学者先生は引きこもり希望のようです。

「ジェイクさーん、お手紙ですよー」


 郵便配達員から受け取った《真紅の山猫スカーレット・リンクス》メンバー宛の手紙を手にした悠利ゆうりは、一つ一つ宛名を確認して分類作業をしていた。その途中で、すぐ側にいるジェイク宛の手紙を発見したので呼びかけたのだ。

 だがしかし、返事はなかった。


「ジェイクさん?」


 今日は別に行き倒れてなかったのに何で返事がないんだろうと悠利が視線を向ければ、ジェイクは手にした本を真剣に読んでいた。珍しく青みがかったレンズの眼鏡をかけている。とりあえず、本に集中していて聞こえていないらしいと判断した悠利は、小さくため息をついてから手紙の分類に戻った。

 そうして全ての手紙の分類が終わると、ジェイク宛の手紙を持ってソファに近づく。ジェイクは相変わらず本の世界に没頭していた。ちらりと悠利の視界に入った本は、何故か文字と文字の間に空白があって、虫食い状態だった。どちらかというと、学生が勉強に使う単語の抜けた参考書みたいな感じである。何だろうこの本と思ったが、それより先に本題だと悠利はジェイクの肩をポンポンと叩いた。


「おや、ユーリくん、どうかしましたか?」

「お手紙ですよ」

「あぁ、ありがとうございます」


 眼鏡を少しズラして悠利を見たジェイクは、差し出された手紙を受け取って柔らかに笑った。悠利がジェイクに手渡したのは、何の変哲も無いシンプルな手紙だった。だがしかし、それを見た瞬間ジェイクの表情が微かに曇った。


「ジェイクさん?」


 不思議そうに悠利が問いかけるが、ジェイクは何も言わずに手紙の封を切る。封筒の中から出てきたのは便箋と何かのカードだった。二つ折りにされたカードは、どうやら招待状のようである。

 それを見て、ジェイクはやれやれと言いたげにため息をついた。


「毎年毎年、師匠も律儀ですねぇ……」


 そう呟いて、ジェイクは悠利が予想もしなかった行動に出た。便箋と封筒はそっと膝の上に置いた本に重ね、招待状と思しき二つ折りのカードを手に取る。インドア派の学者先生のそれほど太くない指がカードを摘まむ。

 そして――。


「じぇ、ジェイクさん!?」


 悠利が驚いて声を上げるのも無理はなかった。ジェイクは、届いたばかりの招待状を半分に破ったのである。何をしているのかを悠利が確認するより早く、ジェイクは半分にした招待状を更に破った。そのまま何度か同じことを繰り返し、招待状は気づいたら粉々になっていた。

 呆気にとられている悠利に気づいたジェイクが、不思議そうな顔をする。かけたままの眼鏡の向こう、青いレンズの向こう側の瞳はいつも通りだった。


「どうしました、ユーリくん?」

「どうかしてるのは、ジェイクさんですよ……。届いたばかりのお手紙を、それも何か招待状っぽいものをいきなり破りだしたら、誰だって驚きます」

「おや、そうですか?僕には不要のものだったので、ゴミとして捨てようかと。破っておけば、誰かに悪用されることもありませんしね」

「……えー……」


 そういう次元じゃないと思います、と悠利はため息をついた。ジェイクはいつもとまったく変わらず、のんびりとした風情である。この学者先生は、いつでも本当にマイペースなのである。

 届いた手紙をあっさり破り捨てるジェイクの行動が、悠利にはちょっと解らなかった。なお、ジェイクに言わせれば、不要なのは招待状だけで、手紙はちゃんと残しているということになるのだろうが。

 実際、破った招待状をゴミ箱に捨てた後は、同封されていた便箋を大切そうに読んでいるジェイクである。……つまり、手紙の差出人はジェイクにとって必要な相手なのだろう。まぁ、だからといって開封して即座に内容物を破り捨てているという事実は消えないのだが。


「さっき捨てた招待状、本当に破って捨てても大丈夫なんですか?」

「心配しなくても大丈夫ですよ。毎年送られてきますが、毎年破り捨ててますし」

「え……?」

「師匠も律儀に転送してくれなくて良いんですけどねぇ。どうせ僕が行かないのなんて解りきってるんですから」

「毎年……?」


 やれやれと言いたげなジェイクの態度に、悠利は呆気にとられた。毎年毎年破り捨てているジェイクに、破り捨てるであろう弟子の行動が解っている筈なのに律儀に転送してくる師匠。後、毎年絶対に参加しないのに招待状を作成してくる主催者。誰にツッコミを入れれば良いのか解らなくなる悠利だった。

