一度はおいで、温泉都市イエルガ


 ばっさばっさと羽ばたくワイバーンの翼の音は大きいのに、窓の外を通過していく景色は早いのに、籠に乗っている自分達にはあんまり負担がない。そんなことを悠利ゆうりが気づいたのは、外を見ながら皆でわちゃわちゃと会話をしているときだった。外の景色や翼の音から判断すれば、籠はもっと揺れそうなのに、実に快適だったのだ。


「ブルックさん」

「ん?どうした、ユーリ」

「このワイバーンさん、飛ぶの上手なんですか?」

「うん?」

「物凄く早いのに、ちっとも揺れないので」

「あぁ、そういうことか」


 解らないことは解る人に聞けば良いと思って生きている悠利なので、確実に理由を知っていそうなブルックに声をかけた。ブルックは悠利の質問に楽しそうに笑う。彼にとってこのワイバーンは知人に該当するので、褒められて悪い気はしないらしい。


「仕事で毎日こうやって人を運んでいるからな。ただ飛ぶだけではなく、乗客に配慮しないと雇い主に怒られるそうだ」

「雇い主に怒られる」

「モットーが、『空の旅は快適に!』らしいからな。こいつ以外のワイバーン達にも、乗客に配慮して飛ぶように言い聞かせているらしい」

「その雇い主さん強いですね」

「強いな。逆らうと力尽くで言い聞かされる程度には」

「……え?何か予想外に強すぎるんですけど。物理で強かったんですか!?」

「基本、コレと思ったワイバーンは一騎打ちの末に従業員に迎えているらしい」

「…………うわぁ」


 悠利が思った以上にアグレッシブな雇い主さんだった。

 とはいえ、そこまで強いのならば、群れの長みたいな感じでワイバーン達も従っているのだろうなと悠利は思った。あながち間違っていない。他の業者に比べて快適と評判な上に、ワイバーン達は非常に大人しいのが有名であった。逆らったら雇い主に物理で説教された上で減給されるので、バカをやるワイバーンもいないらしい。もっとも、元々そんなことをしそうにないワイバーンばかりを選んでいるらしいが。こだわりが凄かった。

 そんな暢気な会話をしている間も、ワイバーンは黙々と空を飛んでいる。大きな山の上を飛ぶワイバーンに、レレイ達がはしゃいでいるのもご愛敬だ。まだまだ駆け出しの彼らにとって、ワイバーンに運ばれるなんて滅多にないことだ。馬車はともかくワイバーンの飛行輸送はお財布的に厳しいので。


「ところで、どうしてワイバーンさんで移動してるんですか?普段は馬車だって聞いてましたけど」

「馬車だと片道一週間で、こいつだと三時間なんだ」

「……え」

「この山を迂回するルートしか道がなくてな。陸路で行くとなると一週間かかる。ので、せめて時間短縮にこいつに頼んだ」

「な、なるほど……」


 眼下の山は無駄に大きかったのでブルックの説明に納得した悠利だった。確かに、大きな山とその周りに広がる深い森という景色が見える。この中を突っ切るように道を通すのは至難の業だろう。何しろこの世界には魔物がいるのだから。

 そして視線を転じ見れば、山の向こう、森の横を通るように道らしき何かが見える。かなりの高度で飛んでいるので確かかは解らないが、ぐるりと山の周囲を巡るように広がっているそれが街道だろうと悠利は思った。

 なお、王都ドラヘルンから温泉都市イエルガまでの道のりは、馬車の一般的な速度で移動して一週間である。勿論これは、道中の街で休息を取るのを含めてとなっている。サバイバル上等で全て野宿&速度アップをすれば、四日ぐらいかもしれない。

 とはいえ、そんな強行軍になったら悠利は確実に倒れてしまう。体力は一般人レベルしかないのである。鍛えている冒険者の皆さんと同じ行軍なんて出来るわけが無い。なので、ワイバーンでのんびり(ただし速度はかなり速い)空の旅は大変ありがたいのだった。


「帰りもワイバーンさんなんですか?」

「いや。帰りは陸路だ。道中の過ごし方も教えなければならないからな」

「そうですか」


 訓練生達は覚えることがいっぱいで大変だなぁ、と悠利は思った。空の旅にはしゃいでいるレレイ達であるが、目的地に着いたら彼らはそこからお勉強開始なのだ。観光を楽しむことが許される悠利とルークスとは違って、皆には修行が待っている。頑張れ、と心の中でそっと応援する悠利だった。

