出汁とお揚げで美味しいカレーうどん。


「じゃあ、今日のお昼ご飯はカレーうどんにしようね」

「カレーうどん……」

「うん。色んな作り方があるけど、僕の家では出汁で伸ばしてたんだよね」

「……前、言ってた」

「そう、それ」


 笑顔の悠利ゆうりの発言に、マグは表情自体はいつも通り殆ど動いていないながら、ぱぁっと纏う空気を明るくした。待ち望んだカレーうどんである。悠利が初めてカレーを作ったときに話題に出たカレーうどんを、マグはちゃんと覚えている。だがしかし、その頃はうどんが作れなかったので、無理と一刀両断されたのだ。

 昨夜は三種類のカレーと大量のトッピングでカレーを満喫したのだが、カレーうどんはまた別枠だ。作り方も様々で、カレーをそのまま茹でたうどんにかけるパターンのものもあれば、悠利が作ろうとしている出汁で伸ばしたカレーでうどんを煮込むパターンもある。各自の好みやお店によって異なる感じだ。

 悠利が作ろうとしているのは、所謂「うどん屋さんのカレーうどん」である。和風出汁でカレーを伸ばし、それでうどんを軽く煮込んだ料理である。追加する具材はシンプルにタマネギと、旨味成分を追加するためのお揚げになる。


「それじゃ、まずはカレーを伸ばして味付けをするよ」

「諾」


 任せろと言いたげに力強く頷くマグ。出汁が絡む料理の場合、彼のやる気は著しく向上する。それはもう、驚くほど一生懸命なのだ。何が彼の心をそこまで捕らえたのかは、悠利にもやっぱり解らない。解らないが、好きなものが出来るのは良いことだと思ってスルーしている。……だって、原因が誰にも解らないのだから。

 作っておいた昆布だし(あらかじめ昆布を水に浸けておいただけのもの)をカレー鍋に追加していく。あまり入れすぎてもカレーの風味が消えてしまうので、そこは分量に気を付けながらだ。今日の昼食は悠利とマグ、そして留守番をしているアリーの三人分だけで良いので、あまり多くなりすぎないように注意である。

 そうして分量を調整したら、鍋を火にかけて焦げ付かないようにヘラで混ぜながら温める。昆布だしとカレーがしっかり混ざるように丁寧に混ぜ合わせ、沸騰してきたら味見をしてから味を調える。ここで追加する調味料は塩や醤油といった和風の味付けに使うものばかりだ。旨味が足りないと感じたならば、顆粒だしなどを各種追加するのも良いかも知れない。

 味の中心はカレーで、スープのベースは昆布だし。醤油や塩、追加した顆粒の鶏ガラなどで味を調える。小皿で味見をした悠利は、流れるように隣のマグにも味見をさせた結果、小皿を手にしたマグがじーっと悠利を見詰めるということになった。


「……マグ、それ味見だから」

「美味」

「うん。美味しかったのは何よりだけど、まだ完成してないから」

「美味」

「具材追加してカレーうどんに仕上げてからだからね」

「……美味」


 美味しいと何度訴えても笑顔で一刀両断してくる悠利に、仕方なさそうにマグが折れた。どちらも慣れたと言える。マグが出汁に食いつくのはいつものことだし、悠利も何だかんだでそんなマグの使い方を覚えてきたとも言える。それに、今の段階でも美味しいのだから、これが完成したら更に美味しいのだろうとマグが思ったのもある。

 ベースのカレースープが完成したら、次は具材の準備である。皮を剥いたタマネギは、味噌汁の具材などに入れる程度の太めの千切りし、お揚げも食べやすいように小さめに刻んでしまう。大きく切っても良いのだが、味が染みこみやすいように小さくすることに決めたのだ。

 きつねうどんのお揚げとは違って、このお揚げはこれからカレーで煮込んで味を付ける必要がある。なので、あまり大きく切らずに、葉物と炊くときや、味噌汁に入れるときぐらいの大きさに切る二人だった。

 なお、悠利がお揚げを切っている傍らで、職人モードに入ったマグが、タマネギをほぼ均一に切り続けているという光景があった。別に包丁使いがそこまで上手なわけではないのだが、同じサイズに切るという作業がとても得意なマグであった。何が理由かは解らないが、適材適所として普段も野菜を切るのを担当して貰っている悠利である。

