行商人さんのお土産はお煎餅でした。


「うわぁ、お煎餅だ……!」

「おや、やはりユーリくんは知っていましたか」

「はい、知ってます!」


 目の前に並べられたたくさんの煎餅を見て、悠利ゆうりは顔を輝かせた。それを持ってきたのは、行商人のハローズおじさんだった。相変わらず、ちょこちょこ顔を出して悠利と談笑をしに来るのである。

 今日の手土産は大量の煎餅である。王都ではちょっと珍しい米菓だ。案の定、いつものごとくハローズが遠方から仕入れてきたお試し品だ。どうやって売り出すかはまだ考え中らしい。


「ユーリくんはライスが主流の地域から来たと言っていたので、これも知っているかなと思ったんですよ」

「お煎餅は凄く馴染みのあるおやつですねー。お祖父ちゃんの家に行くといつも置いてありました。久しぶりなので嬉しいです」

「それは良かったです」


 にこにこ笑いながら煎餅を食べる悠利。その姿を見て、ハローズも微笑ましげに笑っている。ハローズおじさんにとって悠利は遠縁の子供みたいな感じだった。出会う度にお小遣いならぬお土産おやつを貰う悠利である。どう考えても親戚の子供扱いだった。

 目の前にあるのはシンプルなお煎餅が二種類。醤油味と塩味だ。パリパリと音をさせながら食べるのがまた楽しい。煎餅にも色んな種類があるが、今悠利の目の前にあるのは分厚くもなく薄っぺらくもない、噛んだらパリッと音がする感じの煎餅だった。

 ぬるめの麦茶を飲みながら煎餅を食べる。実に平和な時間だった。


「ユーリくんは本当に美味しそうに食べますね」

「美味しいものなので?」

「そんな顔で食べてもらえると、持ってきたかいがありますね」

「これ、売り物にするんですか?」

「どうしようか考え中なんですよね。この辺りで需要があるかどうかが解らないので」


 ハローズの言葉に、悠利は確かにと思った。確かに、この辺りで煎餅が売れるかどうかは全くの未知数だ。

 王都ドラヘルンに米食は広がっている。けれど、米を加工したお菓子というのは広がっていない。お菓子の類いは洋菓子が大半だ。それを考えると、米菓が売れるかどうかは解らない。商人としては、リサーチをしっかりする必要があるのだろう。

 その流れで何で悠利のところに持ってきたのかと言えば、これはただのお土産である。悠利が知っているかな?喜ぶかな?という理由でしかない。他愛ない雑談をしに来ただけのハローズおじさんだった。仕事どうしたと言わないでください。雑談も情報収集です。多分。

 そんな風に悠利とハローズがのんびりとお茶をしていると、自室から出てきたらしい人影が一つ。リビングに客人がいるのは珍しくないが、それが行商人のハローズであることに気づいたので挨拶に来たらしい。


「お出でであったか、ハローズ殿」

「あぁ、お邪魔しています、ヤクモさん。お出かけでしょうか?」

「いや、今日は休暇なので荷物の整理などをしている」

「それはそれは、お疲れ様です」

「痛み入る」


 穏やかに言葉を交わすハローズとヤクモ。どちらも大人なので、そつなくお付き合いをしている。とはいえ、個人的に親しいかと言えばそれほどでもない。単純に、彼ら二人の間に接点が無いからだ。

 そのまま立ち去ろうとしたヤクモは、そこでふと、ハローズの隣でパリパリと煎餅を食べている悠利に視線を向けた。美味しそうにへにゃりと顔を緩めながら煎餅を食べている悠利の姿に、驚いたように目を見張る。その口からこぼれ落ちたのは、紛れもない驚愕の言葉だった。


「ユーリ、お主が食べておるのは、もしや……?」

「う?…………っ、ハローズさんのお土産のお煎餅です」

「おぉ、やはり煎餅であったか」


 ヤクモの質問に、悠利はもぐもぐごっくんと口の中の煎餅を麦茶で流し込んでから答える。口の中にモノがある状態で喋るのは行儀が悪いと思っているので、慌てて飲み込んだのだ。

 そんな悠利の返答に、ヤクモは顔を輝かせた。ハローズは不思議そうにしている。悠利は逆に色々と合点がいった。ヤクモは和食に近い食文化の地域の出身である。主食は白米だったと語る彼の故郷には、日本食と良く似た食べ物が多々あるらしい。なので、煎餅もあったのだろう。米が主食の国ならば、米から菓子を作り出していてもおかしくはないので。


「おや、ヤクモさんも煎餅をご存じでしたか?」

「うむ、知っている。我の故郷では庶民の菓子として普及しておったゆえ。よもや、この街で煎餅を見るとは思わなかったが」

「そうですか。もしよろしければ、お食べください。出来れば感想も頂きたいところです」

「喜んでよばれよう」


 よほど嬉しかったのか、ヤクモはいそいそと悠利の向かいに座ると、煎餅に手を伸ばす。普段落ち着いているヤクモの珍しい姿に、悠利はきょとんとする。けれど、自分と同じく彼も故郷の味が恋しかったんだなと思うと、仲間意識が芽生えた。そっと、煎餅が入っている箱をヤクモの方へと押しやる程度には同族意識を感じる悠利だった。

