いたのだ。

 彼らが転移した先は、小さな小屋の中だった。その小屋を出てみれば、広大な自然と大きなお屋敷が出迎えてくれたのだ。お屋敷が別荘だろうというのは理解できたが、建物が随分と立派だった。そこに加えて周囲一帯がジェイクの師匠の別荘なのだと説明されて、皆で驚いたということになる。

 さて、そんな風に驚いている悠利達を、ジェイクは何一つ気にしなかった。自分の分の荷物を持ったまま、てくてくとお屋敷へ向かって歩いていく。勝手知ったる実家への帰郷みたいなノリだ。

 慌てて悠利達もそれに続く。大人組は慌てず騒がず、オタオタしている子供達や若手組をそっと支えてくれる。実に心温まる光景だ。


「あ、師匠ー、来ましたよー」


 大勢の気配に気付いたのか、玄関扉が開かれて、人影が姿を現す。ジェイクが能天気な口調で呼びかけた先を見て、何人かが息を飲んだ。そこにいたのは儚げな美少年だったからだ。おっさんであるジェイク先生の師匠というには違和感のある外見だった。

 ゆったりとしたローブを身につけた金髪の美少年は、のんびりとした弟子の姿を見てため息を吐いた。


「相変わらず貴様は間抜けな面が似合う奴じゃな」

「師匠、久しぶりに会った弟子に対する台詞がそれですか」

「喧しい。手紙を研究室に転移門経由で放り込むなぞという無精をしおってからに」

「だって、研究室に行ったところで、師匠がいるとは限らないじゃないですか。なら、手紙だけ送り込んだ方が楽だなぁと思いまして」

「転移門は郵便受けではないわい」

「でも、確実じゃないですか」


 再会早々繰り広げられる師弟の会話に、周囲は呆気にとられた。何だこの会話と思った者もいれば、この人本当に師匠なのかと思った者もいる。師匠相手でもマイペースを崩さないジェイクも流石だった。

 そんな中、悠利とアリーの二人は顔を見合わせて、がっくりと肩を落とした。彼らが脱力しているのは、ジェイクが言っていた『直行便』がどういうことなのかを理解したからだ。配達員に委ねて遠回りで届けて貰うよりも、直接師匠に届けた方が早いと言っていたのは覚えている。だがしかし、だからってまさか、転移門に放り込んだだけとは思わなかったのだ。

 てっきり、ちゃんと手渡しをしていると思っていた。もしくは、誰かに言付けるか。しかし、ジェイク先生は安定のジェイク先生だった。大雑把なところがあるので、時々こんな風に手段を簡略化させるのだ。

 とはいえ、師匠の小言も本気のものではないらしい。相変わらずな弟子に対するコミュニケーションなのだろう。しばらく軽快なやりとりをした後は、もう弟子を放置してアリーの元へとやってくる。


「わざわざ呼び立ててすまないな。いつも不肖の弟子が世話になっている」

「お久しぶりです、導師。お元気そうで何よりです」

「屋敷は広い。客室も一人一部屋用意してあるので、皆、ゆるりとくつろいでほしい」

「ありがとうございます」


 代表してアリーが頭を下げて礼を口にすれば、次の瞬間、皆が声を揃えて「ありがとうございます」と告げる。異口同音で告げられた謝礼に、儚げな美貌の美少年は口元に老獪な笑みを浮かべて頷いた。


「儂の名はオルテスタ。名でも、導師とでも、好きに呼んでくれれば良い。皆が滞在中の世話は彼女が務めるので、困ったことがあればこの娘に申しつけてくれ」

「ようこそいらっしゃいました。皆様のお世話をさせていただきます、ラソワールと申します」


 オルテスタの紹介に続いて、彼の背後に慎ましく控えていたメイドらしき女性が一歩前に進み出て恭しく一礼した。足首まで丈のあるスカートが印象的なメイド服のような装いに身を包んだ美女だ。メイド服かエプロンドレスか判断が難しい。

 仕事の邪魔にならないようにだろう。綺麗な茶髪は編み込んだ後にアップにまとめられている。顔立ちは美しいが、どこか人形めいた美しさでもあり、何人かが息を飲んだ。作り物めいた美しさというのは、綺麗だが少し怖い。

