若様にゃんこと鮭のお土産、再び


「ゆーり!」

「うわぁ……っ!?」


 呼び鈴が鳴ってドアを開けた瞬間、小さな何かに腹部に突撃されて、悠利ゆうりは思わずよろめいた。ととっとたたらを踏んだ悠利の背中を、たまたま近くを通りかかったリヒトがそっと支えてくれる。


「リヒトさん、ありがとうございます」

「いや。怪我はないか?」

「大丈夫です」


 大柄なリヒトは、倒れそうになった悠利を片手で支えてくれた。ついでに、悠利に突撃してきた小さな影の勢いに負けてもいない。ただ、不思議そうに悠利の足下、というか腹の辺りへと視線を向ける。

 そこには、ぐりぐりと悠利の腹に顔を押し付けている、小さな二足歩行の猫がいた。今日もバッチリ決まった上質な衣装を身につけているが、行動は完全に幼児のそれである。


「……ユーリ、もしかしてこの子は、あのときの」

「正解です、リヒトさん。あのとき迷子として冒険者ギルドに連れて行った、ワーキャットの若様です」


 悠利の説明に、リヒトはなるほどと言いたげに小さな猫を見下ろした。親を見つけた子供というか、遊び相手を見つけた子供そのものな行動を取っている小さな若様。

 リヒトはそれほど深い付き合いではないが、以前土産持参で遊びに来たことも知っている。なので、彼がここにいるのは別に気にしない。そういえば今日、遊びに来ると言っていたな、と記憶を探った程度だ。

 ただし、気になることは一つあった。リヒトは正直に、その疑問を口にする。


「……早くないか?」

「……早いです」


 来訪予定時刻より明らかに時間が早い気がしてリヒトが呟けば、悠利が遠い目をして答えた。やっぱりそうなのか、とリヒトがこぼす。悠利が子猫の存在に驚いていたようなので、妙だと思ったのだ。

 そう、本日この子猫、もとい、ロイヤルワーキャットという種族であり、ワーキャット達の集落の若様である存在が遊びに来るのは、予定されていることだ。問題は、何故か彼の来訪時刻が明らかに本来の予定よりも早いことである。

 何故こうなっているのか、悠利にはさっぱり解らない。いや、一部意味は解っている。この若様は悠利が大好きなのだ。

 なので――。


「若様!あれほど予定時刻はまだだと申し上げましたのに、勝手に出歩かれるとは何事ですか!」

「若!お一人で移動されては危ないと、いつも口を酸っぱくして申し上げているでしょう!」

「若様……!ご迷惑だから大人しく待っていてくださいと、言ったでしょうが!」


 目くじらを立てた保護者が3人、慌てたように走ってきた。

 そのあまりの剣幕に、悠利はわぁと思わず呟いた。背後から聞こえた明らかに自分を咎める声に、若様は面倒臭そうににゃぁと鳴いた。

 けれど、それでも悠利の腹に顔を埋めて抱きつくのは止めない。割と根性が座っている若様だった。

 駆けてきたのは、子猫な若様の世話係である黒猫の女性フィーアに、護衛役を務める茶猫の青年クレスト。そして、若様の学友である赤猫の少年エトルだ。以前と同じメンバーなので、悠利とも顔見知りだ。

 お説教を始める保護者達を、若様は面倒臭そうな顔で見ている。金茶色の毛並みにアイスブルーの瞳という、それはもう極上の見た目をしているのだが、表情はふてぶてしい。

 そんな彼はシャツにズボンに長靴という安定のスタイルなので、悠利には何度見てもとあるお話の主人公にしか見えなかったりするが。長靴と喋る猫なので。


「若様、聞いてるんですか!」

「えとる、うるさい」

「煩いじゃありません!まったくもう!ユーリさんにご迷惑ですから、さっさと離れてください!」

「やだ!」

「リディ……」


 引っぺがそうとするエトルに、若様にゃんこリディは全力で抵抗していた。ぎゅうっと悠利の腹にしがみついたままだ。身動きが取れない悠利が困っている隣では、リヒトとフィーアとクレストが挨拶を交わしていた。