 ……ブルックの口ぶりから察するに、帰路は道中ずっと勉強になりそうだったので。





 空の旅を楽しく終えた悠利達は、温泉都市イエルガの門から少し離れた場所に降ろされた。よく見るとそこには乗合馬車や彼らと同じようなワイバーン便が停まっていた。都市に入る前には身分確認が必要なので、門より外側で昇降することになっているらしい。

 勿論、中には門の中まで入れるものもある。そういったところは、業者がそもそも都市や貴族、大商人などと契約を結んでおり、馬車単位などで門を通れるようになっているらしい。ワイバーン便なども同じような場合があるそうだが、悠利達は普通の旅人として扱われるので、全員一緒に門の外で降ろされたわけである。


「ワイバーンさん、ありがとうございました」


 皆が忘れ物が無いかをチェックしている間に、悠利はワイバーンの元へ歩いていって礼を口にした。快適な空の旅が楽しかったし、三時間ずっと飛びっぱなしでお疲れ様と思ったのもあった。なお、ワイバーンにとって三時間の飛行は別に苦では無い。人間で言うなら、ちょっとそこまで散歩した、ぐらいのレベルである。

 大人しく伏せの姿勢をしていたワイバーンは、悠利を見て瞼を半分だけ持ち上げた。じーっと見詰めてくる大きな瞳に、悠利はにこにこと笑ったままだ。そんな悠利にワイバーンはたし、たし、と前足で地面を軽く叩いて返事をしていた。意味は解らなかったが、何となく気にするなと言われているように感じた悠利だった。

 ちなみに、悠利以上にワイバーンに興味津々なルークスは、怖い物知らずにもワイバーンの口元へ近付いて、キューキュー鳴いている。意思の疎通は図れているのか、ワイバーンも時々低く唸っているが、空気は穏やかである。しかし、ワイバーンと平然と会話するスライムという光景も、割とシュールだった。


「今回も助かった。また何かのときには手伝ってくれ」

「グル」

「あぁ、勿論また顔を出すさ。お前も息災で」

「ギャウ」


 全員の身支度が終わったのを確認したブルックが、代表して今回の依頼の終了をワイバーンに伝えていた。喉の奥から唸るような声で鳴きながら、ワイバーンはブルックの肩口に鼻先を押し付けている。逞しいワイバーンの顔をとんとんと叩いて言葉を交わすブルックの姿に、訓練生一同は感動していた。

 ……なお、誰一人として「何でワイバーンと会話できてるんだろう?」という疑問を抱かなかった。あまりにも普通にされているので、その違和感がどこかへ消えたのだ。

 ブルックと別れの挨拶をすませたワイバーンは、大きな籠を抱えて空へと飛び上がっていった。手を振って見送る一同を一度だけ見て、すぐにぐわっと上昇していく。大空を悠々と飛んでいくその姿は、実に素晴らしいものだった。

 その後、身分証の提示を門衛にして都市の中へと入った一同。なお、皆の身分証は冒険者ギルドのギルドカードだが、悠利の場合は鑑定士組合の登録証になる。門衛に見せてその場でチェックをして貰い、中に入るのだ。身分証が無い場合はお金を払って仮の許可証で中に入れるのだが、その場合は身元保証人となる相手がいないとなかなかにチェックが厳しい。

 ちなみに、悠利が王都ドラヘルンに入るときには、その辺の手続きをアリーが全部行っている。真贋士として知られているアリーが保証人となった瞬間、八割顔パスみたいになった悠利であった。アリーさんの知名度は凄いのです。


「温泉都市のスイーツー!」

「温泉都市の屋台飯ー!」

「お前ら走り出すな!ちょ、リヒトさん、レレイの確保お願いします!」

「了解」


 眼前に広がる街並みに、観光客を呼び込む商魂たくましい呼び声に、ヘルミーネとレレイのスイッチが勝手に入ったらしい。思わず叫んで走り出そうとしたヘルミーネの襟首をすんでで捕まえたクーレッシュは、素晴らしい瞬発力でぶっ飛んで行きそうなレレイの確保をリヒトに頼んでいた。そして、リヒトは八割予想していたのか、腕を伸ばしてレレイの襟首をひっつかんでいた。見事な連係プレイだった。