 それでも、清潔な印象の彼女に対する不快感は感じない。何かあればこの人に言えば良いんだなと皆が心に刻んだ。

 次の瞬間だった。


「ラスー、久しぶりですねー。元気でしたか?」

「ジェイク」

「はい、ジェイクです。うーんと、ここに来るのって何年ぶりぐらいでした、師匠?ラスも師匠も外見が変わらないので、うっかりしちゃうんですが」

「儂に年数に関することを聞くな。自分の年を数えるのも止めたんじゃぞ」

「師匠、そういうところ大雑把ですよねぇ」


 のんびりとジェイクがラソワールに声をかけ、彼女は淡々と彼の名前を呼んだ。ただし、会話はそこで途切れて、ジェイクとオルテスタの二人のやりとりになる。ぽんぽんと交わされる師弟の会話を、ラソワールはじっと見ていた。

 そして――。


「少なくとも五年は過ぎ去っています。少しも顔を見せないので心配していました。ちゃんとご飯は食べていますか?本の読み過ぎで徹夜をしたり、家の中で倒れたりはしていませんか?」


 女性は、それまでの人形のような顔が嘘のように、心配だと表情だけでなく身体全体で表しながら、ジェイクの顔を覗き込んでいる。感情がのると、先ほどまでの恐ろしさが消えて、いっそ親しみやすい。

 ……なお、彼女の口にする内容に、《真紅の山猫スカーレット・リンクス》の面々はそっと視線を逸らした。この人の日常生活でのポンコツっぷりは昔からだったのか、と思った者が何人もいる。彼らは悪くない。学習しないジェイク先生が悪い。

 そんな学習しないジェイク先生は、のほほんとした口調で己の近況を報告する。……微塵も反省せずに。


「食事は忘れてても皆が呼びに来てくれますし、本はまぁ相変わらず読んでますねぇ。倒れててもちゃんと部屋まで運んでくれるので助かってますよ」

「……ジェイク!」

「はい?」

「どうして貴方はそうなのですか……!ちゃんと規則正しい生活をして、身体を厭いなさいとあれほど申しつけたでしょう……!」

「いやー、僕なりに頑張ろうとは思ってるんですが、どうにも苦手で」

「マスター!やはり彼は私がこの館で世話を」

「落ち着け、ラス。皆が驚いておるじゃろうが」

「ですが……!」


 待て、と掌で制止されて、ラソワールは大人しく黙った。彼女の激情を引っ張り出した張本人はといえば、「ラスは相変わらずですねぇ」とのほほんとしていた。ダメだこのおっさん、早く何とかしないと。

 二人のやりとりを呆気にとられて見ていた悠利達に、オルテスタは申し訳なさそうに頭を下げてから口を開いた。


「驚かせて申し訳ない。この娘は別荘の管理と客人の世話を任せている家憑き妖精じゃ。家憑き妖精の中でもシルキーという種族に当たる。メイドのようなものと思ってくれて構わん」

「オルテスタさん」

「何じゃ、少年」

「家憑き妖精というのは、どういうものなんでしょうか?」


 それってなぁに?状態の見習い組や訓練生を代表して問いかけたのは、悠利だった。知らないことは素直に質問できるのが彼の美点である。その悠利の周囲で、仲間達がこくこくと頷いている。庶民の彼らには縁のない存在だったからだ。

 ぱちくりと瞬きをするオルテスタ。そんな師匠に代わって口を開いたのは、ジェイクだった。いつも説明役をやっているので癖が出たのだろう。


「家憑き妖精というのは、大切にされた古い家などに生まれる存在のことです。種類が色々といて、家事を手伝ってくれるもの、家に幸運を運んでくれるもの、悪戯をするもの、家主の敵を追い払ってくれるものなど、様々です」

「全部ひっくるめて家憑き妖精なんですか?」

「そうなります。僕達に職業ジョブがあるような感じだと思ってください。家憑き妖精という種族の中で、それぞれ違うタイプがいるんです」

「なるほど……」


 いつもと同じように、専門的な単語は極力省いた説明が行われる。大雑把でざっくりとした説明だが、何も知らない面々に解りやすく説明するのには向いている。ジェイクはこういう説明の仕方が上手だった。彼の数少ない特技である。

 慣れた調子で悠利達に説明するジェイクの姿を、オルテスタとラソワールは驚いたような顔で見ていた。不肖の弟子が、世話を焼かないと日常生活すら危うい庇護対象が、ちゃんと立派に仕事をしている姿を見て驚いている感じだった。……ジェイクの今までがよく解る反応だ。


