温泉宿のお風呂は、楽しいです。

「うわぁ、広いー」

「さっすが温泉都市の風呂!でけぇ!」

「キュキュー!」


 夕飯前の夕刻、悠利ゆうりとクーレッシュはこれから数日お世話になる宿青の泉亭の大浴場にやってきていた。《青の泉亭》には男女それぞれの大浴場が一つずつと、予約で使える家族風呂のようなやや小さめの風呂が一つ、そして、湯浴み着着用が義務づけられている混浴の露天風呂がある。

 湯浴み着?と悠利は首を捻ったのだが、皆はあまり気にしていなかった。そこで悠利はふと、外国のスパでは水着着用が義務づけられている場所があることを思い出した。よく考えると、大浴場に裸で入る習慣がある国は少ないのかも知れない。しかしこの世界の住人はその両方に適応しているらしかった。異世界は不思議で満ちている。

 とにかく、湯浴み着着用の露天風呂に行く前に、悠利達は普通の大浴場へと足を運んでいた。大浴場と言うだけあって、広い。建物の大きさの割に客室が少ないなぁと悠利は思っていたのだが、風呂場にスペースを取っているだけだった。流石温泉都市の宿屋。


「アジトのお風呂も大きいけど、ここのは本当に大きいねぇ」

「だな。いやー、こんだけ広いと、子供とか泳ぎそうじゃね?」

「あははは。確かにねー」


 眼前に広がる大きな湯船に素直な感想を告げるクーレッシュに、悠利も思わず笑った。日本でも大きなお風呂で子供が泳ぎたがるのはよくある光景だった。子供にしてみれば、大浴場も温水プールも変わらないのだろう。


「それにしても、他に誰もいないんだね」

「皆出かけてんじゃね?あと、家族風呂使ってるって宿の人は言ってたけど」

「そっか。貸し切りみたいで凄いね」

「だな」


 広い風呂場に自分達しかいないというのは、ちょっとしたうきうきだった。特に、宿の主人に聞いたところ「スライムなら別に風呂場を汚すこともないから、連れて入っても良いですよ」と快諾して貰ったおかげで、悠利達と一緒に風呂に入ることが出来ているルークスがうきうきしている。別にお風呂に興味はないが、悠利と一緒にお出かけで、悠利と一緒に宿屋のお風呂という状況に喜んでいるらしい。

 まずは身体を綺麗に洗ってから、ということで悠利もクーレッシュも洗い場で頭と身体を手早く洗う。本当はそんな必要はないのだが、ルークスも二人のマネをして身体の一部を伸ばし、わしゃわしゃと身体を洗うスポンジで自分の身体を擦っていた。つるつるのスライムで汚れすら分解吸収するルークスにはまったく必要のない作業だ。それでも楽しそうにキュイキュイ鳴きながら身体を洗うルークスの姿に、悠利とクーレッシュは思わず顔を綻ばせていた。

 何というか、小さな子供が一生懸命大人のマネをしているような微笑ましさがあるのだ。普段は別に一緒にお風呂に入ったりしないのだが、こんな風に楽しそうなら、時々はアジトで一緒にお風呂に入っても良いかなと思う悠利だった。基本、従魔というのは一緒に入浴ではなく、洗い場で沐浴とかで終わるので。


「ところでルーちゃん、頭の王冠、そのままで大丈夫なの?錆びない?」

「キュ?」

「あー、金属だもんな。こっちの水は平気でも、温泉はやばいんじゃね?」

「キュキュ!」


 悠利とクーレッシュの心配に、ルークスは大丈夫と言いたげに鳴くと、ぽよんと跳ねた。跳ねて、そして、頭の上に載せているトレードマークにもなっている王冠をむにむにと自分の体内へと取り込んだ。取り込んではいるが、従魔を示すタグはちゃんと見えるように上向きにされている。

 半透明の身体に入り込んだ王冠が見えるのはちょっとシュールだった。


「……ルーちゃん、器用だね」

「……分解すんじゃねぇぞ」

「キュウ!」


 遠い目をした悠利とクーレッシュの言葉に、ルークスは心配するなと言いたげに胸を張った。……ような仕草をした。まぁ、これでお気に入りの王冠が錆びる可能性が減るのであれば構わない、と二人は思った。ルークスはこの王冠が大好きなのだ。ちょっとでも汚れると自分の中に取り込んで掃除をするぐらいに。そして、僅かでも形が歪んだら、アクセサリー職人のブライトのところで修理して貰いたがったりするぐらいに。