 そうこうしている間に手紙を読み終えたのだろう。ジェイクは大事そうに便箋を折りたたみ、丁寧に封筒へと片付けた。招待状はいらないが、師匠からの手紙は大切にしているのが伝わる。……伝わるが、やはり先ほどの招待状破り捨て案件が脳裏に浮かぶ悠利であった。

 そんな悠利に気づいたのか、ジェイクが楽しそうに笑いながら口を開いた。


「心配しなくても、建国祭の宴にはたくさんの参加者がいますから、僕一人が行かなくても問題はないんですよ。師匠と兄弟子はちゃんと参加していますし」

「……それ、逆にジェイクさんが行かないのは失礼にならないんですか?」

「不肖の、ついでに出不精の弟子が宴に参加しないぐらいで評判が落ちる師匠ではないので大丈夫ですよ」

「自分で言いますか、それ……」

「本当のことですしねー」


 はははとからからと楽しそうに笑うジェイク。自分で自分を解っていると言うべきか、開き直って自由を満喫していると言うべきか。だがしかし、そんなことを言っていても妙に憎めないのがこの学者先生の人徳である。……多分にそれは、常日頃のポンコツっぷりを知っているからだろう。


「それにしても、建国祭だと宴のお誘いが来るものなんですねー」

「まぁ、それなりに人付き合いがあるとそうなりますね」

「この間アリーさんに来ていた手紙なんて、豪奢な封蝋がしてありましたよ。インクは金色でしたし」

「アリーですからね」


 今までの生活で封蝋のされた手紙など見たことのなかった悠利は、その時の興奮を思い出しながらジェイクに説明する。そんな悠利に対して、ジェイクは件の手紙やその差出人が解っているのか、にこにこと笑っているだけだった。まぁ、毎年のことなので見慣れているというのもあるのだろう。

 招待状が送られてくる面々は指導係などの大人組であるが、それ以外のメンバーにも手紙は届いていた。ごく普通の手紙に混ざって、建国祭を一緒に楽しもうというようなお誘いの手紙もあるらしい。リヒトなどは、《真紅の山猫スカーレット・リンクス》に入る前のパーティーメンバー達からお誘いがかかっていたようだ。

 悠利にとって少し面白かったのはウルグスで、王都ドラヘルン出身で近所に実家のあるウルグス坊ちゃんは、下働きの少年が親からの手紙を直接届けに来ていた。普段忙しく修行に明け暮れるウルグスは滅多に実家に顔を出さないので、定期的にお手紙が届くのである。その中に、建国祭を一緒に過ごそうという内容のものがあったらしく、面倒そうな顔をしながらも了承の返事を出していた。

 ……なお、情報通のカミールに言わせれば、「久しぶりに兄弟全員が揃うっぽいから、アレ絶対照れ隠しだぜ」とのことであった。むしろその情報をどこで仕入れてきたのか聞きたい悠利であった。商家の息子、恐るべし。


「そういえば、ジェイクさん、今日は何で眼鏡をかけているんですか?」

「え?」

「その青い眼鏡です。確か、ジェイクさん別に視力は悪くないですよね?」


 万年眼鏡小僧の悠利と違い、睡眠不足になるほどに本の虫なところのあるジェイクだが、視力は決して悪くない。明け方まで本を読んでいれば視力が下がって眼鏡を必要としそうなのに、その気配はちっとも無いのである。だからこそ、そのジェイクが眼鏡を付けているのが不思議になった悠利である。しかも、レンズが青いのだからなおさらだ。

 悠利に言われて、自分が眼鏡を付けていることを思い出したのだろう。ジェイクは青いレンズの眼鏡をそっと外すと、自分が持っている本のページを開いた。そうして、青いレンズ越しに本が見えるようにして悠利に見せる。

