旅行の足は、ドラゴンで?

「ユーリ、温泉に行く気はないか?」

「……はい?」


 ある日のことだった。いつものように食事の準備と後片付けをし、洗濯物を干し、掃除をし、繕い物に励んでいた悠利ゆうりに唐突に問い掛けたのは、ブルックだった。午後のティータイムと洒落込んでいる指導係の剣士殿は、いつもの無表情に近い顔のままだ。

 突然の質問の意図がわからず、悠利は首を傾げている。悠利が服のほつれを修復するのを隣で見ていたヘルミーネも、不思議そうな顔をしている。こてんと小首を傾げる彼女の動きに合わせて、輝く黄金のお下げが揺れた。


「えーっと、ブルックさん、どういう意味ですか?」

「言葉のままの意味だが。諸用で温泉都市に行くことになっていてな。ユーリさえ良ければ、息抜きに一緒にどうかと思ったんだが」

「……というか、温泉って近くにあるんですか?」

「そこまで近くはないが、遠くもない、が正解だろう」


 淡々と答えるブルックに、悠利はやっぱり意味がよく解っていなかった。そもそも、何故唐突に自分が温泉街に誘われているのかが解らない。ヘルミーネと二人で不思議そうな悠利を見て、ブルックは説明が足りていなかったことを悟ったらしい。追加の説明を口にしてくれた。

 ……なお、説明をしている間も、悠利が作った本日のデザートであるプリンを美味しそうに食べている。強面に似合わぬ甘党男は、今日も家で美味しく食べられる甘味の虜だった。


「実は、訓練の一環で温泉都市に行くことになってな。他の皆は修業や任務があるが、ユーリさえ良ければ一緒に行かないかと思ったんだ」

「えーっと、それはつまり、皆は勉強のために行くけど、僕は旅行でついていけば良いってことですか?」

「そうなる」

「温泉都市……」


 ブルックの説明で一応納得した悠利は、脳裏に温泉都市を思い浮かべてみた。勿論、こちらの温泉都市がどういうものかは解らないが、それでも大浴場があったり、観光客向けのお店があったりするのではないかと、期待が膨らんだ。普段と違う土地に赴けば、新しい料理に出会えるかも可能性もある。

 また、それだけでなく、悠利は普通に温泉が好きだった。サウナの類いは苦手だが、ぬるめのお湯や露天風呂に浸かりながら、のんびりするのは嫌いではない。景色が良いところだったりしたら、飲み物持参でふやけるまで入っていても飽きないと思っている。まぁ、日本人なので、お風呂が好きというのもある。湯船に浸かってまったりするのを楽しむのは、日本人の嗜みです。多分。

 そんなわけで、悠利は顔をきらきらと輝かせた。温泉という楽しそうな響きに、心奪われている。悠利の表情から彼が乗り気であることを理解して、ブルックもそっと笑みを浮かべた。普段、放っておけば延々と家事をやり続けてしまう悠利に、たまには休みを、それも家でゆっくりするのではなく、外で楽しく過ごす時間をと考えた結果なのである。

 なお、悠利はそんな周囲の気遣いなどどこ吹く風で、日夜大好きな家事が出来る生活を楽しんでいたりするのだが。認識のズレであった。


「ユーリも一緒に行くか?」

「お邪魔でないなら、喜んで」

「お前を邪魔だという者はいないだろう」


 ぺこりと頭を下げた悠利に対して、ブルックは苦笑する。《真紅の山猫スカーレット・リンクス》の面々は悠利に甘い。仮に、自分達が修行をしているところで悠利が観光を楽しんでいたとしても、一緒に行けるのが嬉しいとでも言いかねない。乙男オトメンは今日も皆に愛されていた。

 そんな二人の会話を聞いていたヘルミーネが、ちょいちょいとブルックの腕を突いた。どうしたと言いたげに視線だけで問われて、ヘルミーネは花のかんばせと呼ぶに相応しい愛らしい美貌に、輝かんばかりの笑みを浮かべて口を開いた。


「私も行きたいです」

「……お前は特に温泉都市で修行する予定はないだろう」

「ないですけど、行きたいです!」


 キリッとした顔で言い切るヘルミーネに、ブルックの冷めた視線が突き刺さる。お前は何をバカなことを言っているんだ、とでも言いたげな視線であった。普通ならその視線に恐れ戦いて謝罪するだろうが、ヘルミーネはめげなかった。彼女は見た目の愛らしさに反して結構図太いのである。

