ジェイクとティファーナの抱えた理由。

「僕がここにいる理由、ですか?」


 のどかな昼下がり、のんびりのほほんと食後の一服を楽しんでいたジェイクは、昼食の後片付けを終えた悠利ゆうりの質問に、不思議そうに首を傾げた。その場に居合わせたティファーナも、少し離れたテーブルで後片付けをしていた見習い組も、不思議そうに悠利を見ている。

 だがしかし、質問をした当人はにこにこ笑顔のままだった。いつも通りの悠利である。はて?と首を捻っているジェイクに対して、悠利は言葉を続けた。


「はい。ジェイクさんって、何でここにいるんだろうなって思ったんです」

「……え?僕、いちゃダメですかね?」

「ダメというか、ここ、初心者冒険者をトレジャーハンターに育成するっていうのがメインの目的のクランですよね?そこにいる割に、ジェイクさんちぐはぐかなぁって思って」

「ち、ちぐはぐ?」


 のほほんと笑いながら、のんびりとした口調で悠利がつらつらと語る。冷たいお茶美味しいですねーと笑っているが、言われた内容にジェイクは目を白黒させていた。何やら非常に雲行きが怪しかった。ジェイクにとってのみ。

 そして、悠利はにっこり笑顔で言い切った。悪意も害意もなく、ただの純粋な疑問として。




「だってジェイクさんって、ただの反面教師ですよね?」




「……ぐはっ……」

「あらあらまぁまぁ」

「「うっわー……」」


 本気でそう思っていると解るだけに、強烈な一撃だった。なお、いつものようにジェイク相手に痛烈な皮肉を口にしたり、わざとざっくり抉ったりしているときとは違う。完全に、本気で、ただの疑問としての発言だった。……天然の無自覚怖い。

 結構本気でざっくり刺されたジェイクは、その場に突っ伏した。ピクピクしている。基本的にマイペースな学者先生といえども、真っ直ぐな瞳でぶっ刺されるのは辛かったらしい。だがしかし、多分自業自得なので誰にもフォロー出来ない。

 そんな二人のやりとりを、ティファーナは頬に手を当てて困ったように笑いながら見ていた。まるで、悪戯をした子供を見るみたいな優しい笑顔だった。そして、後片付けの最中の見習い組達は、相変わらず無自覚にぶっ飛ばす悠利の発言に遠い目をした。ジェイクに同情はしないが、悠利は相変わらずだなぁと思ったのである。

 そんな皆の反応に、悠利は不思議そうに首を傾げていた。当人は普通のことを言ったつもりなので、ジェイクが何故そこまでダメージを受けているのかが解らないのだ。天然怖い。


「ジェイクさんー?」

「……いえ、君に悪気が無いのは解ってるんですけど、ちょっと心が痛みました」

「はい?」

「…………何でも無いです」

「?」


 呼びかけられて、ジェイクは遠い目をしながらも何とか身体を起こした。しかし、相手が無自覚なのを理解して、何も言えなくなったらしい。まぁ、実際問題、悠利が口にしたのは事実なので、ジェイクに反論することは出来ないのだが。現実は無情である。


「えーっと、僕がここにいる理由、ですよね」

「いる理由というか、来た理由というか?ジェイクさんって、あんまり荒事向きじゃないので」

「僕がここに来たのは、…………うーん、一言で言うと、逃げてきた、でしょうか?」

「「え?」」

「いや、隠遁したの方が近いのかな?」

「「え?」」


 のほほんと学者先生は、悠利達の予想とは違う方向の発言をしてくれた。唯一ティファーナだけが何も言っていないのは、彼女はその事情を知っているからだろう。いつもと同じ穏やかな微笑みで、驚いている子供達を微笑ましそうに見つめている。美女の微笑み、プライスレス。

 とりあえず、当人はけろりとしているが、逃げてきただの隠遁しただの、微妙に物騒な感じの単語が転がっている。この争いごととは無縁そうな学者先生が、一体何から逃げてきたと言うんだ?という疑問と、もしかして、どこかで何かやらかして隠れているのでは?みたいな不安が入り交じっている。

 別に、悠利達はジェイクを悪人だと思っているわけではない。アジトですぐに行き倒れるダメ大人で反面教師というだけで、基本的に善人なのはよく知っている。勉学を教えてくれるときも、知識を噛み砕いて丁寧に説明してくれる優しい先生である。

