呪いとまじないは違うものです。


「だから、お主は誤解していると申しているであろうが」

「何が誤解だと言うのですか!この悪人!」

「であるから、我は別に悪人ではないと」

「悪人が己から悪人と名乗ることはありません!」


 賑やかな声が聞こえた。本日は家事担当では無いので従魔のルークスを伴って散歩をしていた悠利ゆうりは、耳に入ってきた言い争いにきょとんとした。というのも、その片割れ、困ったように相手をいなしている声に聞き覚えがあったのだ。それはルークスも同じだったらしく、不思議そうにキュー?と鳴いていた。


「ルーちゃん、今の声ってさ」

「キュイ」

「だよねぇ」


 路地の方から聞こえたので、悠利は早足でそちらへと向かった。ルークスもぽよんぽよんと跳ねながら追いかけてくる。そして、言い争いの現場に辿り着いた悠利は、自分の予想が間違っていなかったことを知った。

 怒っているのは年若い女性だった。綺麗な金髪に軽鎧姿の、女戦士と言う感じの女性だ。顔立ちは綺麗なのだが、今は怒りに染まっていて大変怖い。それと、どうにも融通が利かなさそうなというか、神経質そうな気配が見え隠れしていた。

 それと対峙しているのは、いささか奇妙な恰好をした男性だった。奇妙とか珍妙とか言われそうなのだ。王都ドラヘルンの辺りでは見かけない恰好をしている。色の薄い黒髪を首の後ろで一つに結わえているのは、まぁ、まだ良い。男性の長髪はそこまで珍しいものでもない。問題は、身につけている衣服だった。

 男が身につけているのは、着流しと呼ばれる和装だった。西洋風の世界というか国であるこの地で、ザ・和装と言う恰好をしているのだから浮きまくっていても仕方ない。しかも、服は着流しなのに、何故か足下はショートブーツ。オマケに、お洒落なのか帽子を被っている。色々とちぐはぐなところが、更に珍妙な印象を与えていた。


「ヤクモさん、何やってるんですか?」

「おぉ、ユーリか。そちらは散歩か?」

「えぇ。何か揉めてるみたいですけど……?」

「揉めているというか、言いがかりであるな」

「おやまぁ」

「何が言いがかりか!」

「と、先ほどから延々とこの調子でな」


 やれやれと言いたげにため息をつく着流し姿の青年、ヤクモ。悠利が声をかけたことからも解るように、彼は《真紅の山猫スカーレット・リンクス》に身を置く訓練生の一人だった。服装が色々と珍妙なのは、彼がここから遠い遠い、……遠すぎてどれぐらい遠いのか考えるのが当人も面倒になったと言うぐらいに遠い異国の出身であるからだ。旅を続けている途中でこの国に立ち寄り、《真紅の山猫スカーレット・リンクス》に身を寄せているという奇妙な経歴の持ち主である。

 言葉遣いも服装もこの辺りの人とはちょっと異なるヤクモは、職業ジョブも少々変則であった。彼の職業ジョブは、呪術師という。彼の祖国においてはごく一般的な、こちらで言うところの薬師と占星術師を合わせたようなポジションに収まっている。悠利のイメージ的には、どちらかというと陰陽師の方が近いなというのがヤクモの職業ジョブである。

 そして、それ故に、職業ジョブ呪術師はこの辺りではマイナーである。マイナーもマイナーで、その名前を知らない人々が多い。更に、字面がよろしくない。呪術師という名称から、彼は常日頃言いがかりを受けている。今もそうだ。

 ヤクモは糸目のたれ目なのだが、そのたれ糸目が物凄く困ったオーラを出していた。滅多に見ない本気で困っているヤクモの姿に、悠利は驚いている。ヤクモは大概のことはけろりと流すので、こんな風に心底困っている彼に遭遇することは滅多にないのだ。


「先ほどから何度も言うておるが、我に出来るのはまじないであって、呪いではない。同じように思われるかもしれんが、この二つは別物なのだが?」

「何を言う!貴様は呪術師などという怪しげな職業ジョブなのだろう!?」

「……ヤクモさん、もしかしてずっと、こんな調子ですか?」

「うむ。流石に大通りでやるのは迷惑と路地の方に誘導したのは良いのだが、この女子おなご、まったく我の話を聞かぬのだ」

「……みたいですね」


 正義感が暴走して突っ走ってるタイプのお姉さんらしい。悠利とヤクモは頭に血が上っている彼女を見ながら、ぼそぼそと小声で会話を交わしている。呪術師という職業ジョブのせいで言いがかりを付けられるのは、何も初めてでは無いヤクモだ。事情を知らない人に勝手に危険人物扱いされるのも、ある意味いつものこと。当人は慣れているし、それで相手を恨むこともないが、少々面倒だと思っているのも事実だった。