 この3人は、リディが迷子になったときに顔を合わせているので初対面ではない。その節は大変お世話になりましたという感じの会話を交わす大人組の足下では、エトルとリディの攻防戦が繰り広げられていた。なお、リディに折れる気配は皆無だ。

 そんな中、リヒトがぽつりと呟いた。


「その子猫、喋れるようになったのか?」

「え?」

「今、普通に喋ってなかったか?俺が会ったときは猫語だったと思うが」

「……はっ、そういえばさっきリディ、僕の名前呼んでた!?」


 指摘されて初めて気付いた悠利が、驚いたように自分にしがみつくリディを見下ろした。愛らしい容姿にふてぶてしい態度を備えた若様は、薄情者な友人を見上げて舌っ足らずな口調で告げた。


「ゆーり、おそい」

「リディ、喋れるようになったんだ!練習したの!?」

「つぎは、ちゃんとしゃべれるようにって、ゆーりがいったから」


 がんばった、とえっへんと胸を張るリディ。

 愛らしい子猫が自信満々のドヤ顔をする姿は、途方もなく愛らしい。しかも、それが自分とお喋りがしたいから頑張ったのだと解っているので、悠利の感動はひとしおだ。ぎゅうぎゅうとリディを抱き締めて、偉いよと褒めている。

 そんな悠利にまんざらでもない顔をするリディ。主の態度に、エトルは面倒臭そうにツッコミを口にした。


「そもそも、今まで喋れなかったのが若様の怠慢なんですが」

「えとる!」

「今も発音が怪しいですし、まだまだ練習が必要だと思いますけど」

「えとるは、いつも、うるさい!」


 容赦のないツッコミを入れる学友に、リディは不機嫌そうに喚く。怒っている声が途中からにゃーにゃー言い出す程度には、感情が乱れていた。まだ完全に人の言葉を話せるようにはなっていないらしい。

 確かにリディの言葉は舌っ足らずだし、幼児の拙い言葉のようにしか聞こえない。けれどそれでも、悠利にしてみれば感激だった。リディが自分で喋れるならば、今までのように通訳を介する必要がないのだから。

 子猫が言い合いをするのを困った顔で見ている悠利の前で、クレストとフィーアの二人が深々と頭を下げた。うちの若様が毎度毎度すみませんと言いたげに。

 けれど悠利にしてみれば可愛い友達が遊びに来てくれただけなので、何も気にしていない。だから、いつも通りのほんわかした口調でお目付役の2人に言葉をかける。


「クレストさんもフィーアさんも、お久しぶりです。お元気でしたか?」

「はい。ユーリ殿のおかげで、若様が勉強にやる気を出してくださって、大変感謝しております」

「……まぁ、その代わりと言うように、遊びに行かせろということになったのですが……。本日も、お世話になります」

「いいえ。僕もこうして会えて嬉しいです。直に話せるとは思っていなかったので、尚更」


 にこにこと笑う悠利に、クレストとフィーアは「それも貴方のおかげです」と答えた。

 友達の悠利に言われたから、面倒くさがりで遊びたい盛りの若様がお勉強を頑張ったのだ。それまで誰が何を言っても言葉を覚えようとしなかったリディなので、里の皆は感謝しているのである。

 そんな悠利に、クレストはすっと何かの入った包みを差し出した。大きい。悠利が両手を広げたぐらいのサイズだ。


「……えーっと、クレストさん、こちらは?」

「前回と同じもので恐縮ですが、お土産です。……若様が、持っていくのだと言い張られて」

「あの立派な塩鮭ですか?わぁ、ありがとうございます!」


 申し訳なさそうに差し出されたそれが何かを理解した瞬間、悠利は顔を輝かせた。困惑しているクレストとフィーアだが、悠利は本気で喜んでいた。そして、そんな悠利の反応に、悠利の腹に抱きついたままのリディが、ふふんと満足そうに笑う。ほら見ろ、行ったとおりじゃないかとでも言いたげに。