 なお、恐らくであるが、マグが同じ大きさに食材を切ることに長けているのは、育ちが多少なりとも影響している。彼が育ったのはとある街のスラムである。弱肉強食の世界で生き延びてきたマグが身につけた処世術に、「言われたことはきっちりこなす」というのがある。素直に従っていれば無意味にいちゃもんを付けられることもないからだ。

 なので、「この大きさに切ってね」と頼まれた食材を、その通りに切るのは彼にとって当然だった。勿論他の面々も同じサイズに切ることぐらいは出来るのだが、マグは他の者達に比べてサイズのズレが少ないのだ。職人っぽいと言われる所以だった。


 閑話休題。


 具材が切り終わったら、それを鍋に投入する。出汁でゆるめてあるとはいえカレーなので、強火では焦げ付いてしまう。中火ぐらいを維持しつつ、具材が焦げないように時々ヘラでかき混ぜながら火が通るのを待つ二人である。


「あ、マグ、浅漬け出しておいて」

「諾」


 悠利のお願いに、マグはすぐさま動きだした。なお、この浅漬けというのは、大きめのボウルに切った白菜やキュウリ、人参を塩と昆布系の顆粒出汁を揉み込んで重しを載せて作っている、お手軽漬け物である。ぬか漬けとは違ってあっさり仕上がるので、サラダ代わりにもなる感じだ。

 カレーうどんは美味しいけれど、やはりカレーは味が濃い。和風だしでゆるめたところで、カレーの味が濃いことは変わらない。なので、口直しにあっさりとした浅漬けを用意しようと思ったのである。本日の昼食メンバーが悠利とマグとアリーなので、誰一人浅漬けを忌避しないというのもあった。

 なお、忌避はしていなが味がちょっと薄い気がする、などと言う面々もたまにいる。浅漬けはサラダと違ってドレッシングなども追加しないので、ほんのり塩味では物足りなく感じる者もいるらしい。そこら辺は好みなので仕方ない。

 いそいそとボウルを取りだして三人分の小鉢に浅漬けを盛りつけているマグ。その背中に、カレー鍋をくるくると混ぜている悠利の言葉が飛んできた。


「マグ、つまみ食いしちゃダメだよ」

「……」


 見えていない筈だというのに、悠利の声は謎の確信を持っていた。マグはぴたりと動きを止めて、ゆっくりと振り返る。しかし、悠利はマグに背中を向けている。小首を傾げたマグであるが、悠利は続けて言葉を発した。


「見えてなくても解るから。ご飯の時にお代わりは良いけど、つまみ食いでいっぱい食べるのはダメ」

「………………諾」

「頷くまでが長いよ……」


 まったくもう、と呆れたような呟きが聞こえるが、言葉の内容ほどに怒ってはいない声音だった。見えていないのに凄いなと思ったかどうかは定かではないが、マグは器に入れ終えた後に菜箸で掴んでいた浅漬けを、そっとボウルに戻すのだった。……味見をしようとしていたのは事実だった。出汁の信者、抜け目がない。

 そんなちょっとしたトラブルはあったものの、具材のタマネギとお揚げがよく煮込まれ、味がしっかりと染みこんだのを確認した悠利は、愛用の学生鞄に手を伸ばした。悠利の学生鞄は規格外の性能を誇る魔法鞄マジックバッグである。容量無制限に加えてソート機能と時間停止機能を備えた色々とアレなハイスペックさんである。

 その魔法鞄マジックバッグから悠利が取りだしたのは、ボウルに入ったうどんだった。こちら、ヤクモを初め体力自慢の皆さんに手打ちをして貰ったうどんである。茹でる前の状態のものもあるが、今悠利が取りだしたのは一度茹で上がっているうどんだ。

 手打ちうどんは、普通ならば長期間の保存は難しい。味も落ちるし、そもそも乾麺にしているのならまだしも、打ち立てを食べるようにしているのだから保存には適していない。だがしかし、そこをねじ曲げるのがハイスペック魔法鞄マジックバッグな悠利の学生鞄であった。時間停止機能が付いているので、入れたときそのままの状態で保存されるのだ。

