マニキュアの、一歩先行くネイルアート。


「あら、ユーリちゃん、お帰りなさい」

「……あ、はい。ただいまです。……で、レオーネさん何してるんですか?」


 買い出しから戻ってきた悠利ゆうりとマグとルークスは、アジトのリビングに足を踏み入れた瞬間に、聞くはずのない声に出迎えられた。呆気に取られている彼らに朗らかな笑みを向けているのは、天下無敵の美貌のオネェ、調香師のレオポルドである。今日も相変わらず麗しの美貌で、穏やかに微笑む姿は実に美しい。だがしかし、彼は完全に外部の人なので、まるで我が家のようにくつろいで出迎えられると、微妙な気分になるのであった。

 なので、悠利が「何をしているのか?」と問いかけたところで、問題は無かった。麗しのオネェはその程度では怒らない。特に、彼は悠利に甘いので、そういう反応を取られても怒ったりはしないのだ。そして、柔らかく微笑みながら、右手の甲を見せてきた。

 なお、ルークスはアジトの掃除に行ってしまったし、マグは買い出しの中身を冷蔵庫に片付けるためにさっさと台所に向かっていた。オネェと関わるつもりは無さそうな両者だった。


「手がどうかしました?」

「マニキュアをね、色々試していたのよぉ」

「なるほど」


 レオポルドの説明に、悠利は素直に頷いた。だがしかし、実は状況は全然説明されていなかった。マニキュアを試すのは別に良いが、それと、彼が《真紅の山猫スカーレット・リンクス》のアジトのリビングでくつろいでるのはまた別の話である。しかし、その辺を気にしないから悠利だとも言えた。

 なお、端的に状況を説明するならば、新しいマニキュアを手に入れたオネェが、《真紅の山猫スカーレット・リンクス》の女性陣にそれをオススメしに来た、ということになる。このマニキュアを作っている職人が、レオポルドの知り合いなのだ。知人の新作をプレゼンしに来たのである。

 そんなわけなので、リビングにいるのは女性陣だった。ティファーナやヘルミーネ、イレイシアがそこにいるのは、悠利にとって予想通りだった。アロールは居心地悪そうにしているので、恐らくは周囲に巻き込まれたのだろう。僕っ娘の10歳児は難しいお年頃なので、男扱いされると怒るくせに、女の子らしい恰好や装いに関しても拒絶反応を示すという面倒くさいタイプだった。

 そんな中で、悠利にとって少々意外だったのは、フラウとレレイの二人だった。特に、レレイだ。フラウは大人の女性の嗜みとして、最低限の化粧や休みの日は着飾ることもあるが、レレイは常に自然体なのである。そのレレイがマニキュアをしているとか、そこに混ざっているとかを目撃すると、ちょっと首を捻りたくなる悠利だった。レレイの性格からは離れてるような気がするなぁ、という感じで。

 そんな悠利の疑問を感じ取ったのか、レレイがひらひらと手を振ってくる。拳が武器である武闘派のレレイは、いつも爪をきちんと手入れしている。長い爪は拳を握るときに危ないからだと言っていた。そして、そんなレレイの手を見て、悠利は気づいた。


「アレ?レレイ、マニキュアしてないの?」

「あたしはねー、爪の保護用の使ってるだけだよー。お洒落じゃないのー」

「保護用?」

「爪もね、お肌や髪と同じようにお手入れしないと痛んでしまうのよ、ユーリちゃん」

「あ、それは何となく知ってます」


 レオポルドの補足に、悠利は素直に頷いた。爪の保護のためのマニキュアがあることも、悠利は知っている。男子はあまり知らない情報に思われるが、指先を使うスポーツをやっている男子は知っていたりする。野球部のピッチャーの中には、爪が割れないように手入れをしているタイプもいると聞いたことがあった。それを考えれば、レレイがこの輪の中にいるのも納得出来る悠利だった。

 当人も笑顔でお洒落じゃないと言い切る辺りが、実にレレイらしかった。その証明のように、彼女の形良い爪は艶々しているが、色は付いていなかった。透明の、爪の保護を目的としたマニキュアを塗っているだけらしい。


「本当は、レレイちゃんの爪には色々塗りたいのよねぇ」

「え?ヤです」

「即答しないでちょうだい。貴方ってば、本当にお洒落に興味が無いのねぇ……」

「お洒落に興味が無いわけじゃないですよー?可愛い服も、髪飾りも好きですしー。でも、手はいらないです」


 にへっと笑うレレイに、レオポルドがため息をつく。頬に手を当てて困ったようにため息をつく姿は、実に絵になって美しかった。相変わらず、どこからどう見ても男性だと解りながら、女性的な仕草や装いが似合う不思議な人である。

 なお、レオポルドがレレイを着飾りたいと言うのは、美に一家言あるオネェとしては当然の反応とも言えた。というのも、レレイは普段の言動が少年めいているというか子供めいているせいで気づかれないが、目鼻立ちのはっきりした闊達な美人なのである。動きやすさ重視の服装をしているが、着飾れば映えるだろう素材は揃っているのだ。

