若様と噂のダンジョンマスター


「にゃふー!」

「若様、また言葉が戻ってますよ」

「うみゃ……!?わ、わかってるにゃ!」

「語尾、直ってませんけど」

「えとるは、いちいちうるさいにゃ!」


 ぷんすか怒るリディに、エトルは面倒くさそうな顔をしている。

 とはいえ、愛らしい子猫が二人、口喧嘩をしている姿は見ている分には実に微笑ましい。それはダンジョンへの出入りチェックを行っている職員さん達にしても同じことらしく、リディやエトルを見つめる眼差しは優しかった。

 そう、彼らは今、採取ダンジョン収穫の箱庭へとやってきていた。

 しかし、当初のリディの予定にそれは含まれていなかった。お付きのクレストとフィーアがどれだけ諭しても、悠利ゆうりが友達と呼んだダンジョンマスターに会いに行くのだと聞かなかったので、今に至る。

 普段はリディの側を離れない大人二人は、仕事があるらしく後ろ髪を引かれる思いで別行動を取っている。

 ……本来ならば、若様と呼ばれる立場のリディも、彼らに同行しなければならないのだ。しかし、まだ子供のリディは一緒に行っても何もすることがないので、こうして己の我が儘を貫いたのだった。若様は、ちょっぴり我が儘で自己中心的なのです。


「リディ、一人で勝手にどこかに行っちゃダメだよ?」

「わかってる。だいじょうぶ」

「今日はクレストさんもフィーアさんもいないんだからね?」

「もんだいない!」


 自分の希望が通ったので、悠利に注意されてもリディはご機嫌だった。にこにこしている。愛らしい子猫が楽しそうな姿は微笑ましいが、我が道をいく若様なので、心配事は潰えないのだ。

 悠利はちらりと、本日の引率役に目を向けた。

 見た目の割に繊細なリヒトお兄さんは、ダンジョンに入る前から胃痛を覚えているのか、眉を寄せて腹を押さえていた。思わず悠利が遠い目になるほどに、思いっきり胃をやられている。

 そんなリヒトを励ましているのは、アロールだ。今日も首に相棒の従魔である白蛇のナージャを巻き付けている。見た目は小さな蛇のナージャだが、本性はヘルズサーペントという巨大な魔物なので、護衛として考えるとこの上なく心強い。

 そのアロールの足下では、ルークスがぺこぺことナージャに頭を下げている。先輩、今日はどうぞよろしくお願いします!みたいな雰囲気だった。多分間違っていない。

 なお、憧れの先輩と一緒に仕事が出来る!みたいな感じで感極まっているルークスと裏腹に、ナージャは面倒くさそうにルークスに接している。さっさとあっちに戻れと言いたげに尾が動く。相変わらずの二匹だった。


「……リヒトさんの胃、大丈夫かなぁ……」


 自分と一緒に外出するときは色々と気を張っているらしいリヒトなので、ちょっと心配になる悠利だった。悠利にそのつもりはないが、毎度毎度何らかのトラブルを引っ張り寄せているので、リヒトがそうなるのも仕方ない。

 悠利に自覚はまったくないが。自覚がないので、改善も出来ないのだが。

 その上、今日は自由人を絵に描いたような我が儘なお子様、リディがいる。ただのお子様の子守ならまだしも、リディはワーキャットの里の次代様である。若様なのだ。つまりは重要人物。子守だけでなく、護衛も含まれている。

 しかも、その護衛対象は目を離すとどこへ行くか解らないような子供だ。胃が痛いに違いない。


「大丈夫よ~。何かあっても、私がちゃあんと対処するわ」

「……僕としては、リヒトさんの胃痛の原因の半分ぐらいは、貴方だと思います」

「あら、どうしてかしらぁ?」


 悠利にしなだれかかりながら微笑むのは、マリアだ。見た目だけならセクシー系とか妖艶系と言うべき美女だが、彼女がそれだけの人物でないことを悠利は知っている。というか、今ここにいるメンバーの中で、一番爆弾を抱えているのはマリアだ。

