看板娘さんの賄い修行です。
「お願い、ユーリくん!私に料理を教えてほしいの!」
「……はい?」
ぱんっと顔の前で両手を合わせ、まるで神様を拝むようにしているのは、シーラである。
真剣にお願いをしているシーラと裏腹に、その背後にお目付役よろしく立っている兄のアルガは明後日の方を向いていた。妹のお願いがどれだけ難問であるかを、彼は正しく理解していた。なお、アルガは母親と共に《木漏れ日亭》の隣で
さて、そんな兄妹の訪問を笑顔で迎えていた悠利であるが、今現在彼がどうしているかと言えば、シーラの方を向いたまま、小首をこてんと傾げていた。ついでに言えば、いつも通りのにこにこした笑顔のまま、固まっている。……つまりは、悠利にそんな反応をさせるほどに、シーラのお願いは突拍子もなかったのである。
悠利がフリーズしていたのはおよそ数十秒だろう。その間、シーラもアルガも悠利を急かすことはなかった。兄妹にも解っていた。悠利が凄まじい衝撃を受けたのだと言うことが解らないほど、彼らは鈍くはない。
しばらくして瞬きを繰り返した悠利は、両手で抱えるようにして持っていたお茶の入ったコップをそっとテーブルに置いた。これを手にしたまま会話を続けてはいけないと、理性が働いた結果である。うっかり落としたら大変なことになる。
「あの、確認しますが、シーラさんが、料理を教わるんですか?アルガさんじゃなくて?」
「そうだ」
「そう。教えてほしいのは、私」
困ったような顔で、それでも悠利は勇気を振り絞って二人に問いかけた。真剣な顔で頷いたのはアルガで、頷きつつ自分を示すように胸に掌を押し当てているのはシーラだった。そんな二人を見て、彼らが紛れもなく本気だと理解して、悠利は口を開いた。
「…………寝言ですか?」
どう考えても暴言である。
だがしかし、アルガもシーラも怒らなかった。怒れなかった、とも言う。
「ユーリくん、言いたいことは解るけど、私の言い分も聞いて!」
「本当に申し訳ない。シーラがとんでもないことを頼んでいるのは解ってる。だけど、こいつなりに考えてはいるんだ」
たたみかけるように悠利にお願いをしてくる兄と妹。何故彼らがこんなにも真剣に「シーラに料理を教えて貰おうとしている」のかが、悠利には解らなかった。今までこんなお願いをされたことは一度もないというのに。
とはいえ、とりあえず詳しい話を聞いてみようかと悠利は二人に先を促した。目の前に置いてあったお茶で喉を潤してから、シーラは真剣に悠利を見つめて言葉を発した。
「あのね、もうすぐ建国祭でしょう?そうすると、ウチのお店、食堂も宿屋も大忙しになっちゃうの。父さんも母さんも業務を回すだけで精一杯で、食事の準備もままならないのよ」
「なるほど。繁忙期なんですね」
「そうなの。だから、せめて昼の賄いとかだけでも私が作れたら、二人の負担が軽減されるでしょ?」
「お話はよく解りました。一つ、質問を良いですか?」
「どうぞ」
シーラの説明は、悠利には納得出来るものだった。各地からお祭り目当てで色々な人々がやってくるのだ。大衆食堂も宿屋も、それはもう大忙しになるだろう。普段から冒険者達で賑わっている《木漏れ日亭》ならなおのこと、食事を求めてお客さんがやってくるに違いない。その忙しい最中の両親の負担を軽減したいと考えるシーラの気持ちもよく解った。
解ったが、悠利には一点だけ、どうしても納得がいかない部分があったのだ。
「それ、賄い作るの、アルガさんじゃダメなんですか?」
「兄さんは兄さんであちこち走り回ることになっちゃうから、手が空かないのよ……」
「買い出しもバカにならなくてな……。後、掃除もいつも以上に大変だから、俺の方が拘束されてるんだ」
「……そう、ですか……」
二人の答えに、悠利はしょんぼりとしていた。悠利の反応にも意味はある。むしろ、仕方ないことだと言ってもらえるレベルで、当然の反応だった。
それでも、二人の本気度が解ったので、悠利は一度目を伏せてから開けて、まるで何かを決意したようにシーラを見た。そして、口を開く。
「では、まず教えてください。シーラさん、何なら出来るんですか?」
まっすぐとシーラを見つめて、悠利は真剣な顔で告げた。普段の悠利ならば絶対にしない言い回しだった。いつもの悠利ならば、「何が」と聞いただろう。得意なことは何かと尋ねただろう。だがしかし、彼は今「何なら」と言った。最低限、どこまでなら出来るのか、という感じの問いかけだ。
