書籍6~7巻部分

固いトマトは、めんつゆで柔らかく美味しく。


「ユーリくん、こんにちは」

「こんにち、……え?アルガさん?」

「何でそこでそんなに目を丸くするかな、君」

「いやだって、シーラさんならともかく、アルガさんがここに来るの珍しいじゃないですか」


 日差しの眩しい晴天の下、外に出した大きなシートの上にクッションを並べて虫干しをしていた悠利ゆうりは、突然現れた人物に挨拶をしようとして、驚いた。そこにいたのは、冒険者御用達の宿屋日暮れ亭の看板息子にして、大衆食堂木漏れ日亭店主の息子である、ティファーナの幼馴染みの青年、アルガだった。悠利が宿屋に遊びに行くことは滅多になく、アルガの父であるダレイオスや妹で《木漏れ日亭》の看板娘のシーラほどには顔を合わせない人物でもある。

 また、その彼がこうして《真紅の山猫スカーレット・リンクス》のアジトを訪ねてくることも珍しすぎて、思わず目が点になってしまっているのだった。だがしかし、多分悠利は悪くない。アルガがここを訪ねてくることは殆どないのだから。


「まぁ、珍しいのは事実だけどな。親父から届け物」

「ダレイオスさんから?」


 はて?と不思議そうに首を傾げた悠利に、アルガはぽんぽんと両手で抱えた布袋を示した。結構大きな布袋で、中にゴロゴロとしたものが入っているのだけは見て取れた。

 クッションの虫干し途中だった悠利は、片手にクッションを持って困ったように固まっている。すると、そのクッションを横合いからカミールがひょいっと受け取った。振り返った悠利に、カミールもその背後にいる他の見習い組達も、笑顔を見せた。


「後は並べて干すだけだし、こっちでやっておくよ」

「でもカミール」

「お客さん待たせる方がダメだろ?アルガさんは宿の仕事もあるんだし」

「……それもそうだね。じゃあ皆、お願いー」

「「おー」」


 カミールの申し出をありがたく受け入れた悠利は、会話に口を挟まずに待っていてくれたアルガを振り返る。アルガは特に急いでいる様子はなかったが、少年達の気遣いを喜んでいるのか、その顔は柔らかな笑顔だった。宿屋の看板息子の爽やかな笑顔である。……地味にこの笑顔が、ご近所のおば様達に大人気だったりする。


「アルガさん、お待たせしました。ダレイオスさんからだと、食材ですよね?台所まで運んで貰っても良いですか?」

「勿論。ユーリくんに重いもの持たせたら、皆に怒られそうだ」

「あはは、そんなことないですよー」

「いやいや、あるぞ。それで君が手を痛めたら、俺は確実にティファに説教される」

「そうですか?」

「そうです。……ティファはアレで怒ると怖いんだぞ」

「なるほど」


 内緒だぞ?と言う風に小声で付け加えたアルガに、悠利は真顔で頷いた。悠利が怒られたことはないが、確かにティファーナは怒らせると大変怖いお姉様だった。普段が穏やかで淑女としたイメージなだけに、背後に吹雪を背負いながらにっこり微笑む恐ろしさは並大抵のことではない。その笑顔で愛用の短剣でも持たれたら、たまったもんではない。怖すぎる。

 幼馴染みだけあって、ティファーナとも様々なやりとりをしてきたのだろう。普段の彼女が穏やかで優しいことを知っていても、怒らせたら大変怖いことをアルガはしっかり理解している。その上で、悠利に戯けて伝える程度には茶目っ気がある。それぐらいには仲の良い、距離の近い幼馴染みなのだ。

