手打ちが美味しいうどんをどうぞ。


「……あぁ、こういう暑い日には、冷たいうどんが食べたい」


 ぼそりと悠利ゆうりが呟いたのは、ちょっと気温の高いお天気の良い日の昼下がりだった。リビングでちまちまと趣味の刺繍をしていた悠利は、遠い目をしながら呟いた。何でお前そんなこと考えてんだと言われたらそれまでだが、食べたいと思ってしまったのだから仕方ない。

 というのも、醤油や味噌、米を初めとして和風食材が普通に存在しているので食生活は充実している。充実しているのだが、しているからこそ、食べ慣れていたものが食べられないというのは時々悠利の心をトゲトゲさせるのである。

 具体的には、麺類がパスタしか存在しないことに飽きていた。

 現代日本に生きていると、うどんに蕎麦、素麺などの日本お馴染みの麺類以外に、ラーメンとか春雨とかフォーとかがパスタ以外にも存在するのだ。何気に日本は麺類大国ではなかろうか。日本人は麺類が好きなのかも知れない。

 とにかく、そんな日本人であるところの悠利としても、懐かしの麺類を食べたいと思ってしまうのだ。パスタをなんちゃってラーメンもどきなスープパスタにしてしまう程度には、飢えていた。いや、パスタもラーメン風のスープパスタも美味しかったのだけれど。


「暑い季節には、冷たいうどんとか蕎麦とか素麺とか、食べたいよねぇ……」

「そうであるなぁ」

「…………はい?」


 遠い目をして独り言を呟いていた悠利は、当たり前みたいに相づちを打たれてきょとんとした。視線を向ければ、外出から戻ってきたばかりなのか、帽子を胸元に持ちながら笑っているヤクモがいた。今日も着流しとショートブーツという何か大正浪漫な雰囲気の恰好だった。……あくまで悠利のイメージなので細かいことを気にしてはいけない。

 呆気にとられている悠利と裏腹に、ヤクモはしたり顔で頷いている。暑い日には冷たい麺類が美味である、とか言っている。薬味がどうのとか、打ち立てたがどうのとか、色々と言っているが、それらは全て悠利の耳を素通りした。

 更に、ヤクモがしれっと爆弾を落とす。




「手打ちをするとちと疲れるのが難点であるがなぁ」




 固まっていた悠利が、まるで機械人形みたいな動きでヤクモを見た。効果音を付けるならば、ギギギギとかいう感じだろうか。油が切れてさび付いた機械人形の動き、みたいな感じだ。なお、実際に見たことがあるわけではなく、あくまで漫画やアニメで見た動きのイメージである。

 そんな奇っ怪な動きをした悠利に、ヤクモは不思議そうに首を傾げた。いつも鷹揚と笑っている糸目のたれ目だが、今はどこかきょとんとしている感じだ。そんなヤクモを見て、悠利は真顔で問い掛けた。


「ヤクモさん、うどん打ち出来るんですか?」

「は?」

「うどん、作れるんですか!?」

「う、うむ。蕎麦や素麺は出来ぬが、うどんは家で作るものとして育ったゆえ」

「作ってください!」

「…………は?」


 がしっとヤクモの両手を掴んで、悠利は大声で叫んだ。大真面目な顔だった。物凄く真剣だった。こんな真剣な顔をした悠利なんて、滅多に見られるものではない。それだけにヤクモも困惑していた。

 ……その発言内容が、うどんを作って欲しいというものであるのも含めて。


「ユーリ……?」

「材料なら言ってくれたら買ってきます!だから、おうどん作ってください!」

「…………お主、そこまで飢えておったのか……?」

「パスタ飽きました……」


 物凄く必死な悠利に思わず呆れるヤクモ。そんな彼に告げられたのは、実に切実な発言だった。故郷を離れて長いヤクモは、その土地その土地の食べ物に順応する能力が高い。勿論食べ慣れた故郷の味に似た和食が出てきたら喜ぶのだけれど、そこまで困ってはいない。

