新作ケーキの試食会です


 大食堂食の楽園の一角で、それは密やかに行われていた。

 上客を迎える個室を使って行われているのは、この店の末娘であるパティシエのルシアが作った新作スイーツの試食会だった。主催者であるルシアは、今日この日の為にわざわざ足を運んでくれた知人に向けて深々とお辞儀をした。


「今日はお時間をいただいて本当にありがとうございます。試作品なので、素直な感想を教えていただけると嬉しいです」

「任せて、ルシア!」


 ルシアの言葉に笑顔で応えたのはヘルミーネ。店の常連であり、ルシアの友人、そして彼女の作るスイーツの大ファンでもあるヘルミーネは、とても嬉しそうだった。まだ店頭に並んでいない試作品を食べられるなんて、嬉しい以外の何でもないのだから。


「ルシアさんの新作ケーキ、とても楽しみです」


 ヘルミーネに続いて、悠利もにこにこ笑顔で答えた。こちらもルシアのスイーツのファンなので、声をかけて貰えてとても喜んでいる。また、悠利はアイデアやアドバイスという方面でも期待されている。

 もっとも、当人は美味しいスイーツを食べさせてもらえて嬉しいなぁぐらいのノリなのだが。悠利がぽろっと零す故郷のお菓子の話は、ルシアの良い刺激になっているのだ。当人はまったく気付いていないが。


「こうして招いて貰えるとは光栄だ」


 淡々とした口調で告げるのはブルック。あまり表情や声に感情を出すことのないクール剣士殿だが、その目は柔らかく笑んでいる。クールな見た目だが甘い物が大好きなブルックは、ヘルミーネとスイーツ同盟を結ぶほどのルシアのスイーツのファンなのだ。喜ばないわけがない。

 ルシアと直接言葉を交わすことはないが、ヘルミーネを通して感想を伝えているので、本日はブルックも招かれたのだ。何しろ、甘味大好きお兄さんなので舌が肥えている。何でもかんでも美味しいとは言わないのが、ヘルミーネと同じスイーツ通であった。

 そんな晴れやかな三人に続いて、おずおずと言った声が響いた。明らかに困惑している。


「あの、何故僕まで呼ばれたのだろうか?」


 ルシアと面識もなく、スイーツにさして興味がない青年ラジは、思いっきり場違いな自分に困惑しながらも問いかけた。そう、何で自分が呼ばれたのかさっぱり解っていないのだ。

 ラジはお菓子をあまり好まない。正確には、ヘルミーネやブルックが好む甘いお菓子を好まないのだ。甘くないお菓子ならば普通に食べる。

 だからこそ彼は、こんなどう考えても甘味大好き人間を対象にしているとしか思えない場に、自分がいる意味が解らないのである。

 そんなラジに、ルシアは柔らかな微笑みを浮かべて答えを告げた。


「感想は一人でも多くいただければ嬉しいと思ったんです。そういう意味で、好みの異なる方がいたらお願いしたいとヘルミーネに頼んだんです」

「ラジ、甘い物はそこまで得意じゃないけど、食べられないわけじゃないでしょ?うってつけかなって思って」

「……ヘルミーネ、お前な……」


 こめかみを抑えながらラジが呻く。頼まれると断るのが苦手な生真面目くんだが、文句はそれなりに口に出来るのがラジである。まぁ、本気で怒っているわけではない。ただちょっと、何で自分に頼んだと言いたくなっただけだ。

 しかし、そんなラジの考えなど意に介さず、ヘルミーネは素晴らしい笑顔で言い切った。


「大丈夫!食べられなさそうなのは、私とブルックさんで食べてあげるから!」

「いや、そういう問題じゃない」

「そうだな、任せておけ」

「ブルックさん、そうじゃないです……」


 自信満々に言い切るヘルミーネに、ラジは静かにツッコミを入れる。しかし、彼の思いをまったく理解せず、ブルックまでノってくる。スイーツが絡むと若干ポンコツになる指導係の姿に、ラジは疲れたように肩を落とした。