だがしかし、悠利は悪くない。こういう聞き方をしなければならないのは、相手がシーラだからである。
「包丁は使えるわ。皮むきも色々な切り方も、ある程度は出来るわよ。下拵えは手伝ってるもの」
「逆に言うと、それ以外は無理。というか、火と調味料を触らせたら、料理じゃないものが出来る」
「兄さん、言い方!」
「他にどう言えと?お前の料理は、料理という名の謎物体だろうが!」
「……くっ」
容赦の無い兄であった。だがしかし、シーラはそれ以上反論しない。出来ないからだ。兄の言い分が正しいことを、彼女はちゃんと解っているのである。
本人が告げた通り、包丁を使って食材の皮むきや切り分ける作業などを行うことは出来る。また、完成した料理を盛り付けるのも得意である。器を選んで盛り付けを考えるのは、何でもドカンと大盛りで提供しようとする父親ではなく、彼女の仕事だ。
だがしかし、悲しいかな彼女には料理の才能が壊滅的なまでに存在していなかった。味覚音痴ではない。舌はしっかりしている。それなのに、何故か調理をさせると謎の物体を生み出してしまうのである。現実は無情だった。
やってはいけないのは、火を使っての調理と、調味料を使っての味付けだ。この二つをさせた瞬間に、料理は謎の物体になる運命が定められている。どれほど簡単そうな料理でもそうなってしまうので、いっそ変な
「つまり、切ったり盛り付けたりは大丈夫なんですね?火を使った調理や味付けがダメなだけで」
「下拵えと盛り付けは兄さんより上手よ!」
「俺は別に料理得意じゃないからな……?」
変なところで胸を張る妹に、兄はぼそりとツッコミを入れた。しかし、真剣に悠利を見ているシーラは気づいていなかった。
ふむ、と悠利はしばらく考え込む。縛りがあまりにも多すぎるが、それでもシーラの心意気を
そもそも、味付けも火を使うことも出来ない料理というのが辛い。コレが現代日本での話だった場合は、電子レンジに頼るということが出来るのだが。生憎とここは異世界で、色々と便利な魔導具が存在しているが、電子レンジは存在していなかった。
しばらく考えて、悠利はシーラを真っ直ぐと見て口を開いた。レシピが見つかったのだ。
「シーラさん、サンドイッチの練習をしましょう」
「サンドイッチ?」
「はい。サンドイッチならば、具材を切って挟むだけです。工夫すれば、火も調味料も使わずに美味しいものが作れます」
「なるほど!流石ユーリくんね!」
悠利の提案に、シーラはぱぁっと顔を輝かせた。確かに、言われてみればサンドイッチは材料を切って挟むだけで完成する。そういった下拵えに近い作業ならば、シーラでも問題なくこなすことが出来るだろう。
アルガもどこかホッとした顔をしている。彼は妹の料理音痴っぷりをきっちり理解しているので、そもそもこのお願いが無茶苦茶で、悠利が無理だと断ってきても仕方ないと思っていたのだ。兄は妹を良く知っているのである。
「とりあえず、今から試しに作ってみましょうか」
「ありがとう、ユーリくん!」
大好きよ、とシーラは立ち上がって移動しようとした悠利を抱き締めた。看板ウエイトレスさんからのハグなど、お金を払ってでも欲しがる人がいるだろう。しかし悠利は悠利なので、僕もシーラさん好きですよーとか暢気な返事をしているのだった。安定の悠利である。
シーラの練習に付き合う役目を持っているアルガも、二人と一緒に台所へ移動する。ちょうど隙間時間に当たるので、台所には誰もいなかった。悠利は冷蔵庫の中身と籠のパンを確認すると、材料を台所の作業台に並べた。
「パンは何でも良いと思います。今日はロールパンが残ってたのでそれで作ってみますね」
「はい」
「あ、俺は見てるだけで」
「了解です」
材料や作業道具を人数分準備しようとした悠利に、アルガは不参加を告げる。今日のメインはシーラなので、悠利も別に気にしなかった。シーラはうきうきと持参してきたエプロンを身につける。いつも店で使っているウエイトレスのエプロンである。
悠利が座業台の上に並べたのは、ロールパン以外には具材と作業道具のみである。調味料は一切準備をしていない。シーラでも失敗しないで作れるように、調味料を使わない方向で材料を考えたのだ。
「レタスはサラダに使った分が残っているのでこれをそのまま使いますね。パンに入る大きさにちぎると良いと思います。トマトは輪切り、ハムやチーズは食べやすい大きさに薄切りにします」