 だがしかし、悠利は困っていた。もとい、飢えていた。それは多分、彼が自分で食事を作っているからだろう。作って貰う立場であったならば、その好意に文句を言えないという自制も働く筈だ。しかし、作っているのは自分。ゆえに、食べたいものが食べられないことへの鬱屈も溜まるというものだ。

 ……まぁ、小難しい話は抜きにして、今日の天気や気温が、悠利に「夏は冷たいうどんが食べたい」という感情を思い出させてしまったのだ。相変わらず、ホームシックっぽいことになる理由が食べ物だった。天然はぶれない。


「別段、さほど難しくあるまい」

「だって、うどんは作ったことないんです……」

「解った。解ったゆえ、そのような目で見るでない……」


 しょんぼりしながら訴えてくる悠利に折れるヤクモ。なお、悠利は「そんな目って何だろう?」と思っていた。具体的には捨て犬みたいな目をしていたのだが、当人に自覚はなかった。それを見て断り切れない辺り、ヤクモも善人である。


「では、粉を買いに行くか」

「了解です」


 キリッとした笑顔で頷いた悠利であった。やる気に満ちていた。物凄くやる気に満ちていた。食べたいもののためにはどこまでも頑張る乙男オトメンであった。お前本当にある意味食い意地張ってるな、と言わないでください。美味しいは正義なのです。




 ヤクモと二人でうどんの材料もとい粉を買ってきた悠利は、頭に音符が飛んでいるかのようにご機嫌だった。ちなみに、ヤクモが必要だと買い求めたのは小麦粉の中でも中力粉と呼ばれる粉である。小麦粉は製法によって若干違いがあり、それぞれに適した使い方があるのだ。

 強力粉はパンやパスタを作るのに向いていて、薄力粉はケーキなどのお菓子を作るのに使われる。天ぷらも薄力粉を使う場合が多い。一般家庭に置いてある小麦粉は、恐らく薄力粉が多いだろう。家庭料理で一番使いやすいのが薄力粉なのかもしれない。

 そして、今回買い求めた中力粉は、うどんを作るのに適した粉だった。その他、お好み焼きやたこ焼きを作るのにも使われる。あまり見かけないので、薄力粉と強力粉を混ぜて中力粉もどきとして使うこともあるそうだが、分量の調整がちょっと難しいらしい。

 なお、別に薄力粉でもうどんは作れるし、薄力粉+強力粉でも作れる。ただ、ヤクモが作り慣れているのは中力粉を使ったものらしく、どうせなら慣れた材料で作りたいとのことだった。


「……というか、よく中力粉売ってましたよね」


 悠利が思わずしみじみと呟いた。用途から解るように、中力粉はこの地域では多分不必要な粉である。パンやパスタに使う強力粉、ケーキや日常の料理に使う薄力粉に比べて、どう考えても使い道が存在しない中力粉さんである。主な用途にうどんの材料とか言われそうな粉が、西洋風料理が一般的な地域で根付くわけがない。

 だがしかし、ヤクモに連れられていった小さな粉屋には、何故か中力粉が売ってあったのだ。勿論他の粉に比べて控えめだったのだが、普通にラインナップに入っていたのはちょっと驚きな悠利だった。うどんもお好み焼きもたこ焼きもこの地域には存在しなかったのに。


「うむ。あの店主はいわゆる粉マニアという輩でな」

「粉マニア」

「小麦粉の無限の可能性がどうのと以前言っておった」

「小麦粉の無限の可能性」


 淡々としたヤクモの口から出てくるパワーワードに、思わず反芻するだけの悠利だった。どんなところにもマニアっているんだな、と思った。まぁ、今回は中力粉が手に入ってありがたいので、細かいことは気にしないでおこうと思った。粉屋さんのこだわりのお陰なのだから。


「ところでユーリ」

「はい」

「出来れば援軍がいる方が我も心強いのだが」

「……?」

「人数分をこねるのに、我とお主では疲れてしまうぞ」

「解りました。担当者連れてくるんで、ヤクモさんは先に台所へお願いします」

「担当者……?」


 玄関でヤクモに中力粉の入った買い出し用の魔法鞄マジックバッグを手渡した悠利は、素晴らしい笑顔で走って行った。たたたーっと廊下を走っていく悠利の足下を、先ほどまで大人しくしていたルークスがぽよんぽよんと跳ねながら追いかける。……勿論、悠利が外出するのだから、ルークスはきちんと護衛担当の従魔としてお供していました。