 クレストが差し出したのは、ワーキャット達の里の近くの川で取れる立派な鮭だ。三枚に下ろした塩鮭で、前回もお土産に貰っている。悠利は塩鮭が好きなので、とても喜んでいた。何しろ、とてもとても立派な鮭なので、この辺りで買うことは出来ないのだから。

 悠利が両手を広げたぐらいの大きさなのだから、その大きさは凄まじい。脂がのっており、塩味も良い感じな塩鮭なのである。《真紅の山猫スカーレット・リンクス》は人数が多いので、切り身にして提供しようと思うと大量に必要になる。なので、悠利は大喜びなのだ。

 前回に引き続き同じお土産なのに、同じように大喜びする悠利。リヒトは困惑している大人2人に対して、頭を振った。そういう子なんですよとでも言いたげだ。間違ってない。


「それじゃあ、今日のお昼ご飯はこれを使わせてもらいますね!」

「あ、はい……」

「喜んでいただけて、何よりです……」


 大はしゃぎする悠利の反応に、クレストとフィーアはどう返事をして良いのか解らないと言いたげな顔をしていた。そんな二人に気づいていない悠利は、立派な塩鮭に大興奮だった。物凄く喜んでいる。

 悠利の反応を見て、リディはふふんと鼻を鳴らしていた。自分が言ったとおりじゃないか、と。やっぱり友人として、自分が一番悠利のことを解っているのだと。ドヤ顔の子猫の思考はそんな感じだった。

 それが手に取るように解るので、エトルは放っておくとどこまでも調子に乗る若様の頭を軽く叩いた。いい加減にしてください、という意思表示も込めて。


「えとる、なにするんだ!」

「若様はもう少し色々と反省をしてください。お土産が喜んでもらえたのは結構ですが、予定より随分早く押しかけるなんて、迷惑以外の何でもないです」

「めいわくじゃない!」

「迷惑に決まってるでしょう!ユーリさんにも事情があるんですよ!」


 口喧嘩を始める子猫2人に、大人3人はおやおやという顔をしている。クレストとフィーアにしてみれば、考え無しの若様にエトルがツッコミを入れるのは日常なので慣れているのだ。リヒトは、普段から騒々しい《真紅の山猫スカーレット・リンクス》で色々と揉まれているので、子猫の口喧嘩ぐらいでは動じない。

 そして、悠利は喧嘩の内容に自分が関わっているという事実にまったく気付かず、何を作ろうかなとうきうきしていた。立派な塩鮭を美味しく食べてもらうにはどうしたら良いだろうか、みたいなことしか考えていない。安定の悠利。

 収拾が付かなくなっているその場に救世主として現れたのは、カミールだった。本日の食事当番である。


「ユーリ、昼飯何にす、……ってチビ猫?何でもういるんだよ」

「あ、カミール。課題終わったの?」

「おう。お待たせ。で、何でチビがいるんだ?」

「予定より早く出てきちゃったみたい」

「相変わらずだなぁ、チビ」


 エトルと言い争いをしているリディの頭を、カミールは面白そうにぽんぽんと撫でた。リディは顔見知りの相手が出てきたことに顔を輝かせたが、何度も何度もチビと呼ばれるので、ムッとしたように口を開く。


「りでぃ」

「ん?」

「ぼくのなまえは、りでぃ。ちびじゃない」

「あぁ、そういうことか。悪い悪い、元気そうだな、リディ」


 名前を呼ばれてご満悦の若様と、子猫を可愛がっているカミール。……次の瞬間、カミールがハッとしたように悠利を振り返った。


「ユーリ、今こいつ、喋った?」

「うん。喋れるようになったんだって」

「マジかー!これならアロールがいなくても話が出来るなー!」


 頑張ったじゃないかと褒められて、リディはまんざらでも無さそうだった。ふふん、もっと褒めて良いんだぞ、みたいな顔をしている。若様は調子に乗りやすいのが特徴なのです。