 ただし、当人にあまりそのつもりがなかった。唯一お洒落に分類されそうなのが、前髪を留めているヘアピンだろうか。悠利が趣味で作ったヘアピンの幾つかも、レレイの手元にある。基本はお気に入りのヘアピンだが、時々違うものを身につけていたりして、彼女なりにお洒落を楽しんでいたりする。


「勿体ないわねぇ。その爪も、形も色もとても綺麗なのに……。……ちょっとぐらい塗ってみない?」

「嫌ですー」

「何で即答しちゃうのよ。休みの日ぐらい良いでしょうに」

「無理ですよー。だってレオーネさん、あたし、この手が武器なんですよ?その武器にお洒落とか、ないですよ」

「……はぁ」


 寂しそうに息を吐くレオポルドを見ながら、レレイはけらけらと笑っていた。両手を楽しそうに振っている。レオポルドの言葉の通り、武器の手入れをするかのごとくきっちり手入れされているレレイの爪は、綺麗だ。指先に力が入らないのは問題だからという理由で、いつも綺麗に整えている。……というのも、指先というのは実は爪にとても影響される。爪がなくなっただけで力が入らなくなったりするので、割れたりしないように手入れをするのはレレイにとって当然のことだった。

 ただまぁ、これに関してはレレイの意見も正しかったりする。拳で戦う系のレレイにとって、手は武器だ。休暇だろうが何だろうが、何かが起きればその拳で敵を倒さなければならない。そんな手の爪にお洒落をしても意味が無いし、仮に綺麗にお洒落できても戦闘の後に汚れてしまったら悲しくなる。それなら最初から、手はお洒落しないと割り切った方がマシなのである。

 悠利も塗ってあげるねーと暢気に笑いながら、レレイは爪の保護用のマニキュアを悠利の爪に塗ろうとする。それが純粋な好意だと解っているので、悠利は大人しくレレイの隣に座って、彼女に手を預けた。家事をするのに邪魔にならないように、定期的に爪切りをしている悠利の爪はそこそこ綺麗だった。とはいえ、爪ヤスリで磨いたり、マニキュアで保護したりとかはしていないので、そういう意味ではレレイの爪の方が綺麗だった。


「レレイ、マニキュア塗るの上手だね」

「これはね、練習いっぱいしたから」

「そうなんだ」

「うん。お父さんにね、爪は大事にしろって何度も言われたから」


 ふんふんと鼻歌を歌いながら、レレイは悠利の爪にマニキュアを塗っていく。透明のマニキュアを塗られた爪は、ちょっとだけ艶々していた。装飾ではなく、爪の保護としてのマニキュアなので、悠利も特に抵抗なく受け入れている。

 なお、レレイにお洒落をするつもりがないと理解したレオポルドは、ターゲットを10歳児に変更したらしい。ジタバタ暴れているアロールを膝の上に座らせた状態で、楽しそうにその爪にマニキュアを塗っていた。右手をレオポルドに玩具にされ、左手をヘルミーネに手入れされるという苦行を受けているアロールの顔は、本気で嫌がっていた。頑張れ、僕っ娘。

 ちなみに、そんな哀れなアロールを見ても、ティファーナもフラウもイレイシアも何も言わなかった。むしろ、微笑ましそうに見ている。見た目がどれほど優美だろうと、レオポルドは男である。優雅な仕草だろうが、腕力はちゃんとある。暴れるアロールを難なく押さえ込んでマニキュアを塗っているオネェの姿を、微笑ましく見れる段階で彼女達の精神は強靱だった。


「でっきたー。どう、ユーリ?」

「ありがとう、レレイ。艶々してるね」

「でしょー。これを定期的にやっとくと、爪が割れなくて良いんだよー」


 にこにこ笑顔のレレイと、同じく笑顔の悠利。局地的に実に平和な光景が広がっていた。美貌のオネェ相手に「離せこの変人ー!」と叫んでいる僕っ娘のいる場所に比べたら、天と地ほどの差でのほほんだった。そして、アロールの絶叫が聞こえていながら普通にしている彼らも、大概だった。


「はい、出来上がりよぉ。綺麗になったでしょう?」

「こっちも完成ー!艶出し完璧!」

「……誰も頼んでないってことを思い出して欲しいんだけど……っ」


 楽しそうなレオポルドと、ドヤ顔のヘルミーネを相手に、アロールは疲れたように悪態をついていた。とりあえずオネェの膝の上から解放されたので、逃げるようにティファーナの隣へと移動する。移動して、どうにか塗られたマニキュアがとれないかと悪戦苦闘していた。……よっぽど嫌だったらしい。