 ヤクモはハローズに改めて礼を告げてから、煎餅を囓る。パキッという小気味よい音がする。硬すぎず、柔すぎず。歯ごたえと食感を残しながら、決して食べにくくはないという絶妙な堅さであった。軽い音が何とも心地好い。

 醤油味の煎餅を囓る悠利の目の前で、ヤクモは何かを噛みしめるように塩味の煎餅を食べている。口の中に広がる米菓の香ばしさを堪能しているのだ。噛めば噛むほど味が出るというわけではないが、食感と音、味と匂いの全てが合わさって、懐かしさがこみ上げているのだ。


「お味はいかがでしょうか?」

「実に良い塩梅だ。これはハローズ殿が買い付けて来られたのか?」

「えぇ。隣国の米農家の方々が、色々と考えて作っておられまして。試食させてもらって美味しかったので幾ばくか仕入れてきました」

「では、それを我が買うことは可能であろうか?」

「ヤクモさんが、ですか?」

「うむ」


 不思議そうに目を丸くするハローズに、ヤクモは大真面目に頷いた。久しぶりに食べた故郷の米菓に心奪われてしまったらしい。

 別に、ヤクモは普段食べている料理が気に食わないわけではない。悠利がいるので和食っぽい食事もしょっちゅう出てくるし、洋食や洋菓子が嫌いなわけでもない。ただそれでも、懐かしい味というのはまた格別なのだ。

 それに、煎餅は日持ちがする。時間停止機能という並外れた性能を誇る悠利の魔法鞄マジックバッグならば問題ないが、普通は食べ物は保存期限を考えて購入しなければならない。そういう意味では、乾物である煎餅は日持ちがするのでありがたいのだ。


「こちらとしては願ったり叶ったりですが、珍しいですね」

「ハローズ殿から買い付けねば煎餅にはありつけなさそうなのでなぁ」

「それは確かに」

「おや、その口ぶりだと、ユーリくんも煎餅を気に入ってくれたということで?」

「はい。僕も欲しいでーす」


 ヤクモの言い分に同意した悠利に、ハローズは楽しそうな顔をする。そんなハローズに、悠利は笑顔で片手を挙げて宣言する。おじさん、これ一つちょーだい!と注文をするような感じだった。……煎餅を食べられてご機嫌の悠利です。


「小麦を使ったお菓子はたくさんありますけど、お米のお菓子って見当たらないですよね」

「まぁ、この辺りはパンとパスタが主食ですからね。その土地に応じて食べ物が変わるのは仕方ないことです」

「ですねー」


 別にこの地の食文化に文句があるわけではなかったので、悠利はのほほんとしながら頷いた。今は目の前にある煎餅が美味しいのでそれで問題ない。所変われば品変わる。その地に合わせた美味しいものを堪能するのも悪くはない。

 それに、ハローズのように遠方から食材を仕入れる者達もいるので、意外と市場では色々なものが手に入るのだ。悠利の馴染みのお婆ちゃんが道楽でやっている店など、多分この地で需要は無いだろうなと思うような食材も並んでいる。お揚げとか豆腐とか。


「それでも、王都ドラヘルンは恵まれている方であろうな。様々な土地から食材が運ばれてくるゆえ、本来ならこの地では食せぬものも食卓に並ぶ」

「そこはまぁ、商人ギルドの努力の賜ということで」


 ヤクモの言葉に、ハローズは笑みを浮かべた。穏やかな笑みの奥に、確かな自信が見え隠れしている。ハローズおじさんは、お人好しっぽい行商人のおじさんだが、その実大きな店舗を構える立派な商人である。……当人はあっちこっちに行商で回る方が楽しいとかで、店の方は妻と息子に丸投げなのだけれど。適材適所で上手に回っております。


「一応試食販売をしてみようかとは思っているんですけどね」

「食べて貰わないと話になりませんもんねー」

「そうなんですよ」


 しみじみと頷くハローズだった。見知らぬ食べ物を売るときは、それが食べ物だと認識してもらうところから始めなければならない。これがなかなかに難しいものである。

 なので、ハローズもどんな風にすれば良いだろうかと思案中なのだという。大変ですねぇと呟きながら、悠利は暢気にお煎餅を食べていた。ただの少年である悠利に商売のイロハは解らないので、思いっきり他人事だった。しいていうなら、継続的にお煎餅仕入れてほしいな、ぐらいだろうか。僕は食べたい、みたいなノリで。

