大忙しの大衆食堂のお手伝いです。

「……これ、お話を聞くどころじゃないなぁ……」


 建国祭も真っ最中のある日、悠利ゆうりは大衆食堂『木漏れ日亭』を訪れて小さく呟いた。通常でも隣にある宿屋『日暮れ亭』の客や近所の人、馴染みの冒険者で賑わう食堂である。それが、建国祭で更に大賑わいを見せていた。

 悠利が何故ここへやって来たのかと言えば、理由は単純だった。先日、忙しい両親のために賄いを作りたいと料理を教わりに来たシーラが、果たしてきちんと賄いを作れているのかが気になったからだ。あの日はきちんと作れていたが、実際にどうだったのだろうと気になったのである。

 教えたのは簡単なサンドイッチのレシピ。それも、調味料も火も使わないので、切って挟むだけレベルのものだ。調味料と火がシーラの鬼門だったので、それを排除した料理ならばきっと失敗はないだろう。ないはずである。多分。

 そんな気持ちでやって来た悠利であるが、予想以上の混雑を見せる『木漏れ日亭』を前に、呆気にとられるしかなかったのだった。大繁盛はめでたいが、どう考えても雑談に興じる暇があるとは思えないので。


「キュ?」


 そんな風に入り口前で二の足を踏んでいる悠利の足下で、ルークスが心配そうに主を見ていた。ここに来たんじゃないの?と言いたげな瞳である。そんなルークスに気づいて、悠利はぽんぽんと可愛い従魔の頭を撫でた。


「とりあえず中に入って様子を見てみようか?あ、ルーちゃんはお客さん達に驚かれないように気をつけてね?」

「キュイ!」


 任せろと言いたげにこくこくと頷くルークスの愛らしさに笑みを浮かべて、悠利はそっと客で賑わう『木漏れ日亭』へと足を踏み入れた。この店は、規模としてはそこまで大きくはない。店主兼料理担当の父・ダレイオスと、雑務全般と看板ウエイトレスを兼ねる娘・シーラの二人で切り盛りされている。その店内に客が密集していて、凄い熱気だった。

 いつもならばドアが開く気配を察して笑顔を向けてくれるシーラが、今日は店内を必死に動き回っていた。客の注文を聞き、料理を運び、食器を下げ、会計もこなす。彼女の負担が大変なことになっていた。むしろ、この忙しそうなシーラが何故賄いを担当しようと思ったのかが解らない悠利であった。どう考えても彼女もフル稼働である。

 悠利とルークスはてくてくとごった返す店内を歩いて行く。小柄な悠利と小さなルークスなので、料理の美味しさやボリュームに満足しながら建国祭を楽しんでいる人々が多少大きな動きをしたところでぶつからない。そうして炊事場へ引っ込もうとしていたシーラに声をかける。


「シーラさん、こんにちは」

「キュピー」

「……え?ユーリくん?いつ来たの!?」

「今さっきですー。何だか凄く忙しそうですけど、お手伝いいります?」

「え?」


 突然の申し出に固まるシーラに対して、悠利は足下のルークスを示しながら、にこにこ笑顔で言葉を続けた。


「洗い物と下拵えは僕がお手伝いして、食器を回収するのをルーちゃんが手伝うのでどうでしょうか?」

「キュイキュイ!」


 のほほんと告げる悠利と、その足下で任せて!とでも言いたげにぴょんぴょん跳ねているルークス。二人の発言内容を理解したシーラは、一瞬固まったが次の瞬間には悠利の手をがしっと掴んでいた。目がマジだった。


「ユーリくん、お願いしても良い?今日、本当に忙しくて……!」

「全然問題ないですよー。それじゃ、ルーちゃんはお客さんがいなくなった席の食器回収頑張ってね?」

「キュキュイ!」

「ルーちゃんもお願いね。何かあったら私を呼んでね?」

「キュピ!」


 了解!と言いたげにちょろりと伸ばした身体の一部で敬礼みたいなことをするルークスに、悠利とシーラはきょとんとして、次いで破顔した。今日もルークスの愛らしさは健在だった。

