にゃんこ再び、若様襲来!


 コンコンとアジトの玄関から音がした。廊下を通りがかった悠利ゆうりが気づいて声を上げるより速く、扉は勢いよく開かれた。

 そして。


「うにゃー!」

「うわっ!?」

「若!」

「「若様!」」


 開いた扉から飛び込んできた小さな塊が、悠利の腹部めがけて突撃してきた。勢い余ってその場に尻餅をついた悠利の腹の上で、うにゃうにゃとご機嫌に喉を鳴らしているのは、子猫だった。

 いや、訂正しよう。子猫ではなく、ワーキャットという二足歩行する猫な猫人類と言うべき種族の子供である。今日もシャツにズボンに長靴という、それどこの絵本の主人公?みたいな恰好をした子猫だ。

 金茶色の綺麗な毛並みに、大きなアイスブルーの瞳をしたワーキャットの子供は、悠利の腹の上でご機嫌だった。彼は以前迷子になっていたところを悠利に助けられ、ねこまんまを大変気に入って悠利をお持ち帰りしようとした子猫である。ちなみに、種族はロイヤルワーキャットというワーキャットの上位種であり、彼らの里の次代の長、らしい。

 ただし、今そこに居るのはただのご機嫌絶好調な子猫でしかないが。


「お久しぶりです、ユーリ殿。……若、ご挨拶もせずになんですか、お行儀の悪い」

「うーにゃー!」

「なりません。お会いできて嬉しいのは解りますが、きちんと挨拶をしてからです」

「にゃうぅう」


 悠利の腹の上から子猫をつまみ上げて説教をしているのは、茶猫の青年だった。以前も子猫の側にくっついていた、彼の護衛役である。……護衛役の目を盗んで逃走したあげく、空腹で行き倒れたところをルークスに発見された、という色々アレな子猫ちゃんであった。まぁ、猫は好奇心が旺盛なので仕方ないのかも知れない。

 文句を言っているらしい子猫であるが、悠利には彼の猫語はさっぱり解らない。なので、そちらは護衛役の青年に任せて、困ったように笑っている他の同行者へと向き直った。そこには、以前も子猫の側に居た黒猫の女性と、初めて見る赤猫の少年がいた。


「お久しぶりです。予定より少し早い感じですか?」

「申し訳ありません。昼食を食べてからだと伝えたところ、食べ終わったのだからすぐに連れて行け、と……」

「あはははは」


 所用で王都ドラヘルンへ再訪する予定のあった子猫は、悠利が以前口にした「また遊びにおいで」を忠実に守ったと言える。手紙で本日の午後に訪ねると言われていたので出迎えの準備をしようとしていた悠利。しかし、我慢できなかったらしい子猫がすっ飛んできたというのが現状らしい。

 何がそこまで子猫を引きつけたのか、悠利にはさっぱりわからない。確かに迷子になっていたのを助けたのは事実だが、そのとき与えた食事はただのねこまんまだ。ご飯に鰹節を混ぜただけの、調味料すら入れていないシンプルなねこまんまである。それなのにここまで懐かれてしまった理由が、さっぱり解らない悠利だった。

 悠利の視線を受けて、赤猫の少年がぺこりと頭を下げた。年齢的には子猫と大差なさそうだが、先ほど「若様!」と叫んでいたところを見ると、彼は人間の言葉が喋れるらしい。


「お初にお目にかかります。若様の学友の、エトルです」

「初めまして。ユーリです。君は言葉が通じるんだね?」

「はい。……若様は言葉の勉強をサボっておいでですので」

「あ、はははは……」


 ぼそりと付け加えられた一言に、遊ぶ方が好きとでも言いそうな雰囲気の子猫を思い出して苦笑する悠利だった。遊びたい盛りの子猫に、真面目に勉強しろと言っても無理だろう。だって猫は気まぐれで、遊ぶのが大好きなのだから。

 ちなみに、ワーキャットにおける人間の言葉の勉強は、発音や発声が主体だ。意味は猫語と変わらないそうで、だから子猫も人間の言葉で話しかけられても理解できるのだ。ただ、喋るとなると違う発音になるので、練習が必要になるらしい。

 今日アジトを訪ねてきたのは、唯我独尊マイペースで好奇心の塊な若様こと、金茶色の子猫のリディ。その護衛役の茶猫の青年クレストに、お世話役である黒猫の女性フィーア。そして最後に、前回はいなかったリディの学友のエトル。以上四名のワーキャットが、《真紅の山猫スカーレット・リンクス》のアジトを訪問していた。

 なお、本日の留守番担当は、何か起きた場合に対処する必要があるという理由で、アリーだった。残ってワーキャット達と触れ合いたがったジェイクは、ちゃんと仕事をしろと皆に言われて、ウルグスとマグ、リヒトを連れてフィールドワークに出掛けていった。学者先生は好奇心で仕事をサボろうとしますが、それを許してくれる人はどこにもいませんでした。