「ちょっと、クーレ離してよ!スイーツ探しに行くのー!」

「リヒトさん、はーなーしーてー!ご飯!ご飯!」

「いやいやいや、どう考えても先に宿だろ!?お前ら聞いてなかったのか?まずは、宿の探し方と取り方だって言われてただろうが!」

「「あ」」

「……頼むから欲望に忠実に突っ走ろうとすんな……」


 じたばた暴れていたヘルミーネとレレイが、クーレッシュのツッコミで我に返った。てへ?と小首を傾げる仕草は可愛いが、行動の内容は全然可愛くなかった。食欲に忠実に暴走するのは勘弁して欲しいと思うクーレッシュである。

 そして、そんな暴走した二人に対して、アリーの小言が降ってくるのは当然と言えば当然のことだった。二人ともアリーに耳を引っぱられてお説教されている。だがしかし、自業自得なので誰も助けなかった。


「ユーリ」

「はい?何ですか、ブルックさん?」

「俺達はこれから宿を見繕いながら移動するが、最終的にどこに泊まるかはもう決めてある。この地図の場所の、この宿だ」

「えーっと、《青の泉亭》ですね」

「そうだ。こちらについてきても退屈だろうから、ユーリは観光をしていると良い」

「良いんですか?」


 ブルックに手渡された紙には、簡単な地図と宿の名前、そして宿の住所が書かれていた。失わないように学生鞄に紙を片付けた悠利は、ブルックからの提案に驚いた顔をした。基本的に、悠利は今回観光目的でくっついてきているとはいえ、別行動の許可がこんなに早く出るとは思わなかったのだ。

 見知らぬ街である。護衛として従魔のルークスが常に付き従っているとはいえ、見知らぬ土地なのだ。そこを一人でうろうろするのを許されるとは思わなかった悠利であった。

 なお、その予想は正しい。お説教の最中のアリーから飛んできた一言が、それを裏付けていた。


「ヤクモと一緒に買い物でもしてろ」

「ヤクモさんと?」

「そいつはここにも何度か来ているし、今更宿の取り方なんぞ知らなくても良い。……あぁ、リヒト。悪いがお前は一緒に来てくれ。お前の意見もこいつらに聞かせてやって欲しい」

「了解した」


 ヤクモとリヒトは訓練生とはいえ、大人である。トレジャーハンターとしての基礎を学び直すためにいるリヒトと、遠い土地からやってきたのでその土地の常識を身につけるために身を置いているヤクモ。彼らは他の訓練生達とは別メニューで行動することが多かった。

 アリーに名指しをされたヤクモは、いつの間にか悠利の隣に立っていた。今日は旅先なので狩衣のような戦闘装束姿だが、相変わらず足下はショートブーツという不思議な装いである。


「ヤクモさん、イエルガ初めてじゃないんですか?」

「我は何度か来ているとも。ここは実に良い都市だ」

「そうですか。じゃあ、おすすめのお土産とかあったら教えてくださいね」

「うむ。承った」


 案内役兼お目付役をゲットした悠利は、意気揚々と立ち並ぶ商店へ向けて歩きだす。また後でな!と笑顔で手を振ってくるクーレッシュに手を振り返し、ヤクモとルークスと一緒に歩いていく。ルークスは悠利がいればそれだけで幸せなので、今日も大変ご機嫌だった。

 イエルガの街並みは、通りが広い。観光客が過ごしやすく作ってあるのだろう。両脇に店が建ち並び、食べ物を出す屋台や商店の近くには机と椅子とパラソルで作られた食事スペースがあちこちにあった。道幅が広いので、わいわいがやがやと人々が行き交っても決してぶつかることがない。

 あちこちから呼び込みの声が聞こえてくる。豪快な笑い声のおじさんや、気っぷの良いおばさん、お調子者のようなお兄さんや、笑顔の素敵なお姉さん。中には、幼い姉弟が呼び込みをしている店もある。賑やかで、わくわくしてしまう光景だった。


「そういえば、ヤクモさんは今回どうして一緒に来たんですか?」

「我は魔石を求めに参った」

「魔石?」

「うむ。我の使う呪符は魔石の粉末を用いて効能を作っているのでな。質の良い魔石はどれほどあっても困ることは無い」

「なるほど」


 呪術師のヤクモらしい返答だった。ようは彼は魔石の買い付けが目的で、皆に便乗してきたようなものだった。もっとも、一応現地で依頼を受けたりしようとは思っているらしいので、完全に買い物だけで来たわけでは無いのだが。