 手伝いをお願いされた悠利は、さっさと炊事場へと向かう。まるで戦争のように料理を作り続けているダレイオスは、こちらでのやりとりに気づいていないようだった。炊事場の入り口に立った悠利は、ダレイオスの作業が一段落するのを見計らって声をかける。


「ダレイオスさん、こんにちは。洗い物と下拵えのお手伝いに来ました」

「……坊?どういうことだ?」

「シーラさんが忙しそうなので、臨時でお手伝いです。後、食器の回収はルーちゃんに任せたので、運んできたときは中に入れても良いですか?」

「あ、あぁ。あのスライムは変なところには触らないから別にかまわないが……。……良いのか?こき使うぞ?」

「頑張ります」


 悠利に声をかけられたダレイオスは、まるで挑むような視線で悠利を見る。その鋭い眼光に怯むことなく、悠利はいつもの調子でにこにこと笑っていた。そんないつも通りの、変な気負いの存在しない悠利に小さく笑うと、ダレイオスは頼むと告げるのだった。

 お手伝いを許された悠利は、愛用の学生鞄からこれまた愛用のエプロンを取りだした。ついつい持ち運んでしまうのである。淡いピンクに裾にあるウサギがトレードマークの可愛いエプロン。普通なら男子高校生が身につけたら違和感しか無いのだろうが、悠利には不思議と似合っていた。ほわほわした雰囲気のせいかもしれない。

 そうしてエプロンを身につけて戦闘準備完了と言いたげに、悠利はまず山と積み上げられた洗い物へと向き合った。繁盛していることを証明するように、洗い場には食器が山積みなのである。腕まくりをして、よしと小さく呟くと、悠利は洗い物に取りかかった。

 そんな風にせっせと仕事に向き合っていると、フロアの方からシーラの声が聞こえてきた。客の喧噪にかき消されないように、幾分声を張っている。通りの良いシーラの声は、人々のざわめきの中でもきちんと響いた。


「常連のお客様はご存じかもしれませんが、こちら、従魔のルークスくんです。ただいまより、このルークスくんが食べ終わった食器の回収を手伝ってくれます。お食事の邪魔はしませんので、どうぞご了承ください」

「キュイキュイ」

「この通り、とても賢く優しい子です。後、可愛いからって不必要なお触りは厳禁ですよ?」


 シーラの説明に、ルークスの声がかぶさった。ぺこぺこと頭を下げてよろしくお願いしますという感じのルークスの姿は、悠利には見えない。見えないが、きっとお辞儀をしているだろうなとか、挨拶をしているんだろうなと思うのであった。ルークスは賢いので。

 なお、にっこり笑顔でシーラが付け加えた言葉の内容に、どっと笑いが広がった。その笑いの中で、興味本位でルークスに手を伸ばそうとしていた何人かが、バツが悪そうに視線を逸らしている。人慣れしているスライムが物珍しかっただろう。

 そこからは、悠利とルークスも忙しく働いた。

 悠利は積み上がっていく洗い物をてきぱきとこなし、同時にダレイオスの助手として下拵えも手伝った。味付けなどは店の味があるので手は出さないが、食材を切ったり、茹でたり炒めたりという部分では大活躍である。

 そしてルークスはと言えば、客の去ったテーブルからひょいひょいと食器を体内に収納して回収している。なお、回収した段階で残飯や皿の汚れなどは綺麗にしている。雑食のスライムとしては、そういったものをエネルギーに出来るので役得なのである。それに、余分な汚れを落とした状態で食器を渡すと、悠利がとても喜んでくれると学習しているのだ。

 実際、ルークスが汚れを落とした食器は洗うのがとても楽なので、手間が減るのである。大賑わいのこの状況では、大変ありがたいのだった。


「キュキュー」


 お客さんの隙間を縫うようにして食器を回収するルークスの姿は、非常に好意的に受け入れられていた。客層に比較的冒険者が多いので、従魔がどういうものか解っている人々も多いのだ。もっとも、その彼らにしても、こんな風にせっせと戦闘以外の場所で手伝いをする従魔を見ることはあまりないだろうが。