 ちなみに、ヤクモが《真紅の山猫スカーレット・リンクス》に身を寄せているのは、この辺りの常識を学ぶためというのもあるが、ギルマスに「周りを黙らせられる後見人がいる方が、貴方には良いと思いますよ」と言われたからでもある。……安定の、困ったときの厄介人物避難場所みたいなアリーだった。《真紅の山猫スカーレット・リンクス》というか、凄腕の真贋士アリーの方で面倒なことを押し付けられまくっている。有能は辛いよ。


「まぁ、呪術師っていう字面がこの辺りの人には不吉に見えるんでしょうね」

「確かになぁ。しかし、我が自ら名付けた職業ジョブでも無いので、言われても困るのだが」

「この辺りでは、まじないと呪いの区別はあんまりしないみたいですね?」

「うむ。まじないに該当するのは、どちらかというと教会関係者の祝福になるようでな」

「なるほど。土地が変わると色々違って大変ですねぇ」

「まったくよ」

「貴様ら、話を聞いているのか!」

「「え?」」


 しみじみのほほんと会話をしていた悠利とヤクモは、女性の罵声にきょとんとしたように彼女を見た。彼女の話は九割聞き流していた二人だった。何しろ、話の内容が無限ループなのだ。彼女の言い分はひたすらに、ヤクモを「怪しげな呪いの使い手」と危険人物認定して怒っているのである。最初の一言と同じ内容が無限ループしていたら、誰だって聞き流すに決まっている。

 語彙力はあるのか、様々な表現で延々と怒っていたが、話の内容は本当にその一言で終わるのだ。頭が良いのか逆に残念なのかよく解らないお姉さんだなぁ、と悠利はちょっと失礼なことを考えた。ヤクモは既に、この女子おなご、見てくれは良いのに残念であるな、と思っている。失礼な二人だった。


「お姉さん、誤解しているようなのでお伝えしますけど、ヤクモさんに出来るのって、天気予報とかですよ?」

「吉兆を占う程度であるな」

「そう、そっちです。呪いをかけて相手に害をなすとか、ヤクモさん出来ませんよ?確かに職業ジョブは呪術師ですけど、どちらかというと、この辺りで言うところの薬師と占星術師を足したみたいな職業ジョブですし」

「何を世迷いごとを……!そのような能力ならば、何故呪術師などと名乗るのか!」

「……我が職業ジョブを定めたわけではないので、言われても困るのだが」

「ですよねぇ」


 ちゃんと説明をしたのに聞く耳を持ってもらえなかったことに、二人は脱力した。本当のことを説明しているのに全然聞いてくれないというのも、困ったものである。というか、何故この女性はこんなにキレているのだろうか。ヤクモが誰かを呪ったことなどないのだから、怒られても困る二人だった。

 そもそも、ヤクモに出来るのは先ほど説明したような内容なのだ。風を読んで天候を見定め、風水や星詠みで吉兆を占う。そして、それらも百発百中というわけではない。あくまで知識や経験で見定めるのであって、魔法みたいな不思議な力ではないのだ。どちらかというと学問系である。

 その他に出来ることと言えば、病気や怪我に合わせて薬を煎じることだ。彼の作る薬はいわゆる回復薬とも、医者が処方する薬ともまた違う。粉末や丸薬で作られる薬は、相手の体質に合わせて調合される漢方みたいな感じだった。

 ……他人を呪う為の技術など、どこにも存在しない。しいて言うなら、風水を弄れば多少は吉兆を変化させることが出来るかも知れないが、そんなものは気の迷いレベルであり、呪いとも呼べない。

 よって、この言いがかり絶好調な女性をどうしようかと困る二人だった。


「我は、基本的に無害な存在を自負しているのだがなぁ……」

「実際ヤクモさん、無害ですよね?」

「うむ。薬師や占星術師は重宝されるというのに、我が厭われるのが納得いかぬ程度には、無害である。戦うことは出来るが、それは旅をするなら自衛の一つも出来ねばならぬ嗜みよ」

「ですねぇ」

「だから貴様ら、私の話を聞けと!」


 二人は完璧に女性に背中を向けて、こそこそと会話をしていた。相手が怒っているが、怒られても困るのだ。この人どうしたら納得してくれるんだろうという感じだった。ヤクモが温厚な性格なので大事おおごとになっていないが、血の気の多い人相手だったら確実に乱闘ものである。だってどう考えても言いがかりと侮辱のオンパレードなのだから。