 麗しい美貌の素敵なお姉様に見える彼女は、職業ジョブが狂戦士の戦闘バカだ。このダンジョンは主の意向を反映して実に平和だが、もしもうっかり何らかの戦闘スイッチが入ったら、マリアが一人で大暴れしそうで不安になる悠利なのである。

 そんなマリアのことを考えて、悠利は魔法鞄マジックバッグになっている学生鞄に視線を落とした。そこには秘密兵器が入っている。


「まぁ、トマトジュースいっぱい持ってきたし、最悪の場合はルーちゃんにマリアさんの口に突っ込んでもらおう……」

「キュピ?キュイキュイ!」

「ルーちゃん、いざってときは頼むね……!マリアさんを暴走させるわけにはいかないから!」

「キュ!」


 自分の名前が出たので戻ってきたルークスは、悠利のお願いに力強く頷いた。そんな愛らしい主従の必死な姿に、マリアは困ったように頬に手を当てながら「失礼ねぇ~」と笑っていた。全然困ってない顔だ。

 ダンピールのマリアは、血の気の多さをトマトジュースで抑えることが出来るという不思議な体質をしていた。なので、いざというときにはトマトジュースを口に注ぎ込むことで大人しくさせる作戦なのだ。

 無駄に自信満々なリディにエトルが色々と注意をしている。苦しげに胃を押さえるリヒトをアロールが支え、自分が爆弾の自覚があるのかないのか楽しそうなマリア。本日の同行者を確認して、何でこんなことになったんだろうと、昨日のことを思い出す悠利だった。




「と、いうわけで、リディが明日、どうしても収穫の箱庭に行きたいって言うんです」


 どうしましょう、と悠利がお伺いを立てたのはアリーだ。基本的に、悠利が予定にない行動を取るときは、全てアリーに確認してからなのだ。特に、普段の行動範囲から外れる外部に行くときは。

 リディが駄々をこねた理由はただ一つ。

 自分の大切な友人である悠利に、自分以外の友人がいることを知ったので、そいつに会わせろということだ。どっちが友人として上かを確かめてやる!みたいな変な気合いが入っていた。そして、気合いが入りすぎたリディは、大人達の制止の言葉を右から左に聞き流したのだ。安定の若様。

 しかし、ここで困ったことが起きた。

 リディの護衛役のクレストと世話役のフィーアが、同行することが出来ないのだ。彼らには仕事があり、会う約束をした相手がいるのだという。そもそも、リディを含めて仕事で王都にやって来ているのだが、若様にその自覚はなかった。

 百歩譲って先方に会いに行くのは大人だけで対処するとしても、リディと共に収穫の箱庭に赴くのがエトルだけになってしまう。そうなると、若様の護衛や引率という意味合いで人手が明らかに足りないのだ。

 悠利とルークスとリディとエトル。現時点で決定しているのはこのメンバーで、護衛役としての仕事を果たせるのはルークスのみだ。しかし、子供ばかりで向かわせると何が起こるか解らないという意味では、ルークスはまったく役に立たない。

 そもそもルークスは悠利至上主義なので、悠利がオッケーを出したら細かいことは気にしないのだ。ブレーキとか見張りという意味では、ちっともお役に立ちません。担当が違いすぎる。