 そこに目を付けた悠利は、茹でる前の打ち立ての状態のうどんと、一度ゆであげて食べるだけになったうどんとに分けて、大量のうどんを学生鞄に保管しているのである。うどんが食べたいなと思ったときに、すぐに使えるようにであった。……その為に延々と手打ちをさせられた面々にはご愁傷様と言うべきだが、彼らは彼らで出来たてを食べてご満悦だったので多分問題ないだろう。


「それじゃ、今日はこの茹でてあるうどんを投入するね」

「諾」

「あんまりくたくたになるまで煮込んじゃうと食べにくいから、ほんのりカレー色になるぐらいで」

「諾」


 鍋に三人分のうどんを投入する悠利。……なお、三人分で足りないかなと思ったので、少し多めに投入したのは、マグ対策である。アリーも悠利よりは食べるのでお代わりを希望するかも知れないが、うどんが無い場合はパンでも別に何も言われないと解っているので。問題は、出汁の信者である。今ですら齧り付くように鍋を見ているのに。

 うどんを投入した後も、中身が焦げないようにゆるゆるとかき混ぜるのを忘れない。しばらく煮込んでいると真っ白だったうどんがほんのりカレー色に染まってきたので、悠利は隣のマグに器を用意してくれるように頼もうと、した。

 そう、頼もうとしたのだ。しかし、その時既に。


「大鉢、三つ」

「……う、うん」

「箸、木のスプーン」

「……うん」

「水、浅漬け」

「……か、完璧だね、マグ……」


 トレイに既に、全ての用意が調っていた。これからカレーうどんを入れる為の深めの大鉢に、箸と熱くないように考慮して木のスプーン。飲み物である水の入ったグラスと、浅漬けを入れた小鉢。準備万端だった。


「……マグ、最近先取りを覚えたね……」

「早い」

「そうだね。この方が早く食べられるもんね……」


 美味しい出汁料理をさっさと食べる為には、準備を手早く済ませることが大事だと悟ったらしい。つい先日まで鍋に齧り付いて離れなかったというのに、今は気分を切り替えて用意をさっさと終わらせるようになった。成長してくれたのは嬉しいが、その理由が出汁を堪能することだと解っているのでちょっと複雑な悠利だった。

 勿論、マグが先を読んで必要なことが出来るようになっているのは、長い目で見ても良い傾向だ。周囲を観察して必要な準備をするというのは、他の場面でも立派に役に立つだろう。ただ、繰り返すが、その成長の源は出汁料理が食べたいなのである。マグの出汁への愛は今日も重かった。何故こうなったのか誰にも解らない。

 まぁ良いかと思いつつ、悠利は大鉢にカレーうどんをよそっていく。カレーうどんで何より怖いのは跳ねなので、お玉にうどんを入れてから器に入れるようにする。そうしないと、ぴちゃんと跳ねたカレーが服や顔にべちゃりとくっついてしまうのだ。顔ならばまだ良い。皮膚は良いのだ。問題は、服である。カレーの染みは取るのが大変なので、そこは気を付けなければいけない部分だ。

 うどんを器に入れてたら、次はカレーだ。具材も均等に入るように気を付けつつ、カレーをかけていく。出汁で伸ばされたカレーは、ほかほかと湯気を出しながらも、ほんの少しマイルドな香りだった。和風の優しい感じが滲み出ている。


「はい、出来上がり。マグ、アリーさん呼んできて」

「諾」

「……って、もう見えないし……」


 出汁が絡むとスペックが三割増しぐらいになっている気がするマグである。まぁ、そこまで熱意を傾けられる何かがあるのは良いと思うことにした悠利だった。皆に聞く限り、以前のマグは特に何にも興味を示さず淡々と日々を生きていたらしいので。……そんなマグを悠利はほぼ知らないので、それ誰のこと?と言いたくなるのだが。

 ほどなくして、マグに呼ばれたアリーが食堂に顔を出した。トレイの上には大鉢に入ったカレーうどんと、小鉢に入った浅漬け。


「カレーか?」

「カレーうどんです」

「うどん?カレーとうどんを一緒に食べるのか?」

「はい。今回はうどんに合わせて出汁や醤油で味を調整してあります」

「……なるほど。だからこいつがご機嫌だったんだな」

「……はい」


 顔は普段通りの無表情だが、ぴっこぴっこと頭の上に音符でも浮かんでいそうなぐらいにはご機嫌なのが丸解りのマグである。アリーのしみじみとした発言に、悠利は万感を込めて頷いた。それはもう、メニューがカレーうどんと解った瞬間からご機嫌でしたもの、とでも言いたげである。