 しかも、当人が大真面目に自分は正しいと信じ切っているのが問題だった。こういう手合いが一番困るのだ、とヤクモがぼそりと呟いた。とても切実な響きがあった。今までにもあったんだな、と悠利は察した。察して、異国で生きるって大変なんだなとしみじみと思った。

 ……え?お前異国どころか異世界なのに、物凄く馴染んでのんびり生活しているだろう?それはそれ、これはこれ、である。悠利の場合は職業ジョブは確かに伝説級チートであるが、一般職業ジョブに擬態できているので問題ない。後、のんびりのほほんは元からの性格なので諦めてください。

 とにかく、二人は困っていた。自分達が何を言っても彼女が納得しないのだから、手の施しようがない。どうするべきかと悩んでいると、ルークスが小さく鳴いた。ちょっと不機嫌そうだった。悠利とヤクモが見下ろすと、愛らしいスライムは目を半眼にしていた。明らかに不機嫌だった。


「る、ルーちゃん?」

「む?いかがしたのだ、ルークス」

「キュウウ」

「いや、うん、確かに困ってるけど、ルーちゃん落ち着いて。落ち着こう、ね?」

「キュー……」


 ルークスは不機嫌だった。とてもとても不機嫌だった。彼は悠利の従魔であり、悠利のことが大好きだった。その悠利を困らせる相手は、極端な話ルークスにとっては敵である。よって今、ルークスはこの迷惑な言いがかり女戦士を敵認定して、排除して良いかな?みたいな気分になっていた。オーラでそれを察して、悠利が慌てて止めている。

 何しろ、ルークスは見た目こそ愛らしいサッカーボールサイズのスライムだが、能力値が色々とおかしいのだ。超レア種であるエンシェントスライムの変異種で、さらには規格外な能力値を持つと言われている名前持ちネームドでもある。うっかりやり過ぎたら目も当てられない。しかも今の不機嫌具合から、手加減するつもりがなさそうなのも含めて。

 ヤクモも悠利と同じ考えなのか、今にも飛び出しそうなルークスの頭を押さえている。行くでない、と言いがかりを付けられている当事者のヤクモに止められてしまうと、ルークスもそれ以上動けない。その代わり、不機嫌そうな半眼のままで、ちょろりと伸ばした身体の一部で地面をぺちんぺちんと叩いていた。お許しが出たら即座に攻撃に転じそうな動きで。


「ヤクモさん、どうしましょう。ルーちゃんが怖い……」

「うむ……。しかし、話が通じぬしなぁ……」

「もうこれ、ギルマスとかにお願いするのが筋なんじゃ……」

「誰か通りかからぬかな……」

「うわー、他力本願……」


 だがしかし、悠利にしても他に解決策が見当たらなかった。誰か、通りがかって助けてくれないかな、と思った。冒険者ギルドのギルマスとか、アリーとかの、彼女を納得させられるだけの何かがありそうな人物が。……なお、本来ならこういうときこそ知識職としての学者先生が求められるのだろうが、悠利とヤクモの頭にジェイクの存在はなかった。安定のジェイク先生である。

 しかし、天は二人に味方した。


「ユーリにヤクモ?そんなところで何をしているんだ?」

「あ、フラウさん」

「おぉ、フラウ殿か」


 二人に声をかけてきたのは、今日も凜々しい美貌をパンツスタイルに包んだフラウだった。本日も姐さんとお呼びしたくなるような恰好良さである。買い出しに出掛けていたのか、小さな魔法鞄マジックバッグを小脇に抱えている。


「フラウさんは、お買い物ですか?」

「あぁ、鏃の補充にな。二人はそんな路地で何をしているんだ?……それと、ルークスは何故地面を叩いている?」

「…………ルーちゃんはちょっと、ご機嫌斜めなんです」

「……我はまぁ、いつものアレだ」

「……何となく把握した」


 明後日の方向を見て悠利が呟き、遠い目をしてヤクモが続ける。二人の発言から状況を察したらしいフラウは、困惑して固まっている女性に視線を向けて、口を開いた。


「どこのどなたか知らないが、彼が他者に害をなす存在でないことは、《真紅の山猫スカーレット・リンクス》の名にかけて私が保証しよう。呪術師というのは禍々しく聞こえるかもしれないが、決して悪しき存在ではない」