「……保護者は不参加なんだな」

「……そうなんです」

「ちょっと待て。うちも、明日動ける指導係はいない……」

「わぁ……」


 唸るアリーに、悠利は遠い目をした。引率者がいないという絶体絶命のピンチである。

 悠利だけならば、最近は慣れてきたのもあって、戦闘能力のある訓練生達とでも問題はない。しかし、若様を連れ歩くのに大人がいないのは少々問題がある。

 そこで、悠利はハッとした。訓練生にも大人はいる。それも頼れる大人が二人も。


「リヒトさんかヤクモさんはどうですか!?」

「ヤクモは仕事が入ってたはずだ。リヒトは……、……予定はないだろうが、……確実に胃を痛めるぞ」

「……うぐ」


 ぼそりとアリーが付け加えた一言に、悠利も言葉に詰まった。真面目で繊細なリヒトお兄さんの胃がヤバいというのは、確かに解る。不安しか存在しないパーティー編成なので。

 それでも、とりあえず聞いてみるかということで、悠利とアリーはリビングに向かった。くつろいでいるリヒトに話を持ちかけたところ、彼は真っ青になった後に、こう叫んだ。


「せめてアロールを同行させてほしい!」

「何でそこで僕を巻き込もうとするの!?」


 たまたまリビングにいたアロールは、名指しで指名されて思わず叫んだ。十歳児の僕っ娘アロール、渾身の絶叫である。何でそんな面倒くさいことに巻き込まれないといけないんだ、と言いたげだ。気持ちは解る。

 しかし、リヒトにはリヒトなりの言い分があった。割と切実な。


「アロールはしっかりしてるし、何より、あの子の言葉が解るだろう?」

「……は?」

「喋れるようになったとはいえ、まだ感情が高ぶると猫語に戻るじゃないか。そのあの子の言いたいことをちゃんと理解できるアロールがいてくれたら、まだ、希望はある!」

「……リヒトさん、そんな絶望の塊を相手にするみたいな言い方を……」


 どれだけ不安要素に思われてるんだろう、と悠利は思った。見習い組と一緒に庭で楽しく遊んでいるだろうリディは、自分がこんな扱いを受けているとは思わないはずだ。

 しかし、リヒトの言葉はアロールに響いたらしい。言いたいことは解ると言いたげな顔をしている。

 しばらく真剣に唸って考え込んでいたアロールだが、やがて諦めたように口を開く。


「まぁ、一度ダンジョンマスターに会ってみたかったのもあるし、特に明日は予定もないから、同行しても良いけど」

「ありがとう、アロール!本当にすまない。今度何か奢るからな」

「別にリヒトに奢られる理由はないよ。ユーリに奢らせるから」

「僕なの!?」

「元凶はユーリだろ」

「……うっ」


 アロールの言葉を、悠利は否定できなかった。悠利が食事の席でダンジョンマスターの話題を出さなければ、リディが食いつくこともなかったのだ。若様の我が儘が原因ではあるが、そもそもの発端は悠利の雑談で間違いはない。

 そんな3人のコントめいたやりとりを見ていたアリーが、リヒトとアロールの肩を叩いて口を開く。


「お前らには世話をかけるが、こいつ含めて見張りを頼む」

「解った」

「任された」

「待ってください、アリーさん。何故、僕まで含むんですか!?」


 濡れ衣ですと悠利が声を上げるのに対して、アリーは面倒くさそうな顔で一言告げた。一刀両断だった。


「いつもと違う状況になったときに、お前がやらかす確率の高さを思い出せ」

「……や、やらかしてないです」

「言い方を変える。面倒事を引き寄せた回数を思い出せ」

「……うぅ」


 当人に悪気がなかろうが何だろうが、トラブルをうっかり引っ張り寄せているのは事実なので反論が出来なかった。それでも、別にわざとじゃないもんとぼやく悠利。わざとじゃないからこそ、対策が取れなくて皆が困っているのだが。

 何はともあれ、引率者と通訳を確保することが出来た。リヒトとアロールには迷惑をかけるだろうけれど、何とか穏便にリディをダンジョンマスターに会わせて帰ろうと思う悠利だった。




 そんな経緯で本日のメンバーが決定したのだが、悠利は自分にくっついているマリアを見て、盛大にため息をついた。


「マリアさんは予定メンバーに入ってなかったんですよ……?」

「あらぁ、だって、護衛役がリヒト一人だなんて、大変そうじゃない~」

「マリアさんに護衛が出来るんですか?」

「大丈夫よ~。このダンジョン、弱い魔物しかいないし、戦闘にならないし、私をわくわくさせる相手がいないから、冷静なままよ」

「……ワー、頼モシイナー」


 遠い目をして片言で呟く悠利に、マリアはやっぱり楽しそうに笑っている。暇つぶしなのかなーと思うことにした悠利だった。

 そう、マリアが同行する予定は、なかったのだ。けれど、悠利達が出掛けると聞いた彼女は、ちょうど休みだからと同行を申し出たのだ。

 ちなみに、リヒトとアロールは物凄く嫌そうな顔をした。彼らにとって、マリアは制御不可能な爆弾だ。核弾頭みたいなものかもしれない。ただでさえ不安要素たっぷりのメンバー-なのに、そこに追加要素で爆弾は欲しくなかったのだ。