 普段は文句なしに尊敬できるのに、スイーツが絡んだときは高確率でツッコミ満載になってしまうブルックなのだ。尊敬しているだけに切ないのだろう。がっくりしているラジの肩を、悠利はぽんぽんと叩いた。


「ラジ、元気出して。とりあえず、無理はしなくて良いから」

「……了解だ」


 スイーツ同盟の二人よりはまだ悠利の方が話が通じるので、ラジはこくりと頷いた。甘い物は得意ではないし、食レポが出来るわけでも料理に造詣が深いわけでもない。本当に、何でこんな自分が呼ばれたんだと思っているラジなのだった。

 初っぱなから愉快に賑やかな悠利達を、ルシアはちょっと困ったような笑顔で見ていた。《真紅の山猫スカーレット・リンクス》の面々が賑やかなのはいつものことなので、彼女も少しは慣れているのだ。

 それでは試食会を始めようとなった瞬間、悠利の足下で鳴き声が響いた。


「キュイ」

「え?ルーちゃん、どうしたの?」

「キュキュー」


 悠利の護衛役である従魔のルークスは、今日も悠利と一緒だった。いつもならば大人しくしている筈のルークスが、何故か悠利に何かを訴えていた。

 じぃっと悠利を見上げて、ゆさゆさと身体を揺さぶっている。しかし、悠利にはルークスの言葉の全てを理解することは出来ない。よく解らずに首を傾げる悠利に、ルークスはむにむにと床の上を這い始めた。いつも、アジトで掃除をしているときのように。

 そこで悠利はハッとした。


「ルーちゃんまさか、お掃除したいの?」

「キュ!」


 通じたと言いたげにルークスがぽよんと跳ねた。まさかの、お出かけ先でのお掃除希望である。いや、よくあることなのだが。

 ブライトの工房とか、レオポルドの店である《七色の雫》とか、ダレイオスとシーラの《木漏れ日亭》とかを訪れたときは、よくやっている。顔馴染みの彼らは、ルークスの掃除の腕前を知っているので快く許してくれるのだ。

 しかし、ここは大食堂食の楽園だ。

 ルシアはこの店の末娘で、今ではパティシエとして働くお姉さんだが、決定権は持っていない。勝手に掃除をさせて良いものかと、悠利は困った顔でルシアを見た。


「ユーリくん、どうかしたの?」

「えーっと、ルーちゃんがお掃除したいらしいんです」

「お掃除って、どこを?」

「お店の床とか、油汚れのついた調理器具とか、だと思います」

「え?」


 何で?と言いたげな顔になるルシア。その反応も無理はない。彼女はそこまでルークスとの付き合いは深くないのだ。いつも悠利が連れている可愛いスライムぐらいにしか思っていない。

 そこでルークスが動いた。決定権はルシアにあるのだと思ったらしい。


「キュイ、キュピ、キュキュー」


 ぺこぺこと頭を下げ、自分が這った後の床の上を示す。そこは、他の箇所よりピカピカになっていた。

 勿論、元が汚かったわけではない。きっちり清掃されている。しかし、それよりも更にルークスが綺麗にしただけだ。お掃除能力がどんどんレベルアップしているスライムだった。


「あの、ユーリくん?」

「こういう感じで綺麗にするので、床掃除をしても良いかって聞いてるんだと思います」

「キュピ!」


 困惑するルシアに、悠利はあははと笑いながら説明する。その説明はちゃんとあっていたのか、ルークスがその通りだと言いたげにぽよんと跳ねた。

 キラキラと目を輝かせる愛らしいスライム。しかし、要求しているのは掃除の許可だ。色々と間違っているが、《真紅の山猫スカーレット・リンクス》の面々にとっては慣れたことなので、誰もツッコミを入れなかった。いつものことなので。

 しばらく困惑したように考えていたルシア。やがて答えが出たのか、しゃがんでルークスと目線を合わせてから告げる。


「それじゃあ、この部屋の掃除をお願いできるかしら?他の場所は、お客様もいらっしゃるし、従業員も驚いてしまうから、ここだけでお願いね」

「キュピ!」


 許可が出たことで俄然張り切ったルークスは、ぽよんと跳ねた後にぺこぺこと頭を下げた。そして、うきうきで部屋の床を這い始める。……何故かお掃除が大好きになってしまっているスライムなのです。