 とりあえず問題なしと解ったので、身体を洗い終えた悠利とクーレッシュはルークスを伴って湯船へと向かう。大きな湯船になみなみと広がる温泉。独特の硫黄の匂いがするものの、そこまで強くはないので不快感はない。手を伸ばして触れてみれば、ややとろりとしたお湯が指の間を流れ落ちた。

 足を滑らせないように気を付けながら湯船に入ると、ほどよい温度のお湯が心地好かった。流れ込んでいる部分はやや熱いのだが、入る場所を調整すればそこまで熱くないので良い感じだった。


「あー、いい湯加減だねー」

「広いし、温度良い感じだし、貸し切り状態だし、最高だなー」

「ねー」


 足を伸ばしてのんびり入っても誰にも文句を言われない貸し切り状態は最高だった。悠利もクーレッシュもご機嫌だ。そして、彼らは思った。ルークスはどうしているのか、と。


「え?待って?ルーちゃん沈まない?」

「俺も今思った。深さそこそこあるよな?大丈夫なのか?」


 慌ててルークスがどこにいるのかを確認した彼らは、目を点にした。そこには、ぷかぷか浮きながら身体の下の三分の一ぐらいをお湯に浸けているルークスがいた。ぷよんぷよんとお湯の流れに任せて動いている。気持ち良いのか、キュイキュイとご機嫌だった。目がキラキラしている。


「……クーレ、スライムって浮くんだね」

「……俺も初めて知ったわ」

「何かこう、小さい子が掴まって泳いでそうだなって思った」

「解る」


 悠利の脳裏に浮かぶのは、ビーチボールだった。大きなビーチボールを浮き輪代わりにして、子供が流れるプールで遊んでいるような情景が浮かんでいた。クーレッシュも似たような光景を思い浮かべたのか、二人は生温い笑顔を浮かべるのだった。

 とはいえ、ルークスが沈みもせずに温泉を堪能しているのなら、それで良いと思えた。これならば特に心配しないで良いだろう、と。安心したので自分達もこの極楽空間を堪能しようと思う二人だった。


「そういえば、宿屋選びってどんなことしたの?」

「ん?まず、各宿屋で料金とか制度とか設備とか確認して、次に酒場とかギルドとか商店とかで聞き込み」

「聞き込みまでしたの?」

「するする。観光案内所みたいなところで聞くのも悪くないけど、俺らみたいな冒険者だと、やっぱり冒険者ギルドの情報が一番アテになるしな」

「そうなんだー」


 現代日本で言うところの口コミやネットの評価みたいなものを、足で確認して回ったということになる。情報は大切で、今回訓練生達に叩き込まれたのは、どこで正しい情報を手に入れやすいか、みたいなところなのだろう。後は、入手した情報をどういう条件で比べるか、などだ。

 良い宿屋を探すと簡単に言っても、そのときの状況や条件によって宿屋が変わる。良い宿屋として以前使った場所も、次のときに条件が違えば該当からは外れる。行きつけの宿屋を作るのも良いが、複数の宿屋の情報を持っておくことも大切なのだ。

 ましてや、ここは温泉都市である。観光客が次から次へと押し寄せる場所なので、一つの宿屋だけに決めておいて部屋が取れなかったら泣きを見る。ちなみに今回は、あらかじめ手紙で宿の手配をしてあるので、その心配は必要なかったりする。

 ……ただし、帰路は別だ。陸路で一週間。合間合間に野宿を挟むとしても、何回かは街で宿を取ることになる。その場合の宿の手配は、今日色々叩き込まれた訓練生達の実施訓練になるらしい。宿ちゃんと手配出来るかなーとクーレッシュが遠い目になっているのはそのせいだった。

 ちなみにクーレッシュが出来るか不安に思っているのは、人数が多いからだ。一つの宿屋で全員泊まるのが難しいかも知れない、と思っているのだ。まぁ、その場合は何人かに分かれてしまえば良いのだけれど。慣れないことは緊張するなぁと思うのは誰でも同じだと思います。


「ユーリー、クーレー!聞こえるー?」

「ねーねー!露天風呂行かないー?」

「レレイさん、ヘルミーネさん、あちらに他のお客様がいたらご迷惑ですよ……!」

「「……うわぁ」」


 悠利とクーレッシュは二人揃って遠い目をした。「知ってるか?あいつらアレで俺らより年上なんだぜ」とクーレッシュがぼやけば、悠利は「イレイス可哀想」と小さく呟いた。テンションに任せて突っ走るレレイとヘルミーネに、小声で訴えているイレイシアを不憫に思う二人だった。何しろ、二人ともイレイシアの言葉を聞いていない。