 そして、ヘルミーネは切り札を使った。


「私が一緒に行ったら、ブルックさんの分も現地のスイーツを選りすぐって買ってきます!」

「よし、同行を許可しよう」

「やったー!」

「……えぇええええ……」


 大真面目に宣言したヘルミーネに、ブルックは大真面目に答えた。隠れ甘党とも呼ぶべき存在であるブルックは、自ら甘味を売っている店へ足を運ぶことが殆どない。そういう店の客層が若い女性だったりするので、周囲の客に威圧を与えかねないと思って自粛しているのだ。その彼にとって、ヘルミーネの提案は大変魅力的だったのだ。

 普段と違う土地に赴けば、その土地ならではの食べ物があるのはお約束。普段の食事だけでなく、スイーツもまた然りだ。特に、観光地ならば食べ歩きに適したスイーツが大量に売られている可能性がある。お土産としても甘味は大変優秀だ。それを考えれば、買い出し担当のヘルミーネを確保することは、甘味好きのブルックにとって良いことづくめだった。

 ゆえに、外見も年齢も性格も何もかも一致しない二人は、がしっと握手を交わした。……彼らは、大食堂食の楽園のパティシエであるルシアが作るスイーツの愛好家だった。いわば、スイーツ同盟みたいなものである。

 そんな二人の心温まる交流を見ながら、悠利は思わず声を上げていた。そんな理由で連れて行って、怒られないのかなぁと心配したのだ。何しろ、悠利と違ってヘルミーネは歴とした訓練生である。修行と関係ない、むしろ遊ぶ気満々の彼女を連れて行って、お叱りが発生しないのか不安になったのであった。

 そして、悠利のその不安は的中する。


「お前は、何を阿呆な理由で許可出してんだ!」

「……アリー、いたのか」

「今戻ったわ。つーか、マジでそんな理由で連れて行こうとすんな」

「じゃあ、適当に私も何か修行探しまーす」

「そうだな。何か適当に」

「ヲイ」

「……うわぁ」


 ゴン、という大きな音がしたと思ったら、いつの間にか現れていたアリーが仏頂面でブルックの後頭部に拳をぶつけていた。普通なら痛がるだろう一撃だった筈だが、本性が竜人種バハムーンの男は何一つ気にした風もなく、いつも通りの対応をしていた。そんな相棒に、盛大なため息をつくアリーである。まぁ、彼の立場ならばそういう反応になっても無理はない。何故、修行と無関係の訓練生を連れて行こうとしているのか、である。

 しかし、ヘルミーネは細かいことを気にしていなかった。イイ笑顔でふざけたことを言っている。だがしかし、発言内容はふざけているが、本人は本気だった。そして、それに便乗するブルックも本気だった。彼らの心は既に、温泉都市の美味しいスイーツに飛んでいるのだから。

 ごん、ごん、と二人の頭を連続して叩くアリー。だがしかし、どちらもめげていなかった。……結局、ちゃんと現地で修業をすることを条件に、ヘルミーネの同行が許可されるのだった。手を叩き合って喜んでいる二人の背後で、低い声で呻いているアリーの姿に、周囲がうわぁと思ったのも無理は無かった。スイーツ好きのゴリ押しが凄かった。




 そして、旅立ちの当日。目の前に広がる光景に、悠利は思わず目を点にしてしまった。

 荷物は魔法鞄マジックバッグと化した愛用の学生鞄に詰め込んだ。足下には護衛として同行するのだと張り切るルークスを連れ、悠利のご飯が食べられないと嘆く見習い組達を始めとした留守番組に見送られ、やってきたのは王都の城門の外だった。これから旅先に向かうのだから、それは別に良かった。だがしかし、さしもの能天気な悠利も、眼前の光景には呆気に取られるしかなかったのだ。