 そこには、先ほどまで空白だった部分にぼんやりと文字が浮かび上がっていた。ぽかんとする悠利に、ジェイクはにこにこと笑いながら説明する。


「この本は一部に特殊なインクが使われていて、重要な部分はこの眼鏡を使わないと読めないようになっているんですよ」

「凄いですね。文字がまるで浮かんでいるみたいです」

「そうなんですよ。ただ見えるようになるのではなく、浮かんでいるように見えるんです。……まぁ、そのせいで慣れないと読むのに疲れたりするんですけどね」

「あ」


 ジェイクのちょっと困ったような言葉に、悠利は小さく声を上げた。確かにそうだと思ったのである。3D文字を思い浮かべて貰うと近いだろうか。普通に書かれている文字の合間合間に、ぽこぽこと立体っぽい浮かび上がっているような文字が入ってくるというのは、慣れていないと目が疲れる。

 悠利に視線を向けられたジェイクは、苦笑しながら眉間をぐりぐりと指で解していた。本の虫である学者先生としても、3D文字を読むのは疲れるらしい。ただ本を読むだけで疲れることがあるなんて大変だなぁと思う悠利だった。

 興味津々といった様子の悠利に、ジェイクはそっと眼鏡と本を貸してくれた。眼鏡の上から眼鏡を装着するのは難しそうだったので、悠利は虫眼鏡かルーペのように青いレンズの特殊眼鏡を持って本を見る。

 ……なお、書かれている内容はジェイクが好むとおり専門書なので、さっぱり解らない。なので悠利は、本の内容を読んでいるというよりは、浮かび上がる3D文字を面白がっているだけだった。どう考えても扱いが玩具であるが、興味を持つことが大事と言いたげにジェイクはそれを咎めなかった。


「ジェイクさん、ありがとうございました。色んな本があるんですね」

「面白かったですか?」

「はい」


 本と眼鏡を悠利が返却すると、ジェイクは楽しそうに笑いながら問いかける。それに悠利は素直に返事をした。実際、3D文字を眺めるのは楽しかったので。……まぁ、内容は難しすぎてさっぱり解らなかったのだけれど。その辺は仕方ない。

 悠利から本を受け取ったジェイクは、ゆっくりと立ち上がった。見上げる悠利に笑いながら、一言。


「師匠に返事の手紙を書いてきます」

「そうですか」

「書き終えたら出してきてもらえますか?」

「買い出しのついででよければ」

「よろしくお願いします」


 ぺこりと頭を下げるジェイク。その背中が妙にうきうきしているので、悠利は首を傾げた。いつもは、お師匠様からお手紙が届いたとしても、こんな風に即座に返事を書こうとはしないのに、と。

 そんな悠利の耳に、ジェイクの独り言が滑り込んだ。


「面倒事は全部師匠にお任せするのが良いですよねー」


 実に能天気な、ついでに物凄く自分勝手な弟子だった。うわぁと悠利は思った。うきうきしているのは、厄介ごとを師匠に丸投げしようとしているからだった。ジェイクさん、と思わず呟いた悠利は、けれどそれ以上何も言えなかった。ある意味いつも通りとも言えたので。

 届いた招待状を破り捨て、恐らくそれに付随するであろう厄介ごとは師匠に丸投げ。その程度にはジェイクは表に出るのが好きではないのだと悠利は察した。いや、普段のジェイクを見ていれば、そんなことは一目瞭然なのだけれど。色々と凄い論文を書いたりしている割に、この学者先生はアジトでのんびりまったり過ごすのが最良と考えている節があるので。

 とはいえ、ジェイクのその気持ちがちょっぴり解る悠利でもあった。悠利も、目立つこととか大袈裟なことが苦手で、大々的に表彰されるとか大きなパーティーに招待されるとかになったら、どうやって逃げようかと考えるタイプなのだから。小市民的な感覚で言うと、身内での祝い事ならともかく、大仰な式典とかには参加したくないのである。


「ジェイクさん、凄い先生の筈なのに、本当にマイペースだなぁ……」


 しみじみと呟く悠利だった。仲間達がいたら、お前が言うなとツッコミを入れてくれただろうが、生憎誰もいなかった。なので悠利は、自分が同じ穴のむじなだという事実に気づくこともなく、家事に戻っていくのだった。

 悠利も大概マイペースです。




 なお、さっさと師匠に丸投げしたかったのか、ジェイクは超特急で手紙を書き上げ、そのあまりの速さに悠利が呆れるのであった。普段の倍速ぐらいの行動の速さだったので。




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