 雑談しながら台所に辿り着くと、アルガは抱えていた袋の口をガバッと開いてみせる。その中には、トマトがたっぷりと入っていた。


「こんなにたくさん、どうしたんですか?」

「親父の知り合いが育ててるんだけど、雨で苗がやられたらしくてな。完熟になる前に収穫したんだって」

「へー」

「で、まだちゃんと熟してないからちょっと固いんだ。親父もソースにしてるんだけど追いつかなくてな。……ここなら、腐らせずに使ってくれるだろうって」

「そうですか。トマトは栄養価も高いから嬉しいです」


 にこにこと嬉しそうに笑う悠利に、アルガはどこかホッとしたようだった。不思議そうに悠利が彼を見ると、少し困った顔をする。


「いや、面倒なのを押しつけたみたいになったから」

「そんなことないですよ?完熟してないだけで、もう食べられるトマトでしょう?」

「あぁ。けど、ちょっと固いし、甘みも足りないだろ。ソースにするのは手間だし」

「僕、別にソースにはしませんけど」

「は?」

「え?」


 そこで悠利とアルガは、お互いの思惑の食い違いに気づいた。

 アルガの中では、熟し具合の足りないトマトの使い道は、トマトソースにするぐらいだった。ようは、煮込んでしまえば、調味料で味も付けられるし、原型もなくなるし、固いのも味が足りないのも解らないから大丈夫だろう、ということだった。

 しかし、悠利が考えていたのはそっちではない。トマトソースは確かに美味しいが、暑い季節なので別のメニューを考えていたのだ。トマトソースよりもっと簡単で、大量に作れる料理を。


「ソースにしないなら、何にするんだ?」

「めんつゆに浸けます」

「……は?めんつゆって、この間からハローズさんが売ってる合わせ調味料か?親父も買ってたけど」

「そうです。固いトマトはめんつゆに浸けると柔らかくなるし、味が染みこんで良い感じなんですよ」

「……へー」


 アルガは素直に感心していた。というのも、彼にとってめんつゆはほぼ未知の調味料だ。なので、いったいどういう料理になるのかがさっぱり解っていないのだった。

 そんなアルガの様子を見て、悠利はポンと手を打った。いそいそと冷蔵庫へと向かうと、そこからボウルを一つ取り出してくる。やや小ぶりのボウルの中では、ちゃぷんと何かの液体が揺れていた。


「これ、先日仕込んだ残りなんですけど、味見してみます?」

「え、良いのか?」

「はい、大丈夫です」


 にこにこ笑って、悠利は小皿にめんつゆの中に浸かっていたトマトを引き上げる。どうぞ、と箸と一緒に小皿を渡されたアルガは、素直に礼を言ってから小皿を受け取った。

 長時間めんつゆに漬け込まれていたトマトは、うっすらとめんつゆの色を吸い込んでいた。そして、それだけでなく、全体的にくたっとしている。柔らかそうだなと思いながら箸で摘まんだアルガは、想像通りに柔らかいトマトにふむふむと真剣な顔をした。

 彼は料理人ではないので小難しいことは解らない。解らないが、めんつゆに浸けたトマトが柔らかくなって、しかも美味しくなると言うのなら、その情報は父親に持ち帰るべきだと思ったのだ。彼は宿屋の手伝いが忙しくて食堂の方まで手が回らないし、妹のシーラはウエイトレスとしては完璧だが、料理は壊滅的に下手だった。謎の物体Xを作り出す特技は健在なのである。……あの妹には、料理の出来る旦那を探さなければなるまい、とアルガは密かに決意している。

 ぱくりと口の中にトマトを放り込む。広がるのは、めんつゆの優しい味わいだった。そこに、トマトの酸味と水分が解け合って、まろやかになっている。シャクシャクとした歯ごたえこそ失われているが、トマトの持ち味の瑞々しい美味しさは、めんつゆと調和して口の中で踊っている。……端的に言えば、美味しかった。


「ユーリくん、これ本当に、めんつゆに浸けただけなのか?」

「そうですよ」

「これだけで酒のつまみになりそうだと思うんだが」

「あぁ、そうですね。この間レレイが、お酒片手に一鉢食べてました」

「……一鉢?」

「一鉢」


 悠利がジェスチャーで示した一鉢が、小鉢ではなくどんぶり並の大鉢だったことに、アルガが確認するように問いかける。それに対して、悠利は真面目くさった顔でこくりと頷きながら、もう一度両手で大鉢を示すようにジェスチャーした。現実は無情である。