 悠利が向かった先は、皆の自室がある区画だった。迷わずノックをして、気のない返事が聞こえると同時に中へと入る。

 そして。


「ウルグス、手伝って!」

「……何をだよ」

「今日は自習だよね?お手伝い頼んでも大丈夫だよね?」

「いやだから、何を手伝えってんだよ!」

「力仕事!」

「……あぁ、俺の担当な」

「うん」


 イイ笑顔で言い切る悠利を前に、ウルグスはため息をついた。何やら書き取りをしていたらしい筆記具を片付けて、移動する準備を始めてくれる。口では何だかんだ言いつつも、面倒見が良いお兄ちゃんなのである。言ったら照れ隠しに怒鳴られるだろうけれど。

 そんなわけで、労働力確保と言わんばかりに悠利はウルグスを連れて台所へ向かった。そこではヤクモがシンプルなエプロンを身につけて、着々と準備を整えていた。購入してきた中力粉は必要分量が計量され、その他の材料や道具も並べられている。……出来る大人は準備も早かった。


「アレ?何でヤクモさんがいるんですか?」

「ユーリから聞いていないのか?」

「力仕事を手伝えとしか」

「……まぁ、力仕事ではあるな。うどんという我の故郷にある麺を作るのを手伝って欲しい」

「……?」

「こねるのに力がいるのだ。人数分をまかなおうと思うと、大量にいるだろう?」

「あぁ……。了解です」


 ヤクモの説明に、ウルグスは一瞬遠い目をしてから頷いた。そう、人数分を作ろうと思うと大変だ。そもそも現役冒険者とそれを目指す若者がメインメンバーなのである。どう考えても大量に必要になるに決まっている。

 うどんが何を示すのかよく解らないまま、ウルグスは手洗いを済ませてエプロンを身につける。悠利は既に完全にスタンバイをしていた。うきうきしてる乙男オトメンを見て、絶対こいつが何か言ったんだろうなと思うウルグスだった。間違ってない。


「うどんの材料は、基本的に小麦粉と水、塩だけだ」

「はい」

「卵を入れる作り方もあるそうだが、我は入れぬ」

「僕も卵入れたのは聞いたことないです」

「そういう製法もあるそうだ」

「そうなんですね」


 のほほんと悠利と会話をしながら、ヤクモはボウルに食塩水を作る。塩と水を混ぜ合わせるだけの簡単な作業だが、塩がしっかり溶け込むようにムラなくかき混ぜなければならない。なお、季節によっては粉の温度に合わせて冷水や温水で調節するのが必要な部分です。今回は冷水ですが。

 塩水を作り終えれば、次の作業は粉と食塩水を混ぜることだ。ボウルは滑らないように下に濡れ布巾を置いて固定し、その中に必要分の粉、今回は中力粉を投入する。なお、分量その他は全てヤクモの主導で、悠利とウルグスはせっせとそのお手伝いをしていた。

 ボウルの中の小麦粉に、食塩水を三分の二ほど回し入れたら、手で勢いよくかき混ぜる。だまにならないように気を付けて混ぜながら、全体がこなれてきたら残りの食塩水を加えて更に混ぜる。ちなみに、この作業を水回しと言う。

 人数分のうどんを作らなければならないので、とりあえずボウル二つで作業をする悠利達。一つのボウルで行うと、こねるときに塊が大きすぎて力が必要になるので、あえて二つに分けたのだ。……それでも足りなかった場合は諦めようという話になった。

 なお、一生懸命混ぜているのヤクモとウルグスだった。結構力がいる作業なので、最初から悠利は除外されていた。なので、食塩水を入れる役をやったり、ボウルを支えるのを手伝ったりしている。


