めんつゆで、お手軽海鮮漬け丼です。


「そろそろ出来たかなー?」


 昼食に近くなった時間帯、悠利ゆうりは一人で冷蔵庫を開けていた。そうして、ボウルを取り出して中身を確認している。その中身は、タレに漬け込まれた生魚だった。食べやすいように薄めの一口サイズにカットしてあるその魚は、刺身で食べても大丈夫だと【神の瞳】さんが太鼓判を押してくれた鮮度のものたちである。ちなみに、鮭だ。

 今日のお昼は悠利一人なので、自分の食べたいものを作ろうと仕込んでいたのである。そして、そんな悠利が食べようとしているのは、海鮮漬け丼である。普通の海鮮丼も美味しいが、漬け丼はしっかり味が染みこんでいてそちらもとても美味しいのだ。

 なお、一人だからという理由で海鮮漬け丼に決定した理由は、この辺りでは刺身を食べる習慣が殆ど無いからだ。カルパッチョのような料理はあるらしいが、醤油や塩、わさびでシンプルに食べるお刺身というのはあまり受け容れられていないらしい。まぁ、内陸の街なので仕方ないだろう。

 しかし、悠利は刺身も好きなので、一人ご飯で堪能しようと思ったのだ。え?アジトにはいつも誰か一人は指導係が残っているんじゃないのか?……留守番担当だったフラウが、冒険者ギルドに呼び出されて出掛けてしまったのだ。おかげで一人気楽なお昼ご飯な悠利であった。


「うん、良い感じー」


 たぷたぷとしたタレの中から鮭を取り出してみれば、良い感じに色づいていた。美味しい漬けサーモンの出来上がりだ。ちなみにこのタレは、お手軽簡単に作られている。主成分がめんつゆなのである。……合わせ調味料万歳。

 作り方はいたって簡単で、ボウルにめんつゆ、生姜の絞り汁、ごま油を少々入れて、そこに食べやすい大きさに切った刺身用の魚を放り込むだけだ。生姜とごま油の配分は個人の好みである。また、悠利は生はあまり好きでは無いので入れなかったが、にんにくのすりおろしを混ぜるのもピリリとした絡みが加わって、それはそれで美味しく仕上がる。

 ちなみに、こうして漬け込んだ魚をソテーにしたり、あぶり焼きにしても普通に美味しいです。使うめんつゆの種類によっては、出汁風味になったり、少し甘かったり、醤油が強かったりとバリエーションがあるので、色々と楽しめて便利である。


「えーっと、青じそとミョウガとネギがあったよねー」


 ボウルを流し台に置くと、悠利は冷蔵庫から目当ての食材を取り出していく。海鮮漬け丼には薬味が必要である。何を使うかは好みだが、悠利が取り出したのは、青じそ、ミョウガ、ネギの三種類だ。

 水洗いをしたそれらを、悠利は刻んでいく。青じそとミョウガは千切りに。ネギは小口切りに。慣れた手つきで刻んだ薬味を見て、悠利は満足そうに笑った。

 次にするのは、器にご飯を盛りつけることだ。炊飯器の中に残っているご飯を深めの器に盛りつけると、その上に漬けになった鮭を並べていく。たっぷりと鮭を載せると、その上に刻んだ青じそ、ミョウガ、ネギを散らして完成だ。


「出来たー」


 完成した海鮮漬け、鮭の漬け丼を見て、悠利はにこにこ笑っている。食べたいと思ったものが作れたのだ。そりゃ、にこにこになるだろう。え?いつもにこにこしている?そのにこにことはまた理由が違うのです。

 水と朝の残りのスープ、サラダを器に盛りつけてトレイに載せると、食堂スペースに移動しようとした。そこでふと、悠利は顔を上げた。食堂の入り口から入ってくる人物がそこにいた。