 ねーねーと二人の声が聞こえてくる。大浴場は天井部分が繋がっていて、声は確かに届く。届くのだが、風呂場なので反響する。そして、他に客もいないので無駄に響くのだ。その状態で大声で呼びかけてくるレレイとヘルミーネに、年上って何だっけ?と思う二人だった。


「キュ?」

「あー、大丈夫、ルーちゃん。多分あっちも誰もいないんだと思うよ」

「ねー、聞こえてるー?」

「聞こえてるよ、バカレレイ!公共の場で叫ぶんじゃねぇよ!」

「バカじゃないもん!」

「クーレだって叫んでるじゃないのー」

「お前らが煩いからだよ!」


 ツッコミ役は今日も忙しそうだった。頑張れクーレ、と悠利は思う。

 とはいえ、露天風呂に行くこと自体は別に嫌ではないので、もうちょっとしたら向かうと返事をすると、後でねー!と元気よく去って行く声が聞こえた。去り際、申し訳ありませんでした、と壁越しにイレイシアに謝られて、君は悪くないと心から思う二人だった。

 あまり待たせても煩いだろうと解っているので、悠利とクーレッシュはほどほどで切り上げて脱衣所へ向かう。ルークスも二人の後を大人しく付いてくる。露天風呂は大浴場とはまた別の脱衣所で着替えなければならないので、手早く身支度を調えて移動する。

 露天風呂に通じる脱衣所には、入り口に何枚かの湯浴み着が積まれていた。自分のサイズに合うものを勝手に使えば良いのだ。使い終わったら脱衣所の籠に入れておけば良いというシステム。実に便利だった。

 男性用の湯浴み着は、腰巻きのようになっている。くるりと腰から膝辺りまでを覆う長さで、紐で括るように作られている。ほどけないようにしっかりと湯浴み着を身につけて脱衣所を出れば、綺麗な庭に面した露天風呂が広がっていた。


「わぁ、綺麗な庭だね」

「なるほど。こりゃのんびり過ごすのに良いな」

「あ、来たー!」

「おそーい」

「喧しい!」


 ぱちゃぱちゃと先に露天風呂を堪能していたらしいレレイとヘルミーネの台詞に、クーレッシュが思わず叫ぶ。ゆっくりのんびり温泉を堪能しようと思ったのに、結局いつも通りのわちゃわちゃである。まぁ、仕方ない。これもまた旅行の醍醐味ということだろう。

 女性陣の湯浴み着は、七分丈のワンピースみたいな作りをしていた。レレイとヘルミーネは肩紐があるタイプで、イレイシアは肩紐なしだった。動きやすそうには作ってあるが、色々見えては問題なので広がりは少ない。どちらかというとぴったりとしたデザインだった。


「この湯浴み着って楽しいね。これがあれば一緒にお風呂入れるし」

「入れるっつっても、湯船に浸かるだけだろ。身体洗うのには不便だし」

「それでも一緒にごろごろ出来るのは楽しいよ?」

「……お前そういうところ本当に……」

「ん?」

「いや、何でもない」


 年頃の女性らしい嗜みとかからは遠い場所にいるらしいレレイだった。彼女にとって重要なのは、せっかく皆で一緒に温泉都市に来たのだから、一緒に温泉を楽しみたい、なのだ。それ以外の理由は一切存在しない。その証拠に、ぷかぷかう浮かぶルークスを相手に楽しそうにしている。


「はい、これあげるー」

「ヘルミーネ、これどうしたの?」

「露天風呂の入り口に置いてあるの。お代わり自由よ?」

「へー、便利だね」

「冷たい飲み物があれば、逆上せにくいもんな」


 ヘルミーネから手渡されたグラスを受け取る悠利とクーレッシュ。グラスの中身は冷えたハーブ水だった。温泉で火照った身体には実にありがたい。ちなみに、先に購入しておけば露天風呂では酒も飲めます。夜だと月も見えるので、月見酒が大変人気です。

 不意に、ぱしゃん、ぱしゃんという音が聞こえて、悠利とクーレッシュが視線をそちらに向ける。と、白い肌を火照りで少し赤く染めたイレイシアが、幸せそうに尾びれを動かしていた。尾びれを。