「解ったわ。任せて」
「はい、お願いします」
お手本として悠利が少量ずつ具材を切った後は、シーラが引き受ける。下拵えを担当しているという発言の通りに、彼女の包丁さばきはなかなかのものだった。少なくとも、アルガよりは上手である。その手際だけを見ていれば、彼女が料理が出来ないというのを疑ってしまうほどだ。
そんな感じでシーラが切り分けた材料を、悠利は真ん中に切り込みを入れたロールパンに挟んでいく。両脇にレタスで、真ん中にトマトとチーズとハムを挟むだけの簡単お手軽である。
「野菜だけだと何か味付けがないと物足りなく感じるかも知れませんが、ハムとチーズが入っているのでその味で食べられるかなと思います。もし物足りなかったら、食べる人が自分で何かちょい足しすれば良いと思うんです」
「そうね。切って挟むだけなら、私でも出来るものね。ほら見て兄さん、美味しそうよ!」
「盛り付けとかは得意だもんな、お前」
シーラ作のロールサンドは、悠利の作ったものと遜色がない程度には綺麗に出来上がっていた。試食と言うことでアルガと半分こして食べるシーラであるが、特に味に問題はなかった。レタスのシャキシャキと、トマトの瑞々しさと酸味。それだけでは味が物足りないと感じるだろう部分を、ハムとチーズの塩気が補ってくれる。シンプルだが、逆にだからこそ飽きの来ないだろう味だった。
それに、サンドイッチは手軽に食べられるので賄いに向いている。忙しい仕事の合間に両親が食べられるように、というシーラの希望にも添っていた。
「美味しいわ」
「それなら良かったです。あ、シーラさん、もう一つ作ってみませんか?」
「他にもあるの?あるなら嬉しいわ」
「サンドイッチは中身を変えれば色々出来ますからね」
ぱぁっと顔を輝かせたシーラに微笑みつつ、悠利は作業に取りかかる。キュウリとタマネギを千切りにして、ボウルに入れていくのだ。見本になる部分を切り終えると、シーラに包丁をバトンタッチだ。下拵えは得意だと言っていたウエイトレスさんは、キュウリとタマネギの千切りを問題なく作っていく。
「本当はキュウリは塩押しして水抜きをした方が良いんですが、止めておきます」
「……うん。調味料は使いたくないかな」
「俺も使わない方が良いと思う」
「なので、味付けはコレを使います」
ぱぱーんという効果音でも出そうな感じで悠利が取りだしたのは、マグロの油漬け、すなわちツナの入った瓶だった。きゅぽんと瓶の蓋を開けた悠利は、不思議そうにしている二人の前で、余計な油が入らないように気を付けつつ、ツナをボウルの中に投入した。
いつもの悠利ならば、ここでマヨネーズを取り出す。けれど、今日はソレをしないでそのままキュウリとタマネギの千切りと混ぜるだけだ。なので、悠利に言われるままにボウルの中身を混ぜているシーラは疑問を口にした。
「ユーリくん、ツナは美味しいけれど、味付けはどうするの?」
「このツナ、実は味付きなんです」
「え?」
「この間見つけたんですけど、バジルとガーリックが入っているタイプなんです。このまま食べてもちゃんと味があるんですよ」
にこやかに悠利が告げた内容に、兄妹は驚いたように瓶を確認する。そこにはちゃんと、味付きであることが明記されていた。それに、シーラが混ぜているボウルの中身を確認すると、バジルの粉末が見える。ガーリックの方は確認できなかったが、ふわりと香りが漂ってくるので入っていることは理解できた。
ぽかんとしているシーラに向けて、悠利は笑う。その顔はもう、いつもの悠利だった。最初に話を持ちかけられたときの困惑は、もうない。
「シーラさんの場合、自分で調味料を使うと失敗すると思うんです。でも、これはそのまま混ぜるだけで良いので、大丈夫かなと思って」
「ユーリくん、天才なの?」
「いえ、ただの凡人です」
感極まったようなシーラの発言に、悠利は打てば響くように返事をした。嬉しそうに笑うシーラは、悠利に言われるままに同じようにレタスを両端になるようにして、その間に和えたツナとキュウリとタマネギを挟み込んだ。
そちらも仲良く試食を行えば、予想以上にしっかりとした味が口の中に広がる。バジルとガーリックが少し多めに使われているのだ。また、それだけでなく塩分も入っている。なので、キュウリとタマネギと混ぜ合わせて良い感じに仕上がっているのだった。
「ユーリくん、これ凄い!私でも作れちゃう!」