 けれど、マリアの言う「護衛役が務まる戦闘力の持ち主が少ないじゃないの?」という意見を、否定することは出来なかった。ルークスとナージャという従魔コンビがいるとはいえ、彼らはあくまで従魔だ。判断を下せる人間という意味での戦闘担当はリヒトのみなのだから。

 結局、行き先がマリアを本気にさせる相手がいないダンジョンであることで、彼女の同行は認められることになった。本人も今日は戦闘をするつもりはないらしく、何かあったときの警戒要員ぐらいのつもりらしい。

 ……それで終わってくれれば良いなと思う悠利達だった。


「ゆーり、はやくいこう!」

「あー、うん。そうだね。あの子も待ってるだろうから、行こうか」


 ダンジョンの入り口でのわくわくを満喫したらしいリディが、悠利の腕を引っ張りにくる。行こう行こうと楽しそうな顔を見ていると、思わず悠利も笑みを浮かべる。子猫の笑顔は可愛い。とても可愛い。

 先頭を歩くのは悠利で、リディと手を繋いでいる。エトルはそのリディのすぐ後ろを歩き、アロールがエトルに並んで歩く。そして、最後尾をマリアとリヒトが固める形だ。

 悠利の足下をルークスがぽよんぽよんと跳ねながら進んでいるので、厳密に言えば最前列はルークスになるだろう。何度も足を運んだダンジョンなので、ルークスも慣れたものだった。


「ダンジョンの見学は挨拶の後にしようね」

「わかった」

「ここを真っ直ぐ行くとあの子の部屋に行けるんだよ」

「たのしみだ!」


 にぱっと笑うリディ。しかし、その笑顔には何やら燃えるものが含まれていた。待っていろライバル、みたいな感じだ。

 若様の思考が手に取るように解るのか、エトルが小さく息を吐き出した。まったくもう、と呟く姿は哀愁が漂っている。それと同時に、どこか慣れていた。いつものことなのかもしれない。


「君も、大変なんだな」

「え?」

「自由人な若様に振り回されて」

「……あー、はい。でもまぁ、これが僕の、お役目なので」


 労るようなアロールの言葉に、エトルは困ったように笑った。若様のご学友。それがエトルの役割だ。我が儘放題で自由奔放な若様と一緒にお勉強をする立場。将来的には、若様の側近になるのがエトルのお役目だ。

 だからエトルは、リディに苦言を呈する。リディが間違えたときは、遠慮なくツッコミを入れる。それが許される立場が、ご学友なのだ。気苦労も多いが、同時に一番近しい場所にいるのも事実だった。

 もっとも、リディにとってエトルは、いつも一緒の友達という感覚なのだろう。ご学友とか、未来の側近とか、そういう難しいことは後回しにしているような雰囲気がリディにはある。若様はまだまだ遊びたい盛りのお子様なのだ。


「ゆーり、あのたからばこは?」

「アレはね、何が出るか解らない不思議な箱だよ。このダンジョンで手に入るものが入ってるんだけど、開けてみないと中身が何か解らないんだよ」

「あけていいの!?」

「開けても大丈夫だよ」

「あける!」


 解りやすいデザインの宝箱なので、露骨にリディの興味を引いたらしい。悠利に許可を貰った子猫は、喜び勇んで宝箱に飛びついて、小さな手で一生懸命に蓋を開けた。

 そして――。


「……ぴーまん?」

「うーんと、赤やオレンジだから、パプリカかな。美味しそうだね」

「……なぜ、やさい……」


 開けたらお宝が出てくると思っていた若様のテンションは、物凄く下がった。反対に悠利は、立派なパプリカにうきうきしている。大ぶりで艶々したパプリカが五つほど入っていたので、学生鞄にそっとしまい込む。