「アレ?イレイス、どうしたの?」

「用事が早く終わりましたから、戻ってきたのですわ」

「そっかー。あ、じゃあ、イレイスのご飯用意しないとダメだね」


 ふんわりと微笑む人魚の少女イレイシアに対して、悠利はいつもの口調で会話をした。したが、そーっと、自分が食べようとしていた海鮮漬け丼を身体の後に隠し、イレイシアの視界に入らないようにしてみた。生魚を苦手としている面々が多いので、一応配慮してみたのだ。

 ちなみに、イレイシアは人魚であるが、肉も魚も普通に食べる。下半身が魚なのに共食いにならないのかという疑問は、そもそも魚の世界が弱肉強食である段階で説明される。人魚は上半身が人間と同じ感じなので、割と雑食だった。というかむしろ、魚介類は好物らしい。


「イレイス、鮭焼こうか?」

「鮭がありますの?」

「うん、タレに漬け込んであるから、めんつゆの味がついてるんだけど、大丈夫?」

「えぇ、それは問題ありませんわ。……ところでユーリ、そちらの器の料理は?」

「え、あ、僕が食べようと思って作った、海鮮漬け丼だよ」

「もしかして、あの鮭は、生ですの?」

「……うん、生だよ」


 イレイシアの質問に、悠利はちょっと目線を逸らして答えた。魚の生食を苦手にする人が多いので、「それ食べて大丈夫なの?」とか言われる可能性を考慮したからだ。だがしかし、イレイシアの反応は悠利の予想と異なった。ぎゅっと、白く繊細な指先が美しい両手で、悠利の手を握りしめてくる。ぽかんとした悠利が視線を向けると、造作めいた美貌の少女は、幾分頬を紅潮させて悠利を見ていた。


「イレイス?」

「もしかして、ユーリは生の魚を食べる文化のある地域の方ですの?」

「え?」

「もしよろしければ、わたくしにも同じものを用意していただけませんか?」


 キラキラと顔を輝かせた儚げな面差しの美少女。至近距離でその美貌を前にしても、悠利は特に気にしていなかった。それより何より、彼女の発言内容の方が気になったのである。彼女は確かに、こう言った。同じものを用意して欲しい、と。それはつまり、生の魚、すなわち刺身を食べる習慣があるということだった。青天の霹靂レベルでびっくりする悠利だった。


「え?イレイス、刺身食べるの?」

「刺身は存じ上げませんけれど、わたくしの故郷では、新鮮な魚は生でいただきますわ」

「へー、そうなんだー」

「ですけれど、この辺りでは生では食べないようですの……」


 しょんぼりと肩を落としたイレイシアに、悠利は色々察した。つまり、彼女は悠利と同じ状況なのだ。新鮮な魚は手に入るものの、生で食べるという文化が殆どないこの地では、そういった料理は出てこない。悠利が懐かしく思って自作するのと違って、イレイシアは現在料理当番からは離れているので、それも出来ないのだ。

 悠利は、顔を輝かせた。同士発見である。ちょっと待ってねと伝えると、うきうきともう一つ海鮮漬け丼を作り始める。同じ料理を同じように美味しいと思って食べてくれる人を発見出来て、とても嬉しいらしい。

 

「はい、イレイスの分。一緒に食べよう?」

「ありがとうございます」

「ううん。僕もねー、生魚一緒に食べれる人がいると思ってなかったから、嬉しい」


 にへっと笑う悠利に、イレイシアも微笑みを浮かべた。トレイに載せられた海鮮漬け丼とスープとサラダを食堂に運び、2人は向かい合って席に着く。めんつゆで作ったお手軽漬け丼であるが、食べたいと思っている2人にはそんなことは問題では無かった。大事なのは手間ではない。味だ。

 食べやすい一口サイズに鮭を切ってあるので、悠利もイレイシアもスプーン片手に器に向かい合う。薬味の青じそ、ミョウガ、ネギと一緒に、しっかりと内側までタレが染みこんだ鮭と白米をスプーンで掬う。そしてそれを口に運ぶ。じゅわりと口の中に広がるのは、めんつゆベースの味だったが、生姜汁とごま油が加えられているので深みが出ており、そのままで十分美味しかった。