「……えーっと、ドラゴン、ですよ、ね……?」

「そうだ」

「……何でそのドラゴンさんが、大事そうに大きな籠を抱えているのでしょうか……?」


 そう、悠利の目の前、城門から少し離れた人目に付かない広場には、まるで良く躾けられた犬のように伏せをしているドラゴンがいた。ドラゴンと言っても、RPGとかでボスとして出てくるがっしりとした竜とは違う。悠利の目の前にいるのは、体型で言うならば西洋の竜と東洋の龍の間ぐらいで、背中に大きな翼を持ち、大きな後ろ足とやや小さな前足を持った生き物だった。

 これドラゴンで良いんだよね?と思った悠利は、知的好奇心で【神の瞳】を発動させた。知りたいことをその場で調べられる鑑定系技能スキルは大変便利である。




――ワイバーン

  竜種の魔物。言語を喋ることは出来ないが高い知能と戦闘能力を誇る。

  比較的温厚で、従属性が高い。魔物使い以外でも強さを示せば服従する。

  空中輸送の主格となっており、大都市間は定期便も存在する。

  飛竜の笛と呼ばれる、特殊な音を出す笛の音で呼び出し可能。

  なお、この個体はブルックの個人的な知り合いです。




 今日も【神の瞳】さんは絶好調だった。最後の一文は相変わらず悠利向けである。とはいえ、おかげで謎が解けたので、悠利はじーっと目の前のドラゴン、ワイバーンを見つめた。伏せの状態で目を閉じていたワイバーンは悠利の視線を感じたのか、ゆるゆると瞼を持ち上げた。大きな爬虫類の瞳が、じろりと悠利を見ている。けれどそこに敵意も害意も感じられなかったので、悠利は目の前のワイバーンに向けてぺこりと頭を下げた。


「初めまして、ワイバーンさん。今日は宜しくお願いします」


 心からの感謝を込めて悠利が挨拶をすれば、ワイバーンは驚いたように目を見張っていた。彼らは移動手段として用いられているが、こんな風に挨拶をされることはあまりない。むしろ、厳つい外見なので子供達には恐れられたりする。それが普通だったので、流石のワイバーンも悠利の反応に戸惑ったらしい。

 そんな二人のやりとりを見ていたブルックが、楽しそうに笑う。困ったように彼を伺うワイバーンの太い首を撫でてやりながら、悠利を示す。


「まぁ、この子はこういう子だ。諦めろ」

「え?ブルックさん、それどういう意味ですか?」

「どういう意味だろうな?」

「えー……」


 色々と含みがありそうな言い方に、悠利が思わずツッコミを入れた。だがしかし、ブルックは楽しげに唇を笑みの形にするだけで、詳しい説明はしてくれない。何となく釈然としない思いを抱えながら、悠利はブルックとワイバーンを見ているのだった。

 その背中に、どーんという衝撃が走ったのは、少ししてからだった。ぐえ、と小さく呻いて前のめりに倒れそうになった悠利は、傍らからブルックが差し出した腕で支えられて、辛うじて転ぶことはなかった。誰がこんなことをと振り返れば、悠利の背中にむぎゅーっと抱きついている小柄な姿があった。


「……ヘルミーネ、いくら君が非力でも、いきなり突撃されるとしんどいです」

「ごっめーん。準備出来たからこっちに来たのよ!」

「うん、それは解ったけど、あの、何で僕にくっついてるの?」

「?何か楽しそうにしてたから、混ざろうかなって思って」

「そっかー」


 それがどうしたの?と言いたげに首を捻っているヘルミーネ。美少女の不思議そうな顔はプライスレスだが、いきなり背後から突撃された方はたまらない。困ったような悠利と反対に、ヘルミーネはご機嫌だった。……どうやら、彼女の心は既に温泉都市に飛んでしまっているらしい。

 そうやってじゃれている間に、共に出掛ける面々が揃ったようだった。指導係はアリーとブルックの二人。訓練生として連れて行かれるのは、クーレッシュ、レレイ、リヒト、イレイシア、ヤクモ、ついでに無理矢理割り込んできたヘルミーネ。そこに、観光旅行としてお邪魔する悠利と、彼の護衛を自認している従魔のルークスだった。

 勢揃いした一同は、アリー以外は眼前のワイバーンに驚いているようだった。移動手段として存在しているとはいえ、駆け出しの冒険者にはなかなか手が出なかったりするので、驚いているのである。