 思ったのと違うと言いたげにしょんぼりしているリディは、友達としてルークスが慰めていた。ここはそういうダンジョンなんだよと言いたげに。

 そう、ここはそういうダンジョンです。出てくるのは主に食材です。解りやすい伝説のアイテムとか凄い鉱石とかレア武器とかは出てこないのです。

 そんな一幕もありつつ、一行はダンジョンコアのある部屋へと辿り着いた。ダンジョンの心臓部とも言うべき場所だ。ちなみに、本来なら少し前の宝箱が置いてある部屋の辺りから、門番みたいな魔物がいるはずである。でも悠利がその魔物に出会ったことはない。悠利達が来るのに気づいたら、そういう物騒なものは遠ざけてくれているのだ。お友達なので。

 初めてダンジョンコアを見たアロールは、言葉には出さないが随分と感動しているようだった。リディとエトルも、大きなダンジョンコアを見て興奮している。そんな子猫達を横目に、悠利はのんびりと虚空に向けて声をかけた。


「遊びに来たよー」


 実に能天気な呼びかけだった。そして、その呼びかけに答えるようにふわりと小さな影が空中に現れる。


「イラッシャイ」

「大勢でお邪魔してごめんねー」

「大丈夫ダヨ」


 ふよふよと空中に浮かんでいるのは、このダンジョンのダンジョンマスターだ。雨合羽を着た子供のような、小さな隠者のような雰囲気をしている。フードと前髪の影になっていて目元は見えないのだが、小さな口元は楽しそうに笑っていた。

 悠利とハイタッチをして再会を喜んでいたダンジョンマスターは、本日の同行者を見て首を傾げた。見知らぬ相手がいっぱいだ。

 けれど、その視線がリヒトに固定された瞬間、ぱぁっと誰の目から見ても解りやすいほどにその空気が晴れやかになった。端的に言えば、喜んでいる。


「オ兄サン、来テクレタノ?」

「……は?」

「オ兄サン、久シブリ!会エテ嬉シイ!」


 イラッシャイ、とにこにこしているダンジョンマスターに、リヒトは意味が解らずに混乱していた。確かに顔見知りではあるが、何故ここまで熱烈歓迎されるのかが彼にはさっぱり解らないのだ。

 何度か足を運んだことはある。けれど、こんな風に懐かれる理由がリヒトには解らない。しかし、ダンジョンマスターはてれてれしながらリヒトの前にふわふわと浮いている。


「あ-、あのですね、リヒトさん」

「何だ、ユーリ」

「この子、どうもリヒトさんのことが大好きみたいで」

「……何故!?」


 本気で理解できないと言いたげなリヒトに、悠利も首を傾げている。理由は悠利も解らない。解るのは当人だけだろう。

 なので、悠利達はじっとダンジョンマスターを見つめた。視線を受けたダンジョンマスターは、不思議そうに小首を傾げた後に、にぱっと笑って答えた。幸せそうに。


「オ兄サン、優シイカラ!」

「……そっか。ありがとう」

「ウン」


 リヒトに頭を撫でられて、ダンジョンマスターは嬉しそうだった。親戚のお兄さんに懐いている幼児みたいな構図だ。

 その光景を見て、アロールがぼそりと呟いた。


「リヒトって、子供とか年寄りに好かれるよね」

「同年代にも慕われるわよ~?」

「でも、圧倒的に子供に好かれる」

「アロールも懐いてるものねぇ」

「……信頼に値する大人かどうかってだけだよ」

「あらあら、素直じゃないわぁ」


 うふふと楽しげに笑うマリアに、アロールは面倒くさそうに視線を逸らした。マリアもそれ以上は何も言わなかった。十歳児は複雑なお年頃なのです。

 盛り上がっている一同を大人しく黙って見ていたリディが、ダンと強く強く地面を踏んだ。それまで一生懸命に若様を宥めていたエトルが、諦めたようにため息をついている。一応、お話が一段落するまで耐えたので、若様にしては頑張った方である。