「ダマになったものはこうして引っぱってほぐすと良い」

「なるほど」

「あ、僕ほぐします」

「……お前何か楽しんでないか?」

「え?だってここで頑張ったら美味しいうどんが出来るんだよ?」

「……あぁ、うん。お前そういうところあるよな」

「?」


 自分にも出来ることが見つかったとばかりにお手伝いに名乗り出る悠利。ぐるぐるとかき混ぜているヤクモやウルグスの傍らで、ダマになった部分を丁寧にほぐしてはボウルの中に戻している。美味しいものを食べるために全力投球する辺りはまったくぶれない悠利だった。

 そんなこんなで、ボウルの中身がしっとりと、かつそぼろ状になってきた。色は先ほどまでの真っ白から、やや黄色っぽくなる。これで、この段階は終了だ。


「これぐらいの色になったなら、生地をまとめていく。外側から内側を巻き込むようにして押さえ、ひっくり返してまた押さえる」

「こんな感じですか?」

「そうだ。これを、生地が完全にまとまるまで何度か繰り返す」

「了解です」


 それまでバラバラだった生地が、二人の手の中でどんどんまとまっていく。ぐいぐいと押し付けるように、たたむようにしてまとめられていく生地を見ながら、悠利は楽しそうだった。物凄くわくわくしている。この辺りの作業は力が必要なので、やっぱり悠利は見ているだけだった。

 生地がまとまったら次はこねる作業。これが一番力が必要で、ウルグスが応援に呼ばれた理由でもあった。どう考えても悠利は戦力外なので。


「本来は専用ののし台などを使うのだが、今日はこれで代用しよう」

「何ですか、それ?」

「確か、パンをこねるときに使う敷板だ」

「……パン、自作してたんだ……」

「いや、置いてあるだけで使ってはいないと思う」

「「…………」」


 ヤクモのしれっとした発言に、悠利とウルグスは顔を見合わせた。何で使ってないのに、使う予定も多分ないだろうに、そんなものが置いてあるのか。二人の心には謎が広がった。ちなみに、こちらは職人達との付き合いの流れで頂いた道具の一つなので、誰かが無駄に購入したわけではない。付き合いは大事です。

 その敷板の上にボウルの中でまとめた生地をころんと転がして、ヤクモはこねる作業に入る。自分も同じことをやらなければならないと解っているウルグスは、真剣にその手元を見詰めていた。

 生地の塊に体重をかけながらぐっと押し、生地が平たくなるまでそれを続ける。生地が平たくなったら、三つに折り曲げる。折り曲げたら折り目の反対側を上にして、更に押していく。それが平たくなったらまた三つ折りにする。この作業を数回繰り返すのだ。


「あー、これ確かに結構力いるわ」

「見てるだけでもそう思う」

「ユーリ絶対手が痛くなるやつ」

「だからウルグス呼んだんじゃない」


 適材適所である。悠利の判断は間違っていない。まだ少年のウルグスだが、豪腕の技能スキルを持っているので腕力は大人並みだ。ぐいぐいと生地を平たくしていく作業は、途中から慣れてきたのか随分と楽そうだった。その隣のヤクモも慣れた手つきで行っている。

 数回繰り返すと、生地が随分と固くなり、表面のひび割れが減ってくる。なめらかつるりんとした感じになった生地は、どこかパン生地に似ていた。まぁ、小麦粉を練っているのだから似たようなものなのだけれど。


「このように表面がなめらかになったら、寝かせる必要がある。ボウルに入れて、濡れ布巾で蓋をしてしばらく待とう。大体30分から一時間ぐらいだな」

「了解でーす」

「じゃ、俺はその待ってる間は自習してきます」

「ありがとうウルグスー」

「おー。出番になったら呼んでくれ」

「解った。ルーちゃんに行ってもらう」

「お前が来るんじゃねぇのかよ」


 そんなツッコミを残しつつも、ウルグスは手を洗ってすたすたと去って行った。なんだかんだ言いつつも、ちゃんと最後まで手伝ってくれるのだから良い子である。一つしか年齢の変わらない悠利に良い子扱いされると微妙な顔をするかもしれないが。