 エトルが呆れているが、それもまたいつものことらしく、クレストとフィーアは普通の顔だった。若様の日常がよく解る光景だ。


「で、昼飯どうすんだ、ユーリ」

「お土産に大きな塩鮭貰ったから、これを活用しようかなと思ってる」

「了解。そんじゃ、準備するか」

「うん」


 悠利とカミールの間で話はトントン拍子に進む。その会話を聞いていたリディが、ぱぁっと顔を輝かせた。本当!?みたいな感じで実に嬉しそうだ。自分が持ってきたお土産が美味しいご飯に化けるのを、楽しみにしている顔だった。

 二人が塩鮭を持ったまま移動するのを、リディは小さな足で追いかけた。若様が追いかけるので、エトルも追いかける。そうなると、クレストとフィーアも追いかけることになる。昔話にでも出てきそうな光景に、リヒトは苦笑しながら一同を見送っていた。

 作業をしようと台所スペースに足を踏み入れようとした悠利は、駆け足で近付いてきた小さな影がいることに気付いた。


「リディ、どうかしたの?」

「てつだう」

「え?」

「てつだう!」


 任せろと言いたげな顔をするリディに、悠利はきょとんとした。エトルが隣で、「若様に手伝えることなんてないと思うんですけど」とツッコミを入れているが、リディの耳には届いていなかった。お友達のお手伝いをしたくてたまらないのだろう。

 少し考えた悠利は、笑顔でリディに言葉をかけた。


「それじゃ、今からこの塩鮭を焼くから、焼けたら解すの手伝ってね」

「まかせろ!」

「それまでは、そこの椅子に座って待っててくれると嬉しいな」

「わかった!」


 子猫は元気よく返事をして、悠利に示されたカウンター席へとぴょこんと飛び乗った。楽しげに身体を揺らしながら、悠利とカミールが準備するのを見ている。本当に楽しそうだ。尻尾がゆらゆららと揺れている。

 マイペースな若様にため息をつきながら、エトルも同じようにカウンター席に座った。目を離すと何をやらかすか解らないとでも思ったのだろう。彼の日常はそんな感じだ。頑張って生きてほしい。


「カミール、塩鮭、グリルに入る大きさに切ってくれる?」

「了解ー」

「僕は味噌汁の具材を切るから」


 カミールに塩鮭を預けると、悠利は冷蔵庫から様々な食材を取り出して切り始める。具だくさん味噌汁を作る予定なので、とりあえず野菜を切らねばならないのだ。

 塩鮭を適当な大きさに切り分けたカミールは、そのままグリルに塩鮭を放り込んで焼き始める。それが終わると、悠利の隣で野菜を切る作業に入る。2人がかりならば、それほど苦でもない。

 何せ、今日はお客さんが来ているが、昼食を食べる面々の数も少ないからだ。客人は大人が2人に子供が2人。《真紅の山猫スカーレット・リンクス》側も、大人2人と子供2人なのである。つまり、悠利とカミールとリヒトに、自室で書類作業中のアリーだ。

 なので、メニューに文句を言うような人もいなければ、バカみたいに食べる人もいないという、実に平和な日だった。遊び相手が少ないのでリディが若干気にするかと思ったが、若様は悠利がいるだけで満足らしく、今のところ不満の声は出ていない。


「で、塩鮭と味噌汁だけなのか?」

「具だくさん味噌汁と、親子丼の予定」

「親子丼?……肉も玉子も用意してないのに?」


 悠利の答えに、カミールは不思議そうに首を傾げた。親子丼が何であるのかをカミールは知っている。アジトでよく食べるのは他人丼だが、肉と玉子が親子関係にあるものを親子丼と呼ぶのだというのは悠利から聞いているのだ。だから、彼の疑問ももっともだった。