 ただ、彼らは知っているのだ。

 ジェイクが、知的好奇心の塊な、典型的な学者タイプであるということを。それはもう、嫌と言うほどに。悪気は無い。悪意も無い。だがしかし、知的好奇心で突っ走るときの彼は、一般常識を綺麗さっぱり捨て去って、自分の興味がある部分へ邁進するのだ。……大変迷惑なおっさんだった。


「ジェイクさん、それ、どういう意味なんですか……?」

「うん?いえね、僕は元々、王立第一研究所で学者として色々と研究をしていたんですが」

「……な、ぁああああ!?」

「え?ウルグス、どうしたの?」


 ジェイクが事情を説明しようと口を開いた瞬間、ウルグスが凄い勢いで叫んだ。口をぱくぱくさせて、それ以上言葉が出ないようだった。完全に驚愕している。まるで信じられないものを見たかのように、ウルグスはジェイクを指差したまま半分以上固まっていた。


「ウルグスー?」

「……動け」

「うごっ?!……ま、マグ、てめぇ、鳩尾に一撃は、止めろ……っ」

「説明」

「……この野郎」


 悠利が不思議そうに呼びかける隣で、マグがウルグスの鳩尾に見事な右ストレートを繰り出した。思わず呻いて復活したものの、痛そうに腹をさすっているウルグス。彼の日常はマグのせいで割とデンジャラスかもしれない。頑張って欲しい。


「マグ、ウルグスに聞きたいことがあるからって、殴っちゃダメでしょ!」

「気付け」

「気付けじゃないの!すぐに手が出るのダメって言ったでしょ!そういうときは揺さぶるとかで対応するの!」

「……否」

「面倒とか言うんじゃねぇよ……」


 悠利のお説教もどこ吹く風のマグであった。当人は一番早い手段を取ったつもりのマグなのだ。だがしかし、多分、普通は鳩尾に一撃を食らったら、正気に戻る前に痛みで崩れるだろう。ウルグスが何とか耐えたのは褒められてしかるべきだった。

 そんなやりとりをしつつも、ウルグスはのほほんとしているジェイクに向けて問い掛けた。己の中の疑問を消化するために。


「ジェイクさん、王立第一研究所にいたって、本当ですか?」

「本当ですよ。あそこは良いところですよねぇ。資料も機材も揃っていますし、予算も潤沢なので好きなことが調べられますし」

「……な、何で、王立第一研究所にいたような人が、こんなところで冒険者やってるんですか……」


 がっくりとその場に頽れるウルグス。悠利達は意味が解らないので首を捻っている。ティファーナは事情を知っているので特に何も言わない。そしてジェイクは、自分の経歴が普通だと思っているので、ウルグスの衝撃を理解してくれなかった。

 ウルグスは、事情を解っていない悠利達を見て、疲れた顔で説明をしてくれた。気分は、俺の衝撃を理解してくれ、である。


「王立第一研究所っていうのはな、この国で最高峰と言われる研究所で、下手しなくても世界でも五本の指に入る研究所なんだ。身分も年齢も問われないけど、試験に合格しないと所属できない、学問や研究に携わる人たちにとっては、多分、憧れの場所だ」

「「……え」」

「王立第一研究所の職員って名乗るだけで、王侯貴族にも一目置かれるような、凄い場所だ」

「「えぇええええ?!」」

「……間違っても、そこに入れたような人が、こんなところで俺らみたいな駆け出しに勉強教えてるとか、ありえねぇから……」

「「……うわぁ」」


 理解した、と悠利達は脱力しながらも頷いた。何という恐ろしい現実だったのだろうか。ジェイクの学者としての力量が優れていることは彼らも知っている。知っているが、まさかこんなハイスペックだったとは思わなかった。

 そして、そんなエリート街道ばく進だった筈なのに、何故今ここにいるのかが、ますますもって解らないのであった。


「えーっと、続けても良いですかね?」

「「……どうぞ」」


 のほほんと問い掛けたジェイクに対して、悠利達は脱力しながら返事をした。気分は、毒を喰らわば皿までである。もうここまで来ると、ちゃんと説明して貰わないと逆に気になって仕方が無いので。

 そんな彼らの気持ちを全然理解していないジェイク先生は、やっぱりのほほんとした状態で理由を説明してくれた。


「あそこは研究をするのにはもってこいなんですが、いかんせん人間関係が面倒くさくて……」

「「……え」」

「僕、相手の立場とか出身とか、暗黙の了解の付き合いとか、そういうの苦手なんですよねぇ。そんなことに時間を使うぐらいなら、一冊でも多く本を読んで調べ物したいですし」