「あ、イレイス、お風呂入るときは尾びれなんだっけ?」

「え?あ、はい。水やお湯の中ですと、こちらの方がくつろげますから。……あの、見苦しければ足にしますけれど……」

「ううん。全然問題ないよ。ただ、魚の尾びれがお湯の中で動いてるの不思議だなって思っただけ」

「まぁ」


 悠利は正直だった。そして、その正直さが逆にイレイシアには好感触だったらしい。コロコロと楽しそうに笑う美少女、プライスレス。元気印な食欲娘のレレイや、我が道を突っ走る小悪魔的美少女ヘルミーネと比べるとやや影が薄いが、儚げで繊細な美少女が柔らかく笑う姿は眼福である。

 ……なお、あくまで観賞用レベルでしか可愛いとか綺麗だとか思っていないのが悠利である。多分恋愛回路は彼には搭載されていない。

 ちなみに、クーレッシュは普通に成人男子なので美少女達と(湯浴み着着用とはいえ)混浴という状況に、普通ならある程度はドギマギする。普通なら。そう、今彼は、そんな幸福を噛みしめる暇が無かった。

 何故ならば――。


「うぎゃ!?お前ら、二人がかりでお湯かけてくんじゃねぇええええ!」

「そっちにはルークスいるでしょー?」

「そうそう、二対二よー」

「どこが二対二だ、この野郎ぉぉおおお!」


 もはや完全に幼児のプール遊びレベルではしゃいでいるレレイとヘルミーネにとっ捕まって、ばっしゃばっしゃとお湯をかけられているからであった。大人組がいたら怒られるだろうが、生憎と居ない。しかも他のお客さんもいない。完全貸し切り状態である。そうなるとブレーキが存在しないのだった。頑張れ、クーレッシュ。

 ちなみに、自分がクーレッシュのチームに分類されていると知ったルークスは、困っているクーレッシュの援護をするために動いた。身体の一部をみにょーんと伸ばして器のような形にすると、それを手桶のようにしてレレイやヘルミーネにぶっかけたのだ。ルークスは今日も元気です。


「うにゃ?!ルークス、やるな……!」

「形変えるのは卑怯よ、ルークス!」

「二人がかりで俺にお湯ぶっかけてきたお前らの台詞じゃねぇよ!ルークス、やっちまえ!」

「キュイ!」


 ぎゃーぎゃーと賑やかな三人+一匹だった。当人達が楽しそうなのでまぁ、良いだろう。多分。そう、多分。大人組がやってきたら絶対に怒られるだろうけれど、今は誰も居ないので。そういう意味ではきっと、大丈夫なのだ。


「皆様、楽しそうですわね」

「楽しそうだけど、混ざりたくはないかな」

「そうですね」


 悠利とイレイシアは正直だった。

 端で見ている分には賑やかで、元気そうで、楽しそうだなと思える。しかし、あのひたすらお湯をかけあう場所へ自分達も混ざるかと言われたら、遠慮したかった。そんなわけで、二人は賑やかな一同を無視して、のんびりとグラスの中のハーブ水を楽しむことにした。

 静かに露天風呂を堪能するのもまた、良いことである。


「そういえば、イレイスも皆と同じように修行があるの?」

「それもありますけれど、わたくしの場合は、色々な土地を見るのも勉強になるだろうと言われましたの」

「ん?」

「吟遊詩人には必要なことだろう、と。……アリーさんは、本当にお優しいですわね」

「そうだね」


 ふわりと笑うイレイシアに、悠利も同意した。アリーは本当に優しい。強面な見た目と、荒っぽい言動で誤解されることもあるようだが、面倒見が良くて優しいのだ。色々と問題ありな面々を身内として迎え入れて、独り立ち出来るようにとアレコレ整えてくれるのだ。今度肩たたきでもしようかなとうっかり悠利が思ってしまう程度には、アリーの行動はお父さんだった。


「もー!ルークスがそれするなら、こっちも手桶使うー!ヘルミーネ、手桶頂戴!」

「任せて!」

「任せてじゃねぇよ!いい加減止めろよお前ら!」

「「ヤダ」」

「この野郎ぉおおおお!」


 のんびりとしている二人と裏腹に、向こうは賑やかだった。賑やかすぎた。願わくば、他のお客さんとか従業員とか大人組が来ませんように、とひそっと祈る悠利だった。主にクーレッシュが叱られないように、と。




 結論から言うと、露天風呂を楽しもうとやってきたリヒトに「子供じゃないんだからはしゃぐな」とお説教されてしまう三人であった。頑張れ、クーレッシュ。




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