 体内にたくさんの食器を抱え込みながら、ルークスはぽよんぽよんと跳ねている。移動する間に余分な汚れを落とした皿を、ひょいひょいと炊事場の中に入ってきて、洗い場にごろごろと置いていく。今日は調理中でも炊事場の立ち入りを許されたので、気にせず中に入っているのである。


「ルーちゃん、ありがとう。いっぺんにたくさん運んで来なくても良いからね?」

「キュピ!」


 悠利の言葉に、解ってると言いたげに返事をすると、そのままルークスはフロアへと出て行く。配膳やテーブルセッティングは手伝えないが、ルークスがこうやって食器を下げてくれるだけでシーラの負担は随分と減っていた。店全体に気を配ることが出来るようになった看板娘は、まるで踊るように忙しく動き回っている。

 そんなこんなで怒濤のランチタイムを終えた『木漏れ日亭』は、大きなトラブルも無く休憩時間に突入するのだった。普段は朝から夜まで終日営業しているのだが、建国祭のみ朝食から昼食後までと、夕食という風に営業を分けているのだ。……何しろ、そうしないと仕込みも休憩も自分達の食事もままならないので。

 そんなわけで、無事に前半の営業時間を終えた『木漏れ日亭』で、悠利とルークスはシーラ作の賄いサンドイッチを食べていた。流石に全員ちょっとお疲れだった。元気なのはルークスだけである。


「本当にありがとう、ユーリくん。ルーちゃんも。物凄く助かったわ」

「いえいえ。お役に立てたなら良かったです」

「後でちゃんとバイト代払うわね」

「え?」

「……え?」


 きょとんとしたように小首を傾げた悠利に、シーラが呆気に取られたように間抜けな声を上げた。だがしかし、悠利はよく解らないと言いたげな顔でシーラを見ている。言われた内容をまったくもって理解していないのが丸わかりの顔だった。


「……ユーリくん、バイト代は払うわよ。ルーちゃんの分も含めて」

「え?でも、今こうやってお昼ご飯いただいてますし……」

「そんなんでチャラになるわけないでしょ!バイト代はちゃんと払うから受け取って!」

「えぇえええ……」


 もぐもぐとシーラお手製サンドイッチを食べながら、悠利は困ったような顔をしていた。当人は、ちょっとしたお手伝いのつもりだったのだ。確かに忙しかったのは事実だが、元々家事は大好きな悠利である。特に苦痛に感じることなく怒濤の時間を乗り越えていた。

 ルークスに至っては、仕事を手伝ったことで悠利に褒められるし、残飯からエネルギー補給が出来るしというわけで、当人は利点しかないと思っている。主従揃って不思議そうな悠利達に、シーラがその場で脱力した。あまりにも会話が通じないので。

 そして、バイト代云々よりも気になったことがあった悠利は、素直にその質問を口にした。


「そんなことより、お仕事大丈夫なんですか?物凄く忙しそうでしたけど」

「そんなことじゃないからね、ユーリくん!お金ちゃんと受け取ってよ!?後、いつもはちゃんと食器下げて皿洗いしてもらう人雇ってるから!今日はたまたま体調崩したらしくて人手がなかっただけなの!」

「そうなんですか?」

「そうよ」


 シーラの説明に、悠利はホッとしたような顔をした。連日こんな感じの営業状況だったらどうしようと不安に思っていたので、そうじゃないと解って安心したのだ。どう考えても、この大繁盛状態をシーラとダレイオスの二人だけで乗り切るのは無理だと思えたので。


「いつもはね、冒険者ギルド経由で二人ぐらい人を雇ってるの。今日も、夜の方は代理の人が見つかったから大丈夫なのよ」

「それは良かったです」

「……貴方のことだから、代理がいなかったら居座るつもりだったでしょ……」

「はい」

「満面の笑みで答えないの!そうするつもりだったなら、なおさらバイト代受け取ってよ!ティファ姉に怒られちゃうじゃない!」


 のほほんとした悠利に、シーラは身震いしながら叫ぶ。彼女は幼馴染みのティファーナが大好きであるが、同時に道理を弁えない行動をしたときにあの美しいお姉様がどれほど恐ろしいかも知っていた。伊達に幼馴染みはやっていない。