「「……あー……」」


 しみじみとジェイクが告げた内容に、悠利達は遠い目をした。物凄く納得できた。想像が出来た。職員同士のコミュニケーションみたいなアレコレを全部すっ飛ばして、ひたっすら研究に没頭するジェイクの姿が彼らの目には見えていた。アジトで行き倒れるまで本を読んでいるのと同じようなものだろう。


「で、そんな感じでひたすら研究に没頭してたんですが、どうもそれがいけなかったようで……」

「…………具体的には、どんな感じでなんですか?」

「周囲の研究者の方々に疎まれてしまって、色々と面倒なことになったので、師匠に『お主、ちょっと余所で生活して、人付き合いの方法でも学んでこい』と言われて、こちらへ」

「「……はい?」」

「師匠とアリーが知り合いだったみたいで、ここなら身の安全も保証されるし、他人に教えつつ学ぶなら人付き合いも覚えられるだろうという感じでしたねー」


 暢気に告げられた発言に、悠利達は心の中でアリーに合掌した。どう考えても面倒な人物を押し付けられたとしか思えない。むしろ何で引き取ったんだろうと彼らは思った。

 ちなみに、アリーがジェイクを引き取ったのは、彼の才能が卓越していたからである。このまま元の場所にいては、最悪命の危険もあった。研究所といえども勢力争いみたいなものは存在する。優秀なくせにその辺の機微に対する配慮がポンコツだったジェイクは、当人が気づいていないだけでかなり危ない橋を渡って生きていたのだ。


「まぁ、僕としてはどこにいても研究が出来るので問題ないんですけどねー。学びに終わりはありませんし。それに、論文を発表するにしても師匠経由でお願いすれば、面倒なことはありませんからね!」

「「……うわあ」」


 この人やっぱりダメな大人だった、と少年達は理解した。スペックが高かろうが、人間的にはやっぱりダメ大人だ。地位とか名誉に興味が無い男は、論文を発表することで起きるだろう諸々を、全て師匠に丸投げしていたのである。時々師匠から手紙が届いても顔出しを拒否する程度には、ここで引きこもって好きに研究できる日常を愛していた。

 そっかぁ、と悠利は小さく呟いた。世界は残酷だった。才能を持て余した暇人みたいに思っていたが、予想以上に色々アレなおっさんであった。当人に悪気はないし、悪人でも無い。しかし、人として生きていく上で大事なモノが色々欠如していそうなジェイク先生だった。


「そんな顔をするものではありませんよ、ユーリ。実際ここは、避難場所として最適なんです」

「ティファーナさん?」

「アリーという絶対的な守護者がいて、その傍らにブルックが控えている状況で、《真紅の山猫スカーレット・リンクス》に本当の意味で喧嘩を売る人間はいませんからね。少なくとも、この国では」

「……えーっと」


 にこにこと微笑みながらティファーナが告げた内容に、このクランっていったい何なんだろうと思ってしまった悠利だった。おかしい。ここは、初心者冒険者をトレジャーハンターに育成するクランである筈だった。なのに扱いが、治外法権とか駆け込み寺みたいになっている。意味が解らない。

 そして、悠利は唐突に何かを閃いた。閃きたくなかったが、閃いてしまった。今、目の前で穏やかに笑っているティファーナの意味深な発言から、気になってしまったのだ。……普段は空気を読めないくせに、時々奇妙に聡いのが悠利のお約束だった。


「もしかして、ティファーナさんもそういった理由・・・・・・・でここにいるんですか?」

「余所から逃げてきたという意味では、同じですね」

「いえいえ、ティファーナの場合は僕より大変でしょう。僕の場合は、別に研究所に居なければそれで安泰ですし」

「あらあら、そちらも大変だったと思いますよ。少なくとも、私は毒殺される危険はありませんでしたから」

「あははははは。新種の毒の人体実験にされるのはちょっと困りましたよねぇ」

「「……………」」


 大人組ののんびりとした口調での会話に、子供組は沈黙した。沈黙するしか出来なかった。ティファーナもジェイクも穏やかに微笑んでいるのに、会話内容が怖い。大変恐ろしい。この学者先生はいったいどんな修羅場をくぐってきたのか、むしろ、何故無事に生き延びているのか心配になった。

 なお、ジェイクが無事だったのは、知的好奇心の結果で知人の薬師に作らせた解毒薬を常備していたからであり、色々足りていない弟子を心配しまくっていた師匠がアレコレ気配りをしてくれていたからである。多分、ジェイク一人だけだったら確実に死んでいる。生存本能はもっと仕事をしても良いと思われます。