 ちなみに、生地を寝かせるときは、鏡餅のような感じに大きくちょっと平べったい丸形にする。何故丸形にするのかはヤクモにも悠利にも解らない。しかし、パンも丸めて寝かせるので、多分丸めた方が良いのだろう。きっと。

 こちらの世界にはビニール袋もラップもないのでボウルに濡れ布巾で対応しているが、現代日本で作るならば大きめのビニール袋に放り込んで寝かせるだけで大丈夫だ。ビニール袋は大変便利なアイテムです。ラップも。現代日本の台所用品は本当に便利過ぎる。


「そういえば、叩きつけたりとかしないんですね」

「やり方は色々あると思うが、我はこの方法しか知らぬな」

「なるほどー」

「力の足りぬ女子供が作るときは、袋に入れて踏んでおったが、手で出来るならばそれで良かろう」

「あ、やっぱり足踏み方式もあるんですね」

「うむ」


 ずずーっと冷たい緑茶を飲みながらヤクモが語る。うどんの作り方を、悠利は詳しくは知らない。テレビで見ていたぐらいで、実際に作ったことはないからだ。それでも、叩きつけるように生地をこねたり、足で踏んだりするのを見かけることが多かったので、ひたすら手でこねるのが不思議だったのである。

 とはいえ、手でこねられるのは力のある人に限られる。悠利のような非力な小僧っ子であれば、袋に入れて踏んだ方が絶対に早い。……まぁ、その為にウルグスを呼んでいたのだけれど。

 そんな風にのんびりと話していると、生地の寝かせが完了した。濡れ布巾を外して、ヤクモは生地にぷにっと指を押し付ける。悠利も隣でもう一つのボウルの中の生地に指を押し付ける。押せば凹むが、三分の一ほどは戻ってくる。寝かせたおかげか、生地はさっきよりもさらになめらかだった。

 ちらり、と悠利は雑談をしている間にアジトの掃除を終えて戻ってきたルークスを見下ろした。にこっと笑いかければ、それで全てを察したらしい賢いスライムは、ぽよんぽよんと跳ねながら台所を出て行った。ウルグスを呼びに行ってくれたのだ。今日もルークスは賢くお役立ちであった。

 しばらくして戻ってきたウルグスは、さっさと手洗いをすませてエプロンを装着する。のし台の上にころんと生地を転がすところまで行った悠利は、後はお願いと言わんばかりにウルグスに場所を譲った。心得ているのか、ウルグスは特に何も言わずにヤクモの隣に立った。

 これから行うのは、中もみと呼ばれる作業だ。最初にこねたときほどの力は必要ないが、麺棒で伸ばしやすくすることとコシを出す意味合いがあるので、おろそかにしてはいけない作業である。


「このように、生地の端を内側に折り込み、回してまた折り込むという作業を繰り返す。生地を立て、手前の方に折り込む感じだ」

「こうですか?」

「あまり力を入れる必要はないぞ」

「はい」


 隣のヤクモに指導されながら、ウルグスは慣れない作業を一生懸命行っている。これがどういう風に仕上がるのかは解っていないが、ちゃんと食べ物になると解っているので頑張っているのだ。

 ちなみに、この順番で折り込むと、うまくいけばひっくり返したときに綺麗な丸になる。同じ作業をもう一度繰り返して完成だ。折り込んだ側には多少しわが残るが、別に構わない。勿論、しわは少ないが方が良いのだけれど。

 経験者であるヤクモがこねた生地はしわが殆どなく綺麗な丸になっている。初心者のウルグスの場合は多少しわが残って不格好な部分があるが、それでも表面の部分はつるんと丸に出来上がっているので問題ないだろう。


「これを、もう一度寝かせる。今度は10分から20分であるので、その間に鍋に湯を沸かしておこうか」

「了解です」


 生地を入れたボウルには、再び濡れ布巾を被せておく。これは生地の水分が蒸発しないようにだ。こういう面倒な作業が必要ないビニール袋は偉大だなと思う悠利だった。テレビで見るご家庭の手打ちうどんは、だいたいビニール袋をフル活用していたので。