 小さく鳴きながら床掃除を始めるルークスを、皆は微笑ましく見つめる。本気を出したら物凄く強いのに、今そこにいるのはうきうきで掃除をする愛らしいスライムなのだ。とても可愛かった。


「それじゃあ、試食をお願いしますね」


 気を取り直したようにルシアが告げると、皆はこくりと頷いた。テーブルの上にずらっと並ぶ新作ケーキの数々に、ラジ以外の三人はとっくの昔にうきうきしていたので。

 大皿から小皿に移されたケーキを、悠利達は受け取る。普段提供されるよりも小さく切り分けられているのは、二種類のタルトだった。


「新しくメニューに増やそうと思っているタルトです。ブルーベリーとラズベリーのタルトとオレンジのタルトです」

「どっちも美味しそう!」

「ありがとう、ヘルミーネ。食べて味の感想を聞かせてね」

「はーい!」


 二種類のタルトを前に、ヘルミーネは声を弾ませる。どちらもとても美味しそうなので、今から食べるのが楽しみなのだろう。彼女は笑顔のままフォークを二種類のベリーのタルトへと向けた。

 タルト生地はフォークで切れる程度には柔らかかった。食べやすい大きさに切り、ヘルミーネはぱくんとタルトとを口に入れる。甘さ控えめのタルト生地と、濃厚なカスタードクリームがハーモニーを奏でる。そして、最後に彩りを添えるのはブルーベリーとラズベリーだ。

 口の中で噛むと、ぷちんと弾けて果汁が広がる。酸味と甘味が口の中で混ざり合い、なんとも言えずに美味しい。


「美味しいー」


 ふにゃんと顔を緩めて、ヘルミーネは絶賛する。彼女は美味しいスイーツが大好きで、ルシアの作るスイーツの大ファンだ。勿論、相手がルシアだろうと好みではなかった場合はこんな風に喜ばない。つまり、このタルトはヘルミーネの口に合ったということだ。

 言葉などなくても、その表情が雄弁に物語っている。美味しい、と。そんなとても解りやすいヘルミーネを、ルシアは嬉しそうに見ている。良かったと言いたげだ。

 悠利ももぐもぐと口を動かしている。流石ルシアのケーキだけ在って、タルト生地一つとってもとても美味しい。製菓の技能スキルを持ったパティシエであり、長年努力してきた彼女の研鑽の賜だ。


「とても美味しいな」

「ありがとうございます」


 あまり顔にも声音にも感情を出さないブルックだが、今はいつもよりも随分と柔らかい雰囲気になっている。甘味大好きなクール剣士殿も、ルシアのタルトに舌鼓を打っていた。顔を見てしっかりと告げられた感想に、ルシアはぺこりと頭を下げている。

 ブルックもまた、ヘルミーネと同じくスイーツにはちょっと煩い。大抵のものは喜んで食べるが、舌が肥えているのは事実だ。その彼が美味しいというのだから、このタルトは問題なく美味しいということだ。

 勿論、味の好みは十人十色。誰もが美味しいと告げるものを作り出すのは難しい。それが解っているからルシアも、試食をヘルミーネだけにしなかったのだ。

 絶賛している二人の会話を聞きながら、悠利はオレンジのタルトに手を伸ばす。

 こちらはベリーの代わりに食べやすい大きさに切ったオレンジが載っている。その上に、とろりとした同色の液体がかかっているのは、オレンジジャムだろう。甘い匂いが漂ってくる。

 こちらも、フォークで簡単に切ることができた。このタルト生地、食べやすくて良いなぁと悠利は思った。一口にタルトと言っても生地に種類があり、固さも様々なのだ。手に持って囓る方が良いのでは?みたいな固さのものもある。それを思えば、ルシアのこのタルトは、フォークで食べやすいように作られていた。

 その辺りもルシアの凄いところだ。見た目や味だけでなく、食べやすさも気にして作っている。それもこれも全ては、美味しく食べて欲しいという彼女の願いだ。

 そんな風に一生懸命なルシアを知っているから、悠利も真剣にケーキを味わうことに決めている。本職にアドバイスが出来るような技量は持っていないが、意見ぐらいは出せたら良いなと思うのだ。