「ちょっとアロール、せっかく綺麗に出来たのに!」

「煩い。僕は頼んでない。むしろ邪魔」

「えー……」


 頬を膨らませてふてくされるヘルミーネを相手に、アロールはそちらを見もせずに斬り捨てる。ご立腹だった。しかし、その怒りの矛先を、声をかけられない限り当人に向けないのだから、この10歳児は何だかんだで大人びている。ぶつぶつと文句を言いながらも、直接自分から攻撃はしないのだ。


「マニキュアって、本人がいないと出来ないのが不便だよねー。ネイルシールとかつけ爪のネイルアートみたいなのだったら、先にデザインしておくことも出来るけど」

「「……」」

「……え?どうかしました?」


 のほほんと悠利が口にした単語に、皆が動きを止めた。じーっと見つめられて、悠利は不思議そうに首を傾げた。……なお、彼は自分がしれっと爆弾を落としたことに、気づいていなかった。それに気づけるようなら、毎度毎度うっかりやらかしたりしないだろう。まぁ、悠利にとっては普通のことを呟いただけなのだが。


「ユーリちゃん、それはいったい、どういうものなのかしらぁ?」

「……はい?」

「あたくし、聞いたことがないのだけれど、ネイルシールとか、つけ爪とか、ネイルアートって、何かしら?」

「…………僕の故郷にあった、爪のお洒落の種類です……」


 にっこり笑顔で問いかけてくる美貌のオネェに対して、悠利は若干顔を引きつらせながら答えた。オネェの本気の圧力が怖かった。やっちまったという感じだった。でも別に悪いことはしていないので、正直に答える悠利だった。


「ネイルシールというのは、爪に貼り付けてお洒落を楽しむ薄い紙みたいなものです。爪全体に貼るものと、一部分だけ飾りを貼り付けるものがあります」

「そう。それで、つけ爪というのは?」

「言葉のまま、爪の上につける偽物の爪です。ちょっと長めに作ってあったりして、そこにこう、色を塗ったり、模様を描いたり、綺麗なパーツをつけたりして、飾り付けます」

「……あらまぁ、そんな素敵なものが、ユーリちゃんの故郷にはあったのぉ?」

「僕も詳しくは知らないですけど、ありましたよ」


 楽しそうに微笑むオネェに、悠利はこっくりと頷いた。実際、悠利は男子高校生だったので、流石にネイルアートはやっていない。ただ、姉の知人がネイリストで、釘宮くぎみや家にやってきて女性陣にネイルアートをしているところを、何度か見ているだけだ。……ちなみに、綺麗に出来上がったネイルアートを汚したくないと言う女性陣の意を汲んで、そういう日の食事の準備は悠利がメインで担当していた。

 とりあえず、伝えるだけ伝えたので、悠利はもう自分は関係ないなと思って、机の上の沢山のマニキュアに視線を戻した。様々な色が揃っている。皆の爪を見ると、単色で塗っているのばかりだ。どうやらこちらの世界では、マニキュアは単色で塗るのが普通らしい。


「ねーねー、ユーリ。そのネイルアートって、ここにあるのでも出来るー?」

「んー、どうだろう?でも、色分けして模様みたいに塗ったら、それっぽくなると思うけど」

「よーし、イレイス、爪貸してー!」

「はい、わたくしでよろしければ」

「何事もチャレンジよー!」

「面白そう!見せて、見せて!」


 何故か盛り上がるヘルミーネと、にこにこ微笑んでいるイレイシア。自分は手を出さないが、そんな二人の背後で顔を輝かせているレレイもいる。ちなみに、既にティファーナはフラウの手を取って、しましま模様に塗っていたりする。楽しげに笑っているので、お姉様二人にとっては楽しい娯楽なのだろう。美人二人が楽しそうなのは目の保養である。

 そんな皆の姿をのほほんと眺めていた悠利であるが、ぽんぽんとアロールに肩を叩かれてそちらに視線を向ける。自分の爪を何とか元の状態に戻したらしい10歳児の僕っ娘は、半眼で悠利を見ていた。ジト目である。何故そんな目で見られるのか、悠利には心当たりが微塵も無かったのだが。


「えーっと、アロール、どうしたの?」

「一応、忠告しておく」

「え?」

「……多分、今のユーリとの会話で、レオーネが色々やり出すと思うし、そうなるとユーリに意見聞きに来るし、結果としてリーダーの耳に入るから、小言は貰うと思うよ」

「……あ゛」


 じゃ、それだけ、と素っ気なく言い捨てて、アロールはすたすたと去って行った。予想出来すぎる展開に、悠利は頭を抱えて呻いた。悪気なく、ぽろっと日常会話をしただけではあるが、ちょっと大事になりそうだった。またやっちゃった、としょんぼりする悠利であった。




 なお、まず最初にということでマニキュアを改良してネイルアートから手をつけることになったらしく、王都の女性達の関心を引くのであった。そして悠利は、うっかり発言が大事に繋がったので、やっぱりアリーに小言を貰うのだった。いつものことです。




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