「ユーリ、俺まだ必要か?」

「ヤクモさん、どうです?」

「どうせなら最後まで付き合えば良かろう。……出来たてを食すのが手打ちの醍醐味よ」

「だって」

「解りました」


 何となく力仕事が終わった気配を察したウルグスが問い掛ければ、ヤクモは楽しそうに笑いながら残るように言い聞かせた。最後の部分は、本当に楽しそうで、どこか悪戯を思いついた子供のようでもあった。美味しいものが食べられることに文句などないウルグスは、素直に頷くのだった。

 同時進行でお湯を沸かすのは、麺が完成したらすぐに茹でられるようにである。一度沸騰したら弱火にして蒸発しないようにしておく。そうこうしているうちに生地の寝かしが終わったので、次はいよいよ伸ばす作業だ。

 生地を敷板に載せる前に、準備がある。生地がくっつかないように打ち粉を振るのだ。この打ち粉は小麦粉でも良いのだけれど、なじみやすすぎるので今回は片栗粉を使う。ぱらぱらと敷板の上に広げ、生地にも軽くまぶす。これで準備が整った。


「では、今から生地をのばす。まずは麺棒で押しつぶし、円形に伸ばす。真ん中を押して向こう側に、次に手前側にだ」

「こうですか?」

「うむ。出来たら生地を回転させて同じことを繰り返す。3、4回繰り返せば良いだろう」

「了解です」


 一度伸ばし終えた生地を90度回転させて同じ作業を繰り返すこと、数回。生地は円形になった。……まぁ、ウルグスのは多分円形だと思うという感じで、ちょっと歪なのだけれど。それもまた愛嬌だ。初心者なのだから仕方ない。

 次の工程に入る前に、もう一度生地に打ち粉をする。今回は少し多めにする。というのも、これから本格的に麺棒で伸ばすので、くっついたら大変なのだ。打ち粉が終われば麺棒を手前から巻き付け、体重を乗せながらごろごろと転がしていく。


「ほどよく伸びたら縦にして麺棒を外すのだ」

「はい」

「外せたら、また同じ作業を繰り返す。生地を四角に整え、厚さ3㎜を目安に、均一になるようにな」

「解りました」

「ウルグス頑張れー」

「おー」


 手慣れているヤクモはさっさと作業を進めるが、ウルグスはややもたついてしまう。それでも一生懸命手伝ってくれている彼を、悠利は応援していた。なお、悠利の心は完成品を早く食べたい方向へと向かっていた。ぶれない。


「あ、僕、今の間につゆと薬味の準備してきますね」

「うむ。宜しく頼む」

「はい!」


 二人に生地作製を任せて、悠利は食べるときの準備を始めることにした。冷たいうどんを食べたいので、用意するのはめんつゆだ。こちらは水で希釈すれば良いので一瞬である。あとは、薬味だ。

 冷蔵庫の中から取りだしたのは、ネギ、生姜、青じそ、ミョウガ。生姜はすりおろし、ネギは小口切り。青じそとミョウガは千切りにと悠利は慣れた手つきで包丁を動かす。流しの横で作業をする悠利の後方では、作業台の上で二人がせっせと生地を伸ばしているのだった。

 その光景を、台所スペースからにゅーっと顔を覗かせながらルークスが見ているのだが、せっせと作業に勤しむ三人は気づいていなかった。……ちなみにルークスは、洗い物とか生ゴミ処理とかの仕事があるかな?と思って待っているのだった。安定のルークスだった。


「ユーリ、生地を切り始めるぞ。鍋の準備は良いか?」

「大丈夫です。あと、冷やすための氷も準備してあります」

「……お主、本当にそういうところは手抜かりがないな」

「どうせなら美味しく食べたいですよね?」


 キラキラとした笑顔で言い切った悠利に、ヤクモは小さくため息をついた。その隣のウルグスも同じだった。美味しい食べ物にかける情熱は、普段のほわほわした雰囲気からは想像できないほどに強い悠利だった。勿論、常にそうというわけではないのだけれど。

 今回は、やっと念願のうどんが食べられるというので、ちょっとテンションが上がっているのだった。お前は遠足前の幼稚園児かと言わないでください。大丈夫、まだ未成年だからお子様枠で許される。