「んー、オレンジとカスタードの相性、最高ー」


 口に入れた瞬間にじゅわっと広がるオレンジの果汁と、カスタードクリームが混ざって美味しさが爆発する。とろとろ濃厚のカスタードクリームにオレンジの風味が追加されるのだ。そしてそれを包み込むタルト生地という調和だった。

 オレンジなので酸味はほぼないが、それでも後味をすっきりさせる爽やかさは健在だった。ベリーの濃厚な味わいとはまた違う、いくらでも食べられそうな味がそこにある。


「ルシア、どっちもとっても美味しいわ。早くお店に並べてね。買うから!」

「出来れば、数量限定でなく、季節メニューか通常メニューにして貰えるとありがたい」

「ブルックさん、切実な気配がするんですけど」

「限定メニューを買うのは至難の業だからな……」

「そうですね……」


 身に覚えがあるのか、ヘルミーネの表情が陰った。ルシアのスイーツは王都で大人気なので、数量限定メニューになると、どうしても争奪戦が繰り広げられるのだ。何せ、一切の予約取り置きが不可能なので。

 ルシアは最初、友人であるヘルミーネにこっそり取り置きをしようかと言ってくれた。しかし、ヘルミーネはそれを断った。彼女はルシアのスイーツのファンだ。ファンゆえに、友人の仕事とは真摯に向き合いたかったのである。

 ……まぁ、その決意は美しかったが、それで数量限定メニューを変えずに悔しい思いをしたこともある。リベンジに燃えて、別の機会にちゃんと購入していたが。

 とにかく、そんなわけで二人にとっては、この新作タルトがどのメニューとして並ぶのかは、とても重要な問題だった。特に、女性に混ざって買いに行くのが難しいブルックには。

 なお、別に店側が客の性別や年齢をどうこう言うわけではない。単純に、女性の多い場所へ買いに行くのがブルックには難易度が高いだけだ。クール剣士なので、甘い物が好きなように見えないというのもあって。

 悠利とかレオポルドとかの、自分の性別をあんまり気にしていない面々だと問題ないのだが。彼らは常連だ。限定メニューも購入してうきうきしている。特に美貌のオネェは自分へのご褒美に美味しいスイーツを買い求めるところがあるので。


「えーっと、今のところは通常メニューに加える予定なので、安心してください」

「やった!」

「そうか。それは助かる」

「販売を開始したら連絡するわね、ヘルミーネ」

「うん!」


 ルシアの言葉に、ヘルミーネとブルックは目に見えて解るほどに上機嫌になった。彼らにとっては大切な話なのだ。スイーツ同盟は今日も仲良しだった。

 そこでルシアは、のんびりとタルトを食べている悠利に視線を向けた。もぐもぐと咀嚼の真っ最中の悠利は、不思議そうに首を傾げる。どうかしました?と目で問いかける悠利に、ルシアは静かに問いかけた。


「ユーリくん、何か気になったところはないかしら?」

「気になったところ、ですか?」

「えぇ。美味しいって言ってもらったけれど、何か気付いたことがあるなら言って欲しいの」

「……」


 ルシアの言葉に、悠利は少しだけ考え込む。彼女は真剣だった。悠利が口にした美味しいという感想を信じている。ヘルミーネとブルックの絶賛も喜んでいる。その上で、悠利に何か無いかと聞いたのだ。

 悠利は、ゆっくりと口を開いた。


「少し気になるとすれば、ベリーのタルトのカスタードクリームは改良できるんじゃないかと思いました」


 その言葉を、ルシアは真剣な顔で受け止めた。ヘルミーネが眉を寄せて、どういうこと?と呟いたが悠利は意に介さない。ブルックは傍観者に徹している。……そしてラジは、先ほどからずっと、無言でちまちまとタルトを食べていた。

 ラジは感想を言えるだけの語彙力がないので、とりあえず黙々と食べているのだ。甘い物は得意ではないのでゆっくりだが、それでも食べているので美味しいのだろう。無理に食べなくて良いというのは再三伝えてあるので。