「ゆーり、こいつが、ともだちなのか?」

「あ、うん、そうだよ、リディ。このダンジョンのダンジョンマスターくん」

「……誰?」


 悠利の足にくっついて問いかけているリディを、ダンジョンマスターは不思議そうに見下ろしている。見慣れない相手、それもワーキャットなので、この子猫さんだあれ状態なのだろう。

 リディは、そんなダンジョンマスターに胸を張る。自信満々のドヤ顔で、若様は言い放った。


「ぼくは、ゆーりのともだちだ!」


 えっへんという雰囲気の若様に、エトルは面倒くさそうに視線を明後日の方向に逸らしていた。それ以外の面々は、微笑ましそうに若様を見ている。お子様可愛いなーという感じで。

 仲良しをアピールするために悠利の足にくっついているリディを、ダンジョンマスターは見ている。きょとんとしていたその顔が、ぱぁっと笑顔になる。

 ライバルがいきなり笑顔になったので、意味が解らずに眉を寄せるリディ。そんなリディに向けて、ダンジョンマスターは顔を輝かせて声をかけた。わざわざリディと目線を合わせるために地面に降りたって、だ。


「ジャア、僕トモオ友達ニナッテクレル?」

「……え?」

「友達ノ友達ハ友達ダッテ、前ニ聞イタヨ?」


 うきうきしているダンジョンマスターの言葉に、リディは助けを求めるように悠利を見た。何でこいつこんなこと言ってるの?と言いたいのだろう。リディはただ、どちらが友人として上かを教えたかっただけなのだ。それなのに、何故か突然距離を詰められて、混乱している。

 リディの困惑も、ダンジョンマスターの言い分も理解できた悠利が、楽しそうに笑いながら二人の頭を撫でた。


「そうだね。二人が友達になってくれたら、僕も嬉しいなぁ。皆で仲良く出来るしね」

「……ダヨネ」

「……ッ、……むぅ」


 悠利とダンジョンマスタがーにこにこと笑い合っているのを見て、リディは小さく唸った。悠利は自分の大事な友達で、一番の友達は自分だと思っている子猫の若様は、ライバルと仲良くする悠利の姿には色々と思うところがあるのだ。

 けれど同時に、悠利を困らせるのも悲しませるのも嫌だった。むしろ喜ばせたいと思っている。なので、しばらく考えた末に、口を開いた。


「しかたないな。どうしてもというなら、ともだちに、なってやる」

「……若様」


 何でそんな言い方しか出来ないんですか、というエトルのツッコミを、リディは右から左に聞き流した。普通に考えて、こんな偉そうにされたら反発を抱かれるだけだ。

 けれど、相手は普通の存在ではなかった。


「本当!?嬉シイ!オ友達、マタ増エタ!」


 ぎゅうっとリディの手を強く握った後、ダンジョンマスターはその場でくるくると回り始めた。自分の手を握ったときの力の強さと、目の前で楽しそうに回る姿に、リディはきょとんとする。

 友達が出来たことをこんなに喜ぶなんて、とは思わない。若様にも気持ちは解るのだ。友達を作るのは難しい。とてもとても、難しい。普通じゃない立場の彼らには、普通の友達を作るのはとても難しい。

 だから、リディは大喜びするダンジョンマスターを拒絶しなかった。その代わりのように、おいと声をかける。


「ナァニ?」

「なまえは?ぼくは、リディ」

「「……名前?」」


 友達なら名前で呼ぶのが当然だろうと言いたげなリディの態度に、ダンジョンマスターだけでなく、悠利まで首を傾げた。二人の反応に、リディはえ?という顔をする。

 そこで悠利は、ハッとしたように叫んだ。


「そういえば、僕、君の名前知らない!」

「なんで!?」


 ダンジョンマスターを見て叫んだ悠利に、ツッコミを入れたのはリディだった。当のダンジョンマスターは、首を傾げるだけだ。リディは悠利の足をぺしぺしと叩いて、なんでだよとツッコミを入れている。友達なのに名前を知らないなんて、不自然だという訴えだ。

 そんな二人を見て、ダンジョンマスターは口を開いた。


「僕ノ名前……。エーット、僕ハ、収穫ノ箱庭ノダンジョンマスターダヨ」

「それは、なまえじゃ、ない!」

「エ?」

「なまえじゃにゃーい!!