 そんなカミールに対して、悠利はにっこりと笑った。彼の固定観念を打ち壊すように。


「親と子の具材を使うなら、それは全て親子丼です」

「……んん?」

「ロカの街で買ってきてあるんだよね~。苦手な人は塩鮭だけにするけど」


 カミール食べられたっけ?と悠利が問いかければ、カミールはハッとした顔になる。そして、視線を冷蔵庫に向けた。そこに眠る赤い物体を、彼は確かに知っている。


「いくらか!」

「正解ー。鮭といくらで親子丼です」

「それも親子丼になるのかよ……!」


 衝撃の事実とでも言いたげなカミール。唸っている彼をさらっと流した悠利は、グリルの塩鮭が焼き上がったのを確認する。そして、塩鮭を大皿に盛りつけると、それを持って食堂スペースへと移動した。

 そわそわと悠利の背中を見ているリディと、飛び降りそうなリディの肩を押さえているエトル。クレストとフィーアは少し離れた場所で子猫2人を見守っていた。

 ほかほかと湯気の出ている塩鮭の入った大皿をテーブルの上に置くと、悠利は台所スペースに戻ってボウルを幾つかと手袋を手に戻る。そして、今か今かと待ち構えているリディに向けて声をかけた。


「リディ、手伝ってくれる?」

「まかせろ!」


 お呼びがかかった瞬間、若様はぴょんと椅子から飛び降りて駆けだした。テーブルの前の椅子によじ登ると、キラキラと顔を輝かせる。

 そんなリディの手に手袋を装着させながら、悠利は大皿の中の塩鮭を示して説明を始めた。


「この塩鮭を解して、骨を取ってほしいんだ。作業はこっちのボウルの中でやってね。骨はこのボウルに入れて。で、一つが終わったら、中身はこの大きなボウルに移して、また次のをお願いしたいんだけど、出来る?」

「だいじょうぶだ!」

「それじゃ、お願いするね」

「まかされた!」


 にぱっとご機嫌笑顔になったリディが、まだ熱い塩鮭と一生懸命格闘を始める。張り切ってお手伝いをする若様に、クレストとフィーアは目頭を押さえていた。……リディの普段の言動がよく解る反応だ。

 そんな若様を見て、自分用に用意されている手袋とボウルを見て、エトルもそっと作業に入る。自分がやるべきことが何かちゃんと解っている、実に賢いご学友だった。多分、確実に若様より大人である。


「リディとエトルくんがそっちをやってくれるから、僕らは他のことに取りかかれるから助かるよ。ありがとう」

「いえ、お邪魔になっていないなら、それで良いです」

「ゆーりのてつだい、がんばる!」


 にこにこ笑顔でお礼を告げる悠利に、エトルは謙遜する。対してリディは、自信満々だった。若様は安定の若様でした。

 3人のやりとりを見ていたカミールは、相変わらず子供の扱いが上手いなぁと思った。普段、自分達も何だかんだで上手に扱われている自覚があるので。




 そんなこんなで、昼食は完成した。

 献立はシンプルに、鮭といくらの親子丼と、具だくさんの味噌汁だ。幸い、居合わせた面々は全員いくらを食べることに拒否感がなかったので、実に見事な親子丼が完成している。

 真っ白なご飯の上に、ピンクの塩鮭が一面に敷き詰められている。これはリディとエトルが、手袋をしながら頑張って解したものだ。自分が頑張ったことが一目で解るので、若様は始終ご機嫌である。

 そして、注目すべきは中央に鎮座する赤い物体、いくらだ。つやつやとした光沢が実に食欲をそそる。いくらの醤油漬けは、悠利が港町ロカで発見して買っておいたのだ。

 生魚を食べるのは苦手な面々も、いくらには抵抗がなかったので一安心の悠利である。いくらがないと、親子丼にならないので。

 これが鮭といくらの親子丼だと説明をされ、皆で食前の挨拶をして、楽しく食事が始まっている。主に、リディが食べながら一生懸命悠利に話しかけている姿が微笑ましい。


「ゆーり、ゆーり、さけ、おいしい?」

「うん、美味しいよ。リディの持ってきてくれる塩鮭は、本当に美味しいね」

「だろう!とくさんひんなんだ」


 えっへんと胸を張る若様。その隣で慎ましく食事をしているエトルは、ぼそりと「別に若様が育てたわけじゃないですけどね」という至極もっともなツッコミを口にしていた。しかし、悠利と話すのに夢中のリディの耳には入っていない。平和だった。