 だがしかし、ここで弁明しておくならば、レレイは別に単純に大食いというわけではない。彼女は猫獣人の父親からその性質を受け継いでいるので、普通の人間よりも大食漢なのだ。獣人というのは得てして大食らいが多い。そして、その食べた分だけ動くという元気な人たちなのだ。


「これ、作り方を教えて貰っても良いか?親父に教えてやりたいんだが」

「良いですよ。じゃあ、貰ったトマトで仕込んでみますね」

「頼む」

「と言っても、特に難しいことはないんですけど」


 アルガの頼みを、悠利は快く了承した。そもそも、悠利は元々、自分が知っている料理のレシピを他人に教えることに抵抗はない。皆が美味しく食べられれば良いと思っている。何しろ彼はプロの料理人でもなければ、その料理で金を得ているわけでもないのだから。ごく普通の家庭料理を作っているだけなので、他人に教えることは悠利にとって普通だった。

 そんなわけで、アルガを背後に従えて、悠利は調理に取りかかる。とりあえずの説明だけなので、トマトを一つだけ手にしている。流水で綺麗に洗ったトマトをまな板の上に載せると、綺麗に半分に切ってしまう。その後、ヘタの部分を取り除いたら、くし形にカットする。


「トマトの大きさは特に決まってないんですけど、これぐらいの方が食べやすいかなと思って、僕はくし形に切ってます。スライスにしちゃうと、柔らかくなったら壊れちゃうので」

「なるほどな。確かに、さっきのトマトは随分と柔らかかった」

「それで、トマトが切れたらボウルに入れて、めんつゆを被るぐらいに入れます」

「ちゃんと浸かりきるようにかけるんだな」

「はい」


 ボウルにぽいぽいとトマトを入れて、全体が隠れるようにめんつゆを入れる。そうして、悠利はアルガに向き直った。


「以上です」

「……本当に浸けただけなんだな」

「そうですよ」

「他に調味料は?」

「いれてません。というか、そもそもめんつゆが合わせ調味料じゃないですか」

「そうだな」


 悠利の台詞に、アルガは納得した。めんつゆはその中に、醤油、みりん、出汁、酒などが入っているのだ。もう立派に調味料が揃っている。


「あとは、これを冷蔵庫に入れて寝かせるだけです」

「時間は?」

「トマトの大きさとか固さによると思いますけど、2、3時間も寝かせれば大丈夫だと思います」

「そうか。ありがとう」


 アルガは、心底ありがたいと思っていると解る表情と声音で、悠利に礼を言った。悠利は意味が良く解らないままに、首を捻っている。アルガとしては、忙しい父親の手助けが出来ると解って、安堵しているのだ。トマトを腐らせないように、かといって普通に切って出しても美味しくないからと、連日ソースを作っている父親の大変さを、彼は知っている。……主に、看板娘にすら厨房を任せられないという弊害と共に。


「あ、そうだ。アルガさん、これ、残りダレイオスさんに持って帰りますか?」

「え?」

「やっぱりダレイオスさんも、自分で味見をしてから作るかどうか考えたいと思うんです」

「……貰っても、良いのか?」

「残り物だから、大丈夫ですよ。今日食べる分は、これから貰ったトマトを仕込めば間に合いますから」

「そうか。それじゃあ、ありがたくいただいていくよ」

「はい。器に入れますからちょっと待ってくださいね」


 にこにこ笑って持ち帰りの準備を始める悠利に、アルガは良く気がつくなぁと小さく呟いた。どう考えても少年がする気配りではないのだけれど、悠利がやっていると何一つ違和感がないのが不思議だった。乙男オトメンは今日も違和感が仕事しない中、楽しく家事に勤しんでおります。

 水分が零れないように蓋付きの器にめんつゆから引き上げたトマトを詰め込むと、悠利はどうぞとそれをアルガに手渡す。とても嬉しそうな顔でそれを受け取って、アルガは父親の待つ《木漏れ日亭》へと戻っていったのだった。




 その後、《日暮れ亭》のメニューにめんつゆトマトが加わり、暑い日にさっぱりと美味しいと好評になるのでありました。




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