「ブルックさん、このワイバーン、どうしたんですか?」

「ん?個人的なツテでな。心配しなくても、輸送には慣れてる」

「……個人的なツテとか、ブルックさんマジぱねぇ……」


 けろりと答えられた内容に、クーレッシュは遠い目をした。一介の冒険者が個人でどうこう出来るものではないのだが、それがブルックだと何故か納得出来てしまうのだった。……ちなみに、その個人的なツテというのは友人という意味なのだが、周囲は「きっと勝負して負かしたんだな」と思っていた。

 ワイバーン相手にも単身で勝利できると思われてるブルック。まぁ、間違っていないのだが。


「お前ら、無駄話は道中でしろ。ブルック、もう出発出来るんだな?」

「いつでも」

「解った。よし、お前ら籠に入れ」

「「了解」」


 わちゃわちゃしている一同にアリーが声をかける。指示されるままに、ワイバーンがぐいっと差し出してきた籠の中に皆入っていく。悠利も一緒に入る。ワイバーンが抱えているときも大きいなと思っていた籠であるが、実際中に入ってみても大きかった。この人数が入っても狭く感じないのである。ワイバーンサイズ凄い。

 籠の内側、側面に沿っている部分が椅子のようになっているので、そこに座る。背もたれの代わりに壁の側面ということだ。中心部分も広く、何故かふかふかのクッションが転がっているのでそこに座っても楽しそうである。椅子の部分も妙に座り心地が良い。とても快適に設定されていた。


「……ブルック」

「ん?」

「何かこの籠、どんどん改良されてくつろげるように進化してないか?」

「まぁ、こいつの雇い主が『空の旅は快適に!』をモットーにしてるから仕方ないな」

「……そうか」


 疲れたようなアリーの言葉に、ブルックはしれっと答えた。普段は人間の雇い主の元で輸送業を営んでいるワイバーンなのである。そして、人が乗る部分の籠が、地味に少しずつアップグレードされているのだった。ちなみに、お金持ち用の豪華仕様の移動箱みたいなのもある。馬車の座る部分だけ取り外したみたいな感じで。

 今回は人数が多いのと、別にそこまで快適な空の旅を求めているわけでも無かったので、ごくありふれた籠デザインなのである。皆が乗り込んだのを確認すると、ワイバーンはゆっくりと身体を起こした。伏せているときは気づかなかったが、籠の上部にあるベルトがワイバーンの腹にぐるりと巻き付けられて固定されていた。その状態で、ワイバーンは籠を後ろ足と前足でしっかりと掴んでぐっと首を逸らした。


「飛ぶぞ」


 低いブルックの声が聞こえた瞬間、ぐわっと浮遊感が一同を襲った。籠を抱えたままでワイバーンが飛び立ったからだ。力強い翼の羽ばたきが聞こえる。籠タイプなので上部が剥き出しで、外の景色がよく見えた。ばっさばっさと動くワイバーンの翼も含めて。


「うわぁー!本当に飛んでるんですねー!すごーい!」

「すごーい!ひゃっほーい!空飛んでるー!」

「たかーい!」

「……いや、悠利は良いけど、レレイはもうちょい落ち着け。あとヘルミーネは別に自分でも飛べるだろうが」

「え?だって、私が飛べる高さと比べものにならないもん。流石ワイバーンよねー!あはははは!街が玩具みたいー!」

「……何でお前が一番テンション高いんだ……?」


 籠に備え付けられている小さな窓から外を見て、悠利が大はしゃぎをしている。その隣で、レレイとヘルミーネも同じように騒いでいた。そんな二人にツッコミを入れるクーレッシュであるが、妙にテンションの高いヘルミーネは聞いていなかった。……なお、彼女のテンションが高い理由は、まだ見ぬスイーツに思いを馳せているからだと思われる。割と自分の欲望に忠実な美少女だった。

 わちゃわちゃと騒ぐ四人を見ながら、アリーがため息をつく。修行がてら悠利の息抜きにとこのメンバーでの遠征を決定したのだが、今から既に何か騒動が起きそうな気がしているのだった。なお、多分悠利がいなくても騒動は起きただろうから、基本的に活動的なメンバーを外に出すのが騒動の原因だと思われます。……悠利がいたら騒動率が跳ね上がりそうな気はするが。




 かくして一行は、悠々と空を飛ぶワイバーンに運ばれて、一路温泉都市イエルガを目指すのでありました。




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