 ルシアが先を促すように頷いたので、悠利は言葉を続けた。


「オレンジの方は思わなかったんですけど、ベリーの方はカスタードとベリーがちょっとぶつかってるかなと思いました。カスタードが濃厚過ぎる気がしたというか」

「なるほどね。もう一度カスタードクリームを見直してみるわ」

「あくまでも僕の感想ですし、美味しかったのは本当ですよ?」

「えぇ、解っているわ、ユーリくん。それもふまえて、貴方の意見を参考にさせてもらうわね」

「はい」


 悠利とルシアが解り合ったように目で会話をするのを、ヘルミーネは首を傾げて見ている。彼女には解らないかもしれないが、悠利はこれが自分に求められている役割だと理解しているのだ。

 ヘルミーネもブルックも、舌が肥えているので本当に美味しいときにしか美味しいと言わない。お世辞を口にすることはない。それは事実だが、同時に彼らはあくまでも食べる側としてしか感想を言わない。

 この中で唯一、悠利だけは作る側として創意工夫に関する感想を述べることが出来る。あくまでも素人の意見ではあるが、作り手として感じた違和感を伝えることは可能だ。そして、ルシアがそれを願っていることも悠利は解っている。

 ルシアが悠利に求めたのは、些細な違和感があれば教えてもらうことだ。改良をするしないはルシアの自由であるし、その方向性を決めるのもルシアだ。けれど、悠利が感じた違和感を聞くことによって、ルシアは刺激を受けることが出来る。それが必要なのだ。

 意見という意味では、この場にただ一人いる甘い物が得意ではないラジの存在も、ルシアにとっては大きい。なので彼女は、無言を貫いているラジに声をかけた。


「ラジさん、何か気になったことや感想はありますか?」

「……僕は皆みたいに言えることはないんだが」

「難しく感じず、率直な感想で大丈夫ですよ」


 食レポが出来るだけの語彙力があるわけでも、知識があるわけでもないラジは、ルシアの言葉に困ったような顔をした。真面目で優しい性格をしているので、色々と考え込んでしまうのだろう。

 それでも、問われたならば答えるのが筋だと口を開く。


「どちらのタルトも、僕には少し甘いけれど全て食べることが出来ました」

「あの、無理に食べていただかなくても良かったんですよ?」

「そうよ。無理に食べなくても、私かブルックさんが食べるんだから」

「いや、そうじゃないんだ」


 ラジの言葉にルシアとヘルミーネが案じるように口を開く。その二人の言葉を笑って遮って、ラジは言葉を続けた。その顔に浮かぶのは、柔らかな表情だった。虎獣人らしく強面なラジだが、感情が顔に出ると剣呑さが和らぐ。


「このタルト生地が美味しくて、ついつい全部食べてしまった」

「……タルト生地が、ですか?」

「出来るなら、この生地だけで食べたいぐらいに美味しかった。あんまり甘くなかったし」

「ラジ、それタルトじゃなくてただのクッキーになるから!」


 正直に感想を伝えたラジに、ヘルミーネのツッコミが飛んだ。タルトは上にクリームや果物を載せて食べるから、タルトなのである。その生地だけを食べたいってどういうことなのか、彼女にはまったく解らない。

 ラジの言葉に、ルシアは嬉しそうに笑う。甘い物が苦手だと言ったラジが、こんな風に伝えてくれたのが嬉しかったのだ。


「ラジさん、ありがとうございます。クリームと果物を載せるので、今回は甘さを控えめにしてあるんです。気に入ってもらえて良かったです」

「あぁ、やっぱり甘さ控えめだったのか。食感も味も、とても良かったです」

「ありがとうございます」


 ルシアとラジの間で交わされる会話は穏やかで、実に微笑ましい。ルシアはどんな形であれ喜んで食べて貰えたことが嬉しいし、ラジはそんな自分の感想で彼女が喜んでくれているのが嬉しいのだ。平和な世界だった。