 悠利がそちらへ視線を向ければ、ヤクモとウルグスは既に生地をたたんで切る準備を整えていた。ちなみに、たたむときは屏風たたみと呼ばれる感じにたたむ。そのものずばり、屏風のように交互に折りたたんでいく感じだ。折り紙の蛇腹折りにも似ているかもしれない。注意点は生地がくっつかないようにたっぷりと打ち粉をするくらいだろう。

 なお、幅は包丁で切りやすい幅にする。プロはうどん用の長い包丁を持っているかも知れないが、一般家庭にはそんなものはない。普通の包丁でも切れなくはないので、そのときに作業しやすい幅にたたむのが良いと思われます。

 生地は打ち粉をしたまな板の上に載せられており、さらにはその生地にも再び打ち粉がしてあった。くっつかないのが何より大切なのです。大丈夫。打ち粉は茹でたら落ちます。くっついて麺がちぎれるぐらいならば、粉まみれの方がマシです。……多分?

 ヤクモが生地の厚さと同じぐらいの幅で麺を切りながら、ふと思いついたように隣で興味津々な悠利に視線を向けた。


「ユーリ」

「はい?」

「交代だ」

「あ、解りました」


 任せてくださいと笑顔で請け負って、悠利は生地を切り始める。伊達に料理技能スキルを持っているわけではない。技能スキルレベル50越え、先日確認したときには65とかになっていた悠利である。生地を均一に、手早く切り分けることなど朝飯前であった。

 トタタタタタと軽快な音で切られていく生地を、ウルグスは遠い目をして眺めていた。悠利の包丁技術が相変わらずだなと思ったのである。あっという間に全ての生地が切り分けられ、ヤクモは切られた生地を一人前ずつ持ち上げて打ち粉を払い、再びまな板の上に戻す。この作業で余分な打ち粉を払い、かつ、切断面にも打ち粉を付けることが出来るのだ。一石二鳥であった。

 さて、ここまで出来ればもはや完成は目前だ。とりあえずは二人前のうどんを鍋へと入れて茹でる。こちら、たっぷりのお湯が必要で、麺の5~10倍とも言われている。うどん県で知られる四国のとある県は、水不足が心配されるはずなのに、うどんを茹でるときのお湯は妥協しないらしい。そこまでいくとうどんへの愛もあっぱれである。

 麺は菜箸でほぐしながら投入し、一度沈んで再び浮き上がってくるのを待つ。再びお湯が沸騰したら、吹きこぼれない程度に火を弱めて10分ほど茹でる。この茹で時間は各々好みがあるので、各自で調整すれば良い。麺の細さなどによっても変わるので。


「ウルグス、茹で上がったから、鍋の中身ザルにあげてー」

「解った」


 別に鍋はそんなに大きくないのだけれど、悠利がやると眼鏡が曇るのでこういう作業は他の誰かに変わって貰うことにしているのだった。ウルグスも慣れたものなので細かいことは気にしない。

 ザルに引き上げたうどんは、水洗いをしてしっかりと引き締める。今回は冷たいうどんが食べたいので、そこに氷も投入して更に急速に冷やす。ただ、これはやり過ぎると固くなってしまうので注意が必要だ。まぁ、個人で食べる分には細かいことを気にせずに好みでやれば良いと思うのですが。


「出来たー!」

「出来た、は解ったけど、これどうやって食べるんだ?」

「めんつゆの本領発揮です」

「「は?」」


 キラッとした顔をする悠利に、ヤクモもウルグスも呆気にとられた。そんな二人を無視して、というか気づいていないままに、悠利はさくさくと食べる準備を進めていく。冷やしたうどんはザルから人数分の小鉢へ。その隣には、希釈しためんつゆを入れた小鉢。準備した薬味は小皿に載せて並べられていた。

 箸と冷たいお茶を用意すれば、準備は万端。出来ました!と顔を輝かせる悠利は、それはそれは嬉しそうだった。あ、こいつ食べることしか考えてねぇとウルグスが思う程度には。でもずっと食べたかったうどんが、打ち立てでそこにあるので仕方ないと思います。