「とりあえず、生で食べられるものを組み合わせを変えて挟んでみるのも良いと思います。あ、あんまり奇抜な組み合わせにしないで……」
「大丈夫。私、別に味覚は変じゃないから」
「味覚は正常だし、別に変な行動に出てるわけじゃないのに失敗するから、謎なんだよなぁ」
「兄さん煩い!」
きゃっきゃと喜びで騒いでいたシーラであるが、兄のツッコミには即座に叫ぶのだった。だがしかし、アルガが言っていることは真実である。普通の手順で作っているのに何故か料理が失敗するのだから、どうすれば改善されるのかが誰にも解らないのだ。困ったものである。
そんな風に賑やかに騒いでいると、知人の声を聞きつけたのかティファーナが現れる。アルガとシーラの二人と悠利という珍しい組み合わせに、指導係のお姉様はあらと上品に口元に手を当てて不思議そうにしていた。
「珍しいですね。アルガとシーラが二人で来て、それも台所にいるだなんて」
「よぉ、ティファ。邪魔してる」
「ティファ姉ー!聞いて!私、料理できた!」
「え?」
嬉しそうに顔を輝かせたシーラの言葉に、ティファーナは固まった。彼女はアルガとシーラの幼馴染みである。それも、二人の両親を親代わりにして育ったような、家族ぐるみで付き合いのある幼馴染みである。
すなわち、シーラの料理音痴っぷりをしっかりと理解している人物でもあった。なので、彼女が固まってしまうのも無理はないのだ。
シーラの発言の真偽を確かめるために、復活したティファーナは慌てたように台所へとやってきた。アルガと悠利を見て、困惑している。……そこでシーラに確認を取らないのは、ある意味優しさだったのかもしれない。
「ティファ、信じがたいかもしれないが、そこのサンドイッチはシーラが作ったんだ」
「ユーリくんに教わったの」
「…………ユーリ、それはどの程度シーラが作ったものなんですか?」
「僕、基本的に口しか出してませんよ?」
ティファーナの質問に、悠利はけろりと答えた。その返事を聞いて、ティファーナは奇妙なものを見るように作業台の上のサンドイッチを見た。ロールパンのサンドイッチである。二種類のサンドイッチは、少なくとも普通にサンドイッチに見えた。
ティファーナの記憶が確かならば、シーラが作った食べ物がこんな風に綺麗な状態でそこにあるわけがない。だからこそ疑ってしまうのだが、悠利が嘘をつくわけがないことも知っている。
ならば味がダメなのかと思ったりもしたが、アルガが平然と食べているのである。これ美味いなと普通の口調で食べるアルガを見てしまえば、これがちゃんとした料理であることに疑いはない。だからこそ、ますます混乱してしまうのだが。
「まぁ、ティファの気持ちも解るが、とりあえず食ってみろよ。どっちも普通に美味いから」
「え、えぇ……」
幼馴染み故の気安さでアルガが勧めれば、ティファーナはとりあえず困ったような顔をしつつも頷いた。そうして、二種類のサンドイッチに手を伸ばす。どちらも食べやすいように悠利が切り分けているので、ティファーナは苦も無くそれを食した。
そして。
「あら、美味しい」
「でしょ?でしょ、ティファ姉!」
「これはシーラが作ったのですよね?それなのに、この美味しさなんですか……?」
「ティファ姉、正直すぎると思うの……」
「今までが今までですから」
「うぅ……」
容赦のない幼馴染みだった。そして、誰もフォローは出来なかった。ティファーナの発言が正しすぎるのだから仕方ない。
そんなティファーナに理由を説明したのは、アルガだった。悠利は特に口を挟まずに、にこにこ笑っている。
「実はこのサンドイッチ、火も調味料も使ってないんだよ。切って混ぜて挟んだだけだ」
「調味料を使っていない……?ですが、このツナの方には味がありますよ?」
「それは、ツナに最初から味が付いているものを使ったんです」
「……なるほど」
アルガの説明を聞いても納得していなかったティファーナは、悠利が付け加えた台詞で大いに納得したらしい。それならば、とでも言いたげである。……それだけシーラの料理音痴が強烈だという証明だった。
そんなわけで、それからしばらくの間は、親に隠れてこっそりシーラのサンドイッチ練習が行われるのだった。勿論、うっかり変なことにならないように、アルガも一緒にです。
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