 また、そんな事情で同行しているヤクモなので、アリーやブルックが訓練生達の指導をしている間の悠利の子守を任せられていたりする。それについてはあえて誰も口にしていないが、今のこの配置で全員が察している。勿論悠利も。


「ヤクモさん」

「ん?何だ?」

「お手数おかけします」

「……ははは。何の何の。たまにはこうして共に買い物に興じるのも良かろうよ」

「はい」


 からからと楽しげに笑うヤクモに、悠利も笑った。ぴょこんと跳ねたルークスに気づいて、頭を撫でる悠利。ルークスは嬉しそうにキュイと鳴いた。

 魔石を買う店は決まっているとのことで、そこに行くまでの道中をぶらぶら歩くことになった。目的地の店は路地の奥にあるそうなので、まずは大通りを堪能すれば良いとのことだった。


「美味しそうなものもいっぱいありますね」

「観光客が多いゆえ、様々な地方の料理もあったりする。口に合うものもあるだろう」

「楽しみです」

「とはいえ、食べ過ぎては皆と昼食を食べることが出来ぬであろうから、目星を付けるぐらいで良いのではないか?」

「そうですね。美味しそうなお店を探しておいて、レレイ達に教えてあげないと」


 ヤクモの提案に、悠利は大真面目に頷いた。今頃宿を手配するのに一生懸命なレレイやヘルミーネは、心が半分以上美味しい食べ物に飛んでいた筈である。その彼女達に美味しそうなおすすめのお店を探してあげようと思ったのだ。美味しいモノは自分だけではなく、皆で一緒に食べるのが幸せだと思っているので。

 観光地らしく、イエルガの大通りには様々な種類の食べ物があった。色んな肉の串焼きや、おかずクレープのような総菜系。温泉を利用した蒸し野菜に、湯上がりの客向けなのか冷やした飲み物を扱っている店もあった。味付けも子供向けからあっさりしたもの、濃い味付けや辛いものなど様々で、まるで世界各国の料理を集めた展示会のようだった。


「ちなみに、ヤクモさんのおすすめは何かありますか?」

「我か?我の一押しは、アレだ」

「…………ゆで玉子?」

「温泉で茹でた玉子でな。素朴な味わいだが、風情があろう?」

「なるほど」


 温泉で茹でたゆで玉子。温泉玉子という名前で売られているらしい。だがしかし、悠利のイメージする温泉玉子は半熟系なので、こちらのゆで玉子は若干違和感がある。

 そんな悠利に、ヤクモが面白い話を聞かせてくれた。


「この店はゆで玉子であるが、奥の店は半熟の状態で、器に入れて出汁をかけてくれる」

「へ?」

「温泉に浸けて作っているのは共通だが、使う温泉の温度が違うそうでな」

「あー、なるほど……。そういうことですか……」


 納得した悠利だった。

 日本の温泉地でも温泉玉子はあるが、実は地方によってゆで玉子と半熟とろとろ玉子の二パターンがあるのだ。源泉が高温の場合はゆで玉子になり、それよりやや低温の場合はいわゆる温泉玉子になる。しかしどちらも温泉を使っているので温泉玉子という名称になる、ということだ。

 ここ、温泉都市イエルガでも、同じ状況らしい。そのためなのか、商品名の温泉玉子の隣に、「当店のは固ゆでです」「当店のは黄身も白身も半熟です」などと注意書きがされている。これで各々好みの温泉玉子を探して貰うらしい。


「どっちも美味しそうですね」

「うむ。どちらも美味だ。……皆で食べるならば、複数購入して分け合えば良かろう?」

「そうですね。色んなのを食べたいですから、一つを皆で分けながら食べるのも楽しそうです」

「然り然り。それもまた、この町の楽しみ方であろう」


 ヤクモが楽しそうに笑う。その笑顔につられるように、悠利も笑った。まだまだ知らないことが沢山ありそうだが、皆と一緒の温泉都市はとても楽しくなりそうだなと思ったのである。悠利の旅行は、まだまだ始まったばかりだった。




 なお、昼食のために合流した訓練生達が、こってりお勉強させられてぐったりしていたのはご愛敬である。まぁ、美味しい食事ですぐに回復したのだが。




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