 納得していないのはヘルミーネだ。

 ルシアの作ったタルトはどちらも絶品で、彼女はそれをとても美味しいと思って食べていた。ラジが全部食べきったぐらいだから美味しいと思っていたのに、まさかの生地だけで食べたいとはどういうことなのか。タルトなのにとぼやくヘルミーネである。

 その彼女の肩を、ブルックがぽんと叩いた。顔を上げたヘルミーネと視線を真っ直ぐ合わせたまま、ブルックは告げる。


「ヘルミーネ、ラジの発言にも一理ある」

「何でですか!?タルトは、ちゃんとタルトになってるのを食べるから美味しいんですよ、ブルックさん!」

「落ち着け。そして聞け」

「……はい」


 ブルックの言葉に反射的に噛みつくように叫んだヘルミーネ。しかし彼女は次の瞬間、静かな威圧を纏ったブルックによって大人しくなった。真剣なブルックの顔を、真剣に見ている。

 ヒートアップしていたヘルミーネを視線や圧だけで大人しくさせることに成功しているブルックに、悠利とラジはそっと小さな拍手を送った。聞こえないぐらいの小さな拍手だ。感情に任せて叫んでいるときのヘルミーネを大人しくさせるのは、至難の業だ。それをあっさりとやってのけるブルックを彼らは尊敬した。

 しかしその尊敬は、ブルックの発言で脆くも砕け散った。色んな意味で。


「甘味が苦手なラジに生地だけで食べたいと言わせた彼女のタルト生地は、最強ということにならないか?」

「はっ!確かに!」

「その最強の生地の上に絶品のクリームと果物が載っているんだ。このタルトは最強ということだ」

「そうですね!ルシアのタルトは最強!美味しい!」

「うむ」


 熱く盛り上がるスイーツ同盟。ルシアは困ったような顔で笑っているが、ツッコミは入れなかった。ヘルミーネのテンションには慣れているので、放置する方が良いと思ったのだろう。ブルックに関してはちょっと驚いていたが。

 ツッコミを入れたのはラジだ。二人には聞こえていないが、言わざるを得なかったのだろう。


「変な話題に僕を巻き込まないでほしい……」

「ラジ、どんまい」

「何であの二人は、スイーツが絡むとポンコツになるんだろう……」

「……好きだからじゃないかなぁ」


 尊敬するブルックのポンコツっぷりに耐えられなかったのか、ラジはしょんぼりと肩を落とした。そこは悠利にもどうにも出来ない話題だったので、彼はそっと目を逸らした。何も言えなかったので。

 今食べたタルトがどれだけ絶品で素晴らしいかを語り合っているヘルミーネとブルック。ちょっとテンションがおかしいが、当人達はとても楽しそうだ。

 そんな二人を放置して、悠利とルシアも話を弾ませている。今でも十分美味しいタルトを、もっと美味しく食べやすく改良する方法はないか二人で相談しているのだ。実に仲の良いことだ。


「……」


 放置されることになったラジは、沈黙した。何で自分はここにいるんだろうと思ってしまった彼は、悪くない。とりあえず口直しに紅茶を飲むラジ。

 手持ち無沙汰で、何となく仲間外れみたいな気分になったラジは、せっせと床掃除をしているルークスが近くに来たときに、尻尾でその頭を撫でた。虎の尻尾で撫でられて、ルークスは不思議そうにラジを見上げる。


「キュピ?」

「掃除、お疲れ。綺麗になってるな」

「キュ!」


 褒められたと気付いたルークスが、嬉しそうに小さくぽよんと跳ねた。目を輝かせるルークスの頭を、ラジはもう一度尻尾で撫でた。

 その視線は、ルシアが持ってきたケーキへを向けられている。今タルトを二種類食べたが、まだまだ試作品のケーキは残っていた。この試食会は始まったばかりなのだ。


「……食べられる分だけにしておこう」


 ぼそりと独り言を呟くラジ。ルシアのケーキは美味しいが、甘味が得意ではないラジはあんまり食べると胸焼けするのだ。残すのは本意ではないが、ルシアの許可も取っているので自分で配分は考えようと決意した。




 斯くして、パティシエ・ルシアの新作ケーキの試食会は、賑やかなまままだまだ続くのでした。




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