 そんな悠利とシーラのやりとりを黙って聞いていたダレイオスが、不意に口を開いた。腹に響くような低音は、どこか怒っているようにも聞こえた。


「坊、他人が給料貰ってやる分の仕事をやったんなら、ちゃんと金を受け取れ」

「ダレイオスさん……?」

「そこで金がいらんと告げるのは、その仕事で金をもらう奴らへの侮辱になる上に、そいつらの仕事の邪魔だ」

「……はい」


 強面の元冒険者店主の言葉に、悠利は神妙な顔で頷いた。ダレイオスの言っていることをよく考えたら、物凄く納得出来てしまったからだ。

 例えば、まったく同じ内容の仕事を、片方は賃金を貰ってもう片方は無償で行ったとしよう。仕事を頼んだ人は、「あちらの人は無償でやってくれたのに」という風に考えるようになるかもしれない。それは、その仕事で生計を立てる人にとっては害悪以外の何でもない。

 これが、友人間で家のことを少し手伝う程度ならば、金銭を挟まずにやりとりをしても良いかもしれない。それこそ、美味しいご飯を食べさせてくれればそれで良いという感じでまとめてしまっても良いだろう。

 だがしかし、ここは大衆食堂『木漏れ日亭』であり、悠利とルークスが本日行った仕事を、金を貰って雇われてやる人がいるというのが現実である。ここで金を受け取らないというのは、その人達の仕事が対価に見合わないと言っているようなものである。だからこそ、悠利は神妙に頷くのだった。


「……流石お父さん。このユーリくんを言い含めれるとか凄い」

「え?シーラさん?」

「シーラ、坊は確かに性格はアレだが、基本的に理解力は悪くない」

「ダレイオスさん?」


 父娘の色々とアレな発言に、悠利はあるぇー?という感じで首を傾げていた。ド天然の例に漏れず、悠利も自分のことは普通だと思っているのであった。なので、二人にアレコレ言われても、まったくもって自覚が無いのである。


「とりあえず、ちゃんとバイト代は受け取ってくれるってことで良いのよね?」

「はい。あ、シーラさん、このサンドイッチ美味しいですね」

「あ、それね!夕飯の残りをそのまま詰めてみたの」

「なるほど」


 ゴロゴロとした大きなベーコンが入ったサンドイッチを食べていた悠利は、心の底から納得した。シーラは火と調味料を使わせると料理が謎の物体に変化してしまう困った性質の持ち主なので、どう考えても彼女にこのベーコンが焼けると思わなかったのだ。

 詳しく説明を聞くと、建国祭の間、昼食はシーラが朝の営業前にサンドイッチを大量に作り、それを冷蔵庫に保管しておいて食べているということだった。最初こそ、悠利に言われたように生野菜やそのまま食べられる肉類を使っていたシーラだったが、途中で夕飯の残りを有効活用することを思いついたのである。それ以降、レパートリーは増えた。

 なお、大量に作ったサンドイッチは、朝の段階で隣接する宿屋『日暮れ亭』にも運ばれており、空き時間に母息子の二人が食べている。手軽にパンとおかずが食べられるサンドイッチは大変便利であるし、何より中断もしやすいのがありがたいと思っている彼らである。突発的にお客様対応が必要になる職業としては、ちゃんとしたご飯よりもこういう手軽なご飯の方が繁忙期はありがたいのだ。


「……まさかシーラの手料理を食べられる日が来るとはなぁ」

「お父さん、それ何度目?」

「何度でも言う。俺の娘の割に、どこをどう間違ったらあんなよく解らん性質になるんだか……」

「うぐぐぐ……」


 しみじみと呟く父親の言葉に、娘は低く唸るだけだった。だがしかし、反論は一切出来なかった。むしろ、出来るわけがない。ダレイオスの発言はただの事実でしかないのだから。

 そんな仲良し父娘のやりとりを見ながら、悠利とルークスは美味しいサンドイッチを堪能するのでした。色々な具材のサンドイッチがあって、とても美味しいと思いながら。




 なお、この件で手に入れたルークスのバイト代で、ルークスが興味を示したものを買ってあげようと考える悠利がいるのでした。自分で稼いだお金で買い物をするのは嬉しいだろうと思ったので。




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