「薬味はお好みでどうぞ。つけで食べるのを想定して濃いめにしてあるので、かけて食べたい場合はもうちょっと薄めてください」

「……なるほど。このめんつゆとやらは、うどんを食べるためのものであったのか」

「正確には、うどんや素麺ですね。僕の故郷ではそういう使い方してたんです」

「お前はそれで料理してたんかい」

「だって便利だもん」

「……そうか」


 何か間違ってる?と言いたげに首を傾げる悠利だった。ある意味何も間違っていないので否定できないウルグスだった。確かにめんつゆは合わせ調味料として大変便利なので。

 とはいえ、雑談はそこまでだった。悠利は念願のうどんにうきうきである。ヤクモも久しぶりのうどんなので楽しそうだ。その二人の隣で、うどん初チャレンジのウルグスがこれ何だろう?と思いながらも手を付けるのだった。

 つゆに薬味を投入し、そこに麺をつけて食べる。全部をどぼんとつけるのではなく、あくまで半分ほどにしておいて口の中へ。しっかりとしたコシのうどんが、ひんやりと喉を通り抜けるのを悠利は幸せそうに堪能した。

 ヤクモも同じくで、打ち立て茹でたての冷やしうどんを堪能している。温かいうどんも美味しいが、今日のように暑い日には、冷たいうどんが何より美味しい。薬味がしっかりと聞いているのもまた、良い感じだった。

 ……その二人の隣で、ウルグスはちょっと苦戦していた。


「ウルグス、どうしたの?」

「いや、なんかこう、口の中に入れるの大変だなって……」

「「……?」」


 首を捻る悠利とヤクモの視線を感じながらも、ウルグスは四苦八苦しながらうどんを食べていた。その食べ方を見て、二人はハッとした。ウルグスは、麺をすすることが、出来ないのだ。そういえば麺をすするのって結構難しいんだったと思い出す悠利だった。以前スープパスタを作ったときに似たような感想を抱いたものである。

 それはヤクモも同じだったらしく、ずずずとうどんをすすって食べつつ、苦戦しているウルグスを眺めている。ちゅるんと口の中に麺を飲み込む二人と裏腹に、ウルグスは箸でしっかり掴んで口の中に放り込んでいた。大変そうだなと思う二人だった。


「まぁ、ちょっと食べにくいのはともかくとして……。ウルグス、お味は?」

「歯ごたえが美味い」

「手打ちうどんはコシが大事だからね」

「後、パスタよりしっかりしてるから、腹がふくれる。これ、今日の夕飯にするのか?」

「そのつもり」


 にへっと笑う悠利に、そうかとウルグスは頷いた。頷いて、ちょっと苦労しつつも小鉢の中のうどんを食べるのだった。悠利が嬉しそうだし、多分このうどんに合うようにおかずを作るんだろうなと思ったので。

 一足先に食べ終えたヤクモは、切り分けた麺を綺麗に拭いたトレイの上に並べ、更に濡れ布巾をかけて冷蔵庫に片付けていた。夕飯まではまだもう少し時間があるので。


「……あ」

「どうかした、ウルグス?」

「今日の料理当番」

「……あ」


 小さく呟いたウルグスに悠利が問い掛ければ、彼はぼそりと面倒そうに呟いた。悠利も思い当たって遠い目をした。……お察しください。本日の料理当番は出汁の信者であります。


「大丈夫。うどん茹でるのは最後だから!用意しなければ見つからないよね!」

「まぁ、頑張れ」

「……うん」


 出汁がしっかり入っためんつゆで食べる麺類なんて、どう考えてもマグホイホイだった。作業が全部終わるまでは気づかれないようにしようと固く心に決める悠利だった。下手したらマグがうどんの前から離れなくなるので。




 なお、料理途中でちょっとトラブルはあったものの、概ね問題なく夕飯を迎え、皆は初めて食べるうどんを何だかんだで美味しそうに食べてくれるのでありました。暑い日は、冷やしうどんが美味しいですね。




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