「ラスはその家憑き妖精の中でもシルキーという種族で、家の守護と管理、維持などが得意なんですよ。簡単に言うと、家事全般が得意です」

「それどこのユーリ」


 思わずという調子でカミールが口にした。何人かは同意するように頷いている。それを見て、悠利が慌てて口を挟む。


「カミール待って。僕、人間」

「ユーリ、シルキー……?」

「マグ、違うよ!僕は人間だよ!?」

「冗談」

「……マグの冗談は笑えない……」


 いつも通りの無表情で、伺うような仕草でマグが口にした発言に、悠利は更に慌てる。慌てる悠利を見たマグは、淡々と冗談だと口にするが、顔も口調もいつも通りなので、本気か冗談かの判別は悠利達には出来ないのだ。とても心臓に悪い。

 ただ一人、マグの言いたいことを完璧に理解できるウルグスだけが、「お前最近、冗談言うの増えたよなー」と暢気な感想を口にしている。人間味が出てきたと言いたいのだろう。若干微笑ましい視線になったウルグスに、マグはイラッとしたのかその足を軽く蹴っていた。途端に口喧嘩が始まるが、いつものことなので誰も気にしなかった。


「まぁ、そんなわけですから、滞在中の頼み事はラスにすると良いですよ。建物内なら、どこで呼んでも聞こえてるでしょうし」

「「え?」」

「家憑き妖精だと言ったでしょう?自分の領域内なら、声は簡単に届きますよ。ねぇ、ラス?」

「ジェイク、訂正を求めます」

「アレ?何か間違ってましたっけ?」


 おかしいなぁ?と首を傾げるジェイク。そんな彼に対して、美しきシルキーは言いきった。

「私の領域は、この別荘全体です」

「……ん?」

「建物だけではありません。庭も含みます」

「あぁ、なるほど」


 淡々としたラソワールの説明に、ジェイクは一人頷いた。しかし、《真紅の山猫スカーレット・リンクス》の面々は置いてけぼりだ。庭?と誰かが呟いた。

 この別荘には庭らしき庭はない。囲いがされているわけでもなく、広大な自然が広がっている。はたしてこの広い自然の、どこまでが庭の範疇なのだろうか。全然解らなかった。

 そんな彼らの疑問は、能天気な学者先生によって吹っ飛ばされた。疑問が解消されたのではない。常識ごと吹っ飛ばされた。


「視認できる範囲全部ということですね。いやー。僕は屋内で生活してたので、全然知りませんでした。ラスの領域って、土地全体になるんですねぇ」

「土地も含めて別荘ですからね。私の領域となります」

「流石はシルキーですねー」


 のんびりとしているジェイク。当然ですと微笑むラソワール。仲良く会話をしている二人を見て、オルテスタは視線を《真紅の山猫スカーレット・リンクス》の面々に向けた。ちょっと同情している顔だった。

 師匠には弟子より常識というものが備わっているので、自分の別荘が個人所有の別荘としては規模がアレなことも解っている。なので、ラソワールが己の領域、庭と称した範囲が、どう考えても庭という言葉で説明できる範疇ではないということも、解っているのだ。

 解っているが、事実は事実なのでどうしようもない。この広大な自然をひっくるめて、彼の別荘という認識なのだから。

 衝撃を受けている皆を慮ったオルテスタが口にしたのは、実に端的な言葉だった。


「皆、とりあえずは荷物を部屋に運ぶと良い。ラス、案内を」

「はい、承知しました。どうぞ皆様、お入りくださいませ」


 オルテスタに声をかけられたラソワールは、美しい所作で一礼した。見事なメイドさんだった。促されるまま、一同は荷物を持ったまま屋敷へと足を踏み入れる。外観だけでも解っていたが、中も大変見事な造りの別荘だった。


「客室は二階、三階となっております。二階は男性に、三階は女性にお使いいただけるよう準備させていただきました。不備などありましたら、お気軽にお申し付けください」


 たおやかな微笑みと共に階段へと案内されて、皆は大人しくついていく。今日から始まる別荘生活が、どんな風になるのだろうかと思いながら。




 なお、二階と三階に分かれて案内するとなった瞬間、ラソワールがいきなり分身したので皆が大慌てするのであった。……家憑き妖精さんは、領域内限定で分身出来るのでした。




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