「それにしても、こんなに大喜びしてくれるとは思いませんでした」

「若様は、随分と楽しかったようで……」

「楽しかった、のかなぁ……?」


 拾ったときには空腹で倒れていたし、ねこまんまを3杯お代わりして満喫した後にはお昼寝に突入していた。正直に言って、それほど交流した覚えは悠利達には無い。しかし、何故かリディに懐かれていたということぐらいは解っていた。

 とりあえず、いつまでも玄関というのも何だからということで、客人一同をリビングへと案内する悠利。途中、廊下の掃除をしていたルークスが来客の姿を認めてぺこりとお辞儀をして、そして、リディの姿を認めてぱぁっと目を輝かせていた。

 それでも、出来るスライムは仕事を終わらせてからだと、名残惜しそうに振り向き振り向きしながらも、むにむにと廊下の掃除を続けていた。多分、終わったらすぐに彼らの元へ戻ってくるだろう。

 そんなルークスに手を伸ばしていたリディは、クレストに抱きかかえられたままリビングに連行された。若様を好奇心のままに自由にさせたら大変なことになる、と彼らは思ったらしい。

 ちなみに、アリーは「何かあったら呼べ」とだけ告げて、部屋で仕事をしている。万が一の備えとしてここにいるのはいるが、悠利の交友関係に口を出すつもりはないらしい。実際、ワーキャット達は悠利とルークスに会いたがった若様のお供でやってきているので、極端な話、アリーに用はないのだ。


「お、おチビ、来てたのか」

「カミール、言い方」

「え?でもチビ猫じゃん」

「だから、言い方!」

「イテっ」


 賑やかなリビングの様子につられたのか、ひょっこりと顔を出したのはカミールとアロールだった。リディが迷子になったときに関わっている両名の登場に、子猫は顔を輝かせた。知り合い見っけ!ぐらいのノリだ。そのまま飛びつこうとして、クレストの腕に引き戻されている。

 リディも周囲のワーキャット達も気にしてはいないが、カミールの呼び方のあまりにもアレな口調に、思わずアロールがツッコミを入れていた。見た目は確かに子猫だし、中身も好奇心旺盛な子猫でしかないとは言え、相手はロイヤルワーキャットであり、とある里の次代様である。あまりにも無礼な態度は許されないと思う程度には、アロールは大人だった。

 ちなみに当のリディはそんなことどうでも良いらしく、うにゃうにゃと鳴きながらカミールに向けて手を伸ばしている。猫好きのカミールはクレストの許可を貰ってリディを引き取り、久しぶりだなーと楽しそうに笑っている。その隣で疲れたようにため息をつくアロールが、妙に印象的だった。頑張れ、十歳児。


「カミール、その子の名前、リディって言うらしいよ」

「へー、お前リディって言うのか。俺はカミール。改めて宜しくなー」

「にゃにゃー!」

「肉球ぷにぷに気持ち良いなー」

「うーにゃー」


 猫好きのカミールは言わずもがなご機嫌で、遊んでもらえているのでリディもご機嫌だった。そんなご機嫌な若様を見詰めて、クレストとフィーアは微笑んでいる。エトルはただ一人、楽しそうな若様を見詰めてため息をついていた。学友としては色々と思うところがあるらしい。


「ユーリ、お客さんに飲み物持ってき、……アレ?カミールとアロールもいたの?それじゃユーリ、オイラ追加持ってくるから、宜しく」

「了解。ありがとう、ヤック」

「ううん。せっかくお友達?が来たんだし、ユーリはゆっくりしてれば良いよ」


 トレイに人数分のコップとハーブ水や冷たい紅茶、フルーツジュースの入ったピッチャーを載せてやってきたヤックは、予想外に増えていた人数に一瞬動きを止めた。止めて、配膳を悠利に託すと足りない分のコップを取りに走ってくれる。今日も彼は気の利く良い子である。

 本来なら悠利にもやらなければならない家事が残っている。だが、ヤックはそれらを全て引き受けてくれていた。午前中に出来る限りのことはしているので、それほど負担にはなっていないのだが、ヤックの優しさに甘えている悠利だった。

 何しろ、悠利を訪ねて誰かがやってくるなど、滅多にないのだ。それも、王都の外からとなれば、ようこそお越しくださいました状態で、悠利を客人の相手に固定するのも無理はなかった。

 ……え?しょっちゅうオネェが遊びに来てる?あの人は以前から顔を出しているので、枠がちょっと違います。確かに悠利に会いに来ることもありますが、それ以外でも顔を出しているので別枠です。多分。