 興奮のあまり語尾が猫語に戻ってしまう若様。にゃうにゃうと何かを言っているが、猫語なので悠利達には解らない。通訳を求めようとした瞬間、自主的に通訳が動いた。アロールだ。


「ダンジョンマスターは役職名だから、個人名じゃないだろうって怒ってるよ。彼が若様と呼ばれるように、エトルが学友と呼ばれるみたいなものだろう、と」

「……ソウ、ナノ?」

「この子は、君の個体名を知りたがってるんだと思うけど」

「…………」


 アロールの言葉に、ダンジョンマスターは俯いた。感情が高ぶって猫語でにゃーにゃー言っているリディは気付いていないが、俯いたダンジョンマスターの身体は小さく震えていた。しょんぼりしていた。

 悠利が見かねてどうしたのと問いかければ、ダンジョンマスターは頭を上げて、そして、困ったように呟いた。


「僕、他ニオ名前、ナイノ」

「え……?」

「ナイノ」


 きょとんとする悠利と、同じようにきょとんとしているリディ。エトルもだ。けれど、アロールとリヒトとマリアは、何も言わなかった。彼らは、ダンジョンマスターの答えを理解していたのだ。

 少しして、意味の解っていない悠利達に、アロールは説明をしてくれた。


「ダンジョンマスターも魔物の一種だからね。名前持ちネームドでないかぎり、個体名を持たないんだよ」

「あ……」

「なまえが、ない……?」

「そもそも、彼はここのダンジョンマスターだ。他者と認識が被ることがないし、個体名がなくても苦労はしなかったんだよ」


 アロールの説明に、悠利はなるほどと呟いた。悠利の足下でルークスがぽよんと跳ねる。愛らしいスライムだが彼は名前持ちネームドという規格外だ。でも、それは珍しいことだと悠利は以前説明を受けている。

 納得しなかったのは若様だ。むぅむぅと唸っていた子猫は、びしっとダンジョンマスターに指を突きつけて叫んだ。


「わかった!なら、ぼくがなまえをつけてやる!」

「若様!?」

「リディ?」

「え……?」


 いきなり何を言い出すのかと声を荒げるエトルを、リディは綺麗さっぱり無視していた。悠利もリディの考えが解らずにきょとんとしている。そして、ダンジョンマスターも混乱している。

 けれど、一番立ち直るのが早かったのは、ダンジョンマスターだった。リディをじっと見つめて、問いかける。


「良イノ?」

「ともだちに、なまえがないのは、ふべんだ」


 それだけで、それ以上の理由はないのだと言いたげな態度。けれど、リディが彼なりにダンジョンマスターを思っているのは誰の目にも明らかだった。言動は偉そうだが、若様は若様なりに一生懸命なのだ。

 悠利はちらっとアロールを見た。大丈夫なの?という確認だ。魔物に名前を付けるのは魔物使いの領分ではないかと思ったので。

 そんな悠利に、アロールは少し考えてから小さく頷いた。大丈夫、と声に出さずに返事をする。アロールがそう言うならと、悠利はちびっ子達のやりとりを見守ることにした。


「きょうから、おまえは、まぎさ、だ」

「マギサ?」

「そうだ。ゆーり、ゆーりもちゃんと、そうよぶんだぞ!」

「うん、解ったよ、リディ。……良い名前を貰ったね、マギサ」

「……マギサ……。僕ノオ名前……」


 リディと悠利に呼ばれて、ダンジョンマスターは嬉しそうに、はにかんだように口元を緩めた。自分に名前が与えられて、それをお友達が呼んでくれるという状況は、彼にとって何よりも得難い幸福なのだった。




 そんなこんなで、新しい友人関係が出来上がり、ダンジョンマスターは自分だけの名前を手に入れるのでした。可愛いと仲良しは正義。




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