「私はそこまで物騒ではありませんからね。……ただ、相手がちょっと厄介だっただけなんですよ」

「厄介な相手、ですか?」

「えぇ。貴族の方に結婚するようしつこく言われてしまって、困っていたんです。私にそんなつもりはありませんけど、ただの冒険者では太刀打ち出来ませんからね」

「「け、結婚!?」」

「まったく困ったものです。何度もお断りしたのにしつこくて……。庶民の私に貴族社会に入れと言うのも無理な話ですし、そもそも好きでもない人と結婚は嫌ですしね?」

「「……ひぇ」」


 うふふと優雅に笑うティファーナの笑顔に、目に見えない凄みを感じた悠利達だった。お姉さんはご立腹だった。きっと、今もまだその相手を許していないのだろう。望んでもいない結婚を強いられたというだけで、彼女は立派に被害者だ。ご機嫌斜めでも許される。

 ただ、疑問があったので悠利は素直に口を開いた。この流れだと、多分答えてくれると思って。


「でも、ここにいて大丈夫なんですか?」

「えぇ、問題ありませんよ。アリーと懇意にされている方がとても高位の方ですから。アリーの庇護下にある私達クランメンバーに手を出すことは、アリーを慕っておられるあの方・・・への敵対行為に等しいのです」

「……アレ?ここ、初心者向けのクランじゃなかったのかな……」

「クランの活動内容は間違っていませんよ、ユーリ。ただ、私やジェイクのようにワケありで身を置いているものもいるだけです」

「…………うわぁ」


 悠利は遠い目をした。物凄く遠い目をした。アリーが、見た目の厳つさに反して面倒見が良くて常識人で過保護であることは知っているつもりだったが、それでも遠い目をするしかなかった。器が大きいと言うべきか、懐が広いと言うべきか、単純に貧乏くじと言うべきか、苦労性と言うべきか、ちょっと悩む悠利だった。まぁ、総括すれば優しいになるのだが。

 見習い組達もちょっと反応に困っていた。自分達は普通に入ってきたのに(マグを除く)、まさかの指導係さん達の事情が色々アレすぎた。普通のクランだと思っていたのにとんだどんでん返しである。ビックリにもほどがあった。


「じゃあ、ティファーナさんはその貴族さんから逃げる為にここに来たんですか?」

「そうですね。現在進行形ですけど」

「進行形ですか……」

「未だに連絡を取ろうとしてくるのですよね。勿論手紙の返事など出しませんけれど」

「……わー、執念深いー」

「まったくです。しつこい男は嫌われると教えて差し上げたいのですけど、手紙を書くのも億劫で」

「あはははは……」


 むしろそれは、そんな手紙を送れば逆上されるのでは?と悠利達は思った。思ったが、特に何も言わなかった。若輩の自分達に言えることはないと彼らは悟ったのだ。子供達はそういうところで聡かった。


「私がここにいられるのはアリーのお陰ですけれど、手配をしてくれたのはダレイオスおじさんなんですよ」

「え?」

「私が冒険者になったのも、ダレイオスおじさんが一人で生き抜く術を教えてくれたからなんです。それもあったからか、私が困っていると知って、アリーに連絡をしてくれたんです。恩人なんですよ」

「なるほど……」


 ティファーナとアルガ、シーラの兄妹が仲良しなのは知っていたし、幼馴染みなのも知っていた。けれど、話を聞く限り、ただ幼馴染みとして子供達が仲が良かっただけでなく、家族ぐるみで交流があったらしい。だから今でも仲良しなんだな、と悠利は思った。

 なお、ティファーナは母子家庭で育ち、その母を少女時代に事故で亡くした後、ダレイオスとその妻を保護者代わりにして育ったという経緯がある。その為、アルガやシーラとは幼馴染みというよりは兄弟姉妹のような関係だった。

 とはいえ、そういった事情まで説明するつもりはティファーナにも無かったので、いつものようにおっとりと微笑んでいるだけだった。美女には秘密があるのもまた良いのです。ミステリアス万歳。


「皆さん、色々とあるんですねぇ」

「そうですね。……まぁ、ジェイクはここ以外では日常生活で遭難するのではないかと、私も時々心配になりますけど……」

「……デスヨネー」

「はい?何か言いました?」

「「何でもありません」」


 不思議そうに首を捻ったジェイクに対して、悠利とティファーナは綺麗にハモって返答した。この学者先生に自覚を促すのは無理だろうと彼らは知っていたので。




 初心者冒険者のためのクランは、実はひっそりと困っている人の避難所になっているのでありました?




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