 温かいうちにどうぞと悠利に促され、アリーも席に着く。いただきますと手を合わせて唱和した後、各々食事に取りかかる。うどんをすするのは慣れない人間には難しいようで、《真紅の山猫スカーレット・リンクス》でも問題なくそれが出来るのは悠利とヤクモのうどんに親しんでいる二人ぐらいだった。

 ……だった、筈である。


「……マグ、いつの間にうどんすすれるようになったの……?」

「……美味?」

「あぁうん、確かにうどんはすすって食べた方が美味しいけどね」


 僕が言いたいのはそう言うことじゃないです、と思わずぼやく悠利の目の前で、カレーが跳ねるのを軽快してか器に顔を近づけてちゅるちゅるとカレーうどんを食べているマグがいる。確か、うどんを最初に食べたときにはすすれなかった筈だし、その後もそんなに何度もうどんを提供したわけでもない。出汁に関しては謎の学習能力を発揮しているらしいマグだった。

 そのマグの隣では、お前器用だなと呟きながらアリーが木のスプーンにうどんを載せて食べている。こちらはまだうどんをすするのは得意ではないらしい。カレーが跳ねるのを気にして、スプーンを利用して食べている。

 まぁ、悠利にしてみればどんな食べ方でも美味しく食べてもらえればそれで良いのだが。マグ凄いなぁと思いながら、自分もカレーうどんをちゅるんとすする悠利。勿論、跳ねないように気を付けて、である。


「んー、おーいーしー」


 カレーは昨日たっぷりと堪能したのだが、カレーうどんはまた別枠だった。トッピングとスパイスを楽しんで食べたカレーと、出汁と醤油のまろやかさで楽しむカレーうどんは、どっちも違ってどっちも美味しかった。若干の食感を残したタマネギも、カレーを吸い込んだお揚げも絶妙なアクセントを添えている。

 昆布だしと醤油の絶妙なハーモニーがカレーの味わいを更に深くしている。カレーうどんはこのタイプが好きだなぁと実感する悠利だった。うどん屋さんで出てくる、和風だしの良く聞いた日本人好みの和風に調整されたカレーうどんが、悠利は好きなのである。


「マグ、美味しい?」

「美味」

「普通のうどんとどっちが良い?」

「…………」

「いや、そんな真剣に悩まないで……」


 悠利の素朴な疑問に、マグは固まった。普通のうどんとは、すなわち出汁が美味しい和風のいつものうどんのことだ。めんつゆを使った冷やしうどんも大変美味しい。だがしかし、出汁の信者であるマグにとって、目の前のカレーうどんも出汁を堪能できる美味しい料理なのだ。比べるなんて不可能らしかった。

 ごめんごめんと悠利が謝ると、特に答えなくても良かったらしいと理解したマグは、そのまま食事に戻った。黙々とカレーうどんを食べている。この調子ではすぐにお代わりするんだろうなと思いつつ、そこまで喜んでくれるなら作って良かったと思う悠利だった。


「あ、アリーさん」

「何だ?」

「コロッケとかカツとかちょっと残ってるんで、もしも載せるなら温めますけど」

「いや、俺はこのままで十分だ」


 もぐもぐとカレーうどんを食べながら悠利が伝えた情報であったが、アリーはあっさりと辞退した。きょとんした悠利が疑問をぶつける。


「そうですか?お肉とか玉子とか何もありませんけど」

「カレーだからだろうな。このままでも十分満足感がある」

「それなら良かったです」


 いつものカレーならば肉が入っているのだが、今日は昨日のトッピング祭りように肉無しカレーで作ったので、物足りなくないのかと心配したのだが、杞憂だったらしい。カレーの美味しさは肉が入っていないぐらいでは損なわれないのだなと納得した悠利だった。




 なお、想像に容易いだろうが、マグはカレーうどんをお代わりし、鍋に残った最後の分まできっちり完食しました。安定のマグであった。




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