 すると、それまで黙々と煎餅を食べていたヤクモがゆっくりと顔を上げて口を開いた。


「試食販売をされるならば、そのときには茶を添えるのはいかがだろうか」

「お茶、ですか?」

「うむ。紅茶や水ではなく、麦茶かほうじ茶辺りを添えれば、煎餅を食べるのに適していると思うのであるが」

「あー、確かに、お煎餅と紅茶は合わないですねー」


 ヤクモの提案に、悠利は強く頷いた。煎餅はやはり、お茶と一緒に楽しむ方が美味しく頂ける気がする。現に今も、飲み物は麦茶である。

 麦茶もほうじ茶も緑茶も、一応普通に販売されている。それでも、一番消費量が多いのは紅茶なので、味の好みからは外れているのかもしれない。けれど、和菓子と抹茶を共に楽しむのが茶の湯であるように、お茶と煎餅をセットにして提供するのは悪くない判断であるように思えた。

 商売に関しては素人のヤクモと悠利の二人が良いアイデアだと思っても、ハローズがどう判断するかは解らない。しかし、ハローズもまた、お茶と煎餅の相性の良さは解っている。何しろ今、ここで飲んで食べているのだから。一考の余地はあった。


「良いアイデアをありがとうございます。参考にさせていただきますね」

「いや、ただの素人の戯言ゆえ、話半分ほどに受け止めていただければ幸いだ」

「それでも、煎餅を食べ慣れている人からの意見というのはありがたいものですよ」


 にこにこと笑うハローズに、ヤクモも笑みを返した。大人二人の間で、悠利は大人しく煎餅を食べている。ひたすらに食べていた。普段そこまで目一杯食べない悠利にしては珍しい行動である。


「……ユーリ、美味なのは解るが、あまり食しすぎて食事が入らぬのではないか?」

「解ってるんですけど、何だか止まらないんですよねー。お煎餅美味しい」

「まぁ、素朴な味付けで飽きぬからであろうな」

「そうなんですよねー。醤油が良い塩梅で……。これもうちょっと濃かったら、こんな風に食べられないと思うんですけど」


 うんうんと頷きながら、ひたすら煎餅を食べる悠利。あまりにも珍しい姿に、ハローズはきょとんとしていた。なお、その悠利に負けず劣らずに、ヤクモも延々と煎餅を食べていた。久しぶりの味を堪能している二人なのである。


「……とりあえず、軌道に乗らなくても少量は仕入れることにしましょうか」

「本当ですか?」

「迷惑ではないのか?」


 ハローズの呟きに、悠利とヤクモは素早く反応する。他の店では絶対に手に入らない故郷のお菓子が手に入る唯一のルートである。それを確保してくれるというのは、大変ありがたい。

 ありがたいが、それがハローズの仕事の邪魔になるのではと心配になる二人でもあった。けれど、そんな二人にハローズはにこにこといつもの笑顔で言葉を続けるのだった。


「確実に買ってくださるのであれば、日持ちもしますし大丈夫かと思います」

「ハローズさん、ありがとうございますー!」

「礼を申し上げる」


 煎餅を確保できると解った悠利とヤクモは、深々と頭を下げた。よほど煎餅が好きなんだなぁと思うハローズおじさん。とりあえず、確実に売れると解っているので、店で販売するというよりは、他の買い付けのついでに二人の分も買ってくる、ぐらいの分量は用意しようと思うハローズだった。その後、きちんと商売に繋がるかどうかは、また別の話である。


「とりあえず、ちょっと多めに確保しておかないと、僕の食べる分が足りない気がするんですよね」

「それは確かに。むしろ、我が持っている方が良いのではないか?」

「……そうかもしれません。お金は僕も払いますから、ヤクモさんが保管してくれますか?」

「任されよう」

「……あのー、煎餅一つで何でそこまで必死なんですか……?」


 顔を突き合わせて作戦会議をしている悠利とヤクモに、ハローズは困惑した。確かに煎餅は珍しいかもしれないが、彼らが何を警戒しているのかがハローズにはちっとも解らないのだ。

 そんなハローズを見て、悠利は厳かに告げた。大真面目な顔で、真剣に。


「ハローズさん、うちには、誰かが何かを食べていると、自分も食べたいと思って寄ってくる育ち盛りがいっぱいいるんです」

「左様。ましてや、ユーリが持っているとなれば、ねだりに来る可能性が大きい」

「……えーっと」

「皆と分け合うのも嫌じゃないですけど、胃袋の大きさが全然違うので、せめて自分の分はちゃんと確保したいなって思うんですよ、僕も」

「何せ、他では手に入らぬからな」

「そこですよねー」

「……はぁ」


 大真面目に力説する悠利とヤクモ。ハローズはその言い分を聞いて、脳裏に《真紅の山猫スカーレット・リンクス》の面々を思い浮かべた。悠利の言うところの育ち盛りは、訓練生や見習い組のことである。彼らを思い出し、そして、おもむろに納得したように頷くハローズだった。何も否定出来なかったので。




 その後、定期的にハローズから煎餅を購入し、お茶と一緒に楽しむ悠利とヤクモの姿がアジトで見られるようになるのでした。なお、商売的にはそこまで爆発的には売れていないけれど、地道に愛好家を増やしているようでした。




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