「あぁ、そうです。お土産をお持ちしたのですが……」

「え?わざわざすみません」

「……その、若様がどうしてもコレをお持ちするのだと聞かなかったの、で……」

「……はい?」


 すっと目をそらすフィーアの言葉に、悠利は首を傾げた。その若様は、カミール、アロール、ついでにエトルの三人と一緒にわちゃわちゃと楽しそうだった。大変楽しそうだった。大人の苦悩なんて知ったこっちゃない、実に無邪気なお子様だった。

 一応止めたんですが、と前置きした状態で、彼女が肩から提げていたバッグから取り出したのは、三枚に下ろされた見事な鮭だった。どうやら魔法鞄マジックバッグに入れて持ってきていたらしく、艶々とした鮭の鮮度は良好だった。


「……え」


 流石の悠利も、目が点になった。お土産として差し出された、巨大な鮭の三枚下ろし。親骨は綺麗に取り除かれており、綺麗なピンク色の肉厚の身が視界を詰め尽くす。ちなみにその大きさは、悠利が両手を広げたぐらいになる。肩幅ですらなかった。巨大である。

 フィーアは目をそらしたままだった。流石に彼女も、こんなものをお土産にして良いのかと不安に思っているらしい。その隣で、クレストも目をそらしていた。大人組は色々と思うところがあるらしい。確かに、いきなりお土産として巨大な鮭の三枚下ろしを出されたら、普通は困るだろう。

 だがしかし、相手は悠利である。ここ、重要。お土産を渡す相手は、悠利である!


「立派な鮭ですね!」

「「……え?」」

「それに、これ生鮭じゃなくて塩鮭なんですね!うわー!脂ものってるし、皮も美味しそう……!」

「「……えぇえええええ!?」」


 キラキラと顔を輝かせて、物凄く喜んでいる悠利だった。生鮭も塩鮭も、三枚下ろしや切り身で売っているが、ここまで見事なものは滅多にお目にかかれない。それもその筈で、この巨大な鮭はワーキャット達の里の近くの栄養が豊富な川で取れる限定品みたいなものだ。川の栄養が豊富なお陰か、ここまで育つらしい。

 とはいえ、いくら珍しいからといって、塩鮭の三枚下ろしをお土産にして喜ばれるのかと不安に思っていたのだろう。そして、何故リディがこれを激推ししたのかも、解らなかっただろう。だがしかし、結果は大正解だった。悠利は顔を輝かせて喜んでいる。


「あ、あの、こんなもので、よろしかったのですか?」

「こんなものだなんて……!とても立派な塩鮭をありがとうございます!皆でいただきますね!」

「「……は、はぁ」」


 大喜びしている悠利の気持ちがちっとも解らないフィーアとクレストだった。だがしかし、喜んでもらえたのなら良いかと思い直す二人だった。元より、種族も生まれ育ちも違う相手の気持ちが完全に解るなどとは思っていないので。

 ちなみに、リディがこの巨大塩鮭の三枚下ろしを土産に指定したのには、ちゃんとした理由があった。そう、子猫には子猫の目論見があったのだ。


「にゃにゃー!」

「え?何、どうかしたの?」

「にゃうー!」

「若、何を……!」

「若様、お待ちください……!」

「へ?」


 悠利に塩鮭が手渡されたのに気づいたリディが、ぴょいと悠利の元へとやってきて、その膝の上に座りながら楽しそうに笑っている。だがしかし、生憎悠利には猫語が解らない。困惑しているクレストとフィーアに視線を向けるも、彼らはリディを宥めるのに必死で、気づいてくれない。

 困った悠利は、ちらりと視線をアロールに向けた。十歳児ながら凄腕の魔物使いでもある彼女は、所持する技能スキルの異言語理解によって、人間以外の者達の言葉を理解できる。以前もそれで通訳をしてくれたので、今回も同じように頼りにする悠利だった。


「その塩鮭は美味しいから、今すぐ何か食べたい、だって」

「え?」

「食べたいって」

「……えーっと、お昼ご飯は食べてきたんだよ、ね……?」


 悠利が確認を取った相手は、エトルだった。リディは大人2人に怒られているので話が出来ない。聡明そうな表情の赤猫は、こくりと頷いた。だがしかし、リディはにゃーにゃーと叫んでいる。どうやら、何が何でも食べると言っているようだ。子猫の食欲恐るべし。


「……それじゃ、僕らもお昼食べたところだし、何か軽く作ろうか、ヤック」

「作るんだ」

「まぁ、この美味しそうな塩鮭の味見ってことで」


 だだっ子になっているリディにも、それを宥めている大人組にも聞こえていないが、悠利は隣のヤックに笑いかける。コップを追加しに戻ってきたら変な展開になっていたので、思わず真顔でツッコミを入れるヤック。しかし、美味しそうでしょ?と見事な塩鮭を見せられては、確かにと頷くしかなかった。




 そんなわけで、急遽頂いたお土産の巨大塩鮭を用いて軽食を作ることに決めた悠利であった。美味しそうな塩鮭の誘惑には勝てなかったらしい。




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