 悠利も鮭といくらの親子丼をスプーンで掬って、口の中に運ぶ。脂のよくのった塩鮭なので、塩分と脂の旨味が口の中に広がる。いくらのぷちっとした食感も、噛んだ瞬間に口の中に広がる醤油漬けの味も抜群だ。そして何より、それを包み込む白米のポテンシャルが凄まじい。ご飯と鮭の相性は完璧だった。

 サーモンといくらで丼にするのも美味しいだろうが、塩鮭で親子丼を楽しむのもまた格別だ。なお、〆にお湯、お茶、出汁などをかけて食べても美味しいだろう。出汁茶漬けが美味しかったのは前回に確認済みなので。

 味噌汁も、具だくさんなので旨味がたっぷり染みこんでいて美味しい。野菜を取るための味噌汁なので、汁気よりも具材の方が多いイメージだ。

 ちなみに、使っている具材は季節を無視したラインナップとなっている。それというのも、先日、収穫の箱庭に遊びに行ったときに悠利の友達であるダンジョンマスターから、大量にお土産を貰ったからだ。

 迷宮食材をふんだんに使った味噌汁なので、シンプルな料理に見えてとても味わい深く仕上がっている。その美味しさを味わってほしくて、悠利は目の前で一生懸命に口を動かしているリディに声をかけた。


「リディもいっぱい食べてね。お味噌汁に野菜をいっぱい入れてあるから、そっちもだよ?」

「わかってる。これ、やさいがたくさんある」

「うん。たくさん貰ったんだ」

「もらった……?」


 悠利の言葉に、リディは不思議そうな顔をした。誰に、どこで、何で?みたいな不思議そうな顔をしている。そんなリディの脇腹を、エトルは小突く。何でもかんでも知りたがろうとしないでください、と言いたげに。

 しかしリディはやっぱり気にしていない。じぃっと悠利を見ている。悠利の方は特に気にした風もなく、世間話の延長として口を開いた。


「収穫の箱庭っていう採取ダンジョンが近くにあるんだけどね。そこのお友達が、遊びに行くといつもお土産をくれるんだよ」

「普通に採取しに行ってるのに、ユーリが行くと何か追加貰うよな」

「お土産を渡したいんだって。友達だからって」

「仲良しだなぁ」

「仲良しですから」


 からかうようなカミールに、悠利は笑顔で答える。当然じゃないと言いたげな悠利の顔を、リディはじっと見ていた。じぃっと。

 若様が妙に真剣な顔で悠利を見ていることに、悠利とカミール以外の全員が動きを止めた。先ほどまで煩いほどに喋っていたリディが、大人しく黙っていることも含めて、色々と不気味だった。

 そもそも、リディは感情表現がとても解りやすい。その彼が、無表情に近い真剣な表情で無言を貫いているなんて、どう考えても異常事態だ。大人達は、少しばかり嫌な予感がしていた。根拠はないが、リディの態度が彼らにそう思わせるのだ。

 しかし、やはり、リディにそんな風に見つめられている悠利はまったく気付いていない。雑談に花を咲かせる悠利の横顔を、リディはじーっと見ているのだが。……悠利は気配とか諸々を察知する能力が低いので、気付かないのです。


「若様、食べないと冷めますよ」

「……わかってる」


 エトルの言葉に、リディはこくりと頷いて食事に戻った。そのまま、特に無駄口を叩くことなく黙々と食事を続ける。悠利とカミールの雑談を気にしているのか、耳と尻尾がぴくぴくと動いていた。

 けれどやっぱり、何も言わない。まるで嵐の前の静けさだと、エトルは縋るようにクレストとフィーアへ視線を向けた。護衛と世話役の2人は、そんなエトルの視線に、首を左右に振るのだった。彼らにも、若様の考えていることは解らなかった。




 食事の後に、その友達に会わせろと!と若様が我が儘を言い出し、突然のことに皆が慌てるのだが、このときはまだ、誰もそのことを予測出来ていなかった。




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