 また、青じそ、ミョウガ、ネギの薬味トリオが良いアクセントになっている。鮭の漬けだけでは味が濃くなりそうだが、それをさっぱり爽やかにしてくれるのだ。薬味万歳。また、白米にも鮭から零れたタレが染みこんでいるので、ご飯も実に美味しい。


「美味しいですわね」

「美味しいねー」


 好きなものを、美味しいものを、心ゆくまで食べられる状況なので、イレイシアも悠利も幸せそうだった。美味しいご飯は正義です。食べたい料理が食べられるというのは、とてもとても幸せなことなのである。


「あぁ、こんなに美味しいお魚を食べられるだなんて思っていませんでしたわ……」

「僕も、イレイスが生魚食べるとは思わなかったかなー」

「あら、どうしてですの?」


 しみじみと呟いたイレイシアに悠利が素直な感想を伝えると、彼女は不思議そうな顔で首を傾げて見せた。長い水色の髪が、ふわりと彼女の動きに合わせて揺れるのが、何とも言えず美しい。だがしかし、それを見ているのは情緒回路がポンコツな悠利なので、何一つ感じもせずに、普通に会話を続行させた。……相変わらず、美少女が側にいるのに、無風であった。


「だって、生魚食べる人って少ないって言うし」

「新鮮なお魚は、生で食べても美味しいですわ。それに、わたくしたち人魚は海の近くで生活しますから、獲れたての魚をそのままいただくことが多いのです」

「なるほどー。……捌いて食べるよね?」

「当たり前ですわ。流石に、骨や内臓は食べませんもの」


 まぁ、と心外だと言いたげに驚いたように口を開くイレイシアに、そうだよね、と悠利はほわほわと笑った。……笑いつつ、「あ、やっぱり内臓までアレコレ調理して食べようとするのって、異質なんだ」と理解した。悠利はそこまで好んで食べたりはしないが、日本食には魚介類の内臓系を食すものがちらほらある。あん肝とか。異世界で、魔改造民族日本人の、食に対する無駄な拘りを理解した気がした悠利であった。割と何でも食べる日本人は、よく考えたらやばいかもしれない。

 どれぐらいヤバいかと言うと、多分、侵略してきた異星人とかがいても、それが食べられると解ったら、美味しいと解ったら、嬉々として狩りそうだという意味で。諸外国から見て食べ物じゃ無いとか言われそうなものもしれっと食べてるので、その辺考えるとあながち否定できない。


「あ、魚卵は?」

「食べますわ」

「そっかー。じゃあ、今度はイクラも一緒に買って、鮭とイクラの親子丼とかしてみようか?」

「まぁ、それは美味しそうですわね」


 悠利の提案に、イレイシアは顔をキラキラと輝かせた。そうでなくても今、こうやって海鮮漬け丼を食べられているだけで彼女は幸せなのだ。それなのに、次回に更に美味しいメニューを提案されては、喜ぶしかない。基本的に小食なイレイシアだが、それでも好物は存在して、生魚は懐かしい故郷を偲ばせる食材なのである。それを内陸の王都ドラヘルンで食べられると思っていなかっただけに、かなり幸福だと思っているのだろう。

 久しぶりの生魚ということで、普段小食なイレイシアがお代わりをしていた。元々余分に鮭を漬け込んでおいた悠利は、恐縮そうにする彼女に笑顔でお代わりを振る舞うのだった。自分が作った料理を喜んで貰えることは、悠利にとって何より嬉しいことなので。




 なお、後ほどクランメンバーに確認したところ、地味に生魚を食べられるメンバーがちらほらいたので、後日彼らにも海鮮漬け丼を振る舞うことになった悠利であった。美味しいは皆で堪能するのが大切なのです。





 

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