「え、あ、あの……」

「もしや、貴方は過去に呪いの被害に遭われたか、被害に遭った方をご存じなのかも知れないが、ヤクモは無関係だ。この男に他者を呪う意志も、そのような気概も無いと思う」

「まぁ、他者に呪いをかけて己が無事ですむわけもないので、我は遠慮する。死して後に神に裁かれるなど真っ平ゆえ」


 きりりとした表情でフラウが伝えると、女性はますます困惑しているのか、言葉が出ていない。そして、それに便乗するようにヤクモは呪いなどお断りという自らの信念を口にする。そんな三人の姿に、悠利はいつまでも地面を叩いているルークスを抱き締めて捕獲しつつ、感心した。主にフラウの無駄な説得力に。

 というか、女性の反応が全然違う。多分、同じ内容を悠利やヤクモが言っても聞く耳を持ってくれない。今までに似たようなことを伝えたはずなのに、その時と打って変わって真摯に聞いている。これはいったいどういうことだろう。人徳って怖い、と悠利は思った。

 そして、どうなったかと言えば。


「申し訳ありませんでした!勘違いとはいえ、失礼なことを……!」

「いや、解ってくれたのならば、我はそれで良い」

「ヤクモが毎度それで終わらせるから、同じことが繰り返されるのではないのか……?」

「そうは言っても、誤解が解けたのならばそれ以上望むこともないのだが?」

「お前は本当に器が大きいというか、飄々としていると言うか……。……そういうところはジェイクに似ている気がするが」

「我をあの日常生活破綻者と同列に扱わないで貰いたい」

「……うわぁ」


 それまで、どんな悪態をつかれてもけろりと流していたヤクモが、大真面目に言い切った。ちょっと声が冷えていた。心底嫌だと思っているらしい。それが解るので、悠利は遠い目をした。

 まぁ、これは無理も無いことなのだ。ヤクモとジェイクは年齢が近い。旅を重ねて各地を巡り、その土地に合わせて生き延びてきたヤクモにとって、アジトで行き倒れるダメ人間と一緒にされるのは納得いかなかったのだろう。

 それまで温厚オーラを出していた糸目がいきなり冷えたオーラを出したので、女性はびくりと震えた。自分が無礼を働いた自覚があるだけに、恐ろしくなったのだろう。だがしかし、ヤクモが怒っているのはあくまでジェイクと同列に扱われることであって、彼女の言いがかりについては誤解が解けて謝罪された段階で許しているのだ。確かに器が大きい。


「我は異邦人ゆえな。こういったことはよくあるのだ。納得してくれたのならば、それで構わぬ」

「ありがとうございます……」

「して、呪いの被害にでも遭われたのか?」

「……昔、知人が」


 それ以上は彼女は何も言わなかった。あまりよろしくない結果だったのだろう。ヤクモもそれ以上は聞かなかった。呪いは確かに存在する。呪われたアイテムなども存在する。だから、呪術師などという呪いを連想させる職業ジョブのヤクモを誤解する人々がいるのも、無理も無いことではあったのだ。

 女性との話も終え、三人連れだってアジトへ戻る。その道すがら、フラウが呆れたようにヤクモにツッコミを入れる。


「そもそも、最初から《真紅の山猫スカーレット・リンクス》の名前かアリーの名前を出せば、片付いた話だろう?」

「……我は間借りしている身。自ら庇護下にあると宣言するのは好みではない」

「そういう問題じゃないと思うが……。アリーが聞いたら、さっさと伝えておけと怒鳴るぞ」

「そうであろうな。我らがリーダー殿は、誠に情が深い」

「でもそういうこと言うと、アリーさん全力で否定しますよね?」

「するな。……照れ隠しだろうか」

「フラウさん、それ言ったら凄い勢いで怒鳴られますよ」

「解っている。言わない」


 脳裏に三人が思い浮かべるのは、強面で言動が荒っぽい割に、面倒見の塊のような彼らのリーダー様の姿だった。気づいたら面倒事を抱え込んでいる感じの、お人好しのリーダー様だ。言ったら全力否定するところも含めて、彼らはアリーを慕っている。


「ところで」

「はい?」

「ん?」

「急いで戻った方が良い。一雨来そうだ」


 空を見上げてヤクモがぽつりと呟いた瞬間、悠利とフラウは顔を見合わせた。空は快晴。雲一つ無い澄み切った青空が広がっている。けれど彼らはヤクモの発言を疑うことは無い。顔を見合わせて、早足でアジトに向かって戻るのであった。




 そして、アジトに戻って洗濯物を取り込んだ後ににわか雨に遭遇し、ヤクモの天気予報に感謝する悠利がいるのだった。




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